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『作家と楽しむ古典』(池澤夏樹、伊藤比呂美、森見登美彦、町田康、小池昌代) [読書(随筆)]

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 あたしはこう見えてすごくまじめなんですよね。『日本霊異記』を訳しているとき、アメリカやヨーロッパで日本文学を研究している友人たちの顔がしきりによぎっていました。ああいう人たちに、景戒さんの姿勢や心意気がちゃんと伝わる現代語訳にしたかったんです。だから、一字一句、まじめに、ニュートラルに、置き換えました。(中略)
そうやって、ボロボロになりながらつくり上げた現代語訳です。出版を記念して、池澤夏樹さんと町田康さんとあたしが朗読する会があったんです。あたしはその前日くらいにやっと本を見たところだから、他の人の訳文見てなかった。つまり『宇治拾遺物語』は、まず、耳から、町田康さんの声で入ってきた。腰が抜けましたね。「やっぱ瘤いこう、瘤」「マジじゃね?」とあり、いやぁ感動した。自分のまじめさ、馬鹿正直に逐語訳した自分が情けなくなった。といって町田さん、荒唐無稽な訳ではない。まじめにきちんと原文に沿っている。しかもそのときの会場が原宿で、若い人ばかりで、みんな町田康目当てで、町田さんの、抑えた読み方に若い人たちがバンバン反応していく。町田さんもそれにビシビシ応えていく。それを見ちゃったあたしは半年くらいショックが抜けなくて、しばらく「町田コロス!」って思ってました。町田康の『宇治拾遺物語』を読めたことは、あたしの長い文学生活で一、二を争う衝撃でした。
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単行本p.53、63


 シリーズ“町田康を読む!”第56回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、池澤夏樹さんの編集による『日本文学全集』の古典現代語訳を担当した作家たちによる連続講義を書籍化した一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年1月です。

 本書で扱われている古典の現代語訳のうち、個人的に読んでいたのは第08巻に収録されている『日本霊異記/発心集』(伊藤比呂美:現代語訳)と『宇治拾遺物語』(町田康:現代語訳)だけです。ちなみに単行本読了時の紹介はこちら。


2016年02月16日の日記
『日本霊異記/発心集(日本文学全集08収録)』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-02-16

2016年02月18日の日記
『宇治拾遺物語(日本文学全集08収録)』
http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-02-18


 本書は、前述の二名を含む五名の古典現代語訳担当作家による連続講演を書籍化したもの。それぞれの現代語訳を読んだ方はもちろんのこと、人気作家のエッセイアンソロジーとして読むことも出来ます。


古事記
『日本文学の特徴のすべてがここにある』(池澤夏樹)
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 日本人の心性は、『古事記』の昔からあったのだと思います。やまとごころ、もののあわれ、無常観、日本文学の特徴とされるものは、すべて『古事記』に見つけることができます。日本文学は、それを洗練させながら、連綿と伝えるいとなみでありました。
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単行本p.36

 成立過程、編集、速度と文体、といった様々な観点から『古事記』を語ります。天皇礼賛の書という評価は正しいか、各国の神話との比較、そして古事記に表れた日本人の心性、といった話題が次々と。


日本霊異記・発心集
『日本の文学はすべて仏教文学』(伊藤比呂美)
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 どの話でもそうなんです。先ほどの「邪淫の縁」だと、セックスで死んだ二人の話の後に、背骨の柔らかい男は自分の口でマスターベーションするものだなんて言ってる。それを読んだあたしたちは、なるほど! なんて全然思わないですよね。(中略)
 景戒さんは、背が低くて、なんだかキュートで、頭がよくて、セックスが好きで、好きだってことを平気で言える、いい男でした。そんな人が考えたことですから、奇妙なコメントにも何か目的があったはず……。
 それで行きついたのが、仏教です。
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単行本p.66

 エロ満載、あるがままの人間の業を描いた仏教説話集『日本霊異記』について、そして日本文学は仏教とどのように関わってきたのか、思い入れたっぷりに語ります。
「みんな、町田さんのばっかり読んでるみたいですけど、あたしのもじっくり読んでくださいね。百年後にも残るクラシカルな訳、をしたつもりですから」(単行本p.64)


