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『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』を更新しました [読書(小説・詩)]

『金毘羅』と『笙野頼子三冠小説集』を追加しました。

『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき):最終更新2015年2月28日』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-09-23


『金毘羅』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 生まれてまもなく忘れてしまった名前。でも思い出せた。思い出した時には四十を越えていた。だけれども金毘羅は私の中にあった。だから、----。
 金毘羅と呼んだ時それは蘇った。骨の中から、過去の胚から、海底から。
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Kindle版No.349

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 金毘羅になって何か良かった事があるのでしょうか。
 あると思います。私はなぜ自分がここにいるのか判るようになった。なぜ自分が生きにくいのか判るようになった。それで十分です。
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Kindle版No.4149

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第101回。


 我は神、我は幸い、その名は金毘羅、我執をも叶える、鰐と翼の神。

 自らの人生を通じて、権力によって見えなくされた土俗的民間信仰の歴史が、神話が、まつろわぬ個人の祈りが、蘇ってゆく。「私」視点を失わぬまま世界を語る驚異の金毘羅一代記。単行本(集英社)出版は2004年10月、文庫版(河出書房新社)出版は2010年9月、Kindle版配信は2015年2月です。


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 森羅万象は金毘羅になるのだ。金毘羅に食われるのだ。
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Kindle版No.3012


 なぜ自分はこんなに生きにくいのか。そう問い続けてきた作家が、あるとき、ついにその理由を思い出します。自分は人ではなく「金毘羅」だったのだ。生まれた時から、ずっと。


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 いきなり出てきた上にさっきからそのまま平然と説明なしでずっと言ってるけど、そうです、私は金毘羅です。(中略)

 金毘羅というこの名を覚えてください。信じてください。そのうちに金毘羅の正体が知れてきます。なんと言ったってこれは金毘羅の関係者による金毘羅一代記なのですから。
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Kindle版No.234、249


 金毘羅。それはいったいどんな神でしょう。例えば、日本神話のどこら辺に位置づけられていますか。


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国家は一番偉い強い神を権力者の神にしておきたがる。というか権力者の神が偉い神なのだ。それ以外の神は消されてしまう。或いは妖怪化したり性神になってたり、神様らしくない外見にされたり見えなくされる。そして政府は一番偉い神に国家鎮護とか税金取り立てとかそういう事しか頼めないようにする。だけど庶民にだって、ね、神が必要です。(中略)

 そして個人の祈りに引き寄せられて、時には滅んだ人々の思いに引き寄せられて、古い神は戻って来る、オカルト性のない新興宗教の中にさえも、現世利益とルサンチマンとマイノリティの側の倫理を背負って。----金毘羅、それはそのようなカウンター習合の代表、トップ、である。
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Kindle版No.1254、1267

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 んなわけで金毘羅はディテールだけ見てたってわけの判らないものだ。というより構造だけの存在、反逆的なものだ。その反逆性が人の信仰を自在にさせる。そここそが金毘羅の実体である。
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Kindle版No.446

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 さあこれが纏めです。金毘羅は発達した土地によってまるで違います。だけど結局、ふうーん、どうせっ、全部がっ、へっへーんだ、----金毘羅です。
 けーっ。何か御質問はございますかっ。
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Kindle版No.3135


 ご理解いただけたところで、さあ、金毘羅一代記のはじまりです。


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 一九五六年三月十六日深夜ひとりの赤ん坊が生まれてすぐ死にました。その死体に私は宿りました。自分でも判らない衝動からです。というか神の御心のままに、そうしたのです。
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Kindle版No.18


 生まれてすぐ死んだ女の子。その身体を乗っ取った幼い金毘羅は、人間のふりをして、というより自分の正体に気づかぬまま、人間の女性として、生きにくい人生を歩んでゆきます。


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 金毘羅の本分、高慢も孤立も人間の体で徹底する事はまず不可能です。それ故に激しく死にたくなる、同時にまた孤立の砦である体は金毘羅の大切な城になってしまう。人間に宿る時、その矛盾の上に金毘羅は生きなくてはならないのだ。
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Kindle版No.3117

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 私の金毘羅としての生はドラマチックなものです。が、つまりそれは平凡に生きている人間の中で、頑張って金毘羅をやっているという事が、艱難辛苦だという意味に過ぎないのでした。(中略)

