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『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

――――
 要は、見えないもの、小さいもの、内なるものに戦争が宿る。それ程のひどい時代になってしもたということかもしれへんのや。或いは、もともと小さいものを描く行為に、もっとも大きい世界が捕えられる、という事かもしれへんのや。
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単行本p.2


――――
 こうなったらもう、報道より文学の方がよっぽど迅速だよ。ていうか僕の「飼い主」の命取るな。
――――
単行本p.26


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 弱くとも筆の力を持っている身なら、少しなりとも、これを学んで、「報道」をするよ? というか、見えないものを見せる事にこそ普通に、(私の)文学だ。
――――
単行本p.165


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第113回。

 さあ、今こそ文学で戦争を止めよう、この、売国内閣の下の植民地化を止めよう。荒神・若宮にに様の声が、難病かかえた金毘羅の声が、そして今は亡きドーラの声が、台所から響きわたる。今止まれ! 文学の前にこの戦前止まれ。神変理層夢経シリーズ第四弾。単行本(講談社)出版は2017年7月です。


――――
 人生最後のつもりで「神変理層夢経」というシリーズを書いていた。無論、今も書いている。だって、これが実はその第三部に当たるのだ。目的を外れても作品は続いている。しかし本来、最初それは、ドーラと私のために書かれたものだった。それで、死を精神的に克服しようと私はしたのだった。
 ふたりで、永遠に生きる場所を作る努力。……その時点のドーラは、私小説の私を形成する定点と呼べるものになっていた。というかドーラがいるところにしか私はいられなかった。ドーラの死の前の二年間、私はただひとつを望み、そのための努力しかしてなかった。
 その死後もドーラとともに生き、共に書くこと。作品の中に永遠の時間を!
 志したのは、ドゥルーズが「外」と呼んだ内在平面という概念、それを達成した小説を書く事。時間や現実を越える「外」にドーラを置き、ずっと失うまいとしたのだった。
――――
単行本p.127


 序章『猫トイレット荒神』、第一部『猫ダンジョン荒神』、第二部『猫キャンパス荒神』に続く神変理層夢経シリーズ最新刊「猫キッチン荒神』です。参考までにシリーズ既刊の紹介はこちら。


  2013年02月27日の日記
  『母の発達、永遠に/猫トイレット荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2013-02-27

  2012年10月01日の日記
  『小説神変理層夢経 猫未来託宣本 猫ダンジョン荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2012-10-01

  2014年12月27日の日記
  『小説神変理層夢経2 猫文学機械品 猫キャンパス荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-12-27


 シリーズ各巻は独立しているので、本書から読み始めても問題ありません。作者いわく「読める人は初読が『ひょうすべの国』でも一気に判ります」(単行本p.283)とのこと。事前に『ひょうすべの国』と『猫道』を読んでおくといいことがあるかも知れません。紹介はこちら。


  2016年11月29日の日記
  『植民人喰い条約 ひょうすべの国』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-11-29

  2017年03月16日の日記
  『猫道 単身転々小説集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-16


 ネオリベと経済搾取、性暴力と差別とヘイト、それらが絡み合って一体化して基層となっている日本の姿を書いた『ひょうすべの国』。自身の生きにくさ、猫との出会いと別れを書いた『猫道』。本書ではついにそれらが合流して、小さな「私」を離れることなく神視点で世界をとらえる「私小説」へと飛躍してゆきます。

 最初に語りをつとめるのは、荒神である若宮にに様。「雇い主」と猫の、命と生活を守るために、戦争と植民地化を止めようと奮闘しておられます。具体的には、託宣神なので煽ります。大手マスコミが書かないこと、みんなが見て見ぬふりしていること。


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 さあ止まれ、今止まれ! 文学の前にこの戦前止まれ。そしてついに文学は売国を報道する。だって新聞がろくに報道しないからね。
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単行本p.16


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 それは、臭いものに蓋、弱いものに重し、取り囲んで黙らせる、声上げれば針の筵。責任だけ女に来る基地は沖縄に押しつけるっ、と。とどめこの先はオリンピックと称し、東京が福島を喰ってしまう、うん、そして今回の植民地化もね、県では人間が干乾しになる。日本語? 無論滅亡。一握りの金持ちを残して全員が窮乏して滅ぶんだよ。弱いものを喰うために知らん顔をする、共喰いの国、それがついに今から……。
 その共喰い国家日本がさあ、今からまるごと喰われます。あなたも作者も皆殺し、しかもこの件で罪無き沖縄はまっさきにやられ、でも「騙された」本土もあっという間。そしてそれは社会性もなくって被害妄想だけきつい、大マスコミのジャーナリストの方の意図的怠慢です
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単行本p.17


――――
 だから言おうよ、言うだけでもさ、だって「群像」は、本来、文学で戦争を止めるためにあるんだから。ね、戦後戦犯になりかねなかった、ここの版元が、平和憲法下で再出発するために作った雑誌なんだ。そこへ体に拷問の跡がある左翼が純文学のために協力したんだよ、書いて貰うまでは大変でしたって初代の編集長は言っていたはずで。そしてあれから七十年、ついに戦前、だったらこれ止めるためにずーっとここにあったんじゃないの?
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単行本p.24


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 その上にね、これ、台所話なんだ、台所ではなんだって語れるのだ、なぜかこの国ではここに偉いやつは入って来ないしね、ここなら戦争を止められるさ。
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単行本p.25


