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『Hallo』(マルタン・ズィメルマン) [ダンス]

 2017年7月29日は夫婦で東京芸術劇場プレイハウスに行って、マルタン・ズィメルマン初のソロ作品を鑑賞しました。ズィメルマンが一人でクラウン(ピエロ)をやる70分の公演です。

 スイスのアーティスト・ユニット「ズィメルマン エ ド・ペロ」については、これまでに二つの作品を観たことがあります。ちなみに来日公演鑑賞時の紹介はこちら。


  2013年06月10日の日記
  『Chouf Ouchouf シュフ ウシュフ』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-06-10

  2014年05月12日の日記
  『ハンスはハイリ どっちもどっち?!』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-05-12


 今回はその片割れであるマルタン・ズィメルマンのソロ作品。『シュフ ウシュフ』に登場した動く巨大柱や『ハンスはハイリ』における観覧車のように空中回転する部屋に比べるとやや小粒ながら、やはり「移動変形する部屋」が登場し、その中や上や周辺で右往左往しながらピエロ芸で観客を沸かせる、というスタイルは共通です。

 幅4メートル、高さ3メートル、奥行きたぶん1メートルくらいの部屋、というか手前と奥の壁がない「部屋の枠組み」が、ずるずる変形して平行四辺形になり、やがてぱたんと平たくつぶれてしまう。そのまま逆回しで元に戻ったかと思うと今度は反対側につぶれてゆく。このパターンが繰り返されるなか、部屋といっしょにつぶれるのを阻止すべく天井を支えたり、マイムよろしく手前の存在しない壁を叩いたり、かと思うと天井に開いた穴から脱出したり、変形する部屋の上を走り回ったり。

 その合間に滑稽なピエロ芸で観客を笑わせ、ときどき「ハロー」と舞台上に呼びかけます。舞台上の様々な仕掛けを背後で操作している助手、黒子に出て来いと呼びかけているようでもあるし、観客に呼びかけている気もするし、もしかしたら世界そのものに呼びかけているのかも知れませんが、いずれにせよ返事はありません。この一方向のやり取りがどこか物悲しい雰囲気を漂わせます。

 一つ一つのネタは割りとクラシカルなものですが、とにかく数撃ちゃ何とかという姿勢で連打してくるので、その必死さも手伝って、最初は引き気味だった観客も、ついつい笑ってしまいます。最後は仕掛けなしの純粋な芸だけで笑わせる。実際に笑ってしまうんですよこれが。

 というわけで、現代サーカスからクラウンだけを取り出して再構成したような、小粒ながら好感を持たずにはいられない作品です。終演後、チャーミングな助手(黒子)が舞台上に登場してズィメルマンと一緒に拍手を受ける光景は、それまで何度も繰り返された「ハロー」という呼びかけと相まって、不思議な感動がありました。



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『イリュミナシオン』(勅使川原三郎、佐東利穂子) [ダンス]

『ある理性に』(詩集『イリュミナシオン』収録)より
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 おまえの指が太鼓を一打ちすると、すべての音がぶっ放され、新しいハーモニーが始まる。

 おまえが一歩踏み出すと、新しい人間たちが動員され、そして彼らの進軍とあいなる。

 おまえの頭が横を向く、新しい愛だ! おまえの頭が振り向く、――新しい愛!
――――
『ランボー全詩集』(アルチュール・ランボー、鈴木創士:翻訳)河出文庫版p.97


 2017年7月27日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんと佐東利穂子さんによる公演を鑑賞しました。上演時間60分の作品です。

 前回ここで上演された完全無音ダンス『静か』を埋め合わせるかのように、最初から最後まで音響が流れ続ける舞台。様々な音楽の断片、喧騒や生活音、虫の音、工場かエンジンの排気音を思わせるノイズ、ときおり人の声、さらにコンピュータゲームのような各種デジタル音などがごた混ぜになったような激しいノイズが叩きつける空間を、一人の苦悩する若者が彷徨います。

 ノイズのなかで苦しみ、痙攣し、のたうち、壁や床を叩き、少し穏やかになった瞬間を逃さず壁に向かって全力で言葉を書きつける。特にこの「詩を書く」という振付が印象的で、観る者の胸を打ちます。

 ダンスの動きは大きく、激しく、いかにも情熱と、舞い上がりと、その反動に苦しむ若者の姿が浮かび上がります。来ていた上着を脱いで丸めてサッカーボールにして蹴る、といった若々しい振付も印象的。というか勅使川原三郎さんが「己の才能を持て余し、自意識に振りまわされる思春期のガキんちょ」に見えるのが凄い。


