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『偶然の聖地』(宮内悠介) [読書(小説・詩)]

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#009
【わたしの長い夏】本書は2014年の11月から2018年の8月にかけて、いまはなき「IN POCKET」誌で連載された。一度の原稿が五、六枚と、長い連載になるということがわかっていたので、自然に出てきたのがこのフレーズ。何を書いていたか忘れても大丈夫な話作りを目指し(円城塔さんも何かで同じようなことを発言しておられた)、そのつどぼくが考えていることや、体験したこと、読んだものなどがそのまま地層のように出現する。
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単行本p.12


 最後の秘境として、あるいは世界最大の不具合(バグ)として知られるイシェクト山。そこに辿り着けばありとあらゆる願いが叶うが、等価交換で何かを犠牲にしなければならないと云われている。それぞれの理由でイシェクト山を目指す四組のチームをめぐる冒険物語にして、スパゲッティ化した世界コードを修正するデバッグ小説、膨大な数の注釈により自身を解説する語り、著者が自らの過去について割と饒舌に語ってくれるエッセイでもあるという、ひたむきに奇書たらんとする贅沢な奇書。単行本(講談社)出版は2019年4月、Kindle版配信は2019年4月です。


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 イシェクト山は最後の秘境と呼ばれるだけあって、麓への道のりは友人に訊いても教師に訊いても知らぬと言う。そもそも地図にも載っておらず、試みに検索してみても、イシェクトではイスラム原理主義の勢力から逃れたバハーイー教徒が原始共産制の村を築いているだの、そこで収穫された杏は腐らぬだのと眉唾物の話ばかりで、いざ行きかたとなると、誰もはっきりしたことは書かないのであった。
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単行本p.13


 誰も正確な場所も行き方も知らないという秘境、イシェクト山。そこに辿り着くのは容易ではないが、しかし到達すればあらゆる願いが叶うという伝説の山。


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 麓への山道が出現するかどうかは運によって左右され、すぐに麓に辿り着けたという者もいれば、査証(ビザ)を幾度も延長しながら、ついに山の姿さえ見られずに帰国した者もいる。生年月日や月の位置が関係するとも言われ、近辺には巡礼者のための占い師もいるが、英語が通じる占い師はそのほとんどが偽物とのことであった。
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単行本p.12


 ある者は、親子三代にわたる家族の秘密を知るために、相棒と共にイシェクト山を目指す。


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 突然サンフランシスコの菓子屋をCIAの職員が訪れ、朗良がゲリラ組織の義勇兵を騙るという危険な方法でシリアからイシェクトへ入ったことが明らかになった。
 ところで祖母の郷里には、琵琶湖の底がワームホールによってイシェクトと繋がっているという伝説が残されており、それならなぜイシェクトが琵琶湖の水によって水浸しになったり山中で鮒寿司が発見されたりしないのかという疑問はさておき、失踪事件ののちに祖父の愛用のカメラが琵琶湖の岸に打ち上げられ、内部のフラッシュ・メモリには確かにイシェクトの山腹らしき画像が残されていたので、なるほどCIAの調査は正確であったと勇一は唸った。
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単行本p.10


 またある者は、かつてイシェクト山で失ったものを取り戻すために、相棒を連れてそこに戻ろうと試みる。


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 人の望みを等価交換で叶えるというあの山、イシェクトの七合目付近でウルディンは滑落し、戻らなかった。そして、ここまで来たからには山を登ってみようと言い出したのは、ほかならぬティト自身であったのだ。何かを得れば何かを失い、そして失ったものは戻らない。それは数々の神話が示す通りだ。求めていたものが、往々にしてそもそも間違っていたという点まで含めても。してみると、ふたたびイシェクトへ戻ろうとするティトの行為は、ことによると、神話への叛逆であると言えるかもしれない。
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単行本p.160


 刑事とその相棒は、イシェクト山に先回りすることで容疑者を確保しようとする。


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「具体的には、パキスタンへ行ったと見せかけて、まったく別の第三国へワープする。たとえば、イスラエルとかそういう国に」
「人間はワープできません」
「イシェクトだ。この付近でよく聞かれるイシェクト山の伝説は知ってるな――そのなかに、山を登って下りたら、遠い別の国にいたという証言がある」
「伝説でしょう。聞いたことならありますが……」
「この場合、別にイシェクトが実在だろうと捏造だろうとかまわない。容疑者がそれを信じていたとする。するとどうなる? 川を渡って匂いを消すように、イシェクトを経由して第三国へ行こうと考えるのは、まったく自然な思考だと思わないか?」
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単行本p.182


