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『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』に『猫道 単身転々小説集』を追加 [その他]

 電子書籍リーダーおよびアプリとして提供されているAmazon社の「Kindle」シリーズで読める笙野頼子さんの著作リスト(内容紹介つき)に、『猫道 単身転々小説集』を追加しました。

『Kindleで読める笙野頼子著作リスト(内容紹介つき)』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-09-23



タグ:笙野頼子

『SFマガジン2017年6月号 アジア系SF作家特集』(ケン・リュウ、他) [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2017年6月号は、「アジア系SF作家特集」として、ケン・リュウをはじめとする中国出身作家たちの短編三作を翻訳(すべてケン・リュウによる英訳からの重訳)掲載してくれました。また、澤村伊智さんと藤田祥平さんの読み切り短編も掲載されました。


『折りたたみ北京』(カク 景芳、ケン・リュウ:英訳、大谷真弓:和訳)
(カク=赤へんにおおざと)
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 “交替”が始まった。これが二十四時間ごとに繰り返されているプロセスだ。世界が回転し始める。鋼鉄とコンクリートが折りたたまれ、きしみ、ぶつかる音が、工場の組立ラインがきしみを上げて止まるときのように、あたりに響き渡る。街の高層ビルが集まって巨大なブロックとなり、ネオンサインや入口の日よけやバルコニーなど外に突き出した設備は建物のなかに引っこむか、平らになって壁に皮膚のように薄く張りつく。あらゆる空間を利用して、建物は最小限の空間に収まっていく。
(中略)
 その頃には、地面が回転しはじめている。
一区画ずつ、地面が軸を中心に百八十度回転して、裏側の建物を表に出していく。次々に展開して高く伸びていく建物は、まるで青灰色の空の下で目を覚ます獣の群れのようだ。オレンジ色の朝日のなかに現れた島のような街は、開けて広がり、灰色の霧をまとわせて静かに立ち上がる。
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SFマガジン2017年6月号p.31、32

 三層構造になっている北京。地図上の同じ場所を共有する三つの北京が、時間を区切って交替することで、経済成長と雇用確保を両立させているのだ。“交替”時刻がやってくると、それまで存在した北京の街は物理的に折り畳まれ、次の階層がポップアップ絵本のように展開する。階層間の行き来は厳しく制限されている。これが今の北京のリアル。
 あるとき「プライベートな手紙を第一階層へ届けてほしい」という依頼を受けた第三階層の貧しい住民である主人公は、高額の報酬を手に入れるため危険を覚悟で「越境」を試みるが……。

 支配層、都市住民、農民工という三層に分かれた階級社会、急激に広がる苛烈な経済格差、所属階層によって世界観そのものが分断された、そんな現在中国。もう文学的暗喩とかそういうぬるい手法では表現しきれないような状況を、徹底的に“物理的に”表現してのけた驚異の一作。


『母の記憶に』(ケン・リュウ、古沢嘉通:和訳)
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 そのことはパパからあらかじめ説明されていた――そうやってママは時間をだまし、自分に残された二年間を引き延ばして、わたしが成長するのを見守っていられるようにするのだ、と。
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SFマガジン2017年6月号p.59

 不治の病で余命二年と宣言された母親が、相対論効果を利用して残された時間を引き延ばし、長い間隔をおいて娘に会いに来る。娘は成長してゆき、やがて母親の年齢を追い越してしまう。短いページ数で、母娘の愛と葛藤を描いてみせる短編。


『麗江の魚』(スタンリー・チェン、ケン・リュウ:英訳、中原尚哉:和訳)
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それぞれの四角のなかで時間は速く流れたり遅く流れたりしている。地上の人々は見えない手にあやつられた蟻のように集められ、グループごとにそれぞれの四角に押しこめられている。労働者、貧困者、つまり“第三世界”の時間の流れは速い。裕福で有閑の“先進国”では時間はゆっくりと流れる。為政者、偶像、神々の時間は止まっている……。
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SFマガジン2017年6月号p.73

 あくなき生産性向上、激しい出世競争、毎日激変してゆく世界に追いつけなければ脱落するという強烈なプレッシャー。過酷なストレスにさらされ続ける現代中国の都市生活者である主人公は、激務のせいでメンタルヘルスに問題を抱え、リハビリのため麗江の街に十年ぶりに戻ってくる。美しい自然、のんびりと流れてゆく時間、謎めいた女との逢瀬。しかし、語り手はそのすべてが人工的に管理されていることに気づく。

