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『原色衝動』(白井剛、キム・ソンヨン) [ダンス]

 2016年2月27日は、夫婦で世田谷パブリックシアターに行って、日本の白井剛さんと韓国のキム・ソンヨンさんが共演した公演を鑑賞しました。二人が踊る85分の公演です。

 白い床(こすると耳障りな音が出る)、椅子の形をしたオブジェ(金属フレームのみ)二つ、背後に小さなパーカッションがあるだけの、比較的シンプルな舞台構成です。

 舞台背後にあるスクリーンに荒木経惟さんの写真が投影され、また舞台上に置いてあるプロジェクタからも写真が舞台上の小型スクリーンや出演者に投影されます。音楽は控えめで、虫の鳴き声など環境音が多かったように思います。

 この無機質かつ何やら不穏な印象を与える空間で二人のダンサーが踊るわけですが、激しく大きく動くシーンは少なめで、とりつかれたように何か特定の動きや対象に固執する動きが中心となります。例えば、二人が手にしている怪獣の人形。それを相手の背中に乗せたり、乗せたまま四つんばいで歩いたり。

 背景となっている荒木経惟さんの写真(怪獣人形も出てくる。血まみれシレーヌとか、海底原人ラゴンとか)とも相まって、全体的に不穏かつフェチな気配が濃厚。

 二人の関係も、ときおりキスしそうな友好的仕種を見せますが、険悪というか、相手を人間ではなくモノ扱いするような、人間性を剥奪するような、そんな表現が多くなってゆきます。苦しんでいる相手を他方が無関心に傍観しているかのようなシーンも多い。

 不意にパーカッションを叩いて攻撃的なノイズを出したり、ぶつぶつ恐怖症(トライポフォビア)を発症しそうな赤と灰色のまだら模様がダンサーの身体に投影されたり(激しく殴られ血まみれでもがいているような雰囲気)、座っていたはずの金属フレームの椅子にゆっくりと閉じ込められていったり、長いゴム紐が絡みついたり。直截的な暴力表現はありませんが、抽象化された暴力や束縛のイメージが繰り返され、落ち着かない空気が流れます。そしてそこに、身体の一部を拘束されているようにぎこちない印象を与える舞踏の動き。

 二人の顔がよく似ている(歳も同じ)ため、だんだんと区別がつかなくなるというか、同一人物を表現しているのかも知れません。

 観客の集中を強いる照明効果もあって、簡単に見当識失調が引き起こされます。体調がすぐれなかったせいもあって、嫌な目眩に襲われてしまいました。


[キャスト他]

振付・出演: 白井剛、キム・ソンヨン



『叛逆航路』(アン・レッキー、赤尾秀子:翻訳) [読書(SF)]


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その瞬間が来たとわかった。二十年のあいだ宙に浮かんだままだったオーメンが落ちてきて、わたしに――そしてアナーンダに――散らばった姿を見せてくれる。(中略)恐れと疑念、動揺は消えていく。“静”のオーメンが反転し、“動”となった。“正義”はわたしの前に落ちてくる。確実に。疑う余地なく。
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Kindle版No.5156、5173


 人類が銀河に進出した遠未来。惑星を次々と侵略・併呑して版図を広げてきた専制国家ラドチ。その皇帝によって何もかもを奪われた戦艦AIが、復讐のために舞い戻ってくる。頼りにならない相棒と共に。前代未聞のSF賞七冠に輝く話題作。文庫版(東京創元社)出版は2015年11月、Kindle版配信は2015年11月です。


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 現在とはかなり隔たった文化習慣を持つ人類が銀河全域にひろがった遠未来を舞台に、かつて宇宙戦艦のAIだった一人の兵士を中心に、宇宙を揺るがす陰謀と冒険、そして妖しく情熱的な人間関係を濃密に描く。ミリタリーSFやニュー・スペースオペラのアイディアも受け継いだ、新時代のエンターテインメント本格宇宙SFの開幕編。(中略)緻密で複雑な設定によって構築された多彩で奥行きのある世界で、個性的なキャラクターたちによる波瀾万丈の冒険が展開するストレートな娯楽作品だ。
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Kindle版No.6073、6097


