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『のら猫拳キッズ』(久方広之) [読書(随筆)]

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初めて猫じゃらしを外の猫に使って撮影した時の感動が今でも忘れられません。カメラに写っているのは猫らしい野性味のあるポーズではなく、どう見てもカンフーしているような「人間のポーズ」を決める猫たちでした。
テレビや本で見る猫のイメージとはかけ離れたコミカルな動き。それまで何年も猫を撮影していたのに、こんな動きが出来るなんて知らなかった!と衝撃を受けました。
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 大跳躍から繰り出される鋭い蹴り。鮮やかなジョジョ立ち。からの近距離パワー型スタンド攻撃。猫の空中殺法を見事にとらえたカッコよくてやたら可笑しい猫写真集『のら猫拳』、その第二弾。単行本(エムディエヌコーポレーション)出版は2017年10月です。

 話題になった『のら猫拳』、紹介はこちらです。

  2017年01月30日の日記
  『のら猫拳』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-01-30

 本書はその続篇です。灰色猫の渾身の一撃をくらって仰向けに吹っ飛んでいる(ように見える)黒猫とか、ブレイクダンスの技を披露する三毛とか、この一枚をものにするのにどれだけの時間をかけたのか。考えただけで気が遠くなりそうな努力が注ぎ込まれているに違いない、見事としか言いようのない奇跡のポーズを決めまくる猫たちの勇姿。

 前作が気に入った方にはお勧めです。


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『とりとめなく庭が』(三角みづ紀) [読書(随筆)]

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 帰るって、場所ではなく状況なのだろう。とじつつあり、目前の言葉と出会いながら、新しさに怯えながら。でも、ずっと眠っていたいところを知ってしまったのだ。比喩ではない。
 変わることをおそれていた。知らないことはおろかで幼く美しい。知ることを知らないまま生きてきて、これからわたしはますますまぶたをひらいたりとじたりする。
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『あとがき』より


 旅、生活、思い出。生きてゆく日々を詩の言葉でつづった美しいエッセイ集。単行本(ナナロク社)出版は2017年9月です。

 まず印象に残るのは、旅の体験を扱ったエッセイ。軽い旅行記という感じではなく、詩人による言葉の旅です。


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 おととしの三月末にスロヴェニアを訪れた。旧ユーゴスラビアである。小さな飛行機が軋みながら雪の舞う夜の空港に着陸した。スロヴェニアも最近は異常気象で三月末に雪が降り続けることはめずらしいと、ほとんど毎日通ったパン屋のおばちゃんに教えてもらった。わたしは生まれてはじめて、しんしんという音を聞いたような気がした。しんしんと降り続ける雪に閉じ込められて、まるで学校の図書館で読みふけった童話の世界。まいったなあ、という気持ち。大人になっても知らないことはまだまだたくさんある。雪のなかの静けさと美しさ。
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『からだが記憶する雪』より


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 ザグレブ駅に到着する三十分ほど前に、越境のための入出国審査がおこなわれた。パスポートをとりだしてスタンプを押してもらう。飛行機のマークではなく、列車のマークが愛らしいスタンプを確認したわたしは、おもわずみちみちした。満ち足りている。自身の気持ちが満ち足りていて、それでいて、風景も感情もまわりのひとたちもたっぷりとあたたかいといったオノマトペがみちみちする。きゃらきゃらするが傍観だったら、みちみちするは主観なのだ。わたしの目線で、わたし自身が満たされて、且つ、たっぷりあたたかく、すべてが充足している。
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『温度を持つ言葉たち』より


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 次にくる列車に乗れば十五分ほどでマリボルへ着くというたやすさに安心して、駅のカフェでコーヒーを飲む。落書きされた赤い列車に乗り、移ろう景色を眺めようとしたら、切符を確認にきた車掌さんが「きみは反対の方向にすすんでいる。これはリュブリャナ行きだから次の駅で乗り換えて」とゆっくりとした英語で言った。
 隣の、よりいっそうちいさな、カフェも売店もないビストリツァ駅で途方に暮れていたら、雨が降りはじめた。駅員さんがやってくる。わたしはミスをしたのだと切符をさしだすと「きみのコンパスは狂っているね」と優しく笑った。それから、この切符は正しくないが正しいからこのまま乗ってよいと促す。
 ひとつしかないホーム。ふたつしかない線路のすぐわきで、老夫婦が畑を耕し、鳥がけたたましく鳴いている。雨は強さを増していく。
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『ビストリツァ駅』より