 「万人に平等に与えられている」といわれてきた時間でさえ社会階層による格差が広がっているストレスフルな現代中国の都市生活を、SF的なアイデアを用いて表現した短編。


『コンピューターお義母さん』(澤村伊智)
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 義母は関西の老人ホームにいる。
 と同時にこの家にも「いる」。
 ネットデバイスとアプリを駆使し、家屋と家電についた様々なセンサーから、この家のことを把握している。そして何か見つける度にわたしに小言を言い続けている。この家を建てて住むようになってから、今の今までずっと。
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SFマガジン2017年6月号p.228

 各種センサ、監視カメラ、ネット対応の設備や家電、あらゆる情報技術を駆使して遠隔地の老人ホームから行われる「サイバー嫁いびり」。ひまを持て余した義母にネットワーク経由で一挙一動を監視され、何かというと嫌味メッセージを送りつけられる主人公は、ついに反撃を決意するが……。情報技術の発展によりグローバル化する嫁姑問題という風刺的なブラックユーモア作品、なんだけど、ユーモアよりも心理ホラー感が強いです。


『スタウトのなかに落ちていく人間の血の爆弾』(藤田祥平)
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『スローターハウス5』をなんども繰り返し読んだ。自分では感じていなかったが、おそらく心は悲しんでいたのだろう、私はもはやどのページから読んでも泣けるようになっていた。あらゆる非現実的な描写はそれ自体が表現として優れていると同時に、そのままドレスデン大空襲の超現実性の暗喩でもある。私はこの優れた技法に感涙し、そして次のような厳しい真実をまなんだ――作家にとって、すべての個人的な体験は、小説を執筆するための材料である。
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SFマガジン2017年6月号p.334

 京都にある芸術大学のクリエイティブ・ライティング科に通う学生が、卒業製作として『スローターハウス5』(カート・ヴォネガット)の評論(および全訳)を選ぶ。森見登美彦さんの小説にありそうな状況や出来事を、カート・ヴォネガット風の感傷的な雰囲気で私小説風に描いてみせる短編。ラストシーンにちゃんとドレスデン爆撃を持ってくる律儀さ。



『まぬけなこよみ』(津村記久子) [読書(随筆)]

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まぬけな人が一年をぼんやり過ごしている、というコンセプトで、約三年の連載を編集担当さんに迷惑をかけながらやりおおせたわけなのだけど、読み返してみると、まぬけであるのと同じぐらい、昔のことを思い出しているな、という印象がある。(中略)
 特に、父方の祖母について文章を書くのは、たぶんこれ一度きりになるのではないかと思う。
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単行本p.296


 二十四節気/七十二候に関するテーマを毎回ひとつ選んで書かれた連載エッセイ。単行本(平凡社)出版は2017年4月、Kindle版配信は2017年4月です。

 歳時記をテーマとした『くらしのこよみ』のまぬけ版、という趣旨で連載されたエッセイなのですが、個人的には、ご自身の過去について詳しく書かれていることが要注目でした。

 津村記久子さんの子供時代や学生時代については漠然としたイメージを持っていたのですが、よく考えてみればそれらは『まともな家の子供はいない』や『ミュージック・ブレス・ユー!!』といった小説から勝手に作り上げたもの。では、実際にはどんな子供だったのでしょうか。


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 わたしの小学校低学年における記憶の二割ぐらいは、ぶらんこ関係のことだと思う。ぶらんこが楽しかった。何々ちゃんはぶらんこをよく押してくれてとてもありがたい人だった。ぶらんこから落ちて膝を擦り剥いた。ぶらんこから落ちて真下に埋まっていた石で頭を打った。ぶらんこの近くで遊んでいてぶらんこ自体で頭を打った。(中略)わたしにとっては、ぶらんこをリラックスしてこぐなんて、時間の無駄でしかなかった。ぶらんこに乗ったからには、いつも本気だった。
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単行本p.105、106


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 帰り道に花を食べる友人の正体も、ぜひ知りたかった。わたしの記憶の中の彼女は、永遠に小学一年で、前世はチョウかミツバチだったんじゃないかというほどの手練れだった。不意に断たれた物心がつく前の友情は、いつまでも美しく、そして不思議だ。
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単行本p.127


