So-net無料ブログ作成
  • ブログをはじめる
  • ログイン
前の5件 | -

『私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり』(”note”掲載 2018年9月20日) [読書(随筆)]

――――
文学で描かれた陰翳とはまさに文学の力、かすかながらの光という「リアリティ」の厚み、生命そのものなのだ。つまり現実の読者がそれを支えにするケースはあるとしても、読者が主人公に自らを重ねるとしても、現実と虚構は分けるしかない。なおかつ、虚構がデマ、ヘイト、差別助長のためにひどく使われるなら心ある人は怒るしかない。
 そもそも性だけの問題なのか。尊厳の問題だ。しかも社会との関係性の問題である。人は光を求める。社会的存在である。光の下で、好きな人と暮らしたい。
 というかこの痴漢擁護論考、文学についても全体についても論考とも何とも呼べぬ低劣さである。何も言っていない。すべてを貶めて卑怯犯罪や猥褻語で汚し、下劣な一人合点をしているだけだ。
 あるいは最初から痴漢被害者をも侮辱するつもりだったのかも。
――――
【笙野頼子さんの抗議】より


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第120回。

 「笙野さんと怒りを共有し、声をあげます」(北原みのり)
 北原みのりさんと笙野頼子さんが共同で『新潮45』に対する抗議文を”note”に投稿しました。以下のリンクから全文読めます。

  『私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり』(”note”掲載 2018年9月20日)
  https://note.mu/minorikitahara/n/n10df59ba7103

 文中で触れられている『ウラミズモ奴隷選挙』は、来月(2018年10月)出版予定の最新長編です。「文藝」掲載時の紹介はこちら。

  2018年07月09日の日記
  『ウラミズモ奴隷選挙(「文藝」2018年秋号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-09


――――
思考密度はゼロ、論考としての流れすら立っていない。というか、すべてまぎらかし。結局は性犯罪者の不当擁護と性被害者、差別被害者への自己責任論、さらには顧客を意識してなのか保守エロ語の連発、そこだけがテカテカとどや顔になっている。別に確信犯とか言うレベルでなく、まさにお仲間のいる状況で安心して放つ、本人の「人間性」……、あっ。

 そう言えば、最近ので似たようなのをひとつ思い出した。
 現総理の「テニスや将棋なら」いいのかというあの言説である。主語を違え、論点をずらし、よそごとを言いながら、白目を剥いて胸を張っている。見ていられない。まあ「壮大な宇宙的展開」はついてなかったけど。同じものと言える。
 それはかびの生えた、だだもれ、口先だけその場だけ、言いこしらえれば実態はどうでもいいという、「ひょうげんがすべて」、妖怪ひょうすべの、ひょうすべ節である。
――――
【笙野頼子さんの抗議】より


――――
杉田水脈は大学生の頃、偶然、土井たか子さんの演説の場に出会う。当時の総理大臣よりも人気があり、切れのある演説する土井さんの格好良さに憧れたという。その数年後に杉田は土井たか子さんの演説を聞き、妊娠中だった彼女は「お腹をなでてほしい」と土井さんに頼んだという。
私は杉田水脈とほぼ同世代だ。あの当時、山を動かそうとした土井さんの力を、若い女として見上げるように眺めていた私と杉田水脈は、もしかしたら同じ目をしていた。なんという皮肉なのだろう。ものを言う議員に憧れた杉田水脈が、性暴力被害者の口を塞ぐ声をあげ国会議員のバッチをつけているとは。「山は動いた」あの年から、平成のまるまる30年間。この社会が第二の土井たか子を育てるどころか、杉田水脈を産んでしまうとは。
――――
【北原みのりの抗議】より


 直接的にヘイトのターゲットにされている人々の苦しみ、怒り、絶望には到底およばないのは当然としても、尊厳を傷つけられる痛みや怒りは、どマジョリティ日本中高年男性のそれであっても、通じるものがあるはず、と思いたい。すべての人、というか人というものが侮辱され愚弄されてるんだよ、今ここで。