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 まあ結局、普段も台所で、いつも生を死に裏返しているんですよ! つまり死んだ物を料理にして、食べ物を、生命に変える作業って事。でもだからって、荒神は台所って、決めつけないで。ていうか台所というものを馬鹿にしないの!
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単行本p.254


 荒神様なので、台所では絶好調。権力側や踏みつける側の人間が入ってこない場所、命と生活をつなぐ場所、そこから神の言葉を響かせます。


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ああそうだね、書くことは生きる事食べる事も生きる事――食べて書く書いて食べる、ならばこのふたつはセットかもしれないね? また食べる快楽以上に、彼女にとって食は苦難をなんとか生き延びる力、生活や絶望に勝つという呪術なので。
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単行本p.80


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 うん? 書く事と猫と飯、それが望みって一見、無欲そうだろ? でも実はその向こうに家庭の食卓を抜けてきた人間だけが持ちうる「世界征服」の強い意志があるね。しかもたったそれだけの事をかなえるのに、……まあ家族から市場経済まで彼女をていうか女を嫌いなんだもの。
――――
単行本p.82


――――
まあかい摘んで言えば、猫は老猫、人は難病、老猫難病。生きてきたよ!
 ただ、そんな厚みも体温もここにいる三次元本人しか判らないよね? この、小ささ故に、丸ごと潰される? 僕の長い歴史をついに受け入れてくれたふたつの命がね。しかしどちらにもそれなりの来歴と事情がある。そして生きている限りこの家からは、欲望と喜びが湧いてくるんだね。なのに巨大な天の刺客から見れば、それは、うん、蟻以下だよ。でも「特徴」はある。まあしかし天からならばきっとさぞかしつまんない特徴だよ? 要するにこれを、身辺雑記という、……ね。
――――
単行本p.30


 続いて、語りは金毘羅に。身辺雑記を武器に、極私の小さな語りを駆使して、上からやってくるでかくて鈍感なものに対抗します。


――――
 私は今「何もかも恵まれていた」けれど、気が付くとその私を不幸にしかねないもの、に苦しんでいた。それは頭のずーっと上から差してくるでっかい影、灰色でどーんと鈍い日常の不安、そうそう、……。
 あなたは気づいてない、人と自分の能力差とかばっかり気にしている、差別好きの、人の足ひっぱって暮らす妬み妖怪。でもあなたがそうやって他人を差別したり馬鹿にしたり冷笑したりしているうち、あなたの弱者叩きの結果、国は貧乏になり、戦争もやってくる。それが、あなたには見えない、戦前が見えない。
 私はそれを知っている、だから不幸だ。あなたはそれを知らない、だから「幸福」だ、だったらさあ、安心して私をさげすみ、泣いている私を見たがって追い回しなさいよ。平気だから、だって私がそうやって不幸である事は国民の義務だから。
――――
単行本p.99


――――
は? そういう、文学に何が出来るのかだって、お前ら、それ、原発とTPPの報道が「出来て」から言えよ、小説が「届かない」のはてめえらが隠蔽したからだろ。こっちは十年前から着々とやっていたよ。悔しかったらむしろ、お前らが文学に届いてみろ、小説を買いも覗きもしないで読む能力なくて、それで「文学に何が出来るんだ」じゃねえわい、ばーかばーかばーか。
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単行本p.102


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 気が付くと戒厳令下の夜とかそんな映画に出て来る怖い世界が、自分の国なのだ。なのにどこを見ても、一見は、というよりマスコミの世界は、何も変わらない。またそこで働いている報道側のほとんどは、とてもおとなしい、何を聞いてもただぶるぶるとした応答でひたすら当事者意識がすり抜けて行く。「こわい世の中になりました」と彼らは言うけれど、怖い世の中を作っている側なのだろう? そして「表現の自由」とは、ただ広告表現の自由にてんこもりにした、少女虐待や女性虐殺煽動、外国人差別、あるいは「国威発揚」にすぎなくって、そんな中「戦争の前に文学は」などと気が向いたときだけこっちを恫喝しに来て、無料でコメントを毟っていく実質サブカルの自称文芸誌は、裸縄飛び等の特集をやって見せている。或いは「貴族の戦前感」というへんたい様式美に従っているのかも。
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単行本p.167


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 ならば、……女性とは何か、それはこの国において殺したり潰したり売り飛ばしたりして見えなくしたいもの、三次元から二次元に落としたいものだ。その根拠となるのは、女性の存在自体が罪悪だというすりこみである。つまりそこから発して、女性に対してはどのような場合にでも侮辱でも略奪でもなんでもして搾取しようとする、例えば性差別闘争をやっている女にさえも「この問題もやれ」などと普段は興味もない癖に差別男は命令しに来て絡みついてくる、それは要するにせめて女のやる気だけでも搾取したいからだ。なんとか命令して支配下に押し込み、侮辱したいのだ。また「そんな男などごく一部だ」と反論する男性は電車の中で痴漢に見て見ぬふりをしたことはないのだろうか? というかさして罰せられないこの国の体制に、別に異を唱えもしていないではないか? そして結局、「ああ、それ知らない」だ。エリート程「へええ、そうなんだ!」で偉くなっていく。
 言葉に出せば、文句を言われるから黙っているだけ。その上で言葉にさせれば、最初からおかしな事や冗談のふりをした暴言しか言わない。
 豊かでも、貧しくても、身内でも、王女でも、女性を収奪する事が自分の得になる事だけは知っているのである。得だから止めない。女を何人殺しても足りない程に、得がしたいのだ。
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単行本p.180