竹取物語
『僕が書いたような物語』(森見登美彦)
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『美女と竹林』というタイトル、この美女はやはりかぐや姫をイメージしていました。それに僕がデビューしてから今まで書いてきた小説には、片思いをして右往左往するアホな男たちが多かったです。『竹取物語』から千年の時がたっているとは思えないほど同じですね。
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単行本p.103

 キャラクターを立てる工夫、和歌をどうやって現代語に訳すか、など『竹取物語』の翻訳にあたって工夫したところを解説してくれます。


宇治拾遺物語
『みんなで訳そう宇治拾遺』(町田康)
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 破格な翻訳です。でも、ただ形を壊そうとか、元の話を裏切ってやろうとか、とにかくむちゃくちゃやればいいとかいうわけではないんです。原文を読んで、おもしろい、楽しい、なんでこうなるの? と思った気持ちがやっぱり大事です。そして自分で訳してみて、この訳文ええやんけ、とおもしろがれる気持ちが大事です。単なる破壊じゃあ、なかなか楽しくできませんから。
 けっこう遊べます。やれと言われてやった仕事ですけど、『宇治拾遺物語』の翻訳はおもしろいばっかりでした。こんなんで金もらえるんやったら一生これやるわ、と思いましたね。
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単行本p.144

 話題沸騰、伊藤比呂美さんをして「町田コロス!」と言わせた名訳はどのようにして出来上がったのか。実際に翻訳してみよう、ということで、様々なコツを伝授してくれます。


百人一首
『現代に生きる和歌』(小池昌代)
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 このように和歌はいろいろな解釈ができるものですから、踏み分けて、踏み分けて、奥に入っていくときりがない。でも、いろいろ知って、たくさん読んだ後に、また素直な気持ちで一首に帰ってくる。すると前よりも、もっと耳が立ってくる。
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単行本p.161

 百人一首から六首をとりあげ、その解釈の試みを通して、和歌の「きりもない奥の深さ」と「微妙なところでの受け取り方の変化」を解説します。



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『のら猫拳』(アクセント) [読書(随筆)]


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どっしりとした構え。隙などどこにもない。
彼らは厳しいのら猫界を生き抜くため、人知れず修行に明け暮れている。
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 鮮やかな大跳躍から繰り出される鋭い蹴り。猫の空中殺法を見事にとらえたカッコよくてやたら可笑しい猫写真集。単行本(エムディエヌコーポレーション)出版は2017年1月です。

 おそらく猫じゃらしか何かを振って飛び掛かってきたところを撮影してる、ということは分かるんですよ。でも、この気迫に満ちた表情、空中で電光石火のごとく放たれる猫パンチや猫キック、珍妙ポーズで宙を舞う猫たちを見ていると、「格闘技で戦っている猫」という設定に素晴らしい説得力があります。

 写真に添えられているキャプションもノリノリ。


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のら猫界最強の流派、黒猫拳。その圧倒的躍動感。
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港を守る正義の爪、キジシロ拳!
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ジョジョ立ちからのスタンド攻撃!
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悪の悪猫(わるねこ)四天王
「ここを通りたければ我らを倒して見せよ」
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 子猫がおぼつかない二本足で立っている写真でさえ


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ほのぼの感で敵の戦意を奪うのがハチワレ拳の極意!
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とか煽ってくるのがすごい。猫は何をしていても格闘技。

 後半には陽気に踊っているダンス猫たちの写真も収録されており、パラパラめくっているだけで楽しくなってきます。

 着地を考えず無我夢中でジャンプした猫たちの、空中での躍動感に満ちた肢体には胸踊るものがありますし、重力から解き放たれた猫の筋肉や関節の動きは生々しい驚きがあります。

 どんな写真なのかチェックしてみたい方は、ツィッターでアクセントさんのアカウント(@sakata_77)を確認してみて下さい。気に入ったらあれこれ迷わず購入しちゃうことをお勧めします。



