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『片付けない作家と西の天狗』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

 「他の子がいる事が救いになった。それに書くことは出来る。文章は出るし文字は読めるのだ。つまり文章というものは自分の生死をも越えるもので自分で書いているのではないところがあるからだ。文が社会と絶望した人間とを繋ぐ魂の緒だからだ。」(Kindle版No.2467)

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第92回。

 母の看病、純文学論争、猫騒動、そして金毘羅。沢野千本は空を飛び、八百木千本は鼻血を出す。伊勢、八王子、雑司ヶ谷、佐倉を舞台に、東進作家の四十代を俯瞰する短篇集(あとがき含む十篇収録)を、Kindle Paperwhiteで読みました。単行本(河出書房新社)出版は2004年6月、Kindle版配信は2014年7月です。


 「十三歳の時に黒い翼を見ました。(中略)それは記憶の中では、というか見た当初から人間の体についていたものと思えてならなかったのです。真っ白な大きな男の背中から生えているような。」
 (『金毘羅』より。文庫版p.175)


 「それからの私は金毘羅の影に脅かされました。ただ金毘羅というものに人知を越えた力だけが宿り、私をコントロールしに来るのだ、と感じたのです。(中略)江戸期の金毘羅の殆どが天狗であったという知識を得た後、この恐怖はまず少しだけ治まりました。」
 (『金毘羅』より。文庫版p.304)


 「頭はふらふらだし、痒いな、と思って口の周りを押えると血がつきました。鼻血でした。(中略)振り返った時に金光が見えた。(中略)そこまでが人間の記憶でした。」
 (『金毘羅』より。文庫版p.307)


『胸の上の前世』

 「彼の事を全部知っていると思った。小さい小さい、美しい美しい男だった。夢の中でだけ彼についての知識が全部蘇った。生まれる前から知っていたかのような酷い知り方であった。私の胸はどうしようもなく痛くなっていた。当然ではあった。なぜなら、小さくて美しいとは禍々しい事なのだから。」(Kindle版No.89)

 目が覚めたとき、胸の上に小さい男が乗っていることに気づく作家。小さく、美しく、呼吸のリズムに合わせて虫になったり美男になったりする男。日本神話に登場する神を思わせるその男を見た作家は、男の姿となり、「やっと会えた」「ずっと一緒にいてくれ」と思う。神との交感を生々しく描いた、後の『萌神分魂譜』を連想させる美しい短篇。


『S倉極楽図書館』

 「公園内神明神社の横でがらんどうになっている小さい祠の、床に開いた大穴が入口である。利用者はそこから「楽に」入る。私は、無論這って入る。 ひとたび館内に入れば図書はぎっしりでも本の棚は低く、天井まで低い。普通の図書館にない本にも驚かされる。動物好きだった森茉莉の本はそこにもある。」(Kindle版No.187)

 森茉莉の評伝小説『幽界森娘異聞』を執筆中の作家が、「人間の身でありながら」(Kindle版No.183)、様々な哺乳類の姿をとった利用者が集まる地下図書館に行く。ユーモラスで楽しい異類交流譚。


『素数長歌と空』

 「それで安心して今回はまあ改行しない詩っぽいものを書いているのだよ。え、でもこれのどこが一体詩ですか、詩ったらもう素数長歌でげすってさ。おー詩っぽい詩っぽい詩っぽいねえ、でも決して詩などであるものか。飛行機オチずしてわしここにオるよ。低温脱力して詩っぽい詩っぽい。(中略)知らない街に行って知らない人に会って、いい目を見てきても猫は無事だよ、でもギドウは治るのかな、うう、詩っぽい、詩っぽい。」(Kindle版No.495、501)

 『幽界森娘異聞』で泉鏡花文学賞を受賞した沢野千本。授賞式に出席するため生まれてはじめて飛行機に乗ることになり、不安のあまり大いに取り乱す。が、まあ、そこは乗り物好きの彼女のことなので、飛んでいるうちに調子が出てくるのであった。

