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『断片的なものの社会学』(岸政彦) [読書(随筆)]

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 自分のなかには何が入っているのだろう、と思ってのぞきこんでみても、自分のなかには何も、たいしたものは入っていない。ただそこには、いままでの人生でかきあつめてきた断片的ながらくたが、それぞれつながりも必然性も、あるいは意味さえもなく、静かに転がっているだけだ。
(中略)
 ここには、「かけがえのないもの」や、「世界でたったひとつのもの」など、どこにもない。ただ、ほんとうに小さな欠片のような断片的なものたちが、ただ脈絡もなく置いてあるだけなのである。
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単行本p.193

 この世界は、いや私たちは、無意味で、孤独で、膨大な、そんな断片から出来ている。分析や解釈や総括からもれてしまう断片的なもの一つ一つを取り上げ、この世界が存在し、私たちがそこで生きて、誰かとつながる瞬間さえある、ということの驚きを発見する一冊。単行本(朝日出版社)出版は2015年6月です。


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 社会学者として、語りを分析することは、とても大切な仕事だ。しかし、本書では、私がどうしても分析も解釈もできないことをできるだけ集めて、それを言葉にしていきたいと思う。テーマも不統一で、順番もバラバラで、文体やスタイルもでこぼこだが、この世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいは、そうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、そしてさらに、そうした世界で他の誰かとつながることについて、思いつくままに書いていこう。
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単行本p.7


 統計データやケーススタディ、当事者の語り、そういったものによって社会を分析してゆくとき、どうしてもこぼれ落ちてしまう、収まりの悪い、意味がよく分からない、あれこれ。

 それらを丁寧にすくい上げて、それを「誰の注目も集めないけれども、本当は意味のある大切なものなんだ」みたいな安直な落とし込みをしないで、意味もなくただ確かに存在する「断片的なもの」として考察する。そんな本です。


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断片的な人生の断片的な語りは、それこそそこらじゅうに転がっていて、私たちはいつでもそれを見ることができる。「離婚してめっちゃ太ったから激安店しかいけないよぉ」一ヶ月に一度ぐらいしか更新されない日記に、たったこれだけの文章しか書いていない。あるいは、アカウントを取得して「マックのテキサスバーガーまじヤバい」とだけ書いたあと三年近く放置されているものもある。これらはいつでもそこにあり、誰でもアクセスすることができるが、私たちはこの断片的な人生の断片的な語りから、何も意味のあることを読み取ることはできない。
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単行本p.37

 紹介される「断片的なもの」それ自体が魅力的で、さらに、そこから始まる考察にも驚きがあります。


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 父親が収監され、母親が蒸発し、子どもたちが施設に預けられ、無人となったその部屋だが、その後も悪臭や害虫の苦情が何度もくり返され、マンションの管理会社の立ち会いのもとで、自治会の方が合鍵でその部屋の扉を開いた。
 そこで見たのは、家具も何もない、からっぽの、きれいな部屋だったという。

 単に、階下の住民が何かを勘違いしただけなのだろう。真相も何もはっきりしない、特にドラマチックなこともない、ただこれだけの話だが、それにしても、自分では見てない、話に聞いただけの「からっぽの部屋」のイメージが、妙にいつまでも印象に残っている。
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単行本p.60

 一家離散のあと残された無人の部屋。そこから発生しているという強烈な悪臭と大量の害虫。扉を開けてみるとそこには……。誰もが想像する「物語」が、すこんと外されたとき、私たちが直面する戸惑いは何なのか。世界を認識するために私たちが共有している様々な「物語」の「外」への想像力について考えます。


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 先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。
 あの笑いはいったい何だろうと考えている。
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単行本p.94