 結局、金毘羅が人間の中に入ってしまった所を外から見ると、単なるぼんやりしたいいかげんな奴に見える事が多いのです。そして実際にそうでした。(中略)

金毘羅の発達とは人間の愚行を、自らの中でひたすら解析し、人間としては追い詰められて行く行為であったのだ。
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Kindle版No.581、735、977


 空気を読むどころか、何事も正しい言葉やロジックを通してしか理解しようとしない金毘羅。もちろんそんな人間は、特にこの国では、徹底的に排斥されます。もっと楽な人生を送ってほしいと願う母親の「教育」も、無駄でした。だって、金毘羅だもの。


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私は何もかも他人事のように涼しい顔をし、人を罵倒しながら、それを他人にユーモアと感じさせ、なおかつ自分がいつも一番正しいいい立場にいる事、を母から、期待されていました。それこそが「男」になる方法だったから。(中略)

 右と左の区別が出来ない人間が「医者以外の女の職業は全部ホステスだわ」などと言う母と家庭にいる。ホステスの実態を別に母は知りません。昔はそう言って人を小馬鹿にする事になっていたのです。それはただ家では「女」という意味に使っていたのでした。
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Kindle版No.980、989


 金毘羅はその本性である高慢と孤立をいかんなく発揮し、長じて作家となります。しかし、結局は自分の居場所を守るためにひたすら戦うしかない宿命を背負い、信仰を求めて苦悩することに。


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 見えなくされた真の女を世の光にあてて下さい。見えなくされ黙殺され抑圧された言論がどうか見えるように。小さくされたもの、軽くみられた怒りがここにあるという事を明らかにして、私がひたすらに戦ってきた事を文学の世界にしらしめてください。こういう祈り方を私はするようになった。(中略)

 国家的神話の系統からはずれたところに、神の、心の祈りのコアな部分が存在している、それは少し「不遇な」人間の体感の中にあったりする、そう思いました。国家から規定された神社ではなく、規格外れになってこそ自分達のものになる神々です。
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Kindle版No.2769、2906


 金毘羅視点で語ることで、また一つの文章のなかにさえ様々な文体や口調を混在させる超絶的な多声法を駆使することで、

「私」の人生を、「私」の祈りを、語るうちに、それが土俗的な民間信仰の歴史へとつながってゆき、「私」から離れないまま大きな宗教史を生きて、自らの来歴がそのまま神話となる、

そういった離れ業が軽々と実現されている様には驚嘆の他はありません。

 「私」視点を失わないまま歴史や世界を語ることが出来る金毘羅。本書以降に書かれた長篇の多くが、そうした「金毘羅」の設定を受け継いでいます。そういう意味で近作の「原点」となる代表作なので、ぜひ多くの方に読んで頂きたいと思います。


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 金毘羅は戦わねば、或いは耐えねば権力に消されてしまうような存在である。つまり、この国が黙殺する、「異形」の魂である。世界見渡しの「物語」を語る存在である。そんなとんでもない主人公がどうして現実の私、この作者自身と行き交い私小説や自伝のフレームに納まったのか、……ともかく一旦背負ってしまえば死ぬまでその場所に立ち続けるしかない。語り終えるまでそこにいよ、と「彼女」は言う。消えてはいけないと、生き残れと、死んでも蘇れと。さらに言う、死後も作品を消されるなと、亡霊になっても誹謗中傷と作者の抹殺には化けてでよと。子々孫々祟れと。
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Kindle版No.4329


タグ:笙野頼子

『笙野頼子三冠小説集』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

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 さて、私がいない事になってしまったら喜ぶであろう人々が固めた嫌な世界の陸から、電子というばくちの海に、この本を投げ入れる。浮いていてくれるのか、さらなまら、さらなまら、さらなまら、さらなまら、百年未来もこの固まった国の痛む言葉を、少しでも楽にしたい、最後まで書きたい。
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Kindle版No.3380

 シリーズ“笙野頼子を読む!”第100回。

 タイトルの通り、新人作家の登竜門とされる主要な文学新人賞を受賞した三作品を収録した一冊。文庫版(河出書房新社)出版は2007年1月、Kindle版配信は2015年2月です。


 収録作品は次の通り。

『なにもしてない』(野間文芸新人賞受賞)
『二百回忌』(三島由紀夫賞受賞)
『タイムスリップ・コンビナート』(芥川賞受賞)


