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『彼女がエスパーだったころ』(宮内悠介) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]


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「自分たちだけが、世界の本質を知ったような気がした。まるで、自分たちが変わることで、人類の精神がもっと高みへ到達できるような……。わたしたちは世界に関わり、世界に参加しているのだと、確かにそう思える感触があった」
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単行本p.221


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 まったく理不尽です、と駒井が小さな声で漏らした。
「理不尽とは?」
「体験してしまったがために、論理的な思考を強いられ、しかも答えが出ない。けれど、何かトリックがあったのだろうと深く考えずに済む人たちが、結局は、往々にして正しい」
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単行本p.58


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「共産主義と唯物論――曾祖父は、それを正しいことだと信じていた。その先に、新しい人類の姿があると考えていたのです。しかし、そうやって作られた世界には――」
 イェゴールは窓の外を見た。雨は雪に変わりつつあった。
 彼が静かにつづけた。
「――何もなかった」
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単行本p.230


 超常現象、疑似科学、代替医療……。精神世界に関わる人々の取材を続ける語り手は、次第に取材対象との距離感を喪失してゆく。霊性を見失った私たちの苦悩と倫理的葛藤を短いページ数に凝縮してのけた6篇を収録する連作短篇集。単行本(講談社)出版は2016年4月です。


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「わたしたちは生まれついて、自分以外の何者かに委ねる能力を持っている」
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単行本p.222


 百匹目の猿、スプーン曲げ、脳制御手術、水からの伝言、ホメオパシー、カルト。超常現象や疑似科学まわりの幅広い話題を通じて、人間の割り切れない部分を追求する短篇集です。ごく短いページ数で人々の苦悩や葛藤の断面を見せる、そして語りすぎない、その手際とバランスが素晴らしい。

 ライターである「わたし」が様々な人物への取材を通じて超越的なものに触れようとするという形式には、デビュー短篇集『盤上の夜』を思い出させるものがあり、原点回帰という印象が強まっています。


[収録作品]

『百匹目の火神』
『彼女がエスパーだったころ』
『ムイシュキンの脳髄』
『水神計画』
『薄ければ薄いほど』
『佛点』


『百匹目の火神』
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「わたしたちは、見てみたいと思ったのです。人類が火を覚えた、まさにその瞬間を」
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単行本p.13

 一匹の猿が火を使うことを覚えたとき、日本中のあちこちで猿たちが放火を始めた。たちまち起きる社会的パニック。これはシンクロニシティ(共時性)なのだろうか。関係者への取材により語り手が見出した真相とは。


『彼女がエスパーだったころ』
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「世界は酷薄なのに、そのくせ、腹の立つことに存外に優しい」
 だから、と千春は言う。
「自分を傷つけられるのは、結局のところ、自分しかいない」
 いつの間にか、千春の頬を涙が伝っていた。
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単行本p.80

 動画サイトに投稿されたスプーン曲げの映像により一躍「エスパー界のゆるキャラ」としての地位を確立した女性。彼女は夫の「事故死」に関わっているのだろうか。取材する語り手は彼女の不安定なパーソナリティに振り回されてゆく。


『ムイシュキンの脳髄』
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「かつてのロボトミーは、乱暴で大雑把であった」
「ええ」
「しかし、乱暴で大雑把だからこそ、守られたものがあったと言えるのだ」
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単行本p.103

 オーギトミー、それは脳の特定機能だけをピンポイントで破壊するマイクロ外科手術。怒り、抑鬱、反社会的衝動などを効率的に除去し、しかも副作用が少ない。それは福音なのか、それとも現代のロボトミーなのか。

 脳の人為操作はどこまで倫理的に許されるかという問題をめぐる葛藤が引き起こした殺人。『エクソダス症候群』における精神医療問題(精神薬の大量処方など)、『アメリカ最後の実験』に登場した「パンドラ」を思わせる音楽など、これまでの作品の要素が巧みに配置されているのも読み所。


『水神計画』
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「……そして黒木先生は考えました。水は、言葉を解する。そうであれば、習慣や概念が人から人へ伝わるように、水から水へ伝わるミームが存在するはずであると」
(中略)
「あのプロジェクトを立ち上げるにあたり、考えたことがありました。太平洋に一滴垂らすだけで、自動的に全世界の水を浄化する――そのような“言葉”とはなんであるのか」
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単行本p.132、152

 「ありがとう」と言葉をかけることで水を浄化できるという「水からの伝言」。ならば、水から水へと伝わる情報複製子ミームを利用して、SFでいうところのアイスナイン現象により原発事故による大量の汚染水を「言葉」で浄化できるのではないか。奇妙なプロジェクトを取材する語り手は、いつしか彼らに加担することになったが……。


『薄ければ薄いほど』
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「塩水であっても、この水は効くと言われればプラセボ効果は生まれます。そうであるなら、死を前にした患者の苦痛が軽減することもある。何より、このとき患者は否応なしに身をもって感じるのです。つまり、薄ければ薄いほど、霊性というものは高まっていくのだと」
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単行本p.185

 治療の見込みのない患者のターミナルケアを担当する施設、ホスピス。そこは、死に向けて精神的な準備をするための「最後に人が人らしく生きるための場所」なのか、それとも「緩慢な自殺幇助」なのか。そのホスピスでは、化学的にはただの塩水でしかないレメディが供給されていた。ただでさえ倫理的葛藤を抱えているホスピスで、ホメオパシーによる偽の安らぎを与えるのは欺瞞ではないだろうか。語り手は、外部との情報のやりとりを厳しく遮断しているその施設の内部取材を試みるが……。


『佛点』
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 つまるところ、ホロシロフが提示する価値観を上回る何かを、わたしたちは見出せずにいたのだった。かくいうわたし自身が、これでいいと心から思える生きかたをしていない。
 肩で風を切って歩く春の日々は、とうに過ぎ去った。
 わたしたちは、まさに、神なき国で霊性を見失っていたのだった。
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単行本p.214


 ライターを廃業した語り手は、かつて取材対象だったスプーン曲げの女性から相談を受ける。知人がアルコール依存症になり、治療のため自助グループに参加しているのだが、そのグループがどうもカルト臭いというのだ。だがカルトだとしても、本人が救われたと言っているのに、他人に引き離す権利があるのだろうか。

 論理、客観性、科学的世界観。決してそれだけでは生きることの出来ない私たちは今や、信仰も霊性も見失い、倫理的葛藤を前に立ちすくみ、疑似科学やカルトに翻弄されるばかり。静かな諦念とともに、連作は幕を下ろします。



タグ:宮内悠介
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