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『〆切本』 [読書(随筆)]

『手紙 昭和二十六年』(吉川英治)より
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 小説
 どうしても書けない 君の多年に亙る誠意と 個人的なぼくへのべんたつやら 何やら あらゆる好意に対しては おわびすべき辞がないけれど かんにんしてくれ給え どうしても書けないんだ
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単行本p.44


 書けぬ、どうしても書けぬ。〆切を前にして、というか後にして、七転八倒悶絶自傷に走る者、他人のせいにする者、逃亡する者、話をすり替えて正当化する者……。明治の文豪から現代の人気作家まで、〆切に苦悩し狂乱する文士たちが言い訳と現実逃避のために書きつけた、血を吐く文章94篇を集めた〆切アンソロジー。単行本(左右社)出版は2016年8月です。


『はじめに』より
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 本書は明治から現在にいたる書き手たちの〆切にまつわるエッセイ・手紙・日記・対談などをよりぬき集めた“しめきり症例集”とでも呼べる本です。
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単行本p.10


 とにかくどのページからも「書けない、書けない」という叫びがあふれてくる一冊。そういうとき、人はどのような言葉を吐き出すのか。

 まずは素直に謝るパターン。シャレにならない事態であっても、とにかく謝り倒す。少しだけ勝手な言い訳を混入させることで、でもぼくそんなに悪くないもん、という甘え心を見せるのもテクニック。


『はがき 大正六年』(島崎藤村)より
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一月もかかって、漸く三十三枚しか書けませんでした。小生の身体の具合は、これでもって大凡想像がつかうと思ひます。右にも関わらず、小生は力めて健康の回復を計って居ます。
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単行本p.23


『手紙 明治三十八年』(高浜虚子)より
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さう急いでも詩の神が承知しませんからね。(此一句詩人調)とにかく出来ないですよ。今日から帝文をかきかけたが詩神処ではない天神様も見放したと見えて少しもかけない。いやになった。是を此週中にどうあってもかたづける。夫からあとの一週間で猫をかたづけるんです。
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単行本p.19


『はがき 昭和六年』(寺田寅彦)より
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どうかもう少し御延期を願度と存じます。日支事件で新聞は満腹でしやうから、閑文字は当分御不用ではないかとも想像致しますが如何でしやう。
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単行本p.26


 続いて、書けないものは書けないと開き直るパターン。


『机』(田山花袋)より
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どうも気に入らない。題材も面白くなければ、気乗りもしない。とても会心の作が出来そうに思われない。もう日限は迫って来ているのだが、「構うことはない、もう一日考えてやれ。」と思って、折角書く支度をした机の傍を離れて、茶の間の方へと立って来た。
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単行本p.12


『無恒債者無恒心』(内田百聞)より
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 帰り途に、落ちついて考えて見たら、二十八日までという期日は、小生がお金がほしくてきめて貰った日限であって、雑誌の編集の都合からいえば、何も二十八日に原稿を受取らなくてもよかったのである。小生は自分の困惑について、他人におわびしに来たようなものである。(中略)これから二三日の間の借金活動に要する運動資金を調達するため、細君に、彼女の一枚しかないコートを持って、質屋に行くことを命じておいた。そうして熟睡した。
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単行本p.41


 何とか責任を逃れようと被害者ぶってみせる、あるいはいきなり「そもそも〆切をなぜ守らなければならないのか」とか言い出すパターン。


『私の貧乏物語』(谷崎潤一郎)より
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私が貧乏してゐる重大な原因は、遅筆と云ふことに存するのである。これは原稿の催促に来る記者諸君にはいつも訴へてゐるのだけれども、その程度が如何に甚しいかと云ふことを本当に諒解してくれてゐるのは、私と起居を共にする家族の人達だけであつて、記者諸君などは好い加減に聞いてゐるらしいのが残念でならない。
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単行本p.28


『遊べ遊べ』(獅子文六)より
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 日本の文士がこんなに忙がしくなったのは、有史以来である。結構なことだが、文士が働きアリのように、まっ黒になって、朝から晩まで仕事をするというのは、少し変態ではないか。
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単行本p.47