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 この国においては、女を、少女のうちに消費し使い殺すのが「経済的」なのだ。そして結局、妊婦もそうでない女も成人していれば憎まれるのだ。生きているだけで「女性特権」と言われる理由、それは、女は死ね、全部死ねというデフォルトである。ただし、古来の女性差別や現状の差別それ自体とは異なる最悪の新要素が加わっている。それは新自由主義がついに、究極完成させてしまった共喰いの原理ではないのだろうか。人間の外で、投資だけが動いている。そんな中で、……。
 要するに差別と収奪は同行する。ナチスが財閥に寝返ったのも必然である。もともと差別とは権力を隠してしまい敵を見間違えさせるための悪い、経済装置なのだ。無論それは「だまされた者たち」に一定の「快楽」やおこぼれをまき散らしていく。
――――
単行本p.182


 祈りのこと、猫のこと、食事のこと、家族のこと、小説のこと、授業のこと、それらが次々と語られてゆきます。家族の来歴は更新され、これまで誤解されていた愛猫ドーラの真意が明らかにされ。常にアップデートを続ける笙野文学の凄みがここに。

 特に、ドーラのことは胸をうたれます。
「苦労かけたんだ」「一緒に繁栄して一緒に泣いたんだ」(単行本p.70)
 もうドーラの声を書き写してしまう。


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「ほら、ドーラいなかったらあなたいないでしょ、お礼は、ドーラにお礼は? ……噛むわ、体重かけて噛むわ、ばーか、ばーか」。いつも、思い出しているよ、ドーラ、ドーラ。
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単行本p.135


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「どんな会も断って、どんな式も出ては駄目、ほらあたし死にそうでしょあたし今血を吐いて死んでしまうから、あたし骨が折れて垂れ流しになるから、あなたの目に映る私そんな顔してるでしょ、あなたが急死したらあたしはここにいて飢え死にしてしまう、だからあたしを見てどこにも行かないで、ずっと一緒にいて、何もしないで、そしてお風呂とおトイレは、いつもこのドーラがお供するわ、見張ってないと、あなた、溺れ死ぬから」
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単行本p.151


――――
「お願い、何もしてはダメ、何か見ると、疲れるでしょ、話すと、疲れるでしょ、ドーラといて、ドーラの背中かいて、ね? 背中かいて?」すりすりすりすり、すりすりすりすり。
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単行本p.153


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「もう東京にも、どこにも、出ては、だめよ、あなた、ずっと寝ているのよ、お掃除もしてはダメ」。本当に何かすると、ドーラは怒ってくるようになった。
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単行本p.154


 そして、最後の生き残り猫となったギドウ。


――――
 その五年を通して彼は、ギドウは跡取りになったんだね、ドーラの跡を取る伴侶猫になれた。彼の看病をしながら、生まれて初めてのお勤めをしながら、そしてやっと、ていうかそろそろ、ギドウのところに帰る時期が来たと思ったんだって。「ギドウただいま、私はいろんな勉強が出来たよ」って。
――――
単行本p.48


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飼い主はなにせ難病なんでその作業中にいきなりへばって、その場でしゃがんで休んでしまったり。でもその掃除が終わると猫は喜んで。
 おかあさん、にゃっ、おかあさん、にゃーっ、僕、今からおトイレよ、ね、にゃっにゃっ。ああ、僕、足をあげるのもかったるいよっ、にゃっ、にゃっ、にゃっ、にゃーっ。
 で? 幸福だ、とても幸福だ、と飼い主は思ってまた掃除するのさ。
――――
単行本p.50


――――
この二代目宝猫は、トイレ傍でぱたりと止まって、その場で寒そうに固まったままの丸まり寝をしてしまっていたり、……。その丸まりがまた、痛いほうの膝だけ上に挙げて伸ばしているので(涙)。結局、ネットで調べ、……バスマットの上に寝かせておいて、くるむようにマットごと持ち上げて移動、すると。
「おかあさん、寒い、でも抱っこ嫌っ、でも、これなら怖くない、ね、もっと速く運べ、ていうか、もっと早く思い付け、ね、ね、ね」って目で訴えてくる。
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単行本p.172


 さらに、モイラが、ルゥルゥが、そして文学が。


――――
戦争があった時、原発を建てた時、自分が戦地に行かされる、自分が掃除をさせられる、そう思っている人間は小説に向いている。しかし全体を見渡すように語りながら、……自分以外の誰かが代わりに死ぬから戦争してもいい……と思っている人間は書けないのだ。そこに尽きる。
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単行本p.158


――――
 そして、……私の「異様な」、「凄まじい」、「ものすごい」本は死んでも残る。書くことしか出来なければ、この戦前を書く。どのような醜いものをも、全部をよけないで書く。よけないでいてこそ、私の本は売れない。そして死後も残る。戦犯と言われたいか? 言われたくない! どうか百年後も読者よ私を見つけて、そしてうっとりして、嬉々として「ああ、誰も読んでいないのよ私だけが読むのよ(といってるやつがあっちこっちにいる事はともかくとして)」と呟いててください。
――――
単行本p.198


――――
 どんなに歴史を修正しても、フィクションは永遠だ。なおかつ、もしこのまま戦争になり、日本がその戦争にずっと勝ちつづけるのならば、いや、負けても、もう文学はなくなる。害は世界に及ぶ。戦いどころか人類の語り物がすべて無に帰すのだ。
 故にどっちにしろやるしかない、「文学で戦争を止めてみせよう」、「それで戦争になったら? 無駄って笑われる」、いいとも、いいんだよそんな時は「だってお前らは止めようともしなかったんだぜ」って全集の後書きに書いて(しかし出るのか?)世を去るから。
――――
単行本p.198


