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『あなたの脳のはなし 神経科学者が解き明かす意識の謎』(デイヴィッド・イーグルマン、大田直子:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 脳が私たちの生活の中心であるなら、なぜ社会は脳についてほとんど語らず、有名人のゴシップやリアリティショーで放送電波をふさぎたがるのか、私には不思議だった。しかしいまでは、この脳への無関心は不備ではなく証拠ととらえられると思っている。つまり、私たちは自分の現実のなかにがっちり閉じ込められているため、何かに閉じ込められていると気づくのがことさら難しいのだ。
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単行本p.10


 自分の脳が実際に行っていることを、私たちはほとんど意識していない。知覚から意思決定まで、脳の働きについての思い込みを一つ一つ覆してゆく刺激的なサイエンス本。単行本(早川書房)出版は2017年9月、Kindle版配信は2017年9月です。

 脳科学の研究成果をもとに「私たちの意識は、自分の言動をほとんどコントロールしていない」ということを示した『意識は傍観者である』の、いわば続篇です。ちなみに前作の紹介はこちら。

  2016年10月05日の日記
  『意識は傍観者である 脳の知られざる営み』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-10-05

 本書では、様々な実験結果を元に、脳はどのように機能しているのか、なぜ私たちの意識はそのことに気づかないのか、ということを詳しく解説してくれます。

 例えば、危機的状況において「時間の流れが遅くなり、周囲のあらゆるものがスローモーションで動いているように感じられた」という、いわゆるフロー体験。このとき本当に精神のスピードが加速されるのかどうかを検証した実験が紹介されています。


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 時間の流れが遅くなる主観的経験は、たとえば自動車事故や路上強盗などの命にかかわる経験だけでなく、子どもが湖に落ちるなど、愛する人が危険にさらされているのを見るような出来事でも報告されている。このような報告すべての特徴として、その出来事が通常よりゆっくり展開し、細かいことが鮮明にわかるという感覚がある。
 私が屋根から落ちたとき、あるいはジェブが崖で跳ね返ったとき、脳のなかで何が起きていたのだろう? 恐ろしい状況では、時間の流れは本当に遅くなるのか?
 数年前、私は教え子とともに、この未解決問題に取り組む実験を考案した。人々に極端な恐怖を誘発させるため、45メートル上空から落とす。自由落下で。後ろ向きで。
 この実験で、被験者は落下するとき、手首にデジタルディスプレイを装着する。私たちが発明した知覚クロノメーターという装置だ。被験者は自分の手首に固定された装置で読み取れる数字を報告する。本当にスローモーションで時間が見えるのなら、数字を読み取れるだろう。しかしできた人はいなかった。
 ではなぜ、ジェブも私も、事故はスローモーションで起きていたと回想するのだろう? その答えは、記憶の保存のされ方にあるようだ。
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単行本p.84


 こんな風に、興味深い実験結果を元に、脳に関する様々なトピックが語られてゆきます。全体は六つの章から構成されています。


「第1章 私は何ものか?」
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あなたが何ものであるかは、あなたがどう生きてきたかで決まる。脳はたえず形を変え、自分の回路をつねに書き換えている。そしてあなたの経験はあなた固有のものなので、あなたの神経ネットワークの果てしない入り組んだパターンもあなた固有のものである。そのパターンがあなたの人生を変え続けるので、あなたのアイデンティティは常に移り変わる目標であり、けっしてそこには到達できない。
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単行本p.14

 最初の話題は、脳の可塑性、記憶、そしてアイデンティティ。人間が成長する過程で脳はどのように変化してゆくのか、記憶はどのように書き換えられてゆくのか、私が私であるとは脳神経科学的には何を意味するのか、などのテーマを扱います。


「第2章 現実とは何か?」
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 ほとんどの感覚情報は、大脳皮質の適切な領域にたどり着く途中で視床を通る。視覚情報は視覚皮質に向かうので、視床から視覚皮質へと入る接続がたくさんある。しかしここからが驚きだ。逆方向の接続がその10倍もある。
 世界についての詳しい予想、つまり外にあると脳が「推測」するものが、視覚皮質から視床に伝えられている。そして視床は目から入ってくるものと比較する。(中略)視覚皮質に送り返されるのは、予想で足りなかったもの(「エラー」とも呼ばれる)、すなわち予測されなかった部分である。
(中略)
 したがって、どんなときも私たちが視覚として経験することは、目に流れ込んでくる光よりも、すでに頭のなかにあるものに依存している。
 だからこそ、コールド・ブルー・ルークは真っ暗な独房にすわっていながら、豊かな視覚経験をしていたのだ。
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単行本p.70

