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『世界をまどわせた地図 伝説と誤解が生んだ冒険の物語』(エドワード・ブルック=ヒッチング、ナショナル・ジオグラフィック:編集、関谷冬華:翻訳) [読書(教養)]

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 これから皆さんに世界各地の数々の地図をお目にかけよう。ただし本書は、存在が信じられながらも、実在しないものを記した地図ばかりを集めている。国、島、都市、山脈、川、大陸、種族など、ここで紹介するものはどれもまったくの絵空事だ。しかしかつて、場合によっては何世紀にもわたって、これらは実在すると信じられていた。なぜだろう? それらが地図に描かれていたからだ。

 歴史を振り返れば、地図の誤りはそのままにされることが多かった。おそらく、ちょっとした間違いは大した問題ではないと考えられていたのだろう。だが、海図に堂々とカリフォルニアが島として描かれていたら、あるいは北極に磁気を帯びた謎の巨大なルペス・ニグラ山があったら、さらに、パタゴニアを9フィート(2.7m)の巨人の国として紹介した地図があったら、これらの想像上の土地に行ってみたくはならないだろうか。このような地図はいかにして生まれたのだろう? なぜこれほどまでに広く信じられてきたのか? そして、まだ誰も知らない幻の場所がほかにも存在するのではないだろうか?
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単行本p.8


 多くの航海者に目撃され、記録され、長年に渡って地図に記されてきたのに、存在しないことが判明した幻島。実在を信じる多くの探検家や冒険家を惹きつけた幻の都市。130点を超える美しい古地図・図版とともに、地図に描かれ実在が信じられてきた「幻の場所」とそれをめぐる数奇なエピソードを集大成した一冊。単行本(日経ナショナルジオグラフィック社)出版は2017年8月です。


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 実際に19世紀以降でも、実在すると思われてきた場所がある。例えば、サンゴ海東部のサンディ島(セーブル島)は1876年に捕鯨船によって初めて記録され、1世紀以上にわたって正式な海図にも掲載されていた。最終的にこの島が存在しないことが確認されたのは2012年11月で、最初の「目撃」から実に136年もの時間が経っていた(グーグルマップの登場から数えても丸7年が経っていた)。
(中略)
 私たちのまわりの世界がどれほど確かなもののように思えたとしても、その奥には秘密が隠れている。もっともらしく壁に掛けられた、ありふれた印刷地図の中に、いったい、どれほどの幻が潜んでいるのだろうか。どんな架空の島、幻の山、想像上の国が事実としての仮面をかぶり、発見されないまま時が過ぎ去るのを待っているのだろう?
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単行本p.9、11


 というわけで、かつて地図に描かれ実在が信じられていたが、存在しないことが後になって判明した幻の土地と、その土地にまつわる伝承、その土地を探し求めた人々、その土地の噂が引き起こした騒動、などを集めた本です。各項目には美しい古地図などが掲載されており、ぱらぱらめくるだけで興奮してきます。

 島や山脈だけでなく、地球平面説に基づいて描かれた世界地図、アトランティス・レムリア・ムー大陸の地図、大海蛇などの怪物、謎の種族などの紹介なども含まれているので、オカルト好きの方にもお勧め。

 各項目で紹介されている様々なエピソードにも心惹かれるものがあります。


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 特に奇妙な症状を示したのは、1917年に「アトランティス公国」を建国したジョン・L・モット率いるデンマーク人のグループだ。戦乱のヨーロッパから逃れるため、彼らはフロリダの南西200マイル(320km)、北緯8度のパナマとコスタリカの沖合3マイル(5km)に位置する群島に移住し、自分たちの国として「アトランティス及びレムリア公国」を宣言した。米国国務省は、1930年代から1950年代にかけて様々な相手とアトランティス公国の問題に関してやりとりしており、その20年分の行政記録からアトランティス公国にまつわる事実が明らかになった。
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単行本p.29


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 広く信じられているもう一つの説は、米国が油田の権利を手中に収めるために、米国の中央情報局(CIA)の手で島全体を破壊させたとするものだ。2000年11月には、メキシコの与党である国民行動党(PAN)の上院議員6人が、島が意図的に消滅させられた可能性について「濃厚な疑い」があると議場で発言した。1998年、PAN党の議長ホセ・アンヘル・コンチェロは、ベルメハ島が実在する可能性を追求するためにさらなる調査を要求した。その直後、車で連れ去られたうえに殺害され、犯人が捕まらなかったため、陰謀説はさらに広まった。
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単行本p.40


