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『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「笙野は書く機械だ。生きている限り言葉は地面から泥を付けて這い出てくる。言葉は別れえぬ猫だ。そうでなければ、誰が今さら、ドーラをうしなってまで書くであろうか」(単行本p.82)

 「ドラ、ありがとう、一生、ありがとう、全部楽しかった、ずーっと幸福だった」(単行本p.222)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第68回。

 代表作の一つである『母の発達』の続編と、神変理層夢経シリーズ序章を合わせ、その境界線上をひた走る傑作。単行本(河出書房新社)出版は、2013年02月です。

 「いろいろ考えて熊野で手に入れた石をその御神体にした。荒神棚に入れた」(単行本p.124)

 その小さな石が依代となり、『母の発達』のヤツノは若宮ににと出会う。生と死の境界、ダキナミ母神話と神変理層夢経の境界、そんな境界を司る荒神様。

 『母の発達、永遠に』には、死んで母天国に昇ったダキナミ・ヤツノが地上に帰還するまでの話『にごりのてんまつ』と、その後、三重に帰郷してからの生活(韓流ドラマを観てたり)をえがいた『母のぱぴぷぺぽ』の二篇が含まれます。

 「要するに神道は濁りを嫌うんや、死の汚れも不幸も、怒りも、無い事にしたがる。そして自我の大切なファクターである罪の概念も、汚れという主体のあいまいな概念に読み替えてしまって、その上できれいごとに終らせているのや。すべて濁ったものから、目を背けている」(単行本p.21)

 「彼女の目の前に現実があった。それはどこを見てもどの隅にも濁りがなく、ただもうリセットだけが幅をきかせる、判りやすさによって制圧された「程の良い」世界だった」(単行本p.32)

 だがそんな現実世界(ここ)にあっても、「けして絶望の許されぬ世の中だと」(単行本p.39)覚悟しているヤツノは、「まだまだやれる」(単行本p.84)とばかりに戦い続けます。がんばるんや。

 「選挙で選んだ党だろうと言われたところで全部の政治を動かしているものはこの島の外にある。なのに「気高い」人々は「実直に」言っている。「選挙で選んだのだから自分達の責任」と。騙されて責任、取り囲まれ責任、作り込まれて責任、押しつぶされて責任、犯人だけが粛々と免責されながら。ああ」(単行本p.65)

 「プルトニウムの母だからそうだと決めつけるのをおやめくださいね。ここでお知らせすると、今後の私は反原発をもかねますのよ、これからは売れる反原発判りやすい反原発トラブルのない反原発だけを報道します。だって私以外の反原発では再稼働が出来ませんもの。ええ私には責任がありますから」(単行本p.69)

 「変わった変わったと言われる震災以後の社会、しかしそれはただ震災の前も後もただただただただ、たった一種類の嫌さがまかり通るだけだった」(単行本p.74)

 ヤツノが戦っている一方で、金毘羅は一人称に不具合が出るほどの難儀を抱えていました。

 両者をつなぐ「「母の発達、永遠に」あとがき兼「猫トイレット荒神」前書きプラス「はみ出し小説」その他「蛇足作文」 そして境界線上を文(おれ)は走る」を経て、そのままだーっと『猫トイレット荒神』に。そして、ついにそのときがやってきます。伴侶猫ドーラとの別れのときが。

 「自分は金毘羅で金毘羅の母がいた。そんな「偽」の自分史を私は書いた。その後「現実」の自分史が出自から、父と母の力関係から、親と自分の人間関係まで全部誤認だったと、ふいに知った。ここで現実と偽はひっくり返った。故郷に逆らう事で自分をつくってきたはずのその故郷も消えた。偽だけが固まった実の幻が自分だと判った。その脱力の中、私はあたしになった」(単行本p.246)

 「あたし」となった金毘羅は、便所をサポートしてくれる地神を呼んでもらうべく、クイズに挑みます。荒神とは何か、便所神とは何か。

 「世界はもうインチキだらけで、クイズの形で問いを出す以外にその真の可能性など失われているから、(中略)クイズはここにある。謎から始めて答えもないままに、ずっとずっと問えばこうして小説を、書いていけるクイズ。だって書くことがあるから、永遠にある。書けない程の事ばかりを書いてゆけば、書く事がいつまでも残るからね」(単行本p.265)