『書けない原稿』(横光利一)より
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引き受けた原稿は引き受けたが故に、必ず書くべきものだとは思つてゐない。何ぜかと云へば、書けないときに書かすと云ふことはその執筆者を殺すことだ。執筆者を殺してまでも原稿をとると云ふことは、最早やその人の最初の親切さを利慾に変化させて了ってゐる。
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単行本p.52


 あつかましい言い訳と正当化がずらずら並ぶなかで、追い詰められてちょっと壊れちゃったかなーという感じのパターンも。


『日記 昭和三十五年』(高見順)より
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 私みたいに遅筆の人間は、ほんとに困る。
 遅筆の人間が、時間潰しのこんな日記書いている。
 時間が潰れると思って、今まで書かなかった。
 今、これは、仕事にかかる前に書いている。
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単行本p.73


『作家が見る夢』(筒井康隆)より
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締切に追われているときの、原稿を書いている夢。原稿用紙のマス目の数が明らかに違うわけですよ。縦二十字以上、横を見たらワアッと何十行もある(笑)。それをあしたまでに二十枚、というのはこわいです。
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単行本p.101


『吉凶歌占い』(野坂昭如)より
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 明け暮れ針のむしろに在る如く、もとより編集長以下必死の形相裂帛の気合で催促なさり、するとぼくは、事故で右手の小指を折ってしまった(中略)しかし、締切は一週間延びただけで、前後の事情いっさいかわらず、骨折後二日目に、シーネをはずし、とにかく字を書きはじめた、自己流に、割箸折って小指にあて、ゴムバンドでとめて。
 半分ほどすすんだら、そしてそれまで不精きめこみ、のび放題の鬚をそろうと、カミソリの刃をとりかえ、あやまってまったく骨折と同じ箇所を、骨のみえるほど、切ってしまったのだ(中略)
われながら認めにくいけれど、どうも、締切と怪我の間になにかつながりあるように思えるのだ。
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単行本p.104、107


 原稿執筆を「編集者との心理戦」と見なして皮肉を言いまくるパターン。


『肉眼ではね』(西加奈子)より
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「西さん、先週締切の原稿ですが、まだ送っていただけないのでしょうか」「肉眼ではね」
 どうだろう。「自分は己の目で見えるものしか信じない、物事の背景にある様々なものに心の目を凝らすことが出来ない俗物」と、編集者に思わせることは出来ないだろうか。
(中略)
 とうとう想像だけでは飽き足らなくなり、実際に声を出すことまでする。
「肉眼ではね!」
 寝ていた猫が、ビクッとなるほどの大声だ。
 もはや、「肉眼ではね」を言いたくてたまらないだけになっている。脳からおかしな物質が出てくる。
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単行本p.179


『植字工悲話』(村上春樹)より
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僕なんかが聞いていると編集者の方もけっこうそういうデッドライン・ゲームを楽しんでいるのではあるまいかという気がしなくもない。これでもし世間の作家がみんなピタッと締め切りの三日前に原稿をあげてしまうようになったら――そんなことは惑星直列とハレー彗星がかさなるほどの確率でしか起こり得ないわけだが――編集者の方々はおそらくどこかのバーに集まって「最近の作家は気骨がない。昔は良かった」なんて愚痴を言っているはずである。これはもう首をかけてもいいくらいはっきりしている。
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単行本p.242


 そして、最後は書き逃げパターン。


『作者おことわり』(柴田錬三郎)より
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「プレイボーイ」誌の編集者が、あと一時間もすれば、このホテルの私の部屋に入って来ます。
 締切ギリギリ、というよりも、締切が一日のびてしまって、私は、断崖のふちに立たされているあんばいなのです。
 どうしても、あと一時間で、脱稿して、渡さなければならない。そうしないと、雑誌が出ない。
(中略)
 困った!
 かんべんしてくれ!
 たすけてくれ!
 どう絶叫して救いを乞おうと、週刊誌は、待ってはくれぬ。
 そこで、やむを得ず、こんなみじめな弁解を書いているのです。
(中略)
 あと一時間で、「プレイボーイ」誌の編集者が、原稿を受けとりにやって来るが、私は、白紙を渡すわけには、いかない。
 黙って、悠々として、さらさらと書きあげたふりをして、部屋へ置きのこしておいて、私は、ロビイへ降り、ティ・ルームで、ブルーマウンテンでも飲むことにする。
 編集者は、急ぎの原稿を受けとると、その場で、読まずに、一目散に、印刷所へ駆けつけて行く習慣があることを、私は知っているからです。
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単行本p.348、351