 ヒューゴー賞、ネビュラ賞、ローカス賞、英国幻想文学大賞を初めとして、史上最多のSF賞七冠を達成した話題作です。

 銀河に広がった人類文明圏、強大な銀河帝国、愛する者と自分自身の復讐のために皇帝暗殺を誓う一人の兵士。なりゆきで同行することになった頼りない相棒。あらゆる試練を潜り抜け、二人はついに皇帝との謁見の場に立ったが……。

 プロットだけ見ると、銀河帝国版『始皇帝暗殺』というか、『デューン 砂の惑星』リブートというか、とにかく黄金パターンな復讐劇です。


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 アナーンダ・ミアナーイは三千年にわたり、ラドチ圏の絶対的かつ唯一の支配者として君臨してきた。十三の地域にある宮殿それぞれに居住し、侵略・併呑の際はかならずその地に存在した。そんなことができるのは、何千という分身をもっているからだ。そしてそのどれもが遺伝学的に同一で、かつ互いにリンクしている。
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Kindle版No.1525


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わたしは何をしている? どこへ行く気だ? たったひとつの体で、ひとりきりで、一対の目と一対の耳で、いったい何ができるというのだ? アナーンダに盾突くことに何の意味がある? わたしをつくり、わたしを所有し、わたしをはるかに超える力をもったアナーンダに?
 大きく息を吐く。わたしはいずれかならずラドチにもどる。最後は〈トーレンの正義〉にもどるのだ。たとえ命の火が消える間際でも。体がひとつであろうと関係ない。いまはやるべき仕事がある。
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Kindle版No.4018


 この専制国家ラドチの軍事体制を支えているのが、軍艦を制御しているAIソフトにより犠牲者の脳を強制的に上書きすることで、忠実な帝国軍兵士を作り出すテクノロジーです。まあ、要するに「屍者の帝国」。


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ラドチャーイは侵略のたびに住民を――成人の半数だったか?――連れ去っては、生ける屍に変える。そして軍艦のAIの奴隷とし、同胞と戦わせるのだ。
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Kindle版No.306


 語り手もこのようにして作られた兵士。たくさんの身体上で並列動作しているAIであると同時に戦艦の制御プログラムでもあるため、その意識は複数の場所にまたがって存在しています。通信リンクが途絶しない限り(ご想像の通り途絶しますが)、それぞれに自律的に考え動作するたくさんの兵士でありかつ統一された「わたし」であるという自意識の有り様。この同時多地点存在者の視点から描写される回想シーンは非常に印象的です。


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あのときの“わたし”は〈トーレンの正義〉であり、これは艦船そのものと属躰すべてを意味していた。属躰は各自、各任務を遂行するが、かといってわたしは各自、各任務に意識を集中しなくてもよい。しかしそれでも個々の属躰は切り離されることなく、つねに“わたし”なのだ。
 そして十九年後のいま、“わたし”はたったひとつの肉体、たったひとつの脳でしかない。
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Kindle版No.3276


 しかし、ラドチの絶対支配者であるアナーンダによって語り手はほぼすべてを奪われてしまいます。愛する者も、数多くの身体も、戦艦〈トーレンの正義〉も。残されたのはただ一つだけの身体。惨劇をかろうじて生き延びた語り手は、復讐を誓います。いつか必ずアナーンダを暗殺すると。


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 わたしは顔を上げた。箱から、銃から目を離す。十九年にわたる艱難辛苦をのりこえて、ようやくたどりついたもの。わずかな可能性にかけて目指したものが、いま現実のかたちとなってここにある。手をのばせば届くところに。
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Kindle版No.2614


 不死身のアナーンダを倒せる唯一の武器。ついにそれを手に入れた語り手は、ただ一つのチャンスにすべてを賭ける決意をします。誰にも知られず秘かに繰り広げられている、ラドチの「内乱」を利用する。