 まるでその場に連れてゆかれるよう。

 そして忘れがたいのは、過去の思い出を語ったエッセイ。子どもの頃に体験したこと、そして闘病のこと。


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あの夕方、なぜそのようなことをしたのかわからないけれど、生きていること自体が罪だと、ありありと察したのだ。演じて生きること、自分をごまかすこと。私は罪だ。幼くても理解した。白い猫のお葬式をおこなってから、あまり泣かなくなった。わざと泣くなんてばかばかしい。
(中略)
 魂を売らずに泣くことができる子供たちも大人たちも、わたしにとって畏怖を感じる存在だ。ほんのすこしうらやましい。ほんのすこしだけ。
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『わざと泣く』より


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 何度も引っ越しをしてきたが、必ず手元に残るものがあって、それらの多くは十数年前の奄美大島での闘病生活で使っていたものたちだ。例えば、海岸で拾った緑のガラス。波で研磨されて器のようになった瓶の底は、とりわけ目をひくものではないのだけれど、どうしても捨てられない。発病をきっかけにほとんどのものを手放して、もう一度産まれたような心地だったあの頃、なんということもない緑のガラスは大切な持ちもののひとつで、起床したらそこへ一日分の薬をいれていた。飲み忘れたら死んでしまうのではないかと怯えていた日々。
 きれいに洗ってから再び机の上に置く。今度は薬ではなく、外出する際に身につける腕時計を置く器になった。ひたすら詩を書き続けていた奄美での孤独な生活は、苛烈だったけれど必要だったのだろう。
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『緑のガラス』より


 全体を通じたテーマともいえそうなのは、知人とのつながり、他者への想像力。人間関係の基礎になる、しかしときとして軽視されがちな、他者との関係を、まっすぐに書いてゆきます。


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 わたしたちは誰ひとりとして人並みじゃないのだろう。三十五歳になったわたしは、まもなく三十六歳になる。感じ入ることも異なってくる。はじめて聴いたあの日、わたしは切実に共感したのだ。みんなは人並みに生きている。だから、わたしも人並みに生きたい。
 この部屋のカーテンは厚く、薄い緑と青が混じったように美しく澱んでいて、百合の花の模様をしている。その影が濃いから、外が快晴であることがわかる。影が白い壁のぎこちなさをあらわにしている。
 ありきたりな人間で、どこにでもいるようなわたしは人並みじゃない。いま机につっぷして想っている相手も、きっと人並みじゃない。郵便物を届けてくれる配達人も、スーパーマーケットの店員さんも人並みではなくて、みんな必死に生きている。うまく行きますように、と乞いながら。
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『全てが人並みに』より


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 わたしたちはお互いの目標を語り合った。わたしは詩人になること、亜希子は役者になること。わたしたちの目標はただの夢ではなくて、いつか実現すると信じていた。
 合格発表の日、ふたりそろって落胆して、そのまま江ノ島へ向かったことを忘れない。ふたり並んで浜辺に座りこみ、海を眺めていた。
 大学受験に失敗したからには冬の海が必要だった。根拠も何もないが、そのときは確かに必要だったのだ。そのまま逃亡しなければならないくらいの心境で海を眺め続け、世界が終わっても仕方がないとさえ感じた。あとから考えたら、志望していた大学の入学試験が不合格だったからといって死ぬわけではないし、他の道だってたくさんある。
 けれど、当時のわたしたちにはそれくらい深刻だったのだ。亜希子のお母さんから、
「帰っておいで」
 と電話がかかってくるまで、わたしたちはずっとそこにいた。すっかり日は暮れていた。
 わたしたちは別々の大学へ通い、それなりに充実し、すこしずつ連絡も途絶えていった。でも、それはお互いが自分のことに熱中しているから。そういうことまでわかりあえていた。
 気まぐれに、夏がきたらかき氷食べに行こうね、今度こそ花火大会に参加するね、などとメールをするも、なかなか実現しない。それでも、ふたりとも気にしない。親友なのだから。
(中略)
 今、彼女は文学座の座員になり活躍している。わたしはいくつか賞をいただいたが、報告しても驚かないのは亜希子くらい。わたしたちの目標はただの夢ではないから、それぞれが自分の道を進むのは当然なのかもしれない。
 第一詩集の扉に用いた写真に、海を眺める亜希子の後ろ姿がある。それを見るたびに、予備校に通っていた眩い一年間と江ノ島の風景を思い出す。
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『ふたり並んで』より


