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『PLAYPARK2012  日本短編舞台フェス』(伊藤千枝、森山開次、小野寺修二) [舞台(コンテンポラリーダンス)]

 昨夜(2012年04月28日)は、夫婦で渋谷CBGKシブゲキ!!に行って『PLAYPARK2012』を鑑賞してきました。日本最大級の短篇舞台フェスで、演劇、ダンス、音楽、パフォーマンス、アート、古典芸能、お笑いなど、様々なジャンルに属する舞台作品(15~30分程度)を10日間に渡って総勢61組が上演するという一大イベントです。

 昨夜は、演劇、ダンス、極右演説パフォーマンスなど5組がラインナップされていましたが、私たちのお目当ては、『珍しいキノコ舞踊団』と森山開次さんです。

 『珍しいキノコ舞踊団』の演目は、最新公演『ホントの時間』(2012年02月27日の日記参照)からの抜粋版。ダンスシーンのいいとこだけ取り出して、30分間ノンストップで踊り続けてくれました。

 とにかく観ているだけで脳内に何かがどばどば出てくるあの楽しいダンスを再び目にすることが出来て感無量。何度観ても心が舞いあがります。

 『共犯』は、小野寺修二さんの演出により、森山開次さんと森川弘和さんが踊るという贅沢な作品。

 薄暗い舞台に白い机と椅子が二脚。二人が断片的なシーンを演じたり、いきなりダンスに突入したり、かと思うと素知らぬ風で中断されたシーンを再開したり、でも役柄が入れ替わってたり、さらには次から次へと役柄を交替したり。小野寺修二さんの演出はいつもながら冴えています。

 で、森山開次さんですが、これがもうカッコ良すぎ。細くすらりと伸びた足、絵画か彫刻のような体格、狭い空間を縦横無尽に美しく舞ってみせるキレの良い動き、そして「どこの熱血ヒーローアニメの主人公だよ」と云いたくなるようなシビレる肉声。ダンス以前に、そもそもご本人の存在が芸術的。

 対する森川弘和さんも力強い熱演でしっかり場をコントロールしており、二人の息のあった動きの連鎖が、緊張感に満ちた空間を作り出します。素晴らしいパフォーマンスでした。

[演目](2012年04月28日 夜の部)

『リアル感電!!/2012版(また会いたいし、笑いたい)』(ホナガヨウコ企画×d.v.d)
『海神別荘』(花組芝居)
『キノコース』(珍しいキノコ舞踊団)
『玉砕演説』(鳥肌実)
『共犯』(演出:小野寺修二、出演:森山開次、森川弘和)


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『SFマガジン2012年6月号  Jコレクション創刊10周年記念特集』 [読書(SF)]

 SFマガジン2012年6月号はJコレクション創刊10周年記念特集ということで、仁木稔さんの短篇と西島大介さんのコミックを掲載してくれました。

 『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』(仁木稔)は、現実とは異なる歴史を辿った架空の米国を舞台に、ヘイトクライム(憎悪犯罪)を引き起こす社会病理に迫ったシリアスな作品。

 この「米国」においては、遺伝子工学により作り出された亜人間が下層労働者として働いています。彼らは「妖精」と呼ばれ、多くの人はその存在を受け入れているのですが、一部の白人は「妖精」を忌み嫌い、その嫌悪感が宗教や“人種”差別と結びついて、彼らに対する過激な暴力に走る連中も出てきます。

 「妖精」を「移民」に差し替えても違和感なさそう。

 排他主義、不寛容、反知性主義、宗教的原理主義、異文化恐怖、そして陰謀論。外国や異教徒や異民族が米国を妬み、神に選ばれた正しい人間(白人)を堕落させ国を乗っ取る陰謀を進めている、今すぐ具体的な行動により奴らに強烈なメッセージを叩きつけてやらなければならない・・・。

 ヘイトクライムを支える心理と社会的構造が、いささか戯画的な形で表現されます。まあ現実の米国そのものに「いささか戯画的」なものが感じられるので、そういう意味ではため息が出るほどリアル。

 とにかく登場人物もその考えも言動も、何もかもが不愉快な話です。先に進むにつれて残虐シーンも増えてゆき、読者もいささかうんざりしてきたところで、あっと驚く真相が明らかにされるという仕掛け。まあ、実は典型的な陰謀論なんですけど、使い方が巧妙です。