 「自分の人生には無用に思える」「思い出したくないこと」「できれば通過せずに子供時代を過ごしたかった」「「嫌い」ではなく「うんざり」」などと率直に語られる父親のこと。そして祖父母のこと。両親の離婚と引っ越しのこと。様々なことが語られています。

 学生時代の話としては、何といっても高校受験の話題が印象的です。


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高校の私立の試験に落ちたら死のうと思っていた。本当に思っていた。二月のはじめの頃に受けた私立は、すべり止めの高校で、本命ではなかったものの、だからこそ深刻だった。極端なことを言っているようだけれども、同じ考えだった人はけっこういると思う。(中略)これに落ちたら死のう、と思っている試験なので、それはもうたくさんのことを覚えている。
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単行本p.52、53


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その日は卒業式だからもういい無礼講だ、という理由で塾を休み、友人の家の近所の公園でドッヂボールをしていた。式典のことはぜんぜん覚えていないくせに、この時の様子や気持ちははっきりと思い出せる。あんなにちくしょうと思いながらボールを投げていたのは、あの瞬間以外ない。もういい、何もかもいい、自分は数日のうちに死ぬ、受験に落ちて死ぬ、だから今は思い切り遊ぶぞうおおお。その「遊ぶ」の象徴が公園で球技。しかし、その後先のないプリミティブさが、わたしとしては本質的な意味での「遊ぶ」であった。
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単行本p.78


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 わたしと友人たちは、サルのように遊びまくった。中学を卒業させられ、受験の本番もまだ(すべり止めには受かっていたが、本当の集大成ではない)という状況で、我々には明日などないとばかりにボールを投げ、ぶつけまくり、よけまくった。わりと簡単に、明日はないなと思うのだけれども、あの時ほどやけになったことはない。なので本当に、歌などに歌われる情緒的な卒業など糞食らえだと思っていた。受験のことばっかり考えていたが、もうこの日ばかりはと塾を休んでギャアギャア言いながらドッヂボールをする。このやけくそ感がリアルな卒業なのであるし、今もそう思っている。
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単行本p.78


 他には、何かが好きだ、という話題にはインパクトがありました。例えば、じゃがいも。


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幼稚園の時に連れて行ってもらったマクドナルドのフライドポテトに始まり、このお肉でもケーキでもない食べ物は、さして主張しないわりにどうにも魅惑的だ、と小学生の時に考え始め、茹でてもよし、レンジでふかしてもよし、ぐずぐずにつぶしてもよし、というユーティリティ性、塩をつけただけでもおいしく食べられる手軽さに安心感を覚え、お肉やケーキが高くて買えなくなる日が来ても、じゃがいもだけはきっと裏切らないだろう、と思いながら生きてきた。ただじゃがいもをよく食べていそうという理由だけで、自分はドイツ人に生まれるべきだった、と悩んだ時期もあった。
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単行本p.95


 しかし、本当に心を打つのは何といっても「ふとん」への愛でしょう。


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 仕事が終わって朝方にふとんに入ると、幸せと安堵のあまり、なんだかわけがわからなくなってきて、ざまみろ的な気分になって、ヒヒヒヒなどと言い出す。会社員だった頃は、帰宅してカバンを下ろし、部屋着に着替えると同時に突っ伏し、「今日も帰ってきたよぅおおぉ」だとか「いつもありがとうございますぅう」などと訴え、しまいに、「ふーとーん、ふーとーん」と枕を叩いてふとんコールをしていた。どうかしているのだが、それがなんだというのだ。
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単行本p.252


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 ふとんにぐるぐる巻きになるのがとにかく好きだ。ちゃんと端っこから自分を巻いていく。そして頭の方のをちょいちょい丸め込んで、完全にふとんの中に入ってしまう。自分がふとんになったような気がする。もしくは、巻き寿司の具、もしくは、まるごとバナナのバナナになった気がしてくる。しかし、やはり決定的な「ふとんぐるぐる巻きの自分」のセルフイメージは、ミノムシかと思われる。わたしはふとんの暗闇の中で、「…………」と口を開ける。一応生きてはいるのだが、微動だにしない。「…………」。何もしない。何も考えない。幸せである。やがて外側から見た、わたし自身を丸めこんでしまったふとんを想像する。それこそが真の姿であるように思える。ふとんの中に包まれている自分こそが、完全体であるような気がしてくる。普段のわたしは、仮の存在に過ぎない。本当はわたしは、ミノムシなのである。
 そういうわけで、人類の中では比較的、ミノムシを意識して生活しているほうだと思う。
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単行本p.250


