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『呪文』(星野智幸) [読書(小説・詩)]

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そんな状態で生き続けることなんかできない。そんな状態でい続けたら、誰かを痛め続けるか、自分を終わらせるしかなくなる。(中略)その衝動に支配されたら、いわば呪われたようなもので、自分の力だけではどうにもできない。止めようはないの。だから、まわりの人の力が必要。でも、そのまわりの人も全員衝動に支配されていたら、どうなる? 止められる人は誰もいないってことになるよね。それが今の松保であり、世の中。それどころか、衝動に支配される人が無限に広がってる
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Kindle版No.2553

 断固とした改革により、さびれゆく一方だった松保商店街を蘇らせることに成功した若者たち。だがその情熱と高揚感は人々を巻き込んで暴走してゆく。小さな商店街を舞台に、今まさにこの国を支配しつつある空気の行く末を見つめる長篇。単行本(河出書房新社)出版は2015年9月、Kindle版配信は2015年9月です。


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私は心理的なホラーな文学や映画を好きですが、現実ほど怖いものはありません。それが『呪文』という小説です。
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著者のツイート(2015年9月24日 23:48)
https://twitter.com/hoshinot/status/647060033868447748


 架空の、しかし、どこにでもありそうな商店街を舞台として、今の日本に広がっている草の根ファシズム、というか、黒く劣化した言葉の呪いを、生々しくえがいた小説です。

 様々な視点人物が登場し、その寒々しい内面描写が強烈な印象を残すのですが、とりあえず主人公といえるのがトルタ(メキシコのサンドイッチ)のスタンドを経営している霧生という青年。トルタ作りには強い情熱と自信を持っています。


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パンに包丁を入れた瞬間からトルタを差し出す結末まで、すべてが完璧でなくてはならない。ウェーブを描くようにうねりに乗って、一センチも一秒も狂いのないダンスを舞うように、あらゆる過程を軽やかにこなし、一回転半させたトルタが手のひらにぴたりと収まったとき、手応えが降りてくれば成功。どこかの過程で少しでも狂いがあれば、手応えは降りてこない。(中略)精緻な修練の積み重ねが、曰く言いがたい「手応え」という感触として、実を結んでいるのだ。手応えを得られたトルタにはオーラさえ漂っていると、霧生は本気で自負している。そしてもちろん、そんなトルタはこのうえなく美味しい。
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Kindle版No.58


 最終的にこの「手応え」こそが彼を救うのですが、それはさておき、当面の問題は、店を出している松保商店街がさびれてゆく一方だということ。


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まるで定期的に人身御供にでも取られるかのようにつぶれていった。鈴本商店と米屋と理容室を除けば、いずれも出店から二年以内だったという。どの店も、最初からやっていくのは難しいと思っていた、残念だけど運命だ、というような言われ方をした。自分の店も本当はそんな見方をされているのかと思うと、霧生は水の上に立とうとしているような心もとなさを覚えた。
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Kindle版No.103


 どんなに美味しいトルタを作ろうが、早朝から深夜まで熱心に働こうが、どうにもならない厳しい現実。絶望に打ちのめされた霧生は、苦しみ悩み抜いた末に、もう負けた方が楽だとさえ思うようになります。


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このままでは、あと二か月で運転資金も貯金も底を突いてしまうというところまで、霧生は追いつめられていた。(中略)人は追いつめられたら、どんな惨めな悪事にも手を染めてしまうのだろうか。自分もそんなことをしないとも限らないということか。
 霧生の残り少ない自信が、さらさらと音を立てて、自分というザルのような器からこぼれ落ちていく。
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Kindle版No.133、147


 多かれ少なかれ同じ気持ちでいた商店街の店主たちの前に、情熱に満ちた若きリーダーが現れます。平易な言葉に情熱を込めて、商店街の人々に語りかけるのです。


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もうこの、意欲だけはあるのに世界観は旧態依然としたまま玉砕していくっていうサイクルは断ち切ろうよ。松保はもう滅亡寸前なんであって、俺らの試みも失敗したら終わりなんだ。次はないんだよ。だから逆に、リスクなんか恐れないで、思い切り大胆にやる。中途半端な守りの姿勢にちょっとでも引きずられたら、未来はない。そんなのメチャクチャだ、やり過ぎだって感じるぐらいのことしないと、この負のエネルギーからは逃れられないと思うよ
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Kindle版No.248


