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『玉磨き』(三崎亜記) [読書(小説・詩)]

 「いつか消えゆくことが運命付けられたものを取材し、記録として残す意味はあるのだろうか? それは人の人生に意味はあるのかと問うようなものだ」(単行本p.236)

 何代もかけて石の玉を磨き続ける職人、通勤用の観覧車、ひきこもりの分業によって製造される部品、海に沈んだ町の商店街組合。虚構のなかに真実を探す渾身の架空ルポルタージュ連作。単行本(幻冬舎)出版は、2013年02月です。

 動物園の檻の中に幻獣を投影する仕事、夜中に飛び回る野良書物を調教する仕事、校庭のど真ん中に建っているのに「ない」ことにされている住宅、最初から廃墟として設計された建築物、スポーツ認定されたバスジャック、全ての建物から7階だけを撤去するプロジェクト。・・・。

 日常生活やニュース報道に対してふと感じる違和感を元に、あり得ないのに妙な存在感がある架空の事物や社会状況をつむぎ出し、その奇妙な架空を使って私たちが普段は考えないようにしている日常の脆さや酷薄さといった現実を浮かび上がらせる。それが、三崎亜記さんの初期作品に共通する特徴でした。

 ここ数年は、喪失・記憶・絆といったテーマで書かれた抒情的な作品が続いていたのですが、本作はその抒情感を保ったまま、ひさしぶりに初期作品のテイストに戻ったような印象を受けます。個人的には、非常に嬉しい。

 六篇の短篇を収録した架空ルポルタージュ連作です。著者あとがき、巻末の参考文献に至るまで、すべてが架空。その嘘つきは徹底しています。奥付にある「本作品はすべて作者の創作です」という小さな注釈があるのが残念ですが、まあ仕方ないでしょう。本物のルポだと信じ込む読者がいても不思議ではない、と思えるほど文章は大真面目で、社会批判もリアルなのです。

 「「磨き」には完成という概念がない。ただただ磨き続け、摩擦によって玉が擦り減り、なくなってしまうことそのものが、強いて言えば「完成」だろう。つまり、完成することによって「成果物」が失われるという、矛盾した状況にあるのだ」(単行本p.15)

 代々引き継がれ、何百年にも渡ってひたすら石の玉を磨き続ける職人を取材した『玉磨き』。何かを作るのではなく、壊すこともなく、無意味としか思えない行為を何代も積み重ねてきた伝統工芸、という変に魅力的な設定が光ります。

 「空回りとは、「回る」ことが何らかの作用を生じさせることを前提とした表現だ。しかしながら、通観はどこにも行けない。同じ場所に戻るだけだ。いわば、存在自体が「空回り」している交通機関とも言える」(単行本p.65)

 遊園地などにある巨大な観覧車、そのゴンドラを通勤用車両にするという奇妙な『只見通観株式会社』。例えば東駅から観覧車両に乗った乗客は、何周かしてから同じ場所で、ただし西駅側に降りる。両駅間の直線距離、わずか数メートル。しかし、通勤客はその数メートルの移動のために、あえて何周も乗ることで通勤時間を調整するのだ。読んでいるうちに、実際に通勤に使ってみたい、という気になってきます。

 「こうして、古川世代の優秀性なるものは、なんら科学的な裏付けを持たないまま加速し、暴走しだした。それはもはや噂ではなく、動かしがたい「事実」として認識されるようになっていた。(中略)誰かが仕組んだわけではない。私たち一人一人が、「疑わない」という消極的な意思によって、薄く、そして強固に張り巡らせたのだ」(単行本p.96、106)

 マスコミによって持ち上げられ、世間で異常にもてはやされ、やがて手のひらを返したようにバッシングされた様々な古川さんたちに取材した『古川世代』。最後に置かれた『新坂町商店街組合』と共に、収録作のうちでは最も社会風刺色が強い作品です。

 「かつて田園地帯で行われていたガミ追いは、交通網による追跡路の遮断によって存続の道を断たれた。だが、SNSへの書き込みが多い都心部で再興されたガミ追いでは、逆にその「交通網の発達」が、追いを補助する形となったのだ」(単行本p.137)

 存在するのかしないのか、妖怪の類なのかそれとも単なる自然現象なのか。謎の「ガミ」を追い詰めて捕獲する『ガミ追い』。都市化によって廃れた伝統行事が、現代のネットワーク社会によって復活するという話ですが、話の構造は怪談、都市伝説に近いものがあります。

 「分業者たちは、自らの目の前の部品しか見ることはできません。どんな前任者から渡され、どんな後任者に引き継がれるのかはもちろん、部品がどこで、どのような用途で使われているかも知らされていない。それでも彼らは、競走馬のような限られた視界に置かれた部品に、その全力を注ぐのです」(単行本p.190)

 いわゆる「ひきこもり」がいる家から家へと「制作」途中の「部品」を移動させて、彼らの分業によって何かを作っている製造業に取材した『分業』。自分がやっていることの意味も、プロセス全体の構造も、最終成果物についても、何も知らされないまま仕事をするひきこもりの人々。グローバル経済の戯画にも思えてきます。ひきこもりにしか出来ない「仕事」を与えることで、社会復帰を不可能に、いつまでもひきこもっているように仕向けている、という皮肉な構造も含めて。

 「この海は、「語られないこと」によって、未来に語り継がれる海なのだ」(単行本p.231)

 「想定外」の「自然災害」により失われた故郷。しかし、「遺族感情を思いやって」そのことを話題にすることはタブー視され、ネットで検索できなくなり、国の「救済委員会」はすべてを金銭補償の問題に矮小化し、地方の疲弊と諦念の前に何もかもが忘れられてゆく。その流れに逆らい、静かで孤独な戦いを続けている人々に取材した『新坂町商店街組合』。

 水俣病から原発事故まで、現実の政治問題を鋭く風刺した作品です。全体的な雰囲気は『失われた町』に近く、「歩行技師」や「海に沈んだ町」など過去の作品のモチーフも頻出します。

 というわけで、一見ばかばかしい奇妙な架空設定を駆使することで、経済効率や判りやすい有意義さばかりがはばを利かす現代社会を風刺する作品が多く、個人的にはひどく懐かしい。昭和SF(特に短篇)の後継者といえるのではないでしょうか。

[収録作品]

『玉磨き』
『只見通観株式会社』
『古川世代』
『ガミ追い』
『分業』
『新坂町商店街組合』


タグ:三崎亜記
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