 「飛行機の音の中で金庫の鍵の場所と、もし私が死んだら猫達を頼むという事を言っていたら、四匹が今にも路頭に迷うようで可哀相で、涙が出てきた。その後は乗るだけでまごまごした。(中略)乗ってから大分経って自分は飛行機好きだとやっと判った。」(Kindle版No.322、333)

 ちなみに「素数長歌」というのはおそらく造語で、五七、五七のパターンではなく、文字数がすべて素数(ただし最初は一文字)、かつ同じ文字数は二度と使わず単調増加させる、という超絶的な長歌形式とのこと、らしい。

 「一、三、五、七、十一、十三、十七、十九、二十三、----素数が定型になっているそれは長歌である。という事は素数に終わりがない以上終わりのない歌だ。」(Kindle版No.365)


『五十円食堂と黒い翼』

 「神も天狗も信じてなくても行動するのが私の変な癖であった。そうだよ鳥の翼借りてきてやるのも大切だけどさ、それじゃちょっと天狗のとこ行って相談して来るよ自分の事もね、と。」(Kindle版No.545)

 蛇化した飛べない鳥から、「自分はお前と同じ系統の「黒い翼のもの」だ。だから危険な事はさせないから、頼む頼む。」(Kindle版No.514)などと、まるで身内を装って連絡してくる例の詐欺みたいな依頼を受けた作家は、天狗から翼を借りるべく、高尾山に向かう。そして、麓にある「五十円食堂」で天丼(もちろん50円ではない)を食べているとき、そこでもまた黒い翼の人々を見るのだった。むろん自分の背中にも黒い翼は生えている。


『箱のような道』

 「昼中病院にいたはずなのに、その記憶はなく、ただ気が付くと家に近い夜市の坂道を歩いていた。夜市の八百屋に私は行こうとしているのだった。その八百屋で……新芋と新蓮根と新生姜を買って、全部天麩羅にして誰かに食べさせなくてはいけないのだった。だが、その誰かが誰か、また判らなかった。自分が誰なのかももうひとつ判らない程だ。」(Kindle版No.707)

 母親の看病のため郷里の伊勢に帰っている作家。親族からよい扱いを受けず、ストレスと身体不調で現実感覚を失ってゆき、やがて夜の幻想に踏み込んでゆく。夜市の八百屋、その陳列台の上には河童がいる。そして「河童がアオウリの中からどんどん這い出して来る。」(Kindle版No.823)。


『猫々妄者と怪』

 「鼻血を出さなくては書けないラストシーンのある小説を既に三百八十枚まで書いてしまっている。 その書き上げた三百八十枚までの間、小説の主人公は正常です。しかしそこから約八十枚のラストシーンにおいて、ヒロインは鼻血を噴いてトランスをかまさなくてはならないのだった。」(Kindle版No.904)

 代表作の一つとなる『金毘羅』の執筆に取り組んでいる八百木千本。ラストシーンを書くためには、金の御幣が飛ぶのを見て、鼻血を出さねばなりません。ところが、首尾よく御幣は飛んだものの、なかなか鼻血が出ない。早く鼻血が出ますようにと、八百木は神に祈るのでした。

 「極私的な幻想のリアリティを追求する行為を私はする。ただその時には自分が発狂しているという事を自覚して書かなければならないのだ。つまり正確にいうと発狂の一歩手前、まだ常識が残っている状態をキープするのである。その上で自分を客観化出来ない程発狂した主人公を、客観的文章の力でだけただ描写する。」(Kindle版No.1005)

 自らを発狂すれすれまで追い込み、発狂した主人公を客観的文章で描写する。あまりといえばあまりの荒技に挑む八百木千本、何しろ猫々妄者だから。

 「さて、なぜうちの猫達は可愛いのか。----まず彼らは生きている限りうんこをし続ける。そこが可愛い(どうです怪奇でしょう)。」(Kindle版No.1174)