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 地図でマリア・テレサ礁は、同じ海域にあるという数々の岩礁、例えばジュピター礁やワチュセット礁、エルネスト・ルグベ岩礁などと一緒に描かれていることが多い。これらはすべて実在しないが、最新の地図にもときおり姿を見せている。例えば、エルネスト・ルグベ岩礁は2005年発行のナショナル・ジオグラフィック世界地図に掲載されており、本書の執筆時点ではグーグルマップの南緯35度12分、西経150度40分のところに表示されている。
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単行本p.157


[目次]

アニアン海峡
アンティリア
アトランティス
オーロラ諸島
オーストラリアの内陸海
ベルメハ
ブラッドリー島
バス島
セサルの都市
カルタ・マリナの海の怪物たち
カリフォルニア島
カッシテリデス諸島
クロッカー島
クロッカー山脈
デイビス島
悪魔の島
ドハティ島
地上の楽園
エルドラド
地球平面説
フォンセカ
フォルモサ
扶桑
ガマ島とカンパニーズ島
グレート・アイルランド
ラオンタン男爵の長い川
グロクラント
ハイ・ブラジル
大ジャワ島
フアン・デ・リスボア島
カラハリ砂漠の古代都市
コング山脈
朝鮮島
レムリア大陸とムー大陸
マリア・テレサ礁
メイダ
ムーン山脈
ベンジャミン・モレルの島々
ノルムベガ
ニュルンベルク年代記の地図の不思議な種族
パタゴニアの巨人
ピープス島
ポヤイス島
プレスター・ジョンの王国
リピィーアン山脈
ルペス・ニグラ
聖ブレンダンの島
ニューカレドニアのサンディ島
サンニコフ島
サタナゼ島
ザクセンブルク島
西の海
タプロバナ
南方大陸
トゥーレ
海に沈んだビネタの都
ワクワク
ゼノの地図の幻の島々



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『マチュラン・ボルズ公演』 [ダンス]

 2018年9月24日は、夫婦でKAAT神奈川芸術劇場に行って、フランスのサーカス・アーティスト、マチュラン・ボルズによる二本立て公演を鑑賞しました。


La marche
『ラ・マルシュ』(マチュラン・ボルズ)

 マチュラン・ボルズによる15分のソロ作品。舞台上に設置された、巨大な「ハムスターの回し車」の中に入って歩くボルズ。ハムスターと同じように、ずんずん歩いて回し車を回転させるところから始まって、次第に様々な「歩行」方法を試してみます。

 歩行や散歩に関するテキストが録音で読み上げられるなか、歩行はどんどんアクロバティックな動きになってゆき、やがて英国“ばか歩き省”からスカウトされそうな具合に……。


ALI
『アリ』(マチュラン・ボルズ、エディ・タベ)

 二人による25分のデュオ作品。薄暗い照明、再び「歩行」を始めるボルズ。今度は二人組です。二人とも両腕にロフストランド杖(腕に装着する歩行補助杖)をつけており、それを使ってスムーズに歩き続けるのですが、どこか違和感が。あまりにもスムーズに歩行しているので気づくのが遅れたのですが、何と脚が全部で三本しかない。つまり、「二人三脚」なのです。

 若いころに癌で左足を切除したというエディ・タベは、片足だけのジャンプ後方宙返りといった驚くべきアクロバットを披露して観客の度肝を抜きます。二人で組んで様々なアクションをとるうちに、健常者と障がい者の区別がなくなってゆくところがポイント。二人が重なっていると「中央の脚」がどちらのものであるかが分からなくなる錯視効果も凄い。

 二人の関係は決して「仲のよい友人」でも「障がい者とそれを支える健常者」でもなく、むしろ険悪で、ときに喧嘩や仲違いも起こします。しかし、二人が様々な二人三脚アクションを通じて身体と身体をぶつける無言の会話を続けるうちに、そこにある深い信頼や敬意が観客に伝わってくるのです。

