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『石黒亜矢子作品集』(石黒亜矢子) [読書(オカルト)]

 妖怪画で有名な石黒亜矢子さんの、意外にも初の作品集。単行本(玄光社)出版は2016年12月です。

 石黒亜矢子さんが手がけた絵本で、これまで日記で紹介したことがあるものは次の通りです。


  2015年10月14日の日記
  『[現代版]絵本 御伽草子 付喪神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-10-14

  2015年06月18日の日記
  『おおきなねことちいさなねこ』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-18

  2015年06月02日の日記
  『ばけねこぞろぞろ』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-02


 本書はこれらを含む石黒亜矢子さんの作品を集大成した一冊で、まずは擬猫化妖怪というか、化け猫の妖怪コスプレ大会というか、とにかく猫の顔をした妖怪たちが大集合です。

 かさねこ、つちねこ、ねこぼうず、ねこかしゃ、みあげにゃうどう、にゃっぺらぼう、にゃっぺふほふ、いっぽんにゃだら、ねこしゃりん、ぶるぶるねこ、ぶんぶくにゃがま、ねこだま、にゃとろし、……。

 「化け猫」の章に続いて、「化け猫団扇」「猫舌茸」「猫カルタ」という具合に猫画が続き、さらに「干支」「妖精」「その他」「妖怪」「線画」という具合に分類されています。

 伝統的な日本画・妖怪画のテイストを活かしつつ、こっけいおそろしな猫の姿を描いた石黒亜矢子さんの画風。作品の一部がネットで公開されていますので、ご存じない方はまずは以下のページからいくつかクリックして眺めてみて下さい。

石黒亜矢子 作品画像
https://ishi96ayako.wixsite.com/ishiguroayako/picture



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『イルミネイチャー』(カルノフスキー:絵、レイチェル・ウィリアムズ:文、小林美幸:翻訳) [読書(サイエンス)]

――――
チクタクと時をきざむ針が何時を指していても、
かならず、そのときに目をさまして、食べ物をさがしに出かける動物がいます。(中略)
それぞれが持っている力がどんなものであれ、動物たちはみんな、
毎日決まった時間に、すがたをあらわします。
最大の理由は、生き残るため。
――――
単行本p.2


 熱帯雨林、砂漠、湖、山脈、平原、海洋。地球上から10の地域を取り上げ、その生態系を構成している動植物たちの姿を、赤・青・緑という三種類の「マジックレンズ」を通すことで時間帯ごとに分離して観察できる教育絵本。単行本(河出書房新社)出版は2016年12月です。

 子供向きの「いきもの図鑑」というと、昔は「魚類」とか「鳥類」とかいったように系統ごとに分類して載っていたものですが、最近の図鑑は特定の生態系(例えば沼地なら沼地)に生息する様々な種とその関係をまとめて記載する、という構成になっていることが多いようです。幼い頃から、生態系、食物連鎖、生物多様性、といった概念を学べる子供たちがうらやましい。

 本書はこの工夫をさらに一歩進めたもので、特定の生態系を「活動時間帯」毎に分離して観察させる、というもの。

 どういうことかといいますと、見開きニページに、その生態系を構成している様々な動植物の多色刷イラストが重ねて描かれてあるのです。そのまま見ても、ごちゃごちゃした線の集まりに色がちかちかしているばかり。何が描いてあるかよく分かりません。

 この混乱した巨大イラストを、付録である三色の「マジックレンズ」(厚紙に四角い穴を三つ開けて、それぞれ赤・青・緑のセロファンを張ってある)を通してみると、あらびっくり、それぞれ対応する生物種のイラストだけがくっきりと黒く見えるという仕掛け。

 緑は、背景となる地形や植物相のイラストを見せてくれます。赤は、昼間に活動する動物種、青は主に夜間活動する動物種です。

 取り上げられている生態系は、コンゴ盆地の熱帯雨林、シンプソン砂漠、ローモンド湖、アンデス山脈、ウェッデル海とロス海、レッドウッド・フォレスト、東シベリア針葉樹林、セレンゲティ平原、カンジス川盆地、アポ礁、総計10箇所です。セレクトが渋いですね。

