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『父を見送る』(龍應台、天野健太郎:翻訳) [読書(随筆)]

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流れる川を見る。おだやかな、でも爆発的な力をうちに秘めた川の流れを見る。川原で日光をいっぱいに浴びた水牛と、山のほうから走ってくる子供たちを見る。太陽が岸辺のヨシの穂を、ひと筆ひと筆金色に変えていくのを見る。川の流れにできた渦巻きをひと筋ひと筋、数えるように見る……。(中略)
どうあがこうと、そうとしかならない。時間は、どんなふうでもただ流れていく。いかなる時間も場所も、例外なく私を受け止めてくれる。すべてはいい時間、いい場所だ。
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単行本p.220

 両親、自分、そして子どもたち。家族に対する限りない情愛、文学、風景、そして戦争。『台湾海峡一九四九』の著者による心を打つエッセイ集。単行本(白水社)出版は2015年9月です。


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『父を見送る』と『台湾海峡一九四九』は姉弟のような作品である。かたやエッセイ、かたや歴史ノンフィクションといえ、同じく家族や身近な出来事を出発点に、生と死を考え、世界をみつめ、ついには戦争を書いた。ひとつの個たる著者の視点が、複数の視点(自身を疑う想像力、友人との対話、関係者への聞き取り、報道資料や歴史文献)を経て広がり、そこから読者をも巻き込んだ共時性を持つ視点へと収斂するーーそんな手法は、本作で準備され『台湾海峡一九四九』で深まったと言えるのではないか。だから彼女の思索(=語り)は、きわめて私的なものでありながら社会性、同時代性を持ち、さらに個々の読者の心の、いちばん深い場所に光を当てる。
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「訳者あとがき」より。単行本p.280


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さらに本書で際立っているのは、書いているその人がただの「普通の人」であることだ。切れ味ある批評で読む者を震え上がらせるベストセラー作家がここでは、親として子として、自らの弱さをあけすけに描いている。また、生活で見聞きしたこと、社会の出来事にてらいなくゼロから(無知から)疑問を立ち上げ、先入観なく思索を続けていく。だからその思索がたどり着く高みは屹然として、誰もが目を向けずにはいられない。
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「訳者あとがき」より。単行本p.281


 家族のことや日々の生活を中心に、様々な話題が集められています。父親の死、母親の老衰、後に書かれることになる『台湾海峡一九四九』のための取材など重い話題に混じって、“息子たちの生意気さときたら”といった微笑ましい話題も含まれており、覚悟なしには読めない『台湾海峡一九四九』と比べると、気軽に楽しむことも出来ます。


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するとフィリップが小声で言った。「母さん、頼むよ。十七歳に人間の暗部ばっかり教えるなよ。ドイツ語の先生も母さんも愛なんて信じちゃいないだろうけど、こっちはまだ十七歳なんだ。少しは何かを信じさせてくれよ」
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単行本p.26


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 アンドレからメールをもらった。こいつにしては珍しい。普段は、お金がないとかーーまったく、雷に撃たれて死んじまえーーそんな火急の用でなければ、この母にメールなどくれたことのない息子である。(中略)「母」という存在は、デスクトップのゴミ箱か、迷惑メールフォルダに自動分類されている。まったく、人として間違っている。とはいえ、母には打つ手がない。
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単行本p.91


 なにげない光景や体験を詩的にとらえ、哲学的に考える。日常的な話題を文学や社会問題にごく自然につなげてゆく。見ること、読むこと、考えること、どれも全力で書かれています。


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四角四面のドイツ人はタンポポを雑草と認定している。そして、雑草が生えた状態を社会秩序の乱れだと認識している。だから玄関先の歩道に伸びたタンポポの除去は、家主の責任となる。週末は、小さかった子供たちと一緒に、義務を果たすべく汗をかいた。(中略)
 だからタンポポの根のことはよく知っている。地面から茎が伸び、その上にのっかる一輪の花まで、高さはたかだか十センチほどしかない。ところが、地下の根っこは、五十センチもの長さがあるのだ。
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単行本p.197


 タンポポの話から始まり、ラルフ・ワルド・エマーソンの一節「言葉とは、タンポポの根のようにしっかりと、飾らず、偽りなくあるべきだ」(単行本p.197)を経て文学の話へと進み、英語の詩と中国語の詩を比べてみせたり。


