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『中国の不思議な役人/瀕死の白鳥/ボレロ』(H・アール・カオス) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 H・アール・カオスと東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団(大友直人:指揮)のコラボレーションコンサートを観るために、夫婦で東京文化会館に行ってきました。2005年の第一回、2008年の第二回、いずれも大感激の公演だったので、第三回目となる今日の舞台も見逃せません。

 広い東京文化会館大ホールが満席状態です。白河直子さんのダンスを観にきたダンスファン、バレエの観客、大友直人さん指揮による東京シティ・フィルのコンサートを聴きにきた聴衆が入り交じって、観客席は老若男女さまざま。ご年配の方々も目につきます。

 演目は3つ。全て白河直子さんが主役を踊ります。演出・振付はもちろん大島早紀子さん。いずれも苦悶の末に死んで昇天してゆくようなイメージの作品で、実は大島版『ボレロ』もそういう作品なんだということに三回目にしてようやく気づきました。

 最初はバルトークの『中国の不思議な役人』。2008年の公演でも観たのですが、今回は演出・振付とも刷新されているそうです。

 どこがどう変わったのか具体的には分からないのですが、何となく前に観たときのやや散漫でごちゃごちゃしてた印象が消えて、すっきりとシャープになったような気がします。大島早紀子さん演出の特徴がバランス良く含まれている快作だと思います。

 次がサン=サーンス『瀕死の白鳥』。白河直子さんがソロで踊る作品で、今回が世界初演となります。舞台に張りつめた緊張感が壮絶。

 最後がラヴェル『ボレロ』。ラストはこの作品でしめるのが恒例となっているようです。細かい手直しはあるのかも知れませんが、これまでとさほど印象は変わりません。真っ赤な血飛沫のなか迎えるクライマックスは何度観ても理性が吹き飛ぶような迫力。

 終演後は会場が沸き立つような拍手とスタンディングオベーションでした。

 とにかく白河直子さんのダンスはやっぱり凄い、ということを再確認しました。いつも鳥肌が立つような思いで観ているのですが、後から思い出そうとしても、どうも思い出せないのがもどかしい。

 次回の公演までまた数年待たなければならないのでしょうか。いっそ毎年恒例行事にしてほしいものです。

[出演]

振付・演出:大島早紀子
出演:白河直子
    木戸紫乃、小林史佳、斉木香里、泉水利枝、池 成愛、野村真弓
指揮:大友直人
演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


『SFマガジン2010年3月号 2009年度英米SF受賞作特集』 [読書(SF)]

 SFマガジン2010年3月号は「2009年度 英米SF受賞作特集」ということで、受賞作4篇を訳出してくれました。いずれも読みごたえのある作品ばかりです。

 ナンシー・クレスの『アードマン連結体』は、オーバーロードが遅刻しちゃった『幼年期の終わり』(アーサー・C・クラーク)というか、高齢者だけが超知性体へと解脱する話というか、言わば『老年期の終わり』というところですね。

 多数の登場人物を配置して、視点人物を交替させながら、次第に異変が広がってクライマックスに向かって盛り上がってゆくというストーリー展開は巧みなんですが、どうも昨今の米国テレビドラマシリーズの脚本作法みたいでやや鼻白むところも。

 しかし、軍に入隊してエイリアン種族とドンパチやったり、超人類へと覚醒したり、昨今のSFは老人たちが大活躍する話が多いような印象があるのですが、なぜなのでしょうね。いや、分かってますが。

 ジェフリー・A・ランディスの『マン・イン・ザ・ミラー』は、小惑星セドナで発見された異星人の巨大建造物に捕らわれてしまった男の脱出劇。『メイルシュトレームII』(アーサー・C・クラーク)における周回運動を振り子運動にしてみたというか、おそらくオマージュなのでしょう。

 建造物は直径20キロメートル以上の真円で、すり鉢のように中央がくぼんでおり、表面は摩擦係数がほとんどゼロ。ここにうっかり「落ちて」しまった主人公は、何しろ摩擦がないので、すり鉢の端から端まで往復、振り子運動を無限に続けるはめになります。

 あと少し運動量があれば縁を越えて生還することが出来るのですが、そのための反動質量がない。果たして宇宙服のバッテリーが切れるまでに脱出できるか。その方法は?

 さすが『火星縦断』の作者らしく、サバイバルの緊迫感とリアルな風景描写はお見事。異星人の巨大建造物はただの舞台装置として使われており、機能その他は何も書かれてないのはむしろ潔いかも。

 解決方法はけっこう意外ですが、納得のゆくものです。初等物理学の知識だけで推理できるし、色々と伏線も張ってあるので、ハードSFパズラーとしてフェアだと思います。いかにもアナログ誌読者賞の受賞作らしい作品。

 キジ・ジョンスンの『26モンキーズ、そして時の裂け目』は、ある女性と26匹の猿との絆を描いた感動作。SF色は薄く、むしろ英米の現代文学っぽい作品です。

 孤独な主人公がついに自分の居場所と心のつながりを手に入れるという、下手に書くと陳腐になってしまう話なんですが、意表をついた変な設定と、しっかりした文章のおかげで、素直に感動します。ラストが素晴らしい。後からじんとくる傑作。