 それぞれの生態系について、基本情報(位置、国、環境、面積、生息種数)と解説に続いて、「展望デッキ」と題した前述の多色刷イラストが見開きでどーんと掲載。まずはこれをマジックレンズを使って自由に観察してみよう、というわけです。

 次に「夜・夕方・明け方に活動する動物9種」と「昼に活動する動物9種」に分けてガイドが載っており、これを読んで動物種の名前を確認してから、再び「展望デッキ」に戻って探してみよう、と。

 一つの生態系につき動物イラストが18種、全部で180種が「隠されて」いるわけで、すべての種を確認するのは意外に大変。探しもの系のパズルが好きな子供には大ウケしそうです。

 同じイラストが、セロファンを変えるだけでまったく異なる様相を見せる様は、実際にやってみると大人でも驚かされます。自然観察の驚きを疑似体験させてくれる優れた図鑑であり、動物絵本としても素敵です。



タグ:絵本
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『山怪 弐 山人が語る不思議な話』(田中康弘) [読書(オカルト)]

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普段はマンションで快適に暮らし、明るいオフィスで仕事をする現代人たちも、山へ入ればたちまち古代人と同じ土俵に立たされる(もちろん装備は違うが)。そこは普段自分たちが生活している日常とはかなり異なっている。静かすぎて耳が勝手に妙な音を拾ってくる世界、暗すぎてその闇の奥をじっと覗き込んでしまう世界。そんな独特の世界では空気の微妙な変化や鼻腔に入るかすかなにおいにも体は敏感に反応する。闇の中に佇むモノに気がつき体が緊張したり、藪の中を進む姿無きモノに遭遇し思わず目を向ける。かと思えば今まで歩いていたはずの道が突如消え失せて森に孤立したり、信じられないくらい立派な建築物に迷い込んだりする。誰もが平等に無防備な山の中では、少なからぬ人がこのような山怪に遭遇するのだ。
――――
単行本p.12


 全国の山々を巡って、怪談でもなく、民話でもなく、それらの「原石」のような不思議な体験談を集めた『山怪』、待望の第二弾。単行本(山と渓谷社)出版は2017年1月、Kindle版配信は2017年1月です。


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時々あれは何だったのかと思い出し、それを他人に話したりする。そして最後に“あれは錯覚だったのだ”と再確認しようとする。
 一生のうちに何度もこの作業を繰り返すことこそが、怪異を認めている証拠ではないだろうか。中には完全に記憶から消し去る人もいる。しかしそれがふとした弾みで口から飛び出す場合もあり、そんな時は当の本人が一番驚いているのである。
――――
単行本p.254


 日本全国をまわって、山に住んでいる人々の不思議な体験談を丹念に聞き取ってまとめたのが前作『山怪』。狐や狸に化かされた、狐火が飛んだ、山小屋の外を歩き回る足音がした。素朴というか、因縁も尾ひれもついてない、「怪談」としては未加工の体験談がぎっしりと詰まっています。ちなみに紹介はこちら。


  2015年06月15日の日記
  『山怪 山人が語る不思議な話』(田中康弘)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-15


 本書はその続篇です。内容的には前作と同じで、昨今の先鋭化された怪談実話に慣れた読者には物足りないかも知れませんが、そのライブ感というか、「あ、これは、語られた話そのままだな」という感触が、これが実に味わい深いのです。未加工の原石というか。


――――
「家のすぐ後ろが山なんですよ。そこにね、侍が埋まっている場所があるんですよ」
「侍ですか?」
「そう。よくは分からないんですけど、少しこんもりした所に侍が埋まっているって言われてましてね」
――――
単行本p.16


――――
「午後三時過ぎにね、山に入っていくお爺さんを見たことがあるんですよ。格好はとても山歩き様じゃないんです。白い服に白い靴を履いてね。ああいうの見ると心配になりますよね」
――――
単行本p.54


――――
 川で流されて行方不明になった若者がいた。いくら探しても見つからず、村人が法者に頼み込んだところ……。
「樽をな、川に投げ入れろ言うんじゃな。それが流されて止まった所に沈んどると。まあ自然に行き着くいう話なんじゃろけど」
 言われるままに樽を川に投げ込んだが、結局若者は見つからなかった。
――――
単行本p.63