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 わたしは指令に従おうとした。しかし、自分自身の死から立ち直るあいだ、なんとかラドチにもどろうとしているあいだに、もっとほかにやるべきことがあると思った。わたしはラドチの皇帝に戦いを挑むのだ。そしておそらく、徒労に終わる。アナーンダは気づきすらしないだろう。
(中略)
 しかし。裏で繰り広げられている彼女自身の戦い。表面化することを、ひいてはラドチが大きく混乱することを明らかに避けている。そしておそらく、自分は矛盾のない一個の存在であるという確信が揺らぐことも。では、内部の葛藤がおおやけになったらどうなるだろう? 彼女はそれでもとりつくろうことができるだろうか?
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Kindle版No.4227、4234


 というわけで、展開は非常にゆっくりしており、特に設定や背景がよく分からないまま現在と過去を往復する前半は、けっこう読むのが辛いところがあります。共感できる魅力的な登場人物がほとんどいない(語り手を含めて)というのも苦しい。本書は三部作の第一部だそうで、大きな話の導入部だと思えば、まあそうかという気も。

 むしろ読み所は、文化・宗教・礼儀・社会制度・ジェンダー意識まで詳しく設定されたラドチ文明の存在感や、三人称代名詞に性別を持たないラドチ語によって引き起こされる読み手側のジェンダー意識の攪乱、同時複数存在者による一人称の語りの奇妙な魅力、あるいは『闇の左手』(ル・グィン)よろしく氷雪の惑星をジェンダーフリーな二人が彷徨うシーンなど、細部に凝っているところでしょう。

 ちなみに、付録として「用語解説」と「年表」が付いていますので、先にこちらに目を通して大枠を理解しておいた方が読みやすいかと思います。『デューン 砂の惑星』もそうだったなあ。



『SFが読みたい! 2016年版』 [読書(SF)]

 今年もやってきました、昨年のベストSF発表。今回も、自分がどれだけ読んでいたか確認してみました。2015年におけるSF読書の結果です。

 国内篇ベスト20のうち読んでいたのは9冊、海外篇ベスト20のうち読んでいたのは6冊。総計して、2015年のベスト40のうち、15冊しか読んでいませんでした。

 ベストSFまわりの記事以外で面白かったのは、まずはグレッグ・イーガンのすべての既訳作品について五段階の「難易度」で分類して示す読書ガイド「やさしイーガンからむずかしイーガンまで」(鳴庭真人)。

 今をときめくヤングアダルトSFについて、早川書房と東京創元社の「中の人」(編集者)が語り合う対談「ヤングアダルトSF繚乱の時代に」。

 そして今回の目玉企画である「世代別SF作家ガイド111」が素晴らしい。「まさに「今読むべき」作家たちをそのおすすめ作品とともにご紹介」という親切な読書ガイド。海外も国内も一緒くたに、とにかく活躍中の現役SF作家がずらり。今のSFを読むならここから。

 参考までに、ベストSF2015のうち私が読んでいた作品について、読了後に書いた紹介をリストアップしておきます。これから読もうかと思っている方に参考になれば幸いです。


ベストSF国内篇第3位
  『エクソダス症候群』(宮内悠介)
  2015年07月03日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-03


ベストSF国内篇第6位
  『母になる、石の礫で』(倉田タカシ)
  2015年06月23日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-23


ベストSF国内篇第7位
  『うどん キツネつきの』(高山羽根子)
  2014年12月02日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-12-02


ベストSF国内篇第8位
  『波の手紙が響くとき』(オキシ タケヒコ)
  2015年06月10日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-10


ベストSF国内篇第9位
  『NOVA+ 屍者たちの帝国』(大森望:編)
  2015年10月09日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-10-09


ベストSF国内篇第11位
  『ビッグデータ・コネクト』(藤井太洋)
  2015年04月24日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-04-24


ベストSF国内篇第13位
  『薫香のカナピウム』(上田早夕里)
  2015年03月06日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-03-06


ベストSF国内篇第15位
  『シンドローム』(佐藤哲也)
  2015年01月21日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-01-21


ベストSF国内篇第16位
  『アンダーグラウンド・マーケット』(藤井太洋)
  2015年04月21日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-04-21


ベストSF海外篇第1位
  『紙の動物園』(ケン・リュウ、古沢嘉通:翻訳)
  2015年06月19日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-19


