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『SFマガジン2017年2月号 ディストピアSF特集』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2017年2月号には、ディストピアSF特集として、監視社会、排外主義、ブラック企業など現代的テーマを扱った翻訳短編が掲載されました。また17年ぶりの「博物館惑星」新シリーズ第一話、「製造人間ウトセラ」と「裏世界ピクニック」それぞれの最新作も掲載されました。


『セキュリティ・チェック』(韓松、幹遙子:翻訳)
――――
この国はいまだに安心できないのだ。安心と不安――このふたつの概念は異なる場合も多々あるが、まったく同じである場合もしばしばだ。
 これは恐怖と恐怖が戦っているのだと、ホフマンはわたしに言う。セキュリティ・チェックシステムによって生み出された恐怖のほうがはるかに恐ろしく、ほかの恐怖をすべて打ち砕くほど強力だ。そしてわれわれは自由という対価を支払う。
――――
SFマガジン2017年2月号p.60

 テロへの恐怖にとりつかれパラノイアに陥った米国。安心を求め自己分解再構成を繰り返しつつ消滅してゆく米国と、それを冷やかに観測する中国。監視社会の息苦しさを描く、いかにもなディストピア小説から、途方もない方向に飛躍してゆく中華SF。


『力の経済』(セス・ディキンスン、金子浩:翻訳)
――――
「ひどいもんだ」レイドは草に唾を吐いた。「無差別処刑なんて言語道断だよ」
「無差別じゃないわ」アポナはつぶやいた。「ただ……複雑なのよ。分散型なの」
「市場みたいにか」レイドはそう言って、モノリスを積み重ねたような立会場を、理解しているふりをしていた確率論的ベクター染色体予想機を思いだした。だれにも市場をコントロールできないのは、だれにも市場を理解できないからだ。
――――
SFマガジン2017年2月号p.74

 自律型ドローンの人工知能ネットワークは、独自の判断で異質な者を殲滅する。誰にも理解も予想もできない分散型アルゴリズムが人を殺し続ける、「公平」で「安心」な社会。複雑すぎて理解できないまま自動運転している市場、金融、安全保証に対する不安をえぐる短編。


『新入りは定時に帰れない』(デイヴィッド・エリック・ネルスン、鈴木潤:翻訳)
――――
「この世で最低の仕事だ」ディークはうなるような声で言うと、両手を組んで顔をうずめた。
「どうかな」ぼくは嘘をついた。「もっと最低の仕事に就いたこともあるから」その日までは本当のことだった
――――
SFマガジン2017年2月号p.100

 タイムマシンで過去の時代から労働者を連れてして搾取する、この画期的なイノベーションで人件費を削減している工場。そこで働いている新人受け入れ担当者。だがあるとき、強制収容所から痩せ衰えたユダヤ人の子供たちが送り込まれてきたことで、彼は自分の仕事に疑問を持つ。児童労働ってまずいんじゃなかったっけか。いや、そもそもまずいのはそこじゃないだろ。強烈なブラックユーモア短編。


『博物館惑星2・ルーキー 第一話「黒い四角形」』(菅浩江)
――――
 芸術の楽園において、人々の安全を守るというのはとても簡単でとてもむつかしい。
――――
SFマガジン2017年2月号p.236

 既知宇宙のあらゆる芸術と美を集めた小惑星、地球-月のラグランジュ5ポイントに置かれた博物館惑星〈アフロディーテ〉。新たに赴任してきた若き警備担当者が遭遇した最初の事件は、ここで守るべきものが何であるのかを教えてくれた。『永遠の森』から17年、次世代の職員たちの仕事をえがく新シリーズ開幕。