 とはいえ覚悟のない言葉を放ってもすぐ捕獲され弱い立場の人々を踏むのに利用されてしまうので、せめて捕獲耐性の強い強靱な怒りの言葉を広める手助けをしたい。どうか抗議文を読んで下さい。そして来月出版される『ウラミズモ奴隷選挙』を読んで下さい。『水晶内制度』と違って河出書房新社から出版されるので、葛藤なしに購入できます。

 もう一度、リンクを貼っておきます。

  『私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり』(”note”掲載 2018年9月20日)
  https://note.mu/minorikitahara/n/n10df59ba7103

  2018年07月09日の日記
  『ウラミズモ奴隷選挙(「文藝」2018年秋号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-09



タグ:笙野頼子
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

――――
 自分がただフィールドを眺めながら人々の声と熱を受信する装置になったような気がした。そして瞬間の価値を、本当の意味で知覚しているような思いもした。人々はそれぞれに、自分の生活の喜びも不安も頭の中には置きながら、それでも心を投げ出して他人の勝負の一瞬を自分の中に通す。それはかけがえのない時間だった。
――――
単行本p.345


 サーカー2部リーグ、22のチームが今年最後の試合に挑む、その日。見守るサポーターたちには、それぞれに理由があり、事情があり、人生がある。様々な人々がサッカースタジアムで交差する瞬間をドラマチックに描いた連作短篇集。単行本(朝日新聞出版)出版は2018年6月です。


――――
 自分はこのチームに勝って欲しかったのだ、と思った。どれだけしょうもない試合をしても、でも最終的に勝つところをどうしても見たいと自分は思っていたのだ、とヨシミは気が付いた。両目が痛くなった。涙が出そうだったが泣かなかった。
 改めて、わけのわからない気持ちだと思った。なぜ縁もゆかりもない、勝ったからといって自分に何の利得もないこのチームに、どうしても勝って欲しいと思うのか。それはおそらく、ヨシミがこのチームを好きだからなのだけれども、そもそもどうして人間は、サッカーチームなんてものを好きになるのか。
 わからない、と思いながら、ヨシミはピッチを見つめていた。
――――
単行本p.93


――――
 初めて行くゴール裏の自由席で、男も女も叫んで歌う阿鼻叫喚の只中で、息をすることもままならない状態で試合を観た。真冬で、雨が降りしきっていた。結果はどうあれ解散は決定しているのに、ヴィオラ西部東京のサポーターたちは必死だった。寒さと雨の中で、ほとんど苦しみたがっているとすら言えるような様子で。
(中略)
 その試合終了時の様子を、誠一はもうずっと忘れることができないでいる。ヴィオラの選手たちは、濡れた芝生に両手と両膝を突いていた。雨に打たれて這いつくばっていた。誠一はそれから、幾度となくそういう場面を見たし、実はよくあるものであることを今は知っている。しかし、すべてに違う当事者と理由が存在することも知っている。あのヴィオラの終わりは、誠一には永遠だった。かけがえのない、誠一のチームの終わりだった。
――――
単行本p.114


 人はなぜサッカーに惹かれ、特定チームを熱心に応援するようになるのか。観戦する喜び、応援する高揚、スタジアムで食べるくいもんの美味さ、グッズ入手の楽しみなど、サッカー選手ではなくサポーターたちに焦点を当てた物語が語られてゆきます。サッカーに関する知識は特に必要ない、というよりむしろサッカーに興味のない読者に魅力を伝えてくれる、サッカー観戦入門書としても有効な連作短篇集です。


[目次]

第1話 三鷹を取り戻す
第2話 若松家ダービー
第3話 えりちゃんの復活
第4話 眼鏡の町の漂着
第5話 篠村兄弟の恩寵
第6話 龍宮の友達
第7話 権現様の弟、旅に出る
第8話 また夜が明けるまで
第9話 おばあちゃんの好きな選手
第10話 唱和する芝生
第11話 海が輝いている
エピローグ 昇格プレーオフ