ベストSF海外篇第2位
  『神の水』(パオロ・バチガルピ、中原尚哉:翻訳)
  2015年11月06日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-11-06


ベストSF海外篇第3位
  『ゼンデギ』(グレッグ・イーガン、山岸真:翻訳)
  2015年07月17日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-17


ベストSF海外篇第10位
  『楽園炎上』(ロバート・チャールズ・ウィルスン、茂木健:翻訳)
  2015年11月20日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-11-20


ベストSF海外篇第14位
  『エンジェルメイカー』(ニック・ハーカウェイ、黒原敏行:翻訳)
  2015年12月25日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-12-25


ベストSF海外篇第17位
  『逆行の夏 ジョン・ヴァーリイ傑作選』(ジョン・ヴァーリイ、浅倉久志・他:翻訳)
  2015年11月27日の日記
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-11-27



『ありきたりの痛み』(東山彰良) [読書(随筆)]

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 映像が目に浮かぶ小説を書くのはたやすい。わたしにとっての問題は、音楽が聴こえてくる文章が書けるかどうかなのだ。体臭のする一文、血の様相を帯びた一言、世界をぶつ切りにする句読点――それは小手先のことではなく、魂の問題なのだ。
 書け。
 才能なんか関係ない。
 書け。
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単行本p.19


 テキーラ、映画、音楽、そして魂で書く小説。台湾と日本にまたがって活躍する作家による、ハードボイルドで熱いエッセイ集。単行本(文藝春秋)出版は2016年1月です。


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 エンターテインメントの小説を書いていると、作中に作者が顔を出すのはあまり褒められたことではないとよく言われる。たしかにそれも一理ある。だけど、行間から滲み出る作家の体臭や口臭や痛みが感じられる作品がわたしは好きだ。作家たちがどうしても書かずにはいられなかった破滅的な一文にどうしようもなく惹かれる。作家と作品が完全に切り離されているような本は好きになれない。物語から遠くかけ離れた場所に作家がいて、彼の指先だけがキーボードをたたいて書いたようなものはくそったれだ。そのような本はストーリーさえ思いつけばだれにでも書ける。ストーリーをひねり出す才能と物語に魂を吹き込む才能は、まるで別物なのだ。
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単行本p.15


 戒厳令下の台湾における青春をえがいた『流』で第153回直木賞を受賞した東山彰良さんの第一エッセイ集です。ちなみに、Kindle版読了時の紹介はこちら。


  2015年09月11日の日記
  『流』(東山彰良)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-09-11


 その東山さんの第一エッセイ集が本書。全体は三つの章に整理されており、自分自身のことを語ったエッセイが並ぶ中に、映画コラムを集めた中間パートがはさまる、という構成。文章がとにかく熱い。否応なく読者を引きずりこんでしまうパワーがあります。


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 三阿姨は数年前にガンで死んだ。いつも煙草をぷかぷかし、ほかの大人たちが絶対にさせてくれないことをなんでもやらせてくれる彼女が、俺は大好きだった。十五のときには酒を飲みに連れ出してくれた。おかげで乱闘騒ぎに巻きこまれて左耳を四十針も縫う大怪我をした。十七のときには車の運転をまかせてくれた。だれかを轢き殺さなかったのは本当に運がよかった。彼女といっしょにいるのが楽しくて、誇らしかった。
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単行本p.26


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 むかし、バイクで国境を越えようとしたことがある。タイのチェンマイからラオスへ。山中の一本道、ゆるやかに流れる風景のなかで、ぼくはなにかを追いかけていた。それがなんなのかは、わからない。だけど走ってさえいれば、いつかはなにかが見つかると思っていた。自由とか、本当の自分とか、その類のものが。そして、それは半分だけ正しかった。
 ぼくは国境を越えられなかった。トラックに撥ねられたからだ。まるでぼくを撥ね飛ばしたことなんかたいしたことでもないと言わんばかりに、トラックはそのまま走り去った。ぼくはアスファルトの上で血を流していた。そして、この状況を楽しんでいる自分が確かに存在していることに気がついた。声をたてて笑ってしまったほどだ。なにがそんなにうれしいのか、ちっともわからなかった。
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単行本p.33