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多分、きっと、またすぐに会う。会うということを考えたとき、ひとびとは会うことができる。
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『会いたいと思えば』より


 どのエッセイを読んでも、言葉の強靱さ、美しさが際立っており、どうしても詩として読んでしまいます。何を書いても詩になる言葉を、ひとつひとつ味わうことが出来る、素晴らしいエッセイ集です。


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『読書で離婚を考えた。』(円城塔、田辺青蛙) [読書(随筆)]

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妹から、お義兄ちゃんとお姉ちゃんって、電波女とクズ男みたいな関係だよねと言われました。
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単行本p.130


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 先日お会いした某SF作家さんからハラハラしながら連載を見守っています。夫婦仲は大丈夫なんですか? という質問を受けました。大丈夫ですよね? 違いますか? 違うんですか? どうなんですか? 山は死にますか? 海はどうですか?
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単行本p.102


 円城塔と田辺青蛙の作家夫婦。読書傾向がまったく異なる二人は、夫婦間の相互理解を促進するために、交互に一冊ずつ課題図書を指定しては感想文を書きあうというリレーエッセイ企画に取り組む。ところが連載が進むにつれて険悪になってゆく夫婦仲。イヤミと苦言の応酬のはてに待ち受けているものは……。プロの作家によるブックガイドであると同時に実録夫婦喧嘩という奇妙な一冊。単行本(幻冬舎)出版は2017年6月、Kindle版配信は2017年6月です。


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 本棚を見るとお互いの人柄が分かるなんて話がありますが、うちは壁の前に本棚がバーンとあって、右と左の半分半分で分けているんですよ。私の方は妖怪とか呪いの本だとか、怪談やルポルタージュ作品、実際の事件を基にして書かれた『黒い報告書』のようなフィクション小説や幻想怪奇作品が多くて、夫の方はPC関連の専門書や物理、数学の本、料理や手芸本、漢文や歴史書に洋書と、なんか見ると胃の辺りがシクシクと痛くなってくるようなもんばっかり並んでいるわけですよ。
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単行本p.14


 作家同士で結婚した二人が、相互理解を促進するために、交替で課題図書を指定しては感想文を書く、というリレーエッセイ企画を始めます。著者たちはお互いことがよく分かり夫婦円満、読者はプロの作家によるブックガイドとして重宝する、そんな素晴らしい本が出来上がる予定だったのですが……。


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 夫は何故、不器用な人生に馴染めない男が主人公の作品ばかりを選ぶのだろう。
 これを私に読ませることによって、何か気が付いて欲しいことがあるのだろうか?
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単行本p.44


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妻がどうして、「相互理解」のために「動物に襲われる」話を勧めてくるのか今のところ謎です。
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単行本p.52


 互いに「なぜこんな本を勧めるのか?」という相手の意図が理解できず、疑心暗鬼にかられてゆくことに。まあ、この辺までは「夫婦仲が微妙にこじれる、という演出で読者を面白がらせよう」というサービス精神とも思えるのですが、次第に……。


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 ただ、僕の中でこの連載が、「続けるごとにどんどん夫婦仲が悪くなっていく連載」と位置づけられつつあることは確かです。僕の分のエッセイが掲載された日は、明らかに妻の機嫌が悪い。
「読んだよ」と一文だけメッセージがきて、そのあと沈黙が続くとかですね。
 どうせ自分は○○だから……と言いはじめるとかですね。
 あんなことを書かれると、誰々から何かを言われるから困る、とかですね。
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単行本p.96


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自分は夫のことをどれだけ知っているのか自信がなくなってきました。
 そういう関係だと思っていたのは、こちらだけですか?
(中略)
 この連載で夫婦仲が悪くなっていたことにも気が付いてませんでしたよ。
 時々夫は黙って機嫌が悪くなっていることがあるんですが、それもきっと原因があるんですよね?
 もう、なるべく早いうちに謝っておくことにします。「ごめんなさい」。
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単行本p.103