 そして本文の最後、「付記」を読んで、涙が止まらなくなる。最後の一行は、喜ばしいというよりむしろ、祟り神を畏れる気持ちに。何もかも作者に背負わせて他人事みたいに読んでちゃ駄目だ。


タグ:笙野頼子
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『ピンポン』(パク・ミンギュ、斎藤真理子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 目と目の間、すなわち眉間でスイングは終わる。ひじの角度は90度、ラケットの角度は85度を維持する。スイングには腰がついてこなければならず、腰の回転は脚から始まる。動作は、水が流れるように連続していなくてはならない。これがスマッシュだ――目を閉じて僕はずっと卓球に熱中した。汗が流れはじめた。汗がもたらす空気と皮膚の間の潤滑作用を感じながら、僕は何度も自分のフォームを整えた。可能なかぎり完成させよう。ハレー彗星が来たら、このラケットで最高のレシーブを返すんだ――と僕は思った。それが僕にできるベストだったから。
――――
単行本p.149


 かつて恐竜界の命運をかけてイグアノドンが熱戦を繰り広げて以来の卓球勝負。この試合に勝てば人類をアンインストールするか否かの決定権を君たちに与えよう。凄惨ないじめを受けてきた二人の中学生は、地球に着床した巨大ピンボン玉の中で、ハルキゲニアからそう告げられる。それが、彼らの、初の、公式の、試合だった……。

 デビューするや韓国の文学賞を総なめ、日本でも第一短篇集『カステラ』が第1回日本翻訳大賞を受賞したベストセラー作家、パク・ミンギュのぶっ飛び青春卓球小説。単行本(白水社)出版は2017年5月です。


 他人を蹴落とさなければ生き残れない競争社会、拡大してゆく一方の格差、苛烈なルッキズム。シリアスな社会問題をテーマにしながら、街を襲撃する巨大ダイオウイカや異星文明とファーストコンタクトするヤクルトおばさんを平気で登場させる作風で、読者の感傷と感傷を刺激してやまないパク・ミンギュ。既刊の翻訳書は二冊ありますが、どちらも圧巻の面白さ。紹介はこちら。


  2015年05月29日の日記
  『カステラ』(パク・ミンギュ、ヒョン・ジェフン:翻訳、斎藤真理子:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-05-29


  2015年07月31日の日記
  『亡き王女のためのパヴァーヌ』(パク・ミンギュ、吉原育子:翻訳)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-07-31


 翻訳三冊目となる本書は、何とこれが青春卓球小説。主役となるのは、「釘」「モアイ」という二人の中学生です。釘が語り手となります。


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 モアイと僕はワンセットだ。ワンセットで目をつけられ、ワンセットで呼び出され、ワンセットで殴られる。殴られる場所は特に決まってない。教室で、トイレで、屋上で、それからまさにこの原っぱで毎日殴られている。いつからかモアイも僕もそれを自分の日課と思うようになった。あんまり良い日課じゃないけどさ、それ以外の日課があったことないから良いとも悪いとも思わない。まあ、生きるってこんなもんなのかなって感じ。
――――
単行本p.10


 殴られ、パシリにされ、金をみつぎ、また殴られ、侮辱され、徹底的な服従を強いられる二人。逃げようともしないのは、いじめは学校にだけあるのではなく、世の中すべてそういう仕組みで回っていて、自分たちは一生そこから抜けられない、と知っているから。


――――
 世の中を率いていくのは2パーセントの人間だ。

 担当の先生が口癖みたいにそう言ってたけど、ほんとだよねと思う。チスを見てると、そういう人間が確かに存在するんだってわかる。出馬して、演説して、人を抜擢し、ルールを決める――なるほど、納得だ。これだけ人間がいっぱいいたら、誰かが動かさなくちゃいけないわけだもんな。認めるしかない、残りの98パーセントがだまされたり言いなりになったり、命令された通りに動くしかないなんてことは――だってそれ自体、彼らが社会の動力だってことを意味するんだから。問題はまさに僕みたいな人間だ。僕やモアイみたいな人間だ。そもそも、

 データがない。生命力がないから動力にもならない。人員に数えられてないわけではなく、閉め出されてもいないが、自分の考えを表現したこともなければ同意したこともない。それでもこうして生きている。僕らはいったい、

 何なんだろう?
――――
単行本p.16


――――
夢があるとしたら

 平凡に生きることだ。いじめにあわず、誰にも迷惑かけずに、多数のふりの世の中を渡っていくことだ。常に一定の適当な順位を保って、人間ならまあそうなるでしょぐらいの悩み(個人的な)に陥ったら打ち明けられる程度の友だちがいて、卒業して、目につかない程度に道を歩いたり電車を乗り換えたりして、努力して、勤勉して、何よりも世論に従い、世論を聞き、世論を作り、めんどくさくない奴として世の中に通り、適当な職場でも見つけられれば感謝する。感謝するということを知っていて、信仰を持ったり、偶然にホームショッピングですごく良いものを発見するとか購買するとか消費するとかして、適当な時点で免許を取り、ある日突然職場の大切な同僚がおしかけてきたら5分、たったの5分でできるカルビチムでもてなすこともでき、君もまったくなあ、かなんか言いながらみんなを満足させてさしあげられる人物、僕もそんな人になりたい、でもそんな人になったら、