 『All those moments will be lost in time』(西島大介)は、東京から広島に引っ越した感慨を描いたコミック作品。高台の住宅地、津波からも放射能からも遠いこの地、でも「ずっと昔ここには原爆が落ちた。爆心地から4Km」。

 夜の散歩に出かけた著者は、放置された老人ホームや、土台は作られたのに家がない土地、誰もいない夜の公園、など静かな廃墟のような場所を歩きながら「僕は3.11後の世界で被爆者としてどう生きるべきか学ぼうとしていた。過去から」。

 といった感じで、3.11後の「気分」を描こうとする作品です。しかし、Jコレクション創刊10周年記念特集号で、米国の「ポスト911」と日本の「ポスト311」を扱った作品が並ぶというのは、いかにも時代を感じさせますね。

[掲載作品]

『ミーチャ・ベリャーエフの子狐たち』(仁木稔)
『All those moments will be lost in time』(西島大介)


タグ:SFマガジン
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『この女』(森絵都) [読書(小説・詩)]

 妻の人生を小説にしてほしい。大阪・釜ヶ崎地区(あいりん地区)のドヤ街で日雇い労働をしていた青年に、そんな奇妙な依頼が舞い込む。謎めいた人妻に翻弄される青年は、やがて大きな政治構想に巻き込まれてゆく・・・。震災前夜の釜ヶ崎を舞台とした冒険と恋愛。単行本(筑摩書房)出版は、2011年05月です。

 『ラン』から三年、著者の新境地を切り拓いた長篇です。ストレートに展開した前作とは打って変わって、謎めいた雰囲気のなか、錯綜した物語が少しずつほどけるように加速してゆく仕掛けの妙にまず感心させられます。

 ドヤ街と寄せ場が集積し、日雇い労働者と路上生活者が吹きだまる大阪の釜ヶ崎(あいりん地区)。そこで働いていた語り手は、あるホテルチェーンの経営者から奇妙な依頼を受ける。自分の妻をヒロインとする小説を書いてほしい、報酬はたっぷりはずむ、というのだ。

 さっそく取材を開始した語り手だが、ヒロインとなる人妻はとらえどころがない女で、何を尋ねても嘘とはぐらかしばかり。自分の過去を決して明かそうとしない彼女に翻弄されるうち、いつしか二人は抜き差しならない関係に。

 冒頭100ページ、謎めいた展開で読者を引き込んでゆきます。

 まず、語り手である若い青年。明らかに教養も知能も高く、健康で、文学的素養もあるのに、なぜ日雇い労働などしているのか。どうして、ここから出て行くことが出来ないのか。

 次に、雇い主。なぜ妻をヒロインとする小説を書く、などという依頼に気前よく大金を払うというのか。明らかに何かを隠している様子からも、裏にヤバイ話が転がっていることは明らか。それを薄々承知しながらも、小説執筆にのめり込んでゆく語り手。

 そして、ヒロイン。語られる過去は嘘ばかりで、どうにもとらえどころのない女。いったい彼女は何を考えているのか。最初は奇矯に思える彼女、しかしその特異な存在感には不思議な魅力があり、語り手とともに、読者も彼女のことをもっと知りたくなってきます。

 「この女は壊れているけれど空っぽではない。乱れているけれど汚れてはいない」(単行本p.189)

 「同じ男とはうち、一度しか寝えへん」(単行本p.187)

 何といっても一番の魅力は、タイトルからも分かる通り、このヒロインの人物造形でしょう。なぜか気にかかって仕方ない女。その過去に何があったのか。彼女の謎が解き明かされ、それに伴って雇い主の目論見が明らかになり、最後に語り手の秘密が明かされる。

 冒頭で仕掛けられた謎が、次々とほどける、その勢いで先へ先へとひっぱってゆく構成となっており、これが見事に成功しています。

 他に行き場のない最低辺の人々が「使い捨ての紙コップみたいに路上に転がっとる」(単行本p.108)無法地帯、釜ヶ崎。その「浄化」計画を進める府行政。日雇い労働者の暴動や行き倒れ、未成年者がレイプされそうになる場面、絶望の果てにオウム真理教の終末思想に帰依する者、障害者に対する社会の冷酷さなど、出来れば目を背けておきたいシーンが頻出しますが、それらが並々ならぬ迫力で作品のリアリティを支えています。

 明るく健全な物語ではなく、めでたく大団円を迎えるような小説でもありませんが、ヒロインの一種独特なたくましさのおかげで、読後感は決して悪くありません。読み終えてから、ふと気になって、最初の3ページを読み返してみたところ、ある登場人物の後日談がそこにさりげなく書かれていて、そこでまたじわりと感動が。