 世界と存在の不具合(バグ)を修正するのが仕事の世界医は、相棒と組んで最大のバグであるイシェクト山を修正する決意を固める。


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「この世に残された、最後の特Aランクのバグ――そう言えばわかるな」
「イシェクトですね」
 やや生気の戻った声とともに、泰志がこちらを見た。
「気は進みません……。いや、気は進まないのですが、何かが漲ってくるのがわかります。きっとぼくは、ずっとこのときを待っていたのでしょう」
「そうだろうとも」
 プラスチックの水のコップを手に取り、ロニーは口を湿らせた。
「世界医であるとはどういうことか? バグを取り除くとは、究極的には何を意味するのか? そんなもん、一つしかなかろうよ。世界医の誰もが一度は考えつつも、あえて口に出さないこと――この不条理な法典(コード)をもたらした神を、殺すことだ」
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単行本p.169


 それぞれに譲れぬ動機に突き動かされ、イシェクト山を目指す四組のパーティ。彼らが結集したとき、何が起きるのか。そして彼らを待つ運命とは。


 というような真面目な冒険小説として読んでも面白いのですが、何しろ作品そのものがスパゲッティのように絡まってゆくので一筋縄ではデバッグ(解読)できません。


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「小説ですよ。見ての通り、イシェクト山を目指す人々の話です。具体的には、ティトと相棒のレタ、そしてルディガーという刑事と相棒のバーニーの話を、このぼくが書く」
「この“わたし”ってのは誰だい」
「作中作の人物です。レタとバーニーがそれぞれ作中で書くのが、イシェクトを目指す“わたし”の話。言うなれば、作中作においてダイヤモンド継承が発生している仕組みです。
「二人ともが同じ話を書くのか? 偶然?」
「細かいことはいいんです。レタもバーニーも、ぼくが勝手に書くキャラクターなんですから。途中、“わたしB”なるものが登場して、それがいわば著者なんですが、虚構のなかの虚構なのでそれも存在しない」
 タブレットをかざしたまま、二度、三度とロニーが瞬きをした。
「また面妖なものを作るな。それじゃ“わたし”はバグの温床じゃねえか。可哀想に」
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単行本p.207


 そして、ソースコードの可読性を高めるために、あちこちに点在している膨大な注釈がまた独特の味わいを醸しだします。


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#006
【怜威(れい)】この時点で怜威が男性か女性かを素で考えておらず、編集さんに「どっちですか」と問われて「あっ」と思った。男女の入れ替わりトリックではない。ちなみに、ぼくは女性に生まれればレイと名づけられたらしい。理由は、海外でも通用しやすいからとのこと。
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単行本p.11


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#114
【ジェームズ・クエンティン】だいたいお察しのことと思いますが、このへんの人たちのことは憶えなくても差し支えありません。
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単行本p.113


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#135
【同僚と職場を抜け出して食べにいったものだ】内幕を明かすと、本作は「月に五、六枚くらい、エッセイと小説の中間のようなものを」という担当さんの依頼を受けてはじまったものである。エッセイであれば、待ってもらっている別の版元への言いわけも立つだろうし、月の家賃の半分くらいにはなる。あにはからんや、連載は小説そのものとなり、この第二十一回を書いていたころ当初の依頼を思い出し、そういえばそうだったと随筆を書いた。
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単行本p.129


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#297
【ロニー“シングルトン”の二択】この章の掲載を最後に、掲載誌である「IN POCKET」は力尽きてしまったのでした。実のところ、いつ終わるかわからないという話は聞いていたので、なかば願掛けのように、次の章への引きを入れるようにしていた。ところがそれが災いし、すごいタイミングで連載が終わってしまったのだった。
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単行本p.299


 ストーリーと同時並行して執筆の内幕をばらしつつ、さらに内容とは無関係なエッセイもどんどん混ざってきたり。


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#070
【演繹(えんえき)】昔mixiというSNSが流行っていたころ、後輩から「宮内さんは(言ってることは滅茶苦茶なようだが)演繹して書いています」と言われた。括弧内は被害妄想かもしれないが、ぼくの持論として、被害妄想というのは、おおむね当たるようにできている。
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単行本p.75