『裏世界ピクニック ステーション・フェブラリー』(宮澤伊織)
――――
 正直に言うと、私はちょっと感動していた。そんな場合じゃないことはわかってるんだけど、ある種の聖地巡礼みたいな感覚というか……。くねくねや八尺様との遭遇とはわけが違う。あれらは確かにネットロアで語られる怪異に酷似してはいたものの、向こうから名乗ってきたわけじゃない。でもこれは違う。なんと言ってもちゃんと「きさらぎ」って書かれてる。存在しないはずの駅が、ほんとにあったんだ! という感慨に襲われてしまうのも無理はないだろう。
――――
SFマガジン2017年2月号p.322

 東京から歩いてゆける「ゾーン」こと裏世界。2ちゃん発ネットロア妖怪「くねくね」と「八尺様」を倒し、〈見る〉力と〈触れる〉力を手に入れた〈第四種接触者〉の二人は、今度は夜の裏世界に迷い込んでしまう。化け物に襲われて線路沿いに逃げる二人の前に現れた謎の無人駅、それは……。海兵隊の激しい戦闘シーンなども登場し、『神々の歩法』に近づいてゆくような気がしてならない第三話。連載はこれで終了し、書き下ろしエピソードを加えて2017年2月下旬に単行本化されるそうです。ラスボスはやはり「ニンゲン」なのかなあ。



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『砂文』(日和聡子) [読書(小説・詩)]

――――
夜更け
脱衣所の隅を 這うもの
動かなくなり
女が湯から上がるのを
待たずに消える
――――
『音のない声』より


 ごくありふれた言葉のならびから聞こえてくる響きが、恐いよこわいおそろしい。のどかなようで鬼気迫る、この世のものとも思えない情景描写にすくみ上がる怪談詩集。単行本(思潮社)出版は2015年10月です。

 日和聡子さんといえば以前に小説を読んだことがあり、そのとき文章の迫力に腰を抜かしたものです。ちなみに単行本読了時の紹介はこちら。

  2014年05月23日の日記
  『御命授天纏佐左目谷行』(日和聡子)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-05-23

 その日和聡子さんの詩集を読んでみました。さりげない情景描写から立ち上がってくる何かが、すげいこわい。


――――
寝しずまった 廊下
いつかの 破れた蜘蛛の巣がぶら下がる
女は 髪の滴と汗を垂らしながら
しのび足で 奥の間へ渡る

点滅しない 青いランプ
緑と 黄と 黒い葉の 繁る がじまる
怪物が その根本で 大きな口をあけている
片目をとじ もう一方を見ひらき 宙空を見つめて
空には 影か 月
どちらも出ていない
――――
『音のない声』より


 夜の情景だから恐いのか。いや、朝も夕も、とにかく何だか。


――――
明け方
空になった二階の右を
次に貸し出す計を階下の寝床で密めく夫婦
互いの股に
いつかあけび模様の網籠を掲げて
ともにさまよった朝霧の渓谷から
今朝
沢蟹がひとり上ってくるのを
左の窓から
見おろしている
――――
『御札』より


――――
高原へ向かう列車で
名前のわからぬ
渓流をさかのぼってゆく

誰も歩いていない乾いた砂埃の道
やがて 夕もやのかかった一帯へ続き
水に湿る草陰からは
濡れた女の白い腕が浮かび上がる

白昼夢の襞のような
幅の広いトンネルに入る
抜け出すと
早苗の植えられた光る田んぼが
日没に滲んで目を涼ませる
列車は渓流に沿って遡行を続ける
名前はまだわからない
それがあると思い込んで
――――
『三才』より


 怪談だと思うのですが、いわゆる「実話系」と呼ばれる怪談とは違います。具体的に恐いことが起きる、あるいは起きそうで起きない、そういう物語的意味を期待しているとあっさり裏切られて、そこに置いてきぼり。


――――
畳に 床に  流れる髪が横たわる
その川をまたいで  部屋へ
「降ってきました。」
レースのカーテン越しに 実況する。
鞄そのものが 重たい鞄。 机の脇に 下ろす
「ああッ!」
机に突っ伏して
足元はおろそか  白いソックスに 蛍光タスキが蟠る
人参にしゃべりかけていた 昔も
今は 鏡台のうしろの障子に 映らない影が 溜まる
――――
『土星の午後』より