――――
「へとへとになって宿に入ると、そこのおばさんがな、夜中にオオカミ(大神)様が来るから朝起きたら廊下を見ろ言うんだよ。足跡が付いとるらしい」
「見ましたか足跡?」
「いやあ、朝になったら誰もそんなこと覚えとらんで、確かめとらんな」
――――
単行本p.67


――――
 丹沢で猟をする服部啓介さんは山で下半身を丸出しにして振り回したことがあるそうだ。その時は効果てきめん、ブラブラさせているとすぐ横の斜面に複数の鹿が現れる。これは凄いと、また次の猟でも下半身丸出しでブラブラさせた。はっと気がつくと、すぐそばに鹿の姿があるではないか。ブラブラはひょっとして凄い効果があるのではないかと思った。しかし最大の問題点は、とても銃を撃てる状況に無いということである。
――――
単行本p.89


 いわゆる怪談実話の聞き取りなら、おそらく真っ先に捨てられてしまうような語りが一杯で、個人的にすごく惹かれるものがあります。

 怪異がはっきりと現れるケースでも、特に気にしてないというか、ごく普通のこととして受け入れられている感じがまた素敵です。


――――
ほとんどの施設従業員が彼らを見ているが、不思議なことに誰も怖がらないし、怪談話にもなっていない。
「最初は驚くんだけどねえ、すぐ慣れるみたいだよ。何かする訳じゃないし、怖いと感じもしないらしいね。ただ歩いているだけだから」
 ほぼ毎日のように彼らは施設内を彷徨い、そして消えていく。従業員たちは少し可哀想な魂だと感じて、特に騒ぐこともなくそのままにしておいた。
――――
単行本p.18


――――
 御獄神社までは鬱蒼とした杉林の中をうねるように参道が下界から続いている。この道にはいわゆる“出る”場所があるそうだ。そこは大きく参道が曲がる地点で、白い着物を着た女の人がよく立っているらしい。見た感じではかなり昔の方らしく、ここは歴史ある場所なんだなあと改めて思うそうだ。
――――
単行本p.60


――――
 お父さんが亡くなって半年経つが、未だに何の音沙汰も無いのが少し残念らしい。その話を隣の婆ちゃんにすると、“まだ来てないの?”と驚かれたそうである。
――――
単行本p.62


 受け入れるのとは別に、「怪異だと思っていたら、正体見たり枯れ尾花というやつで、実はこういうことだった」と、いわばタネあかしをするパターンも多く。


――――
「作業中に地響きがする時もありますよ。ドンドンって。最初は何か分からないから不気味でしたよ。でもその原因を調べた人がいたんです。富士山の演習場の音らしいですね」
「富士山? 自衛隊の火力演習ですか?」
「そうです。それが雲に反射して、ちょうどこの辺りで聞こえるらしいんですよ」
――――
単行本p.55


――――
 その内臓はまるで誰かが意図的に乗せたかのようだった。綺麗な乗せ方、そして一番妙だったのは血がまったく滴っていないことである。岩の上には内臓のみが丁寧に飾ってあった。新鮮な内臓は今までここにいたはずの鹿の物に違いない。そこで今村さんは探索範囲を広げて鹿を探した。百メートルぐらいの間を探し回ると、案の定一頭の鹿が倒れている。近寄って調べると、その体内からは内臓がすっぽりと抜け落ちていた。
「まあ撃った弾が腹に当たって内臓を吹き飛ばしたんでしょうねえ。あんなに綺麗に岩に乗るのは不思議ですが、単なる偶然なんでしょう」
――――
単行本p.93


――――
「あれは中学生の頃だねえ。ちょうどこの畑の下の道を夜歩いていたら、人魂が光ってたんだ。大きさはバスケットボールより少し大きい感じだったね」
 彼はその物体を見て足がすくむ。初めて見る人魂に全身が硬直するのが分かった。
「凄く怖かったよ。でもそこを通っていかないと家に帰れないんだから大変だよ。それ何だと思う?」
「何ですか?」
「螢なの。螢が固まって玉になってるのよ」
「はあ、螢ですか……」
――――
単行本p.252