 うわあ、これはヤバい。

 連載いったん中断して夫婦で話し合った方が……、などと読者がハラハラしているうちに、とうとう読書感想文のなかに相手に対するイヤミが混じるようになってゆきます。


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 この連載をはじめてだんだんわかってきたのですが、どうも妻には、強固な自己像があるようです。
 どうもその人は、「おしゃれでかわいい、気のつく奥さん」というような姿をしているらしい。
 だから僕が、妻は脱いだ服をそのへんに置いておく、というようなことを書くと、ちょっと機嫌が悪くなったりします。「もう、みんなにだらしない奥さんだって勘違いされたらどうするの! ぷんぷん」みたいな生き物です。
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単行本p.63


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 僕から眺めている妻は、日頃からつかなくてもいいようなちっちゃな嘘をこまめに振りまいては片っ端から忘れていく生き物で、設定に一貫性がありません。勢い重視。締め切りに追われる週刊連載を見ているような感動があります。その場だけの辻褄が回転していることもあります。
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単行本p.257


 それに対して妻はこんなことを書いてきます。


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夢の中でPCを立ち上げここの連載のサイトを更新すると『離婚届けの書き方』という本が夫からの課題図書として掲載されており、本文には一言「察して」……と書かれているだけでした。(中略)正夢にならないといいですね!
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単行本p.200


 これはけっこう深刻なメッセージだと思うのですが、何と夫は、夢の件を完全にスルーして、文中に書かれていた「3メートルの宇宙人のオブジェを部屋に置いている」という部分に、こんな風にかみつくのです。


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3メートルの「宇宙人のオブジェ」ではない。「3メートルの宇宙人」のオブジェ。
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単行本p.201


 いかんなー。典型的なこじれパターンだなー。

 「二人が付き合って初めてデートしたとき」といった話題で何とか修復を試みるも、行き違いが発覚してさらにこじれてゆく夫婦仲……。


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夫の認識ではこの時はまだ私とは付き合っていないつもりだったらしい
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単行本p.253


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今更ですが、妻がこの連載のコンセプトを理解しているのか、たまにわからなくなりますね。
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単行本p.269


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相互理解を目的としているのではなく、自分がレビューを書きやすい本を選んでいるのではないかと疑っています。
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単行本p.234


 こ、これはアカン。非難の応酬はじまった。もうブックレビューどころじゃないのでは。

 最終回となった課題図書。夫が『ソラリス』(スタニスワフ・レム)を指定すると、妻は『バトル・ロワイアル』(高見広春)で返すという、最後まで続く何かの応酬。

 というとまるで最初から最後まで殺伐とした諍いが続くような印象になりますが、もちろんそんなことはなく、微笑ましい話題も数多く含まれています。例えば、理系マンガの傑作『決してマネしないでください。』(蛇蔵)の連載最終回の読者アンケートはがきに円城塔が熱烈推薦文を書いてきて、それが単行本の帯に掲載された、という有名なエピソードの背後で誰が暗躍していたのか、とか。


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 数ヶ月前の話なんですが、『決してマネしないでください。』という「モーニング」で連載していた漫画をこっそり仕込んでおいたら見事嵌ってくれました。いやあ嬉しいですね。
 もう気分は若紫を仕込む光源氏ですよ。
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単行本p.209


 というわけで、夫婦仲こじれ具合があまりにリアルで、そこばかり気になって、紹介されている本のことが頭に入ってこないという不思議なブックガイド。それぞれの愛読者はハラハラしながら見守るとよいと思います。



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『バッタを倒しにアフリカへ』(前野ウルド浩太郎) [読書(随筆)]

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現在の日本ではほとんどバッタの被害がないため、バッタ研究の必要性は低く、バッタ関係の就職先を見つけることは至難の業もいいところだ。「日本がバッタの大群に襲われればいいのに」と黒い祈りを捧げてみても、「バッタの大群、現ル」の一報は飛び込んできやしない。途方に暮れて遠くを眺めたその目には、世界事情が飛び込んできた。アフリカではバッタが大発生して農作物を食い荒らし、深刻な飢饉を引き起こしている。
(中略)
 本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。
――――
新書版p.5