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#128
【夢の状況を自分の思い通りに変化させられる】デビュー前のプログラマ時代は小説を書くための時間が取りにくく、睡眠時間を利用すべく、明晰夢を用いて脳内のワープロで原稿を書き、起きてから入力するということをした。だいたい原稿用紙にして数枚は持ち出すことができる。それにしても身体に悪いことをやっていたものだと思う。
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単行本p.121


 これで破綻しないところが豪腕というか何というか。プログラマー、バックパッカー、帰国子女、ジャンル越境作家、など作品そのものによって自身を表現したような一冊で、ファン必読の奇書といえます。



タグ:宮内悠介
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『Down Beat 14号』 [読書(小説・詩)]

 詩誌『Down Beat』の14号を紹介いたします。


[Down Beat 14号 目次]
――――――――――――――――――――――――――――
『冬のこと。』『引越』(谷口鳥子)
『初音町』『関野』(廿楽順治)
『水遣り三年』(徳広康代)
『塩湖』(中島悦子)
『英雄のひる』(今鹿仙)
『蛇口』(小川三郎)
『でてきなさい』『ケヤキの樹の前で』(金井雄二)
『差出人』(柴田千晶)
――――――――――――――――――――――――――――


お問い合わせは、次のフェイスブックページまで。

  詩誌Down Beat
  https://www.facebook.com/DBPoets


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半分枯れ
半分腐り
大方虫に喰われ
半死半生で
私の水遣りに
耐えて
堪えて
適応した植物だけが
生き残って
見事に咲いている
らしいことに
四年目になって
漸く
気付きはじめている
――――
『水遣り三年』(徳広康代)より


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真夜中すぎ
台所の蛇口から
水滴が落ちそうになっている。

そのときの蛇口の表情。
時折私は
そんな顔をしているらしい。

それは
あなたに言われたことだ。
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『蛇口』(小川三郎)より


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狭山郵便局の日付印がある「受取拒絶」の紙が貼られた封書が郵便受けに入っていた。入間市中神に住む「霜村羊子」という女性に宛てた封書。誤配送だろうか。裏返すと差出人にわたしの名前を住所が記されている。書き殴ったような文字はわたしの筆蹟ではない。
(中略)
悪意や憎悪に満ちた言葉が綴られているにちがいないと身構えていたのだが、悪意よりも気味の悪い虚無感が、霧のように床を這い広がってゆく。
受取拒絶をした霜村さんは、差出人の「わたし」を知っているのだろうか。霜村さんに聞いてみたい。
わたしをご存じですか? と。
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『差出人』(柴田千晶)より



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『プラスマイナス 169号』 [その他]

 『プラスマイナス』は、詩、短歌、小説、旅行記、身辺雑記など様々な文章を掲載する文芸同人誌です。配偶者が編集メンバーの一人ということで、宣伝を兼ねてご紹介いたします。

[プラスマイナス169号 目次]
――――――――――――――――――――――――――――
巻頭詩 『ときわ57号に乗って』(琴似景)、イラスト(D.Zon)
川柳  『夏の跡地』(島野律子)
小説  『一坪菜園生活 52』(山崎純)
エッセイ『東京競馬場への歩道橋』(島野律子)
詩   『風の横顔』(多亜若)
詩   『足し引きの音』(島野律子)
詩   『護岸』(島野律子)
詩   『深雪のフレーズから 「可能性」』(深雪、みか:編集)
詩   『夏の河』(島野律子)
エッセイ『「愛の港」へようこそ』(島野律子)
随筆  『香港映画は面白いぞ 169』(やましたみか)
イラストエッセイ 『脇道の話 108』(D.Zon)
編集後記
 「行きたいところ」 その1 mika
――――――――――――――――――――――――――――

