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『片づけたい』 [読書(随筆)]

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 ていねいに暮らしを積み重ねるネオ清貧と、マネーを武器にハイクラスな毎日を送る拝金ニューエイジ。どちらにも、エクストリームな信念が必要です。(中略)信念のない私は、あっちにフラフラ、こっちにフラフラしながら生きてきました。一貫性のないインテリアを見渡すと、がっかりはするものの居心地はそこそこ良い。結局は、いろんな味が盛りだくさんの、お手頃幕の内弁当のような暮らしに充足を感じます。この部屋こそが、わたしの理念の現れなのでしょう。ていねいな暮らしは、他の人に任せます。
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『ていねいな暮らしオブセッション』(ジェーン・スー)より


 「ていねいな暮らし」に憧れるけど、掃除はイヤ。
 「すっきりした部屋」は素敵だけど、片づけはイヤ。
 「断捨離」はやりたいけど、捨てるのはイヤ。
 古今の作家たちが、整理整頓・掃除・廃棄にまつわる葛藤を表現したエッセイ・日記・小説など32篇を収録した片づけ文学アンソロジー。単行本(河出書房新社)出版は2017年6月です。


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 本書では、古今の書き手たちのエッセイ・日記など選りすぐりの三十二篇を収録しています。片づけの対象は、紙屑、本、冷蔵庫の瓶詰め、財布の中の割引券から忘れがたき記憶まで、実に様々です。読んですぐに掃除能力がメキメキ上がり、部屋がピカピカになるわけではありません。
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「はじめに」より


 明治の文豪から現代のエッセイストまで、総勢32名の作家たちが、掃除や片づけの面倒くささ、ものを捨てることへの葛藤を、しみじみと語ります。個人的には、『片付けない作家と西の天狗』(笙野頼子)が収録されていればよかったのになあ、と思います。


[収録作品]

『ていねいな暮らしオブセッション』(ジェーン・スー)
『もったいない病』(佐藤愛子)
『エントロピーとの闘い』(柴田元幸)
『シュレッダーと妻の決意』(沢野ひとし)
『紙の山生活』(阿川佐和子)
『お片づけロボット』(新井素子)
『冷蔵庫の聖域』(内澤旬子)
『懶惰の説(抄)』(谷崎潤一郎)
『過ぎにしかた恋しきもの』(澁澤龍彦)
『達磨大師と桃童子』(加門七海)
『塵』(夢野久作)
『ポリバケツの男』(佐野洋子)
『ロボット掃除機ルンバを雇う――キミには“上司力”があるか』(東海林さだお)
『ゴミ処理機』(出久根達郎)
『煤はき』(幸田文)
『障子』(島崎藤村)
『中掃除・小掃除』(沢村貞子)
『ノズルに手こずる』(川上未映子)
『「掃除」と「片づけ」は別物です』(有元葉子)
『片づけ』(川上健一)
『割引券の出番は少ないと知る』(大平一枝)
『「秩序のある机まわり」が教えてくれること』(松浦弥太郎)
『掃除当番』(槇本楠郎)
『二十年目の大整理』(有吉玉青)
『新聞紙』(向田邦子)
『座辺の片づけ』(内田百聞)
『捨てる派』(中澤正夫)
『それぞれの几帳面』(赤瀬川源平)
『思い出のリサイクル』(小川洋子)
『猫の耳そうじ』(工藤久代)
『片づけごと』(尾崎一雄)
『もっと光を!』(池内紀)


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 私はだんだん気が滅入ってきた。はじめのうちは、「あ、ちょっと待って。Aさん、それ使うのよ。捨てないで」といっていたが、たび重なるといえなくなってきた。
 Aさんは捨てたいのだ。捨てる快感を求めてAさんは勇んで手伝いに来たのかもしれない。それをいちいち阻止するのは気の毒である。気の毒ではあるが私はそうポイポイと捨てられたくない。この二律背反が私をして気を滅入らせしむるのであった。
(中略)
 ここはわたしの家だ! 私のものだ!
 私は叫びたい。Mさんは目を伏せ沈痛な面持ちになっている。
「先生、これ、とっときました」
 小声でいってゴム輪をしまっておいた小箱をこっそり見せる。私たちはいつか、敵の手に落ちた敗軍の将と忠実なる従卒という趣になっているのであった。
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『もったいない病』(佐藤愛子)より


