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『SFマガジン2011年2月号 日本作家特集』 [読書(SF)]

 SFマガジンの2011年2月号は「日本作家特集」ということで、新作五篇を掲載してくれました。ただ、五篇のほとんどが長篇作品のスピンオフや抜粋版。独立した短篇作品は、大西科学さんの『ふるさとは時遠く』だけです。

 その『ふるさとは時遠く』(大西科学)ですが、都会で忙しい生活を送っている人が、郷里の田舎に帰省したときに感じるあの生々しい感覚、ここは時間がゆっくり流れている、という印象、それがそのまんま物理的事実だったら、という設定で書かれた奇妙な物語。

 何しろ冒頭、編集部のアオリが「数十年ぶりに帰った故郷の村には、昔と変わらぬ家族の姿があった・・・・・・」というもので、隣のページから始まる本文には「六年ぶりの、故郷」とあります。一般小説誌であれば編集部のミスだと思うところですが、何しろここはSFマガジン。一発で設定が分かる仕掛けになっています。親切ですね。

 場所によって時間の流れるスピードが異なる世界、というのはSFではよくあるのですが、本作では「重力による時間遅延効果が極端に拡張され、標高が高い場所ほど時間が速く進む」という、ちょっと珍しい設定が用いられています。当然ながら、企業はどんどん高地に進出してゆき、山の上が都会となる。海辺の村は時代から取り残されてゆくわけです。

 若者は「上」を目指して故郷を離れ、加速した時間の中で忙しく生活し、故郷の家族より何倍も早く年老いてゆく。

 都会と田舎の時間感覚のズレを文学的に表現した暗喩だと見なして読んでいると、高度による時間経差が引き起こす光の屈折で、空が縮小して天頂付近に浮かぶ青い円盤のように見える、夜は星空が天頂付近に凝縮されてあたかも小さな銀河のごとく、みたいなハードSFっぽい描写が出てきたりして。

 全体としては、ひさしぶりの帰郷で体験する故郷や家族との微妙なすれ違いや葛藤を描いた地味な小説として読めるのに、田舎のごくありふれた風景としてバリバリのハードSF的景観がなにげなく登場する、このヘンな感覚は何だかとてもイイ。大西科学さんの他の作品は読んだことがないのですが、チェックしてみようかなと思いました。


[掲載作品]

『Heavenscape』(伊藤計劃)
『天冥の標 断章五 サインポストB』(小川一水)
『ふるさとは時遠く』(大西科学)
『スワロウテイル人工少女販売処 蝶と果実とアフターノエルのポインセチア』(籘真千歳)
『ダイナミックフィギュア 抜粋掲載』(三島浩司)


タグ:SFマガジン
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『華竜の宮』(上田早夕里) [読書(SF)]

 ホットプルーム活性化による海底隆起で陸地の大半が水没した未来。話題作『魚舟・獣舟』と同じ背景世界を舞台とした海洋SF巨編です。単行本(早川書房)出版は2010年10月。

 小松左京さんが当時最新のプレートテクトニクス理論を駆使して日本を沈没させてから37年。今度は上田早夕里さんが最新のプルームテクトニクス理論を使って地球規模の大絶滅を引き起こしてみせます。堂々たる本格SFです。

 正月に読もうと思ってとっておいた作品ですが、少しだけ読んでみたらこれがもうめったやたらと面白く、ついつい夢中になって最後まで読んでしまいました。文句無し。素晴らしい傑作です。

 舞台となるのは、海面上昇により陸地がほとんど失われた25世紀の地球。遺伝子改変により巨大海棲生物「魚舟」と共生して海に生きる海上民と、わずかに残された陸地や海上都市に住む陸上民、この両者の政治的対立を背景として、迫り来る大絶滅を前に起こる混乱と争いを描いた作品です。

 海上民のグループを率いるリーダー、海上民と陸上民の紛争を解決するために奮闘する外交官、そのアシスタントである人工知性体、上級官僚たち、海賊を取り締まる警察官、そして科学者。様々な立場の登場人物たちが、それぞれの事情を背負って、悩み苦しみながら懸命に仕事をしてゆく姿がじっくりと書かれます。