 フィジカルなバランス感覚だけでなく、見世物にも感動ポルノにもしない演出のバランス感覚も素晴らしい。人間の強さをストレートに見せてくれるパフォーマンスでした。



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『新作2018 トリプルビル』(カンパニー・オブ・エルダーズ、サドラーズ・ウェルズ劇場) [ダンス]

 2018年9月23日は、夫婦で彩の国さいたま芸術劇場に行って、高齢者舞台芸術の祭典「世界ゴールド祭2018」の一環で招かれた英国の高齢者ダンスカンパニー「カンパニー・オブ・エルダーズ」の新作公演を鑑賞しました。


 サドラーズ・ウェルズ劇場プロデュースによる、60歳以上の高齢者が所属するダンスカンパニー「カンパニー・オブ・エルダーズ」。そのメンバーのうち11名が出演する3つのダンス作品が上演されました。舞台の合間には、関係者へのインタビューなどのショートフィルムが上映され、それらを含む公演全体の上演時間は1時間弱でした。


Fragments, Not Forgotten
『断片-忘れることのない記憶』(振付:シータ・パテール)
出演者11名、上演時間10分。


A Tentative Place Of Holding
『テンタティブ・プレイス・オブ・ホールディング-永遠の生に向かって』(振付:エイドリアン・ハート)
出演者11名、上演時間12分。


Abyss
『深い淵』(振付:ディクソン・ンビ)
出演者11名、上演時間11分。


 体力の問題が大きいのでしょうが、いずれも10分程度の短い作品です。ダンステクニックで観客を圧倒するようなものではありませんが、足を踏み出す、手を挙げる、他人の肩に手をかける、振り向く、うつむいて無言で佇むなど、一つ一つの動作から各人が重ねてきた歳月と人生の重みが切実に感じられて、静かな感動がわきあがってくるパフォーマンスです。

 同時に、「高齢者に何をどう表現させるか」という課題に挑戦した英国の若き振付家たちの回答を、高齢者である自分が(上から目線で)評価する(ほほう、高齢者の心境を若者はこういう感じに想像したのか、ふーむふむ)という体験を楽しんだり。

 個人的に最も気に入ったのは、ディクソン・ンビ振付の『深い淵』で、出演者全員が光のなかに集まってゆくラストは鳥肌ものでした。



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『私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり』(”note”掲載 2018年9月20日) [読書(随筆)]

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文学で描かれた陰翳とはまさに文学の力、かすかながらの光という「リアリティ」の厚み、生命そのものなのだ。つまり現実の読者がそれを支えにするケースはあるとしても、読者が主人公に自らを重ねるとしても、現実と虚構は分けるしかない。なおかつ、虚構がデマ、ヘイト、差別助長のためにひどく使われるなら心ある人は怒るしかない。
 そもそも性だけの問題なのか。尊厳の問題だ。しかも社会との関係性の問題である。人は光を求める。社会的存在である。光の下で、好きな人と暮らしたい。
 というかこの痴漢擁護論考、文学についても全体についても論考とも何とも呼べぬ低劣さである。何も言っていない。すべてを貶めて卑怯犯罪や猥褻語で汚し、下劣な一人合点をしているだけだ。
 あるいは最初から痴漢被害者をも侮辱するつもりだったのかも。
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【笙野頼子さんの抗議】より


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第120回。

 「笙野さんと怒りを共有し、声をあげます」(北原みのり)
 北原みのりさんと笙野頼子さんが共同で『新潮45』に対する抗議文を”note”に投稿しました。以下のリンクから全文読めます。

  『私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり』(”note”掲載 2018年9月20日)
  https://note.mu/minorikitahara/n/n10df59ba7103

 文中で触れられている『ウラミズモ奴隷選挙』は、来月(2018年10月)出版予定の最新長編です。「文藝」掲載時の紹介はこちら。

  2018年07月09日の日記
  『ウラミズモ奴隷選挙(「文藝」2018年秋号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-09


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思考密度はゼロ、論考としての流れすら立っていない。というか、すべてまぎらかし。結局は性犯罪者の不当擁護と性被害者、差別被害者への自己責任論、さらには顧客を意識してなのか保守エロ語の連発、そこだけがテカテカとどや顔になっている。別に確信犯とか言うレベルでなく、まさにお仲間のいる状況で安心して放つ、本人の「人間性」……、あっ。

