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『化石のカタチをしたUFO』(超常同人誌「UFO手帖2.0」掲載作品)を公開 [その他]

 馬場秀和アーカイブに、超常同人誌「UFO手帖2.0」(2017年11月刊行)に掲載された作品を追加しました。


  『化石のカタチをしたUFO』
  http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/UnidentifiedFossilObject.html


 なお、「UFO手帖2.0」の紹介はこちら。

  2017年11月15日の日記
  『UFO手帖2.0』(Spファイル友の会)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-11-15


[最新号に関する状況](以下は適宜更新してゆきます)

 最新号である「UFO手帖3.0」は、2018年11月25日に開催される第二十七回文学フリマ東京に向けて制作中です。



タグ:同人誌
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『宇宙の「果て」になにがあるのか 最新天文学が描く、時間と空間の終わり』(戸谷友則) [読書(サイエンス)]

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 一般社会向けの講演会で宇宙論の話をすると、必ず出てくる質問がある。まずはなんと言っても「宇宙人はいますか?」である。頑張ってビッグバン宇宙論の話をした後で、出てきた最初の質問がこれだった時の脱力感には未だに慣れることができない。その次に多いのがまさに「宇宙の果てはどうなっているか?」「ビッグバンで宇宙が始まる前はなにがあったのか?」といったものである。
――――
新書版p.18、


 宇宙はどこまで広がっているのか、宇宙が誕生する前には何があったのか、そして宇宙は最終的にどうなってしまうのか。誰もが気になる宇宙の「果て」について、現代科学がどこまで迫っているのかを解説するサイエンス本。新書版(講談社)出版は2018年7月、Kindle版配信は2018年7月です。


 私たちが宇宙について持っている「知識の限界」という意味での、宇宙の「果て」について解説する本です。インフレーション、ビッグバン、暗黒エネルギーによる加速膨張といった最新の宇宙論トピックについて、どこまで明らかになっているのかを解説し、その先、ほんの少しだけ想像力を働かせます。


――――
 自然科学が実験による客観的な検証をその礎としている以上、必ずその知識や理解には限界がある。「宇宙の果て」を考えていくと、結局はこの「我々の知識の果て」に突き当たることになる。
 それゆえ、皆さんが一番興味を持つところであろう、時間や空間方向に広がる「宇宙の果て」、いわば時空の果てについて、現時点の自然科学の知識をもとに明確な回答をすることはできない。しかしアインシュタインの言うように、想像をすることはできる。本書はあくまで自然科学の立場であるから、根拠のない想像をすることはできない。だが、これまでの自然科学の知識に基づいて、それなりに根拠のある形で宇宙の果てについて想像することはできる。
――――
新書版p.76


――――
 空間方向に広がる宇宙の果てについてまず確実に言える一つの回答は、「半径464億光年の宇宙の地平線よりはるかに大きな領域まで、一様かつ等方で、ゆがみのない平坦な宇宙空間が広がっている」ということである。
「それでは、インフレーションで整地された領域を超えた大きさでは、宇宙はどうなっているのですか?」という質問が直ちにきそうである。ここから先はまた、現代の科学知識では自信を持って答えることができない領域となる。事実、これを真剣に研究している研究者もほとんどいないのが実情だ。もちろん、研究者を含め多くの人にとって最も興味のあるテーマではあるが、実際に研究成果らしいものを出すのはほとんど不可能に近い。特に、若い大学院生が手を出しても、成果が出ずに研究者の職を得ることすら不可能になる恐れが大きく、とても学生に薦められるテーマではない。
――――
新書版p.104


 全体は9個の章から構成されています。


[目次]

第1章 宇宙の果てとはなにか
第2章 時空の物理学 相対性理論
第3章 宇宙はどのように始まったのか ビッグバン宇宙論の誕生
第4章 宇宙はどうしてビッグバンで始まったのか? 時空の果てに迫る
第5章 宇宙の進化史 最初の星の誕生まで
第6章 星と銀河の物語
第7章 観測で広がる宇宙の果て
第8章 最遠方天体で迫る宇宙の果て
第9章 宇宙の将来、宇宙論の将来


