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『偶然の聖地』(宮内悠介) [読書(小説・詩)]

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#009
【わたしの長い夏】本書は2014年の11月から2018年の8月にかけて、いまはなき「IN POCKET」誌で連載された。一度の原稿が五、六枚と、長い連載になるということがわかっていたので、自然に出てきたのがこのフレーズ。何を書いていたか忘れても大丈夫な話作りを目指し(円城塔さんも何かで同じようなことを発言しておられた)、そのつどぼくが考えていることや、体験したこと、読んだものなどがそのまま地層のように出現する。
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単行本p.12


 最後の秘境として、あるいは世界最大の不具合(バグ)として知られるイシェクト山。そこに辿り着けばありとあらゆる願いが叶うが、等価交換で何かを犠牲にしなければならないと云われている。それぞれの理由でイシェクト山を目指す四組のチームをめぐる冒険物語にして、スパゲッティ化した世界コードを修正するデバッグ小説、膨大な数の注釈により自身を解説する語り、著者が自らの過去について割と饒舌に語ってくれるエッセイでもあるという、ひたむきに奇書たらんとする贅沢な奇書。単行本(講談社)出版は2019年4月、Kindle版配信は2019年4月です。


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 イシェクト山は最後の秘境と呼ばれるだけあって、麓への道のりは友人に訊いても教師に訊いても知らぬと言う。そもそも地図にも載っておらず、試みに検索してみても、イシェクトではイスラム原理主義の勢力から逃れたバハーイー教徒が原始共産制の村を築いているだの、そこで収穫された杏は腐らぬだのと眉唾物の話ばかりで、いざ行きかたとなると、誰もはっきりしたことは書かないのであった。
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単行本p.13


 誰も正確な場所も行き方も知らないという秘境、イシェクト山。そこに辿り着くのは容易ではないが、しかし到達すればあらゆる願いが叶うという伝説の山。


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 麓への山道が出現するかどうかは運によって左右され、すぐに麓に辿り着けたという者もいれば、査証(ビザ)を幾度も延長しながら、ついに山の姿さえ見られずに帰国した者もいる。生年月日や月の位置が関係するとも言われ、近辺には巡礼者のための占い師もいるが、英語が通じる占い師はそのほとんどが偽物とのことであった。
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単行本p.12


 ある者は、親子三代にわたる家族の秘密を知るために、相棒と共にイシェクト山を目指す。


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 突然サンフランシスコの菓子屋をCIAの職員が訪れ、朗良がゲリラ組織の義勇兵を騙るという危険な方法でシリアからイシェクトへ入ったことが明らかになった。
 ところで祖母の郷里には、琵琶湖の底がワームホールによってイシェクトと繋がっているという伝説が残されており、それならなぜイシェクトが琵琶湖の水によって水浸しになったり山中で鮒寿司が発見されたりしないのかという疑問はさておき、失踪事件ののちに祖父の愛用のカメラが琵琶湖の岸に打ち上げられ、内部のフラッシュ・メモリには確かにイシェクトの山腹らしき画像が残されていたので、なるほどCIAの調査は正確であったと勇一は唸った。
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単行本p.10


 またある者は、かつてイシェクト山で失ったものを取り戻すために、相棒を連れてそこに戻ろうと試みる。


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 人の望みを等価交換で叶えるというあの山、イシェクトの七合目付近でウルディンは滑落し、戻らなかった。そして、ここまで来たからには山を登ってみようと言い出したのは、ほかならぬティト自身であったのだ。何かを得れば何かを失い、そして失ったものは戻らない。それは数々の神話が示す通りだ。求めていたものが、往々にしてそもそも間違っていたという点まで含めても。してみると、ふたたびイシェクトへ戻ろうとするティトの行為は、ことによると、神話への叛逆であると言えるかもしれない。
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単行本p.160


 刑事とその相棒は、イシェクト山に先回りすることで容疑者を確保しようとする。


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「具体的には、パキスタンへ行ったと見せかけて、まったく別の第三国へワープする。たとえば、イスラエルとかそういう国に」
「人間はワープできません」
「イシェクトだ。この付近でよく聞かれるイシェクト山の伝説は知ってるな――そのなかに、山を登って下りたら、遠い別の国にいたという証言がある」
「伝説でしょう。聞いたことならありますが……」
「この場合、別にイシェクトが実在だろうと捏造だろうとかまわない。容疑者がそれを信じていたとする。するとどうなる? 川を渡って匂いを消すように、イシェクトを経由して第三国へ行こうと考えるのは、まったく自然な思考だと思わないか?」
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単行本p.182