 聞いているときは「なあんだ」と一緒に笑って、原稿起こしの段階で「ん?」となる。そういう感じが素晴らしい。

 もちろん、かなり奇妙な、不思議な体験談も収録されています。

 夜中に山の上のほうにある集落で大火事が起き、そこの住人たちが慌てふためいている様子を見て、朝になって駆けつけたところ何も起きてなかったという話。

 山に登る途中で、同じ軽トラ(ナンバーも同じ)が停まっているのを何度も繰り返し目撃する話。

 笈ヶ岳近辺で迷った猟師が巨大な石塔を発見。そんな巨大建造物は知られてなかったので、記者が取材して新聞記事になった。その後多くの人が捜索したにも関わらず、石塔はいまだに見つかっていない。しかし、山中で道に迷ってふと石塔に辿り着く者はいまでもいる、という話。これは「迷い家」「隠れ里」系では有名な話らしい。

 他に、誰もいない場所から鈴の音や雅楽の演奏が聞こえる話、山奥に車を停めていたら周囲をびっしりと女工さんに取り囲まれていた話、などが印象に残りました。もちろん、狸や狐に化かされる話、狐火や人魂が飛ぶ話、なども数多く収録されています。


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『ニャンニャンにゃんそろじー』(町田康、他) [読書(小説・詩)]

――――
「これからも、まだまだかかるわよ。だって、避妊手術もしなきゃだし、歳をとればとるほどいろんな病気のリスクがある。そのたんびに、高額な治療費が取られるのよ。……それでも、あなた、あたくしの奴隷を続けるっていうの?」
 はい、続けます。
「おバカさんね。……ほんと、あなたったら、おバカさん」
――――
単行本p.185


 シリーズ“町田康を読む!”第58回。

 「小説現代」2017年3月号の特集「猫好きのためのにゃんそろじー」に、描き下ろし猫コミックを追加した一冊。単行本(講談社)出版は2017年4月です。


[収録作品]

『猫の島』(有川浩)
『猫の島の郵便屋さん』(ねこまき(ミューズワーク))
『ファントム・ペインのしっぽ』(蛭田亜紗子)
『ネコ・ラ・イフ』(北道正幸)
『黒猫』(小松エメル)
『鈴を鳴らして』(益田ミリ)
『まりも日記』(真梨幸子)
『ヅカねこ』(ちっぴ)
『諧和会議』(町田康)


『猫の島』(有川浩)
――――
「相変わらずだねえ、あの二人は」
 背中からかかった声に振り向くと、――あのおばあさんだった。明るい砂浜だと、白く濁った右目がますます目立っている。
「相変わらずって?」
「前に来たときも、助けなくていいものを助けようと躍起になってたよ」
「助けなくてもいいって……」
 いたいけな子猫がカラスにつつき回されていたら、助けたくなるのが人情というものじゃないだろうか。
「弱いものから狩られる。そういうもんだよ」
 おばあさんの言葉は非情だが、なぜか残酷には聞こえなかった。
――――
単行本p.30

 沖縄の離島にやってきた、父親、その再婚相手、そして父親の実の息子である少年。少年は、父の再婚に対する心の整理がまだついていない。両親が子猫を助けようとしているとき、少年の前に謎めいた老婆が現れ、二人の馴れ初めを話してくれる。なぜ彼女はそんなことを知っているのか。そもそもこの人は誰なんだろう。

 南の島を舞台に、少しばかりファンタジー要素を加えた家族小説。猫の獰猛さと儚さが印象的です。


『ネコ・ラ・イフ』(北道正幸)
――――
ハハハ、あいかわらず寝相がおっさんだな
猫……でいいんだよな?
――――
単行本p.103

 朝、出勤時。ごみ袋を荒らす黒猫たち。池では茶虎が水面を泳いでいる。駅前広場では人が投げた豆に白猫が群がり、驚くと一斉に飛び立つ。動物園では猫のスカイウォークに客が歓声をあげ、水族館の猫ショーではプールの水面を割って猫がジャンプ。夕方、電線に並んでとまっている猫たち。こうして街の一日が終わる。

 文章で説明してもまったく面白くありませんが、絵を見れば思わず笑ってしまう素敵なコミック作品。個人的に、池にぷかぷか浮かび、水面をすすーっと滑ってゆく香箱猫がツボです。