第1章 宇宙の果てとはなにか
――――
「観測可能な宇宙の果て」とはつまり、光が届く範囲ということであるから、実際に宇宙そのものがそこで終わるわけではない。宇宙――すなわち時空とそれを満たす物質はそこからさらに広がっているはずである。その空間的な広がりがどこまで続くのか、それこそがいわば真の「宇宙の果て」とも言えるものだろう。本書ではこれを「空間的な宇宙の果て」と呼ぶことにする。
 多くの宇宙関係の書物では、この二つの全く異なる概念に対して同じ「宇宙の果て」という言葉を使っている。書籍のタイトルや新聞の見出しなどでも、「ここまで宇宙の果てに迫った」というようなものをしばしば見かけるが、それらはほとんど、「観測可能な宇宙の果て」という意味である。上に述べたように、この意味の宇宙の果てであれば我々天文学者は自信を持って「ここまで宇宙の果てに迫った!」と胸を張ることができるからだ。
――――
新書版p.24


 我々から464億光年までの範囲が「観測可能な宇宙」であり、そこから先は原理的に直接観測することが出来ない。しかし、その先にも宇宙が広がっていることは確かであり、その先にあるかも知れない「空間的な宇宙の果て」を想像することは出来る。まずは、様々な意味で使われている「宇宙の果て」という言葉を整理してゆきます。


第2章 時空の物理学 相対性理論
――――
 ここでよく受ける質問がある。ゆがんだ2次元空間である球面は、3次元空間の中に存在する。地球の表面に住む人間は、表面の2次元世界に加えて、空へ向かう垂直方向というもう1次元も認識できる。時空がゆがんだ4次元空間ということなら、これは5次元だとかもっと高次元の世界が本当はあって、4次元時空はその中に存在しているということだろうか?
 実に良い質問である。残念ながら、その答えは今のところわからない。
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新書版p.43


 「物質やエネルギーの分布」と「時空の歪み」はどのように関係しているか。一般相対性理論の基礎について復習します。


第3章 宇宙はどのように始まったのか ビッグバン宇宙論の誕生
――――
 著者も主に理論的な研究を行っているので実感としてわかるが、存在するすべての観測データを説明できるような理論モデルなど、なんとか理屈をこねて作れてしまうものだ。したがって、既存のデータをうまく説明できたからといって、その理論がすぐに受け入れられるわけではない。大切なのは、その理論が予想することをあらかじめ予言しておき、将来の観測や実験の検証に委ねることなのだ。それが的中することはそう簡単に起こるものではない。
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新書版p.70


 決定的な観測的証拠がいくつも見つかり、標準理論の地位を獲得したビッグバン宇宙論。その歴史を振り返ります。


第4章 宇宙はどうしてビッグバンで始まったのか? 時空の果てに迫る
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 残された問題は「では、インフレーションの前の宇宙はどのようなものだったのか? そこでなぜ、どのようにインフレーションが始まったのか?」ということになる。そう、一般社会の人が最も聞きたいところであり、専門家にとっては最も聞かれたくない質問にたどり着いたのだ。
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新書版p.92


 ビッグバンの前に起きたことがほぼ確実視されているインフレーション。では、インフレーション自体はどのようにして起きたのか。「私たちの宇宙が生まれる前に存在し、ビッグバンの背景となった時空」の始まり、という宇宙の時間的な果てに迫ります。


第5章 宇宙の進化史 最初の星の誕生まで
第6章 星と銀河の物語
第7章 観測で広がる宇宙の果て
第8章 最遠方天体で迫る宇宙の果て
――――
 本書の後半では、二つの「宇宙の果て」について語っていきたいと思う。一つは、我々の近傍から出発して、人類の天文観測がどれだけ遠くへ、また、どれだけ深く宇宙を理解するに至ったのかという、人類の知的探求による「宇宙の果て」である。もう一つは、過去にさかのぼる宇宙初期とは逆に、未来の時間方向への宇宙の果て、つまり宇宙は将来どうなっていくのかという「果て」である。
――――
新書版p.108