 いずれの立場にも絵空事に感じさせないだけの存在感があり、このディテールだけでも充分に満足できます。しかし、後半になって地球規模の大絶滅が避けられないということが判明してから物語は急展開してゆき、避け得ない終末に立ち向かう人々のドラマが劇的な盛り上がりを見せる様は圧巻の一言。

 短篇『魚舟・獣舟』でもそうでしたが、人工知性体、獣舟変異体、海中適応型人間などのアイデアを通じて、「人間とは何か」、「人間性とは何か」、というテーマにSFの手法でもって大胆に切り込んでゆく豪腕が素晴らしい。

 感傷的な雰囲気と、まるでヒトの心を解剖して研究しているエイリアンのような冷やかな視線が入り交じる独特の作風も好みです。例えばラスト、大絶滅の先に人類が残したかすかな希望(一つは宇宙に、もう一つは深海に)も、感傷的に読むことも出来るし、同時に痛烈な皮肉も感じとれます。見事な着地だと思います。

 というわけで、今年読んだSFのベストは本作で決まり。いやまあ、読了直後の興奮状態なので少し割り引いて考えるにしても、それでもベストスリーに入ることは間違いないでしょう。今年最後にこれだけの傑作に出会えて本当に良かった。というかもっと早く読めばよかった。


タグ:上田早夕里
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『SpF8 -ちょっと、さみしいよね-』(Spファイル8号)二刷出来 [その他]

 通販開始が大幅に遅れたため、ウィキリークスのせいではないか、編集長がNASAの発表を差し替えさせる工作に忙しいのだろう、Perfume東京ドームDVD発売が原因に違いない、などと様々な噂や憶測を呼んだ、Spファイル8号こと「SpF8」。

 このたび、ようやく二刷が完成し、本日入手しました。通販の開始は来年春の予定だそうです。ちなみに、冬コミには参加しません。

 詳しくは、以下のページで確認して下さい。内容紹介や外見確認もこのページでどうぞ。

    Spファイル友の会
    http://sp-file.oops.jp/

 というわけで、「超常現象って、ちょっとさみしいよね」をテーマに、随筆、研究レポート、創作など様々な文章がぎっしり詰まった素敵な同人誌。Spファイル史上、最大のボリュームを誇る8号、堂々の完成です。

 大型書店で平積みになっていても違和感がない、というか下手するとサブカル誌どころかメインストリーム文芸誌と勘違いされそうな美麗仕上がり。と学会の原田実さんが都市伝説に挑み、新田五郎さんは超常マンガをレビュー。ASIOSの本城達也さんは矢追さんの「宇宙塾」に参加。さらには、連載コミック『フラモンさん』全話一挙掲載という快挙も。

 ちょっとさみしい人々が、ちょっとさみしい読者に送る、ちょっとさみしい超常現象同人誌。SpF8をどうぞよろしくお願いいたします。


タグ:同人誌
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『海を越える日本文学』(張競) [読書(教養)]

 海外、特に中国において、日本文学はどのように読まれているのか。その翻訳事情と読者の反応について紹介してくれる一冊。新書(筑摩書房)出版は2010年12月です。

「中高校生や大学生たちは紅衛兵の名義で図書館に押しかけ、青少年に害のある図書を押収するという名目で、中国や欧米の名著を私物化しました。(中略)文化大革命の世代は文学書をまったく読んでいない、という先入観がありましたが、じつは本を読むのに困りませんでした」(新書p.9)

「しかし、日本の文学作品はまったく読みませんでした。国交断絶の影響で、翻訳作品が極端に少なく、戦後の日本文学についてはほとんど紹介されていなかったからです」(新書p.10)

 かくして文革のさなか、シェイクスピア、トルストイ、ヘミングウェイといった反革命的「有害図書」を必死で読んでいた青少年が、長じてのち明治大学教授となって、中国における日本文学の翻訳と受容のあらましを語ってくれます。

 全体は三つの章に分かれています。まず最初の「第一章 何が読ませるのだろう -村上春樹、海外で人気のわけ」では、村上春樹の作品が東アジアにおいてなぜこれほどまでに人気があるのかを分析し、日本文学の受容のされ方を見てゆきます。