 というわけで、森絵都といえば児童文学、ヤングアダルト小説、というイメージを打ち破った、地味ながらきらりと光る大人向け恋愛小説です。これまで著者の作品は数冊読みましたが、そのなかでは本作が最もお気に入り。


タグ:森絵都
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『空耳の科学  だまされる耳、聞き分ける脳』(柏野牧夫) [読書(サイエンス)]

 耳に入ってくる音の物理的な特性と、意識にのぼる聞こえ方、つまり知覚とは乖離している。ある意味、私たちが聞いている音の世界は、すべて空耳だと言えるかも知れない・・・。研究者が聴覚の不思議について講義した内容を収録したサイエンス本。単行本(ヤマハミュージックメディア)出版は、2012年02月です。

 本書でいう空耳とは、「“バケツリレー、水持ってこい!”ってメタリカが歌ってるよー」といったあのタモリ倶楽部なものだけでなく、音の物理特性と知覚される音の間に乖離が生ずるような現象すべてを指します。

 なぜ空耳は生ずるのか、そのメカニズムはどうなっているのか、そしてそれは私たちにとってどんなメリットがあるのか。聴覚研究者である著者が、震災直後の春休みに横浜サイエンスフロンティア高校の生徒に二日に渡って講義した内容をまとめたものが本書です。

 普段、私たちが意識しない聴覚の不思議さを示す興味深い実験が次々と登場します。

 話し言葉に繰り返し短時間ノイズを乗せてもちゃんと聞き取れる。つまり私たちの脳はノイズを自動的に除去して隙間を補完して聞く能力を持っている。ところが、そのノイズの部分を無音にするだけで、補完に失敗して、言葉が聞き取れなくなる。

 聴覚と視覚の情報が矛盾する場合、私たちの脳はかなり高度な判断を自動的に行い、どちらかを優先させて矛盾のない認識を作り上げる。例えば図形の点滅は1回だけなのに、同時に音が2回鳴ると、2回点滅したように見える。

 短時間のノイズで音が消えていても、私たちの脳はそこを補って、なめらかな連続音であるかのように「編集」して聞いている。矛盾が生じそうになると、辻褄を合わせるために、何とすでに聞こえた内容を過去に遡って「修正」した上で知覚している。

 「このように、みなさん、なんとなく辻褄が合っているように感じて過ごしていると思いますが、実は、かなりの世界が脳内でつくり出されているということがわかったかと思います。脳の中では、200~300ミリ秒くらいの時間というのは、かなり複雑に行きつ戻りつしているってことなんですね」(単行本p.174)

 「知覚しているものは物理的な音とはちがうということです。周波数が高いからといって、必ずしも高く聞こえるわけではないし、音が鳴っている方向も変化するし、時間も辻褄を合わせて聞いている。しかしそれは、よりよく世界を理解するための人間の癖のようなものだと思うのです」(単行本p.185-186)

 他にも、モバイルイヤー実験(耳介模型の中にマイクを仕込んで、マジックテープで身体のあちこちに装着して、左右の耳を逆にして聞いてみたり、下半身に耳があるとどう聞こえるか試したり)、音楽に感動しているときの脳の活動を調べた研究、ボーカロイド(初音ミクなど)の歌が不自然に聞こえないようにしている技術、など面白い話題がてんこ盛り。

 やや専門的な内容も含まれていますが、高校生向けの講義なので、ごく初歩的な数学(対数や三角関数)だけを使って説明してくれます。それにしても、この聴講生たち、反応が実に鋭く、また質問も深い。講義の勘どころを的確に理解していることがよく分かり、読んでいるこちらも清々しい気分になります。

 「みなさん、本当にすばらしい生徒さんでした。私はよく大学などでも講義するのですが、レベル的にはむしろみなさんのほうが上だな、という気がしました」(単行本p.308)

 というわけで、聴覚に関する不思議な現象に興味がある方、私たちが知覚している世界がどれほど脳によって「編集」されたものかを知りたい方、利発で好奇心の強い理系高校生の授業風景に接してみたい方など、色々な方にお勧めできるポピュラーサイエンス本です。


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『おいで、一緒に行こう  福島原発20キロ圏内のペットレスキュー』(森絵都) [読書(随筆)]