 素粒子の誕生、反物質の消滅、元素合成、原子の生成、宇宙の晴れ上がり、宇宙の大規模構造、恒星の誕生、銀河の生成、ブラックホール、クェーサー、ガンマ線バースト。ビッグバンから始まる宇宙の歴史を振り返りつつ、宇宙の姿を明らかにした様々な観測技術の発展について解説します。


第9章 宇宙の将来、宇宙論の将来
――――
 現代の宇宙論における最大の未解決問題はなんと言っても「暗黒物質」と「暗黒エネルギー」であろう。研究者がこれらについて講演する際、スライドにダースベイダーの絵を入れるのはもはや世界的に使い古されており、ベタすぎてはばかられるほどである。ちなみに、宇宙の晴れ上がりから初代銀河形成までの「暗黒時代」をこの二つに加えて、「黒い三連星」というネタを講演でかましたのは、知る限りでは著者が最初だったと考えている。
――――
新書版p.228


 時間的に未来方向の宇宙の果て、すなわち究極的に宇宙がどうなってしまうのかという問題について語り、さらに現代宇宙論に残された最大の謎である暗黒物質と暗黒エネルギーについて現代天文学はどこまで迫っているのかを解説します。



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『NNNからの使者 毛皮を着替えて』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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「毛皮を着替えてきたんだなって」
「……それって何?」
「新しい猫がやってくることをそう言うんだよ。生まれ変わりって言われることもあるけど、毛皮を着替えたらやっぱり違う猫だよな」
――――
文庫版p.34


 猫、飼いたいけど、色々と事情もあって……。悩みを察知されるや、たちまち舞い込んでくる猫との良縁。そんな猫飼いあるある現象の背後では、NNNなる謎の猫組織が暗躍しているらしい。ミケさんと呼ばれている不思議な三毛猫(雄)がもたらす「猫と人の出会い」を描く五つの物語を収録した短篇集。『NNNからの使者』シリーズ第三弾。文庫版(角川春樹事務所)出版は2018年10月です。


――――
 確かにうしこはここら辺の野良や捨てられた子猫を人間の家に送り込み、飼ってもらうことに成功しているが、失敗がないわけではない。
 うしこは、一番難しいとされるその工作を担当するエリートであったが、歳をとり始めてきていた。こんな夜は、肉球が冷たい。
――――
文庫版p.200


 というわけで、猫好きのあいだで(主にネット上で)話題にのぼりがちな謎の組織NNN(ねこねこネットワーク)の暗躍を扱った謀略サスペンスシリーズ、ではなくて、猫を飼いたいと思っている人が自分の猫と出会うロマンス小説です。人の視点、猫の視点、ときどき切り替えながら語られてゆく五つの物語。猫飼いの読者はもちろん魅了されますが、それほど猫に興味がない方でも、読めばきっと猫を飼いたいと思うはず。


 これまでの作品の紹介はこちら。すべての作品は独立していますので、どこから読んでも大丈夫です。


  2018年04月18日の日記
  『NNNからの使者 あなたの猫はどこから?』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-04-18

  2017年10月16日の日記
  『NNNからの使者 猫だけが知っている』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-10-16


 今作では、かつて死に別れた猫(を連想させる新しい猫)との出会いがテーマになっており、猫を亡くした体験のある読者にとって涙腺に刺さる話が多くなっています。


[収録作品]

『第一話 泣いてもいい』
『第二話 ミーと私とミー』
『第三話 猫が呼んでいる』
『第四話 毛皮を着替えて』
『第五話 虹の橋』
『おまけのショートショート NNN』


『第一話 泣いてもいい』
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「俺は思うんだ。猫を失った悲しみは、猫でしか癒やせないって」
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文庫版p.33