 盛りだくさんで定価300円の『プラスマイナス』、お問い合わせは以下のページにどうぞ。

目黒川には鯰が
http://shimanoritsuko.blog.so-net.ne.jp/



タグ:同人誌
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『ぶたぶたのティータイム』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 もっとつらい人もたくさんいるだろう。平凡と言えばそうかもしれない。でも、受け止められる重さは人それぞれ違う。公美恵は、その重さでもつらかった。その重さを、ぶたぶたのコーディアルと、電話の声が軽くし続けてくれた。
 それは多分、ぶたぶたの心が、それらに確かにこもっていたからに他ならない。彼の心は、どこにいても、離れていても届いていた。
 ぬいぐるみとか、本当に関係なかった。ずっとわかっていたのに、今まで気づかなかったのだ。
――――
文庫版p.226


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。大好評「ぶたぶたシリーズ」は、そんなハートウォーミングな奇跡の物語。

 記念すべきぶたぶた第30作目の本作は、英国風のケーキと紅茶を出してくれる素敵なカフェ「コーディアル」で皆様をお待ちしている山崎ぶたぶた氏を描いた5つの物語を収録した短篇集です。文庫版(光文社)出版は2019年7月。


[収録作品]

『アフタヌーンティーは庭園で』
『知らないケーキ』
『幸せでいてほしい』
『カラスとキャロットケーキ』
『心からの』




『アフタヌーンティーは庭園で』
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 母を見ると、何か悩んでいるようだった。
「どうしたの?」
「いや、好きなように食べていいって言われたけど、サンドイッチをあとにするのはさすがにはしたないかなって……」
 そうだった。母はしょっぱいもので締めたい人なのだ。
「いいんですよ」
 ワゴンに載ったぶたぶたがひょこっと顔を出す。「わーっ!」と叫びそうになるわ、サンドイッチが詰まりそうになるわで内心修羅場だったが、なんとか我慢した。
「どう召し上がっても、いいんですよ」
「……ぶたぶたさんなら、どう召し上がるんですか?」
 母ったら、下の名前で呼ぶなんて大胆!
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文庫版p.44


 庭園で開催されるアフタヌーンティーに参加した母娘。まあ、なんてファンタスティックなの。わざわざ出張してきて下さったパティシエさんもかわいいぬいぐるみだし。え、なにそれ?
 お砂糖とスパイスと素敵な何かに読者をご招待する導入作。


『知らないケーキ』
――――
 家にいるのとも違う。家ではこんなふうにお茶を飲まないし、飲めない。いろいろやることもあるし。
 言ってみれば、見知らぬ土地の道端でひと休みをしているような気分? 外ではないが、窓からの風も入ってくるし、開放感がある。
 お茶をゆっくり飲むって、こういうことかも、と和晴は思った。歩き疲れたら、休まないとそれ以上は進めない。そんな感じなのかもしれない。
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文庫版p.69


 50代後半のおじさんがふと立ち寄った「いんすたばえ」しそうなカフェ、「コーディアル」。店長は、ぬいぐるみだけど、年齢的にも近いおじさんなので一安心。色々と気苦労が絶えずばたばたしているうちに歳をとってしまったけど、こうしてお茶をゆっくり飲むなんて初めてかも知れないなあ。同世代のおじさんの心に刺さる作品。


『幸せでいてほしい』
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 それはね、お姉ちゃん――尊い思いが渋滞して、言語化できないってことなんだよ。沼にハマったオタクには、よくあることなんだよ。
 とは言わなかった。まだ。
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文庫版p.142


 何でも完璧にこなしてしまう美人の姉。その姉の様子が最近おかしい。せっかくいっしょにカフェ「コーディアル」に行っても、なぜか放心状態。もしやこれって、……。

 文庫の帯には「心が渋滞したら、ぶたぶたさんに会いに行こう」とあるのですが、これが「心がつらいときには、ぶたぶたさんで癒されよう」という意味ではなく、「推しが尊すぎてつらいときには、もう貢ぐしかない」という沼のことだと判明する作品。


『カラスとキャロットケーキ』
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「僕はただのぬいぐるみですから。それ以上の能力はないですよ」
 なんかすごいこと言われた。反論できない。「そんなことないですよ」とかも言えない。だいたい「ぬいぐるみの能力」の基本がわからない。
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文庫版p.171


 中学校でいじめられて不登校になった少年の周囲をうろつく怪しいカラス。そしてカフェにいるのは動いてしゃべるぬいぐるみ。しかも「上の娘があなたと同い年で」とか言われてしまう。山崎ぶたぶた氏に悩み相談して勇気をもらう作品。そういえば、ぶたぶたにとってカラスは天敵(油断すると持ってゆかれる)なのだった。