 余談ですが、猫のやることを無理やり褒めるときなど、「どうです怪奇でしょう」とひとこと付け加えるのが我が家でも流行りました。猫飼いの皆様にお勧めです。


『越乃寒梅泥棒』

 「伊勢に帰ってきてから、その店の前を何回も通る。そうする度、店と私とが何光年離れているかさえ、もう見当も付かなくなってしまった事に気付くのである。(中略)越乃寒梅泥棒の通って行った世界、それを越乃寒梅泥棒の噂として聞いた世界はもう私の回りにはない。」(Kindle版No.1505、1518)

 高価な銘酒である越乃寒梅を店頭に飾っていた酒屋に泥棒が入り、それを奪って行った。その話を東京で聞いた作家は、今や母親の看病のため郷里の伊勢に帰っている。毎日、病院へ向かうとき酒屋を見てその話を思い出すが、今や自分は異世界に迷い込んで絶望しているような心持ちで、自分が知っている事件がそこで実際に起きたということに、どうしてもリアリティが感じられないのだった。


『雑司が谷の「通り悪魔」』

 「昔の人は乱心刃傷沙汰等の時は乱心妖怪みたいなものが通って人を選び、取りついて事件を起こさせたりすると考えたらしいの。その名が「通り悪魔」。----「私のとこに来たのはその変種なのよ。乱心しかけたわ」。」(Kindle版No.1689)

 友人と食事をしているとき、彼女が「結婚」妖怪の話を始める。人にとりついて乱心させ、「私、結婚するんだわ」と確信させてしまうという恐ろしい妖怪。「通り悪魔」の一種だと彼女は言うが……。

 笙野頼子さんの作品としては珍しく、オチのある怪談。『説教師カニバットと百人の危ない美女』に出てくるやつ(最低男と結婚させると脅しをかけてくる仲人妖怪)や『東京妖怪浮遊』に登場する「すらりんぴょん」(自分を既婚者だと思い込ませてしまう偽夫妖怪)を連想させる怪異が登場します。雑司ヶ谷に住む独身女性は大変そう。


『片付けない作家と西の天狗』

 「そもそも私は片付けられないのではなくて片付けないだけだった。だけ、という程の、片付けない理由を持っていたのである。(中略)さらっと流していれば無事に済むところでついつい言葉を使ったり感情を働かせたり出陣したりする。そうすると物事は厄介になり、事件が起こり、結局私生活は猫の世話のみになり、つまりは部屋も片付かなくなってしまうのだ。」(Kindle版No.1742、1784)

 純文学論争から派生した様々な面倒事のせいで、部屋がちっとも片付かない作家、八百木千本は、十数年ぶりに高尾山に登ったせいで、天狗にとりつかれてしまいます。『五十円食堂と黒い翼』や『金毘羅』に出てくるあの黒い翼の人々とは違う、白い翼の天狗。西の天狗。

 「何かあった時に少し現れて指導してくれる或いは励ましてくれる、黒い翼の人達はそういう感じだった。が西の天狗共は天狗と言っても存在意義自体が違う。人の体をのっとってやたら働かせるのだ。」(Kindle版No.2227)

 おかげで、片付けがはかどるはかどる。家中をどんどん片付けて掃除してしまう八百木。

 「片付けのうまく出来る秘訣というものがこの世にはあると思う。 第一の秘訣はまず純文学論争をしない事だ。(中略)秘密兵器にあたるものをひとつ書いておく。天狗に手伝って貰う事だ。権現社のある山からすーっとついてきてしまうような天狗に手伝って貰う。」(Kindle版No.2065、2068)

 というわけで、天狗にとりつかれ、色々なことに片を付けちゃう作品です。


『後書き モイラの事』

 「焼き場で待っている時に生まれて初めて、ひとりでいる事が苦痛だと思った。それまではどんな時でもひとりでいたかったからだ。(中略)後悔しようにも防ぎようもなかった。それ故に考える事がなくて悲しみだけが来る。」(Kindle版No.2440、2442)