 ジェイムズ・アラン・ガードナーの『光線銃――ある愛の物語』は、“痛SF”とでもいうべき青春小説。ある日、少年が森で光線銃を拾います。ええ、光線銃です。レイガンです。びびびっ。

 さえないナードだった少年は、きっとやってくるに違いない侵略宇宙人か悪の組織と戦うべく特訓を開始。学校で無視されようが、女の子に縁がなかろうが、かまわないんだ。だってボクは光線銃を持ったヒーローに選ばれた者なんだから。大いなる力には、大いなる責任が伴うんだ。

 少年は光線銃とともに成長してゆきます。光線銃の秘密を守るために、ガールフレンドからはふられ、友達も出来ません。いつになったら宇宙怪獣や秘密結社の手先はやってくるのでしょうか。

 多くのSF者が、共感とイタさの両方を過剰に感じずにはいられないであろう作品です。ちょっとひねったオチも見事。個人的にはすごく気に入りましたが、まあ、あまり気に入った気に入ったと吹聴したくないかも。


タグ:SFマガジン

『悩ましい翻訳語 -科学用語の由来と誤訳』(垂水雄二) [読書(教養)]

 ドーキンスの著作をはじめとして海外の様々な科学啓蒙書を翻訳してくれている垂水雄二さんが、生物学に的を絞って、用語の翻訳における困難や世に流布している誤訳の数々について教えてくれる本。出版は2009年11月です。

 例えばニューロン(神経細胞)の「発火」というのは、誤訳だそうです。原語は"fire"であり、これは「火」ではなく「発射」という意味(「撃てーっ」=「ファイヤーッ」)。つまり神経インパルスを発することを指しており、「発火」ではない。

 「恐竜」も誤訳。原語は"dinosaurus"で、これは"deinos"+"saurus"という合成語。これを「恐ろしい」+「トカゲ」=「恐竜」と訳したものであるが、実は"deinos"は「恐ろしい」ではなく「ものすごく巨大な」という意味で使われている。

 という具合に、私たちが親しんできた生物学の用語が実は誤訳だらけだという事実がばしばし指摘されます。さらに、とてつもない勘違いの実例も。

 "radio-colored"な渡り鳥、というのを「放射性の首輪をつけた」渡り鳥と訳した人がいる。正しくは「電波発信機を装着した渡り鳥」。

 "interbreed dog"を「内婚の犬」と訳した人がいる。正しくは「雑種の犬」。

 "lily of the valley"は「谷間の百合」ではなく、「スズラン」。

 "African wild dog"は「アフリカ野生犬」ではなく、「リカオン」。

 誤訳の紹介だけでなく、さらに続けて様々なうんちくが語られるのですが、これがまた面白い。

 例えば、”oak”を「樫(カシ)」と訳すのは誤訳。オークとカシは別の木である。『ピノキオの冒険』を翻案した『樫の木モック』というアニメがあったが、モックはオーク材の人形なので、まずタイトルが間違っている。しかも、もともとピノキオのピノ"pino"はイタリア語で「松」という意味なので、オーク材という時点で既に変。

 "guinea pig"を「ギニア豚」と訳す研究者があとをたたない。もちろん正しい訳は「モルモット」。しかしこの名前は、もともとヨーロッパ人がこの動物をリス科の「マーモット」と勘違いし、その間違った呼び名が日本に伝わって「モルモット」になったという経緯があり、モルモットという呼び名も本来は間違い。ちなみに正しい和名は「テンジクネズミ」。

 生物学が中心ではありますが、カタカナ表記の問題といった一般的な話題(どの言語で発音するかによってカタカナ表記が変わってしまう。ビールス=ウイルス=ヴァイラス)も登場します。

 個人的には、古書店で『ハーキュリー・パイロットの事件簿』という本を見つけた、という著者の体験談が心のツボを直撃しました。実は"Hercule Poirot"の英語発音は確かに「ハーキュリー・パイロット」で正しいのだそうです。でも、いったい誰ですか、この人。名前の響きからするとアメコミのスーパーヒーローかしら。ちなみに著者は、アガサ・クリスティ。

 こんな感じで、あまりにも豊富な話題とうんちくがぎっしり詰まっており、最初から最後まで大いに楽しめます。巻末には索引が付いているので、後から確認するのも容易。

 ただの雑学本として読んでも目から鱗が落ちまくりなので、ついつい「ローカストってイナゴじゃなくてバッタなんだって」、「ピーター・ラビットはアナウサギで、不思議の国のアリスに出てくる三月ウサギはノウサギ。別の動物なんだって」、「クチクラとキューティクルは同じ言葉なんだって」、などと周りの人にまくし立てて迷惑がられてしまいそうです。


『王様は島にひとり』(池上永一) [読書(随筆)]