 このうち、『なにもしてない』と『タイムスリップ・コンビナート』については、電子書籍版を紹介していますので、そちらを参照して下さい。

『なにもしてない』
2013年11月01日の日記:
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-11-01

『タイムスリップ・コンビナート』
2013年04月02日の日記:
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-04-02


 ここでは、『二百回忌』を紹介します。


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 私の父方の家では二百回忌の時、死んだ身内もゆかりの人々も皆蘇ってきて、法事に出る。それがどうも他の家と違うところらしいが、よその家でも皆そうなのだと、子供の頃はずっと思い込んでいた。法事の間だけ時間が二百年分混じり合ってしまい、死者と生者の境がなくなるのだ。
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Kindle版No.903

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とりあえず死者が蘇るのを見られる上、法事の間中ありとあらゆる支離滅裂な事も起こるのだという。しきたりを重視する他の法事と異り、無礼講が身上の珍しい行事なのだ。掟破りの解放感を意識的に求めるので、本家の人々も命懸けで、出目な事をしなくてはならないらしい。といっても人殺しや放火をするわけではなく、全てをめでたくし、普段と違う状態にしなくてはならないのだった。
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Kindle版No.932

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当主は普段は最も重要な役割を演ずるのだが、二百回忌だけは出来るだけ無意味などうでもいい位置で、なるたけ馬鹿げた態度を取っていなくてはならないのだった。六百年程前の二百回忌の時の当主などは、庭で蛙の鳴き声ばかりやっていてそのまま冬眠してしまったとまで言い伝えられ、今でも褒め讃えられていた。
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Kindle版No.1148


 郷里でとりおこなわれる二百回忌の法事。そこでは時間をはじめとして日常的秩序が根底から崩され、死者も平然とヨミガエリして混じってくるという。そんな奇妙な祝祭空間に迷い込んでしまう沢野千本、37歳。


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私の家はどうも、こういう法事のためにだけ存続して来たようなものであるらしくて、家だとか存続だとか古臭い言葉でしか、説明出来ないようなものばかりがまさに続いていた。
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Kindle版No.917


 田舎の古いしきたりや家制度といったものを嫌悪して故郷を飛び出してきた沢野千本。親も、土地も、すべてを捨てたはずなのに、やっぱり逃れることは出来ません。


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 私にはもう親というイマジネーションがなくなっていた。今の私を土地だの血縁だのに結び付けているのは、結局二百回忌と死者の記憶だけだ。(中略)

変な名前の土地へ、好奇心と義務感に引きずられて、会いたくもない人々に会いに出掛けるのだ。いや、そういえば死者の中にならば会いたい人がひとりいたが、それも、母方の祖母なのである。
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Kindle版No.958、965

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行こうと思えば定期を解約してでもお供えを包まなくてはならないのだが、日が迫ると行こうと思う、は行くべき義務、に変換されてしまい、本当に定期を解約してしまった。恐ろしい事に、家に縛られる自分というマイナスのイメージがどこからも湧いて来なかったのだ。ただ死者を懐かしみ会いに行くのだと、事は個人の心の問題に摩り替わっていた。
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Kindle版No.927


 土地の呪縛おそるべし。こうして彼女は電車を乗り継いで、歪んでゆく時間のなか、郷里に向かうことになるのでした。

 価値観を破壊あるいは逆転させ(例えば「フェミニスト」が珍重されたりする)、無茶苦茶で支離滅裂な愚行も何だか「粋」とか「乙」みたいな雰囲気で称賛され、出席者も「爆笑しながらトンガラシ汁で涙を流し続けている内に、異常に気分が高揚して来る」(Kindle版No.1167)、そんな二百回忌のハレ模様がつぶさに語られ、読者も気分高揚。

 しかし、結局、亡くなった祖母との再会は期待外れに終わり、嫌な男からはからまれ、共同体の因習的抑圧的な底流に鬱憤たまった沢野千本、ついに怒り爆発。通常なら許されるはずのない女の乱暴狼藉も、二百回忌ゆえにかるーく流され、ややこれは珍しいフェミニストさんやフェミニストさんや、やれめでたや、ほれめでたや。

 というわけで、収録作のうち最も賑やかで、カラフルな作品です。沢野千本のシンボルカラーは赤、ということに決まってしまったのは、服装から唐辛子まで、本作に頻出する「赤」のイメージがあまりにも強烈だったためでしょう。