 「本当は最近近くで取れるようになったモイラの美人写真を表紙にして、この本を出すつもりでいたのだった。何も知らずつかのまの幸福に奢り、自分は貧乏だが猫的には長者だとも思っていた。猫にだけはこんなにツキのある私を見てくれといわんばかりに、猫写真も沢山入れるつもりだった。」(Kindle版No.2471)

 愛猫モイラとの別れ、その悲嘆と苦しみをつづった文章。読者も深い悲しみに打たれます。


[収録作品]

『胸の上の前世』
『S倉極楽図書館』
『素数長歌と空』
『五十円食堂と黒い翼』
『箱のような道』
『猫々妄者と怪』
『越乃寒梅泥棒』
『雑司が谷の「通り悪魔」』
『片付けない作家と西の天狗』
『後書き モイラの事』


タグ:笙野頼子
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『SFマガジン2014年10月号 特集:いまこそ、PKD。』 [読書(SF)]

 SFマガジン2014年10月号はフィリップ・K・ディック特集ということで、短篇を新訳で掲載してくれました。また、新・航空宇宙軍史の第4話、武佐音研シリーズの第3話が、それぞれ掲載されました。

『地図にない町』(フィリップ・K・ディック)

 「忘れられた町が存在しはじめた----七年の時を経て。町といっしょに、未確定だった現実のひと切れも甦った。いったいどうして? 過去のなにかが変わったのか? 過去の時空連続体に変更が加えられたのか?」(SFマガジン2014年10月号p.23)

 存在しない駅に向かう乗客。その謎を探る男は、地図にないその町についにたどり着く。この展開なら心温まるファンタジーになったっておかしくないのに、町の存在が確定したため現実が波紋のように改変されてゆき、男の過去も仕事も恋人も、そして記憶も、すべてが消え去り置き換えられてゆく、という現実崩壊感。それがディック。1953年発表、1975年初訳の著名短篇の新訳版です。

『ジュピター・サーカス』(谷甲州)

 「存在自体が非合法な未登録船が、木星表面を減速領域とする軌道を接近中であるという。事実だとすれば、看過できない事態だった」(SFマガジン2014年10月号p.147)

 木星大気上層で謎の宇宙船を追跡していた篠崎中尉が見たものは、宇宙における軍事バランスを覆し得る新テクノロジーの存在を示していた。第1次外惑星動乱終結後を舞台とする新・航空宇宙軍史、その第4話。

『サイレンの呪文』(オキシタケヒコ)

 「人を、あのカマキリと同じ意志なき人形へと変えてしまう力。水辺へと誘い、溺れさせる、圧倒的な支配力。僕の奥底に淀む暗がりに居座り続ける怪物が、求めていたものはそれだった」(SFマガジン2014年10月号p.256)

 武佐音研の所長とチーフエンジニア、かつて高校生だった二人が手にいれた奇妙な音楽ファイル。それは聞く者の脳を操る恐ろしい力を持っていた。

 武佐音響研究所の三名が音にまつわる難題をばばんと解決する音響工学SFミステリのシリーズ第3話。今回は所長の佐敷裕一郎が語り手となり、過去の出来事を回想します。障害者ゆえの屈託した心理、サイレンの力に魅入られてゆく自分、そして現在チーフエンジニアとして働いている武藤富士伸との友情。ちなみに、紅一点である蕪島カリンもラストにちょこっと顔を出します。これからも頑張ってほしい。


タグ:SFマガジン
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『病原体はどう生きているか』(益田昭吾) [読書(サイエンス)]

 「いまから十年ほど前になるが、ジフテリア菌についての講義を終えた後で、ひとりの学生が、どうしてベータ・ファージが毒素遺伝子をもっていなければならないのか、と質問したことがある。それまで、私はそのようなことを考えたことはなかった」(Kindle版No.2098)