『心からの』
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 夫の両親はもう鬼籍に入っているが、父は病気だし、母も最近気弱になっている。夫ももう歳だし、公美恵自身も体調が今ひとつだし、子供たちにもいつ何があるかわからない。
 不安ばかりが倍増してしまう今日この頃だったが、ぶたぶたのお店には絶対に行きたかった。そこへ行けば、初めてエルダーフラワーコーディアルを飲んだ時みたいな気分に、またなれるように思えたから。
――――
文庫版p.217


 家庭内の気苦労、更年期うつ、花粉症。積み重なってゆく人生の辛さに押しつぶされそうになっていた女性が出会ったぬいぐるみ。それが十年におよぶ山崎ぶたぶたとの交流の始まりだった。ぼろぼろ泣ける最終話。



タグ:矢崎存美
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『SFマガジン2019年8月号 特集・『三体』と中国SF』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2019年8月号の特集は「『三体』と中国SF」でした。『三体』日本語版の出版にあわせて四篇の中国SF短篇が掲載されています。さらに、『サイバータンク vs メガジラス』の続編、『博物館惑星2・ルーキー』シリーズ最新作なども掲載されました。


『天図』(王晋康:著、上原かおり:翻訳)
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囲碁界に馬スターが現れたなら、物理学界でも、じきに驢スターが現れるさ、そいつも0と1のわけのわからない文字列で、trial and errorを力ずくで実行するマッチョなやつさ、でもすぐに全ての天才科学者を遥かに凌駕することだろうよ、そしていつの日か宇宙の究極の法則を発見するのさ、でも科学者たちには理解できないんだ、
――――
SFマガジン2019年8月号p.24


 究極の万物理論を頂点とするすべての物理学体系を階層的にまとめた見取り図、これすなわち天図なり。そこには未来の物理学の構造までが明示されていた。この天図を描いたという少年はいったい何者なのか。その正体に迫る科学者は、物理学に終焉がせまっていることに気づく。


『たゆたう生』(何夕:著、及川茜:翻訳)
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 純粋エネルギー生命の誕生からたった一万年で、正の世界と負の世界が極点に達するまでにはまだ百億年かかる。その後も、わたしたちは存在し続ける。教えて、それは希望か、それとも……絶望なの?
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SFマガジン2019年8月号p.41


 エントロピーが増大し続ける宇宙、エントロピーが減少し続ける宇宙、この二つが対となり、永遠に循環を続ける陰陽太極宇宙。両極にまたがって存在する不滅の純粋エネルギー生命となった鶯鶯と灰灰の二人は、一万年のときをこえ、太陽系で再会する。だがそのとき、地球は変わり果てた姿になっていた。


『南島の星空』(趙海虹:著、立原透耶:翻訳)
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 天と人を二つに隔てた状況というのはまさに彼の家庭のことだった。妻の天琴は環境保護の資材を普及させる仕事についており、時代が認める精鋭を保護する「時代精鋭保護計画」に選ばれ、十歳の娘・合鴿を連れて珍玉城に入り生活をしていた。しかし彼は社会から差し迫った必要のない人材であると見なされ、この貴重な割り当てにあずかる権利を得られず、珍玉城の外でスモッグを仲間に――無論マスクとともに――留まっていた。平安市の中ではすでに数えきれないほどの同様の家庭が生まれており、またこのことで多くの婚姻関係が破綻し、ひどい時には社会の関心を集めるホットな話題となった。
――――
SFマガジン2019年8月号p.49


 ますます悪化する大気汚染への対策として建てられた珍玉城。それは汚染物質を濾過し清浄な大気だけを取り込む特殊フィルターで覆われたドーム都市。選ばれた人材だけが珍玉城への居住を許され、無用な人間は汚染された外部にとり残される。天文学者である主人公は後者と見なされ、珍玉城への居住権を得た妻子と別れるはめに。星空を見上げることは「無用」な仕事ではないことを、彼は娘に伝えたいと願う。