『第2話 若松家ダービー』
――――
「琵琶湖いいチーム」
「うん。いいチーム」
 仁志の言葉に、供子は同意する。圭太がひきつけられたのも無理はないだろう。だからといってじゃあ自分はどうか、琵琶湖を応援できそうか、というと、それはまったく違う話だというのも、供子にはわかった。妙なたとえだけれども、自分たちが犬だとしたら、クラブは飼い主のようなものなのかもしれない、と供子は思った。犬は飼い主を選べない。圭太は真の泉大津のサポーターではなかったということだろう。そしてこれからは、琵琶湖と苦楽を共にしていくのだろう。
――――
単行本p.64


 息子が隠し事をしている……。
 自分の息子が琵琶湖トルメンタスを応援するために滋賀のスタジアムに通っていることに気づいた両親。うちは家族でずっと泉大津ディアブロを応援してきたのに、いったいなぜ……。でも本人が決めたのなら、母親に何が出来るだろう。せめて息子を安心して託せるチームかどうか家族で確認に行こう。でも妹は言うのだった。サッカーもういい、わたし女子バスケの試合を見に行くから……。当人たちにとっては深刻だが、どこかおいおいと突っ込みたくなる「家族崩壊の危機」を大真面目に描いた作品。


『第3話 えりちゃんの復活』
――――
 ヨシミが新しい技術に手を染め、髪を切り、色を変え、自転車通勤が板に付いてくることは、鶚が負けていることの証明でもあった。ヨシミは、できれば何も変わりたくなかったのだが、鶚が思ったよりだめなので、遠いところまで来てしまった。本当はこれ以上何かを始めたくないのだ。ヨシミはただ、鶚の試合を観ることが自分にとって気晴らしだった頃に戻りたいとずっと思っている。今は、気晴らしが気晴らしでなくなり、さらにそれのための気晴らしを求めてさまよい歩いているような状態だった。
 えりちゃんは、そんなことは露知らず、ラリエットを首に巻いてブローチをジャケットに付け、もうすぐ着くよ、などとうれしそうに言う。とてもいい子だと思う。どうしてこんな子がひきこもり状態になっていたのか、ヨシミは改めて不思議に思った。
――――
単行本p.79


 ひきこもりになってしまった知り合いのえりちゃんと一緒に、サッカー観戦に行くヨシミ。試合はしょぼいし、天気は最悪。でも、ひいきのチームを応援することで立ち直ってゆくえりちゃん。一方、ヨシミは自分が応援している鶚ことオスプレイ嵐山の低迷により、色々と人生が迷走気味。もう鶚はあかん、負けてもいい、どうでもいい、と思っていたヨシミだが、ついに鶚にチャンスがやってきたとき……。サッカーチームや選手を応援することで与えられる力を感動的に描いた作品。


『第4話 眼鏡の町の漂着』
――――
 誠一は、一時的に人のいなくなった芝生を眺めながら、ヴィオラ西部東京の最後の試合のことを思い出していた。雨の中の選手たちのことを、泣いていた、あるいは、呆然と立ち尽くしていた、あるいは、両手で顔を覆ってうつむいていた周囲の人々のことを考えていた。大人も、老人も、子供も、女も、男もいた。自分もその一人だった。
 自分はずっとそこにいるのだ、と誠一は思った。(中略)さまざまな喜びやつらいことやどちらでもないことの中を通ってきながら、誠一の半分はずっとそこにいるのだ。
 その十七歳の誠一がずっと見つめている残像の最後の一片が、今日でなくなってしまうのかもしれなかった。
――――
単行本p.121、122


 手ひどい失恋をして、思い出のスタジアムに通う香里。解散したチームの最後の選手を追いかけている誠一。それぞれに引きずっているものを抱えた男女の、スタジアムでの出会いを描いた作品。