 「繰り返しを繰り返しにしないこと。それが肝心だ。そして国様は都合悪ければすぐ忘れるから、その油断している隙に、むしろ身も蓋もなく汚れも恐れず攻めていくだけなのさ。そう、手を替えても品を替えても結局ひとつことを繰り返すたびに、そのひとつは新しくなっていく「古く」なっていく。起源に近づいていく。終わりから遠ざかる」(単行本p.104)

 「自分の中の、他者を拝む、それを神と呼ぶ、人間の個々の精神の中にある社会性を備えた魂を呼んで拝む。フォイエルバッハはそれを「人間の本質」と呼んだけれど私は荒神と呼んでいるだけだ。そんな荒神がいるから、きっと猫が死んでもなんとかやっていける。だって彼十年も待っててくれたのだから」(単行本p.132、133)

 スクナヒコナに祈っていたときも、金毘羅になったときも、萌神に助けられたときも、海底から大精霊がやってきたときも、いつも見守っていてくれた荒神様。基本的に見守るだけですが。

 「にゃん公くん?」(単行本p.129)という呼びかけから連想するに、『だいにっほん、ろんちくおげれつ記』のあとがき小説『ひとりで国家と戦う君だけに愛を』に登場した「にゃん公君」も、その正体は、実は若宮にに様だったのかも知れません。

 荒神クイズと便所神クイズに答えたら、ついにやってきた便所サポート担当の地神。いきなり脳内を乗っ取って託宣小説『割り込み、地神ちゃんクイズ』を放って。そこからは。

 ときに狂騒的に、ときに切々と、一人称も点滅しつつ、あまたの神々の「声」があまりにも天国的に響きわたるなか、涙なしには読めない超絶的な最終章「一番美しい女神の部屋」のクライマックスがやってきます。それは常世の文学。ひたすら畏怖の念を覚えます。

 「私のいる時間は境界の時間。ひとつ間違えば時系列は狂う。私のいる場所はどこでもない場所、死から生へと移り、汚いからきれいに飛び、緊張と安心の点滅する地点。ここは一番美しい女神の部屋。死にながら生まれ、生きつつも別れ、リングをぷるんと越えて、生は交替する。誰かと交替しながら、生き延びる自分。残るものは記憶だけ、あるものは愛だけ。留まるのは幸福だけ」(単行本p.227)

 最後に後書きである「さて終わりもなく点滅する終点もどきのここで 物語は消え、文(おれ)が残る」が置かれます。

 というわけで、身震いが出るような素晴らしい作品です。笙野頼子さんの小説を読んだことがないという方も、まずは文庫化されている『母の発達』を読んで、気に入ったらそのまま本書に進めば、境界をこえて、いきなり最新シリーズ『神変理層夢経』に追いつけるという親切さ。

 なお、『神変理層夢経』シリーズは、その第一部『猫ダンジョン荒神』が既に出版されています。電子書籍でも読めます。この機会にぜひどうぞ。

 以下は余談ですが、『神変理層夢経』シリーズの今後について、本書から得られた情報です。参考までに。

 「猫キャンパス荒神という長篇に地震の事も近隣の汚染物質の事も書いた後である。「売れない」以外の理由で、この長篇が、文芸誌を有している出版社から出しにくいという、愚劣すぎる事情を抱えたまま、毎日を生きていた」(単行本p.82)

 「シリーズはこの先、「猫キッチン荒神」、他「猫クロゼット荒神」、「猫シンデレラ荒神」と続く予定だが、それらはおそらくドラのいない時間をも含みながらドラと生きるという設定になる」(単行本p.274)

 「猫との時間がふいに途切れ心の立位置が大きく飛んだこの「序章」だけはシリーズから外して番外編とするしかなかったのだった」(単行本p.275)


タグ:笙野頼子
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