『だれもがチャールズを愛していた』(宝樹:著、稲村文吾:翻訳)
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 重力感覚を同期――ぼくはどこかに立っている。
 触覚を同期――そよ風が吹きすぎ、春の暖かさと海の湿り気を運んでくる。
 聴覚を同期――風の音、流麗な鳥の声。
 視覚を同期――眼に飛びこんできた薄紅色と白色が、数えきれぬほどの桜の花へと姿をなして萌ゆる春に咲きほこり、木の下には和服を着た妙齢の女が端座している。眉目秀麗、笑窪の咲くその姿は蒼井みやび。
 そしてぼくはチャールズ、唯一無二のチャールズ。
――――
SFマガジン2019年8月号p.60


 自分が体験している全感覚を「配信」できるようになった時代。一番人気のスターはチャールズ、唯一無二のチャールズだった。彼の感覚配信の「視聴者」たちは、チャールズ自身に乗り移って華麗なるハーレム人生を送ることが出来るのだ。今も、愛子天皇との謁見予定をブッチして元人気AV女優の蒼井みやびとデートしているチャールズ、その体験を数多くの視聴者が共有している。

 自室でひきこもり生活をしている宅見直人は、できる限りの時間をチャールズと同期して過ごすことで「本当の人生」を送っていた。ぼく三次元には興味ありません。隣に住んでいる幼なじみの朝倉南は、そんな宅見に「自分の人生」を取り戻させようと色々がんばるのだが……。


『子連れ戦車』(ティモシー・J・ゴーン:著、酒井昭伸:翻訳)
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 とうとう新生サイバータンクの装甲に付属する外部スピーカーが作動した。そこから出てきた第一声は――。
「みぎゃー」
 ふたたび、沈黙。われわれはもっとしゃべらせようと働きかけ、どうにか第二声を引きだすことができた。その声も――。
「みぎゃー」
 ここにいたって、われわれは悟った。どこかでなにかをまちがえたのだ。
――――
SFマガジン2019年8月号p.249


 巨大トカゲ型放射能怪獣メガジラスとの戦いを生き延びたサイバータンクに、子供をつくる許可がおりる。だが、産まれた子供は「みぎゃー」と泣くばかりのできんボーイだった。失意のまま小惑星を彷徨う子連れサイバータンク。我ら親子、既に冥府魔道を歩んでおる。だがそこに(みんなの期待通り)敵襲が。

 SFマガジン2018年2月号に掲載された『サイバータンク vs メガジラス』の続編。翻訳者コメント「田村信先生、ごめんなさい」。


『博物館惑星2・ルーキー 第八話 にせもの』(菅浩江)
――――
「本物が持つ力は人間の勘が感知する。形や色を模しただけの複製品に、その気迫は感じられないのよ」
「でもさ、ベテラン学芸員であるネネさんの勘ですら、あの壺は」
 最後まで言いきることができなかった。
 尚美が、怒りを通り越して涙目になっていたからだ。誇りを持って赴任した〈アフロディーテ〉が貶められ、敬愛する大先輩があの贋作を見分けられなくても仕方がないと負けを認めた。勝ち気な新人学芸員にとっては、泣くほど悔しいことなのだ。
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SFマガジン2019年6月号p.328


 既知宇宙のあらゆる芸術と美を募集し研究するために作られた小惑星、地球-月の重力均衡点に置かれた博物館惑星〈アフロディーテ〉。そこに保管されていた壺に、贋作の疑いがかかる。もしそうならアフロディーテの学芸員たちの面子まるつぶれ。ことの真偽を確認するために地球から運ばれてきた壺との比較が行われるが、その背後では美術品専門詐欺組織のプロが暗躍していた……。

 若き警備担当者が活躍する『永遠の森』新シリーズ最新作。


『エアーマン』(草上仁)
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 故人は、稀代のエア・アーティストだった。彼には何でもできた。自らの身体だけを使って、森羅万象を表現することができたのだ。(中略)どんな演奏でも、スポーツでも、その他の技芸でも、故人は本物のマスターやチャンピオンになれたろう。人々はそう評した。しかし彼は、エアーマンであることにこだわった。彼は何でもできた。しかし、実際には何もしなかった。何もしないで、何かをしているふりをすることが、彼の宿命だったのだ。
――――
SFマガジン2019年8月号p.356


 稀代のエア・アーティストが死んだ。エアギター演奏、一人でシャドウと闘うエアスポーツ、何も作らないエアクッキング。すべてを身体だけで表現する達人。はたして彼は殺されたのだろうか。もしそうなら犯人の動機は。



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