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『新世紀の人形たち』(ドルスバラード主催、林美登利) [その他]

 知人の林美登利さんの新作を観るために、丸善本店で開催されている『新世界の人形たち』創作人形展に夫婦で行って参りました。

 展示されていた彼女の新作、「奇乃子(きのこ)」と「竜の落とし子」ですが、事前に写真を見て心の中でイメージしていたのより一回り小さくて、うおっ、可愛いなあ。特に奇乃子、色が素敵です。

 他に展示されていたのは、「水蛭子(ひるこ)」、「少女」、それにピンクのうさぎさん。一番、迫力を感じたのは「少女」です。異形の仲間たちとともにいて、形態的には普通の少女であるにも関わらず、最も異質な存在感を放っていました。

 展示場は10畳以上あるけっこう広い長方形で、個人的には、入り口(レジ)から奥に向かって右側の壁に沿って展示されている作家さん達(林美登利さん含む)の作品が好みです。

 夕方5時頃に到着したため、残念ながら美登利さんとは会えなくて残念でしたが、とりあえず記帳して、写真集(3枚入り)を購入して帰りました。

 帰宅後に出してみると、「鳥女」、「天使」、「少女」の野外撮影写真3枚が入っていて、これは袋ごとに入っている写真が違うのでしょうか、だとしたらラッキー。


「新世紀の人形たち」
2009年2月25日(水)~3月3日(火)
午前9時~午後9時(最終日は午後4時閉場)
丸善・丸の内本店 4階ギャラリーA(千代田区丸の内1-6-4 丸の内オアゾショップ)

出品作家(五十音順・敬称略)
あだち佳瑞、angi、石橋まり子、太田庸子、木本黒陽、西條冴子、佐々木士甫、鈴木ゆきよ、玉青、友重のりこ、七衣紋、林美登利、比浦一臣、槙宮サイ、森馨、米山あゆみ
http://www.maruzen.co.jp/Blog/Blog/maruzen02/P/5349.aspx

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『現実入門―ほんとにみんなこんなことを?』(穂村弘) [読書(随筆)]

 歌人の穂村さんが、自分の「現実体験」の不足を克服すべく、様々な「現実」初体験に挑戦するという連作エッセイ。

「目の前の現実をひとつひとつこなして生きることは、若くてもできるひとにはできる。年をとってもできないひとにはできない。どうしてそうなのかはわからないが、今までの人生でそのことは痛感している」(文庫本p.218)

 というわけで、42歳になった著者が生まれて初めて体験する「現実」の数々とは。

 献血、モデルルーム見学、占い、合コン、はとバスツアー、ブライダルフェスタ、健康ランド、お父さん、競馬、大相撲、部屋探し、そして・・・。

 ふざけんな、と思いますが、著者は大マジです。決死の覚悟で、逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ、涙目で挑戦します。その悪戦苦闘ぶりがおかしくて。

 文章は平易で読みやすく、そしてバランスがとれています。これ以上シリアスだと痛々しくなるし、これ以上ふざけると白々しくなる。どっちに転んでも読者を不快にする、その間隙をきわどく抜けてゆくような、そんな文章。

 岸本佐知子さんの一連のエッセイや、あるいは町田康の『耳そぎ饅頭』を思い出しますが、著者のヘタレっぷりは独特です。ずっと実家で両親と生活しており、42歳にして初めて一人で部屋探しをする、怖くて怖くて不動産屋に入ることが出来ない。子供か。

 と言いつつ、では私はどのくらい「現実」を体験しているのか。ふと気になって確認してみたところ、えーと、モデルルーム見学と部屋探しはやったことがあります。それ以外は、まあ、私も未体験です。いいんじゃないですか。まだ40代なんだし。

 実は著者の観察眼が何気なく鋭い。はとバスツアーに参加しているおばさんたちの言動、子供の支離滅裂なセリフ、合コンでの女の子との会話など、すごくリアリティを感じさせます。

 こういうリアリティを土台にして、虚構と現実を適度に織りまぜて読者を翻弄するという、けっこう面白いエッセイです。自分も「現実」体験が不足していると思う人はどうぞ。

タグ:穂村弘
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『無限分割』(ロバート・チャールズ・ウィルスン) [読書(SF)]

 『SFが読みたい! 2009年版』 において、ぶっちぎりの得票数で海外篇ベスト1に『時間封鎖』が選ばれたということで、SFマガジン2009年4月号「ベストSF2008上位作家競作」に掲載された、ロバート・チャールズ・ウィルスンの短編です。

 妻を亡くして生きる希望も失った初老の男(元SFファン)が、ふと立ち寄った古書店で「存在するはずのない」SF本を見つけます。どうやらそれは、この世界とは量子論的に分岐した並行世界で書かれたものらしいのですが・・・。

 いかにも歳喰ったオールドSFファンの心をくすぐる導入部。主人公の設定や、ときどきはさみ込まれる伏線から、おそらく「並行世界で生きている妻との再会」てな話だろうなあ、と思いつつ読み進めると。