 猫が死んだくらいで泣くのは恥ずかしいことなんだろうか。飼い猫を亡くした悲しみにくれる語り手は、居酒屋で友人に悩みを打ち明ける。外に出ると、そこにはミケさんの姿が……。悲しくてもう猫は飼いたくないという気持ちと、寂しくて猫と一緒にいたいという気持ち。その心の隙間につけ込んでくるNNNの凄腕工作員の仕事ぶりを描く導入話。


『第二話 ミーと私とミー』
――――
 元美はなぜか涙が出た。昔のミーとの思い出で、こういうものはない。わたしは、あまり優しくなかった。かまいたい時だけかまっていただけだ。
 ミーとこんなふうな思い出がほしかった。ミーはわたしのことを好きではなかったろう。それが今は、とても恥ずかしいことに思えて仕方なかった。
――――
文庫版p.76


 まだ子供だった頃、あまり優しくしないまま猫と死に別れてしまった語り手。大人になってから後悔が残り、飼わないまでも猫を見ていたいと思って保護猫カフェ「キャットニップ」でバイトすることに。だが、そこがNNNの拠点の一つだということを彼女は知るよしもなかった。何らかの負い目から猫を飼う勇気が出ない(自分には猫を飼う資格がないのでは……)猫好きの気持ちを扱った作品。


『第三話 猫が呼んでいる』
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 そういうあやふやな記憶なのに、ちびとの時間だけははっきりと覚えている。自分で拾って、自分で面倒を見た。そしてちびも自分を好いていてくれたはず。
 あの頃、ちびと自分は互いに支え合って生きていたのだ。
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文庫版p.125


 両親から深刻なネグレクトを受け、猫を唯一の家族として生きていた語り手。無事に成人した後、猫の消息を確かめるために故郷に戻ってみると、どこか懐かしい感じのする猫に出会ったのだが……。死に別れた猫との再会を描く感動的な作品。


『第四話 毛皮を着替えて』
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 同じ猫などいない、と理屈ではわかっている。実際、友だちの家の猫とソラは、つまり兄弟でも体格や性格が違うのだ。こんなに小さくてもそれがわかる。
 なのに、アンナとソラは似ている。それはまぎれもない事実だった。だからって本当に毛皮を着替えてきたとは思えないが、偶然にしては共通点が多すぎる。
――――
文庫版p.138


 飼い猫を見ていると、実家で飼っていた猫を思い出す。見た目は違うけど、細かい仕種などそっくり。もしかして……。という悩み(?)相談を受けたミケさん。どう考えてもNNNの仕事じゃないのに、世話好きの血には逆らえないらしく……。猫カフェや居酒屋だけでなく、不動産屋から占い師まで、ミケさんの「人脈」の広さに感銘を受ける作品。


『第五話 虹の橋』
――――
 つまりここは、積極的に出ていこうと思うものも、固い意志でもって滞在しているものもいない場所なのだ。そんなこと考える必要ないんだし。猫は心地よいところでのんびり過ごせれば、それで満足。私もそうだ。
 だが、たまに「着替えて飼い主の元に戻りたい」という動物もいる。
「着替え」とはつまり、生まれ変わりたい、ということだ。生前とまったく同じに生まれ変わることはできないので、「毛皮を着替える」と言うのである。
――――
文庫版p.172


 虹の橋のたもとにあるという楽園。死んだペットの魂はここでのんびり過ごし、後からやってくる飼い主の魂と一緒に、虹の橋を渡ってゆくという。誰もが気楽にしているこの楽園に、悩みを抱えた一匹の猫がいた。ネット上で有名な詩をもとに、ある深刻な事情から飼い主との絆を信じきれない猫の迷いを描く作品。猫神様が出てきます。



タグ:矢崎存美
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『土の脈』(北村明子) [ダンス]

 2018年10月14日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って北村明子さんの新作公演を鑑賞しました。カンボジア、インドネシア、インドなどアジア各地の文化リサーチに基づいて創られた75分の舞台です。


[キャスト他]

振付・演出・構成: 北村明子

ドラマトゥルク・音楽提供: マヤンランバム・マンガンサナ(インド・マニプール)