 いかにも『流』の著者らしいエッセイの数々に感心させられます。他にも、台湾に関する文章はみんなお気に入り。


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 帰省したときはたいてい叔母の家に厄介になるのだが、決まって訪れる朝食屋が近所にある。地元の人でさえほとんど気にもかけない、没個性の小さな店だ。歩道にテーブルをひとつふたつ出して、通行人に大目に見てもらいながら商いをしている。とくに美味いというわけでもないのだけれど、正直者の夫婦が毎朝機嫌よく立ち働いている。懐かしい友人たちと酒を酌み交わし、おおいに久闊を叙した翌朝、わたしは仕上げにその店で熱々の豆乳に油條と呼ばれる長い揚げパンを浸して黙々と食べる。蒸しあがったばかりの包子を勧められれば、正直者夫婦の顔を立ててやることもある。ただそれだけの話なのだが、その瞬間、お世辞にも美しいとは言えない街角には、くたびれたわたしの心を癒す全てがあるのだ。暑気がたちこめる前のひんやりした朝の喧騒をぼんやり眺めながら、わたしは悩みなどこれっぽっちもつけ入る隙のない完璧な朝食をとる。
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単行本p.41


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朝は熱々の豆漿(豆乳)と油條(細長い揚げパン)、昼は小南門で牛肉麺、もしくは永康街で小籠包、おやつに公館で豆花(にがりをいれずに作った豆腐のスウィーツ)を食い、夜は士林や華西街の屋台で一杯ひっかける。人間、魂がしっくりくる場所というのがあるのだ。
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単行本p.104


 完璧な朝食。
 魂がしっくりくる場所。

 台湾に関する文章はみんなお気に入り、といいつつ食べ物についての文章ばかり引用して申し訳ありません。

 映画コラムは多数収録されていますが、ここでも自分を前面にさらけ出して熱く語るスタイルは一貫しています。


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 偉大な監督はたくさんいるが、偉大な監督が撮った駄作はそれ以上にたくさんある。たいていの作品はほとんどなにも言ってない。「喪失と再生」とか「自意識の変容」とか、そのへんのことを適当に言ってれば十中八九当たらずとも遠からずだ。だからこそ、いろんなやつがあの手この手でどうしようもない映画を飾りたてる。
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単行本p.52


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この『シャイン・ア・ライト』のファックスがわが家の電話機からカタカタ流れ出したとき、俺はたまたまそれをじっと見ていた。で、ローリング・ストーンズとマーティン・スコセッシの名前が見えたとたん、言葉があふれた。だから前代未聞、空前絶後、言語道断なのだが、この文章は試写を見る前に書いている。だって、だってなんだもん!
(中略)
 ストーンズについて、これ以上なにか言うことがあるだろうか? およそロック好きでブルースの洗礼を受けない人なっていないと思うのだが、ストーンズはロックとブルースをつなぐ史上最大の扉じゃなかろうか。ストーンズをくぐりぬけたその先にブルースが見えなかったら、その人の人生はもうブルースとは無縁だ。
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単行本p.76


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 面白そうじゃないか! 面白くないわけがない。だってこの映画の脚本を書いたのは、この東山やけんね! 公共の紙面を利用して自分の宣伝をするとは何事か。ご立腹のむきもあろうが、それがどうした。俺はうれしいのだ。日々研鑽してきた脚本がついに形になって。
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単行本p.121


 という具合に型破りな映画コラムが並びますが、映画関連の文章で最も印象的だったのは、『ロッキー』の映画評です。


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 わたしが言いたいのは、とどのつまり、こういうことだ。『流』も『ロッキー』も、その根底にあるのは家族愛なのである。これまでに考察してきたあれこれを斟酌すると、これではわたしの本が直木賞を頂戴することになったとしても、ちっとも不思議ではない。共通点が多すぎる。とゆーか、共通点しかない。そうだとも!
(中略)
勝機はない。絶対に勝てない。試合前夜、ロッキーはそうつぶやく。だけどもし最終ラウンドまで立っていられたら、自分がただのゴロツキじゃないと証明できるんだ、と。
 ロッキー・バルボアはそれを証明した。
 つぎはわたしの番だ。
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単行本p.216