 「コレラという病気がコレラ菌によって引き起こされることは誰でも知っているが、コレラがコレラ菌にとってどういう意味があるのかを考えることは普通はしないだろう」(Kindle版No.845)

 「今でも病原体を、私たちに対して悪意を抱いている存在であるとする見方は、広く受け入れられるものであろう。(中略)彼らも私たちと同じ生物であるということがどれくらい実感できるかを考えてみたい」(Kindle版No.839)

 病原体を「私たちを病気にするために存在する悪意の存在」と見なすのではなく、生存するために様々に工夫している「私たちと同じ生物」と見なす観点から考えてみる。病原体の「理解」を通じて新たな治療方針を探る本を、Kindle Paperwhiteで読みました。新書版(筑摩書房)出版は1996年7月、Kindle版配信は2014年8月です。

 「抹殺療法的発想によって古典的伝染病が研究されてきたことは、病原体の与える害を被害者としての人間の側から見ることに熱心なあまり、病原体の真の意図を見逃してしまう結果にもなったのではないか(中略)。簡単に言えば、病原体が与える害というものは、それが一個の生物として存続するために必要な戦略であり、戦術の結果である場合がほとんどである」(Kindle版No.1792、1795)

 病原体は別に人間を病気にすること自体を目的として活動しているわけではない、あるいは「医学的な重要さと、ウイルス自身にとっての生物学的意義とが食い違っている場合も多い」(Kindle版No.508)ということ。そこに焦点を当てて、様々な疾病について解説してゆきます。

 「ペスト菌は、ネズミに寄生しているノミの身体の中でよく増殖するが、そのことによってノミは死なない。そうなると、ペスト菌にとっての本来の宿主はノミではないか(中略)ペスト菌の感染環の保持には、ヒトという宿主は必要とされていない。ペスト菌にとって、ヒトという動物種の生死は関心事ではないということになる」(Kindle版No.549、554)

 「日本脳炎ウイルスも、ヒトにおいては致死性が高いものであるが、本来の宿主であるブタに対しては、はるかに致死性が低い。ただ日本脳炎ウイルスの場合は、媒介する蚊の身体の中で大規模に増殖することが知られているが、このような蚊には特別の障害が見られない」(Kindle版No.528)

 「さらに蚊では、卵を介してウイルスが子供に伝えられるから、実はブタも蚊に血液を提供するための存在で、本来の宿主ではないという見方もできるかもしれない。とすれば、蚊のほうが本来の宿主ということになる」(Kindle版No.531)

 本来の宿主には害を与えず平和的に共生しつつ増殖する微生物。それが、たまたまヒトの身体に入り込むとエラーを起こして激烈な症状を引き起こす。現在、世界的な問題になっているエボラについても同じことが言えるでしょう。エボラは人類を「攻撃」しているわけではないのです。

 「コレラに特徴的な下痢はコレラ菌が作ったコレラ毒素によって起こされる。したがって下痢が起きることがコレラ菌にとって全く意味がないと考えるほうが、私には不自然に思われる。むしろ毒素によって起こされた下痢が、コレラ菌の生存や増殖に役立っていると考えてみたい」(Kindle版No.860)

 「患者あるいは患獣を殺した破傷風菌は、屍体から得られる栄養を使って爆発的に増殖できる。(中略)破傷風菌の場合、患者は、通常の感染症とは違って存続を託す環境ではなく、土壌という自分にとっての本来の環境の栄養条件を、良くするための栄養源である」(Kindle版No.1112、1114)

 「感染免疫という現象も、結核が、発病しなかった人々に免疫を与えるという結核菌にとって一見不利な結果をもたらすと見るべきではない。むしろ開放性結核の患者の生命を永らえさせるというほうが、結核菌にとっては意味のあることだと考えられるのではないだろうか」(Kindle版No.1305)