『第7話 権現様の弟、旅に出る』
――――
 壮介は大きくうなずいて、権現様の弟のかしらがしまわれた箱を両手に抱えながら、スタジアムを後にした。
 自分が頭を嚙んだところで、柳本さんの怪我が早く治るわけではないかもしれないのはわかっていた。それでも、自分はそのことを願っているんだということが柳本さんに伝わればいいと思った。伝わっても伝わらなくても柳本さんの回復とは厳然と関係はないのだけど、あらゆる僥倖の下には、誰かの見えない願いが降り積もって支えになっているのではないかと、壮介はこの九か月を過ごして考えるようになっていた。
――――
単行本p.226


 あちこちのスタジアムを回っては権現舞を披露する若者が、様々な出会いを通して敬虔さを学んでゆく。職場の陰湿なモラハラ、他者へのささやかな祈りの大切さなど、過去の作品を連想させるモチーフが印象的ないかにも著者らしい作品。


『第8話 また夜が明けるまで』
――――
 文子は、自分が泣いていることに気が付いた。洟をすすって手のひらで涙を拭いながら、タオマフを持ってきたけど出すの忘れてた、と思い出した。
 隣にいる人の手が、おずおずと文子の肩をつかんで、じょじょに力がこもってゆくのがわかった。
「また一緒にサッカーを観ましょうよ」
 遠藤さんは言った。私も東京の近くで土佐の試合があったら観に行くことにします、と遠藤さんは続けた。文子はうなずいた。
――――
単行本p.264


 それぞれに昇格と降格がかかったどちらにとっても負けられない一戦。「自分が観戦したらチームが負けてしまう、というか耐えられない」ということで絶対に観戦しないと決意していた二人が、謎の出会いをへて、一緒にスタジアムへ。たかがサッカーの試合、それなのに奇跡が生まれ、友情が生まれ、人が救われる。人の思いの強さをユーモアも込めて力強く描いた、個人的に本書で最も気に入った作品。


『第10話 唱和する芝生』
――――
 いろんな人がいる文化祭みたいだなあ、富生は思いながら立ち上がり、座り込んで横断幕に色を塗っている人たちの頭をぐるりと見回す。これが一銭になるわけでもなく、むしろお金を出し合ってこの部屋を借りて道具も用意して、いい大人が手作りで、歌を作ったり太鼓を叩いたりしながら、サッカーチームの応援をしている。
 富生は唐突に、特に前後の文脈はなく、いいんじゃないか、と思った。
――――
単行本p.317


 吹奏楽部に所属している少年が、憧れの先輩を追ってサッカースタジアムへ。まるで目茶苦茶なライブのようなパワフルな演奏とチャントにやられ、いつしかサポーターグループの音楽担当に。音楽という方向からサッカー応援の魅力に迫る作品。



タグ:津村記久子
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『「おしどり夫婦」ではない鳥たち』(濱尾章二) [読書(サイエンス)]

――――
 この本では、不倫や浮気、子殺し、雌雄の産み分けなど、一般にはあまり知られていない鳥たちの生態を取り上げます。そのとき、興味深い鳥の生態を紹介するとともに、それが進化の中で形作られてきたこと、環境に適応してうまくできていることをお伝えしたいと思います。(中略)「おしどり夫婦」のイメージは、いわば虚像です。利己的に見えることもある真の姿を知ってこそ、鳥のオスとメスの関係を理解することができます。この本を通して、鳥の行動や生態が同性のライバルや異性を含む周囲の環境に適応してうまくできていること、鳥たちが必死に生活していることを感じていただければ、著者として望外の喜びです。
――――
単行本p.iv


 「おしどり夫婦」という言葉があるように、雌雄がつがいを作って仲むつまじく子育てをするというイメージが強い鳥類。だが実際には、彼らは厳しい環境のなかで様々な繁殖戦略を駆使して生き残ってきた野生動物なのである。浮気、子殺し、寄生など、興味深い繁殖行動を中心に、鳥の生態と進化を教えてくれるサイエンス本。単行本(岩波書店)出版は2018年8月です。


