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『亡き王女のためのパヴァーヌ』(パク・ミンギュ、吉原育子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 十一月だった。そして僕は二十歳だった。何もかもが気に入らず、にもかかわらず何もかも愛することができる年齢だった。つまりこの話は、当時の僕が諦めた多くのこと、そして最後まで期待を裏切らなかった、ただ一つの愛についての話だ。長い長い人生のトンネルを思えば、とてつもなく短い時期だったけれど
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単行本p.377


 容赦ないルッキズム(容貌至上主義)、そして苛烈な競争社会のなかで、深く傷つき苦しむ三人の若者たち。奇跡のように灯った愛は、彼らを救えるのだろうか。第一短篇集『カステラ』の日本語版で第1回日本翻訳大賞を受賞した韓国のベストセラー作家、パク・ミンギュ初の恋愛小説。単行本(クオン)出版は2015年4月です。


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 彼女のことを思う。会うことができないゆえに、亡き、僕の王女を思う。じつはもうとっくの昔に死んでしまった自分を、思い返してみる。自分に残されたものはいったい何なのだろう。いったいこの話を僕は最後まで書き切ることができるのか……わからない、長すぎる時間が、砂漠の風のように二人を襲っていった。
(中略)
もしかすると僕の人生は最初からこうなると決まっていたのかもしれない。暗闇の中で、結局、僕は生きている王女のためのワルツではなく、亡き王女のための「パヴァーヌ」としての自分の人生を直視する。
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単行本p.42、413


 パク・ミンギュの短篇集『カステラ』がすごくよかったので、長篇小説も読んでみました。ちなみに、『カステラ』単行本読了時の紹介はこちら。


  2015年05月29日の日記
  『カステラ』(パク・ミンギュ、ヒョン・ジェフン:翻訳、斎藤真理子:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-05-29


 さて、長篇『亡き王女のためのパヴァーヌ』ですが、これが何と恋愛小説です。主な舞台となるのは1980年代中頃の韓国。『カステラ』に収録された多くの作品が舞台としていた、あの時代。日本でいえばバブル景気の少し前です。


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誰もが、もっともらしい大学を出て、もっともらしい会社に就職し、もっともらしい車に乗り、もっともらしい女を見つけ、もっともらしい家に住む……もっともらしい人間になりたがった時代だった。もっともらしい人間は多くても、もっともな、人間が稀な理由も……もっともらしい女は多くても、もっともな、彼女が稀な理由も、だからだという気がする。もっともらしいものは、決してもっともなもの、にはなれないのに

十九歳の僕はそんなことを知る由もなかった。
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単行本p.223


 世間を覆う浮ついた気分。偽物と嘘しかないのに、何が何でも負け組になってはいけないというプレッシャーだけは本物。他人を蹴落とせなかった人、最初から勝負の資格がないと見なされた人は、まるでそれが社会正義であるかのように、苛烈な排斥を受け、侮辱され、それを笑いものにされる、そんな時代。いや、今も同じですが。そして日本も同じですが。


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 古代の奴隷にとっては労働がすべてだった。
 だが、現代の奴隷たちはショッピングまでしなくてはならない。

 大学を出なくてはならず、きれいでなくてはいけない。車を買い、家も買わなくてはならない。(中略)みんなこうして生きてるじゃないかと思った途端、みんながそうして生きるしかない世の中が広がるのだ。奴隷とは誰のことか? 何かに捕らえられて、一生、働きづめになる人間のことだ。
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単行本p.354、355


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あの……と僕は言いかけたが、微笑を浮かべるヨハンの声にさえぎられてしまった。勉強、勉強……それで死ぬんだよな。一番一番……それで死ななきゃなんなくて……カネ、カネ……そうして死ぬんだろ。そうですよね、と答えながら、僕は思わずヨハンの肩をつかまねばならなかった。哀れだな、とヨハンは手すりの向こうに突き出した腕に顔をうずめる。しばらく微笑が宿っていたその場所から、きつい酒の臭いがする。それ……以外にないんだろうか?

 ないと

 思います。僕は言った。その瞬間なぜそんなことを言ったのかは今でもわからない。
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単行本p.164


 それぞれに傷つき、苦しむ「僕」と「ヨハン」先輩。しかし、そこに現れた「彼女」の存在が、彼らに奇跡のような愛と希望をもたらすことになります。


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え、何……カレーが冷めるまで茫然自失の状態で目を離せない人みたいに、僕は彼女を見つめていた。言ってしまえば、それまでもずいぶんたくさんの不細工な子は見てきたが、彼女ほどの子は見たことがなかった。世紀の美女を見たときと寸分違わず、世紀の醜女にも男を凍りつかせる力があった。
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単行本p.94


 え、恋愛小説のヒロインは美人でなきゃ駄目じゃないの? そう思った瞬間、読者は自分のなかにあるルッキズム(容貌至上主義)を直視させられることになります。カワイイは正義。