 そう言えば、最近ので似たようなのをひとつ思い出した。
 現総理の「テニスや将棋なら」いいのかというあの言説である。主語を違え、論点をずらし、よそごとを言いながら、白目を剥いて胸を張っている。見ていられない。まあ「壮大な宇宙的展開」はついてなかったけど。同じものと言える。
 それはかびの生えた、だだもれ、口先だけその場だけ、言いこしらえれば実態はどうでもいいという、「ひょうげんがすべて」、妖怪ひょうすべの、ひょうすべ節である。
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【笙野頼子さんの抗議】より


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杉田水脈は大学生の頃、偶然、土井たか子さんの演説の場に出会う。当時の総理大臣よりも人気があり、切れのある演説する土井さんの格好良さに憧れたという。その数年後に杉田は土井たか子さんの演説を聞き、妊娠中だった彼女は「お腹をなでてほしい」と土井さんに頼んだという。
私は杉田水脈とほぼ同世代だ。あの当時、山を動かそうとした土井さんの力を、若い女として見上げるように眺めていた私と杉田水脈は、もしかしたら同じ目をしていた。なんという皮肉なのだろう。ものを言う議員に憧れた杉田水脈が、性暴力被害者の口を塞ぐ声をあげ国会議員のバッチをつけているとは。「山は動いた」あの年から、平成のまるまる30年間。この社会が第二の土井たか子を育てるどころか、杉田水脈を産んでしまうとは。
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【北原みのりの抗議】より


 直接的にヘイトのターゲットにされている人々の苦しみ、怒り、絶望には到底およばないのは当然としても、尊厳を傷つけられる痛みや怒りは、どマジョリティ日本中高年男性のそれであっても、通じるものがあるはず、と思いたい。すべての人、というか人というものが侮辱され愚弄されてるんだよ、今ここで。

 とはいえ覚悟のない言葉を放ってもすぐ捕獲され弱い立場の人々を踏むのに利用されてしまうので、せめて捕獲耐性の強い強靱な怒りの言葉を広める手助けをしたい。どうか抗議文を読んで下さい。そして来月出版される『ウラミズモ奴隷選挙』を読んで下さい。『水晶内制度』と違って河出書房新社から出版されるので、葛藤なしに購入できます。

 もう一度、リンクを貼っておきます。

  『私たちは抗議する 笙野頼子・北原みのり』(”note”掲載 2018年9月20日)
  https://note.mu/minorikitahara/n/n10df59ba7103

  2018年07月09日の日記
  『ウラミズモ奴隷選挙(「文藝」2018年秋号掲載)』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-07-09



タグ:笙野頼子
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『ディス・イズ・ザ・デイ』(津村記久子) [読書(小説・詩)]

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 自分がただフィールドを眺めながら人々の声と熱を受信する装置になったような気がした。そして瞬間の価値を、本当の意味で知覚しているような思いもした。人々はそれぞれに、自分の生活の喜びも不安も頭の中には置きながら、それでも心を投げ出して他人の勝負の一瞬を自分の中に通す。それはかけがえのない時間だった。
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単行本p.345


 サーカー2部リーグ、22のチームが今年最後の試合に挑む、その日。見守るサポーターたちには、それぞれに理由があり、事情があり、人生がある。様々な人々がサッカースタジアムで交差する瞬間をドラマチックに描いた連作短篇集。単行本(朝日新聞出版)出版は2018年6月です。


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 自分はこのチームに勝って欲しかったのだ、と思った。どれだけしょうもない試合をしても、でも最終的に勝つところをどうしても見たいと自分は思っていたのだ、とヨシミは気が付いた。両目が痛くなった。涙が出そうだったが泣かなかった。
 改めて、わけのわからない気持ちだと思った。なぜ縁もゆかりもない、勝ったからといって自分に何の利得もないこのチームに、どうしても勝って欲しいと思うのか。それはおそらく、ヨシミがこのチームを好きだからなのだけれども、そもそもどうして人間は、サッカーチームなんてものを好きになるのか。
 わからない、と思いながら、ヨシミはピッチを見つめていた。
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単行本p.93


