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『理化学研究所 100年目の巨大研究機関』(山根一眞) [読書(サイエンス)]

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 理化学研究所は、1917年(大正6年)3月20日に、財団法人理化学研究所として発足した。欧州で第一次世界大戦が勃発して3年目、ロシアではロマノフ朝による帝政が崩壊した直後の時代だ。
(中略)
1990年代後半からは続々と新しい研究所、研究センターが生まれており、研究室の総数は今ではおよそ450にのぼる。また、世界各国・地域と研究協力協定、覚書の締約も重ねてきた。理研は、日本の理研から世界の理研に育ち、協力関係にある海外の研究機関の数は約460(53カ国・地域)におよんでいる(2016年3月末)。
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新書版p.47、69


 450の研究室、3000人の研究者、500人の事務職からなる巨大研究機関。今年で創立100周年をむかえた理化学研究所で行われている研究や施設の一部を紹介してくれるサイエンス本。新書版(講談社)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。

 113番元素、粒子加速器、スパコンなど、理研で行われている研究とそのために使われている施設を広く取材した一冊です。全体は11個の章から構成されています。


「第1章 113番元素が誕生した日」
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 2011年3月、東日本大震災による電力の大幅な使用制限は、新元素探査にとって大きな危機だった。なにしろ、たった1個の原子核を得るために、加速器とGARISは2メガワット(=200万ワット)もの電力が必要だからだ。あの電力危機の日々、理研の他の研究チームは、それぞれ実験を止めて電力を節約し、コジェネ(自家発電装置)からの電力を森田グループの実験にまわしてくれたという。それでも、2012年8月18日に劇的なイベント(成果)を得るまでの延べ照射日数は570日を超え、亜鉛原子核の照射は実に400兆回におよんでいた。
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新書版p.35

 加速器によって113番元素「ニホニウム(Nh)」を作り出す実験はどのように行われたのか。新元素の生成と検出に至る道のりを描きます。


「第2章 ガラス板の史跡」
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 ピストンリング、ふえるわかめちゃん、オフィス機器を製造する3つのメーカーは、一見、何の関係もないように思えるが、いずれもそのルーツは同じなのである。それは、社名が物語っている。ピストンリングは「株式会社リケン」、ふえるわかめちゃんは「理研ビタミン株式会社」、オフィス機器は「株式会社リコー」(発足時の社名は理研感光紙)。いずれも、理研から生まれた企業なのである。
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新書版p.46

 理研の創設から今日に至るまでの歴史を概観します。


「第3章 加速器バザール」
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 和光市の理化学研究所の敷地の東北端に、とんでもない地下実験施設がある。
 私がそこをちょっとだけ見せてもらったのは数年前のことだが、実験施設という言葉で思い浮かべていたイメージは完全にぶっ飛んでしまった。数多くの実験装置が並んでいるのだが、その一つは平べったい六角柱をしており、2階建て住宅ほどの7.7メートル。直径18.4メートルなので床面積は約270平方メートル(約80坪)という、とてつもなくごつい装置だ。ごつく見えるのも当然で、総重量が8300トン、東京タワー2つ分の重さというのだ。
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新書版p.73

 様々な粒子加速器が点在する実験施設「RIビームファクトリー」を中心に、総面積4万4643平方メートルという加速器研究センターの全貌を紹介します。


「第4章 超光の標的」
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放射光は、円形の加速器では粒子の加速速度を落とすじゃまものとされていたが、きわめてシャープにモノの立体構造を見ることができる光であることがわかり、いわばスーパー顕微鏡として世界で放射光施設の建設が始まった。これは、放射光を作り出すことに特化した円形加速器だが、物質の分子や原子のナノサイズ(1メートルの10億分の1)世界の構造を見ることができるため、今では科学研究のみならず産業界でも広く利用されている。
 なかでもスプリングエイトは、世界で最大、最強の放射光施設としてデビューし(電子エネルギー80億電子ボルト)、今もその地位は揺るがない。
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新書版p.93