出演: 
柴一平、清家悠圭、川合ロン、西山友貴、加賀田フェレナ、
チー・ラタナ(Amrita Performing Arts カンボジア)、
ルルク・アリ(Solo Dance Studio インドネシア)、
阿部好江(鼓童)、
マヤンランバム・マンガンサナ、
北村明子


 『Cross Transit』のときの出演者(柴一平、清家悠圭、西山友貴、川合ロン、チー・ラタナ)に、『To Belong / Suwung』に出演していたルルク・アリが再参加。「鼓童」の阿部好江さんのパーカッションが脈動を刻み、マヤンランバム・マンガンサナの詠唱というかドラマトゥルクが包み込む。総力戦のような布陣に身が引き締まる思いです。

 急に動いて、唐突に止まる。格闘技の演舞のようなシャープな動きに目を奪われます。始まったと思ったときにはもう終わっている大きく鋭い手足の動き。手のひらに打ちつけられる拳。嵐のような旋回。直線の蹴り。すげくカッコいい。

 最後まで緊張感が途切れない、研ぎ澄まされた舞台なので、観ている最中は次に何が起きるのか、どんな動きが飛び出すのか、というシンプルなわくわく感が続きます。舞台上で交わされる言葉の意味は(日本語を含めて)理解できないのですが、何となく分かるというか、言語を越えた対話と交流が見えてくるというか。

 北米公演も予定されているようですが、世界中にアジア地域共通の根っこのようなものが伝わるといいな、と思います。



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『猫のエルは』(町田康) [読書(小説・詩)]

――――
猫のエルは生きてるだけで儲け
そしてそれを仕事を怠けてぼんやり見ている人間である俺は
見ているだけで儲け
見ているだけで儲け
――――
単行本p.91


 シリーズ“町田康を読む!”第66回。

 町田康の小説と随筆を出版順に読んでゆくシリーズ。今回は、『猫にかまけて』『猫のあしあと』など猫エッセイの姉妹編ともいうべき猫短篇集。単行本(講談社)出版は2018年9月、Kindle版配信は2018年9月です。


[収録作品]

『諧和会議』
『猫とねずみのともぐらし』
『ココア』
『猫のエルは』
『とりあえずこのままいこう』


『諧和会議』
――――
「いま私はここにいる全員、と申しあげた。それは間違いがない。ただ、そう、議長がおっしゃった猫君、彼らだけは全然、会議にも出てこないし、諧和ということをまったくしようとしない。調和もしない。幸いにして進歩や発展はしておらないようですが、私たちとの会話を拒絶して無言を貫き、好き放題をやらかしている。みんなで分与しようと思っておいてあった魚肉を食べ散らかす。それでも腹が減っているのであれば許します。ところが食った直後に、ぶわあああっ、と嘔吐したりしている」
――――
単行本p.9


 人類滅亡後、言葉を獲得した動物たち。「理性と悟性によってなる諧和社会」を実現した彼らが集まって諧和会議していたところ、猫君の暴虐ぶりが議題にのぼる。遊び半分で小動物を虐殺する。「無表情で、なんともいえない虚無的な目をして」壺を割る。「割れるものは割るし、噛み砕けるものは噛み砕くし、或いは咥えていって高いところから落としたり、パソコンとかスマホなんてものは小便をかけて壊しちゃう」。このような暴挙を説得して止めさせるべきではないかという動議に対して、そもそも猫は言葉がわかるのか、という根本的な疑問が提起され議会大混乱。すぐさま調査委員会が発足するが……。

 言葉を獲得したせいで人間の駄目なところまで引き継いでしまった動物たちと、そんなもの意にも介さず自由奔放に振る舞う猫。形骸化した言葉を風刺する抱腹絶倒の動物寓話ですが、実は「猫あるある小説」ではないかと。