タグ:笙野頼子

『基準値のからくり 安全はこうして数字になった』(村上道夫、永井孝志、小野恭子、岸本充生) [読書(サイエンス)]

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 基準値が定められたプロセスには、じつに意外なもの、興味深いものが多く、その根拠を知ると、驚かされることがしばしばである。
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Kindle版No.16

 食品の安全性、大気汚染の程度、放射能の危険度。私たちの身の回りにあふれている基準値。それはどのような議論や根拠を元に決められたのか。驚きと意外性に満ちた基準値策定プロセスを、一般向けに詳しく具体的に紹介してくれる一冊。新書版(講談社)出版は2014年6月、Kindle版配信は2014年8月です。


 「基準値」はどうやって決められるのか。個人的に、そういうことを真剣に考えたことがなくて、まあ専門家と関係者が集まって議論して「落とし所」を探った結果なんだろうな、くらいに思っていたわけですが。実際にはそんな単純なものではないことがよく分かる本です。


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 たとえば日本では、20歳未満の飲酒は未成年者飲酒禁止法で禁じられているが、なぜ「20歳」という数字に決まったか、みなさんはご存じだろうか。
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Kindle版No.17


 最初に取り上げられる「基準値」からして、実に意外な根拠で決められているのです。なぜ20歳から成人として扱われるのかというと……。


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 その根拠は、1876年(明治9年)の太政官布告にまでさかのぼる。当時、欧米諸国が21~25歳程度を成年年齢と定めていたのに対し、それらの国の文明・制度に学んでいた日本は、より若い年齢を成年とした。その理由が面白い。欧米人と比べ、日本人が「精神的に成熟している」ことと、「平均寿命が短い」ことから、20歳が成年年齢として採用されたのである。
 飲酒禁止が20歳未満となったのは、この数字が脈々と使われているからであった。
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Kindle版No.27


 というわけで、よく知られている基準値にも、実は根拠がよく判らなかったり、意外な根拠があったり、策定の背後に知られざる苦労があったりする、ということを具体的に教えてくれます。全体は三部構成となっています。


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 第1部(1~5章)は、身近な基準値の代表選手ともいえる飲食物に関する基準値である。ふだん、なにげなく口にしている飲食物のリスクが意外と高い(しかもそれを避けようがない!)ことを知って、ショックを受ける人もいるかもしれない。
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Kindle版No.75

 消費期限と賞味期限の違いから始まって、様々な食品安全性基準、有機水銀や残留農薬の基準、水道水の水質基準、放射能汚染の「暫定基準値」とは何だったのか、メタボ基準の混乱、などが解説されます。

 「がんの原因の3分の1は、普通の食品に天然に含まれている物質であり、それらは野放しになっている」という事実を知れば、人工添加物が基準値をわずかに越えた/越えないと一喜一憂することの意味について考えさせられることに。

 また、基準値は必ずしも科学的・客観的に決められるものではなく、文化や生活習慣とのかねあいを考慮して決められるということがよく分かります。


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 第2部(6~8章)は、環境にまつわる基準値である。大気汚染、原発事故における避難と除染、生態系保全においては、基準値を厳しくすればよいとも限らないし、現実的に厳しくできないというジレンマもある。そのもどかしさや、それでも基準値を設定しなければならない当事者の苦悩を感じとっていただきたい。なかには「達成率0%」という驚くべき基準値もある。
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Kindle版No.77

 大気汚染基準(特にPM2.5規制)、原発事故に関わる「避難の基準値」と「除染の目標値」に数十倍もの乖離がある理由、生態系保全の基準値とは何か、など。基準を策定することの本質的な難しさが分かります。

 政府も地方自治体もみな見て見ぬふりをしているため達成率0パーセントという「大気汚染に係る環境基準」が存在する、ライターの安全基準として「幼児を対象とした着火試験」を義務づけその詳細手順をマニュアル化している米国の事例、などびっくりするような話も多数。


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 第3部(9~10章)は、事故に関する基準値だが、まずは携帯電話を電車の優先席付近で使用してはいけないというルールのもとになった基準値から紹介する。さらに危険物の保安距離に関する基準値、どうしてもリスクをゼロにできない状況で設定された交通安全に関する基準値のあと、高速バスの走行距離について、過半数のドライバーが自信がないと答える基準値(!)が登場する。筆者たちがそうであったように、その算定プロセスを知った読者の多くは驚愕するのではないだろうか。
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Kindle版No.81