――――
黒い
御札をもらい
「消災呪。」
額に貼られる
腕の付け根と
叉に

黄色い空の縁に
黒塀をはりめぐらせた
Y山のふもとの屋敷
門を見出せず
バスで通い詰めた町と集落
こいはしないと決めた少女の 靴下と爪  埋まる
仏壇の厨子の陰に
穀象虫が 餅菓子とともに
干て
――――
『御札』より


――――
深く吸っても すぐに足りなくなる息を
幾度も水面に顔を出して継ぐうちに
浜の景色は変わっていった
波打際に残してきたサンダルは もう見えなくなった

どこまでいけるか いっていいのか
あと少し もう少し と漂い流されていく背中に
監視台から 繰り返し警告が発せられる
「ブイを越えている方
 早く 一刻も早くこちらへ戻ってきてください――」

半音下がるみたいにして
爪先に触れる水が急にひんやりする
遠ざかった海の家から駆け出して
大きく手まねきしてくれる人の声を 風がさえぎる
――――
『遊泳』より


 というわけで、何がどうこわいのか釈然としないまま、いつまでも残り続けて、よく考えたらその昔、体験したのにそのまま忘れていたあれがそのまま描かれていたんじゃなかったか、ついそんな風に感じてしまう詩集です。



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『ロックンロールは死んだらしいよ』(山﨑修平) [読書(小説・詩)]


――――
 僕たちが注文したミルクセーキが届き隣の席に座った白髪の紳士の帽子が風に揺れた時はもうロックンロールは死んでいたらしいよ
 僕はときどき君に難しそうな顔をして伝えるのだけれど君が里芋の煮っころがしを旨そうに食べている顔を観ていると何となく僕の全てが肯定された気になるのだでも少しだけ里芋に嫉妬しているかもしれない
(中略)
洗い終わりシンクの上に干したまな板からシンクへと垂れている水の粒がはじけリズムになっている人類がかつて原始人だった頃を思い浮かべている
 火の爆ぜる音に動揺し興奮し風吹きすさぶ下で明日の天気を思い互いの手を叩き合い湖の水面に雨粒がこぼれ落ちた時に大切な人に想いを告げたのだろう
 ロックンロールは死んだらしいよ
 もう僕はそんな事はどうでも良くて
 君といられて嬉しいって思っているのだよ
――――
『ロックンロールは死んだらしいよ』より


 ロックンロールは死んだらしいよ。でも大丈夫、今年もまた奇跡の復活をした大物が来日コンサートやるし、それに君といればロックの歌詞の言葉だってきらきら輝く現代詩。まじか、のけぞった瞬間も転がり続けるかっちょいぇい詩集。単行本(思潮社)出版は2016年10月です。


――――
午前1時7分。部屋の外を一台の原付が走り抜ける。乾いた匂いのする部屋。東京を埋め尽くすほどの無塩バター、あるいは音楽雑誌を用意してくれ。すべてを愛したいと無責任なことを言ったボート乗り場で、キッチュな階段の前で。
――――
『美しい日々』より


 少女マンガの言葉が先鋭的な現代詩になると思い知らされた僕たちも、まさかロックンロールの歌詞がクールな現代詩になるとは気づかなかった。もう思い切り叫んでもいいんだ。


――――
つまり僕や君のすべてを台無しにしてしまうような
甘ったれた覚悟のことだ
僕はここに立つことに決めた最後までここに立つよ
――――
『ぬるい春』より


 思い切り叫ぶのはやめておくとして、この痛みは何、この痛みは。


――――
たぶん、良いことばかりは起きなくてこのあとも辛いこと悲しいことは起きるのだろうけど駅まで信号が全て青だったとか釣り銭が777円だとかそんなたまにある良いことはあるもの。例えば流れてゆく車窓はあっという間に過ぎてしまうものだけれど今あそこに行きたい誰もいない公園に誰も観ていない花のつぼみが今日咲いた。
――――
『甘い踊り』より