 地平線の彼方まで空を真っ黒に染め、サハラ砂漠を埋めつくすバッタの大群。その前に全身緑色のタイツを着た男がすっくと立ちはだかり、叫ぶ。
「さぁ、むさぼり喰うがよい」
 バッタに食べられたい。その夢を追ってサハラ砂漠へと向かった著者は、果たして夢を叶え、ついでに人類を救うことが出来るのか。バッタの群れ、そして大人の事情と闘い続ける昆虫学者による奮闘記。単行本(光文社)出版は2017年5月、Kindle版配信は2017年5月です。


――――
 1000万人の群衆の中から、この本の著者を簡単に見つけ出す方法がある。まずは、空が真っ黒になるほどのバッタの大群を、人々に向けて飛ばしていただきたい。人々はさぞかし血相を変えて逃げ出すことだろう。その狂乱の中、逃げ惑う人々の反対方向へと一人駆けていく、やけに興奮している全身緑色の男が著者である。(中略)自主的にバッタの群れに突撃したがるのは、自暴自棄になったからではない。

 子供の頃からの夢「バッタに食べられたい」を叶えるためなのだ。(中略)

 虫を愛し、虫に愛される昆虫学者になりたかった。それ以来、緑色の服を着てバッタの群れに飛び込み、全身でバッタと愛を語り合うのが夢になった。
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新書版p.3、4、6


 全身緑色のタイツを着てバッタの大群の前に立つ男。インパクト絶大な裏表紙写真と「その者 緑の衣を纏いて、砂の大地に降り立つべし……」というキャッチーすぎるアオリのせいで、いったい何の本なんだろうと困惑させられますが、これはサハラ砂漠でバッタの研究に取り組んだ昆虫学者による随筆・旅行記です。

 そもそもなぜアフリカまで行ってバッタの研究をするのか。そこには人類を救うという大義名分があるのでした。


――――
私が研究しているサバクトビバッタは、アフリカの半砂漠地帯に生息し、しばしば大発生して農業に甚大な被害を及ぼす。その被害は聖書やコーランにも記され、ひとたび大発生すると、数百億匹が群れ、天地を覆いつくし、東京都くらいの広さの土地がすっぽりとバッタに覆い尽くされる。農作物のみならず緑という緑を食い尽くし、成虫は風に乗ると一日に100Km以上移動するため、被害は一気に拡大する。地球上の陸地面積の20%がこのバッタの被害に遭い、年間の被害総額は西アフリカだけで400億円以上にも及び、アフリカの貧困に拍車をかける一因となっている。
――――
新書版p.112


 人類をバッタの被害から守りたい。そのために単身、西アフリカのモーリタニアに乗り込んでいった著者。だが現地の研究所に到着した彼を待っていたのは、決して歓迎ばかりではありませんでした。


――――
通常、外国人が研究所にやってくるときは、巨額の研究費を持参して研究所をサポートするか、少なくとも研究所の負担にならないようにしている。ところが私の場合、車をタダで借りたり、研究室まで準備してもらったりと逆に研究所に迷惑をかけていた。おまけにフランス語もしゃべれず、良いところはまるでなしだ。
――――
新書版p.78


 これでは冷遇されても仕方ないわけですが、そこで挫けない著者。研究所の所長に直訴するのです。


――――
「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私は実験室の研究者たちにリアルを届けたいのです。アフリカを救いたいのです。私がこうしてアフリカに来たのは、極めて自然なことなのです」
 自分の想いを伝えると、ババ所長はがっちりと両手で握手してきた。
「よく言った! コータローは若いのに物事が見えているな。さすがサムライの国の研究者だ。お前はモーリタニアン・サムライだ! 今日から、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい!」
 思いがけず名前を授かることになった。
 この「ウルド(Ould)とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「○○の子孫」という意味がある。(中略)
 かくして、ウルドを名乗る日本人バッタ博士が誕生し、バッタ研究の歴史が大きく動こうとしていた。
――――
新書版p.82


 感動癖があるのか、単にノリがいいのか、適当に人をあしらうのが巧いのか、とにかくキャラが立ちまくった所長。他にも、がめついのに愛嬌があって憎めない運転手など、印象的な人物が登場しては著者を助けてくれます。

 捨て身で恩を売りまくり、損を引くのをためらわずお人好しの評判をとれば、困ったときに皆が助けてくれるんだなあ、少なくともイスラム圏では、ということがよく分かります。

