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『ホサナ』(町田康) [読書(小説・詩)]

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 どうかこの世が正気でありますように。その正気に守護されて私の犬が無事でありますように。
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単行本p.491


 シリーズ“町田康を読む!”第59回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、救いを求め穢土を彷徨う長篇小説にして、宗教的救済をテーマとする現代の旧約聖書、『告白』『宿屋めぐり』に続く集大成的大作です。単行本(講談社)出版は2017年5月、Kindle版配信は2017年6月です。

 『宿屋めぐり』から九年、ついにやってきました。「ホサナ」とは、キリスト教の公的礼拝で使用されるヘブライ語で、「私たちを救ってください」という意味だそうです。ちなみに本書の最終章のタイトルがそのものずばり「私たちを救ってください」。救いたまえ、我等を救いたまえ。

 罪から救われたい、煩悩から救われたい、この狂った世界から救われたい。罪と祈りの物語が展開してゆきます。


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 あんなことをしなければよかった。あんなことをいわなければよかった。
 激しくそう思ったが、もう遅かった。
 言ってしまったこと、やってしまったことを、なかったこと、にはできなかった。となれば後は、忘れ、に期待するより他ないが、まだあまり時間が経っておらないため、記憶は生々しく蘇り、その都度、精神が苦しかった。
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単行本p.81


 他人に負けたくない。そんな拘泥を捨て去り、目指すは真の「抜け作」。日本くるぶしから使命を与えられ、穢土を彷徨いながら、栄光と現報とひょっとこの限りを尽くす語り手は、はたして犬の境地に到達できるのか。そしてその先に救済はあるのか。愛犬家ってどうしてやたらとバーベキューパーティやりたがるの。何だかよくわからない。


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「あーん。わからないのか、そんなこともわからないのか。もう一発、殴ってみたらどうだ。俺の頬が餅のようにビヨヨンと伸びるほどに。できやしないだろう。俺がさっき洒落や冗談で『おーい中村君』を歌ったと思っているとしたらそれは正解です。洒落や冗談で歌ったんだよ、俺は。ただまったく意味がないわけではなくて、一見、無意味な言葉や会話や情景が連なっているように見えてそのなかには実は重要な意味が隠されている。それを発見するのが生きるということだ。それができないであてがい扶持で満足するならそれは奴隷の人生だ。この場合で言うとそれは、伝書鳩、という Word さ」
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単行本p.625


 愛犬家の集うドッグランに参加した語り手は、光柱となった栄光に焼き尽くされ一瞬で消滅する。日本くるぶしから「蒸しずし食うな、人々に正しいバーベキューを食べさせよ」と命じられたもののとりあえずなかったことにして蒸しずしなど食していたところ、たまたまコンビニ強盗を散々に打ち据えて交通事故に、路地を歩けば悪霊にとりつかれ公会堂ではひょっとこの群れに襲われるなどし、警察に助けを求めたら痴漢冤罪で逮捕、もうあかんので仕方なくバーベキューなど準備したものの、パーティーは地獄のような有り様になり果てる。こうなったら犬の保護施設を建てる資金として400万円を振り込むしかないと言われ激怒した語り手はついに人を殺めてしまう。したところ犬の保護施設は大成功。今や犬と意思疎通できるようになった語り手は若干の栄光を浴びるが長くは続かなかった。しかし犬芝居を通じて語り手はついに宗教的開眼に至る。それは抜け作への道だった。


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 そう思うとき私はよろこびに輝いた。そしてすべてがストンと落ちた。それは私がずっと持ち続けていた、人に負けたくないという気持ちが落ちた瞬間であった。衰弱して抜け作になっていくこと。人について行くこと。火の側にいると同時に肉の側にいて人々の栄養となりエナジーとなること。それらを悪しきこと。或いは無様なこと。屈辱的なこと。と、そう考え、保多木節を歌い狂っていた、その気持ちが黒い丸孔にストンと落ち、次に上がってきたとき私にはもうよろこびしかなかったという寸法だ。
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単行本p.374


