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『アメリカ最後の実験』(宮内悠介) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]


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 いつからか、音楽をゲームとして考えるようになった。
 音楽をゲームとして捉えること。たとえ内なる音叉が失われたとしても、理を突き詰め、最善の演奏を目指しつづけること。そうすれば、その先にやがて偽物が本物になる地点があるのではないか。人のためでも自分のためでもない、彼岸の音に辿り着けるのではないか。
 あの谷の向こう側に、必ずあるはずのもの――言ってしまえば、神の音楽に。
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単行本p.205


 米国の名門音楽学校在学中に不可解な失踪をとげた父。そのあとを追って西海岸にやってきた脩は、難関で知られる入学試験に挑戦する。だが試験会場で殺人事件が発生、現場には「アメリカ最初の実験」と書かれていた……。『エクソダス症候群』のプロット、『盤上の夜』における〈ゲーム〉、『ロワーサイドの幽霊たち』の〈アメリカという実験〉、それらを混ぜ合わせ、〈音楽〉の極限と根源に挑む長篇。単行本(新潮社)出版は2016年1月です。


 父親が失踪した理由を確かめるために、名門音楽学校の入学試験を受けに西海岸にやってきた青年、櫻井脩。彼を待っているのは厳しい試練だった。


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 人の聴覚や視覚の限界は約20ミリ秒――50分の1秒ほどだとされる。一般に、それ以下の違いは認識できないとされる。ところが測定結果を見てみると、ピアニストは100分の1秒の単位で音を弾き分けている。
 認識を超えた世界での格闘。
 それが、いまから自分がやろうとしていることだ。
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単行本p.17


 そこで脩が出会うのは、色々な意味でライバルであり、また戦友でもある、多くの仲間たち。「理」を突き詰めることで人知を超えた音楽への到達を希求する者。音楽は人を操る道具に過ぎないと割り切る者。音楽にとり憑かれた者。音楽の根源をめぐって多くの信念がぶつかり合う。


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 音楽に心などない。こんな考えは、賢しい。そんなことはわかっている。けれど、耐えがたいのは――この賢しい発想が、どうして通用してしまうのかだ。
 音楽とは、もっと手強いものでなくていいのか。
 自分の賢しさごときを打ち砕く現実が、この世界に存在しなくていいのか。世界とはもっと色鮮やかで、酷薄で、一筋縄ではいかないものではなかったのか。
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単行本p.91


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「演奏一つで人を掌中に収め、思うままに客の欲望をコントロールする。でも、音楽とは多かれ少なかれそういうものだろう?(中略)音楽は、突きつめれば人間に対するハッキングだ」
 音を媒介として、人の感情や欲求をコントロールする。その営為は、ハッカーがウェブを経由してコンピュータを乗っ取る行為と似ているということだ。
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単行本p.87、171


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裏側にひそむ、動物相にも植物相にも属さない何者かの息遣いだ。その何者かを飼い慣らし、研ぎ澄ませるためにこそ、彼は指を動かしつづける。その先にあるべきものは、英語ではない言語だ。あるいは、いまの音楽理論を超えた、まだ誰も知らないありうべき未来の理論、音楽ではない音楽なのだ。
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単行本p.77


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「だから音楽ってやつは嫌い。どこまでも亡霊みたいについてきて、心に影を落としてくる」
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単行本p.49


 しかし、試験会場で起こった殺人事件が物語を思いがけない方向へとドライブしてゆくことに。現場に残されていた「アメリカ最初の実験」という言葉は何を意味するのか。


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「性も暴力も、金すらもが人を動かさない世界で、それでも人類の欲を根底からゆさぶるであろう、ありうべき新たな時代の新たな商品とはいったい何か?」
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単行本p.74


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「アメリカ最後の実験が始まろうとしている」
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単行本p.74


 おぼろげに見えてくる暗闘。父とその仲間たちは、いったい何と戦っていたのか。そして「アメリカ最後の実験」とは。


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「アメリカは歴史上、常に先鋭的であろうとしてきた。我々が人工的で新しいものを好んできたのも、それが理由だ。まるで原罪か何かに駆り立てられるように、我々は先鋭的であろうとしつづけた。逆に言えば、我々は本質的に心の渇きを潤すことができないのだ」
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単行本p.85


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 俺たちは、そうと知らぬまま、資本と文化の闘いの最前線に立たされていた。そして、否が応にも、俺たちは音楽家だった。闘いを挑む以外、俺たちには道がなかったのさ。
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単行本p.140


 アメリカ最後の実験、その決着がつく場所。そこに引き寄せられるように集まってゆく登場人物たち。響きわたる銃声。そして原初の音楽と未来の音楽が交差する……。

 というわけで、「父親の失踪の真実を知るために、外界から閉ざされた場所にやってきた青年が挑む謎と闘い」という『エクソダス症候群』のプロットを再利用し、『盤上の夜』における〈ゲーム〉というテーマを〈音楽〉に換えて、『ロワーサイドの幽霊たち』(連作短篇集『ヨハネスブルグの天使たち』収録)における〈アメリカという実験〉を扱った、そんな長篇です。

 これまでの作品と比べると格段に読みやすく、長篇としてはごく短いページ数に、殺人事件、ライバル対決、陰謀、エキセントリックながらそれぞれに共感できる登場人物などエンタメ要素が隙間なく詰め込まれ、ミステリ、青春小説、謀略サスペンスなど様々な読み方が出来るようになっています。

 ただ、駆け足で終わってしまったという印象が強く、読後感は地味め。『エクソダス症候群』もそうでしたし、これは持ち味というものだろうと思います。



タグ:宮内悠介
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