 いきなり宇宙的災害、世界の終わりまであと数日、地球規模のパニック発生、はっと気がつくと1万年後、てなぶっとび展開が待っていて、ああああ、確かにこれは『時間封鎖』の作者だ。

 この「老成したような落ち着いた文体、ややノスタルジックな雰囲気、ぶっとび馬鹿SF」という奇妙な味は、『時間封鎖』を読んだ方なら何となく分かると思います。「SFを書く/読むということ」の暗喩をこめたとおぼしき感傷的なラストは、たくみにオールドSFファンの心に付け入ってきます。あざといなあ。でも好き。

 中核となるアイデアは、「量子論的自殺」と呼ばれる有名な思考実験。これは、量子論の多世界解釈が正しければ、「何かに失敗したとき直ちに自殺する」ことで、「成功した(無数の)自分」だけが存在を継続するようにすれば、主観的には常に成功を続けることが出来るではないか、というものです。

 哲学者デイビッド・ルイスの指摘によると、上の思考実験を拡大すれば、どんな死の瞬間にも「その回避または先送りに成功した(無数の)自分」が生き残るわけだから、そしてもちろん失敗した自分は全て消滅するわけだから、主観的には「自分」は決して死なないことになります。永久に。

 ラリー・ニーヴンやグレッグ・イーガンといったSF作家がそれぞれその辺を扱った短編を書いていて、いずれもアイデンティティや意思決定をめぐる思弁的な話にしているのですが、ロバート・チャールズ・ウィルスンにかかると、これが量子論的不死をそのまま書いてしまう。この、素直なのか、ひねくれているのか、判断がつきかねるストレートさも、この人の魅力の一つでしょう。

 というわけで、ブラッドベリ風の感傷的な話だろうという予想を裏切る作品ですが、個人的には好みです。特にオールドSFファンと相性がいいのではないでしょうか。余談ですが、SFマガジンの同号には、ジョン・スラデックの『よろこびの飛行』という、ブラッドベリのパロディ作品が収録されているのですが、こっちの方は、これまた予想を裏切って、意外に真っ当なブラッドベリでした。

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『オカルトの惑星―1980年代、もう一つの世界地図』(吉田司雄) [読書(オカルト)]

 『オカルトの帝国―1970年代の日本を読む』(一柳廣孝)に続く、「オカルト研究会」の出版物第二弾。前作が主に70年代に焦点を当てていたのに対して、今作では80年代のオカルトシーンが扱われています。

 今こうして思い出してみても、80年代のオカルトブームは異常でした。いったいあれは何だったのか。その渦中にいて毒電波を受けまくって成長した純真な若者(当時)の一人として、どうにもこうにも「あの時代」がうまく総括できず、思い出してみても困惑に立ちすくむばかりです。

 本書は、10人の著者が果敢にも「あの時代」について調査し探求した成果を集めたもの。何と「日本学術振興会科学研究費補助金」をもらった公的な研究成果の報告ということで、んむむむ、そのせいか前作よりも丹念な(金と時間と手間をかけた)調査に基づく労作が多く、また文章もよりアカデミックな論文調になっていることが目をひきます。

 さて内容ですが、まず序論として、「秘境探検」、「人類学調査」、「邪馬台国論争」といった本来は学術分野のトピックであるはずのものが、それを逸脱して、後のオカルトブームへ流れ込む水脈となったことが示されます。

 続いて「デニケン・ブーム」、「シャンバラ幻想」、「80年代日本のUFO熱」といった、ど真ん中の話題が扱われます。

 そして、日本のオカルトブームが国境を越えて輸出された事例として「台湾オカルト事情」、社会問題が当時はオカルト扱いだったという事例として「児童虐待」が、それぞれオカルトブームの越境という位置づけで語られます。

 最後にオカルトブームが姿を変えて伝承されたものとして「陰謀論」と「精神世界」が取り上げられて終わります。

 個人的に面白いと思ったのは、まず『邪馬台国と超古代史』(原田実)。邪馬台国論争から古代史ブーム、(国粋主義的な)超古代史妄想、といった流れを手際よくまとめてくれ、その時代背景がどのようなものだったのか、関係者の思惑(意識的にせよ無意識的にせよ)を分かりやすくひもといてくれます。

 『デニケン・ブームと遮光器土偶=宇宙人説』(橋本順光)は、いわゆる古代宇宙飛行士飛来説が日本でどのように普及していったのかを追った力作。遮光器土偶=宇宙人説を最初に提唱したのは、何と、かのCBA(宇宙友好協会)だったということに驚きました。デニケン本で読んで、カザンツェフ博士が言い出したのだとばかり思っていた私。恥ずかしい。