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 この会社員の貯めたゴミは重さにして650キロだったが、1979年、シカゴに住む67歳の女性が貯め込んだゴミは総量10トンに及んだ。『週刊プレイボーイ』79年11月20日号によれば、悪臭の苦情を受けた衛生局の係員が行ってみると、家じゅう高さ1メートル半のゴミの山。1940年代にはじまる古新聞、キャベツを中心とする生ゴミ、無数のビンやカン……下からはベッドが二つ出てきた。この女性、30年にわたり清掃婦として働いたが、帰ると毎日くたくたで、自分のゴミを出す気力はとうてい残っていなかったという。
 だが、物を貯め込むことにかけては、1909年から47年にわたってニューヨークで隠遁生活を送り、総量120トンに及ぶ物品を貯め込んだコリヤー兄弟の右に出る者はいまい。
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『エントロピーとの闘い』(柴田元幸)より


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 銀行へ行って五万円おろしたらちょうど百万円きっちりの残高になっていました。一円の端数もなく、0が六つ並んでいるのに感心しました。で、全部おろしました。0が一個になり実にすがすがしい気分で、私はハンドバッグに百万円入れて、ここへやって来たのです。
 少し前に、男といっしょに遊びに来たギリシアの小さい島です。
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『ポリバケツの男』(佐野洋子)より


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 とりあえず半分だけお尻を便座に乗せて座ってますよと騙し騙し操作してもうまくゆかず、センサーを手で押えても無理、お尻の量をじりじり増やしてトライすること十分、騙されたノズルが顔を出し始めた音を聞いてから便座を飛び退き、目視したノズルの恐ろしいまでの汚さにのけぞってしまったのであった。よよ、となったのはいいけれどそのまま勢いよく飛び出してきた温水で(なぜなのか最強設定になってた、もう!)服も床もびしゃびしゃになって、トイレクイックルでがっと掴んでぬぐってやろうとしても水を出し終えるとノズルはすました顔で引っ込んでしまって出てこない。
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『ノズルに手こずる』(川上未映子)より


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ぼくはわりと几帳面な性格だと思う。ついちょっとしたものを揃えたりする。たとえば財布の中のお札を、ちゃんと表裏揃えて入れる。それが高じて、上下の向きも揃えて入れる。さらには一万円札、五千円札、千円札という順に、高額の順に揃えて入れる。さらに高じると、パリパリの紙幣と皺くちゃの紙幣と、良い順に揃えたりする。さらにそれが高じると、新品の紙幣は隙間なくぴったりなので、一枚のつもりで出したら二枚、ということがある。それを防ぐために、新札ばかりのときは間に少し皺のある札を混ぜたりする。たまたま新札ばかりの場合は、あえて折り曲げて皺を作ったりする。それも、たとえば新札三枚を重ねて折ったんでは皺も同じになって効果がないので、それぞれ少しズラして折り曲げたりして、大変である。
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『それぞれの几帳面』(赤瀬川源平)より


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 近所に一人、世話好きで正義感の強いおばさんがいた。彼女は正しく分別されていないゴミ、曜日が守られていないゴミを発見するとただちに、それを出した人の所へ赴き(町内ではゴミ袋に名前を書くことが義務付けられていた)、お説教をした。私など道でその人とすれ違うだけで、胸がドキドキした。
 彼女の行為は非の打ち所がないほどに正しかった。同じ町内の者として誇りに思わなければならない人だった。しかし、頭ではちゃんとそう理解していたのだが、胸のどこかに何とも言えない複雑な思いが引っ掛かっていた。朝早く、他人の出したゴミ袋をごそごそかき回している彼女の姿を見ると、ふっと心が寒くなるような気持ちになるのだった。
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『思い出のリサイクル』(小川洋子)より



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『東京 しるしのある風景』(松田青子) [読書(随筆)]

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 風景印って不思議な存在だよなとしみじみ思う。
 なぜあんなに小さくてかわいく、デザインも一つ一つ違って面白いものが、ひっそりと郵便局にあるのか。
 そして、なぜ小さな頃からそれこそもう数えきれないほど郵便局を利用して来たのに、何かのタイミングで教えてもらわない限り、その存在を知らないままなのか。普段使っている郵便局に風景印があっても、ほとんどの人は知らないままだろう。
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単行本p.90