 『ノルウェイの森』は東アジアで絶大な人気をほこる一方、アメリカでは『羊をめぐる冒険』のほうが好まれている、など興味深い事実を指摘しながら、ある作品が他国で受け入れられるかどうかは、作品の文学的価値とはあまり関係がなく、読者の側の事情や翻訳書が出た国の出版事情によって決まる、つまり多分に偶然に左右されるのだ、ということが示されます。

 韓国、香港、台湾、中国。大衆消費社会へ突入した社会に住む若者の心に、『ノルウェイの森』がどのようにアピールしたのか。村上春樹現象の背景が様々な角度から語られます。

 村上春樹の作品は外国語に翻訳しやすい、翻訳しても原文のニュアンスがほとんど失われない、ということを(中国語が分からない読者に)示すために、幸田文の英訳版と村上春樹の英訳版を比較する、というのも面白い。英訳だと幸田文の文章のあやがきれいさっぱり消えるのに対して、村上春樹はほとんど変わらない。

 作中に日本特有の音楽や料理の名前が登場しない、という点も含めて考えると、村上春樹はおそらく最初から外国語に翻訳されることを想定して書いている、という推測が成り立ちそうです。

 「第二章 テクストたちの運命 -異文化という荒波のなかで」では、日本の作家が各国でどのように受け入れられているか、をながめてゆきます。

「東アジアのなかでも違いが見られます。韓国でヒットするが、中国ではほとんど知られていない作品があります。ただ、同じ言語圏ではおおむね反応が一致しています。たとえば、香港や台湾で人気の高い作家は中国大陸の読者も好きです」(新書p.63)

 中国における海外翻訳小説の人気、というトピックは非常に面白く、例えばカフカの作品はあまり評価が高くないそうです。それは、カフカの作品に書かれているような状況はごく普通のありふれた光景であって「むしろ陳腐に感じる」(新書p.75)ためだとか。

 欧米で人気の高い安部公房や遠藤周作の作品も、中国ではさほど人気がない。それは物語形式や、キリスト教に対する反応の違いによる。日本の「国民作家」、司馬遼太郎もさっぱり。

 その一方で山岡壮八『徳川家康』が中国でベストセラーになったのは、ビジネス本として読まれたという側面と、日本の戦国ゲームにハマっている若者たちが買い求めた、という側面があるとのことで、歴史小説(ただし近代以前を舞台とするもの)がこれから中国でブレイクするかも知れません。

 「第三章 たかが翻訳、されど翻訳 -ことばの壁は乗り越えられるか」では、翻訳によって日本語のニュアンスがどのように失われるか、という問題について詳しく見てゆきます。

 そして「第四章 まちがいだらけの文学交流 -誤解と反目の文学外史」では、日本に対する欧米の偏見(異国趣味や見下し)、戦後の韓国における日本文学受容の歴史、近代中国での翻訳事情、そして日本と中国の文学者たちがどのように喧嘩してきたか、といった生々しい話題に踏み込んでゆきます。

 文学者たちが互いの国の文学を「幼稚でとるに足らない」とけなし合う様はまことにみっともないものですが、そのいさかいの背後にあった本当の原因は何なのかを探るところが興味深いのです。

 反目について「文学観の違いや政治的、経済的な背景などに原因があるとする説があります。一理あるのかもしれませんが、もっと重要な理由は「欧米文学の影」でしょう」(新書p.143)、「日本の近代作家たちは欧米文学的な見方を内面化したのでしょう」(新書p.143)、「その意味では、たとえ日中間に戦争が起きなくても、反目は早晩起きたに違いありません」(新書p.144)といった指摘には、思わず、はっとする説得力があります。

 欧米文学の影、「欧米文学的な見方の内面化」という問題が、さらに「あとがき」において、「日本文学が「欧米で読まれている」ことと、「東アジアで読まれている」こととはまったく違う意味を持っている」(新書p.154)という指摘へとつながってゆくところはエキサイティングです。

 というわけで、「韓国、台湾、中国で『1Q84』がベストセラー」、「中国では、よしもとばなな、山崎豊子が人気作家」、「東野圭吾もヒット」といったニュースの背景にあるものを知ることが出来る一冊です。構成がやや甘く、同じ話題が章にまたがって繰り返されたり、トピックが散発的でまとまりが弱かったりする点もあるのですが、内容の面白さで最後まで興味深く読めました。