 福島原発周辺に取り残された沢山のペットたち。飼い主を失い死を待つばかりの犬猫のために、警察の取り締まりをかいくぐって避難対象地域に侵入し、救出活動を続ける人々。何が彼らを駆り立てているのか。ペットレスキューに同行した作者が原発20キロ圏内で見たものとは。単行本(文藝春秋)出版は、2012年04月です。

 「この取材が正しいのか正しくないのか、私にはいまだもってよくわからない。見たくて、知りたくて、書きたくて、伝えたかった。そこに正義の意識はなかった。同時に良心の呵責もなかった」

 日に日に状況が悪化してゆくなかで、一匹でも多くの命を救うべく原発20キロ圏内に侵入する。避難所生活を送る飼い主からの依頼を受け、取り残されたペットを保護するペットレスキュー活動に同行取材した渾身のルポです。報道風ではなく、あくまで著者自身が体験したことを一人称で語るという形式。

 「飼い猫は、絶対、手放しちゃダメだ。何があっても・・・・・・手放したら、もう二度と会えない」(単行本p.48)

 「それまではテレビを観ながら泣いてばかりいたんです。このままだったら病気になる、よほど自分で行ったほうがマシだ、と」(単行本p.73)

 「皮しか残ってない犬や猫がたくさんいて、勘弁してよ、と思って。(中略)見たくもないような量の見たくもないものを見ちゃって、泣くことでしか精神のバランスを保てなくて」(単行本p.64)

 「自分がやってることが正解だとは思ってないし、もう何回もやめたくなりましたよ。なんのためにこんなことやってるんだろう、って。泣いて、吐いて、泣いて、吐いて」(単行本p.64)

 福島におけるペットレスキュー活動に取り組む人々の姿が生々しく書かれています。現場の様子、里親探し、キャットシェルター建設、飼い主との再会、そして別離。様々なシーンを丹念に積み重ね、今そこで起きていることを伝えようとする気迫に満ちて。

 著者自身による写真も多数収録されており、現場の様子を窺い知ることが出来ます。過度にむごたらしいものはありません。文章にも凄惨なことは書いてないので、そういうのが苦手な方もたぶん大丈夫。

 ただ、個人的には、道端に転がっている仔猫の遺体(写真)とか、座り込んで地面を舐め続ける猫とか、痩せすぎて首輪がたすきになった猫とか、読んでいていちいち苦しかった。

 封鎖ブロック除去、警察パトロールの回避、職務質問されたときの嘘など、公表すると今後の活動に支障をきたしかねないヤバイことも正直に書かれています。しかも関係者の実名入り。きれいごとにはしない、あまのままを伝える。著者と関係者の覚悟のほどが伝わってきます。

 「まだ圏内にいる仲間が警察に捕まって、車に乗せていた猫二匹、保護した場所へ戻してこいって言われたらしいんです。しかも、リリースしたことを証明するために、空になった捕獲器をもう一度、見せにこいって・・・・・・」(単行本p.167)

 「レスキュー自体はどうってことないんです。あちこち動きまわって、それで疲れるとかは全然ない。けど、今、警察に会ったらどんな嘘つこうとか、なんて言って切りぬけようかとか、もう一日中ずっと嘘ばっかり考えてて、それがすごく疲れる。もうほんとにね、嘘だらけですわ、私たち」(単行本p.168)

 心ならずもペットを見捨てざるを得なかった飼い主の苦しみ。比喩でなく血を流して犬猫を保護する人々。救出された犬猫を一時保護するために奔走する人々。捕獲できない動物たちに餌をやるためひたすら現場に通い続ける人々。読み進めるにつれてその迫力に圧倒されます。

 「時として荒っぽいこともする彼女たちを、私は諸手を挙げて賛美するつもりはない。彼女たちの健康や生活を考えると無責任な応援もためらわれる。けれど(中略)彼女たちの向こうみずな行動力に、そのありあまる母性と他者への想像力に、闇の中に一筋のびる命綱のような心強さを感じずにはいれらないのも事実だ」(単行本p.84)

 「よかったことをどれだけ数えあげても、根底にある悲しみが深すぎて、どうしても気持ちが陰へ落ちていく。よくない。こんなことがあっていいわけないんだ」(単行本p.144)

 あそこで見捨てられた犬猫のことが気になっている方は是非お読み下さい。また、あの原発事故そのものではなく、それによって明らかになったこの国の問題が何であるのか考えたい方にも、一読をお勧めします。国や社会の本当の姿を知りたければ、最も「弱みのある者」への扱いを見るのが一番だと、つくづくそう思います。


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