 分子原子のスケールでモノの立体構造を見ることが出来るスーパー顕微鏡、放射光。スプリングエイトなどの放射光施設とそこから生みだされた成果について語ります。


「第5章 100京回の瞬き」
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光は1秒間に地球を7周半、30万キロメートル進みますが、1アト秒では0.3ナノメートル(30万分の1ミリメートル)、ほぼ水の分子サイズを通過する距離です。このアト秒の光の瞬きを使い原子の挙動がわかれば、新しいエネルギーや新しい機能を持った新素材が開発できるでしょう。
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新書版p.123

 光の速度でさえ分子サイズの距離しか進むことが出来ないほど極めて短時間の光パルスを作り出し、超高速現象を撮影する。量子・原子光学、アト秒科学、超解像イメージング、テラフォトニクスなど光・量子技術を探求するテラヘルツ光研究グループの研究テーマを紹介します。


「第6章 スパコンありきの明日」
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 原子の数で約1000~10万個分にもなるタンパク質分子のシミュレーションには膨大な計算が必要です。原子1個のサイズがサッカーボール1個分とすると、タンパク質は大きなもので50メートルプールくらい。タンパク質や水、脂質といった分子の集合である細胞1個ともなると、例えば赤血球(幅10ミクロン、厚さ2ミクロン程度)は4000メートル級の山が20キロ続くような山脈くらいの大きさになります。
 細胞の動きを追うためには、とてつもなく大きな空間の中でひしめき合うたくさんの原子同士がお互いに力を及ぼしあっている状態を計算しなければならないのです。しかもタンパク質分子などの動きは非常に速いため、1000兆分の1秒(1フェムト秒)刻みで計算させる必要があります。
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新書版p.142

 実験と理論に続く「第三の科学」であるコンピュータシミュレーション。タンパク質分子の挙動解析、防災環境、エネルギー問題、新素材開発まで、あらゆる分野で活用されているスーパーコンピュータ「京」。「京」の運用、スパコンネットワークHPCI構想、そしてポスト「京」開発計画まで、スーパーコンピュータをめぐる状況を概説します。


「第7章 生き物たちの宝物殿」
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科学の神髄は「再現性」です。実験によって大きな発見があったと発表したあと、第三者が同じ実験をして同じ結果が得られたと確認できて、初めて科学として成立します。同じ結果が出せなければSFにすぎません。その「再現性」のためには、同じ実験材料、生物資源を使わなくてはいけない。マウスや細胞は、同じものを保存、維持し、必要とする研究者に提供する必要があるわけです。バイオリソースセンターは、そういう役割をもつ施設なのです。
(中略)
細胞は1万855株。「株」というのは遺伝的な特性が均一な集団のことですが、100パーセントが凍結保存です。実験植物は83万3285株、これは99パーセントが凍結、冷蔵。微生物材料は2万5176株、遺伝子材料となると380万8264株、いずれも100パーセント凍結や冷蔵です。
(中略)
大村先生の放線菌も大隅先生のオートファジーの細胞株も、がんのヒーラ細胞も、高松塚古墳とキトラ古墳のカビも、黒マフラー姿のハツカネズミも、そしてシロイヌナズナも、そういう手数料で発送しています。山中先生からバイオリソースセンターに寄託されたヒトiPS細胞やそのマウスを完璧に品質管理してきたからこそ、研究者に提供でき、再生医療の研究が進んでいるわけです。我々が発送したリソースをもとに、その約10パーセントが論文になっていることがそれを物語っています。
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新書版p.158、159、161

 医療、生物分野の実験に使われる細胞、微生物、実験動物などの生物資源を保管し研究者に提供するバイオリソースセンター。あらゆるバイオ研究を支えているその品質管理へのあくなき取り組みを熱く語ります。


「第8章 入れ歯とハゲのイノベーション」
「第9章 遺伝子バトルの戦士」
「第10章 透明マントの作り方」
「第11章 空想を超える「物」」

 再生医療、オーダーメイド医療、脳科学、人工知能、創発物性科学、など様々な研究分野が紹介されます。それでも書き切れなかったテーマ(アルマ電波望遠鏡など)は「おわりに」で駆け足で紹介されています。