 幸せなんだろうか?
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単行本p.31


 中学生にして社会に絶望しきっている、あるいはいかにも中学生らしい人生観、そんな諦めのなかで毎日ただ殴られている二人の前に、突然あらわれた白いピンポン玉。二人は謎の老人の指導を受け、原っぱに置かれた謎の卓球台で練習にのめりこんでゆきます。


――――
自分のラケットを持つということはね、いってみれば初めて自分の意見を持つってことなんだよ。僕みたいなタイプの人間にとってそれは確実に刺激的な言葉だ。
(中略)
 意見を、持っても、いいですか? ラケットを振りながら僕はつぶやいた。ブン、ブン、想像するだけでもラケットが風を切る音が耳元をかすめるようだ。広い原っぱのような眠りが目の前に広がりはじめ、ラケットを握った僕は原っぱの卓球台の前に立っていた。意見を持っても、いいですか?
――――
単行本p.42、43


 で、まあ、普通の熱血スポーツ小説なら、二人は卓球を通じて自尊心と勇気を取り戻し、いじめっ子と絶縁して、試合に出る決意を、みたいな熱い展開になるのでしょうけど、そこはパク・ミンギュ。主人公は負け犬が集う「ハレー彗星を待ち望む人々の会」への入会を許され、レシーブを練習しながらハレー彗星が地球に激突して世界が滅びるのを待つ、という展開。しかし、実際に地球に落ちてきたのは、月よりも巨大なピンポン玉でした。そして明かされる真実。


――――
決定、って、どうやって、ですか? もちろん卓球で決めるのさ。良いか悪いかは別にして、君らはこれから、人類の代表と試合をしなくちゃいけないんだよ。人類代表って……じゃあこれ、人類関係のことなんですか? そのものだよ。人類をインストールしたままにしておくのか、アンインストールするのか。その決定が勝利者にゆだねられているんだよ。何でそんな決め方しなくちゃいけないんですかね?

 それだけのことがあるから

 そうなってるのさ。
――――
単行本p.198


 で、まあ、普通のジュブナイル小説なら、平凡な中学生である主人公が人類を救うことになるのでしょうけど、そこはパク・ミンギュ。人類なんて総体じゃなくて、世界から「あちゃー」された者たちを代表して「あちゃー」されない連中に挑む、という展開。


――――
よく聞いてね釘、ここに来てから僕、ずーっとそのこと考えてたんだ。どうして僕らなんだ? って。答えは出そうにない。でも、僕なりの結論はこうなんだ。何だい?

 君と僕は、世界に「あちゃー」された人間なんだよ。

 他に理由がある? 僕らが対戦する人類の代表っていうのは、いってみれば人類が絶対に「あちゃー」しない人たちだよ。ワン・リーチンとかティモ・ボルみたいな選手たち……そんな選手の名前を人類が「あちゃー」するはずないじゃん? つまりピンポンというものは、僕の考えでは、人類がうっかり「あちゃー」しちゃったものと、絶対「あちゃー」されないものとの戦争なんだ。
――――
単行本p.210


 勝ち組、多数派、めんどくさくない奴として世の中に通る連中。そんな「あちゃー」されない人類代表なら、勝ってもアンインストールするはずがないから、そもそも人類大丈夫。そう思ったとき、なぜか読者の腹の底からわき上がってくる「ふざけんな、やれ、行け、倒せ、アンインストールしちまえ」という怒り。

 「ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン」が4ページにまたがってひたすら続く壮絶なラリーの果て、はたして二人は勝つことが出来るのか。人類を「あちゃー」してやれるのか。何でハルキゲニアはウインドウズ98を使っているのか。

 というわけで、明るい絶望に貫かれた奇妙な青春卓球小説としか。卓球のラリーを模したリズム感あふれる文章、次から次へと挿入される妙な挿話、超常的なことが当たり前のようにまかり通ってしまう裏返しのリアリズム。『カステラ』が気に入った方には文句なくお勧めです。


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『神よ、あの子を守りたまえ』(トニ・モリスン、大社淑子:翻訳) [読書(小説・詩)]

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 子供。新しい命は、悪や病からは免れており、誘拐、殴打、強姦、人種差別、侮辱、痛み、自己嫌悪、放棄からは保護されている。過誤はなく、すべてが善。怒りもない。
 そう彼らは信じている。
――――
単行本p.228


 漆黒の肌を持って生まれたせいで母親からネグレクトされた女。変質者に兄を殺された男。幼い頃にそれぞれ深く傷つけられた二人の出会いは、彼らの傷を癒すだろうか。差別と暴力と愛を正面から描く作家の最新長篇。単行本(早川書房)出版は2016年11月です。


――――
 二人はこの件をしくじるだろう、と彼女は考えた。二人とも痛みと苦しみの小さな悲しい物語――昔のトラブルや、人生が彼らの純粋で無垢の体に背負わせた傷――にしがみつくだろう。そして二人ともよく知っているプロットで、主題を推定し、意味を作り上げ、その源は忘れて、永遠にその物語を書き直すだろう。なんという無駄なこと! 彼女は個人的な経験から、愛することがいかに難しいか、いかに利己的で、いかにたやすくばらばらに崩壊するかを知っていた。
――――
単行本p.206


 漆黒の肌を持って生まれたことで両親に疎まれ、事実上ネグレクトされて育ったルーラという若い女性が主人公です。


――――
産院のいちばん初めのときから、赤ん坊のルーラ・アンはわたしに恥をかかせた。生まれたときの肌の色は、アフリカ系の赤ん坊でも同じだけど、すべての赤ん坊と同じような薄い色をしていた。でも、すぐ変わったのだ。わたしの目の前で青黒い色に変わったとき、気が狂いそうになった。ちょっとの間はたしかに狂っていた――一度だけ、ほんの数秒の間、わたしは毛布をあの子の顔にかぶせて、押さえつけたからだ。だが、できなかった。あの子があんな恐ろしい肌の色をして生まれてこなかったらと、どんなに願ったにしても。
――――
単行本p.9