『精霊』(詩集『イリュミナシオン』収録)より
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 おお、彼の息、彼の頭、彼の疾走よ。諸形態と行動の完全さの恐るべき敏捷さ。
 おお、精神の豊穣さと宇宙の広大さよ!
 彼の肉体! 夢見られた救出、新たな暴力と交叉した恩寵の粉砕だ!
 彼の視力、彼の視力! 彼の後にはすべての昔ながらの跪拝と高尚な労苦。
――――
『ランボー全詩集』(アルチュール・ランボー、鈴木創士:翻訳)河出文庫版p.156


 佐東利穂子さんは、そんな若者の姿を静かに見つめる黒衣の女として舞台に登場します。いかにも若者らしい夢想なのか、詩の霊感なのか、舞台上を滑るように静かに歩き続け、消えたり現れたりしながら、若者を翻弄するかのような彼女。その存在感はハンパなく、まるで舞台を支配しているかのようにも見えます。


『妖精』(詩集『イリュミナシオン』収録)より
――――
 そして高価な輝きよりも、冷たい感応よりも、かけがえのない書割りと時の喜びよりも、さらに優れた彼女の両目とダンス。
――――
『ランボー全詩集』(アルチュール・ランボー、鈴木創士:翻訳)河出文庫版p.136


 照明の素晴らしさについては今さら言うまでもないのですが、最後の最後、1秒にも満たない刹那、勅使川さんが振り上げた拳で光芒(イリュミナシオン)をつかむ、という演出にはぐっと来ました。かっこいいんだ。どう見ても人生経験の浅い若者が才能にまかせて書きつけたと分かるランボーの詩が、それでも多くの人々を惹きつけてやまないのは、このどうしようもないかっこよさのおかげだよなあ、とか、そういうことを思いました。


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『ピンポン』(パク・ミンギュ、斎藤真理子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 目と目の間、すなわち眉間でスイングは終わる。ひじの角度は90度、ラケットの角度は85度を維持する。スイングには腰がついてこなければならず、腰の回転は脚から始まる。動作は、水が流れるように連続していなくてはならない。これがスマッシュだ――目を閉じて僕はずっと卓球に熱中した。汗が流れはじめた。汗がもたらす空気と皮膚の間の潤滑作用を感じながら、僕は何度も自分のフォームを整えた。可能なかぎり完成させよう。ハレー彗星が来たら、このラケットで最高のレシーブを返すんだ――と僕は思った。それが僕にできるベストだったから。
――――
単行本p.149


 かつて恐竜界の命運をかけてイグアノドンが熱戦を繰り広げて以来の卓球勝負。この試合に勝てば人類をアンインストールするか否かの決定権を君たちに与えよう。凄惨ないじめを受けてきた二人の中学生は、地球に着床した巨大ピンボン玉の中で、ハルキゲニアからそう告げられる。それが、彼らの、初の、公式の、試合だった……。

 デビューするや韓国の文学賞を総なめ、日本でも第一短篇集『カステラ』が第1回日本翻訳大賞を受賞したベストセラー作家、パク・ミンギュのぶっ飛び青春卓球小説。単行本(白水社)出版は2017年5月です。


 他人を蹴落とさなければ生き残れない競争社会、拡大してゆく一方の格差、苛烈なルッキズム。シリアスな社会問題をテーマにしながら、街を襲撃する巨大ダイオウイカや異星文明とファーストコンタクトするヤクルトおばさんを平気で登場させる作風で、読者の感傷と感傷を刺激してやまないパク・ミンギュ。既刊の翻訳書は二冊ありますが、どちらも圧巻の面白さ。紹介はこちら。


  2015年05月29日の日記
  『カステラ』(パク・ミンギュ、ヒョン・ジェフン:翻訳、斎藤真理子:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-05-29


  2015年07月31日の日記
  『亡き王女のためのパヴァーヌ』(パク・ミンギュ、吉原育子:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-31


 翻訳三冊目となる本書は、何とこれが青春卓球小説。主役となるのは、「釘」「モアイ」という二人の中学生です。釘が語り手となります。


――――
 モアイと僕はワンセットだ。ワンセットで目をつけられ、ワンセットで呼び出され、ワンセットで殴られる。殴られる場所は特に決まってない。教室で、トイレで、屋上で、それからまさにこの原っぱで毎日殴られている。いつからかモアイも僕もそれを自分の日課と思うようになった。あんまり良い日課じゃないけどさ、それ以外の日課があったことないから良いとも悪いとも思わない。まあ、生きるってこんなもんなのかなって感じ。
――――
単行本p.10