 郵便局で押してもらえる、その地域縁の名所旧跡などを絵柄にした印、それが風景印。東京23区(+番外編)の郵便局を歩き回って風景印を収集、その体験を描いた連作エッセイ集です。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月。


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以前、収集をはじめたばかりの頃のOさんに、「生きる張り合いができました」と、風景印が押されたモレスキンのポケットサイズのノートを、打ち合わせの最中に突然見せられたことがある。本当に幸せそうで、そんなに良いものなのか、と感心した覚えがある。
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単行本p.10


 東京23区を歩き回って風景印を集め、それぞれの郵便局を舞台にしたショートストーリーを書く。そういう目論見で取材をはじめた作家ですが、早々に風景印収集そのものを主題とした体験エッセイに路線変更することに。


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 このあたりでもう、ショートストーリーにするのは、おそらく無理っぽいなと判断。それぞれの目的で郵便局に訪れた人々が、ふと風景印に出会う物語をなんとなくイメージして、いい感じだな! と悦に入っていたのだが、実のところ、風景印はそもそも「ふと」出会えるようなものじゃなかった。ほとんどの場合、郵便局には「風景印あります」などと、「冷やし中華はじめました」のごとくわかりやすい貼り紙が出ているわけでもないし、はっきりとした意志を持って、「風景印お願いします」と言わないと、風景印には出会えない。
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単行本p.16


 こうして、東京23区うろつきエッセイ、コミックでいえば衿沢世衣子さんの『ちづかマップ』みたいな雰囲気の連載になるわけです。最初は半信半疑だった著者も、次第に風景印収集の楽しさに目覚めてゆきます。


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 これまで毎月違う区を回っていて気がついたのだが、風景印が多い区と、風景印が少ない区がある。
 風景印を区内のほとんどの郵便局に置いている、風景印に対して意識的な区もあるし、反対に、あんまり置いていない区もある。
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単行本p.97


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 風景印を集めていると、風景印が置いてある郵便局を素通りするということができなくなる。さっと飛ばしていけばいいじゃないかと思うかもしれないが、どうしてもできない。またすぐ同じ街に来る用事があるかどうかもわからないし、風景印のある郵便局の前を素通りするとかもったいなくて、つらくなる。
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単行本p.62


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風景印収集は地味な趣味かもしれませんが、確実に喜びのひとつのかたちです。
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単行本p.3


 何かの収集に熱中したことのある読者なら、よく分かるこの気持ち。ハマるにつれて、自分なりの創意工夫も加えてきます。例えば、方向音痴の郵便局巡りという難関に、最新テクノロジーを駆使して対処するとか。


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 グーグルマップとポケモンマップを両方開いて歩いていたのだが、途中からグーグルマップの音声ガイドを俄然無視しはじめ、もうポケモン世界の地図しか見なくなった。それでも問題なかった。なぜなら公園や神社や様々な場所のほか、郵便局の多くがポケストップに登録されているため、ゲーム上のポケストップをたどっていくと、目的地に着けるのである。風景印ゲットとポケモンゲットの親和性の高さよ。
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単行本p.140


 さらに、風景印だけでなく、それを押してもらう切手にもコリはじめて。


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 何より私の背中を押したのは、羽田空港には、風景印を置いている郵便局がある、という事実だ。
 確実に飛行機の図案なのだから、ここは飛行機の切手を使うべきタイミングだ。でも、私が持っている飛行機切手は、1978年発行の新東京国際空港開港記念切手だけだ。この切手は50円切手なので、さらに2円を足さないといけないのだが、そうなるとうさぎ切手を貼ることになり、そうするとムードがぶちこわしになる。あと、この新東京国際空港開港記念切手のデザインをすごく気に入っているので、あんまり使いたくない。
 そういうわけで、切手の通販サイトであるスタマガネットからわざわざ飛行機の切手を取り寄せました。
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単行本p.77


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六月発売の特殊切手を紹介するチラシを見て、思わず「はっ!」と声を上げてしまう。夏のグリーティング切手が貝殻の図案なのである。常々この世界にもっと貝殻柄のものを増やして欲しい、貝殻最高! と思っているので、非常にうれしい。この切手を買うために生まれてきたんじゃないかと一瞬本気で考えたくらいうれしい。ダース買いしたい。
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単行本p.40