――――
ペットボトルの水はもったいなくて捨てられなくて飲み干すんだ四弦が切れた日の午後に飲むアイスカフェラテとミニマルミュージック。
――――
『美しい日々』より


――――
十代はね、溶けて。
二十代はね、流れだすのよ。
――――
『美しい日々』より


 よどんで、にごって、乾いてしまった僕たちは、どうすれば、というか一人称に僕たちを使う癖いい歳なのでもうやめたい。そしてある種の言葉や表現を、ださい、ふるい、いけてない、と決めつけていたことを恥じたい。ロックは死んでもロック魂は不滅。とか言ってみたい。いつか。


――――
決して間違ってない狂人が湯浴みをする横で
確かに僕は息をしながら
イエローマジックオーケストラの素晴らしさを語りもう一度あなたを抱きかかえた
――――
『スンの近くに』より


――――
演出助手は電車がS字カーブに差しかかるころ減速する車内で金平糖を皆に配り始める、俺なりのルールと何度も言って君は近代都市を三センチ壊してしまう
――――
『朝のはじまること』より


――――
簡単な会話のあとに誰かの好きだったJポップをとびきり明るくうんざりするようなJポップを笑いながら肩にもたれて
――――
『朝のはじまること』より


 とびきり明るくうんざりするようなJポップを歌いながら、
「乾季のみ客を受け入れる街の隅に置かれた毛布はひとつの哲学」とか、
「飛翔した都市の内部構造について」とか、
「あなたの音は私にはなれない」とか、
タイトルだけでもう脳がしびれて、現代詩はロックだ、とか断言しちゃうんだ。僕たちは。



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『〆切本』 [読書(随筆)]

『手紙 昭和二十六年』(吉川英治)より
――――
 小説
 どうしても書けない 君の多年に亙る誠意と 個人的なぼくへのべんたつやら 何やら あらゆる好意に対しては おわびすべき辞がないけれど かんにんしてくれ給え どうしても書けないんだ
――――
単行本p.44


 書けぬ、どうしても書けぬ。〆切を前にして、というか後にして、七転八倒悶絶自傷に走る者、他人のせいにする者、逃亡する者、話をすり替えて正当化する者……。明治の文豪から現代の人気作家まで、〆切に苦悩し狂乱する文士たちが言い訳と現実逃避のために書きつけた、血を吐く文章94篇を集めた〆切アンソロジー。単行本(左右社)出版は2016年8月です。


『はじめに』より
――――
 本書は明治から現在にいたる書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めた“しめきり症例集”とでも呼べる本です。
――――
単行本p.10


 とにかくどのページからも「書けない、書けない」という叫びがあふれてくる一冊。そういうとき、人はどのような言葉を吐き出すのか。

 まずは素直に謝るパターン。シャレにならない事態であっても、とにかく謝り倒す。少しだけ勝手な言い訳を混入させることで、でもぼくそんなに悪くないもん、という甘え心を見せるのもテクニック。


『はがき 大正六年』(島崎藤村)より
――――
一月もかかって、漸く三十三枚しか書けませんでした。小生の身体の具合は、これでもって大凡想像がつかうと思ひます。右にも関わらず、小生は力めて健康の回復を計って居ます。
――――
単行本p.23


『手紙 明治三十八年』(高浜虚子)より
――――
さう急いでも詩の神が承知しませんからね。(此一句詩人調)とにかく出来ないですよ。今日から帝文をかきかけたが詩神処ではない天神様も見放したと見えて少しもかけない。いやになった。是を此週中にどうあってもかたづける。夫からあとの一週間で猫をかたづけるんです。
――――
単行本p.19