 なぜコレラにかかると下痢をするのか。なぜ破傷風菌はあれほど致命的な毒素を作り出すのに、結核菌は患者をすぐには殺さないのか。病原体の側に立ってその利益を考えることで、色々なことが、ふに落ちるということがよく分かります。

 ジフテリア菌の話題は本書のハイライトというべき話題。症状が引き起こされることで「誰が利益を得るのか」を考えることで、実行犯と黒幕の関係が明らかになってゆきます。

 「もともとジフテリア菌は毒素を作らなくても、すなわちジフテリアという病気を起こさなくても常在菌として存続できると考えられる。(中略)ほんとうの主役はジフテリア菌ではなくて、バクテリオファージである」(Kindle版No.934)

 「ベータ・ファージは、宿主菌の環境である咽頭粘膜から、摂取する栄養を増加させなければならない。それには粘膜を破壊して、無理やり生体の栄養を奪いとる以外にない。これがベータ・ファージが毒素遺伝子を使って、ジフテリア菌にジフテリア毒素を作ってもらう理由であると考えられる」(Kindle版No.1028)

 「ファージの本体がファージ粒子ではなくてプロファージではないかと考えたきっかけは、ジフテリア菌を宿主とするベータ・ファージというテンペレート・ファージが、自分の遺伝子のほかにジフテリア毒素の遺伝子をもっているという事実だった。(中略)プロファージがファージの根元的存在様式と認識されにくいのは、それが宿主菌の染色体の一部として存在する、ひとつながりのDNAに過ぎないからではないだろうか」(Kindle版No.2147、2152)

 宿主を殺すことには大きな不利益があるのに、なぜジフテリア菌はジフテリア毒素を作るのか。実はその真犯人は、毒素を作らせる遺伝子を持ち込んでジフテリア菌を「背後から操っている」ファージであった。

 しかもその真犯人と思われたファージ粒子さえ、いわば道具に過ぎず、本当の主犯、利益享受者は、ジフテリア菌の遺伝情報に書き加えられたプロファージなのだ……。まるでミステリ小説のような謎解きには興奮させられます。

 こういう具合に次々と「誰が主体となって」「どのような目的で」症状を引き起こすのか、という観点から病気を再考してゆきます。

 こうした思考には、それが非常に面白いという他に、潜在的に大きなメリットがあります。病原体を抹殺するのではなく、害をなさないように「共存」するという発想で行われる「理解療法」の前提になるからです。

 「常在菌による感染症は、概して抹殺療法的発想による治療が難しい」(Kindle版No.1814)

 「古典的伝染病と日和見感染症を含めて、宿主と病原体あるいは寄生体の関係として理解することが、的確な対策を立てるための前提となることであろう。そして抹殺療法の指導理念が「隔離あるいは根絶」とすれば、理解療法のそれは「共存」ということになるのではないか」(Kindle版No.1851)

 というわけで、人間を病気にしようと狙っている恐ろしい病魔という古いイメージを離れ、私たちの身体を生存の場として相互作用しながら進化してきた微生物という見方で病原体を見ることがどれほど面白く、また役に立つかということを教えてくれる興味深い本です。


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『樹皮ハンドブック』(林将之) [読書(教養)]

 「樹皮は一年中観察でき、最も観察しやすい部位でありながら、これまで樹皮の図鑑は見当たりませんでした。(中略)樹皮だけで多くの種類を言い当ててしまう“達人”がいるのも事実です。樹皮にも十分個性があるのです」(「はじめに」より)

 横筋、縦筋、網裂、斑剥。樹皮の形状を分類した上で、詳しい解説と写真を掲載した、樹皮を見て木の種類を判別するためのハンドブック。新書版(文一総合出版)出版は2006年10月です。