 読んだとき「わかるわかる」と共感したのですが、書き写しているうちに、いやそこまでは……、と自分の心が引いてゆくのを感じました。

 という感じで、季節や歳時と暮らし、昔の思い出、好きのこと嫌いなこと、などが書かれてゆきます。ほとんどが「まぬけな人が一年をぼんやり過ごしている」というコンセプトに沿ったのんびり脱力エッセイですが、ときに鋭い言葉が胸に刺さることもあって一筋縄ではいきません。


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 それにしても、心とはいったいなんなのだろう。どんなはたらきをするのか。悲しむものか、喜ぶものか。悼むものか、勝ち誇るものか。わたしは、突き詰めると、人間の中の世界が通り抜けていく場所、そうして捕まえた光のようなものを記憶して攪拌し、反射する場所を心というのではないかと思う。言うなれば、中村一義が〈1、2、3〉で歌った「光景刻む心」が、バスク人のサイクルロードレーサーであるアントンの中にもあって、それが彼に「何か天国のようなもの」を見せたのである。わたしには、そういうことを知る体験が、心というものが他者の中にも存在するということを実感する端緒であるように思える。
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単行本p.280



タグ:津村記久子

『理化学研究所 100年目の巨大研究機関』(山根一眞) [読書(サイエンス)]

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 理化学研究所は、1917年(大正6年)3月20日に、財団法人理化学研究所として発足した。欧州で第一次世界大戦が勃発して3年目、ロシアではロマノフ朝による帝政が崩壊した直後の時代だ。
(中略)
1990年代後半からは続々と新しい研究所、研究センターが生まれており、研究室の総数は今ではおよそ450にのぼる。また、世界各国・地域と研究協力協定、覚書の締約も重ねてきた。理研は、日本の理研から世界の理研に育ち、協力関係にある海外の研究機関の数は約460(53カ国・地域)におよんでいる(2016年3月末)。
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新書版p.47、69


 450の研究室、3000人の研究者、500人の事務職からなる巨大研究機関。今年で創立100周年をむかえた理化学研究所で行われている研究や施設の一部を紹介してくれるサイエンス本。新書版(講談社)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。

 113番元素、粒子加速器、スパコンなど、理研で行われている研究とそのために使われている施設を広く取材した一冊です。全体は11個の章から構成されています。


「第1章 113番元素が誕生した日」
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 2011年3月、東日本大震災による電力の大幅な使用制限は、新元素探査にとって大きな危機だった。なにしろ、たった1個の原子核を得るために、加速器とGARISは2メガワット(=200万ワット)もの電力が必要だからだ。あの電力危機の日々、理研の他の研究チームは、それぞれ実験を止めて電力を節約し、コジェネ(自家発電装置)からの電力を森田グループの実験にまわしてくれたという。それでも、2012年8月18日に劇的なイベント(成果)を得るまでの延べ照射日数は570日を超え、亜鉛原子核の照射は実に400兆回におよんでいた。
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新書版p.35

 加速器によって113番元素「ニホニウム(Nh)」を作り出す実験はどのように行われたのか。新元素の生成と検出に至る道のりを描きます。


「第2章 ガラス板の史跡」
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 ピストンリング、ふえるわかめちゃん、オフィス機器を製造する3つのメーカーは、一見、何の関係もないように思えるが、いずれもそのルーツは同じなのである。それは、社名が物語っている。ピストンリングは「株式会社リケン」、ふえるわかめちゃんは「理研ビタミン株式会社」、オフィス機器は「株式会社リコー」(発足時の社名は理研感光紙)。いずれも、理研から生まれた企業なのである。
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新書版p.46

 理研の創設から今日に至るまでの歴史を概観します。


「第3章 加速器バザール」
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 和光市の理化学研究所の敷地の東北端に、とんでもない地下実験施設がある。
 私がそこをちょっとだけ見せてもらったのは数年前のことだが、実験施設という言葉で思い浮かべていたイメージは完全にぶっ飛んでしまった。数多くの実験装置が並んでいるのだが、その一つは平べったい六角柱をしており、2階建て住宅ほどの7.7メートル。直径18.4メートルなので床面積は約270平方メートル(約80坪)という、とてつもなくごつい装置だ。ごつく見えるのも当然で、総重量が8300トン、東京タワー2つ分の重さというのだ。
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新書版p.73