 編集者の側から見た文章もいくつか収録されています。


『喧嘩 雑誌編集者の立場』(高田宏)より
――――
 我慢は、ずいぶんした。小さな我慢を数え上げたらキリがない。編集者は我慢をするのが商売のようなものだ。締切りが来ているのに、なんだかんだと引きのばされても、じっと我慢して待つ。ギリギリのところでもらう原稿を、自分の睡眠時間をカットすることで何とか間に合わせる。書いていると聞いて安心していると、それが実は他誌の原稿であることが分かっても、我慢する。待ち合わせの場所へ著者が遅れてきても、三十分や一時間なら我慢する。遅れるなら電話一本くらいくれてもよさそうだと思っても、それは口にしないで、にこやかに我慢する。
――――
単行本p.234


『編集者の狂気について』(嵐山光三郎)より
――――
 多くの編集者の友が死んだ。ほとんどロクな死に方ではない。ムリして死んでいる。他の業界なら死ななくてすむのに死んでいる。仕事にこだわりすぎている。殉職といえばそれまでだが、編集者は同業の死のなかに自らを投影してこの稼業の無常を知る。
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単行本p.213


 というわけで、締切りをめぐる作家と編集者の因業がうかがえる一冊。他人事と笑いつつ、まじでこの業界どこかおかしいんじゃないの、と心配になります。



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『これから猫を飼う人に伝えたい10のこと』(仁尾智、小泉さよ:イラスト) [読書(随筆)]


僕の手にもう生傷がないことで
       子猫が猫になったと気づく
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 そこに猫がいる二十年。猫があなたを追い抜いて年を取っていく二十年。(中略)
 猫を飼うことは、当たり前だけれど、猫の一生をまるごと引き受けることです。
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 猫を飼う覚悟、名前の付け方、心がけ、猫との別れ。タイトル通り、これから猫を飼う人に伝えたい10のことを、一つ一つ短歌とエッセイで表現した一冊。全項目に小泉さよさんのイラストつき。同人誌出版は2015年12月です。


猫がしちゃいけないことのない家で
     しなくていいことばかりする猫
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ちなみに我が家は、最初から家全体を爪とぎに見立てている。ソファや壁はボロボロだけど、気にならない。だって、この家はでっかい爪とぎなのだから。
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 猫の飼育マニュアル、かと思ったら大間違い。猫歌人・猫エッセイストの二尾智さんが短歌とエッセイで綴る、猫と生活する心構え、というか猫がいる幸せ、というかつまり猫馬鹿あるある。


幸せは重くて苦い
ひざに寝る猫を起こさず
すするコーヒー
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 神様がいるとしたら、彼(彼女?)の一番の手柄は、この猫の喉の音じゃないだろうか。まず発想がすごい。「心地よくなると、うっかり喉が鳴ってしまう」なんて仕組み、どうやって思いついたのだろう。
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ヒゲのない猫などいないはずなのに
       ヒゲと呼ばれる顔をした猫
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 我が家で言えば、「吾輩」と言いそうだから「なつめ」と名付けた猫は、いま「ヒゲ」と呼ばれています。
 また、白地にグレーの柄だから「しぐれ」と名付けた猫は、いま「ニー」と呼ばれています。
 さらに、濃い三毛猫だから「こみ」と名付けられた猫は、いま「グタ」と呼ばれています。グタが何を意味するのか、呼んでいる僕らにもよくわかりません。いつの間にかそうなりました。
――――