『ガラス細工の至宝』(笙野頼子)(『私にとっての憲法』(岩波書店編集部:編)収録) [読書(随筆)]

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 ネオリベラリズムの、自由貿易推進を建前にして、国家主権を侵す人喰い条約。憲法は民草を人間と見做すけれど、人喰いは資材、数字、搾取の対象としか思っていない。まさに根本的な対立である。そして憲法は、暴力団のようなIMFと使い走りのような日本の裁判官(中村みのり)から、笑って蹴り殺せるレベルにされてしまうだろう。それでも、このひどい国で生きる者のお守り本尊、国宝と言える。それは多数決が正義で人柱頼みの人喰い国家日本において、家庭や社会さえ守ってくれない人間を守る、最後の命綱だ。
(中略)
 憲法が理想に過ぎないなどと言ってはならない。本質論よりも、理想を守りにして、すべて今あるものを少しでも守るのだ。
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単行本p.135、136


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第111回。

 家庭や社会さえ守ってくれない人間を守る、最後の命綱。それが人喰い条約によって喰われようとしている。『私にとっての憲法』(岩波書店編集部:編)に収録された危機感ほとばしる4ページの訴え。単行本(岩波書店)出版は2017年4月です。


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 TPP交渉差止・違憲訴訟の会に入っている。この一月、七回目の口頭弁論が終結した。審議は、まったく尽くされていない。裁判官も急に変わっている。国はリセットのつもりでしたのだろう? このような、……。
 悪魔の、地獄の、国民奴隷化の植民人喰い条約、それを批准してしまった場合に起きる憲法上の問題点、むろん、そこを、会は糺しているのである。
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単行本p.134


 憲法をテーマに、学者、俳優、芸術家、作家、経済人など53人が書いた文章を集めた一冊、『私にとっての憲法』(岩波書店編集部:編)。多くの論者が、現実味を帯びてきた憲法改正について論ずるなか、『ひょうすべの国』の著者である笙野頼子さんは、TPPおよびその類の条約による「事実上の憲法停止」の危機について警鐘を鳴らします。


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 憲法、それはTPPによって、或いはまた今後いくらでも襲ってくるいくつもの人喰い条約によって、底を抜かれる桶のようなものに「過ぎない」のだ。いくらたがを嵌めても、水を汲めなくなる。
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単行本p.135


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世界銀行に突っ込んでいるお金だけは世界第二位、女性の地位にかんしては百十何位? そういう国において、内閣は今から民のお金を、否、お金ばかりか、人権、福祉、雇用条件、家族、児童、つまりは憲法の人間性を丸ごと喰っていく。放置すれば日本の支配者は多国籍企業の、「無名」の「会社員」がつとめる事になる。
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単行本p.137


 改憲に前のめりになっている政府も恐ろしいのですが、むしろ改憲論議に気を取られている間に、国際条約による「事実上の憲法停止」の準備が着々と進められていることの方がずっと恐ろしい。

「TPPって流れたんじゃなかったっけ?」、「なんで貿易条約が憲法と関係するの?」、「そもそもどうしてこんなに危機感を持ってるの?」などと思った方は、ぜひ笙野頼子さんの小説『ひょうすべの国』をお読みください。紹介はこちら。

  2016年11月29日の日記
  『植民人喰い条約 ひょうすべの国』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-29



タグ:笙野頼子

『太陽の舟 新世紀青春歌人アンソロジー』 [読書(小説・詩)]

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 ここに二十代、三十代の新鋭歌人によるアンソロジーが完成した。結社や地域を超えてこの世代のアンソロジーがまとまって編まれるのは、初めてのことだろう。(中略)歌壇ヒエラルキーに捉われず、新世紀の青春の生身の声が、短歌として響いてくる一冊といえるだろう。「太陽の舟」にこの世、あの世を超えた共同性の幻像をみたい。
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単行本p.266