『はがき 昭和六年』(寺田寅彦)より
――――
どうかもう少し御延期を願度と存じます。日支事件で新聞は満腹でしやうから、閑文字は当分御不用ではないかとも想像致しますが如何でしやう。
――――
単行本p.26


 続いて、書けないものは書けないと開き直るパターン。


『机』(田山花袋)より
――――
どうも気に入らない。題材も面白くなければ、気乗りもしない。とても会心の作が出来そうに思われない。もう日限は迫って来ているのだが、「構うことはない、もう一日考えてやれ。」と思って、折角書く支度をした机の傍を離れて、茶の間の方へと立って来た。
――――
単行本p.12


『無恒債者無恒心』(内田百聞)より
――――
 帰り途に、落ちついて考えて見たら、二十八日までという期日は、小生がお金がほしくてきめて貰った日限であって、雑誌の編集の都合からいえば、何も二十八日に原稿を受取らなくてもよかったのである。小生は自分の困惑について、他人におわびしに来たようなものである。(中略)これから二三日の間の借金活動に要する運動資金を調達するため、細君に、彼女の一枚しかないコートを持って、質屋に行くことを命じておいた。そうして熟睡した。
――――
単行本p.41


 何とか責任を逃れようと被害者ぶってみせる、あるいはいきなり「そもそも〆切をなぜ守らなければならないのか」とか言い出すパターン。


『私の貧乏物語』(谷崎潤一郎)より
――――
私が貧乏してゐる重大な原因は、遅筆と云ふことに存するのである。これは原稿の催促に来る記者諸君にはいつも訴へてゐるのだけれども、その程度が如何に甚しいかと云ふことを本当に諒解してくれてゐるのは、私と起居を共にする家族の人達だけであつて、記者諸君などは好い加減に聞いてゐるらしいのが残念でならない。
――――
単行本p.28


『遊べ遊べ』(獅子文六)より
――――
 日本の文士がこんなに忙がしくなったのは、有史以来である。結構なことだが、文士が働きアリのように、まっ黒になって、朝から晩まで仕事をするというのは、少し変態ではないか。
――――
単行本p.47


『書けない原稿』(横光利一)より
――――
引き受けた原稿は引き受けたが故に、必ず書くべきものだとは思つてゐない。何ぜかと云へば、書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ。執筆者を殺してまでも原稿をとると云ふことは、最早やその人の最初の親切さを利慾に変化させて了ってゐる。
――――
単行本p.52


 あつかましい言い訳と正当化がずらずら並ぶなかで、追い詰められてちょっと壊れちゃったかなーという感じのパターンも。


『日記 昭和三十五年』(高見順)より
――――
 私みたいに遅筆の人間は、ほんとに困る。
 遅筆の人間が、時間潰しのこんな日記書いている。
 時間が潰れると思って、今まで書かなかった。
 今、これは、仕事にかかる前に書いている。
――――
単行本p.73


『作家が見る夢』(筒井康隆)より
――――
締切に追われているときの、原稿を書いている夢。原稿用紙のマス目の数が明らかに違うわけですよ。縦二十字以上、横を見たらワアッと何十行もある(笑)。それをあしたまでに二十枚、というのはこわいです。
――――
単行本p.101


『吉凶歌占い』(野坂昭如)より
――――
 明け暮れ針のむしろに在る如く、もとより編集長以下必死の形相裂帛の気合で催促なさり、するとぼくは、事故で右手の小指を折ってしまった(中略)しかし、締切は一週間延びただけで、前後の事情いっさいかわらず、骨折後二日目に、シーネをはずし、とにかく字を書きはじめた、自己流に、割箸折って小指にあて、ゴムバンドでとめて。
 半分ほどすすんだら、そしてそれまで不精きめこみ、のび放題の鬚をそろうと、カミソリの刃をとりかえ、あやまってまったく骨折と同じ箇所を、骨のみえるほど、切ってしまったのだ(中略)
われながら認めにくいけれど、どうも、締切と怪我の間になにかつながりあるように思えるのだ。
――――
単行本p.104、107