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いや、ほかはともかく……ヒロインなら、まずは美しくあるべきでは、それについてちょっと心配しておりましてね。心配……ですか? ええ、とりあえず普遍的な見方というのがありますよね。そこから外れてはどんな作品も成功し得ないという確信を私は持ってまして。しかも恋愛ものだったら……ほら、こんな言葉もあるじゃないですか。ほかは全部許せるけど醜いのだけは許せないって。誰が

 誰を許すというんでしょう? それにどうして許してもらわなければいけないんですか。それはその……言ってみれば、誰も絶対に好まないということですよ、まだ結末がわからないので、それはそうなんですが……ほかの社員の意見を聞いてもほぼ同じなんですよ。修正したほうがいいんじゃないか、たとえばとても貧しいけれど、たとえようもなく美しい女性だとか……そもそもの設定をです。あるいはダイエットや整形で見違えるように変身するとかですね、みにくいあひるの子の構図にシンデレラがプラスされるわけですよ……つまりそれくらいの大手術が必要では、というのが我々の立場でして。あ、もちろん、苦労して書かれたことは誰より私がよく存じておりますが、まずはみんなでいい結果を手にすることが、作家さんのためにもなるのではありませんか?
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単行本p.408


 意識すらしないほど深く根を下ろしたルッキズム。どんなに努力しても、何をしても、あざけ笑われる「彼女」。見た目を不快に思った他人から加害者あつかいされる「彼女」。絶え間なく傷つけられ、それ以外の人生を知らない「彼女」。


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見た目はカネよりも絶対的なんだ。人間にとっては、それから人間がつくったこのしょうもない世界ではね。美しさと醜さの差はそれほど大きいんだよ、何でかわかるか? 美がそれだけすごいからじゃなくて、人間がそれだけどうしようもないからだ。どうしようもない人間だから、見えるものだけに依存するしかないんだ。どうしようもない人間であればあるほど、見せるために、見られるために世の中を生きていくんだよ。
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単行本p.250


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 世の中には生まれながらにハンディキャップを背負っている子もたくさんいると、人には言われます。私もわかっています。恥知らずで自分勝手な考えだとわかっていますが、彼らを羨ましいと思うことすらよくありました。少なくともその人たちの障害はみんなが認めているからです。
(中略)
 背後で言われた「ツイてないな」「吐きそう」という言葉が記憶に残っています。見知らぬ人がこそこそ話す声……見ていないようで見ていたその人たちのひそひそ声。グループでいる男の人たちは信じられないような大声も出しました。そのたびに足元を転がる……蹴られたり刺されたりした心の顔を忘れられません。
(中略)
何がこの世で一番嘲笑を買うか知っていますか? きれいになろうと、もがく醜い女の「努力」です。強制撤去で追われる崩れかけた家を叩き壊して燃やすかのように……世の中は醜い女の必死のあがきを決して許さないのです。
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単行本p.307、316、324


 「ヨハン」先輩のおかげで、ぎこちないデートを重ねるうちに、「僕」と「彼女」の距離は次第に近づいてゆきます。そこには、ありったけの希望が賭けられていたのです。


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 こっそり、さっと……髪をかきあげた彼女のしぐさが鮮やかに感じられた。とっさに赤くなった彼女の顔と……スカートのそばに戻された手……戻してももじもじと、どこに置いていいのかわからず恥ずかしがっていた彼女の手。そんなことについて一言も言えなかった十九歳の僕と……彼女を忘れることができない。世界が止まった瞬間、そういったものがやけにつぶさに見えてくるのはなぜなのか、風もないのに何がぶるぶるトンボの羽を震わせるのか……わからなかった。地球が回るのをやめるまで、その理由を知ることはないだろう。もはや

 僕は十九歳ではないからだ。
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単行本p.133


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 人生の陽はすでに傾いたが、僕の心は依然としてその年の冬に留まったままのような気がする。古宮の庭だったり、うす汚れた市場の入口だったとしても、あのときに僕たちが見た太陽……枯れ枝にかかった、小さなオレンジのようだったあの太陽を忘れることができないからだ。まぶしくはなかったとしても、それが僕の人生に与えられた愛のすべてだったように思う。
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単行本p.220


 しかし、結局のところ三人は離れ離れになり、今では消息すら分からない、という「現在」からの回想として書かれているため、読者は、この愛がハッピーエンドを迎えることはないのだ、という深い悲しみや喪失感と共にページをめくり続けることになります。

 こんな残酷な世界のなかで、奇跡のように小さくともった彼らの愛は、ただ何事もなかったように消えてしまうのか。目次の最後の方に「ハッピーエンディング」とあるのはどういう皮肉なんだろう。

 実は、ラストにはあっと驚くような仕掛けがあって(体長150メートルのダイオウイカが街を破壊するわけではありません念の為)、ハッピーエンド/アンハッピーエンドといったものではかれない「人生」というものを表現してみせます。見事です。

 というわけで、持たざる普通の若者たちの悲しみと苦しみを丁寧にすくいあげ、それを小説的な技巧でもって巧みな虚構に仕上げ、するりと読者の胸に滑り込ませてくるような、そんな長篇作品です。『カステラ』が気に入った読者には、たとえ恋愛小説が苦手であっても、お勧めします。


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