――――
でも、わかってくれなくては、わたしはあの子を守らなければならなかった。あの子は世間を知らなかったから。自分が正しいときでさえ、強情な態度を取ったり、生意気な口をきいたりしても得るところはない。口答えをしたとか、学校で喧嘩をしたとかいうだけで少年院に入れられるかもしれない世界、雇われるのは最後でクビになるのは最初という世界では。あの子はそんなことは何一つ知らなかった。いかにその黒い肌が白人たちを怖がらせるか、でなきゃ笑って、だましてやろうと思わせるか、ということは。
――――
単行本p.57


 人種差別の現実を思い知らされてきた母親は、ルーラを厳しく躾けます。白人が支配する世界で致命傷を負わずに生き延びるために。「正しい」被差別者しぐさを身につけられるように。

 そんな母親に反発して家を出たルーラは、自分の武器、すなわち類まれな美貌と性的魅力を活かして社会的に成功し、金持ちのキャリアウーマンになります。


――――
面接用のオフィスまで歩いて行きながら、わたしは自分が起こしている効果を目で見ることができた。大きく見開かれた賛美の眼、にやにや笑いとささやき。「うわー!」「よお、ベイビー」あっという間にわたしはリージョナル・マネージャーに昇進した。「ほら、わかっただろ?」とジェリは言った。「黒は売れるんだよ。黒は、文明社会のなかでいちばんホットな商品なんだ。白人の女の子や、褐色の女の子でさえ、その種の注意を得るためには、裸にならなくちゃいけないんだからね」
――――
単行本p.51


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わたしは自分の優雅な黒さをすべて子供時代の幽霊たちに売り渡し、いま彼らはその支払いをしているのだ。わたしはこう言わざるをえない。これらのわたしを苦しめた人々――本人も彼らに似たことをした追随者も――がわたしを見て、羨望でよだれを垂らすよう仕向けるのは、仕返し以上の価値がある、と。それは、栄光だ。
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単行本p.78


 もちろんその「栄光」は差別に対する勝利ではなく、ただ裏返しの人種差別と容貌差別という別の差別構造に乗っかっているだけで、彼女自身は相変わらずネグレクトされ続けるのです。


――――
すでに成功した男たちは、わたしを勲章のように、自分たちの武勇を証明する物言わぬ輝く証拠のように扱った。彼らのうちの一人として、与えたり、助けたりする者はいなかった。わたしが考えていることに、関心を持つ者はいなかった。わたしがどういう風に見えるかということだけだ。まじめな会話だとわたしが考えているときに、冗談を言ったり、赤ん坊をあやすような話し方をしたりして、それから自尊心をもっと満足させてくれるものを他に見つけて去って行った。
――――
単行本p.52


 そんなルーラの前に現れたのが、ブッカーという男。彼も、兄が変質者によって性的凌辱された上で惨殺されるという凄惨な事件のせいで深い傷を負い、自分の人生を見失っていました。

 やがてルーラが子供の頃に犯した罪、母親にかまって欲しい一心でやったことが、長い歳月を経て、彼女にしっぺ返しを食らわせることに。

 暴力をふるわれ、重傷を負い、仕事を失い、ブッカーに捨てられたルーラは、さらに自分を守ってきた美貌と性的魅力が次第に失われてゆくことに気づきます。自尊心の欠如、誰からも外見しか気にかけられないがゆえに内面が未成熟のまま、そういった現実が肉体的変容という形であらわになってゆきます。


――――
さらなる身体的消失はなかったものの、少なくとも二カ月、あるいは三カ月間、生理がないことが気がかりだった。胸は平たくなり、脇の下の毛も陰部の毛もなくなり、穴をあけたはずの耳たぶはふさがり、体重は安定していない。彼女はおびえた小さな黒い少女に逆戻りしたという狂った考えを忘れようとしたが、忘れられなかった。
――――
単行本p.185


 「おびえた小さな黒い少女」に逆戻りしてゆくルーラは、仕事も、住処も、友人も、何もかも放り捨てて恋人であるブッカーを追うことに。だがその行く手には神話的な長い苦難の道のりが待っていました。はたして彼女は試練を乗り越えて恋人と再会できるのか。傷は癒されるのか。自分の人生を、自尊心を、取り戻せるのか。


 というわけで、差別と暴力がどのように人とコミュニティを歪めてゆくかを冷徹ともいえる筆致で描き、それを癒し救う力を愛は持ち得るのかを切実に問い続けてきた作家によるこの最新長篇では、児童虐待、とくに性的虐待が子供に与える傷とその深さが語られます。多くの登場人物は、直接的であれ、間接的であれ、性的虐待による被害を受けた過去を持ち、その傷が彼らの人生を歪めているのです。

 人称を自在に切り替え、様々な登場人物の視点をゆきかいながら多声的に語られる物語。魔術的なまでに冴えた小説技法を駆使して、差別も暴力も虐待もなくならないこの世界で傷はどうしたら癒せるのか、という問いと祈りに、読者は向き合い続けることになります。中篇といってもよいほどのごく短い長篇ながら、読後に深い感動に心をゆさぶられる作品です。



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『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(河野聡子) [読書(小説・詩)]