 大作『テンペスト』が大いに話題になった池上永一さんの第2エッセイ集。出版は2010年1月です。

 前作『やどかりとペットボトル』の出来がいまひとつだったので、ああこの人はエッセイは苦手なのかと思って、あまり期待もしないで読み始めたのですが、何とこれがもう目茶苦茶に面白くてユーモラスで勢いにあふれた快作。嬉しくて仕方ありません。

 中心となるネタはもちろん沖縄。

 例えば、沖縄のバスは「時刻表はあるけど、目安にもなっていない」のだそうです。

「実際にバスに乗ると客が降りる場所をあれこれ指示しているのである。特にオバァ。自宅前まで進路を迂回させ、一方通行の標識を無視して直進するように指示していた。さすがに路地に入れないとわかると不満たらたらに下車していった。まるで牧歌的バスジャック犯だ」(単行本p.23)

というだけでも相当におかしいのですが、続けて

「バス停のない所にバスを停める、というのも大胆だが、オバァが降りた後に乗車した女子高生が二人いたことにも驚く」(単行本p.24)

という駄目押しで、思わず吹き出してしまいました。

 こんな感じで沖縄の習慣や文化、風土が楽しげに語られてゆきます。もちろん大阪人が大阪の変なところを嬉しげに吹聴するのと同じで、郷土愛がひしひしと感じられ心地よく読めます。

 沖縄に帰ったときには儀式(祖先と神と精霊への挨拶)にたっぷり三日かかるとか。本土在住の沖縄出身者を沖縄料理店につれて行ってはならない、とか。昨今は沖縄における地域共同体のシャーマンである“ユタ”にキワモノというか自己実現系(スピリチュアル系)が増えたとか。

 「十七次元宇宙の神と交信している」というユタと会って、地球温暖化を防止するためのCDを聴く、といった“取材”を律儀にやるのがおかしい。

「十七次元世界は破綻しているなあというのが正直な感想です」(単行本p.79)

 というわけで気に入った箇所を引用しているとキリがないのでここらで止めておきますが、とにかく最初から最後まで沖縄ネタで楽しめ、沖縄の精神風土について知ることも出来るし、何よりそのユーモアで笑わせてくれる一冊です。『テンペスト』(傑作です)の背景や取材、執筆についても触れられているので、同書のファンにもお勧め。

 なお、前作『やどかりとペットボトル』の最後に追加された「その後の愛人ラーメン」は、「このリベンジは次回のエッセイ集で必ず!」という一文で終わっていますが、今作では巻末特別書き下ろし「さよなら愛人ラーメン」を追加することでその約束を果たしています。こういう妙な律儀さが好き。これからも池上永一さんのエッセイ集の巻末には必ず「愛人ラーメン」最新情報あり、というのを恒例にしてほしいものです。


タグ:池上永一

『サはサイエンスのサ』(鹿野司) [読書(サイエンス)]

 SFマガジンに連載された(むしろアスキーの「ログイン」で読んだという印象が強い)鹿野司さんのサイエンスエッセイが単行本にまとまりました。とり・みきの素敵なカバーが目印。出版は2010年1月です。

 クローニングやiPS細胞などのバイオテクノロジー、科学と宗教の関係、私たちの文明や認知、集積回路、地球温暖化、などなど話題は多岐にわたっており、興味があるトピックのみ拾い読むだけでも楽しめます。個人的には「小惑星探査衛星はやぶさ」(というか、はやぶさチームの奮闘努力)に関する解説が特に興味深く読めました。

 ずいぶん前に書かれた原稿もありますが、全て大幅な加筆修正を加えて最新の内容にアップデートしてありますのでご安心。それに、各エッセイの主眼は「最新の科学的発見やテクノロジーについて解説する」というところにはなく、むしろその発見なり開発なりによって引き起こされる「発想や世界認識の大きな転換」というところ、つまりSF魂というやつですね、たぶん。ですから、話題の新しさはさほど重要ではありません。

「科学的なものの見方の面白さは、何事も簡単に分かり切っていると思ってしまう人間に、実はそうじゃなかったのだと気がつかせてくれるところにあるんだよね」(単行本p.117)

「自然とは、人間にとって傲慢さを戒め、新鮮な驚きを体験させてくれる、最高の知的エンターテインメントなんだよね。だから人は、自らの楽しみのために、生態系を守らなければならない」(単行本p.265)

といったあたりに本書の主題がよく表れています。すなわち、私たちの思い込みを裏切って驚かせてくれるからこそ自然は素晴らしく、それを教えてくれるからこそ科学は楽しい。

 個々の内容や主張については個人的に賛同しかねるものもありますが、全体を貫く上記の発想には、私も大いに共感を覚えます。好感が持てる一冊です。

 余談になりますが、オカルトやらスピリチュアルやらが往々にしてひどく退屈なのは、つまり私たちの思い込みや願望をそのまま言葉を変えて(大抵は言葉も変えないで)繰り返しているに過ぎないからで、“事実”によるびっくりするようなちゃぶ台返しが常に繰り返されているサイエンスの方がずっとエキサイティングで面白いんだ、ということは是非とも多くの人に知ってほしいものだと思います。