 しかし、そんな奮闘努力にも関わらず、著者の前途には最大の危機が迫ります。


――――
 2011年、モーリタニアは国家存続の危機に直面していた。雨がまったく降らないのだ。皆が口をそろえ、こんなに雨が降らないのは初めてだと言う。皆の不安は恐怖へと変わっていった。モーリタニアが60年前に独立して以来、建国史上もっともひどい大干ばつになった。
(中略)
 その頃、私は苦境に立たされていた。私に許されたモーリタニア滞在期間は2年間。この間に得られるであろう成果に、昆虫学者への道、すなわち就職を賭けていた。ところが、なんということでしょう。60年に一度のレベルの大干ばつが、どストライクで起こり、モーリタニア全土からバッタが消えてしまった。私はアフリカに何をしに来たのだろうか。私の記憶が確かならば、野生のバッタを観察しに来たはずだ。我ながらなんと気の毒な男だろうか。
――――
新書版p.189、190


――――
大発生すると評判のバッタが不在になるなんて、一体何しにアフリカにやってきたのか。いま途方に暮れずに、いつ途方に暮れろというのだ。
 バッタを失い、自分がいかにバッタに依存して生きてきたのかを痛感していた。自分からバッタをとったら何が残るのだろう。私の研究者としての魅力は、もしかしたら何もないのではないか。バッタがいなければ何もできない。まるで翼の折れたエンジェルくらい役立たずではないか。
――――
新書版p.166


 国家存亡の危機はともかく、就職できないポスドクという大問題を抱え、あちこち駆け回っては「私が人類にとってのラストチャンスになるかもしれないのです」(新書版p.263)と吹聴するなど、予算獲得のために涙ぐましい努力を続ける著者。


――――
 自分の中で、無収入は今や武器になっていた。無収入の博士は、世の中にはたくさん存在する。だが、無収入になってまでアフリカに残って研究しようとする博士が、一体何人いるだろうか。無収入は、研究に賭ける情熱と本気さを相手に訴える最強の武器に化けていた。
――――
新書版p.298


――――
 思えばこの一年で、私はずいぶん変わった。無収入を通じ、貧しさの痛みを知った。つらいときに手を差し伸べてくれる人の優しさを知った。そして、本気でバッタ研究に人生を捧げようとする自分の本音を知った。バッタを研究したいという想いは、苦境の中でもぶれることはなかった。
 もう迷うことはない。バッタの研究をしていこう。研究ができるということは、こんなにも幸せなことだったのか。研究するのが当たり前になっていたが、失いそうになって、初めて幸せなことだと気づいた。無収入になる前よりも、もっともっと研究が好きになっていた。
――――
新書版p.318


 神への祈りが通じたのか、ついにサバクトビバッタが大発生。真っ黒に覆われる空。モーリタニアの首都にバッタの大群が迫る。狂喜乱舞して群れの先頭を目指してひた走る著者。

「私の人生の全ては、この決戦のためにあったのだ」(新書版p.342)

 今こそ全身緑色のタイツを装着してバッタの大群の前に立ちはだかり、両手を広げて叫ぶときだ。

「さあ、むさぼり喰うがよい」

 というわけで、目に余る夢と情熱を持って研究に取り組む昆虫学者の姿をリアルに描き、読者に勇気と脱力を与えてくれる好著。ちなみにバッタの生態や研究内容についてはほとんどまったく触れられていませんので、昆虫テーマのサイエンス本を期待して読むと失望します。



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『ハナモゲラ和歌の誘惑』(笹公人) [読書(随筆)]

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ハナモゲラ語とは、ジャズ・ピアニスト山下洋輔さん周辺のミュージシャンや文化人の間で流行した一種の言葉遊びである。デビュー当時のタモリさんの持ちネタとしても有名だが、そのなかに「ハナモゲラ和歌」があった。(中略)
 当時すでに短歌を始めていた僕は、この枕詞風の造語やオノマトペのみで成り立つ和歌に衝撃を覚えた。(中略)まさに韻律の音楽性のみで鑑賞するという点で、ハナモゲラ和歌は短歌の原点に迫る試みであったといえなくはないだろうか。
――――
単行本p.6、7、9