 若手歌人から選ばれた42人について、それぞれ「自選六十首」を掲載した短歌アンソロジー。単行本(北溟社)出版は2007年11月です。

 先日読んだ『桜前線開架宣言』(山田航)があまりにも面白かったので、同じく若手歌人の短歌アンソロジーということで本書も読んでみました。ちなみに『桜前線開架宣言』の紹介はこちら。


  2017年03月08日の日記
  『桜前線開架宣言』(山田航)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-08


 おそらく何人も同じ歌人が選ばれているだろうな、と予想していたのですが、何と一人も重複していません。『桜前線開架宣言』の出版は2015年12月、本書は2007年11月ですから、8年の開きがあります。それを考慮しても、「注目すべき若手歌人」の数がこんなに多く、途切れることなく次々とデビューしているという事実には驚かされます。

 というわけで、この二冊に目を通せば、今世紀に入ってから注目された歌人の代表的な作品を一度に読めるわけで、短歌入門としてお勧めです。

 本書に掲載されている歌人は次の通り。あえて「あいうえお」順に掲載することで、結社やグループと無関係だということを強調しているようです。ちなみに、1人につきそれぞれ紹介1ページ(顔写真付き)、自選作品60首(4ページ、1ページあたり15首)、自己紹介エッセイと年譜が1ページ、総計6ページが割り当てられています。


朝倉美樹
天野慶
天野陽子
今村章生
上原康子
内田彩弓
大石聡美
大木恵理子
大隅信勝
大橋麻衣子
小田何歩
神尾風碧
岸野亜沙子
北川色糸
木戸孝宣
栗原寛
小玉春歌
小林幹也
近藤武史
鷺沢朱理
笹岡理絵
佐々木実之
佐藤晶
鹿野氷
清水寿子
高山雪恵
田中美咲希
棚木恒寿
千坂麻緒
月岡道晴
當麻智子
中川佳南
縄田知子
本多忠義
宮坂亭
三宅勇介
矢島るみ子
横尾湖衣
渡邉啓介
渡辺琴永
渡辺理紗
由季調


『野良猫を尊敬した日』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 自宅のパソコンでインターネットができるようになった。動画を見たり、原稿を送ったり、なんて快適なんだ。みんなはずっと前からこんな便利な暮らしをしてたんだなあ。
 そういう私は今までどうしていたかというと、駅前の漫画喫茶のネットを使っていたのだ。多い日は昼と夜と明け方の三回通ったこともある。傘もさせないような嵐の中をずぶ濡れで辿り着いたこともあった。(中略)

編「そんなに便利だと思うなら、どうして今まで自宅にインターネットを引かなかったんですか?」
ほ「手続きとか、めんどくさくて……」
編「えっ。漫画喫茶に毎日通う方がずっとめんどくさいでしょう?」

 全くその通り。でも、私が云ってるのは、めんどくささの総量ではなくて、目先のちょっとしためんどくささのことなのだ。そのハードルが越せないために、結果的に大きな利子を払い続けることになる。
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単行本p.176、177


 自宅にインターネットを引くのが面倒なので毎日駅前の漫画喫茶まで通う。知人宅に泊まるとき不安でびびり上がり、帰宅した夜に「おねしょ」してしまう。誰もが簡単にやってしまうことが自分には出来ない。なぜなのかを説明しても伝わらない。他人に分かってもらえない臆病さを抱えて生きる歌人による内気エッセイ集。単行本(講談社)出版は2017年1月、Kindle版配信は2017年2月です。


 その独特の感性でもって森羅万象を「想像しただけで怖くてとても自分には手が出せないもの」と「想像しただけで面倒でとても自分には手が出せないもの」の二つに鮮やかに分類してゆくようなエッセイ集です。