 感覚、知覚、認識といった機能に、脳がどのように関与しているかが語られます。私たちが体験している現実とは、事前に脳が作り上げたモデルを元に、感覚情報による修正を加え、編集されて出来上がったものであるという驚くべき事実を、様々な実験によって明らかにしてゆきます。


「第3章 主導権は誰にある?」
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興味深いことに、被験者はTMSに操られている手を動かしたかったのだと報告している。言い換えれば、画面が赤のあいだに左手を動かすと心のなかで決めたのに、次に画面が黄色いときの刺激を受けたあとには、初めからずっと本当に右手を動かしたかったのだと思いかねないということだ。TMSが手の動きを起こしているのに、被験者の多くは自由意志で決定したかのように感じている。パスカル=レオーネの報告によると、被験者は選択を変えるつもりだったと話すことが多い。脳内の活動が何を決めたにせよ、それが自由に選択されたかのように、被験者は自分の手柄だと思っていた。意識は自分が主導権を握っていると自分に言い聞かせるのが得意なのだ。
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単行本p.121

 私たちの行動の大半は、無意識に、自動操縦のように実行されている。行動だけでなく、様々な判断も脳が自動的に行っており、意識はそれに介在することが出来ない。では、私の行動を支配している「私」はどこにいるのだろうか。


「第4章 私はどうやって決断するのか?」
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 タミーは脳に外傷性損傷を負った人のようには見えない。しかし五分でも彼女と一緒に過ごせば、日常生活の決定を処理する能力に問題があるとわかるだろう。目の前の選択肢の損得をすべて説明できるにもかかわらず、ごく単純な状況でも決断ができない。体が送ってくる感情の概要を読み取れないので、決断は信じられないほど困難である。どの選択肢も別の選択肢と明白なちがいがないのだ。意思決定なしには、ほとんど何もできない。タミーはよく一日中ソファで過ごすと報告している。
 タミーの脳損傷から、意思決定に関する極めて重要なことがわかる。脳は高いところから命令を出していると考えられがちだ――が、実際にはつねに体とのフィードバック関係にある。体からの物理的信号は、何が進行しているか、それについて何をなすべきか、簡単な要約を伝える。選択を行うために、体と脳は密にコミュニケーションを取らなくてはならないのだ。
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単行本p.139

 脳が何かを決めるとき、それは具体的にはどのようなプロセスで実行されているのだろうか。脳のどこかに、最終判断を下す「意志」があるのだろうか。意思決定の背後で働いている身体と脳の相互作用を解説します。


「第5章 私にあなたは必要か?」
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 教育は大虐殺を防ぐのに重要な役割を果たす。内集団と外集団を形成したいという神経の欲求――そしてこの欲求をプロパガンダであおる計略――が理解されないかぎり、大規模な残虐行為を生む非人間化への道を断ち切ることは望めない。
 このデジタル・ハイパーリンクの時代、人間どうしのリンクを理解することはかつてないほど重要である。人間の脳は根本的に相互作用するように生まれついている。私たちは見事なほど社会的な種である。私たちの社会的欲求は操られることもあるかもしれないが、それでも人間のサクセスストーリーの中心に堂々と鎮座している。
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単行本p.197

 他人とのつながりを断たれたとき、孤立した脳はどのようにふるまうのか。大量虐殺から架空のキャラクターへの感情移入まで、脳が他の脳と相互作用することの意義を探求します。


「第6章 私たちは何ものになるのか?」
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 科学は私たちに、その進化の物語を超越するためのツールを与えてくれるかもしれない。いまや私たちは自分自身のハードウェアをハッキングすることができる。その結果、私たちの脳は私たちが受け継いだときの状態のままである必要はない。私たちは新たな種類の感覚的現実と、新たな種類の体のなかに存在することができる。そのうち、私たちは肉体を脱ぎ捨てることができるのかもしれない。
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単行本p.249