 危険物との距離から交通安全まで、事故と社会的利便のバランスが難しい基準が扱われます。確実に失われる人命をどこまで(金に換算して)社会的メリットと釣り合わせるか、という厳しい判断と決断と納得が求められる基準値の大人世界。


 通読して思い知らされるのは、基準値は必ずしも科学的・客観的なものではないこと。基準値そのものより、その基準が「何を意味しているのか」を理解することが重要だということ。さらに基準値は「誰か専門家が決めてくれるもの」ではなく、人々の価値観を反映させた上で社会に受け入れられなければならないものであり、その策定には私たち一人一人が責任を持っている、ということ。


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 安全管理においては、専門的な知見と、市民の感情の両方を組み合わせることが重要である。「受け入れられないリスク」についての議論が不十分なまま、専門的知見に支えられた基準値以下だから安全だ、と説明するだけでは市民の感情・直観を満足させることはできない。
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Kindle版No.169

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 安全やリスクをどのように管理すべきか、という問いは、つきつめれば、どのような環境や暮らしを求めているのか、という価値観の問題になる。さまざまな価値観をどのように、どこまで安全管理に反映させるのか。私たちはどのような世界をめざしているのか。そのような問いを私たちに突きつけたのが、第一原発の事故だったのではないだろうか。基準値設定において前提となる「受け入れられないリスク」には、本来そこまでの考えが求められるはずだ。
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Kindle版No.181


 というわけで、放射能、大気汚染、発ガン性物質、さらにはメタボ検診に至るまで、あの基準値はどうやって決められたのか知りたい方、特定の基準値が日本と海外で大きく違うのが気になる方、どうして外国では「生卵かけご飯」を食べないのか不思議に思っている方、食べ物を床に落としたとき3秒以内に拾えばセーフというのは国際基準なのか知りたい方、などにお勧めします。


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みなさんにはぜひ、自分が基準値を決める立場にいたらどのように決めるだろうか、と考えながら読んでいただきたい。そして、教科書に出てくるような科学のみを学んだ人や、とくに理学を専攻した専門家の方々には、理系的知識のみならず文系的素養も必要とする新しいタイプの科学があることを知っていただきたい。
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Kindle版No.92


『ロボット革命 なぜグーグルとアマゾンが投資するのか』(本田幸夫) [読書(サイエンス)]

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日本にもオンリーワンのとんがった技術がたくさんありますが、ロボットに限らず、それをどう使いこなすかが日本の課題なのです。技術で勝って商品化で負けるという「失われた20年」の日本の呪縛のひとつです。(中略)
「技術は日本企業のほうが勝っている。あんなものは使い物にならない」と高をくくっていると、欧米でイノベーションが起こり、ライフスタイルが変革された時には日本メーカーは太刀打ちができなくなります。その結果、欧米のメーカーの下請けとならざるをえず、利益を生まない事業構造になってしまうのです。
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新書版p.41、44

 優れた技術があるのに、どうしてライフスタイルを変えるようなイノベーションに繋げることが出来ないのか。日本のロボット産業の課題を指摘し、進むべき道を提言する一冊。新書版(祥伝社)出版は2014年12月です。


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日本では放射能で汚染された場所で活躍する多数のロボットが開発されていましたが、使い物になりませんでした。(中略)
 というのも、原発事故は起きないという安全神話が強く、実際に使える状態に整備されていなかったのです。
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新書版p.84


 まさに原発事故のために開発されたロボットが、いざというとき何の役にも立たなかった。日本におけるロボット産業の現状を象徴するような話です。

 この例に限らず、技術的に先行していながら実用化が遅れ、海外製品に先行されて利益を得られないままに終わる日本製品が多いのは、いったいなぜでしょうか。


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なぜ日本で発明された技術であるにもかかわらず、日本国内で最初に実用化がスタートできなかったのか。それは、完璧な技術である場合を除いて「事故が起きた時にどうするのか」というネガティブな意見に対抗できなかったからです。その結果、せっかく開発した独自技術、先端技術が海外に流出してしまって、オンリーワンのデファクトになれなかったのです。
「ロボット技術は使ってなんぼ」という発想が国民に共有されない限り、日本でロボットが普及することはないでしょう。
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新書版p.55