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警A「ご自宅はどちらですか」
ほ 「あそこです(指差す)」
警B「まだけっこうありますね」
警A「それに寒いでしょう」
ほ 「平気です」
警B「家に入ってからゆっくり着替えた方がいいのでは?」
ほ 「でも私は自宅にインターネットを引くのに十年もかかってしまったので、その分の時間を少しでも取り戻したいんです」
警Aと警B(顔を見合わせる)
警A「それで歩きながらシャツを脱いでるんですか」
ほ 「ええ」
警B「ちょっと署までご同行願えませんか」

 ああ、嫌だなあ。そんなことになったら。完全な誤解だ。でも、それ以上どうやって説明したらいいんだろう。だって、私の云ったことは、全部本当なんだ。本当に本当のことなんだよ。
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単行本p.182


 自分には何かが出来ない、あるいは自分には奇行癖があるのだがそれには自分の中でちゃんとした理由があって、というエッセイが多いのですが、変な自意識の在り方を訴えるエッセイも印象的です。


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 限定物以外に、生産中止となった商品にも弱い。これもうどこにも売ってないんだ、と思うと体がかーっとなって自分の物にしたくなる。
 最近では感覚の奇妙な逆転現象が起こって、自分のお気に入りのブーツやスニーカーなどが、早く生産中止にならないかな、と思ってしまうことがある。
 理屈で考えると、今のを履き潰したらもう買い替えることができないから、廃番になっては困る筈。でも、それよりも持ち物がレアな存在に「昇格」することに喜びを感じる自分がいる。
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単行本p.52


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「ほむらさんの好きそうな店ですね」
 むっとした。いや、彼の言葉は当たっている。現に私は「感じのいい店だな」と思っていたのだから。でも、それを見抜かれるのは嫌。指摘されるのはもっと嫌。(中略)
 つまり、こういうことだ。私はお洒落なカフェが好き。でも、お洒落なカフェが好きな人と思われるのは嫌。この気持ち、わかって貰えるだろうか。(中略)
私がどんな店を好きだろうが、どんな曲を好きだろうが、他人からすれば全くどうでもいいことだ。頭ではよくわかっている。でも、自意識の暴走が止められない。
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単行本p.130、131、132


 他人の目が気になる系のエッセイといえば、「男の幻滅ポイント」というやつ。


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 カチャカチャと他のキーで入力して、最後に「どうだ」とばかりに「エンタキー」を叩く。やりたくなる気持ちはわかる。だが、その瞬間、小さな「俺様」が顔を出しているのだ。
 女性たちはそれを見逃さない。一秒にも充たない行為によって、ああ、この人って本当は「俺様」に酔うタイプなんだ、と察知されてしまう。おそろしい。
 こういう機会があるたびに、メモメモと思いながら、私は憶えたばかりの幻滅ポイントを自分の手帳に書き込む。人生の参考資料だ。
 そこには他にもこんな項目が並んでいる。

・意味もなく、折りたたみ式の携帯電話をパカパカ開閉している
・携帯電話のメールアドレスがやたら長い
・ペンを廻す
・たくさん服を持っているくせに、組み合わせるボトムスとトップスが毎回一緒

 いずれも中級以上と思える内容で、読んでいるうちに、どんどん不安になってくる。
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単行本p.91


 歌人デビューする前後のことを書いたエッセイも印象的です。


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 でも、待っても待ってもどこからも連絡が来ない。ポストに入ってるのはチラシだけ。電話は鳴らない。おかしい。どこかで誰かが必ず見てる、はずじゃなかったのか。見てる人、僕はここにいるよ、見つけて、早く、早く。でも何も起きない。時間だけがどんどん過ぎてゆく。残業、残業、残業、爆睡。もしかして、本当は、見てる人なんていないんじゃないか。一生このままなんじゃないか。どこかで誰かが必ず見てる、って云ったのは誰だ。どうしてそんなひどい嘘を。
――――
単行本p.20


 最後に、表題作でもある『野良猫を尊敬した日』から引用しておきます。我に野良猫パワーを与えよ。


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 イヌネコと蔑して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完うす    奥村晃作