『まりも日記』(真梨幸子)
――――
「なら、どうしてあたくしを飼ってしまったの? そんな無責任なことをしたの?」
「だって、仕方ないじゃないですか。運命だったんですから……」
「は? 運命? 衝動的で無責任で無計画でその日暮らしのおバカほど、“運命”という言葉を使いたがるんですよね。それを免罪符にしようとするんですよ」
「そんなこと、言わないでください……」
「あたくし、つくづく、運がないわ。あなたのような衝動的で無責任で無計画で甲斐性のない貧乏人なんかに選ばれてしまって」
――――
単行本p.188

 貧乏暮らしをしている売れない作家が、ペットショップで購入した猫、まりも。気位の高いブリティッシュショートヘアの彼女のために、作家は次々と痛い出費を強いられることに。

「あたくしは、金のかかる女ですよ」
「庶民が食するようなものは、受け付けません。穀物フリーのやつをお願いします」
「あなたが仕事に行っている間、あたくしがどれほど寒い思いをしているか」

 病気の治療、避妊手術、プレミアムフード。次々とお金がなくなってゆき、まりもからは甲斐性のなさを責められ、仕事はクビになり、小説は売れないし、それでも猫といることでこの上なく幸せな現実逃避。

 だが、やがてカードローンは限度額に達して返済不能、多重債務者になって、部屋は差し押さえられてしまう。もう一緒にいることが出来ない。

「本当に、私がバカでした。本当に、ごめんなさい……」
「で、あたくしはどうすればいいのかしら?」

作者コメントより
「私がもし、ブレイク前にマリモさんと出会っていたら……という仮定のもと創作したのだが、書いていて辛くなった」


『諧和会議』(町田康)
――――
「議長は言葉で説得すべき、と仰いますが、それ以前にひとつの疑問があります。それは、ぜんたい猫は言葉がわかるのか? という疑問です。わかっているのなら説得も意味があるでしょう。でももしわかっていないなら……、それを私は問いたいのです。私は彼らがなにか話すのを聞いたことがありません」
 牛がそう発言した途端、議場は混乱、収拾がつかなくなった。そういえばなんとなく話しているような気になっていたけれども猫と会話した経験がある者はひとりもなかった。飛ぶ者、跳ねる者、吠える者、嘶く者、無闇に乳を噴出させる者。再三に亘る「静粛に願います」という議長の呼びかけを無視し、みな顔を真っ赤にして自説を言い立てた。
――――
単行本p.214

 人類は滅び、代わりに言葉を獲得した動物たち。「理性と悟性によってなる諧和社会」を実現した彼らが集まって諧和会議していたところ、猫君の暴虐ぶりが議題にのぼる。

 遊び半分で小動物を虐殺する。

 「無表情で、なんともいえない虚無的な目をして」(単行本p.213)高価な壺を割る。

 「割れるものは割るし、噛み砕けるものは噛み砕くし、或いは口に咥えていって高いところから落としたり、パソコンとかスマホなんてものは小便をかけて壊しちゃう」(単行本p.213)。

 このような暴挙を説得して止めさせるべきという議長に対して、そもそも猫は言葉がわかるのかという疑問が提出され、議会は大混乱。すぐさま調査委員会が発足する……。

 言葉を獲得したせいで人間の駄目なところまで引き継いでしまった動物たちと、そんなもん意にも介さず自由奔放に振る舞う猫。形骸化した言葉を風刺する抱腹絶倒の動物寓話ですが、実は「うちの猫あるある」小説ではないかという気がします。


タグ:町田康
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『図書館情調』(日比嘉高:編、笙野頼子、三崎亜記、他) [読書(小説・詩)]

――――
 図書館は単に本が収められている空間ではない。そこで人が本に出会い、人に出会うことによって、静謐な読書の場は何事かが始まる物語の空間となる。多くの作家や詩人たちが、図書館という場に目を向けてきたのも当然だ。彼らはものを書く人間として、知識を書物から吸収しなければならず、図書館はその生活圏の一つであった。そうしてまた、書物を目指して見ず知らずの者たちが一所に集い、本を媒介として過去や現在に繋がり、その場所で人と人同士も接触するというこの空間の面白さに、創作の種子を見い出した者たちがいたとしても、何の不思議もあるまい。
 本書はそんな図書館に魅入られた作家詩人たちによる、〈図書館文学〉のアンソロジーである。
――――
単行本p.222