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 少なくとも私たちには、もっとも辛いそのときに、笑う自由がある。もっとも辛い状況のまっただ中でさえ、そこに縛られない自由がある。人が自由である、ということは、選択肢がたくさんあるとか、可能性がたくさんあるとか、そういうことではない。ギリギリまで切り詰められた現実の果てで、もうひとつだけ何かが残されて、そこにある。それが自由というものだ。
(中略)
どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの、ひとつの象徴的なあらわれである。そしてそういう自由は、被害者の苦しみのなかにも、抵抗する者の勇気ある闘いのなかにも存在する。
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単行本p.98、101

 心底絶望したとき、あまりにも傷つき、辛いとき。虐げられ、差別され、抑圧された人々が浮かべる妙に明るい薄笑いや不謹慎な自虐ジョークについて考えます。


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 ずっと前に、バスのなかから一瞬だけ見えた光景。倒産して閉鎖したガソリンスタンドに雨が降っている。事務所のなかの窓際に置かれた大きなユッカの木が、誰からも水をもらえず、茶色く立ち枯れている。ガラス一枚こちらでは強い雨が降っている。そのむこうで、ユッカは、乾涸びて死んでいた。
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単行本p.132

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 ヤクザとなって逮捕され、そのまま異国の刑務所で十年を過ごす、ということがどのようなことなのかを、ときおり思い出しては考えている。この十年という時間の長さは、どのようにすれば理解できるだろうか。時間の長さを理解する、ということは、どういうことだろうか。
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単行本p.134

 バスのなかから見えた一瞬の光景。聞き取り調査で話された内容。「他者が体験した膨大な時間を想像すること」の畏怖すべき困難さと、おぼろげな可能性について考えます。


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 壁を越えることが、いろいろな意味で暴力になりうることを、私はもっと真剣に考えるべきだった。しかしまた、壁を越えなければ、あの女子学生をふくめて、私たちは、私たちを守る壁の外側で暮らす人びとと、永遠に出会わないまま生きていくことになってしまう。ほんとうに、いまだにどうしていいかわからない。
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単行本p.186

 他者を理解しようと踏み出すとき、その一歩が、相手に対する暴力となり得ることの恐ろしさ。マイノリティに対する恐怖や不信を克服するためのマジョリティ側の行動が、マイノリティ側を脅かし傷つけ抑圧するかも知れない矛盾。社会というものの根っこにあるジレンマを、目をそらさずに見つめます。


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 ずっと前に、ネットで見かけた短い文章に感嘆したことがある。こう問いかける書き込みがあった。カネより大事なものはない。あれば教えてほしい。これに対し、こう答えたものがいた。カネより大事なものがないんだったら、それで何も買えないだろ。
 おお、これが「論破」というものか、と思った。
 私たちの人生が、もし何よりも大切な、かけがえのないものであるならば、それを捨てることができなくなる。
(中略)
 さて、「天才」がたくさん生まれる社会とは、どのような社会だろうか。それは、自らの人生を差し出すものがとてつもなく多い社会である。
 ひとりの手塚治虫は、何百万人もの、安定した確実な道を捨ててマンガの世界に自分の人生を捧げるものがいて、はじめて生まれるのである。
 だから、人生を捨ててなにかに賭けるものが多ければ多いほど、そのなかから「天才」が生まれる確率は高くなる。
(中略)
いつも私の頭の片隅にあるのは、私たちの無意味な人生が、自分にはまったく知りえないどこか遠い、高いところで、誰かにとって意味があるのかもしれない、ということだ。
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単行本p.195、199

 ネットで見かけたやりとりから、人生は無意味でくだらない、というまさにそのことにこそ希望があるのではないかというパラドックスについて考察します。


 他にも様々な「断片的なもの」が取り上げられ、考察されています。決して安直な結論に飛びつかず、迷い悩みながら、「他者への想像力」を手がかりに、社会学と哲学が交差する領域を歩いてゆく。そんな本です。

 結論はなく、何かをきっぱり断言してくれるわけでもなく、読んでも感動したり涙がこぼれたり自分を大切にしようと思ったり生きてゆく勇気が湧いてきたりする本ではありませんが、答えを出すことで何かを解決するためでなくただひたすらに考え続けてみたいという方にはお勧めします。


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