 殴られ、パシリにされ、金をみつぎ、また殴られ、侮辱され、徹底的な服従を強いられる二人。逃げようともしないのは、いじめは学校にだけあるのではなく、世の中すべてそういう仕組みで回っていて、自分たちは一生そこから抜けられない、と知っているから。


――――
 世の中を率いていくのは2パーセントの人間だ。

 担当の先生が口癖みたいにそう言ってたけど、ほんとだよねと思う。チスを見てると、そういう人間が確かに存在するんだってわかる。出馬して、演説して、人を抜擢し、ルールを決める――なるほど、納得だ。これだけ人間がいっぱいいたら、誰かが動かさなくちゃいけないわけだもんな。認めるしかない、残りの98パーセントがだまされたり言いなりになったり、命令された通りに動くしかないなんてことは――だってそれ自体、彼らが社会の動力だってことを意味するんだから。問題はまさに僕みたいな人間だ。僕やモアイみたいな人間だ。そもそも、

 データがない。生命力がないから動力にもならない。人員に数えられてないわけではなく、閉め出されてもいないが、自分の考えを表現したこともなければ同意したこともない。それでもこうして生きている。僕らはいったい、

 何なんだろう?
――――
単行本p.16


――――
夢があるとしたら

 平凡に生きることだ。いじめにあわず、誰にも迷惑かけずに、多数のふりの世の中を渡っていくことだ。常に一定の適当な順位を保って、人間ならまあそうなるでしょぐらいの悩み(個人的な)に陥ったら打ち明けられる程度の友だちがいて、卒業して、目につかない程度に道を歩いたり電車を乗り換えたりして、努力して、勤勉して、何よりも世論に従い、世論を聞き、世論を作り、めんどくさくない奴として世の中に通り、適当な職場でも見つけられれば感謝する。感謝するということを知っていて、信仰を持ったり、偶然にホームショッピングですごく良いものを発見するとか購買するとか消費するとかして、適当な時点で免許を取り、ある日突然職場の大切な同僚がおしかけてきたら5分、たったの5分でできるカルビチムでもてなすこともでき、君もまったくなあ、かなんか言いながらみんなを満足させてさしあげられる人物、僕もそんな人になりたい、でもそんな人になったら、

 幸せなんだろうか?
――――
単行本p.31


 中学生にして社会に絶望しきっている、あるいはいかにも中学生らしい人生観、そんな諦めのなかで毎日ただ殴られている二人の前に、突然あらわれた白いピンポン玉。二人は謎の老人の指導を受け、原っぱに置かれた謎の卓球台で練習にのめりこんでゆきます。


――――
自分のラケットを持つということはね、いってみれば初めて自分の意見を持つってことなんだよ。僕みたいなタイプの人間にとってそれは確実に刺激的な言葉だ。
(中略)
 意見を、持っても、いいですか? ラケットを振りながら僕はつぶやいた。ブン、ブン、想像するだけでもラケットが風を切る音が耳元をかすめるようだ。広い原っぱのような眠りが目の前に広がりはじめ、ラケットを握った僕は原っぱの卓球台の前に立っていた。意見を持っても、いいですか?
――――
単行本p.42、43


 で、まあ、普通の熱血スポーツ小説なら、二人は卓球を通じて自尊心と勇気を取り戻し、いじめっ子と絶縁して、試合に出る決意を、みたいな熱い展開になるのでしょうけど、そこはパク・ミンギュ。主人公は負け犬が集う「ハレー彗星を待ち望む人々の会」への入会を許され、レシーブを練習しながらハレー彗星が地球に激突して世界が滅びるのを待つ、という展開。しかし、実際に地球に落ちてきたのは、月よりも巨大なピンポン玉でした。そして明かされる真実。


――――
決定、って、どうやって、ですか? もちろん卓球で決めるのさ。良いか悪いかは別にして、君らはこれから、人類の代表と試合をしなくちゃいけないんだよ。人類代表って……じゃあこれ、人類関係のことなんですか? そのものだよ。人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのか。その決定が勝利者にゆだねられているんだよ。何でそんな決め方しなくちゃいけないんですかね?

 それだけのことがあるから

 そうなってるのさ。
――――
単行本p.198


 で、まあ、普通のジュブナイル小説なら、平凡な中学生である主人公が人類を救うことになるのでしょうけど、そこはパク・ミンギュ。人類なんて総体じゃなくて、世界から「あちゃー」された者たちを代表して「あちゃー」されない連中に挑む、という展開。


――――
よく聞いてね釘、ここに来てから僕、ずーっとそのこと考えてたんだ。どうして僕らなんだ? って。答えは出そうにない。でも、僕なりの結論はこうなんだ。何だい?