 原稿執筆を「編集者との心理戦」と見なして皮肉を言いまくるパターン。


『肉眼ではね』(西加奈子)より
――――
「西さん、先週締切の原稿ですが、まだ送っていただけないのでしょうか」「肉眼ではね」
 どうだろう。「自分は己の目で見えるものしか信じない、物事の背景にある様々なものに心の目を凝らすことが出来ない俗物」と、編集者に思わせることは出来ないだろうか。
(中略)
 とうとう想像だけでは飽き足らなくなり、実際に声を出すことまでする。
「肉眼ではね!」
 寝ていた猫が、ビクッとなるほどの大声だ。
 もはや、「肉眼ではね」を言いたくてたまらないだけになっている。脳からおかしな物質が出てくる。
――――
単行本p.179


『植字工悲話』(村上春樹)より
――――
僕なんかが聞いていると編集者の方もけっこうそういうデッドライン・ゲームを楽しんでいるのではあるまいかという気がしなくもない。これでもし世間の作家がみんなピタッと締め切りの三日前に原稿をあげてしまうようになったら――そんなことは惑星直列とハレー彗星がかさなるほどの確率でしか起こり得ないわけだが――編集者の方々はおそらくどこかのバーに集まって「最近の作家は気骨がない。昔は良かった」なんて愚痴を言っているはずである。これはもう首をかけてもいいくらいはっきりしている。
――――
単行本p.242


 そして、最後は書き逃げパターン。


『作者おことわり』(柴田錬三郎)より
――――
「プレイボーイ」誌の編集者が、あと一時間もすれば、このホテルの私の部屋に入って来ます。
 締切ギリギリ、というよりも、締切が一日のびてしまって、私は、断崖のふちに立たされているあんばいなのです。
 どうしても、あと一時間で、脱稿して、渡さなければならない。そうしないと、雑誌が出ない。
(中略)
 困った!
 かんべんしてくれ!
 たすけてくれ!
 どう絶叫して救いを乞おうと、週刊誌は、待ってはくれぬ。
 そこで、やむを得ず、こんなみじめな弁解を書いているのです。
(中略)
 あと一時間で、「プレイボーイ」誌の編集者が、原稿を受けとりにやって来るが、私は、白紙を渡すわけには、いかない。
 黙って、悠々として、さらさらと書きあげたふりをして、部屋へ置きのこしておいて、私は、ロビイへ降り、ティ・ルームで、ブルーマウンテンでも飲むことにする。
 編集者は、急ぎの原稿を受けとると、その場で、読まずに、一目散に、印刷所へ駆けつけて行く習慣があることを、私は知っているからです。
――――
単行本p.348、351


 編集者の側から見た文章もいくつか収録されています。


『喧嘩 雑誌編集者の立場』(高田宏)より
――――
 我慢は、ずいぶんした。小さな我慢を数え上げたらキリがない。編集者は我慢をするのが商売のようなものだ。締切りが来ているのに、なんだかんだと引きのばされても、じっと我慢して待つ。ギリギリのところでもらう原稿を、自分の睡眠時間をカットすることで何とか間に合わせる。書いていると聞いて安心していると、それが実は他誌の原稿であることが分かっても、我慢する。待ち合わせの場所へ著者が遅れてきても、三十分や一時間なら我慢する。遅れるなら電話一本くらいくれてもよさそうだと思っても、それは口にしないで、にこやかに我慢する。
――――
単行本p.234


『編集者の狂気について』(嵐山光三郎)より
――――
 多くの編集者の友が死んだ。ほとんどロクな死に方ではない。ムリして死んでいる。他の業界なら死ななくてすむのに死んでいる。仕事にこだわりすぎている。殉職といえばそれまでだが、編集者は同業の死のなかに自らを投影してこの稼業の無常を知る。
――――
単行本p.213