 ただ集めるだけでは物足りず、些細な違いにやたらと敏感になって調べてゆくあたりも、分かる分かる。


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 ほとんど池袋前郵便局と一緒だが、よく見ると微妙に違い、中でも最大の違いといえば、ツツジの位置が左右逆というところである。
 何の間違い探しなのか。もちろん風景印がたくさんある区は素晴らしいのだが、行く郵便局行く郵便局でこれをやられると、並行世界みたいで結構恐ろしかった。
 あまりにも不思議だったので、後で調べてみると、それなりに離れている場所にある郵便局でも、並行世界がさらにいくつか発生していた。
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単行本p.132


 そして、理解者との出会い。


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 風景印を渡してくれながら、
「寒い中ありがとうございます。この辺の郵便局、結構風景印あるんですよ」
 と、局員さんが笑顔で言うので、
「今から回ろうと思っていて」
 と答えると、
「ありがとうございます」
 と敬礼してくれた。風景印に対して、こんな当事者意識のある局員さんははじめてだ。最終回にこの人に出会えて良かった。
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単行本p.182


 というわけで連載は終わりますが、たぶんそうなるだろうなと読者が予想した通り、東京23区以外の郵便局(吉祥寺、姫路、富岡)めぐりが番外編として収録されています。おそらくその後も続いているのではないでしょうか。風景印収集。



タグ:松田青子
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『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 もしも、本というものの存在しないパラレルワールドに瞬間移動したら、と想像すると不思議な気持ちになる。仕事も友だちも妻も持病も煙のように消え去ってしまうのか。そこでの〈私〉は、まったくの別人だ。人によっては、本のない世界に移動してもほとんど人生が変わらないってケースもあるだろうに。パラレルワールドの〈私〉は日々の暮らしの中で、ふと思う。この世界には何かが足りない。時には狂おしいほど強く、そう思う。でも、その何かが何なのかは決してわからないのだ。
 私は本のある世界に生まれたことに感謝すべきなのか。きっと、そうなんだろう。でも、始めからずっとここにいるから実感がない。そして、今日も当たり前のような顔で本を読んでいる。
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単行本p.312


 世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。
 歌人である著者がこれまでに書いてきた読書日記から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。

 『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』と同時刊行された一冊で、書評というよりは最近読んだ何冊かの本を取り上げて、そこから触発されて考えたことを書き綴った、まあエッセイ集です。ちなみに書評集の紹介はこちら。


  2018年02月22日の日記
  『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-02-22


 本書ですが、まずはいつものように「自分の暮らしのへろへろぶりと、そうでない何かしゅっとした生き方への、漠然とした憧れ」みたいなことを書いた部分が、やはり印象に残ります。


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 現実の自分の生活とは、ツナの缶詰を開けてマヨネーズとぐりぐり混ぜながら、「ツナとシーチキンってどう違うんだろう」と考えるような暮らしのことだ。
 ツナマヨネーズご飯よりも美味しいものが想像できない。確かに寿司も焼肉もいいけど、ツナマヨネーズご飯よりも圧倒的に美味しいか、と云われると疑問だ。値段の差を考慮すると、むしろツナマヨネーズご飯の勝ちではないか。
 そんな私は、けれど、自分がいる世界に満足することができない。何故だか知らないけど、コカ・コーラのコマーシャルのようなきらきらした青春に参加してみたいのだ。
 でも、どうやったら「あの世界」に行けるのか、わからない。現実にあるのかないのかも不明な世界に憧れ、憎みながら、じたばたしているうちに四十九歳になってしまった。老眼だ。
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単行本p.57


 SFやミステリーに対する歌人らしい受け止め方も。


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 この本があんまり良かったので、ネット上のレビューを探して読んでみた。他の読者と喜びを分かち合おうと思ったのだ。
 ところが意外にも辛口の感想が多かった。特に目についたのは「人間が描けていない」的な評言だ。うーん、と思う。おそらくそれは「この世界を抽象で塗り替えたい」という願いに対する具象的世界からの反発なのだろう。
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単行本p.83


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 解かれる謎の背後にもうひとつの解けない謎をもったミステリーのことをさらに考える。このタイプの永遠の謎を秘めた作品が、私には「ミステリーの姿をした詩」のように思えるのだ。
 その逆に、或る種の韻文の傑作が「詩の姿をしたミステリー」に思えることもある。
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単行本p.105