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快適なこの部屋にみんなであつまりテレビをみる
地獄のリビングルームにテレビセットがあるなんて
完璧に首を吊るまで
だれもしらないこと
地上の人々にはひみつだ
ぜんぶここからみている
――――
『アンダーグラウンド・テレビジョン』より


 1952年の接近遭遇、むかれみかんの噴射、謎のほうれんそう、エアロバイク洗濯マシーン。知的でクールな言葉とデザインで、職場の鬱憤を代替エネルギーとして活用する詩集。単行本(いぬのせなか座)出版は2017年7月です。


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「お配りした資料のうち514ページをご覧ください」
などと言われた時、いっせいにページをめくる音が鳴り響く、これをどうにかできないものかと考えるのが、代替エネルギーを思考するということです。重要なのは見過ごされたまま浪費されている力なのです。
――――
『資料』より


 とにかくクールでない言葉はひとつも許さない、というイキオイでそこに在るような、読んでいてとてつもない高揚感に襲われる詩集です。かっこいい。この世にはまだかっこいい言葉の使い方がいっぱいあることに気づく幸せ。


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五時。サイレン。
かごの隙間をすりぬけてレシートが滑空する、紙飛行機、アフリカの空を滑空する、わたしは墜落する、飛行機になる
スーパーのビニール袋を広げながら、ほうれんそうが謎である、と、国産契約農家栽培の冷凍ものがほんものより安いのはどうしてであるのか、と、たずねられる。
五時のアフリカに謎のほうれんそうが一面に生える
――――
『紙飛行機』より


――――
八十九年のあいだに
きみは何度かクマになり何度かヒトになる
三日経ってぼくが帰ったとき
きみがクマならたき火を焚いて
きみがヒトならおかゆをつくる
八十九年のあいだにたくさんの
こどものクマとこどものヒトが育つから
三日後のぼくの席はこどものクマに占領され
おかゆはあっという間になくなるだろう
眠りにつこうとするきみのそばで
ぼくはクマになって冬眠に入るのだ
――――
『クマの森』より


 中間部、黒いページに白抜き文字で印字されているのが『代替エネルギー推進デモ』という連作で、「41のパートで構成されたスクリプトに基づいて上演される」戯曲という形式で41篇の詩作が並びます。出演者は「話す人」「書く人」「動く人」の三名で、実際にTOLTAのパフォーマンスとして上演されたようです。

 内容は代替エネルギー思考により身の回りにある無駄に浪費されているエネルギーを有効活用しましょうという意識高い提言ですが、実のところ職場の無理無駄村しきたりに対する鬱憤をぶちまけているような。


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電化製品の大好きな上司や夫に向っては、シュレッダーを電動にしたからといってシュレッダー作業が楽しくなるわけではないと説得しなければなりません。電動にしてシュレッダー作業が速くなれば、その分作業が楽しくなるのではなく、するはずでなかった仕事がもっと増えるだけなのはあまねく知られた事実です。
――――
『シュレッダー』より


――――
巨大穴あけパンチに使うわたしのわたしの運動エネルギーが、書類への怒り、書類のもとになった会議への怒り、などというネガティブなものにではなく、すてきな三時のおやつへ変換されるような代替エネルギーが、求められています。具体的には、どら焼き、大福、シュークリーム、イチゴパイといったものへと変換されるのがのぞましいです。
――――
『穴あけパンチ』より


 怒ってます。仕事できないオヤジが偉そうにするためのしりぬぐいのようなくだらない雑用ばかり押し付けられる有能な女性の怒りが紅蓮の炎となって生みだした温度差をカルノーサイクルで電力に変換するような、そんな代替エネルギーのパワーを感じます。


――――
みんなが認めているにも関わらずはっきり言おうとしない、めがねが持っている絶大なパワーとは、かけた人を頭がよさそうに、あるいは間抜けに見せる強力な作用です。プレゼンや上司との駆け引き、また合コンといった場面においてめがねがどのくらい強力な力を持っていることか。代替エネルギー開発において待ち望まれるのは、このめがねパワーを持ち運び可能なエネルギーに変換する技術なのです。
――――
『めがね』より


 という具合に、身の回りにある無駄に浪費されているものをすべて電力に変えるという視点こそが大切なのです。ダイエット発電、おにぎり発電、ラジオ体操発電、ふとんたたき発電、母さんの夜なべ発電、ホッチキス発電、すべり台発電、そして会社の意味不明な会議発電。


 続いて、古めかしい翻訳SFの香りがする詩作へと進んでゆきます。


――――
私はまずヘビをむき、イヌをむき、ウサギ、トラ、タヌキ、シカ、おもいつくかぎりの動物をむいてから植物にとりかかり、自分の知っている限りの花々、木の実、草、キノコをむいた。万能ナイフをむき、レンチをむき、ドライバーをむき、ロケットをむき、宇宙船をむいた。船内のあらゆるものはみかんの香りでむせかえらんばかりだった。宇宙の総体を覆う外皮に近づけば近づくほど、みかんの香りがする。そのころには私は船内にあるみかんの大きさに飽きはじめ、あのみかんそっくりの太陽をむきたい、という欲望をおさえようもなく感じていた。みかんをむくのだ! 気がつくと、私の船はむかれみかんを噴射しながら、みかん太陽の力場からゆっくりと離れはじめていた。
――――
『Citlallohtihca (星々のあいだに立つ)』より


――――
並んだ脊椎の真ん中辺りに、奇妙な隆起があるが、何も話さない。壁に押しつけてみる。けっして痛いと言わない。コールを待っているとき、代わりに痛いと言ってやることすらある。脚は右の方が長く左の方が短い。指は節が太く、1976年に四本目の指の腹に芯を刺した痕が残っている。二本目の指は、1952年の接近遭遇で負った傷が化膿し何ヶ月も痛みつづけた。今では皺のよった新しい皮膚で覆われている。
――――
『ブルーブック』より


 余談ですいませんが、「1952年の接近遭遇」とかいうと無闇に興奮してしまうのです。大多数の読者はアダムスキー事件のことだと思うでしょうが、1952年には、ワシントン、クラリオン、そしてもちろんフラッドウッズ、といった有名な事件がいっぱい起きまくっているのです。「1976年」が何を指しているのかはよく分かりません。イランのやつか?