――――
 特に、日本人の優れた研究を積極的に取り上げました。ときには、調査の工夫や苦労話などを本人から聞きとり、研究現場の様子も伝わるように努めました。多くの若い日本人研究者が、科学的に意義のある優れた研究をし、それを国際的な学術誌に論文として発表しています。しかし、残念ながら、その研究成果や彼らの研究活動はあまり知られていません。
(中略)目を覚ましている時間の大半は研究のことを考えているという生活を何年もして仕上がったのが、この本で紹介したひとつひとつの研究成果です。
――――
単行本p.111


 厳しい淘汰圧にさらされているがゆえに進化の威力がはっきりと表れることが多い鳥類の繁殖行動。その最新の研究成果と、それがどのようにして進化してきたと考えられているのかを紹介する一冊です。全体はプロローグを含めて6つの章から構成されています。


『プロローグ 少しでも多くの子を残す性質が進化する』
――――
 北米のツバメでは、巣立ちまでに死亡したヒナの16%が子殺しによるものであったことがわかっています。実際に、独身のオスがよそのヒナをつついて殺すところが観察されています。(中略)卵やヒナを殺すというのは、目を背けたくなる行動です。親によるヒナ間の差別的な給餌や、親による卵やヒナのいる巣の遺棄も、消極的な子殺しと言えそうな、私たちにとっては感覚的に受け入れ難い行動です。しかし、これが、少しでも多くの子を残したものが生き残るという厳しい自然の中で淘汰され、進化してきた鳥の真の姿なのです。
――――
単行本p.9、11


 つがい相手の「質」の予測に基づいて子の雌雄を産み分けるオオヨシキリ。自分の子に対する扶養援助を得るために正妻(第1メス)の子を殺すイエスズメ。性比を調整するためにオスのヒナを選択的に殺すオオハナインコ。まずは鳥の子育てに関する読者の先入観を解消してゆきます。


『1.オスは多くのメスとの交尾を求める』
――――
 ショウドウツバメではヒナの14%(巣の36%)で、南極で仲睦まじく子育てをするアデリーペンギンでもヒナの9%(巣の11%)でつがい外受精が見つかっています。一夫一婦の種で最もつがい外受精率が高いのは、オオジュリンです。なんとヒナの55%がつがい外受精で、巣の86%につがい外のヒナが含まれていました。
 もちろん、つがい外受精が見つかっていないコチョウゲンボウやモリムシクイのような種もいます。しかし、150種以上の研究結果を調べたところ、90%以上の種でつがい外受精が起きていたというまとめもあり、多くの種でオスが混合繁殖戦略を採用しているのは明らかだと言えましょう。(中略)人間には、つがい相手が抱卵で忙しいときに一夫多妻やつがい外交尾に走るとは身勝手だ、とも思えますが、少しでも多くの子を残そうとする、このような性質が進化するのは、自然界の理と言えます。
――――
単行本p.23、33


 一夫一婦制を採用しながら、過半数のヒナが浮気(つがい外交尾)で生まれていることが判明したオオジュリン。パートナーの浮気(つがい外交尾)を阻止するために不眠不休で見張りをするツバメ。ライバルを精子の量で圧倒すべく数百回も交尾するオオタカ。なるべく多くのメスに子を産ませたいがメスの浮気は断固阻止したい、オスの繁殖戦略のあれこれを見てゆきます。


『2.メスは相手を選り好みする』
――――
 アマサギのつがい外交尾は、オスが採食のために巣を離れ、メスだけが巣に残っているときに起こりました。メスだけが巣にいると、よそのオスがつがい外交尾をねらってメスに近づいてきます。そのとき、メスはつがい相手(夫)よりも優位なオスだと交尾を受け入れ、劣位なオスだと攻撃することが多かったのです。
――――
単行本p.44


 浮気(つがい外交尾)を狙うのはメスも同じだが、その理由は異なる。受精を確実にするため、子の遺伝的多様性の確保、オスからのプレゼント(求愛給餌)目当て、そして「夫が期待外れだった」から。つがい成立後のメスによるオスの選択について見てゆきます。