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 初めて行くゴール裏の自由席で、男も女も叫んで歌う阿鼻叫喚の只中で、息をすることもままならない状態で試合を観た。真冬で、雨が降りしきっていた。結果はどうあれ解散は決定しているのに、ヴィオラ西部東京のサポーターたちは必死だった。寒さと雨の中で、ほとんど苦しみたがっているとすら言えるような様子で。
(中略)
 その試合終了時の様子を、誠一はもうずっと忘れることができないでいる。ヴィオラの選手たちは、濡れた芝生に両手と両膝を突いていた。雨に打たれて這いつくばっていた。誠一はそれから、幾度となくそういう場面を見たし、実はよくあるものであることを今は知っている。しかし、すべてに違う当事者と理由が存在することも知っている。あのヴィオラの終わりは、誠一には永遠だった。かけがえのない、誠一のチームの終わりだった。
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単行本p.114


 人はなぜサッカーに惹かれ、特定チームを熱心に応援するようになるのか。観戦する喜び、応援する高揚、スタジアムで食べるくいもんの美味さ、グッズ入手の楽しみなど、サッカー選手ではなくサポーターたちに焦点を当てた物語が語られてゆきます。サッカーに関する知識は特に必要ない、というよりむしろサッカーに興味のない読者に魅力を伝えてくれる、サッカー観戦入門書としても有効な連作短篇集です。


[目次]

第1話 三鷹を取り戻す
第2話 若松家ダービー
第3話 えりちゃんの復活
第4話 眼鏡の町の漂着
第5話 篠村兄弟の恩寵
第6話 龍宮の友達
第7話 権現様の弟、旅に出る
第8話 また夜が明けるまで
第9話 おばあちゃんの好きな選手
第10話 唱和する芝生
第11話 海が輝いている
エピローグ 昇格プレーオフ


『第2話 若松家ダービー』
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「琵琶湖いいチーム」
「うん。いいチーム」
 仁志の言葉に、供子は同意する。圭太がひきつけられたのも無理はないだろう。だからといってじゃあ自分はどうか、琵琶湖を応援できそうか、というと、それはまったく違う話だというのも、供子にはわかった。妙なたとえだけれども、自分たちが犬だとしたら、クラブは飼い主のようなものなのかもしれない、と供子は思った。犬は飼い主を選べない。圭太は真の泉大津のサポーターではなかったということだろう。そしてこれからは、琵琶湖と苦楽を共にしていくのだろう。
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単行本p.64


 息子が隠し事をしている……。
 自分の息子が琵琶湖トルメンタスを応援するために滋賀のスタジアムに通っていることに気づいた両親。うちは家族でずっと泉大津ディアブロを応援してきたのに、いったいなぜ……。でも本人が決めたのなら、母親に何が出来るだろう。せめて息子を安心して託せるチームかどうか家族で確認に行こう。でも妹は言うのだった。サッカーもういい、わたし女子バスケの試合を見に行くから……。当人たちにとっては深刻だが、どこかおいおいと突っ込みたくなる「家族崩壊の危機」を大真面目に描いた作品。


『第3話 えりちゃんの復活』
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 ヨシミが新しい技術に手を染め、髪を切り、色を変え、自転車通勤が板に付いてくることは、鶚が負けていることの証明でもあった。ヨシミは、できれば何も変わりたくなかったのだが、鶚が思ったよりだめなので、遠いところまで来てしまった。本当はこれ以上何かを始めたくないのだ。ヨシミはただ、鶚の試合を観ることが自分にとって気晴らしだった頃に戻りたいとずっと思っている。今は、気晴らしが気晴らしでなくなり、さらにそれのための気晴らしを求めてさまよい歩いているような状態だった。
 えりちゃんは、そんなことは露知らず、ラリエットを首に巻いてブローチをジャケットに付け、もうすぐ着くよ、などとうれしそうに言う。とてもいい子だと思う。どうしてこんな子がひきこもり状態になっていたのか、ヨシミは改めて不思議に思った。
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単行本p.79