 様々な粒子加速器が点在する実験施設「RIビームファクトリー」を中心に、総面積4万4643平方メートルという加速器研究センターの全貌を紹介します。


「第4章 超光の標的」
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放射光は、円形の加速器では粒子の加速速度を落とすじゃまものとされていたが、きわめてシャープにモノの立体構造を見ることができる光であることがわかり、いわばスーパー顕微鏡として世界で放射光施設の建設が始まった。これは、放射光を作り出すことに特化した円形加速器だが、物質の分子や原子のナノサイズ(1メートルの10億分の1)世界の構造を見ることができるため、今では科学研究のみならず産業界でも広く利用されている。
 なかでもスプリングエイトは、世界で最大、最強の放射光施設としてデビューし(電子エネルギー80億電子ボルト)、今もその地位は揺るがない。
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新書版p.93

 分子原子のスケールでモノの立体構造を見ることが出来るスーパー顕微鏡、放射光。スプリングエイトなどの放射光施設とそこから生みだされた成果について語ります。


「第5章 100京回の瞬き」
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光は1秒間に地球を7周半、30万キロメートル進みますが、1アト秒では0.3ナノメートル(30万分の1ミリメートル)、ほぼ水の分子サイズを通過する距離です。このアト秒の光の瞬きを使い原子の挙動がわかれば、新しいエネルギーや新しい機能を持った新素材が開発できるでしょう。
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新書版p.123

 光の速度でさえ分子サイズの距離しか進むことが出来ないほど極めて短時間の光パルスを作り出し、超高速現象を撮影する。量子・原子光学、アト秒科学、超解像イメージング、テラフォトニクスなど光・量子技術を探求するテラヘルツ光研究グループの研究テーマを紹介します。


「第6章 スパコンありきの明日」
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 原子の数で約1000~10万個分にもなるタンパク質分子のシミュレーションには膨大な計算が必要です。原子1個のサイズがサッカーボール1個分とすると、タンパク質は大きなもので50メートルプールくらい。タンパク質や水、脂質といった分子の集合である細胞1個ともなると、例えば赤血球(幅10ミクロン、厚さ2ミクロン程度)は4000メートル級の山が20キロ続くような山脈くらいの大きさになります。
 細胞の動きを追うためには、とてつもなく大きな空間の中でひしめき合うたくさんの原子同士がお互いに力を及ぼしあっている状態を計算しなければならないのです。しかもタンパク質分子などの動きは非常に速いため、1000兆分の1秒(1フェムト秒)刻みで計算させる必要があります。
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新書版p.142

 実験と理論に続く「第三の科学」であるコンピュータシミュレーション。タンパク質分子の挙動解析、防災環境、エネルギー問題、新素材開発まで、あらゆる分野で活用されているスーパーコンピュータ「京」。「京」の運用、スパコンネットワークHPCI構想、そしてポスト「京」開発計画まで、スーパーコンピュータをめぐる状況を概説します。


「第7章 生き物たちの宝物殿」
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科学の神髄は「再現性」です。実験によって大きな発見があったと発表したあと、第三者が同じ実験をして同じ結果が得られたと確認できて、初めて科学として成立します。同じ結果が出せなければSFにすぎません。その「再現性」のためには、同じ実験材料、生物資源を使わなくてはいけない。マウスや細胞は、同じものを保存、維持し、必要とする研究者に提供する必要があるわけです。バイオリソースセンターは、そういう役割をもつ施設なのです。
(中略)
細胞は1万855株。「株」というのは遺伝的な特性が均一な集団のことですが、100パーセントが凍結保存です。実験植物は83万3285株、これは99パーセントが凍結、冷蔵。微生物材料は2万5176株、遺伝子材料となると380万8264株、いずれも100パーセント凍結や冷蔵です。
(中略)
大村先生の放線菌も大隅先生のオートファジーの細胞株も、がんのヒーラ細胞も、高松塚古墳とキトラ古墳のカビも、黒マフラー姿のハツカネズミも、そしてシロイヌナズナも、そういう手数料で発送しています。山中先生からバイオリソースセンターに寄託されたヒトiPS細胞やそのマウスを完璧に品質管理してきたからこそ、研究者に提供でき、再生医療の研究が進んでいるわけです。我々が発送したリソースをもとに、その約10パーセントが論文になっていることがそれを物語っています。
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新書版p.158、159、161