 感覚器官の拡張/追加から脳の仮想化まで。私たちの脳を構成しているハードウェアをハッキングする可能性と、それが私たちにどのような影響を与えるかを考察し、トランスヒューマニズムへと進んでゆきます。


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『裏世界ピクニック ファイル8 箱の中の小鳥』(宮澤伊織) [読書(SF)]

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 箱を慎重に持ち上げて、表面をじっと観察する。寄せ木細工の上に走る銀色の線だけが、この箱を開ける手がかりだ。裏世界と表世界の境界が、複雑に折りたたまれて箱の形になっている。鳥の群れはその隙間から染み出すように出現していた。
 私がやろうとしているのは、言うなれば爆弾処理だ。とっくに起爆して、今まさに私たちをズタズタにしつつある爆弾の解体。
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Kindle版No.718


 裏世界、あるいは〈ゾーン〉とも呼称される異世界。そこでは人知を超える超常現象や危険な生き物、そして「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」など様々なネットロア怪異が跳梁している。日常の隙間を通り抜け、未知領域を探索する若い女性二人組〈ストーカー〉コンビの活躍をえがく連作シリーズ、その第8話。Kindle版配信は2017年9月です。


 『路傍のピクニック』(ストルガツキー兄弟)をベースに、日常の隙間からふと異世界に入り込んで恐ろしい目にあうネット怪談の要素を加え、さらに主人公を若い女性二人組にすることでわくわくする感じと怖さを絶妙にミックスした好評シリーズ『裏世界ピクニック』。ファイル1から4を収録した文庫版第1巻、およびファイル5から7の紹介はこちら。


  2017年03月23日の日記
  『裏世界ピクニック ふたりの怪異探検ファイル』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-23

  2017年07月05日の日記
  『裏世界ピクニック ファイル5 きさらぎ駅米軍救出作戦』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-07-05

  2017年08月07日の日記
  『裏世界ピクニック ファイル6 果ての浜辺のリゾートナイト』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-07

  2017年08月31日の日記
  『裏世界ピクニック ファイル7 猫の忍者に襲われる』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-31


 ファーストシーズンの4話はSFマガジンに連載された後に文庫版第1巻としてまとめられましたが、セカンドシーズンは各話ごとに電子書籍として配信。ファイル5から8を収録した文庫版第2巻『裏世界ピクニック2 果ての浜辺のリゾートナイト』(宮澤伊織)は、2017年10月19日発売予定となっています。


 さて、セカンドシーズン最終話となるファイル8は、タイトルからぴんと来る人も多いでしょう、いよいよ強烈な呪いの箱が二人を襲います。


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「よろしいのですか」
 小桜に向かって汀が言う。小桜は頷いた。
「こいつらに見せてやってくれ──第四種の行き着く先を」
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Kindle版No.274


 空魚と鳥子が裏世界から持ち帰ったアーティファクトを高額で買い取っているという謎の組織。裏世界との接触により心身に異常を来した犠牲者たちの実態。そして鳥子が探し続けている、行方不明になった冴月。大ネタが次々と姿を現し、とどめに強烈な呪い攻撃。二人は絶体絶命のピンチに。


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「言えるうちに言っとかなきゃなって。ほら、何があるかわかんないじゃん」
「やめてってば。手を動かして」
 私が嫌がっているのに、鳥子は話を続けた。
「あなたの人生を壊したままいなくなったら、どうなっちゃうのか心配だったけど、空魚、ちゃんとやっていける。私、ずっと見てたから」
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Kindle版No.754


 ここぞとばかり死亡フラグ立てまくる鳥子。

 というわけで、鉄道、戦車、ライフル、水着、猫、忍者と、根こそぎにする勢いで突っ走ってきたセカンドシーズンも、原点に戻ったネットロア怪談で幕を下ろしました。これまで存在がほのめかされるだけだった裏世界研究所(ソニーのエスパー研究室を起源とするらしい)がついに登場し、行方不明となっていた冴子と裏世界の背後にいる存在とのつながりが暗示される。深まったようなこじれたような空魚と鳥子の関係。次シーズンに向けた引きも満載です。長く続くシリーズになりそう。


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『WITHOUT SIGNAL!(信号がない!)』(小野寺修二、カンパニーデラシネラ) [ダンス]