 ひきこもりになってしまった知り合いのえりちゃんと一緒に、サッカー観戦に行くヨシミ。試合はしょぼいし、天気は最悪。でも、ひいきのチームを応援することで立ち直ってゆくえりちゃん。一方、ヨシミは自分が応援している鶚ことオスプレイ嵐山の低迷により、色々と人生が迷走気味。もう鶚はあかん、負けてもいい、どうでもいい、と思っていたヨシミだが、ついに鶚にチャンスがやってきたとき……。サッカーチームや選手を応援することで与えられる力を感動的に描いた作品。


『第4話 眼鏡の町の漂着』
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 誠一は、一時的に人のいなくなった芝生を眺めながら、ヴィオラ西部東京の最後の試合のことを思い出していた。雨の中の選手たちのことを、泣いていた、あるいは、呆然と立ち尽くしていた、あるいは、両手で顔を覆ってうつむいていた周囲の人々のことを考えていた。大人も、老人も、子供も、女も、男もいた。自分もその一人だった。
 自分はずっとそこにいるのだ、と誠一は思った。(中略)さまざまな喜びやつらいことやどちらでもないことの中を通ってきながら、誠一の半分はずっとそこにいるのだ。
 その十七歳の誠一がずっと見つめている残像の最後の一片が、今日でなくなってしまうのかもしれなかった。
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単行本p.121、122


 手ひどい失恋をして、思い出のスタジアムに通う香里。解散したチームの最後の選手を追いかけている誠一。それぞれに引きずっているものを抱えた男女の、スタジアムでの出会いを描いた作品。


『第7話 権現様の弟、旅に出る』
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 壮介は大きくうなずいて、権現様の弟のかしらがしまわれた箱を両手に抱えながら、スタジアムを後にした。
 自分が頭を嚙んだところで、柳本さんの怪我が早く治るわけではないかもしれないのはわかっていた。それでも、自分はそのことを願っているんだということが柳本さんに伝わればいいと思った。伝わっても伝わらなくても柳本さんの回復とは厳然と関係はないのだけど、あらゆる僥倖の下には、誰かの見えない願いが降り積もって支えになっているのではないかと、壮介はこの九か月を過ごして考えるようになっていた。
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単行本p.226


 あちこちのスタジアムを回っては権現舞を披露する若者が、様々な出会いを通して敬虔さを学んでゆく。職場の陰湿なモラハラ、他者へのささやかな祈りの大切さなど、過去の作品を連想させるモチーフが印象的ないかにも著者らしい作品。


『第8話 また夜が明けるまで』
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 文子は、自分が泣いていることに気が付いた。洟をすすって手のひらで涙を拭いながら、タオマフを持ってきたけど出すの忘れてた、と思い出した。
 隣にいる人の手が、おずおずと文子の肩をつかんで、じょじょに力がこもってゆくのがわかった。
「また一緒にサッカーを観ましょうよ」
 遠藤さんは言った。私も東京の近くで土佐の試合があったら観に行くことにします、と遠藤さんは続けた。文子はうなずいた。
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単行本p.264


 それぞれに昇格と降格がかかったどちらにとっても負けられない一戦。「自分が観戦したらチームが負けてしまう、というか耐えられない」ということで絶対に観戦しないと決意していた二人が、謎の出会いをへて、一緒にスタジアムへ。たかがサッカーの試合、それなのに奇跡が生まれ、友情が生まれ、人が救われる。人の思いの強さをユーモアも込めて力強く描いた、個人的に本書で最も気に入った作品。


『第10話 唱和する芝生』
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 いろんな人がいる文化祭みたいだなあ、富生は思いながら立ち上がり、座り込んで横断幕に色を塗っている人たちの頭をぐるりと見回す。これが一銭になるわけでもなく、むしろお金を出し合ってこの部屋を借りて道具も用意して、いい大人が手作りで、歌を作ったり太鼓を叩いたりしながら、サッカーチームの応援をしている。
 富生は唐突に、特に前後の文脈はなく、いいんじゃないか、と思った。
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単行本p.317


 吹奏楽部に所属している少年が、憧れの先輩を追ってサッカースタジアムへ。まるで目茶苦茶なライブのようなパワフルな演奏とチャントにやられ、いつしかサポーターグループの音楽担当に。音楽という方向からサッカー応援の魅力に迫る作品。



タグ:津村記久子
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