――――
みんなの鎖は永遠にのばすべきだ。
みんなの鎖は永遠にのびるはずだ。
きっとみんなの鎖はのびつづけるだろう。
宇宙がおわるときまで、みんな川のむこうにいる。

みんなをおぼえているよ、とみんながいう。みんなをおぼえつづけるために記録をつなぐ。失敗すれば砕けた鎖の星がふる。とおくから星がふるときは、みんなをめがけて、みんなが降りしきる。あたって砕け、砕けつづける。もう夕暮れで、山口さんのエレベーターがほのあかるい海中塔にしずみ、海藻をつつくさかなたちが、海のふかいほうへおりていく。砂漠のような波のレリーフが刻まれた地層を佐々木さんの非常階段が這いながらのびる。急角度で見おろしたさきに船着き場と釣り人。そこへつうじる表階段はとてもとおい。優雅に手すりをつかみながら鈴木さんが階段をのぼる。佐々木さんの岩壁の道は木のトンネルと岩のトンネルにつづいている。くぐるとエスカレーターの銀色がひかる。小川のように一方向へながれつつ、にぶい輝きを放っている。
――――
『遠くから星がふる』より


 あまりのかっこよさに悶絶しそう。

 というわけで、最初から最後まで知的でクールな言葉が並ぶしびれるような詩集。付録小冊子として「いぬのせなか座/座談会5 『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』をめぐって」がついています。

 お問い合わせはいぬのせなか座まで。

いぬのせなか座
http://inunosenakaza.com/

通販申し込み
http://inunosenakaza.com/works.html#tsuhan



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『あかむらさき』(小川三郎) [読書(小説・詩)]

――――
新月の光を浴びながら
人間的な感情など
どこかに行ってしまった様子のあなたは
自分の小魚を食べ尽くし
私の指にまで
手を出そうとするので
あまいキスをし
また海へ行こうというと
しょんぼりとうなずいたのだ。
――――
『秋夜』より


 2017年7月9日は、夫婦で江戸東京博物館に行って、詩の同人誌即売会「第21回 ポエケット」に参加しました。そこで購入したものです。あかむらさきのカバーにタイトルと目次を印刷し、その上からオレンジのカバーを(タイトルだけ見えるように)かぶせた手作り感あふれる装幀。八篇を収録した詩集です。発行は2017年7月9日。

 リズミカルな散文のような作品が並びます。奇妙なシチュエーション、どこかしんみりとした味わい。奇妙な味のショートショートとして読むことも出来そうです。


――――
どこかのじじいが
私の最後を見て
口を開けていた。
なにか意見を言いたいらしかったが
私は私の最後を遂げていただけで
なにかを訴えたいわけではなかった。

最近の若者たちは
私の最後など興味がないようで
いくら苦しいうめき声を上げようと
平然と横断歩道を渡っていく。
腕組みなんかして
なんとも偉そうだ。

私は最後をいったん停止して
自転車に乗ってもう一度手紙を出しに行った。
ポストの前でしばらく待ってみたが
やはり返事は来なかった。
――――
『路上にて』より


――――
穴の底には
穴以外には空しかなかった。
ここはもしかすると私が
ずっと来たかった場所ではなかったろうかと
しばらく考えたが
どうやらそうであるらしかった。

妙な違和感が穴にはあって
私はそこで寝そべって
空を眺めていたのだけれど
ときおり誰かが
穴の縁から覗き込んで
いぶかしげに底を見回してから
まだ誰もいない
とつぶやいて引っ込むのだった。
――――
『穴』より


 もしかして社会風刺かしらんと思わせつつとぼけた味わいで煙に巻いてしまう作品が個人的にお気に入りなのですが、不気味なシチュエーションでじわじわおびやかしてくるような作品も印象的だと思います。


――――
ふたりが挙げた手に応えるように
銀杏は身体全体でふたりに覆いかぶさった。
そのそばで両親だか他人だかが
その様子を見守っていた。

それは秋の午後
この季節には恒例の
微笑ましい光景として公園の端にあったわけだが
私にはやはり恐ろしいことのように見えた。

私はそのような決めごとになじめない。
どうにもこうにも
あってはならないことのような気がして仕方がない。
考えてみれば私は生まれてこの方
銀杏の樹に触れたことすらない。
――――
『銀杏』より


――――
部屋の外を
夜がすっぽりと包んでいた。
それは当たり前のことなのだと
いくら自分に言い聞かせても
駄目だった。

私は下着ではない。
私は下着にはなれない。
私は下着になるのがこわい。

下着は
少しずつ少しずつ乾きながら
鴨居の下にぶら下がっていた。
――――
『下着』より


 不安としんみりという相性悪そうな感情が無理なく一体化しているようで、最初に読んだときより後からじんわり気になってきます。


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