公演プログラムより
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小野寺修二さんがベトナム滞在中、交差点ではない場所で車・バイク・人が交差し、ぶつかること無くスムーズに行き交うスリリングな光景を目の当たりにし、その感覚をモチーフにして、ベトナムの人々の生活習慣から生まれてくる無意識な身体感覚や空間感覚を“体内信号”として表現されようとしています。
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 2017年10月1日は夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って、小野寺修二さん率いるカンパニーデラシネラの新作を鑑賞しました。ベトナム人と日本人の主演者総計9名が踊る70分の公演です。


[キャスト他]

演出: 小野寺修二
出演: Nguyen Hoang Tung、Nguyen Thi Can、Bui Hong Phuong、Nung Van Minh、荒悠平、王下貴司、崎山莉奈、仁科幸、Pon Pon


 舞台の床には、オレンジ色に発光するラインが右手前から左手奥へと一直線に伸びています。これが「道路」となって、観客を路地やアパートや料理店など様々な場所に連れてゆくのです。主役、というか、一応の視点人物として立っているのがグエン・ホアン・トゥンさん。個人的な感想ですが、この人、困惑したときの顔つきや動きが小野寺修二さんの演技そっくりに見えます。

 ヒッチハイクしようとして四苦八苦したり、ようやく乗車したと思ったら交通事故に巻き込まれたり、路地を歩きながら謎めいた人々とすれ違いつつ謎めいたリアクションをされたり、混雑する道路をスクーターでぶっ飛ばしたり、女性がベランダから落としたシーツを拾って届けようとしたり、立ち寄った料理店でいきなり誕生日のお祝いに巻き込まれたり。とにかく様々なよく分からない出来事に次々と巻き込まれ続ける視点人物。

 デラシネラお馴染みの演出もありますが(同じシーケンスが繰り返されて困惑する視点人物とか、次々と入れ替わってゆく死体役とか)、小道具をふんだんに駆使した新しい趣向の演出が次から次へと登場して飽きさせません。

 舞台奥に運転手が坐り、舞台手前に助手席に座った視点人物、舞台中央の道路を玩具の自動車が走ってゆく、という映画のマルチスクリーンのような演出。

 ハンドルだけのスクーターにまたがって走るシーンでは、ハンドル中央のライトが映写機になっていって、他の出演者たちが掲げる細長く分割されたスクリーンに「混みあった道路を疾走するスクーターから撮影した映像」を投影しつつ疾走感を出し、カーブではスクリーンの方が傾いて加速感を演出するという驚き。

 キャスター付きの小さな机と椅子を「車」に見立てて足で漕いでる、と思ったら、いきなり現れた「給仕」が机上に食器を置き、さらには複数の「車」が合体したと思ったら料理店のテーブルと椅子に早変わり。

 あと、複数の出演者がスマホ型の照明を床に置いて光を下から浴びて踊るシーンはとても印象的でした。

 グェン・ティ・カンさんと崎山莉奈さんが頻繁にベトナム語と日本語で会話を交わすのですが、一方しか聞き取れず何の話をしているのか微妙に分からない、というのが効果的でした。視点人物も観客も知らない何かのプロットが背後で進行しているような気もしてきます。

 大量に詰め込まれた演出アイデアで、ベトナムの街角や店や生活空間の様子を表現する70分。これまでの小野寺修二さんの作品から大きく雰囲気が変わったような印象を受けます。今後のカンパニーデラシネラの公演が楽しみ。


タグ:小野寺修二
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『時間のないホテル』(ウィル・ワイルズ、茂木健:翻訳) [読書(SF)]

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ホテルに泊まる人間は、ひとつの方向にしか進んでいかない。客が何千人いようと、かれらは自分の部屋からいちばん近いエレベーターに向かうだけで、逆方向に行ったらなにがあるか考えようともしない。しかし逆方向に進んでみても、まったく同じ廊下が現れ……
「それがどこまでもつづく」ぼくは声に出して言ってみた。
 廊下が一本だけ伸びているのではない。次々と枝分かれしているのだ。頭のなかの地図が再びゆがむと、ばらばらになっていた光景が寄り集まってきて、ひとつのモザイク模様を描いた。そして抽象画の一枚一枚が、きれいにつながりはじめた。
 絵の連なりは、どこまでもつづいていた。
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単行本p.227