『3.子育ては悩みが多い』
――――
 鳥たちにとって子育ては大仕事です。場合によっては、自らの寿命を縮めていると言ってもよいでしょう。それだけに、子を育てるときの労力の配分は、少しでも有効なものとなるよう調節されているのです。しかし、ヒナの性を調節するのが、なぜ父親だけだったり母親だけだったりするのか、子の性をどのようにして知るのかなど、まだまだ謎が残っていると言えましょう。
――――
単行本p.61


 子の性別によって子育てにかける手間を調節するオオヨシキリ。自らは子を作らずヘルパーとして他のつがいの子育てを手伝うオナガ。子育てに対する労力配分をめぐるオスとメスの繁殖戦略を見てゆきます。


『4.捕食や托卵を防ぐには?』
――――
 1回托卵を受けた後、托卵鳥の卵を排除せずにおけば、2回目に托卵されるときに抜き取られるのは、自分の卵となるか、最初に托卵したメスの卵となるか五分五分です。つまり、排除しないことで自分の卵が生き残る可能性が出てくるわけです。卵がふ化した後で、ヒナを排除すれば自分の子を残すことができます。
 実際のところ、ヒナを拒絶する宿主は卵の排除を行なっていないようです。熱帯の宿主たちは、托卵された卵を「防波堤」にして自分の卵を守り、ヒナになってから対応するという戦略をとっていると考えられます。
――――
単行本p.93


 猛禽類がやってくると種を越えた多くの個体が共同でモビング(擬攻)を行なう鳥たち。親と子が会話して捕食者に対する行動を調節するシジュウカラ。そしてカッコウに代表される托卵行動。托卵鳥と宿主鳥の激しい攻防戦から進化してきたそれぞれ高度に発達した戦略。ヒナが無事に育つまでの生き残りをかけた繁殖戦略を見てゆきます。


『5.人間生活の影響』
――――
 夜の照明でつがい外交尾がさかんになるという驚きの現象も起きています。アオガラではふつう1巣あたり平均0.5羽のヒナがつがい外受精によるものですが、夜も明るいなわばりでは平均2羽のヒナがつがい外受精でした。
――――
単行本p.101


 夜の照明によるつがい外交尾の増加。騒音によるオスのさえずりの周波数変化。そして地球温暖化に対する適応。人間による環境への干渉が、鳥たちの繁殖戦略にどのような影響を与えているかを見てゆきます。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:

『バレエ・ロレーヌ公演』 [ダンス]

 2018年9月17日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って、フランスのバレエ団「バレエ・ロレーヌ」のトリプルビル公演を鑑賞しました。野心的な振付家たちが、それぞれの時代に行ったバレエやモダンダンスの「お約束」をぶち壊す挑戦。


『DEVOTED』(2015年初演、振付:ベンゴレア&シェニョー)

 9名のダンサーたちが踊る25分の作品。ミニマルミュージックを背景に、バレエの基本テクニックであるポワントを解体してゆきます。いっけん揃っているようで、実はばらばらな衣装、化粧、そして動き。ポワント苦手そうなダンサーが必死こいて爪先立ちで頑張って足がくがくさせながら立っている姿を長々と見せつけておいて、こういういじめが本当に美しいですか、皆さんの好きなバレエ公演もこれと同じですよね、と問いかけてくるような感じ。観客のなかで、素直な感動と、疑問と、罪悪感がまぜこぜになりつつ、インパクトあるラストへとなだれ込む、強烈な印象を残す作品。


『STEPTEXT』(1985年初演、振付:ウィリアム・フォーサイス)

 4名のダンサーたちが踊る20分の作品。ぶつ切りにされ、断片的、発作的に差し込まれるバッハの調べを背景に、それを無視するかのようにシャープでハイスピードで謎めいた動きが炸裂。音楽と動きの調和とかダサいよね、と問いかけてくるような感じ。ガラ公演などで観る機会の多い人気演目ですが、やっぱりカッコいい。