 しかれど語り手と愛犬は奈落へ落ちてゆき、竹が生えて絶叫し、荻原朔太郎の言いたかったのはこういうことなのかと、また腐ったひょっとこの死骸をかき分けかき分け進むなどの辛苦を重ねた末、ついに犬の導きを知るのだった。


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「俺はおまえがいまのようになるようにずっと努力していたんだ。おまえのくだらない虚栄心やおまえの不安や絶望をひとつびとつ取り除くのは本当に大変だった。それは誰にも理解されない努力だった。当のおまえさんにもな」
「なにを言っているのかぜんぜんわからない。おまえがばかな犬でないのなら主人の私を出口に導いておくれ。そして芝居がうまくいくように手伝って欲しいのだ」
「だからそういう問題ではなく、私はあのときからおまえをずっと導いていたといっているのだ。私を誰だと思っているのだ」
「おまえは私の犬」
「ちがう。おまえが私の犬と知れ。そして我こそはなにをかくそう……」
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単行本p.393


 だが進撃の光柱によって世界はおおむね滅びてしまう。犬とは離れ離れになり、毒虫にやられ、何もかも狂った世界に迷い込んでしまう語り手。救済への道はなお遠く、受難は果てしない。だが真の抜け作の境地をめざして他人様に散々迷惑などかけながら犬道をゆく。


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それにつけても恐るべきは光柱の放つ energy で、あの暴れ狂う途轍もない energy は国土軸のみならず、国土と国土周辺の時間軸をもへし折り、渚の向こうとこちらに時間の断崖のようなものを拵えてしまったのである。
 このことが将来的にどんな災厄をもたらすのか。考えるだけで恐ろしく、一時的に頭がおかしくなって、闇の中で泣きながら汁なし饂飩を食べているような気持ちにドシドシなっていく。っていうか、もうなっている。
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単行本p.547


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いろんなことを体験するなかで、抜け作であること、いやさ、抜け作であろうと意志して、そして意志したとおりの抜け作になること、それを不断に繰り返すこと、いわば永久革命論的な抜け作への飛躍以外に生きる道はない、それこそがこんな言い方をするのは痴がましいが、菩薩行に近いのではないかと、ひりひりと悟って、何度かの失敗を経て、これを実践中であったからだった。
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単行本p.519


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 ここまで抜け作になっていながらそれに気がつかなかったということがどういうことを指しているのかというと、私がどうしようもない愚物であるということを指しているのは間違いのないことだ。何度も何度も間違いを指摘され、また、失敗をして大怪我で入院をしたり騙されて財産をなくしたりして、その都度、今度こそ、本当の抜け作になろう、いやさ、なった、と思い込み、でもちょっといい感じになるとすぐに有頂天になって、自分は光に召喚されたと天狗になって高級ブランドを着て都心部を歩き回るなどしていた。その反動で、あがった分だけ落ちて落ちて、人望もなくなり、ついには犬とも離れて虫に襲われ、それで今度こそようやっと本当の抜け作の心にいたったかと思ったらいまようやっとこんな基本的なことに気がついて衝撃を受けている。
「でも、希望を持っていいのよ。っていうか、希望しかもう持てないと思うのよ」
 と、ついに女の人が私の顔を見て言った。
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単行本p.525


 時間も空間も人心もすべて狂った世界で、語り手は愛犬と再会できるか。そこに救済はあるのか。ラストはマジ泣けるので覚悟しておけよ。

 というわけで、小説だと思って読めば困惑するやも知れませんが、聖書だと思えばいやますありがたさ。様々な古典の風格もそこはかとなく。活き活きとした語りが爆笑と狂騒をともないつつ宗教的法悦へと読者を導いてゆく様は、文学すげえな文学。おい。


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「先生の文章はいっけん、なにを言っているのかよくわからないし、もしかしたらこの人はなにも言ってないのではないか、なにも考えてないのではないか、と思うのですがよく読むといっぱい考えて、なにも言わないでおきながらすべてのことを言っているのでは? と思わせる、なにか、があります。そこが多くの人を引きつけてやまないところなのですね。少なくとも私はそう思いたいです。無理ですけど」
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単行本p.242



タグ:町田康
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