 メチャクチャだ、やり過ぎだ、と感じるくらいの断固とした改革により商店街を活性化させる。景気回復、この道しかない。力強い言葉にすがる人々。反対派は追い出され、改革に賛同しない者は融資を受けられなくなり、商店街の「方針」に沿ったビジネスしか許されなくなるにつれ、奇妙な高揚感が商店街を包み込んでゆきます。

 そして、商店街に害を与えているクレーマーを退治すべく「自発的に」自警団を結成する若者たち。ネットでの呼びかけに応じて、外部からも参加者が集まってきます。


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クレーマーとは厄介な存在なんじゃなくて、公然と退治してよい害虫みたいなものだって、宣言したんだから。悪者退治をしたくてうずうずしてるやつらはわんさといるんだから、そいつらが大挙して押し掛けてくるよ
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Kindle版No.707


 やがて彼らは、クレーマーだけでなく、松保商店街に協力的でない住民を「失格住民」と認定して、次々と「再教育」してゆきます。「正義」のために他人を否定し成敗する達成感。その熱狂。

 ネットで他人に対する誹謗中傷が止められず、そんなことをやる自分の惨めさクズさを見ないようにして苦しんでいた人々が、「君はクズではない」ではなく、「君はクズだ。だからこそ世の中を変えられるのだ」という、自分を全肯定してくれるメッセージを受けて、どんどん「救われて」ゆきます。


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世を変えているのは、死んでいく側なんだよ。我々が、世を捨てるような自棄な気分じゃなく、強い意志を持って率先して消えることで、次のもっとマシであろう世を生むことができるんだ。変な言い方だが、無意味さを認めて死ぬことのできる我々には、生まれてきた意味がある。私はそちらの側にいたい。というか、いる。我々こそが改革者なんだ、選ばれた民なんだ!
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Kindle版No.1881


 「殺したい」という激しい欲望が、自決という形で全面的に「肯定」される心が震えるような感動。他人よりも過激な「意志」を示さないと劣等感と罪悪感に責め苛まれるという空気。もはや誰も逆らえません。


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 この世に渦巻いて膨れあがる殺意の総量をイメージして、霧生は自分が生きているのを不思議に思った。そして、それが自分の中にも存在して成長しようとしていたことも、リアルな非現実感とでも呼ぶほかないような感覚とともに納得した。
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Kindle版No.2555


 クズを敬遠あるいは危惧していた霧生も、暴走してゆく空気に飲み込まれ、クズとして目覚めたことを示すことで自らの存在意義を確保しようという倒錯した心理に陥ります。


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ここまで腐ってこそ本物のクズであって、インパクトを与えて覚醒させられるのは、こういう黒い感情を喚起できる者なのだと理解した。おぞましさにショックを受けて、それが自分の中にもあると知ったときに、目覚めるのだから。(中略)霧生は、クズとしても落ちこぼれているような惨めさに身を焼かれる思いがした。落ちこぼれたクズとしての意地を見せないと、何もない存在になってしまう、と焦りを覚えた。
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Kindle版No.2181


 「リアルな非現実感」に支配されてゆく霧生。読者も、これは現実に私たちが巻き込まれている事態だという認識に、鳥肌がたつような嫌な気分になります。

 そして、いよいよというときに、霧生に与えられた言葉。呪いを解く言葉。それは彼を、そして私たちを、救うことが出来るのでしょうか。


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私は、呪いにかからずに生き延びられた人が、呪われる前の時代の記憶を、後の世に持ち込めるんだと思ってる。そういう人たちが、いち早く再建を始められると思ってる。だから、ビバークでもするような気分で、待つつもり。どんなに時間がかかっても、たとえ私の寿命が来ても
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Kindle版No.2575

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誰かが少しずつ受け継いでいけばいい。全員が呪われたら、こういう生き方があったことさえ忘れられて、消えてしまう。(中略)楽な舟に身を委ねないで、惨めでも、何もできなくても、自分でいることが、将来の松保を救うんだから
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Kindle版No.2579


 というわけで、今の日本を覆いつつある嫌な空気を見事にえがいた小説です。自分を肯定したいという欲望ゆえに他人を否定する、激しく攻撃する、その「殺意」が集団暴走するとき、文学の力はそれにどこまで対抗できるのでしょうか。いやまあ、てんで対抗できないとしても、少なくとも個々に生き延びるために、正気を保ったまま生き抜くために、文学はやはり必要だと、そう思うのです。


タグ:星野智幸
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