 現実世界や「普通の感性」から、どこかズレている、というか、距離を感じてしまう自分について。


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 自分自身の感受性が変質していることに気づく。子供の頃、テレビの中の正義の味方はどこを切っても金太郎飴のように正義の味方だった。でも、今の私は、「ダーク」でないヒーローやヒロインに対して、ほとんど反射的に不信感を持つようになっている。
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単行本p.215


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そもそも「ふつう」からズレた世界像とは、何のために存在するのだろう。それは無数に分岐する未来の可能性に、我々が種として対応するための準備ではないか。「ふつう」でない世界像の持ち主は「宇宙人」というよりは「未来人」なのだ。
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単行本p.114


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 自分には現実世界のポテンシャルつまり本当の凄さを味わう能力がない、というか、感受のレベルが低く抑えられているように思う。日常の全てにうっすらと膜がかかっていて、しかも、その状態をリアルと見なす癖がついている。単に鈍感というだけでなく、現実世界の側からの要請というか、そうしないと、生き続けてゆく上で都合が悪いのだろう。
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単行本p.271


 そしてもちろん、詩歌について。


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 世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。それが生み出すものは、現実の似姿だからだ。そんな時のために詩がある、というか、石原吉郎にとっては、そこには詩しかなかったのだ。その絶対零度の必然性に痺れる。
 詩の存在に意味があることを確認できて嬉しい。と同時に、今度は本物の詩の条件を充たさない自分自身の言葉が不安になる。
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単行本p.237



タグ:穂村弘
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『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 なんだかだるくて動きたくない、ということがある。どこにも行きたくないし、誰にも会いたくないし、何にもしたくない。というか、私はほとんど常にそういう体感なのだ。これではいけない、と思っても、どうしていいかわからない。寝っ転がった長椅子から落ちた片足を持ち上げるのもだるいので、そのまんまだ。
 嗚呼、元気が出る薬を飲みたい。でも、覚醒剤とかは困る。そんな時、薬の代わりに本を読む。
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単行本p.87


 「世界」にじかに触れ、命を甦らせる、そのための読書。歌人である著者がこれまでに書いてきた書評から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。

 書評や文庫本解説が数多く収録されていますが、まずは本というものに対する思いが語られている部分でいきなり共感してしまいます。


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思春期に入ってから、何か決定的なことが書いてある、そういう本があるんじゃないかと思うようになって。その決定的なことを理解できないと、自分は生きていけないという風に感覚が変わったんです。(中略)それをつかまない限り、自分は駄目だという、特殊なテンションがありました。
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単行本p.306


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本を読めば読むほど世界がシャッフルされて全てがわからなくなってゆく。そこにときめきを感じる。
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単行本p.320


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全ての言葉は結果的にこの世界を翻訳しているんじゃないか。逆に云うと、人間の喜怒哀楽も、くしゃみの瞬間の感覚も、北東と北北東との間の方角も、電子レンジの音も、世界の全ては翻訳されることを待っている(と思ったら、北東と北北東の間はもうあるらしい。北東微北だって)
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単行本p.251


 それにしても読書という行為はなぜこれほどまでに魅力的なのか。その理由について語る部分も感動的です。


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 思わず、うっとりする。一杯の「ミルクティー」が「天国の飲物」になるなんて。このような実感は、生の直接性から隔てられた我々にとっては麻薬的なものに思える。
 本来、私たちの生はそのようなものなのだろう。ただ、社会システムによって、そこから遠く隔てられてしまっている。死を遠ざけるためのシステムが、同時に生を遠ざけているのだ。
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単行本p.75


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学校や会社で普通に使われる散文は「社会」と繋がっている。それに対して、詩歌の言葉は「世界」と繋がっているのだ。(中略)詩歌を読むことは「世界」に触れて命を甦らせる快楽を味わうこと。
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単行本p.38


