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『野良猫を尊敬した日』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 自宅のパソコンでインターネットができるようになった。動画を見たり、原稿を送ったり、なんて快適なんだ。みんなはずっと前からこんな便利な暮らしをしてたんだなあ。
 そういう私は今までどうしていたかというと、駅前の漫画喫茶のネットを使っていたのだ。多い日は昼と夜と明け方の三回通ったこともある。傘もさせないような嵐の中をずぶ濡れで辿り着いたこともあった。(中略)

編「そんなに便利だと思うなら、どうして今まで自宅にインターネットを引かなかったんですか?」
ほ「手続きとか、めんどくさくて……」
編「えっ。漫画喫茶に毎日通う方がずっとめんどくさいでしょう?」

 全くその通り。でも、私が云ってるのは、めんどくささの総量ではなくて、目先のちょっとしためんどくささのことなのだ。そのハードルが越せないために、結果的に大きな利子を払い続けることになる。
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単行本p.176、177


 自宅にインターネットを引くのが面倒なので毎日駅前の漫画喫茶まで通う。知人宅に泊まるとき不安でびびり上がり、帰宅した夜に「おねしょ」してしまう。誰もが簡単にやってしまうことが自分には出来ない。なぜなのかを説明しても伝わらない。他人に分かってもらえない臆病さを抱えて生きる歌人による内気エッセイ集。単行本(講談社)出版は2017年1月、Kindle版配信は2017年2月です。


 その独特の感性でもって森羅万象を「想像しただけで怖くてとても自分には手が出せないもの」と「想像しただけで面倒でとても自分には手が出せないもの」の二つに鮮やかに分類してゆくようなエッセイ集です。


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警A「ご自宅はどちらですか」
ほ 「あそこです(指差す)」
警B「まだけっこうありますね」
警A「それに寒いでしょう」
ほ 「平気です」
警B「家に入ってからゆっくり着替えた方がいいのでは?」
ほ 「でも私は自宅にインターネットを引くのに十年もかかってしまったので、その分の時間を少しでも取り戻したいんです」
警Aと警B(顔を見合わせる)
警A「それで歩きながらシャツを脱いでるんですか」
ほ 「ええ」
警B「ちょっと署までご同行願えませんか」

 ああ、嫌だなあ。そんなことになったら。完全な誤解だ。でも、それ以上どうやって説明したらいいんだろう。だって、私の云ったことは、全部本当なんだ。本当に本当のことなんだよ。
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単行本p.182


 自分には何かが出来ない、あるいは自分には奇行癖があるのだがそれには自分の中でちゃんとした理由があって、というエッセイが多いのですが、変な自意識の在り方を訴えるエッセイも印象的です。


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 限定物以外に、生産中止となった商品にも弱い。これもうどこにも売ってないんだ、と思うと体がかーっとなって自分の物にしたくなる。
 最近では感覚の奇妙な逆転現象が起こって、自分のお気に入りのブーツやスニーカーなどが、早く生産中止にならないかな、と思ってしまうことがある。
 理屈で考えると、今のを履き潰したらもう買い替えることができないから、廃番になっては困る筈。でも、それよりも持ち物がレアな存在に「昇格」することに喜びを感じる自分がいる。
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単行本p.52


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「ほむらさんの好きそうな店ですね」
 むっとした。いや、彼の言葉は当たっている。現に私は「感じのいい店だな」と思っていたのだから。でも、それを見抜かれるのは嫌。指摘されるのはもっと嫌。(中略)
 つまり、こういうことだ。私はお洒落なカフェが好き。でも、お洒落なカフェが好きな人と思われるのは嫌。この気持ち、わかって貰えるだろうか。(中略)
私がどんな店を好きだろうが、どんな曲を好きだろうが、他人からすれば全くどうでもいいことだ。頭ではよくわかっている。でも、自意識の暴走が止められない。
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単行本p.130、131、132


 他人の目が気になる系のエッセイといえば、「男の幻滅ポイント」というやつ。


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 カチャカチャと他のキーで入力して、最後に「どうだ」とばかりに「エンタキー」を叩く。やりたくなる気持ちはわかる。だが、その瞬間、小さな「俺様」が顔を出しているのだ。
 女性たちはそれを見逃さない。一秒にも充たない行為によって、ああ、この人って本当は「俺様」に酔うタイプなんだ、と察知されてしまう。おそろしい。
 こういう機会があるたびに、メモメモと思いながら、私は憶えたばかりの幻滅ポイントを自分の手帳に書き込む。人生の参考資料だ。
 そこには他にもこんな項目が並んでいる。

・意味もなく、折りたたみ式の携帯電話をパカパカ開閉している
・携帯電話のメールアドレスがやたら長い
・ペンを廻す
・たくさん服を持っているくせに、組み合わせるボトムスとトップスが毎回一緒

 いずれも中級以上と思える内容で、読んでいるうちに、どんどん不安になってくる。
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単行本p.91


 歌人デビューする前後のことを書いたエッセイも印象的です。


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 でも、待っても待ってもどこからも連絡が来ない。ポストに入ってるのはチラシだけ。電話は鳴らない。おかしい。どこかで誰かが必ず見てる、はずじゃなかったのか。見てる人、僕はここにいるよ、見つけて、早く、早く。でも何も起きない。時間だけがどんどん過ぎてゆく。残業、残業、残業、爆睡。もしかして、本当は、見てる人なんていないんじゃないか。一生このままなんじゃないか。どこかで誰かが必ず見てる、って云ったのは誰だ。どうしてそんなひどい嘘を。
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単行本p.20


 最後に、表題作でもある『野良猫を尊敬した日』から引用しておきます。我に野良猫パワーを与えよ。


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 イヌネコと蔑して言ふがイヌネコは一切無所有の生を完うす    奥村晃作

 人間は犬や猫のことを上から目線で「イヌネコ」などと云うが、その「イヌネコ」は、お金も洋服もスマートフォンも何一つ所有することなく一生を過ごす。実はもの凄い存在なのだ。という意味だろう。
 本当にそうだなあ、と思った。彼らはその日の食べ物すらキープしていない。一瞬一瞬をただ全身で生きている。命の塊なのだ。
 よーし、やってやる。僕にだって、できないことがあるか。そう心を固める。我に野良猫パワーを与えよ。
 でも、眠りに落ちると、また元通り。「うーん、うーん、あついよー、あついよー、あついよー」と、赤ちゃんのようになってしまうのだ。どうして、こんなに弱いんだろう。
 気迫か。やはり気迫が違うのか。
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単行本p.219


タグ:穂村弘
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