 医療、生物分野の実験に使われる細胞、微生物、実験動物などの生物資源を保管し研究者に提供するバイオリソースセンター。あらゆるバイオ研究を支えているその品質管理へのあくなき取り組みを熱く語ります。


「第8章 入れ歯とハゲのイノベーション」
「第9章 遺伝子バトルの戦士」
「第10章 透明マントの作り方」
「第11章 空想を超える「物」」

 再生医療、オーダーメイド医療、脳科学、人工知能、創発物性科学、など様々な研究分野が紹介されます。それでも書き切れなかったテーマ(アルマ電波望遠鏡など)は「おわりに」で駆け足で紹介されています。


『ガラス細工の至宝』(笙野頼子)(『私にとっての憲法』(岩波書店編集部:編)収録) [読書(随筆)]

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 ネオリベラリズムの、自由貿易推進を建前にして、国家主権を侵す人喰い条約。憲法は民草を人間と見做すけれど、人喰いは資材、数字、搾取の対象としか思っていない。まさに根本的な対立である。そして憲法は、暴力団のようなIMFと使い走りのような日本の裁判官(中村みのり)から、笑って蹴り殺せるレベルにされてしまうだろう。それでも、このひどい国で生きる者のお守り本尊、国宝と言える。それは多数決が正義で人柱頼みの人喰い国家日本において、家庭や社会さえ守ってくれない人間を守る、最後の命綱だ。
(中略)
 憲法が理想に過ぎないなどと言ってはならない。本質論よりも、理想を守りにして、すべて今あるものを少しでも守るのだ。
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単行本p.135、136


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第111回。

 家庭や社会さえ守ってくれない人間を守る、最後の命綱。それが人喰い条約によって喰われようとしている。『私にとっての憲法』(岩波書店編集部:編)に収録された危機感ほとばしる4ページの訴え。単行本(岩波書店)出版は2017年4月です。


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 TPP交渉差止・違憲訴訟の会に入っている。この一月、七回目の口頭弁論が終結した。審議は、まったく尽くされていない。裁判官も急に変わっている。国はリセットのつもりでしたのだろう? このような、……。
 悪魔の、地獄の、国民奴隷化の植民人喰い条約、それを批准してしまった場合に起きる憲法上の問題点、むろん、そこを、会は糺しているのである。
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単行本p.134


 憲法をテーマに、学者、俳優、芸術家、作家、経済人など53人が書いた文章を集めた一冊、『私にとっての憲法』(岩波書店編集部:編)。多くの論者が、現実味を帯びてきた憲法改正について論ずるなか、『ひょうすべの国』の著者である笙野頼子さんは、TPPおよびその類の条約による「事実上の憲法停止」の危機について警鐘を鳴らします。


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 憲法、それはTPPによって、或いはまた今後いくらでも襲ってくるいくつもの人喰い条約によって、底を抜かれる桶のようなものに「過ぎない」のだ。いくらたがを嵌めても、水を汲めなくなる。
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単行本p.135


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世界銀行に突っ込んでいるお金だけは世界第二位、女性の地位にかんしては百十何位? そういう国において、内閣は今から民のお金を、否、お金ばかりか、人権、福祉、雇用条件、家族、児童、つまりは憲法の人間性を丸ごと喰っていく。放置すれば日本の支配者は多国籍企業の、「無名」の「会社員」がつとめる事になる。
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単行本p.137


 改憲に前のめりになっている政府も恐ろしいのですが、むしろ改憲論議に気を取られている間に、国際条約による「事実上の憲法停止」の準備が着々と進められていることの方がずっと恐ろしい。

「TPPって流れたんじゃなかったっけ?」、「なんで貿易条約が憲法と関係するの?」、「そもそもどうしてこんなに危機感を持ってるの?」などと思った方は、ぜひ笙野頼子さんの小説『ひょうすべの国』をお読みください。紹介はこちら。

  2016年11月29日の日記
  『植民人喰い条約 ひょうすべの国』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-29



タグ:笙野頼子