 人間は犬や猫のことを上から目線で「イヌネコ」などと云うが、その「イヌネコ」は、お金も洋服もスマートフォンも何一つ所有することなく一生を過ごす。実はもの凄い存在なのだ。という意味だろう。
 本当にそうだなあ、と思った。彼らはその日の食べ物すらキープしていない。一瞬一瞬をただ全身で生きている。命の塊なのだ。
 よーし、やってやる。僕にだって、できないことがあるか。そう心を固める。我に野良猫パワーを与えよ。
 でも、眠りに落ちると、また元通り。「うーん、うーん、あついよー、あついよー、あついよー」と、赤ちゃんのようになってしまうのだ。どうして、こんなに弱いんだろう。
 気迫か。やはり気迫が違うのか。
――――
単行本p.219


タグ:穂村弘

『たべるのがおそい vol.3』(星野智幸、最果タヒ、山尾悠子、他、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

 小説、翻訳小説、エッセイ、短歌。様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その第三号です。掲載作品すべて傑作というなんじゃこらあぁの一冊。号を重ねるごとに次のハードルを目一杯あげてゆくような、スリルに満ちたvol.3。単行本(書肆侃侃房)出版は2017年04月です。


[掲載作品]

巻頭エッセイ 文と場所
  『Mさんの隠れた特技』(小川洋子)

特集 Retold 漱石・鏡花・白秋
  Retold 鏡花『あかるかれエレクトロ』(倉田タカシ)
  Retold 漱石『小詩集 漱石さん』(最果タヒ)
  Retold 白秋『ほぼすべての人の人生に題名をつけるとするなら』(高原英理)

創作
  『白いセーター』(今村夏子)
  『乗り換え』(星野智幸)
  『エスケイプ』(相川英輔)
  『虫歯になった女』(ノリ・ケンゾウ)
  『親水性について』(山尾悠子)
  『一生に二度』(西崎憲)

翻訳
  『ピカソ』(セサル・アイラ、柳原孝敦:翻訳)
  『カピバラを盗む』(黄崇凱、天野健太郎:翻訳)

短歌
  『すべてのひかりのために』(井上法子)
  『黙読』(竹中優子)
  『隣り駅のヤマダ電機』(永井祐)
  『二〇一七年、冬の一月』(花山周子)

エッセイ 本がなければ生きていけない
  『『本がなければ生きてこれません』でした。』(杉本一文)
  『本棚をつくる』(藤原義也)


『白いセーター』(今村夏子)
――――
 ……離婚しますか、わたしは伸樹さんにきいた。伸樹さんは、結婚しないと離婚できないよ、といった。
 あの晩、伸樹さんの黒いコートにくるまれていたわたしの白いセーターは、汚れからは守られたけど、においからは守られなかった。
――――
単行本p.33

 婚約者の姉から「クスマスイブの午前中だけ、子どもたちを預かってほしい」と頼まれた語り手。ごく簡単な用事のはずだったが、予想外のトラブルが起きて……。子どもというものの嫌な側面が生々しく心に刺さってくる短編。vol.1に掲載された『あひる』もそうでしたが、やわらかにネグレクトされる弱い立場の人、を表現するのがうまい。こわい。


『乗り換え』(星野智幸)
――――
いやいやいや、おまえじゃないから。同じ星野智幸だけど、おまえは俺じゃないから。俺にはならなかった俺ってことは、俺じゃないから。同じ星野智幸でも、違う人生送ったら別人だから。共通するところはたくさんあるけど、そんなの双子だって別々の人生送ればまったくの別人だろ。
――――
単行本p.46

 サッカー観戦から帰宅する途中、ふと立ち寄った店で出会った星野智幸。同じ星野智幸なのに人生どこで分岐したのか、それぞれの記憶を確認してゆく二人。『俺俺』にも似た奇妙なシチュエーションを駆使して語られる「私小説」。自民党公認、保守派の県議候補である星野智幸、というのがすごい。「感銘も受けている。打ちのめされてもいる」(単行本p.48)