入ってた袋のほうでじゃれる猫
僕の選んだおもちゃをよそに
――――
 買ってきたおもちゃを不思議そうに眺めながら素通りされても、全然悲しくない。
 買ってきた爪とぎを尻目に、すぐ隣のソファで爪をとぎ始めても、全然悲しくない。
 美味しそうに見えたおやつに一切口をつけてくれなくても、全然悲しくない。

 全部僕のために買った僕のものだから。
 猫は、期待に添わない生き物だから。
 期待に添わないところが、いいのだから。
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 楽しいエッセイが大半ですが、猫との別れを綴った最後の短歌とエッセイには、やはり悲しい気持ちになります。それも含めて、猫と生きること。


衰えた猫はやっぱり撮れなくて
     アラーキーにはなれそうもない
――――
 猫の死は、きつい。
 どこかをもがれたような感覚がずっと続く。突然、腹の底から「悲しみ」としか言えないものがせり上がってきて、吐くように泣く。自分ではまったく制御できない。

 我が家には、いま九匹の猫がいる。あと最低九回も、あんな思いをしなければならないなんて、考えただけで、考えたくなくなる。
 だけど、そこは腹にぐっと力を入れる。

 これまでどれだけ猫に救われてきたというのだ。僕が看取らないでどうする。この恩知らずが。
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『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』(高野秀行) [読書(随筆)]


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 外国人に納豆について諄々と諭されてしまったのである。最大級の衝撃だった。納豆は日本独自の食品ではないとは思っていたものの、日本人に面と向かって訊かれるとそう答える自信がない。かたや、シャン族の人の話を聞いていると、あたかも日本が納豆文化圏における後進国のような気がしてくる。
 一体全体、シャンやカチンの納豆とは何なのだろう。
 今から考えれば、これが“アジア納豆”という未知なる大陸への入口だった。
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単行本p.9


 ミャンマー、ブータン、インド、ネパール、中国。アジアの様々な場所で食されている「納豆」。それはときに民族のアイデンティティになっているほどである。そして納豆を食べる「納豆民族」には、意外な共通点があった……。誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをする辺境作家、高野秀行氏がアジア各地の納豆作りの現場に取材した、旨みが糸を引く一冊。単行本(新潮社)出版は2016年4月です。


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 私も妻も彼の話に圧倒された。日本人の納豆など、全く太刀打ちできない世界だからだ。日本人は納豆が好きだといっても大半の人は朝、副食としてご飯にかけるだけである。中には納豆を使った創作料理もあるが、あくまでそういう食べ方をする人もいるという程度だ。でも、シャン族はさまざまな形で食べる。おやつとして食べ、調味料として料理に入れ、結婚のときにお寺に寄進する。シャン族にとって納豆は単なる食べ物ではない。文化だ。
 感嘆する私たちにとどめを刺すように彼は言った。
「トナオは僕たちのソウルフードなんだ」
 グルは二十年前、シャン独立の夢を語ったときより自信に満ちていた。そしてなんだか得意気だった。
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単行本p.23


 日本人の多くは「納豆は日本特有の食品。ガイジンにはその旨さは分からない」「我らは納豆に選ばれし民」などと漠然と思っていますが、いやいや納豆はアジア各地で作られ、食べられていますよ、むしろ日本より豊かな納豆文化がありますよ、日本もその納豆文化圏の一員なんですよ、ということを明らかにしてくれる本です。


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 アジア納豆とは一言でいえば「辺境食」である。
 東は中国湖南省から西はネパール東部に広がる、標高五百から千五百メートルくらいの森林性の山岳地帯やその盆地に住む多くの民族によって食されている。(中略)
 納豆民族はアジア大陸部でも日本でも、納豆に対して抱く感情が驚くほど似通っている。(中略)彼らは納豆に対して「身内」のような思いを抱いている。心の中では「うちの納豆がいちばんおいしい」とか「うちの納豆こそ本物」という手前納豆意識に満ちている。シャン族やナガ族のように、「民族のアイデンティティ」としている人たちもいる。最近の日本人も同列である。
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単行本p.304、309