『SOUNDDANCE』(1973年初演、振付:マース・カニンガム)

 10名のダンサーたちが踊る17分の作品。強烈なノイズ(おそらくエンジンの排気音をベースに様々な機械音を混ぜた騒音)をバックに、抽象ダンスが繰り広げられます。美しい音楽とか感動的なストーリーとか、ダンスに必要ないよね、と問いかけてくるような感じ。何だか素朴に純粋に色々な動きを試しているようなダンサーたちが実に楽しそうに見えて、耳障りなノイズが気にならなくなってくる多幸感あふれる作品。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:演劇

『行け広野へと』(服部真里子) [読書(小説・詩)]

――――
野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた
――――
金印を誰かに捺してやりたくてずっと砂地を行く秋のこと
――――
よろこびのことを言いたいまひるまの冷たいカレーにスプーン入れて
――――
花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする
――――
三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀、あるいは光の溺死
――――
あなたの眠りのほとりにたたずんで生涯痩せつづける競走馬
――――


 思いがけない比喩、不意打ちのような描写。これまで出会ったことのない言葉の組み合わせが、これはあり、いやむしろなぜ今までなかったのか、という驚きをもたらすメタファー歌集。単行本(本阿弥書店)出版は2014年10月、Kindle版配信は2018年9月です。


 喜びや悔しさなどの力強い感情を、これまで思ってもいなかった言葉の組み合わせで表現してのけた歌の数々、すごい、嬉しい。


――――
野ざらしで吹きっさらしの肺である戦って勝つために生まれた
――――
金印を誰かに捺してやりたくてずっと砂地を行く秋のこと
――――
冬晴れのひと日をほしいままにするトランペットは冬の権力
――――
よろこびのことを言いたいまひるまの冷たいカレーにスプーン入れて
――――
幸福と呼ばれるものの輪郭よ君の自転車のきれいなターン
――――


 静かで繊細な気持ちも、そうくるかあという斬新な比喩を用いて表現されており、一瞬よくわからないけどあとからあとから何となくぴったりの例えのような気がしてくる不思議さ。


――――
花降らす木犀の樹の下にいて来世は駅になれる気がする
――――
印字のうすい手紙とどいて中国の映画の予告編のような日
――――
たったいま水からあがってきたような顔できれいな百円を出す
――――
草刈りののちのしずもり たましいの比喩がおおきな鳥であること
――――
海蛇が海の深みをゆくように オレンジが夜売られるように
――――
感情を問えばわずかにうつむいてこの湖の深さなど言う
――――


 アクロバット的なメタファーを駆使して、ごくありふれた光景を超現実的イメージに昇華してしまう歌も素敵です。


――――
東京を火柱として過ぎるとき横須賀線に脈打つものは
――――
フォークランド諸島の長い夕焼けがはるかに投げてよこす伊予柑
――――
鉄塔は天へ向かって細りゆくやがて不可視の舟となるまで
――――
地方都市ひとつを焼きつくすほどのカンナを買って帰り来る姉
――――
青空からそのまま降ってきたようなそれはキリンという管楽器
――――


 はじめて読んだのに、前から知っていたような気がする、そんな不思議な幻想的光景が脳裏に浮かんでくる体験にはしびれます。


――――
夜空から無数の輝く紐垂れて知らない言葉なんて話さない
――――
三月の真っただ中を落ちてゆく雲雀、あるいは光の溺死
――――
あなたの眠りのほとりにたたずんで生涯痩せつづける競走馬
――――
人の世を訪れし黒いむく犬が夕暮れを選んで横たわる
――――
花曇り 両手に鈴を持たされてそのまま困っているような人
――――
冬の火事と聞いてそれぞれ思い描く冬のずれから色紙が散る
――――


 ぐっとくるキーフレーズにしびれ、それが今まで一緒に使われたことがないような他の言葉としっくりきている様に驚き、現実の感情や光景を巧みに表現していることに感心する。こういう比喩もありなのか、という感動を覚える歌集です。



nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:
前の5件 | -