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『原色の想像力 創元SF短編賞アンソロジー』(編集:大森望、日下三蔵、山田正紀) [読書(SF)]

 第一回創元SF短篇賞最終候補作から厳選した9篇、および受賞作家の書き下ろし受賞後第一作を収録した、全くの新人ばかりによるSF短篇アンソロジー。文庫版(東京創元社)出版は2010年12月です。

 とにかくSFアンソロジーの出版ラッシュだった2010年。編集者も大変でしょうが、読者もついてゆくのに四苦八苦した一年でした。ようやくそれも終わった、と油断していたら、最後の最後に前代未聞のSFアンソロジーがやってきました。新人賞の応募作から選ばれた作品を収録した「オール新人作家デビューアンソロジー」です。

 巻末の「第一回創元SF短篇賞 最終選考座談会」がエキサイティング。何しろ選考委員の三名、いい歳した大人が大喧嘩、じゃなくて日本SF界の未来を背負って大激論。「小説としての完成度は高いけどSFとしてどうよ」vs「SFのアイデアは凄いけど小説としてどうよ」、「これはSFじゃないでしょう」vs「そこがSFじゃないですか」、「SFなら許されるのか」vs「SFじゃなければ駄目なのか」。『量子回廊』にも掲載されていた座談会ですが、作品を読んでから目を通すとさらに盛り上がります。

 さて。冒頭の『うどん キツネつきの』(高山羽根子)は、何といってもタイトルが印象的で忘れられません。実はこれは拾った仔犬を「うどん」と名付けて飼う三姉妹の物語なんですね。その犬の様子がどうもおかしい、ひょっとして狐憑きではないか。ということは、これが本当の、キツネうどん。とまあ、そういう話。

 団地のバルコニーから滑空脱走しては階段を上って玄関前まで自分で戻ってくるニワトリとか、ムーンウォークの練習をしていて犬を踏んづけてしまう母とか、部屋の中で行方不明になった蟹の捜索法とか、途中の挿話がやたらと可笑しくて、楽しく読めます。好き。

 『猫のチュトラリー』(端江田仗)は、介護ロボットが「猫」を人間だと認識して保護しようとする騒動をコメディタッチで描いた作品。なぜロボットがそんな「誤認識」をしたのか、というところにキラリと光るアイデアが使われています。人工知能の「フレーム問題」をうまく取り込んであり、感心させられます。これも読んで楽しい作品。

 『時計じかけの天使』(永山驢馬)もロボットテーマですが、こちらは「いじめ問題」に対処するために開発された「いじめられ専用ロボット」が教室にやってくる物語。要は『いじめてくん』(吉田戦車)のシリアス版ですが、女の子の姿にするところが嫌。途中で読者の心中に「この娘、本当にロボットなのか?」という疑問が生じてくるのがミソですが、かなり嫌な気分になりました。

 『人魚の海』(笛地静恵)は、こ、これは凄い。まばゆい光に包まれ身長50メートル近くに巨大化する全裸美少女たちの話なんですが、流麗な文章で神話的な物語を構築しており、多大なるインパクトがあります。

 山のような乳房が揺れ動く様から、たちこめる汗の匂いまで、力強い筆致でひたすら全裸巨大美少女を活写する前半は素晴らしいのに、後半は何だかなげやりになって、というか枚数制限に気付いたらしく、大急ぎで「あらすじ」を説明して終わってしまいます。何が書きたかったのか読者にひしひしと伝わるという点では文句無しですが、小説としては難がありすぎ。でも、収録作のなかでは実は最も好きな作品です。この「巨大女フェチ」って私には全然共感できないんですけど。

 『かな式 まちかど』(おおむらしんいち)は、「ひらがな」が住んでいる街を舞台に、それぞれの文字の悩みを書いた作品。例えば、「て」は、「線と線が離れている文字が怖くてたまらない。「ふ」にいたっては想像するだけで恐ろしく冷や汗がでてきて止まらなくなり字分の形が「で」に変わってしまう」(p.214)、という具合。同様に「の」は字分に欠けているものを探して歩き回り、「め」のナナメ線を奪おうとしたり、「あ」の十字架をひきはがそうとする。