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第112回。

 書物を介して見知らぬ者同士が出会う場所。図書館という不思議な空間を舞台とした小説や詩のアンソロジー。単行本(皓星社)出版は2017年6月です。


[収録作品]

  『図書館情調』(萩原朔太郎)

第一部 図書館を使う
  『出世』(菊池寛)
  『図書館』(宮本百合子)
  『文字禍』(中島敦)
  『世界地図を借る男』(竹内正一)

第二部 図書館で働く
  『柴笛詩集(抄)』(渋川驍)
  『少年達』(新田潤)
  『司書の死』(中野重治)
  『図書館の秋』(小林宏)

第三部 図書館幻想
  『深夜の道士』(富永太郎)
  『S倉極楽図書館』(笙野頼子)
  『図書館幻想』(宮澤賢治)
  『図書館あるいは紙魚の吐く夢』(高橋睦朗)
  『図書館』(三崎亜記)



『出世』(菊池寛)
――――
自分の顔を知って居るかも知れないあの大男は、一体どんな気持で自分の下駄を預るだろう。あの尻切草履を預けて、下足札を貰えなかった自分と、今の自分とは夢のようにかけはなれて居る。あの草履の代りに、柾目の正しく通った下駄を預けることが出来る。が、預る人はやっぱり同じ大男の爺だ。そう思うと、譲吉はあの男に、心からすまないように思われた。何うか、自分をしまって居て呉れ、自分がすまなく思って居るような気持ちが、先方の胸に起らないで呉れと譲吉は願った。
――――
単行本p.23

 貧乏学生だった頃に通っていた帝国図書館にひさしぶりに足を向けた語り手は、かつて下足番の老人との間で起きた小さなトラブルのことを思い出す。あの頃から自分は随分と出世した。それなのに、あの老人は今も図書館の地下の暗がりで客の下駄を預っているに違いない。そしてそのまま出世することなく一生を終えるのだろう。出世した自分との境遇の差に何やら申し訳ないものを感じ、語り手はどうか老人が自分のことに気付かないでくれ、と祈るような気持ちになるのだった。

 有名な短篇。若い頃に読んだときはそのエリート意識に何とも鼻持ちならないものを感じて嫌だったのですが、この歳になって読むと、まあ自意識過剰な若者らしくて大いに結構結構、といった気持ちに。


『図書館』(宮本百合子)
――――
広間の入口で、学生に、婦人閲覧室はどこでしょうときいたら、不思議そうに一寸黙っていて、ここです、と答えた。ここというのは、一般閲覧室である。入って行ってみると、男女区別なしに隣りあって読書したり、ノートしたり、居睡りしたりしている。戦争はその結果としていろいろの変化をもたらした。けれども、この役人くさい図書館が、やっと世間なみに、男女共通の閲覧室をもつ決心をしたということには一種のユーモアがある。
(中略)
 もうこれからは、どこの図書館でも、婦人閲覧室というものは無くなってゆくだろう。云ってみれば、社会の全面から、そういう差別を無くしたい気持ちに燃えている、女の人たちの集りが、最後の婦人閲覧室から生れたことは面白く思われる。
――――
単行本p.32

 ひさしぶりに帝国図書館を訪れた語り手。戦前の婦人閲覧室が廃止され、男女平等の一般閲覧室になっていることに、ある種の感銘を受ける。「男子、女子の区別は、従来の日本の半官的な場所では愚劣なほど神経質であった」という過去、「男女区別なしに隣りあって読書したり、ノートしたり、居睡りしたりしている」という現在、そしてその隔離された婦人閲覧室に集っていた女性たちこそ、その変化を勝ち取った主役であったに違いないことを想像する。

 前述の『出世』(菊池寛)と同じ場所、似た状況なので、読み比べると面白いと思います。前者がもっぱら自分と他人の出世を比べて互いに傷つかないように接するエリートしぐさに汲々とするばかりなのに対して、本作の語り手は、世の中の変化とそれをもたらした人々、そして自分がいまいる場所と彼女たちとのつながりに思いを馳せるのです。