タグ:台湾

『マゴニアへのパスポート』(ジャック・ヴァレ、花田英次郎:翻訳) [読書(オカルト)]

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 こうした話は、いったい何を意味しているのだろうか。宗教的な霊の顕現。妖精信仰。超自然的な力をもつドワーフのような存在についての話。前世紀におけるアメリカでの飛行船の話。そして現代におけるUFOの着陸譚。こういったものの類似性を描き出すことは果たして理にかなったことなのだろうか?
 私は「然り」と強く主張したい。それは「こうした様々な信仰を生み出したメカニズムは、すべて同じものだから」という簡単な理由による。彼らの人間との関係、彼らの人間に及ぼす影響といったものは一貫している。そして、この極めて深遠なるメカニズムを見据えることこそ決定的に重要なことである。
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単行本p.191


 ジョー・シモントンが「宇宙人」からもらったパンケーキには、塩が含まれていなかった。これはいったい何を意味するのだろうか。「円盤搭乗者」と「妖精」との驚くべき類似性に着目し、70年代以降のUFO研究にニューウェーブを巻き起こした伝説的名著、待望の日本語化。私家版発行は、2016年2月です。


  翻訳者によるサポートページ
    http://roguestates.web.fc2.com/

  翻訳者によるブログ
    http://macht.blog.jp/


 ETH(UFOの正体は異星人が乗っている宇宙船だという仮説)を退け、円盤体験を古の妖精伝承と結びつけることでUFO研究に変革をもたらしたジャック・ヴァレの『マゴニアへのパスポート』。半世紀近く前に出版されたにも関わらず、今なお伝説的に語られる一冊です。『定本 何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎)では、次のように紹介されていました。


『定本 何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎)より
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 西欧の妖精伝承にあっては、人間界と妖精界の間でケーキと水がしばしば交換されるといわれ、それのみならず、一部では妖精は塩を食べないとも伝えられていることを、彼は指摘したのである。シモントンの体験と過去の妖精伝承との類似はあまりにも明らかだった。こういった発見に導かれて、ヴァレは円盤と妖精との関連を論じた『マゴニアへの旅券』を1970年に発表、円盤体験の考察にまったく新たな地平を切り拓いたことはここで特筆しておいていいだろう。
(中略)
論証は粗っぽく資料調査も不十分という欠点はあるにせよ、彼の視点はいわば革命的といってよく、とりわけ欧州の円盤研究界において、ニューウェーブの研究者を輩出させ、ETHを崩壊させる契機となった。しかし、今から振り返ると、彼の研究態度はこのときかなり「やばい」方向に変質したような気がするなあ。
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単行本p.23、133


[参考]
  2013年12月03日の日記
  『定本 何かが空を飛んでいる』(稲生平太郎)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-12-03


 というわけで、個人的に待ち望んでいた三冊の日本語版オカルト本のひとつ『マゴニアへのパスポート』(ジャック・ヴァレ)が、私家版という形ではありますが、ついに入手可能となりました。労を惜しまず翻訳して下さった訳者に感謝します。とても、とても、嬉しい。

 ちなみに残された二冊、『呪われた者の書』(チャールズ・フォート)の日本語版と、『UFO超地球人説』(ジョン・A・キール)の復刊にも、期待したいところです。他人任せですいません。

 さて、本書はUFO研究にニューウェーブを巻き起こしたことで知られていますが、実際に読んでみると、決して論旨展開が明確で読みやすい本とは言えません。あまたの事例紹介に耽溺するうちに、論旨を見失い、迷走してしまったような箇所も散見されます。

 しかしながら、「円盤搭乗者と、妖精の類は、実は同じものである」というシンプルな主張は一貫しているので、読者が途中で迷子になって途方に暮れてしまうようなことはありません。何より、掲載されているたくさんの事例(その多くがETH派からは無視されがちな、いわゆるハイストレンジ事例!)が読めるのはもう大興奮で、『何空』の円盤パートが気に入った方なら問題なく楽しめることと思います。