 というわけで、締切りをめぐる作家と編集者の因業がうかがえる一冊。他人事と笑いつつ、まじでこの業界どこかおかしいんじゃないの、と心配になります。



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『十年後のこと』(小山田浩子、最果タヒ、松田青子、森絵都、他) [読書(小説・詩)]


――――
ソファに埋もれて目を瞑り、その手紙の傍らへと十年前に想像された自分を夢見ようとする。当時その手紙を受け取った自分の、十年後の姿をそこへ重ねようとする。彼女が十年前に想像していたかも知れない、十年後の自分の姿をなんとか想像しようとしてみる。そうして自分が、これまで誰にも想像されたことのない亡霊になったような気分になっていく。
――――
単行本p.61


 十年前の自分、十年後の社会。詩人、小説家、脚本家、漫画家、画家、写真家、映画監督、芸能人など、各界で活躍する35名の著者が十年という歳月をテーマに書いた小説アンソロジー。単行本(河出書房新社)出版は2016年11月です。


[収録作品]

『星林』(暁方ミセイ)
『時よ止まれ』(東浩紀)
『恥ずかしい杭』(天久聖一)
『大自然』(彩瀬まる)
『飛車と騾馬』(絲山秋子)
『肉まんと呼ばれた男』(戌井昭人)
『呼吸』(海猫沢めろん)
『10年後は天国だったと思う』(蛭子能収)
『お返事が頂けなくなってから』(円城塔)
『エリナ』(岡田利規)
『延長』(小山田浩子)
『線上の子どもたち』(温又柔)
『さて……と』(角野栄子)
『死者の棲む森』(木下古栗)
『ミッションインポッシブル』(姜信子)
『未来から、降り注いだもの。』(小林紀晴)
『愛はいかづち。』(最果タヒ)
『参上!! ミトッタマン』(しりあがり寿)
『ふたつの王国』(壇蜜)
『そういう歌』(長嶋有)
『芳子が持ってきたあの写真』(中原昌也)
『洞窟の外』(中村文則)
『!?箱』(野中柊)
『ポイント・カード』(早助よう子)
『結婚十年目のとまどい』(姫野カオルコ)
『ゆきおろし』(日和聡子)
『コアラの袋詰め』(藤田貴大)
『私のいる風景』(松井周)
『履歴書』(松田青子)
『Dahlia』(森絵都)
『ドレスを着た日』(山内マリコ)
『君を得る』(山戸結希)
『渡りに月の船』(雪舟えま)
『十年後のいま』(横尾忠則)
『希望』(吉村萬壱)


『お返事が頂けなくなってから』(円城塔)
――――
 隣り合ってはいるものの、通じてはいない部屋じみている。壁を叩くだけで信号はすぐに届くのに、わざわざ戸口を出てからポストを通り、郵便局を経由して、こちらの戸口に入ってくるのだ。その手紙を受け取る頃には差出人は隣の部屋で死んでミイラになっており、受取人はそんな事実に気づかずに、その間過ごしていたのだということになる。あるいは背中合わせの二人みたいだ。互いの視線は地球を一周してようやくぶつかる。
――――
単行本p.60

 転送を繰り返した挙げ句、十年かかって届いた手紙。ネットで検索すればすぐに連絡をとれるであろう時代に、彼女が十年前に想像していたかも知れない、十年後の自分の姿を想像してみる。距離感の混乱から生ずる思わぬ抒情が印象的な作品。


『延長』(小山田浩子)
――――
必死に両手で擦った。しずくが散った。母娘は白い顔で見つめ合っている。「あのときの」「あの真っ黒い……」恋人が膝から崩れ落ちた。母親は濡れた手を口に当てた。嘔吐しそうに見えた。「十年経っても出るなら」ふいに低い声がした。「納屋を潰してもあいつは忘れないんだろうね」テレビの前の父親だった。
――――
単行本p.73