 ひらがな31文字でもっぱら語感と韻律を追求するハナモゲラ和歌。短歌まわりの様々な話題を扱った、念力短歌で知られる歌人の初エッセイ集。単行本(小学館)出版は2017年4月です。

 一定年齢以上の方なら、大橋巨泉さんがウシシ顔で
「みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」
と詠むだけという、万年筆のコマーシャルを覚えていることでしょう。あれがハナモゲラ和歌です。他にも本書にはこんなハナモゲラ和歌が収録されています。


「山の美しさに感動して詠める」
ひいらぎの かほりやまめて せせらぎる どぜうてふてふ くましかこりす
山下洋輔

「大変にきたないさまを詠める」
さなだむし じるつゆのおり こきかじり みがほろとばる あじめどあくさ
渡辺香津美

「1977年のヨーロッパ公演にてステージの前に詠める」
いざけたぞ ふめぬけよれる ぱっちょろめ まさかのへりも こきなめしらさん
小山彰太

「ノストラダムスの予言に震える昭和の浪人生を詠める」
きょふるめの えめのすとらの いむへるの かさはりあはれ ぴれれけるかも
藤原龍一郎


 このハナモゲラ和歌の歴史をひもとく連載エッセイ「誘われてハナモゲラ」を中心に、さまざまな短歌まわりの話題を詰め込んだ一冊です。


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 当時、ハナモゲラ和歌を広めた天下の才人たちは、純粋にハナモゲラで和歌をどれだけ楽しめるかに全力を注いだ。そして、その流れのなかで、「ハナモゲラを意図しない和歌もハナモゲラとして鑑賞できる」という発見をしたのだろう。その発見は、百人一首などの古典和歌に対するハナモゲラ的な鑑賞芸として昇華された。
(中略)
 そして「裏小倉」の鑑賞文は、ありえない光景であっても五・七・五・七・七の韻律に乗れば、なんとなくの説得力を持たせてしまうという韻律の魔力をあらためて教えてくれる。
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単行本p.17、22


――――
 ハナモゲラ和歌を推進した文化人たちは、様々な技法を生み出し、最終的にはコンピュータに作らせる「コンピュータ和歌」にまで行き着いた。コンピュータ和歌とは、1980年代初期当時、マイコンと呼ばれていたコンピュータによって構成されたランダムな文字と記号の羅列である。想像力を駆使して、ようやく和歌としての存在を確認できるという類いのものである。
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単行本p.25


 さらには、ハナモゲラ和歌を現代歌人が詠んだらどうなるのか、という試みに挑戦。協力してくれたのが、山田航さん、千葉聡さん、伊波真人さん。歌人の皆さん、人がいいですね。


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しかしこの歌、うしろから読むと、(中略)駅名を並べた五・七・五・七・七になる。名探偵コナンばりの直感でこのいたずらに気付くことができたが、実に危なかった。もしも僕が、この仕掛けに気付かずに真面目に講評していたとしたら、厳しい読者からは見放されたかもしれない。
「山田航……おそろしい子ッ!」。
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単行本p.31


――――
この歌には、もうひとつ仕掛けがあることに気付いた。五句それぞれの頭文字に注目していただきたい。なんと僕の第四歌集のタイトル『念力ろまん』の折り句になっているのである。このあたりにも千葉さんの器用さと後輩想いの優しさを感じた。
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単行本p.40


 山田航さんと千葉聡さんが送ってきた作品には周到な仕掛けが施されていて、もしも気付かずに講評エッセイを書いたら後で指摘して大恥をかかせてやろうという黒い企みが仕組まれていた、と。いやまあ、ただの茶目っ気でしょうけど。いずれにせよ、歌人の皆さん、人が悪いですね。

 という具合にハナモゲラ和歌だけでも充実した内容ですが、さらに歌における人名の賞味期限とか、サラダ記念日が短歌界に与えた影響とか、文語と口語のミックス文体短歌の是非とか、様々な話題が続きます。

 歌人の評論も含まれています。取り上げられているのは、寺山修司、出口王仁三郎、太田水穂、岡井隆、和田誠など。

 さらには作詞家を夢見てカルチャースクールに通った頃の思い出、父親が飲尿療法にハマったときの思い出、といったエッセイもあり、巻末には山下洋輔さんとのハナモゲラ対談が収録されています。



タグ:笹公人
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