 全世界に広がる巨大ホテルチェーン「ウェイ・イン」。ビジネスイベントに参加するためにウェイ・インに宿泊した語り手は、ホテル内を彷徨っているらしい謎めいた女を追いかけるうちに、すべてのウェイ・インが高次空間的につながった迷宮に足を踏み入れてしまう。無限に分岐し広がってゆく廊下と客室。脱出路はあるのだろか。古めかしいゴシックホラーのプロットを使って理解を超えた異質な知性とのコンタクトを描く「バラードが書き直した『シャイニング』」(作者談)。単行本(東京創元社)出版は2017年3月、Kindle版配信は2017年3月です。


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プリーストの指摘どおり、わたしたちが本作からまず想起するのはバラードである。そして実際に、ウィル・ワイルズもバラードから多大な影響を受けたことを認めている。
(中略)
バラードのお気に入りの建築は、ヒースロー空港のヒルトン・ホテルだった。空港やホテルといった、場所ならざる場所、人間が個性を失ってただ旅行客や宿泊客といった無名の存在になり、それと照応するように建物も没個性を際立たせるような場所こそが、今ここにある世界を特徴的なかたちで映し出し、さらには未来の都市空間を望見させるものになる。
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単行本p.386、387


 各種ビジネスフェア(見本市)などイベントへの参加代行業という仕事に就いているニール・ダブル。語り手である彼が宿泊しているのは、世界的な巨大ホテルチェーンに属している「ウェイ・イン」というビジネスホテルです。


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気くばりのゆき届いた接客と、外の世界から隔絶されたあの安心感を、ぼくは愛してやまない。世界に広がったチェーン・ホテルはさながら群島であり、それぞれの島がぼくの家だった。ホテルでの孤独感を嫌う人もいるが、ぼくの場合、それは自分の望みが叶えられていることを意味しており、ぼくを満足させるため最高の技術が投入されている証しだった。
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単行本p.52


 世界中に数百ものホテルを建て、ひたすら成長を続けるウェイ・イン・グループ。語り手は、しかし、そのありふれたホテルの中で奇妙な体験をすることに。

 ホテル内のあちこちに配置されている抽象画を調べている謎めいた赤毛の女。自分が宿泊している219号室とは別に存在している219号室。どこまでも続き、ひたすら分岐してゆく廊下。その廊下の迷宮を真夜中に歩いてゆくと、窓から見えたのは真昼の中庭。


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 ぼくは、今の自分が滑稽なほど不条理な状況におかれていることを、改めて実感した。さっきまでの疑惑と恐怖は、どこかへ消し飛んでしまった。深夜だったはずなのに、ぼくは自分のベッドから数万マイル離れた真っ昼間の土地にいた。もちろん、理にかなった説明などできるはずもない。各ウェイ・インは、おたがいの距離をものともせず内部でつながっており、廊下はどこまでもつづいてゆく――このホテルについて考えれば考えるほど、あり得ないことばかりが次々と立ちはだかった。論理も常識も、まったく通用しなかった。不気味な事象だけが、このホテルの廊下のように果てしなく連なっていた。
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単行本p.238


 世界中のウェイ・インに飾られている、細部が異なる何万枚もの抽象画は、実は巨大な一枚の絵。高次空間的に存在するその一枚の絵を私たちは「ホテル全体に配置された無数の絵の集合」として知覚している。赤毛の女にそのように告げられた語り手。そんなことがあり得るだろうか。だが彼は、ウェイ・インが空間を超越した構造体であり、しかもそれは自らの意志を持っていることに気づいてしまう。気づいたときにはもう遅い。


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チェーン・ホテルとしてのウェイ・インは、単に成長をつづけるだけでなく、みずからの手で辺境を開拓することによって、みずからを増殖させるための新しい土地を確保しつづけるのだ。そしてぼくたち人間の世界を、ウェイ・インの世界へと変えてしまう。
(中略)
かくも巨大なチェーン・ホテルを創造したのは、たしかに人間だった。しかしウェイ・インにあの抽象画を提供し、ユートピアのように高遠な広がりを与えたのは、神に匹敵する力を持つ別の存在なのであろう。ぼくたち人間ではない。
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単行本p.280