 何度も語られるのは、自分の命を甦らせるために「道を踏み外す」勇気について。


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 現代社会で「ありえる」ために、私は様々なものに意識を合わせようとする。場の空気とか効率とか「イケてる」とか。その作業は大変だけど、そうしないと生きていけないと思うから、できるだけズレないようにがんばり続ける。
 記念日を忘れないようにして、シャツの裾をちゃんと出して、飲み会の席順の心配をして……、ふと不安になる。この作業で一生が終わってしまうんじゃないか。何か、おかしい。大事なことが思い出せそうで思い出せない。ただ、「ありえない」の塊のようなあみ子をみていると勇気が湧いてくる。逸脱せよ、という幻の声がきこえる。
 でも、こわい。あみ子はこわくないのだろうか。だって世界からひとりだけ島流しなのに。
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単行本p.90


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 編集者だった二階堂奥歯さんと夜御飯を食べながら、仕事の打ち合わせをしたことがある。終わりだけに突然、テーブルの上に水着が飛び出してきた。
「これから泳ぎにいきませんか」
 ええ? と思う。時刻は夜の十時を回っている。その唐突さに異様なものを感じた。
(中略)
表現の世界ではエキセントリックで早熟な才能は珍しくないとも云えるが、このタイプの「本物」を見たのは初めてだ。
 「水着」のような衝動性は、なんというか、生き続けることに対して、彼女が払っているぎりぎりの税金みたいなものだったのではないか。
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単行本p.167


 臆病な私たちは、あみ子さんにも二階堂奥歯さんにもなれない。でも、猫がいる。


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 もうひとつの道がある。透明な革命を選ぶことだ。ゆるむことで強くなる。攻撃力を捨てることで生き残る。眠ることで目覚める。価値観の網の目を変えて、物理的には指一本触れることなく世界を覆すのだ。というのは簡単だが、実行は難しい。そのためのマニュアルなどどこにもないのである。でも、猫がいる。
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単行本p.273


 でも、猫がいる。



タグ:穂村弘
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『ホロホロチョウのよる』(ミロコマチコ) [読書(随筆)]

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自分のことを書くのがこんなに難しいとは知らなかった。
打ち合わせの後、牧野さんと徳留さんと焼き鳥屋さんでお酒をのみながら私の小学校時代の作文を読み、「文章の書き方が何も変わっていない」と3人で大笑いした。まさかその作文が口絵に使われるとは。
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文庫版p.124


 独特のタッチと色彩で描く動物画や植物画で多くの人々を魅了する画家、ミロコマチコさんのエッセイ集。文庫版(港の人)出版は2011年9月です。

 まず、ミロコマチコさんの画風をご存じない方は、次のページを眺めてみて下さい。

  ミロコマチコ公式ページより「絵のいろいろ」
  http://mirocomachiko.com/painting/

 どこか懐かしく、楽しい気分になってくるこういう絵は、いったいどのようにして生まれるのでしょうか。その秘密が明らかに。


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 まず、黒いスプレーでもぐらの形を描く。少し離れて見る。いい。予想とは違うけど、いい。うんうん。ちえちゃんが後ろで眺めている。黒い目をグリグリ描いてみた。少し離れて見る。かわいい。うんうん、かわいい。たまごが半分に割れたようなギザギザした手を描いてみた。少し離れて見る。最高。いいよ、かわいいよ。

「いつもそうやって描くんですか」。突然ちえちゃんが話しかけてきた。「何かおかしいことがあるかい?」と聞くと、「すごく自分の絵を褒めるんですね」と言う。
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文庫版p.16


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 ある時、いつもの曲がり角にタイル張りの壁がどーんとあらわれた。タイルの一つひとつがぷかぷか波打って、まるでワニの背中みたいだと思った。歩きながら、あの壁がワニの背中だったら、私の駅までの道のりはどんなにエキサイティングでデンジャラスなんだろうと想像する。
 次の日、ワニの背中を見に同じ道を通ると、昨日のぷかぷかのタイルが嘘のように整然と平らに並んでいた。訳が分からず、私の頭がぷかぷかしてしまった。
 あのワニがどこへ行ったか誰も教えてくれない。だから私はこの場所に作ることにした。そしてこのワニがまた町に戻ってくることを願っている。
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文庫版p.28