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 台湾南部の田舎町。深夜十二時の交差点には、二十四時間営業で豆乳と軽食を食べさせる店がある。これこそ台湾が中華文明にもたらした最大の貢献であろう。暗く寒々しい夜の下、路地の一角にあったかな灯がともっていて、いつでもそこに逃げ込むことができる。鉄板の上には、餃子(鍋貼)がジリジリ焼けている。店のなかは新鮮な豆乳のにおいで満たされている。それから、カリっとした揚げ麩、ふわっとしたパイ、抵抗しがたい香りを発する葱のお焼き(葱油餅)が、ずらっと目の前に並ぶ。テキパキと働く若い女性店員たちが、軽やかな声で客の注文を聞く。真っ暗に沈む小さな町で、この小さな店だけは光り輝くショーウインドーのように、生活のあたたかさと豊かさを見せつけている。
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単行本p.158


 台湾の食堂の心温まるような描写から、そこで起きたささやかな事件を通じて、台湾における外省人の立場と不安が切実に語られたりします。誰もがほっとするような場所に潜んでいる、戦争や虐殺の記憶や予感。


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 龍應台の家庭はまさしく外省人という「難民」の典型であった。時代の奔流に流され、名前も知らなかった孤島にやってきた兵隊やその家族たちは、その社会の底辺に編入させられた。てっきり数年でふるさとに帰れると思っていたのに、結局それきり、そのまま一生を終えた。子供たちは、この島で“マイノリティー”として育った。六十人クラスで唯一、家・土地がなく、祖父母や親戚がおらず、お墓もお金もなかった。
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「訳者あとがき」より。単行本p.279


 こうして、日々の生活と歴史が、両親のことと戦争が、すべて地続きで語られてゆきます。


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 列車がまた動き出した。私は横になり、マットレスに耳をつけた。すると、車輪がレールを押し付けていく音と、大地のじりじりした震えを感じた。この五百キロは、慧能がかつて、てくてく歩いた道のり。そして、私の父と母が、じりじりと進んだ道のりでもある。想念が浮かぶーー時間はとどまるのか、とどまらないのか? 記憶は長く残されるのか、短く消えるのか? 川の水は新しいのか、それとも古いのか? 華麗に咲き誇る花は、何度輪廻を繰り返しているのか?
 夜の暗闇のなか、山の稜線が奇妙なほどはっきり見える。夜の灯りが、無言のまま木々のあいだに瞬いて、星のようだ。ふいに、霧のような真っ白な光が流れ込んできた。北から南へ向かう夜行列車が、重々しい夜の底で、私たちとすれ違う。
 明滅する光が、母の表情を失った顔を照らした。
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単行本p.87


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 傷は痛すぎて、触れることすらできない。傷は深すぎて、慰めることすらできない。傷はむごすぎて、ときに、それを見つめることすらできない。
 アモイから海へ数キロ行ったところに島がある。名前は「金門島」。(中略)
 一九五八年の秋、この美しい小島は、四十四日のあいだ、空から雨のように降る四十七万発の爆撃を受けた。そして、四十年間戦場として封鎖され、その地中には数えきれないほどの地雷が埋められた。(中略)
 ここには、通学中に腕を失った人がいる。ここには、醤油を買いに行ったきり、五十年間家族と離れ離れになった人がいる。(中略)
島の子供たちは、ボールを見たことがない。ボールは禁制品だ。なぜか? たとえばここにバスケットボールが何個かあるとする。それを網か何かでまとめて海に浮かべれば、そのまま対岸の共産党軍に投降できるからだ。
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単行本p.152、154、156


 国共内戦。台湾海峡危機。そして、世界中にばらまかれ、今も子供たちを殺し続けている無数の地雷。それらがすべて私的に語られる様には思わず息を飲みます。最後に、亡き父を故郷に帰すくだりは、涙なしには読めません。


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 ここが、父が十六歳で別れを告げたふるさとだ。山あいにあるこの村から、「アイジー」は父に籠をふたつ持たせ、市場まで買い物に行かせた。市場ではちょうど、軍隊が少年兵を集めていて、父は天秤棒と籠をほっぽり出し、そのままついていった。
 今日、父を連れて帰ってきた。ちょうど七十年ぶりとなる。(中略)
ようやく、父の魂の漂泊を理解する。ようやく、父が流した「四郎深母」の涙の意味を知る。(中略)
「あのなかでいちばん年を取った老人が」と、村人が指さす。「あんたの父さんの遊び仲間だ」。十六歳の年、ふたりは市場に行き、彼は帰り、父は帰らなかった。
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単行本p.270、274


 というわけで、静かな、深いまなざしによって、家族と暮らしと戦争を見つめる一冊。ぜひ『台湾海峡一九四九』と合わせて読んでほしいと思います。


タグ:台湾
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