 単純に面白いんですが、『虚構船団』など筒井康隆さんの作品を連想させるのと、つい先日、ギリシア小文字を無理やりエッチな光景に見立てるという『ギリシア小文字の誕生』(浅暮三文)を読んだばかりなので、鮮度が不足しているように感じられたのが残念。

 『ママはユビキタス』(亘星恵風))はバリバリの本格宇宙SF。事故にあった宇宙船のただ一人の生き残りである少女がこれまでの経緯を語るという構図に、次から次へと様々なアイデアが詰め込まれた作品です。ただ、個々のアイデアは割と小粒な印象で、それらを一つ一つ積み上げた先にとんでもないぶっとび奇想でも飛び出してくれればそれだけで大喜び大満足なんですが、そういう中核アイデアがないため、読み進めるにつれて小説としての魅力不足が気になってしまいます。

 『土の塵』(山下敬)は、オーソドックスなタイムトラベルもの。よく書けているとは思いますが、あまりにも定番的な展開なので個人的にはがっかりしました。アイソレーション・タンク(感覚遮断実験)により引き起こされる超能力的タイムトラベルというのは、何だかすごく懐かしいネタのような気がします。

 『盤上の夜』(宮内悠介)は、囲碁の盤面を身体感覚としてとらえる四肢切除された天才棋士の物語。盤面を自らの身体とし、石の配置が織りなす抽象空間をひたすら登ってゆく話で、ストーリーテリングの上手さでぐいぐい引き込まれます。ただ、先の展開をわくわく期待しながら読んでいるうちにそのまま終わってしまった、という物足りなさが残るのが残念。もう一歩踏み込んで、はったりでもいいから、何だか凄いシーンを読んでしまった、という気にさせてほしかった。

 『さえずりの宇宙』(坂永雄一)は、すいません、何が何やら分かりませんでした。大森さんが「すべての可能性を重ね合わせた量子的宇宙が、その情報自体を収納するために、ひとつの巨大なバベルの図書館になって、それが互いに可能性をせばめあう」(p.479)、「要するに、バベルの図書館がシンギュラリティを突破して、人間の理解を超えた量子存在になって、似たような相手と闘っていると」(p.492)と二度も解説してくれているのですが、それでも分かりません。やっぱり今どきツィッターやってないと駄目なんでしょうか。

 『ぼくの手のなかでしずかに』(松崎有理)は、『量子回廊 年刊日本SF傑作選』に収録されている受賞作品『あがり』の作者による書き下ろし作品。舞台となる街や研究施設は『あがり』と同じで、今度は数学の研究者が主人公となります。最初はリーマン予想をテーマとした数学SFかと思わせておいて、地味でリアルな恋愛小説になって、ダイエット小説へと展開して、そしてラストは『あがり』と同じく、いくら何でも無理があるだろうというSF的アイデア(例によって「利己的遺伝子」の俗流誤解釈ベース)が提示されて終わるという作品。

 研究室や研究者の描写はやはり素晴らしく、今作では登場人物たちの行動もごく自然で無理がなく、展開も良い。それなのに中核アイデアが説得力に欠けていて興ざめなんですが、これは意図的な作風なんでしょうか。この困惑感こそが作者の持ち味なんでしょうか。

 というわけで、全体的にはかなりレベルの高い作品がそろっていて感心しました。とりあえず数年後に「ああ、この作家はSF新人賞に応募した頃から、ただ者じゃないと思っていたね、オレは」などと言ってみたい方は読んでおきましょう。あと、仲間うちで「SFってそういうもんじゃないでしょう」、「SFってそもそもそういうもんでしょう」と激論してみたい方は、SF研の課題図書に指定して皆で読むとよいかと思います。


[収録作]

『うどん キツネつきの』(高山羽根子)
『猫のチュトラリー』(端江田仗)
『時計じかけの天使』(永山驢馬)
『人魚の海』(笛地静恵)
『かな式 まちかど』(おおむらしんいち)
『ママはユビキタス』(亘星恵風))
『土の塵』(山下敬)
『盤上の夜』(宮内悠介)
『さえずりの宇宙』(坂永雄一)
『ぼくの手のなかでしずかに』(松崎有理)


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