『小詩集 漱石さん』(最果タヒ)
――――
美しいひとが生き抜いていくには、その美しさを許容できるほどの美しい世界が必要で、そんなものはこの世にない。長く伸びた花が、きみどりの細い茎をどうしてか空に向けて張り詰めていて、彼は空に呼ばれているのかな、だから重力に負けないのかなと悲しくなった。詩を書いても、絵を描いても、世界には私が溶け込めない部分があって、私を燃やしても残る骨と髪があって、孤独という言葉は、だからチープだと知っている。
――――
単行本p.68

 夏目漱石をイメージした四篇『夢の住人』『走馬灯』『先生』『文学』から構成された小詩集。


『ピカソ』(セサル・アイラ、柳原孝敦:翻訳)
――――
 ある日、魔法の牛乳瓶から現れた精に、ピカソを手に入れるのとピカソになるのとどちらがいいかと訊ねられた、そこからすべてが始まった。どちらでも願いを叶えてあげよう、と精は言った。ただし、どちらか一方だけ。
――――
単行本p.78

 ピカソの絵か、ピカソになるか、叶う願いはどちらか一つだけ。
 モスラの幼虫が大暴れする『文学会議』や、不良少女二人組〈愛の襲撃部隊〉がスーパーマーケットで殺戮を繰り広げる『試練』で、読者を大いにたじろがせたセサル・アイラのたじろぎ小説。ちなみに『文学会議』の紹介はこちら。

  2016年03月08日の日記
  『文学会議』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-03-08


『カピバラを盗む』(黄崇凱、天野健太郎:翻訳)
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 今ほど、カピバラを盗むのに適した頃合いはあるまい。この島国がまるごと、対岸からのすさまじい口撃にさらされている。頭がいかれた総統が、中国への「反攻」、つまり宣戦布告をしたのだ。その瞬間、オレは、ワンパク・サファリパーク(頑皮世界)に忍び込み、カピバラを盗み出すことに決めた。
――――
単行本p.106

 「大陸反攻」とか、今さら、マジで宣告。ついに始まった中台戦争。というかそのはずなんだけど、ミサイルが飛んでくるわけでもなく、軍が動くことすらなく、街は人出で賑わっているし、ネットも遮断されずみんな好き勝手につぶやいている。台湾が置かれてきた不安定で先の見えない状況は、戦時中でさえ変わらないのかよ。こうなったら、カピバラを盗むしかない。今がそのときだ。
 現代の台湾社会と政治に対する若者の感覚を鋭くとらえた短編。話はシリアスですが、でもやっぱり台湾料理うまそう、カピバラかわいい。


『親水性について』(山尾悠子)
――――
 停滞することなくつねに神速で移動せよ。速度のみが我らの在るところ。言の葉は大渦巻きを呼び、ものみなさかしまに攪拌されながら巻き込まれていく――堕ちていく――肺は水で満たされ、密かに鰭脚をそよがせると額に第三の目がひらく。
――――
単行本p.149

 永遠に漂い続ける巨大船に乗っている姉と妹。神話的イメージを連打してくる高純度山尾悠子。


『一生に二度』(西崎憲)
――――
 みすずの生活はそういうふうに空想というものに特徴付けられている。
 そして空想のほうがみすずの許にやってきたこともある。大学二年生の時だった。ある男の姿をとって。
 その男のことを思いだすと、いつも全体がひとつの夢であったような錯覚におちいる。
 たしかに期間も長くなく、深くつきあったわけではないので、そう思えてもおかしくはない。
 大学二年の時だった。
 大学は中央線の先にあった。
 オスカー・ワイルドの小説の話。
 つづきを知っているとその人は言った。その先を知っていると。
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単行本p.153

 空想癖のあるみすずが出会った男は、『ドリアン・グレイの肖像』がその後どうなるのか続きを知っているという。それどころか、どんな物語についても彼はその後どうなるかを知っていた。日系人強制収容所における迷信と噂話の流布。フィンランドで起きた奇怪な殺人事件。理由不明なまま繰り返される海難。謎めいた魅力的な物語が、結末を欠いたまま次々と投入され読者を魅了してやまない傑作。素晴らしい。



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