『文字禍』(中島敦)
――――
文字の無かった昔、ピル・ナピシュチムの洪水以前には、歓びも智恵もみんな直接に人間の中にはいって来た。今は、文字の薄被(ヴェイル)をかぶった歓びの影と智恵の影としか、我々は知らない。近頃人々は物憶えが悪くなった。之も文字の精の悪戯である。人々は、最早、書きとめて置かなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、最早、働かなくなったのである。
――――
単行本p.40

 古代アッシリアの老博士が、粘土板に刻まれた文字は単なるシンボルではなく、そこには文字の精が宿っていることを発見する。文字の精は人間をたぶらかし、堕落させ、真の智恵からむしろ遠ざけるものである、と主張する博士。だが、さすがの博士も、文字の精による反撃は予期していなかった。

 SFファンならつい「ああ、飛浩隆さんのあれの元ネタ」などと思ってしまう有名作。頭でっかちな知的エリートに対する風刺でしょうが、文字をネットあるいはSNSと読み替えれば、そのまま今日の風潮に対する風刺になってしまうというのが恐ろしい。「歴史とはな、この粘土板のことじゃ」「書かれなかった事は、無かった事じゃ」と叫ぶ博士の姿にも、何やら強い既視感があります。


『S倉極楽図書館』(笙野頼子)
――――
 そこでの利用者は異種間の衝突を避けるため、頭から布類または木の葉をすっぽり被って、体を隠していることが多い。「いろいろな方が来られるのですから」という特別地下司書も、カウンターでは腹這い。その司書だけは多分、私と「同族」だ。初めての利用者は特別図書カードをまず拵えるのだが、署名はいらない。葉書大の紙と、朱肉ではなくて畑の土が一塊手渡されるだけ。そこで私は指先を丸めて肉球ぽくしながら土をなすり、紙に「足型」を押した。形で固体を区別するのなら土よりインクがと思って尋ねてみると。「形より足臭です、臭いで区別します」と。カードも今のプラスチックのでなく、昔高校の図書館にあったような紙製のである。隣でふと差し出したそれを見ると、「日本の言葉」なのだが、見た事ない文字だ。本の分類も数字ではなく、多くは肉球ハンコ、その大小の羅列で整理してある。
――――
単行本p.134

 千葉のS倉に家を買って保護した猫たちと共に引っ越した作家。とりあえずの「無事」と「幸福」のなかで森茉莉の評伝小説を書いていたところ、調べ物があって、S倉地下図書館に行くことになる。そこは神明神社の横にある小さい祠の床に開いた大穴から這って入る「哺乳類だけの」図書館。しかし、どうも狐狸妖怪のたぐいもいっぱい利用しているようで「動物でなくても動物の形さえとっていれば」OKという、さすが極楽図書館。

 本作が収録されている短篇集の紹介はこちら。

  2014年08月29日の日記
  『片付けない作家と西の天狗』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-08-29


『図書館』(三崎亜記)
――――
 地に繋がれたとはいえ、「図書館」は、完全に野生を失ってしまったわけではない。人のいない深夜だけ「野生」を取り戻すのだ。そこで働く者にとっては周知の事実であるが、一般の人々にはほとんど知られてはいない。
 閉ざされた暗闇の中で、図書館の野生に庇護されて、本たちはゆっくりと回遊し、遺伝子に遺された野生の血を受け継いでゆく。
 長き図書館の歴史に思いを馳せ、静まり返ったフロアを見渡した。私は、「図書館の野生」を、一般の人々にも触れる機会を持たせるべく派遣されてきた「調教士」だ。
 夜の図書館を一般公開するというのは、猛獣の檻の中に人を案内しようとするようなものだ。だからこそ、私のような仕事、すなわち「図書館の調教」が必要となってくる。
――――
単行本p.160、

 夜の図書館。一般利用者の目に触れないところで、書物たちは大きく羽ばたいて図書館内を回遊している。そこは本が束縛から解き放たれ、本能に従って群れなし飛翔する野生の空間。この、本来、人が触れるべきではない本の夜の生態を、地域振興のために一般公開するというイベントが全国で行われるようになってきた。事故が起きないよう安全に公開するためには、野生動物の調教と同じく専門家による管理が必要不可欠なのだ。

 本作が収録されている短篇集の紹介はこちら。

  2009年04月27日の日記
  『廃墟建築士』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2009-04-27



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