 『児童虐待とオカルト』(佐藤雅浩)で、「1980年代女性週刊誌における猟奇的虐待報道について」という副題を見れば分かる通り、今日は社会問題だと認識されている児童虐待が、当時は“怪奇実話”みたいなオカルト記事扱いだったことが指摘されていて、時代というものをしみじみと考えさせてくれます。

 一読して思ったのは、「あの時代」に生きていたからといって、それが理解できているわけではないという、至極当たり前のことでした。こうやって 20年から30年が経過してから、資料をもとに綿密な調査を行うことで、はじめて全体像や流れが見えてくる、理解できる、という、まあ歴史学は大切だということです。

 というわけで、きちんとした調査に基づいた労作が多く、面白いのはもちろんのこと、資料的価値も極めて高い一冊です。あのオカルトブームについて理解を深めたい方は必読でしょう。

 あとがきによると、オカルト研究会では既に第三弾の準備に入っているとのことで、こちらも大いに楽しみです。

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『告白』(町田康) [読書(小説・詩)]

 シリーズ“町田康を読む!”第16回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、谷崎潤一郎賞を受賞した著者の代表作。単行本出版は2005年3月。私が読んだ文庫本は2008年2月に出版されています。

 まず、やたらと分厚い(文庫本で800ページ越え)ことに驚かされます。手に取るとずっしりと重い。しかも、紹介文によると、明治時代に起きた大量殺人事件「河内十人斬り」をモチーフに、人はなぜ人を殺すのかという永遠のテーマに迫る著者渾身の長編小説、ということだそうで。

 あ、これは、土俗的風土と近代的自我の相剋がどうたらして、魂の救済への希求がこうたらして、鬱屈したり内向したり葛藤したり思弁したりして、まあ要するに「辛気臭い話」ではないかと思って、読む前にちょっと身構えたのですが。

 確かに主人公は「河内十人斬り」事件の主犯、城戸熊太郎ですし、ストーリーはおおむね史実通りに展開します。金と女の恨みから、女子供を含む十人をぶっ殺した挙げ句に自害して果てる。決して明るい話ではありません。ですが、辛気臭い小説という印象は微塵も受けず、とにかく軽快で饒舌で爽やかな感じになっています。

 まず河内弁による語りが素晴らしい。セリフはもとより、地の文まで、文章の大半は河内弁で書かれています。あるときはユーモラスに、あるときは迫力いっぱいに、流れるように饒舌に語られる河内弁、そのテンポの良さに、するすると読み進めることが出来ます。

 また熊太郎の人物造形が絶妙。明治時代の農村にいた実在の人物とはあんまり関係なく、頭はいいのにやたら思弁的で気弱で対人コミュニケーションが苦手、いつも頭の中を色々なことがぐるぐる回っているせいで他人からはボケだと思われていて、自分なりに正義感は強いのに不器用でうまく立ち回ることが出来ず、そんでもって追い詰められると変な糞度胸がついて自棄になって暴れる、どこか虚無的で自己破壊願望を底に秘めているという、まあ著者がデビュー作からずっと書いてきた主人公の集大成のような人物として書かれています。

 他の登場人物が熊太郎を評している言葉を見ても、

「弱気を扶け強きを挫くというが、この人の場合は、自分を挫いている、しかもその自分は弱い。でも自分を挫くときの姿勢は無茶苦茶強気や」(文庫本p.579)

「どこか憎めぬ人。不甲斐ないからといって冷淡にする気にはどうもならない」(文庫本p.638)

というような感じで、駄目な極道者でありながら、どうにも愛嬌があって、やたら共感できるのですね。こいつ、意外といいやつだなあ。世が世なら、パンクロッカーになって若者を惑わしわあわあゆわせた挙げ句、物書きに転向して駄目な人間の所業を書きつらねて文学賞を総ナメするような奴だなあ、などと。

 ストーリー展開は単純明快。とにかく熊太郎が色々と難儀なことに巻き込まれては、何とかしのいでゆく、それだけ。シンプルで力強い話です。作者による熊太郎へのツッコミやら、地の文における「くすぐり」やらも小気味よく、状況の深刻さにも関わらずついつい笑ってしまったりして。

 そうこうしているうちに熊太郎がすっかり気に入ってしまい、彼が次々と苦境に陥ってはそれなりにふんばる姿に心の中で声援を送り、調子よく読み進めているうちに、あっという間にクライマックス。緊迫感と疾走感あふれるラスト100ページ、ああ終わってまう、というか熊太郎が死んでしまう(と分かっている)のがまた惜しくて惜しくて。

 これまでの作品でも常にちらついていた神仏の影も手際よく折り込まれ、ユング的なシンボルを散りばめるなど工夫をこらした幻想シーンも凄絶で美しく、読後はずしりとした満足感にひたることが出来ます。

 というわけで、テンポの良い河内弁による饒舌な語り、その豊穣な言葉の力を縦横無尽に駆使してみせた痛快作です。辛気臭い小説だろうという先入観は捨てて、ぜひ読んでみて下さい。

タグ:町田康
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