『猫とねずみのともぐらし』
――――
 猫とねずみは一緒に暮らしていました。ふたりは、冬になって食べ物がなくなったときに備えて、おいしい油の入った壺を買い、教会の祭壇の下においておきました。
 しかし、冬にならないうちに猫は、そのおいしい油をひとりでうまうまなめてしまったのです。
 冬になってそのことがわかり、ねずみは怒りました。
「ふたりで買った、おいしいあぶらを君はなぜひとりでなめてしまうのか。冬になって私たちの食べるものがなくなってしまったではないか。どうするつもりだ」
 そう言ったねずみの目は真っ赤でした。
 そう言われた猫の背中の皮が、びくびくっ、と震えました。
――――
単行本p.51

 グリム童話『猫とねずみのともぐらし』って、猫に対してあまりにもひどい話だと思いませんか。昔、猫とネズミは仲良く一緒に暮らしていました。ところが蓄えておいた食料を猫が勝手に食べてしまい、さらには怒って抗議したネズミまでぺろりと食べてしまいました。それからというもの、猫はネズミを見つけると追いかけて食べてしまうようになったのでした、おしまい。……、それはあんまりだろう。

 というわけで、大技を使って、猫は何も悪くないネズミが一方的に悪い、という大逆転をキメてみせた猫びいきパンク童話。


『ココア』
――――
 猫は静かな悲しみに満ちた、でも、静かに怒っているようでもあり、同時に、静かにふざけているような、しかし最終的な印象はおまえはそんなことでいいのかと批判しているような感じのまん丸な眼で私をじっと見ていた。
 よく知っている眼だった。
 こんな眼で私を見るものはこの世にひとりしかいなかった。私方に二十二年間住まった錆猫、ココアである。
――――
単行本p.79


 猫と人間の立場が入れ替わった世界。そこに迷い込んでしまった語り手が、野良人としてひどい目にあい死にかけていたところを、かつての飼い猫ココアに拾われる話。野良猫の生活がどれほど厳しいものか、人が猫に対してどれほど酷薄にふるまうか、それを身をもって体験することになります。「野良猫はのんびり日向ぼっこしているだけの気楽な生活でうらやましいなあ」などと素朴に思っている人に、ぜひ読んでほしい一篇。『猫にかまけて』の読者はきっと泣く。


『猫のエルは』
――――
医師は、医学的には死んでいる、と言った
妻が医師に、まだ生きて動いているものを死んでいるというのが医学的
立場だとしたら医学になんの意味があるのか、と言った。
医師は、やってみる、と言った
そしてエルは助かった
奇蹟を体験した
私は運転をしながら泣いた
妻も泣いた
エルはキャリーケースのなかでぼんやりしていた
――――
単行本p.90


 保護した直後に死にかけ、奇跡的に生き延びた子猫、エルを讃える詩。『猫のあしあと』の読者はきっと泣く。


『とりあえずこのままいこう』
――――
 俺は廊下を横切り、和室に行き、床柱にマーキングをし、掛け軸に登って、座布団で爪研ぎをした。そんなことをしてなにになろう。なににもならない。ただ愉快なだけだ。でもいいじゃないか。ドンドンパンパンドンパンパンで行こうじゃないか。霊魂だって猫だって。俺はかつて家の人が好きだった。大分忘れたけど好きだった。そしてこの後、それも忘れてしまうかも知れない。でもいいじゃないか。いまはまだ覚えているし、思い出すことができる。いまは一緒に居ることができている。それでいいではないか。だから俺は、とりあえずこのままいこう。それ以上のことを望むことはできないし、望んだって叶わない。というか自分がなにを望んでいるのかもわからない。だから、とりあえずこのままいこう。
――――
単行本p.129


 死んでしまった犬が、生まれ変わって飼い主に再会する。しかし何ということか、猫に転成してしまったため、行動は猫そのもの。落ち着いた理知的な犬だった頃の記憶も次第に薄れ、ドンドンパンパンドンパンパン、猫大暴れ。でも再会できたからいいじゃないか、生きてるんだからいいじゃないか。『スピンクの笑顔』の読者はきっと泣く。



タグ:町田康
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