 全体は五つの章から構成され、さらに本文と同じくらいのページ数を費やした「補遺」(本書刊行までの百年間に報告された、円盤着陸・搭乗者とのコンタクト事例のリスト)が付いています。


「第1章 パラレルワールドの幻視」
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その生命体はある種とらえどころのない胡散臭い存在であり、論理性やら物理法則やらを無視するようにふるまう。それはあたかも夢の世界、あるいは悪夢の中に出てくる怪物、あるいは我々が子供の頃に思い描く、予想外の行動をとる魔法使いといったものを想起させる。にもかかわらず、完璧に目覚めており、その時点で完全に正常であった目撃者たちの話によれば、彼らの飛行物体は地面に深い痕跡を残していたりする。
 これはいったい何を意味しているのだろう? どうやったら、このように明らかに矛盾しあう事実につじまじを合わせることができるのだろう?
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単行本p.32

 空からやってきた「超越的な種族」との接触という、神話や伝承にしばしば登場するモチーフ。よく考えてみると、それは現代のUFO目撃談や円盤搭乗者とのコンタクトとそっくりではないか、という指摘から本書はスタートします。

 同じ傾向は日本を含む東洋の歴史的記録にも見られ、どうやら西洋文明に特有の傾向というわけではないらしい。歴史を通じてこういった類似事例報告が世界中で記録され続けてきたのだとすると、「妖精遭遇譚は古い迷信だが、異星人とのコンタクト事例は科学的事実」といった主張はいささか信じがたくなってきます。


「第2章 善き人々」
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 米軍の依頼によって行われた分析が、シモントンがもらったパンケーキから検出されたものの中に「塩」を挙げていないことは実に興味深い。ウエンツは、ジェントリーにとても詳しいアイルランド人からこう聞いたという。「彼らは塩分を一切とらず、新鮮な肉と混じりっけなしの水を飲食する」。混じりっけなしの水とは、まさに円盤の乗員たちがシモントンからもらったものである。
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単行本p.37

 本書を一躍有名にした、シモントン事件(イーグル・リヴァー事件)の驚くべき分析。シモントンと「宇宙人」との間で行われた「飲食物の交換」という儀式は、まさに妖精の国からきた食べ物に関する民間伝承と一致する。これは何を意味するのであろうか。

 さらに、円盤着陸痕(ミステリーサークル)と妖精の輪(フェアリー・リング)、動植物のサンプル収集に熱心という「円盤搭乗者」と「妖精」に共通する行動パターン、さらにはともに人間を誘拐する癖があるところなど、豊富な事例とともに、どうやら両者に本質的な違いはなさそうだ、ということを明らかにしてゆきます。


「第3章 秘密の共和国」
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 空飛ぶ円盤や、その搭乗者について今日世界的に広まっている信仰は、より古い時代にあった妖精にまつわる信仰と同質のものである。空飛ぶ円盤の搭乗者として描き出される存在は、中世のエルフ、シルフ、リュタンと区別することができない。未確認飛行物体を目撃することを通して、我々は祖先たちが熟知していて、畏怖とともに見つめていた者どもと関わっているのである――そう、我々は「秘密の共和国」の出来事に頭を突っ込んでいる、というわけなのだ。
 では我々は、妖精とUFOという二つの信仰が本当に同質なものである、とハッキリ言い切ることができるのか。できる、と私は信じている。
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単行本p.77

 「バネ足ジャック」や「モスマン」といった現代の怪人たちと、民間伝承に登場する怪物の類似性を指摘した上で、天空に起きる奇現象、パラレルワールドからやってくる奇妙な存在たち、といった報告は、今も昔も共通しているという結論にたどり着きます。UFOにまつわる報告は、いまここに生まれ出つつある民話なのだ、と。