 無限に広がるホテルという迷宮に閉じ込められた語り手は、赤毛の女と協力して脱出路を探し続けるはめに。それだけでなく、あらゆる迷宮がそうであるように、恐ろしい怪物が二人を追ってくる。果たして二人は、ウェイ・インからチェックアウトすることが出来るのだろうか。


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「いいですかミスター・ダブル、あなたのチェックアウトはまだ終わっていません。まだ終わらないのです」
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単行本p.289


 というわけで、巨大な館に迷いこんだ主人公が恐ろしい目にあうという古典的ホラーのプロットをなぞりながら、同時に「理解を超える異質な知性とのコンタクト」というSFにもなっているという、技巧的な作品です。ホテルやコンベンションセンターの描写が臨場感たっぷりで、筋書きこそキングの『シャイニング』ですが、確かにバラードに近いものを感じます。ホラーとしてもSFとしても読みごたえがあります。



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『渡辺のわたし』(斉藤斎藤) [読書(小説・詩)]

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勝手ながら一神教の都合により本日をもって空爆します
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セブンイレブンからのうれしいお知らせをポリエチレン製で無害の袋にもどす
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牛丼の並と玉子を注文し出てきたからには食わねばなるまい
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うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象
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そっかそっかだねときにはねなるほどねうんでもまあねそろそろいい? 「だめ」
――――
このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい
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 他の誰であってもいいはずなのになぜわたしはこのわたしなのだろう。都市生活の細部やアイデンティティの揺らぎを問う第一歌集。単行本初版(booknes)出版は2004年7月、新装版(港の人)出版は2016年9月です。


 まずは、自分をまるで他者として突き放したような作品、他者から見た自分とセルフイメージの乖離を描いた作品、あるいは自分は誰でもあり得るはずなのに実際には他人ではなく自分でしかないことの不思議をうたった作品、などが目につきます。


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お名前何とおっしゃいましたっけと言われ斉藤としては斉藤とする
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おおくのひとがほほえんでいて斉藤をほめてくださる 斉藤にいる
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題名をつけるとすれば無題だが名札をつければ渡辺のわたし
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渡辺のわたしは母に捧げますおめでとう、渡辺の母さん
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このなかのどれかは僕であるはずとエスカレーター降りてくるどれか
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私と私が居酒屋なので斉藤と鈴木となってしゃべりはじめる
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 そもそも自分というものをちゃんと自分がコントロールしているのかどうか怪しい。


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牛丼の並と玉子を注文し出てきたからには食わねばなるまい
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豚丼を食っているので2分前豚丼食うと決めたのだろう
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カラオケに行くものだからカラオケに来たぼくたちで20分待ち
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 自分のことなのに何か他人事のように感じられる都市生活。その細部を描いた作品も数多く収録されています。


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雨の県道あるいてゆけばなんでしょうぶちまけられてこれはのり弁
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実際はこのままでもいいお客様4番の窓口でお待ちください
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セブンイレブンからのうれしいお知らせをポリエチレン製で無害の袋にもどす
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内側の線まで沸騰したお湯を注いで明日をお待ちください
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いけないボンカレーチンする前にご飯よそってしまったお釜にもどす
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くらくなる紐ひっぱりながら横たわりながらねむれますよう起きれますよう
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夜は闇に、昼はむなしさにささえられ窓はどうにか平らでやってる
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 短歌そのものを扱ったいわばメタ短歌、ありがちな定型文をひねった作品、会話をリアルに表現した作品なども印象に残ります。


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このうたでわたしの言いたかったことを三十一文字であらわしなさい
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そんなに自分を追い込むなよとよそ様の作中主体に申し上げたい
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勝手ながら一神教の都合により本日をもって空爆します
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そっかそっかだねときにはねなるほどねうんでもまあねそろそろいい? 「だめ」
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 最後に、個人的に気になるのが「矢野さん」が登場する作品ですね。


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うなだれてないふりをする矢野さんはおそれいりますが性の対象
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矢野さんが髪から耳を出している 矢野さんかどうか確認が要る
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車両への扉を開ける矢野さんがちゃんと閉じないのを見てしまう
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 というわけで、自分がおくっている都市生活にどうも実感が持てない、というか都市生活を送っているのが本当に自分なのかどうかがどうもあやふや、という多くの人に覚えのある感覚を口語体で巧みに表現した歌集です。若いころのもやもやとした気持ちが蘇ります。


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