 恋人の家に行ったら、納屋掃除を頼まれた語り手。「もう十年、誰も入ってないの」というその納屋に、恋人も、その母親も、決して入ろうとしない。そこに何があるのか。なぜ十年も放置されていたのか。なぜ自分に掃除をさせるのか。事情が分からないまま、じわじわと怖さが盛り上がってゆく傑作。


『愛はいかづち。』(最果タヒ)
――――
 ご説明すれば、私は美人なのです。そして美人で、感情の起伏が荒く、てのひらの感情線は乱れがち。いえす、恋に落ちやすい。すぐ落ちて、すぐ別の恋にも落ちて。落ちっぱなしの私に、頭脳明晰たちがマシンをつけた。いえす、恋でふるえる精神のビート、心臓のビートを蒸気にかえて、発電するマシンよ。私の恋は必ず閾値にたっして、雷になる。背中の避雷針がそれを、キャッチするっていう仕組み。
(中略)
 恋はいかづち。ラズイズサンダー。美しい雷が私の避雷針に飛んでいった。私。私はそれできみのことを忘れ、また明日から恋を売りさばく。ラブイズサンダー。私は美人。
――――
単行本p.107、110

 愛はいかづち、いえす、恋でふるえる心臓のビート、ラブイズサンダー。頭が炉心溶融するような言葉からつくり上げてみせる鮮烈な現代詩すごいな。


『コアラの袋詰め』(藤田貴大)
――――
「でもコアラってどの程度、恐いのだろうか」
「握力が強いらしいよね」
「ああ、へえ」
「それと意外と足も速いらしいよ」
 なかなかコアラについて詳しい彼女に感心しながら、爪を噛んでいた。
「いやでも、ぼくは陸上部だったしさあ」
「ああ、短距離だっけ」
「だからたとえコアラに追われたって、ぼくならだいじょうぶだよ」
「あんまりみくびらないほうがいいよ、コアラ」
――――
単行本p.166

 首都圏をコアラが直撃。コアラ警報発令。コアラを袋詰めにして歩いている渋谷のひとたち。「捕獲しないと、こっちがやられてしまうからなあ」。十年後の日本は、コアラのマーチ、らしい。奇妙な読後感を残す短編。


『履歴書』(松田青子)
――――
働いていると、「女」「女の子」「女」「女の子」扱いされた記憶だけが日々蓄積されていき、ほかのことは全部こぼれ落ちていくような気分になる時がある。目の前の書類ではなく、「女」「女の子」「女」「女の子」らしく振る舞うことが、そういう扱いをされることが、わたしの「仕事」だったんだろうか。(中略)10年働いても、一度もちゃんと「仕事」だった気がしない。いつもいろんなことがよくわからない。次の10年も、よくわからない10年だろう。
――――
単行本p.181、182

 女だというだけで軽んじられ、なめられ、ぞんざいに扱われ、セクハラされ、まともな仕事はさせてもらえず、女は知らなくていい女にはわからない女は気楽でいいよなと言われ続け、いつもいつも「一身上の都合により、退社」。十年たっても何にも変わらない日本の会社の仕組みを直球でえぐる短編。


『希望』(吉村萬壱)
――――
 そして或る文字が現れた時、私は目を見張りました。沢山の人々が声もなく落ちていくのです。誰かが発した「ひどい!」という叫び声が耳にこびり付いています。想像すらかなわない希望の言葉が絶望を生み、遂に彼らの気を狂わせたのです。
――――
単行本p.217

 後ろ向きに宙吊りにされたまま運ばれてゆき、〈希望〉〈愛〉〈家族〉〈絆〉〈母親〉といった言葉が現れるたびに悲鳴を上げて奈落に落下してゆく女たち。弱い立場の人間を踏みつけるための「美しい」言葉が蔓延する地獄、というか要するに今の日本社会をストレートにえがく短編。



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