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『あまたの星、宝冠のごとく』(ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア、伊藤典夫・小野田和子:翻訳) [読書(SF)]


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1987年5月19日早朝、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニアというペンネームを使用していたアリス・シェルドンは、当時84歳にして寝たきりの夫ハンティントン・シェルドンを射殺し、その直後に自分自身にも銃弾を撃ち込んだ。享年71。責任感の強い元軍人ならではのマッチョな責任の取り方とも、老々介護の果ての夫婦心中とも解釈できる事件であり、本書にもその雰囲気が封じ込められている。
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文庫版p.585

 あの衝撃的な死の翌年に刊行された、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア最晩年の作品を収録した短篇集。自身の死や絶望をも冷徹に解剖しあざけり笑うような研ぎ澄まされた十篇。文庫版(早川書房)出版は2016年2月、Kindle版配信は2016年3月です。


[収録作品]

『アングリ降臨』
『悪魔、天国へいく』
『肉』
『すべてこの世も天国も』
『ヤンキー・ドゥードゥル』
『いっしょに生きよう』
『昨夜も今夜も、また明日の夜も』
『もどれ、過去へもどれ』
『地球は蛇のごとくあらたに』
『死のさなかにも生きてあり』


『肉』
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容赦なく生まれつづけ、ここやほかのセンターに仮借なく押しよせてくる赤ん坊、赤ん坊、赤ん坊。ときどき、赤ん坊の洪水で溺れてしまいそうな気がすることがある。赤ん坊は最初はひとりひとり痛ましい存在なのだが、最後にはただの数字になってしまう。委員会に示した134人とはなんの関係もない数字に。詮索好きなミスター・ジョージの目から真実を覆い隠すという彼女の仕事のよりどころとなる数字に。
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文庫版p.143

 とうとう妊娠中絶が非合法化された近未来の米国。保守派が命の勝利を祝ううちにも、様々な事情で赤ん坊を育てることが出来ない女たちが全国の養子縁組センターに津波のように押し寄せてくる。引き取られる可能性があるのは「まともな」赤ん坊(健康、金髪、碧眼、白人)だけ。毎日毎日、大量に預けられる「その他」の赤ん坊たちがどうなるのか、胎児の生きる権利を守る中絶反対派の人々は誰も気にしていなかった。

 ジョナサン・スウィフト流の風刺作品ですが、風刺というにはあまりにも痛々しく、冷徹な表層の下で煮えたぎる怒りのマグマに焼き尽くされるような短篇。


『ヤンキー・ドゥードゥル』
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殺せ! 殺せ! 彼は訓練を受け……いつのまにか赤いカプセルを与えられて、発砲する状況になったら一錠飲めと指示された。BZ――戦闘地帯(バトルゾーン)――は、人を吹き飛ばすことへのためらいを一掃し、爽快感を与えてくれた。じつをいえば、なにをするにもためらいというものがなくなっていた。だが幸いなことにBZの影響下での行動の記憶はあまりはっきりしていない。かれらは小さな集落をいくつか掃討し、火を放った。ほかにも断片的な記憶がある――女の肌、あふれかえる悲鳴、そしてずっと彼を悩ませつづけている、ある場面――いまはそのことは考えたくなかった。
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文庫版p.239

 兵士を麻薬漬けにして戦場に送り込む近未来の米軍。負傷して除隊した主人公は、リハビリ施設で解毒プログラムを施される。重度中毒の身体からドラッグが抜けてゆくときの死ぬほどの苦痛。だが彼を苦しめているのは肉体的苦痛だけではなかった。戦場における残虐行為の記憶が、彼を死に駆り立ててゆくのだった。

 経済的徴兵制で集めた貧しい若者たちを、消耗品として戦場に送り込み続ける現代戦の本質をついた短篇。怒りの銃口を向けるべき相手は誰なのか。


『もどれ、過去へもどれ』
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 そして愛が消えていった。その記憶さえも。混乱しながらも、彼女はよろこんでいた――あたしが落ちぶれたのは愛のせい、彼の愛があたしを潮騒と小鳥の鳴き声の世界から引き離した。彼への愛があたしをここに引きとめている――とにかく、すべては愛のせい。いま逃れなければ、永遠に迷子になってしまう。いまやらなければ。
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文庫版p.457

 いずれ大金持ちの男と結婚して、セレブでゴージャスでアッパーでハッピーな人生を送るつもりの若く美人で小金持ちのヒロイン。未来へタイムトラベルしたところ、年老いた自分はどうにもぱっとしない地味な生活をしていると判明。結婚相手は、クラスいち人気のないガリ勉ナードだった男。しかも米国社会はぐずぐずに崩壊しつつある。こんな未来は間違っている、何としてでも変えてやる、と決意した彼女は、拳銃を用意してチャンスを待つのだが……。

 真実の愛は、人を救えるのか。いかにも明るいラブコメ展開を予想させておいて、容赦なく裏切ってくる辛辣な短篇。読後、著者自身が下した決断を思い出すところまで計算に入っているとしか思えない切れ味。


『地球は蛇のごとくあらたに』
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「ハドリー、〈地球〉が太陽から離れていくのよ。空気が凍りつくわ。なにもかも死んでしまう、なにもかも。地殻が不安定になる。そうなったら、たぶん大陸もばらばらに分解してしまうでしょうね」
「この世の終わりだ」彼はため息をついた。「いっただろう?」
「終わり? いいえ――はじまりよ!」彼女は恍惚とした表情で、雲の壁の上の低いところで燃えている太陽を見あげた。「〈彼〉はついに自由になるのよ。ついに! ああ、ダーリン!」
「まだご執心なんだ」ハドリーがいった。
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文庫版p.535

 幼い頃から〈地球〉に恋い焦がれてきたヒロイン。早く私を奪って、あなたの愛で激しく貫いて。愛に駆り立てられた彼女は、〈地球〉から選ばれた花嫁となるべく、ありとあらゆる手段を尽くす。環境保護運動とか。人類絶滅計画とか。だが、なかなか彼女の愛にこたえてくれない〈地球〉。焦った彼女は、彼の愛を確かめるべく、ついに実力行使に出るのであった。

 ヒステリックなまでの勢いとユーモアで最後まで突っ走る短篇。何もかもに(とりわけ男に)絶望した挙げ句の笑うしかない境地を宇宙規模に拡大した強烈な寓話で、個人的には本書収録作品中もっとも気に入ってしまいましたすいませんなんかもう。



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