 世界と存在の不具合(バグ)を修正するのが仕事の世界医は、相棒と組んで最大のバグであるイシェクト山を修正する決意を固める。


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「この世に残された、最後の特Aランクのバグ――そう言えばわかるな」
「イシェクトですね」
 やや生気の戻った声とともに、泰志がこちらを見た。
「気は進みません……。いや、気は進まないのですが、何かが漲ってくるのがわかります。きっとぼくは、ずっとこのときを待っていたのでしょう」
「そうだろうとも」
 プラスチックの水のコップを手に取り、ロニーは口を湿らせた。
「世界医であるとはどういうことか? バグを取り除くとは、究極的には何を意味するのか? そんなもん、一つしかなかろうよ。世界医の誰もが一度は考えつつも、あえて口に出さないこと――この不条理な法典(コード)をもたらした神を、殺すことだ」
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単行本p.169


 それぞれに譲れぬ動機に突き動かされ、イシェクト山を目指す四組のパーティ。彼らが結集したとき、何が起きるのか。そして彼らを待つ運命とは。


 というような真面目な冒険小説として読んでも面白いのですが、何しろ作品そのものがスパゲッティのように絡まってゆくので一筋縄ではデバッグ(解読)できません。


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「小説ですよ。見ての通り、イシェクト山を目指す人々の話です。具体的には、ティトと相棒のレタ、そしてルディガーという刑事と相棒のバーニーの話を、このぼくが書く」
「この“わたし”ってのは誰だい」
「作中作の人物です。レタとバーニーがそれぞれ作中で書くのが、イシェクトを目指す“わたし”の話。言うなれば、作中作においてダイヤモンド継承が発生している仕組みです。
「二人ともが同じ話を書くのか? 偶然?」
「細かいことはいいんです。レタもバーニーも、ぼくが勝手に書くキャラクターなんですから。途中、“わたしB”なるものが登場して、それがいわば著者なんですが、虚構のなかの虚構なのでそれも存在しない」
 タブレットをかざしたまま、二度、三度とロニーが瞬きをした。
「また面妖なものを作るな。それじゃ“わたし”はバグの温床じゃねえか。可哀想に」
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単行本p.207


 そして、ソースコードの可読性を高めるために、あちこちに点在している膨大な注釈がまた独特の味わいを醸しだします。


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#006
【怜威(れい)】この時点で怜威が男性か女性かを素で考えておらず、編集さんに「どっちですか」と問われて「あっ」と思った。男女の入れ替わりトリックではない。ちなみに、ぼくは女性に生まれればレイと名づけられたらしい。理由は、海外でも通用しやすいからとのこと。
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単行本p.11


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#114
【ジェームズ・クエンティン】だいたいお察しのことと思いますが、このへんの人たちのことは憶えなくても差し支えありません。
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単行本p.113


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#135
【同僚と職場を抜け出して食べにいったものだ】内幕を明かすと、本作は「月に五、六枚くらい、エッセイと小説の中間のようなものを」という担当さんの依頼を受けてはじまったものである。エッセイであれば、待ってもらっている別の版元への言いわけも立つだろうし、月の家賃の半分くらいにはなる。あにはからんや、連載は小説そのものとなり、この第二十一回を書いていたころ当初の依頼を思い出し、そういえばそうだったと随筆を書いた。
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単行本p.129


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#297
【ロニー“シングルトン”の二択】この章の掲載を最後に、掲載誌である「IN POCKET」は力尽きてしまったのでした。実のところ、いつ終わるかわからないという話は聞いていたので、なかば願掛けのように、次の章への引きを入れるようにしていた。ところがそれが災いし、すごいタイミングで連載が終わってしまったのだった。
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単行本p.299


 ストーリーと同時並行して執筆の内幕をばらしつつ、さらに内容とは無関係なエッセイもどんどん混ざってきたり。


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#070
【演繹(えんえき)】昔mixiというSNSが流行っていたころ、後輩から「宮内さんは(言ってることは滅茶苦茶なようだが)演繹して書いています」と言われた。括弧内は被害妄想かもしれないが、ぼくの持論として、被害妄想というのは、おおむね当たるようにできている。
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単行本p.75


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#128
【夢の状況を自分の思い通りに変化させられる】デビュー前のプログラマ時代は小説を書くための時間が取りにくく、睡眠時間を利用すべく、明晰夢を用いて脳内のワープロで原稿を書き、起きてから入力するということをした。だいたい原稿用紙にして数枚は持ち出すことができる。それにしても身体に悪いことをやっていたものだと思う。
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単行本p.121


 これで破綻しないところが豪腕というか何というか。プログラマー、バックパッカー、帰国子女、ジャンル越境作家、など作品そのものによって自身を表現したような一冊で、ファン必読の奇書といえます。



タグ:宮内悠介
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