 とはいえ学術研究書ではなく、何しろ著者が高野秀行氏なので、とにかく現地に行って、そこの納豆を食べ、実際に作る現場と過程を見せてもらい、自分でも納豆作りや納豆料理に挑戦し、という具合に体当たりで取材してゆく、いつものめっぽう面白い探検本・体験記になっています。


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 ふつう、料理の体験取材など一、二回やれば十分だろうが、どうにもやめられないのはシャンの納豆料理には無限とも思われるバリエーションがあり興味が尽きないからだ。というより単純に「もっと食べたい」と思ってしまうのだ。(後で先輩は「いくらなんでももういいだろうと途中から思った」と語っていた)。(中略)
 十日もすると、恐ろしいことに私たちにも各地のトナオのちがいがわかるようになってしまった。豆の匂い、発酵の深さ、香りと微妙な臭み……。なぜこの明らかな違いを認識できなかったのか、今はそちらのほうがわからない。以前、ムンナイの納豆は「風味が薄すぎる」と思ったが、それも全くの無知だった。薄いのではない。品がいいのだ。
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単行本p.99、100


 どんどんアジア納豆にハマってゆく高野氏と先輩。納豆菌が脳にまわったのではないかという「発酵」具合が香ばしい。


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 私の内面に構築された納豆観は広く展開し、外側にもあふれ出した。他の人にものべつまくなしに納豆について語るようになったのもこの頃からである。妻が迷惑顔をするのは序の口で、飲み会の席上で納豆の話が止まらなくなり、ふと気づいたら他の人々全員が無言でこちらを見つめていたという状況も一度や二度ではない。(中略)
 とはいえ、私などは他人に若干の迷惑をかけるだけだから、まだマシだ。中には納豆観どころか人生観まで変わってしまった人がいた。
 竹村先輩だ。
 先輩はシャン州滞在中から、妙な思いつきにとらえられていた。それは「テレビのディレクターを辞めて、シャンのせいべい納豆売りになる」という不可解なものだった。(中略)真剣な顔で嘆く先輩を、しかし私は笑うことはできなかった。気持ちはわからないでもないのだ。いや、今やとてもよくわかるようになっていた。
 納豆はどこか人を「童心」に戻らせるところがある。それは納豆が持つ“単純なのにすごく奥深い”という性質と関係があるのかもしれない。納豆にはまだ日本人の知らないすごい可能性がある。そしてそのすごい可能性を自分で開拓できるんじゃないか、という気がするのだ。
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単行本p.128、129、130


 こうしてほぼマタンゴ状態となった著者は、ミャンマーのシャン州・カチン州、インドとミャンマーの国境地域、ネパール、中国湖南省、さらには日本各地を飛び回ることに。

 食品技術センターにミャンマーとブータンの納豆を持ち込んでその納豆菌が日本の納豆と同じであるか否かを確認してもらったり、様々な植物の葉を使った納豆作りを試してみたり、ついには日本納豆の起源を求め「日本人は縄文時代から納豆を食べていた」という大胆な仮説を検証すべく「縄文納豆」作りに挑戦したり。

 好奇心だけでどこまでも突き進む様はいつものように痛快です。その姿勢を著者はなかば無理やり納豆の起源にからめてこう記します。


――――
 人間は昔から未知のものに対する好奇心をもっていたと思うのだ。知らない場所に行ってみる。知らないものを探索してみる。そして、知らない植物や腐ったように見える種をなんやかんや工夫して食べられるようにしてみる。その好奇心やチャレンジ精神こそが縄文時代からの最強のサバイバル術であり、現代にまで至る人間の文化や文明をはぐくむ原動力だったのではないか。
――――
単行本p.135


 というわけで、全篇これ納豆づくしの本です。当初、知られざるアジア山岳部の民族を「納豆」をダシにして日本の読者に紹介するつもりだった(のに納豆そのものにハマってさあ大変)というだけあって、アジア辺境各地の旅行記としても素晴らしく、納豆を通じて世界の多様性と共通性が見えてくるところは感動的。納豆そのものが好きではない方にもお勧めします。



タグ:高野秀行
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