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 クジラの体は、フジツボが付いていたり、食べる時に格闘するイカの吸盤の痕が付いていたり、ひどい時にはサメがかじっていったりするので、傷だらけだ。だから、群青色の体の上に銀色の絵の具を撒いた。絵の具を撒くと、布と養生シートに当たって、雨が降り始めた時のような音がする。銀色をたっぷりつけた筆を振ると、絵の具が飛び散る。パッパッパッ。もう一度振る。パッパッパッ。どんどん振ると、小さな星のように見えてきて、まるで宇宙のようになった。星を撒く。パッパッパッ。急にぐーんと頭の中が広がる。大きなクジラの中には宇宙があったんだ。ここは無重力の世界だ。浮かんでいるかのようにふわふわ踊りながら星を撒く。パッパッパッ。宇宙の音楽、パッパッパッ。
――――
文庫版p.96


 こんなに楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、絵を描く人はどんな人なんだろうと思っていると。


――――
 恐怖心はふいにやってくるけれど、一度想像を始めると止まらなくなって困る。引き出しが少し開いているあの隙間から誰かのぞいていたらどうしよう。私が出かけている間に、流しの下の棚に誰か入りこんでいたらどうしよう。鉄三があらぬ方向を凝視している。猫は幽霊が見えるんだ。「おーい、そっちを見ないで、私を見てよ!」と叫んでいる。小さい頃に聞いたくだらない話が走馬灯のように頭を巡りだす。
 怖いと心臓がどきどきしてくる。「怖がっている人には、おばけが面白がって余計出てしまうんだ!」などと考えだすと、どきどきがどんどん激しくなって体が揺れだす。そうしたら、「もはや地震かも!」と勘違いして、鉄三を抱いて風呂場へ走る。つけっぱなしのテレビを見ても地震速報が流れない。なんだ、勘違いか、と横になるがまたどきどきして体が揺れる。今度こそ地震だ! 鉄三を抱いて風呂場へ! 地震速報はまたもやないぞ! 横になる! どきどきする! 体が揺れる! 地震だ!
 こんなことを繰り返しているうちに空が明るくなり、ようやく体がぐったり重くなって眠りに入る。そんな日々が続いたりした。
――――
文庫版p.22


――――
 20代前半だったと思う。身の周りでやたらと事故や事件が起こるようになった。大きな交差点の角にあるお店でバイトをしていた時、何気なく窓の外を見ていたら大きなトラックと乗用車が衝突した。トラックはひっくり返った。車を4台も乗せているトラックだったので大惨事になった。別の日も、私の横を通り過ぎていったバイクが目の前で車に衝突した。電車に乗っていると、真後ろで殴り合いが始まった。私の乗っている電車に人が飛び込んだ。家に帰る途中、消防車や救急車がたくさん停まっていて道が通れない。隣の家が放火されていた。その家は全焼したが、私の家は奇跡的に無事だった。
 世の中物騒だな、と思っていた。こんなに事件が増えて、日本も怖いなー、なんて。ある日友だちとお酒を飲んでいてこの話をしたら、「それはおかしいから、私の母に会いに来い」と言われた。友だちのお母さんは、律師と言って、分かりやすく言うと偉いお坊さんなのだそう。そこで後日会いに行ってみると、友だちのお母さんは開口一番、「あんた、ぼーっとしてたらあかん」と言った。
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文庫版p.58


 そして、もちろん、猫エッセイもあります。


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 こうやっていざ、文章に書こうと思っても愛おしい。毎日、愛でる。胸が高鳴る。
(中略)
 飼い主の私であっても、突如噛まれたりひっかかれたりすることは日常茶飯事だ。毎朝顔を叩かれたり足の指を噛まれたりして起こされるのだが、かといって、鉄三は抱っこをされるのも撫でられるのも大っ嫌い。だけど、どれだけ攻撃されても私は懲りずに抱っこしてグリグリ顔を押し付ける。私の腕は傷だらけだが、最高に幸せだ。
――――
文庫版p.69、72


――――
しろねこのうた

  せんせいは どうして しろい ふくを きているの
  しろねこと くらして いるからよ

  むずかしい はなしを すると めが しろくなるね
  しろねこと くらして いるからよ

  とれたことのない とりを まいにち ねらう
  ほんものの ねずみを みたことない
  めを ダイヤにして いぬと たたかう

  わたしが おどりくるうのを くろめで みている
  うたを うたうと ひっくりかえる
  あしたも ぜったい とりを ねらう
――――
文庫版p.80


 何となく、はじめて翻訳家の岸本佐知子さんのエッセイを読んだときの感激がよみがえってくるような気がします。



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