「第4章 マゴニアからの帰還」
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今までのところ、このようにUFOを合理的に説明しようという試みはずっと失敗してきた。最も人々を惹きつけてきた「UFOは他の惑星からきた探査機である」という説も、この現象が歴史的にみてどのような展開をみせてきたのかを視野に入れてみれば十分な説明とはなりえていない。
(中略)
これは今日までに提案されたすべての仮説に共通するものであるわけだが、UFOとともに現れる者、ならびにその行動についての説明ができていない。いかなる仮説であれ、そうした報告の一部を説明することはできるだろうが、それはその他の大多数の事例を無視した上に成り立つものである。
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単行本p.144、145

 いわゆるエイリアン・アブダクション事例と、妖精による誘拐の類似性を掘り下げてゆきます。時間経過の相対性(短時間滞在したあちらの世界から戻ってくると、こちらでは長い歳月が経過していたというモチーフ)、性的な接触、さらには生殖や異種交配といった側面についても、アブダクションと妖精による拉致には、薄気味悪い類似性があることが指摘されます。


「第5章 永遠の命を持つ幼児たち」
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 UFOについての考察を野放しにしておけば、その結果、扱いやすく無防備な大衆は、ありとあらゆるペテン師たちの犠牲になってしまうことだろう。つまり、我々の社会をぶち壊してしまおうと考えている組織であれば、円盤の神話を巧妙に利用することで社会の土台を堀り崩してしまうことも可能である、ということを私は言いたいのだ。彼らは、すべての「合理主義舎」の賛美を受けつつ、我々をマゴニアへと連れ去っていくことだってできるのだから。
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単行本p.170

 19世紀の米国における飛行船騒動をとりあげ、それが今日のUFOとそっくりであることを指摘。さらに円盤体験の報告が我々の想像力と文化に与えている影響について考察し、やがて「何者かが、UFO体験によって私たちを心理操作しているのではないか」というパラノイア的な陰謀論に近づいてゆきます。

 ジャック・ヴァレは円盤まわりの陰謀論(情報隠蔽疑惑ではなく、少なくとも一部の事例は策略として人為的に起こされたものではないかというセオリー)が好きらしく、それは彼が書いた小説『異星人情報局』(ジャック・ヴァレ、礒部剛喜:翻訳)を読んでも明らか。本書の結論もそういう方向を曖昧に示唆しているようです。


 一読して、円盤搭乗員とのコンタクトと妖精遭遇譚が同じものだという主張には強い説得力を感じるのですが、では同じものだとしてそれは具体的に何なのか、なぜ時代を超えた普遍性があるのか、どうして物理的痕跡を残すことが出来るのか、といった疑問が次々にわいてきます。著者もそういった疑問に踏み込んでゆくと、何とも答えることが出来ず、曖昧で混乱した記述になってしまうようです。

 ようやくETHの泥沼を抜けたと思ったら、さらに大きな困惑に立ちすくんで、一歩も先に進めなくなる。強烈な光に目がくらみ、車のエンジンが停止する。そして時間が跳ぶ。刊行から半世紀近くたったにも関わらず本書がいまだ古びていないという事実も、皮肉なことに、UFO研究の真髄を見せてくれるようです。


「補遺 UFO着陸の1世紀(1868-1968)」
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典型的なUFO報告の枠組みからは逸脱しているけれども注目に値する話――あまりの突拍子のなさの故に、最初は丸ごと否定してしまいたくなるほどの特異なディテールをもつ話を語ってくれる目撃者――しかも平均的な人々の間にあって何ら偏ったところのない人物を見出すことから、真の問題は始まるのだ。
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単行本p.145

 1868年7月「巨大な空飛ぶ構造物の至近距離での目撃(チリ)」から、1968年11月「青い輝きに取り巻かれたレンズ型の物体が野原へ着陸したのを12名が目撃(フランス)」まで、本書刊行までの100年間に報告された総計923件にも及ぶ円盤着陸・搭乗者遭遇事例が並んでいます。日本語ページ数にして158ページ、実に本文と同じくらいの圧倒的な分量。

 内容的にも、ライトを照らしつつ海中を移動する巨大物体、カエル男の出現、怪しい雲にまるごと拉致された軍隊、着陸円盤を見つけてハッチを開けたら無人だった、など、ぞくぞくするような奇天烈事例が並んでいます。もちろんヘンテコ宇宙人遭遇譚として有名な事例もいっぱい。