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 日本の場合、ロボットの政府調達がほとんどないので、ベンチャー企業が商品用のロボットを開発しても容易に売れません。開発したロボットを5年程度は政府や地方自治体などが購入するしくみを作らないかぎり、運転資金が続かず事業化は挫折する可能性が高いと思います。
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新書版p.54

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 一言で言えば、これまでのロボット開発が研究のための開発、論文を書くための開発に終始し、商品化を考えた開発、消費者のニーズを考えた開発ではなかったということに集約されるかもしれません。
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新書版p.119


 まず責任問題から考えるネガティブ思考の社会、政府による公的支援の不足、そして利用者不在のまま「研究のための開発」に邁進する専門家。なるほど、それではイノベーションどころか事業化も出来ないわけです。

 日本のロボット技術は凄い、世界最先端、さすが鉄腕アトムを生んだ国、などと自画自賛している間にも、グーグルは自動運転するロボットカーの実証を進め、またアマゾンはドローンによる荷物配達をテストしています。彼らは別に凄いロボットの開発を目指しているわけではなく、私たちのライフスタイルに革命を起こそうとしているのです。


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 グーグルやアマゾンは社会のなかでロボットを活用しはじめていますが、実証試験を行なうことで、現実の社会でロボットがどのように動作したのかなどのさまざまなデータや、ひやりとする事象がどのような条件で発生し、どう対応したのかというリスク管理のノウハウが蓄積されます。そのノウハウから、商品価値につながるバリューが生まれるのです。
 日本の場合、モノづくりに集中して資源が投入され、データ処理やデータベースで成功した事業はほとんどありません。
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新書版p.201

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 いずれにしても、アメリカでは「とりあえず使ってみよう」という実証試験の段階に入り、一般の人たちがロボットカーを利用する際にどのように自動運転するか、AIの判断基準を決めようという議論が行われています。
 まさにイノベーションの具体的な事例と言えますが、これまでカラオケとウォークマン以外に、ライフスタイルを大きく変えるこれといったイノベーションを起こしたことがない日本では、ロボットカーの導入について議論のための議論をしているのが実情です。
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新書版p.36


 では、これから日本のロボット産業はどのような方向に進むべきなのでしょうか。著者は次のように提言しています。


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 専門家がいくらロボットを開発しても、ロボット革命は起きません。ロボット革命を成功させる鍵は、一般市民の意見を聞きながら、日本の社会でロボットを使ったら便利になるような場面と、そのソリューションを見つけることにあると、私は考えています。(中略)
 自動車のように1機種で100万台も生産・販売することができる単機能のロボットが市場に出てくることは、向こう数十年はないと思います。そうではなくて、単機能のロボットを組み合わせてソリューションを提供するのです。
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新書版p.201、202

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 ロボット革命を実現させるためには、単機能のロボットを販売することにこだわるのではなく、利用者の利便性を考えたビジネスモデルを作らないといけません。そうやって町丸ごとのシステムを輸出できれば、ロボット革命における出口戦略としての大きな輸出産業のひとつになると思います。
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新書版p.206

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 私自身は、第三の道を歩むのがよいと考えています。日本は超高齢社会に役立つことに特化してロボットを開発し、事業化していくのです。(中略)
ロボット技術を活用することで、超高齢国の日本は老若男女すべての人たちが元気で生き生き暮らしている。これこそが日本が世界に向けて発信するイノベーション、ロボット革命なのです。これを実現するためにも、日本人はこれまでの生き方のパラダイムを転換する決断をしなければいけません。
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新書版p.196、197


 ロボットそのものではなく、ロボットを組み合わせることで「町ひとつ丸ごとのシステム」を超高齢社会に対するソリューションとして提供する、というわけです。確かにそれが実現できれば、「ロボット革命」と呼ぶに相応しいものになるでしょう。そして、世界中のいわゆる先進国で、程度はともあれ高齢化問題は共通の課題となっていますから、大きな市場があることは間違いありません。

 果たして日本企業は、ロボット革命を実現して世界をリードする立場につくことが出来るのでしょうか。それとも、またもや「日本の技術は世界一、あの海外製品もこの海外製品も、部品の大半は日本製」と胸をはりながら、低い利益率にあえぐ下請けであり続けるのでしょうか。

 というわけで、ロボット技術そのものというより、その事業化やビジネスモデルに焦点を当てて書かれた本です。ロボット産業に興味がある方はもちろん、技術志向のメーカーに勤めている方々にお勧めします。