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『きっとあの人は眠っているんだよ 穂村弘の読書日記』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 もしも、本というものの存在しないパラレルワールドに瞬間移動したら、と想像すると不思議な気持ちになる。仕事も友だちも妻も持病も煙のように消え去ってしまうのか。そこでの〈私〉は、まったくの別人だ。人によっては、本のない世界に移動してもほとんど人生が変わらないってケースもあるだろうに。パラレルワールドの〈私〉は日々の暮らしの中で、ふと思う。この世界には何かが足りない。時には狂おしいほど強く、そう思う。でも、その何かが何なのかは決してわからないのだ。
 私は本のある世界に生まれたことに感謝すべきなのか。きっと、そうなんだろう。でも、始めからずっとここにいるから実感がない。そして、今日も当たり前のような顔で本を読んでいる。
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単行本p.312


 世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。
 歌人である著者がこれまでに書いてきた読書日記から傑作を選んだ一冊。単行本(河出書房新社)出版は2017年11月です。

 『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』と同時刊行された一冊で、書評というよりは最近読んだ何冊かの本を取り上げて、そこから触発されて考えたことを書き綴った、まあエッセイ集です。ちなみに書評集の紹介はこちら。


  2018年02月22日の日記
  『これから泳ぎにいきませんか 穂村弘の書評集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-02-22


 本書ですが、まずはいつものように「自分の暮らしのへろへろぶりと、そうでない何かしゅっとした生き方への、漠然とした憧れ」みたいなことを書いた部分が、やはり印象に残ります。


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 現実の自分の生活とは、ツナの缶詰を開けてマヨネーズとぐりぐり混ぜながら、「ツナとシーチキンってどう違うんだろう」と考えるような暮らしのことだ。
 ツナマヨネーズご飯よりも美味しいものが想像できない。確かに寿司も焼肉もいいけど、ツナマヨネーズご飯よりも圧倒的に美味しいか、と云われると疑問だ。値段の差を考慮すると、むしろツナマヨネーズご飯の勝ちではないか。
 そんな私は、けれど、自分がいる世界に満足することができない。何故だか知らないけど、コカ・コーラのコマーシャルのようなきらきらした青春に参加してみたいのだ。
 でも、どうやったら「あの世界」に行けるのか、わからない。現実にあるのかないのかも不明な世界に憧れ、憎みながら、じたばたしているうちに四十九歳になってしまった。老眼だ。
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単行本p.57


 SFやミステリーに対する歌人らしい受け止め方も。


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 この本があんまり良かったので、ネット上のレビューを探して読んでみた。他の読者と喜びを分かち合おうと思ったのだ。
 ところが意外にも辛口の感想が多かった。特に目についたのは「人間が描けていない」的な評言だ。うーん、と思う。おそらくそれは「この世界を抽象で塗り替えたい」という願いに対する具象的世界からの反発なのだろう。
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単行本p.83


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 解かれる謎の背後にもうひとつの解けない謎をもったミステリーのことをさらに考える。このタイプの永遠の謎を秘めた作品が、私には「ミステリーの姿をした詩」のように思えるのだ。
 その逆に、或る種の韻文の傑作が「詩の姿をしたミステリー」に思えることもある。
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単行本p.105


 現実世界や「普通の感性」から、どこかズレている、というか、距離を感じてしまう自分について。


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 自分自身の感受性が変質していることに気づく。子供の頃、テレビの中の正義の味方はどこを切っても金太郎飴のように正義の味方だった。でも、今の私は、「ダーク」でないヒーローやヒロインに対して、ほとんど反射的に不信感を持つようになっている。
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単行本p.215


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そもそも「ふつう」からズレた世界像とは、何のために存在するのだろう。それは無数に分岐する未来の可能性に、我々が種として対応するための準備ではないか。「ふつう」でない世界像の持ち主は「宇宙人」というよりは「未来人」なのだ。
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単行本p.114


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 自分には現実世界のポテンシャルつまり本当の凄さを味わう能力がない、というか、感受のレベルが低く抑えられているように思う。日常の全てにうっすらと膜がかかっていて、しかも、その状態をリアルと見なす癖がついている。単に鈍感というだけでなく、現実世界の側からの要請というか、そうしないと、生き続けてゆく上で都合が悪いのだろう。
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単行本p.271


 そしてもちろん、詩歌について。


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 世界を沈黙が埋め尽くす時、散文の言葉はもはや機能できない。それが生み出すものは、現実の似姿だからだ。そんな時のために詩がある、というか、石原吉郎にとっては、そこには詩しかなかったのだ。その絶対零度の必然性に痺れる。
 詩の存在に意味があることを確認できて嬉しい。と同時に、今度は本物の詩の条件を充たさない自分自身の言葉が不安になる。
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単行本p.237



タグ:穂村弘
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