 アカマツ、クロマツ、スギ、ヒノキ、イチョウ、シラカバ、ブナ、クリ、カシワ、クヌギ、サクラ、ネムノキ。おなじみの樹木ですが、では葉や枝が落ちているとき、あるいは木材として切り出された状態で、これらの判別がつくかというと、これは難しそう。

 というわけで本書の出番です。樹皮を見て木の種類を判別するためのハンドブックです。

 「身近に見られる樹木や林業上重要な樹木を中心に、158種の樹皮を写真入りで紹介しています。樹皮という特性上、低木よりも高木を、常緑樹より落葉樹を優先的に取り上げました。(中略)1種につき原則3点の樹皮の写真を掲載し、葉の画像も掲載しました」(新書版p.6)

 一つ一つの樹木についての項目は、典型的な樹形、枝や葉のつき方、樹皮タイプ(横筋、平滑、縦筋、縦裂、網裂、斑剥)、名称と分類、樹皮写真3点、葉の画像、そして解説(樹皮の特徴、樹形の特徴、国内の分布、林業上の利用)という構成になっており、1ページに2項目が掲載されています。

 全ページフルカラー、80ページ弱の新書版で、どこでも持って歩けるよう、薄く軽く丈夫に作られています。

 樹木の写真というと、全体像が入るように、ある程度離れた距離から撮影されたものがほとんどですが、本書に掲載されているのは樹皮写真なので、接写というか、手が届く距離で幹を撮影したものばかり。その臨場感に驚かされます。

 また、樹皮に関する豆知識的な情報も収録されており、例えば「樹皮の変異」(樹齢、地衣類・藻類・菌類による変異、虫害や病害による変異など)に関する解説など興味深いものがあります。

 山歩きの際にポケットに入れておき、見かけた樹木と本署の解説を見比べて確認したくなる実用的な一冊です。


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『おどる12人のおひめさま グリム童話』(エロール・ル・カイン:絵、矢川澄子:翻訳) [読書(小説・詩)]

 「こんどは、金の森にさしかかりました。そのつぎは、ダイヤモンドの森でした。兵士はそのたびに、一枝ずつ折りとっては、ぼきっというおとをひびかせました。末のおひめさまは、そのたびに、いぶかしげな声をあげました」

 ある国の12人のお姫様は、朝になるとみんな靴がぼろぼろになっている。どうやら彼女たちは夜中に寝室を抜け出してどこかで踊っているらしいが、王様がいくら問い詰めても誰も答えない。グリム童話を元にした滑稽で美しく幻想的な絵本。単行本(ほるぷ出版)出版は1980年2月です。

 12人のお姫様は、毎晩どこを出歩いているのか。その謎を解いた者に好きな姫と結婚させ国を継がせるよう、と言い出した王様。多くの国の王子がやって来てはわれこそはと挑戦するものの、誰もがお姫様たちに出し抜かれてばかり。

 ところがあるとき、たまたま透明マントを手に入れた貧しい兵士が、それを使ってこっそり彼女たちの後を付けてゆきます。真夜中に寝室を抜け出したお姫様たちは、いったいどこに行くのでしょうか。

 グリム童話のなかでも単純なお話ですが、エロール・ル・カインの絵が素晴らしい。欧州の古い宗教画を連想させる筆致で、幻想的な光景が繰り広げられます。

 滑稽なトーンを残しつつ、不気味な雰囲気を出すところが個人的にツボです。例えば、お姫様たちが地下へ向かう階段を降りて行くシーンは不安感をそそりますし、行きは豪華絢爛だった金や銀の森が、帰りは不気味な影絵になっていたり。紫色を多用した真夜中の仮面舞踏会のシーンもちょっと怖い。

 そして、何と言っても記憶に残るのは、「しあわせにくらしました」というお決まりのフレーズで完結した、その次のページに登場する最後の絵でしょう。思わず笑ってしまう内容になっています。

 外国のお姫様のひらひらドレスが好き、という子はきっと喜ぶ名作絵本です。


タグ:絵本
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