 君と僕は、世界に「あちゃー」された人間なんだよ。

 他に理由がある? 僕らが対戦する人類の代表っていうのは、いってみれば人類が絶対に「あちゃー」しない人たちだよ。ワン・リーチンとかティモ・ボルみたいな選手たち……そんな選手の名前を人類が「あちゃー」するはずないじゃん? つまりピンポンというものは、僕の考えでは、人類がうっかり「あちゃー」しちゃったものと、絶対「あちゃー」されないものとの戦争なんだ。
――――
単行本p.210


 勝ち組、多数派、めんどくさくない奴として世の中に通る連中。そんな「あちゃー」されない人類代表なら、勝ってもアンインストールするはずがないから、そもそも人類大丈夫。そう思ったとき、なぜか読者の腹の底からわき上がってくる「ふざけんな、やれ、行け、倒せ、アンインストールしちまえ」という怒り。

 「ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン」が4ページにまたがってひたすら続く壮絶なラリーの果て、はたして二人は勝つことが出来るのか。人類を「あちゃー」してやれるのか。何でハルキゲニアはウインドウズ98を使っているのか。

 というわけで、明るい絶望に貫かれた奇妙な青春卓球小説としか。卓球のラリーを模したリズム感あふれる文章、次から次へと挿入される妙な挿話、超常的なことが当たり前のようにまかり通ってしまう裏返しのリアリズム。『カステラ』が気に入った方には文句なくお勧めです。


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『プラスマイナス 163号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス163号 目次]
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巻頭詩 『営み』(深雪)、イラスト(D.Zon)
俳句  『雨で光る』(島野律子)
随筆  『一面のカーネーション それは仏花の定番ですか』(島野律子)
詩   『契り』(多亜若)
詩   『羽交い』(島野律子)
詩   『深雪の呟き 墨ながし シリーズ』(深雪)
詩   『離陸』(琴似景)
小説  『一坪菜園生活 46』(山崎純)
随筆  『ぴろうゆうきち』(島野律子)
随筆  『香港映画は面白いぞ 163』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 102』(D.Zon)
編集後記
 「遠い記憶」 その1 MIKA
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 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/



タグ:同人誌
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『Fill the groove』(東京ELECTROCK STAIRS、KENTARO!!) [ダンス]

 2017年7月23日は夫婦で吉祥寺シアターに行ってKENTARO!!のソロダンス公演を鑑賞しました。KENTARO!!が一人で踊ったりしゃべったり着替えたりする90分の舞台です。

 先日観た東京ELECTROCK STAIRS公演『アスモスノクラス』でも際立っていたKENTARO!!さんのソロダンスを、今回は最前列でじっくり鑑賞。ちなみに『アスモスノクラス』の紹介はこちら。

  2017年07月18日の日記
  『アスモスノクラス』(東京ELECTROCK STAIRS、KENTARO!!、高橋萌登)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-07-18

 で、じっくり鑑賞しても、やっぱりこれがどうにもよくわからない。

 ヒップホップダンスの高度なテクニックも、カッコいいムーブも、すべて入っているのに、全体として何ともとらえどころがなく、個性的なダンスとしかいいようがありません。ぬらりひょんダンスというか。

 筋肉が目立たないひょろひょろしたダンサーらしからぬ印象を与える身体で、よろけ風に歩いたかと思うと、オフバランス体勢からいきなり凄い動きが飛び出したりするわけですが、そこに、カッコつけ、イキり、キメ、ドヤ、挑発、などが決定的に欠けていて、ひょうひょうとしている。力みがなく、いい具合に力の抜けた、風が吹き抜けるようなダンス。次の動きが予想できない。踊るはじから動きを「なかったこと」にしているような印象も受けます。

 舞台上でずっと動いていなければならない過酷なソロ公演ですが、体力の回復スピードが尋常ではないようで、重そうな舞台装置(鉄パイプで組んだ3メートル四方の立方体フレーム、風呂や机やロッカーや棺桶など様々に見える木枠、など)を一人で動かしたり、時間をかけて着替えたり、ときどきマイク握って話したり、そうしている間にもどんどん体力回復して平然としている。その姿には妖怪感があります。

 終演後にアンコールダンスとしていかにもなヒップホップダンスを踊ってくれましたが、これはむっちゃカッコいい。カッコいいけど、いやそれだけのテクニックがあれば、誰でもカッコよく踊れるよね、KENTARO!!である必然性がないよね、という気持ちに。やっぱりKENTARO!!にしか踊れない個性的なダンス満載の本編の方が魅力的だなあと、個人的にはそう思います。


タグ:KENTARO!!
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