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『SFマガジン2019年6月号 追悼・横田順彌』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2019年6月号の特集は「追悼・横田順彌」でした。1月に死去した横田順彌さんを振り返ります。


『かわいた風』(横田順彌)
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 かれがもし宇宙放浪者などではなく、地球の調査を目的とした調査隊の科学者であれば、この灰濁色の建物がこの滅びさった星の住人たちを知るために、いかに重要なものであるか理解できたかもしれない。しかし、ロアは単なる宇宙放浪者でしかなかった。
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SFマガジン2019年6月号p.16


 人類存続のために、核戦争で滅びる直前に行われた絶望的な試み。遠い未来、一人の宇宙放浪者がその痕跡に触れる。並行して進む複数のプロットが最後に結びつく短編。


『大喝采』(横田順彌)
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「あれは、いったいなんだったのだ……」
 春浪が、これまで何回いったか分からないことばを、また吐き捨てるようにいった。
「分かりません。ぼくも確かに裏映しの活動を、ほんの数分かもしれませんが見ました。時子さんも同じことをいっています。でも、理由はわかりません」
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SFマガジン2019年6月号p.33


 活動写真のヒルムが裏映しに上映されるという椿事、その背後には超常的なものの片鱗が。押川春浪とその知人たちが活躍する著者お得意の明治SF。


『ムジカ・ムンダーナ』(小川哲)
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「なあ、ダイガ。お前はこの島に何をしに来た?」
「ある音楽を聴きに」
「どんな音楽だ?」
「この島でもっとも裕福な男が所有していて、これまで一度も演奏されたことがないという、歴史上もっとも価値のある音楽だよ」
「聴けるといいな」とロブが笑った。
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SFマガジン2019年6月号p.199


 島民それぞれが「音楽」を所有しており、それを「貨幣」「財産」として使うという独特の文化を発展させたルテア族。これまで一度も演奏されたことがないという「最も価値が高い音楽」を求めて島に渡った音楽家は、そこで自分の父が遺した音楽の秘密を知る。宇宙を体現するものとしての音楽をテーマにした音楽SF。


『ピュア』(小野美由紀)
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 人類全員が抱える同じ営みから、私は逃れられない。みぃんな同じ、誰かか誰かか誰かか誰か、どうあがいても、他の誰かがやってることを、そっくりそのまま繰り返すしかない。それが正義でそれが倫理。今は、男よりも女がエライ、女のほうが人生得だってみぃんな言うけれど、男も女も、その意味では同じじゃないか。クニを守って男食って、子供産んで、それで終わりは名誉の戦死、それが私たちの使命です、なんて、なんだかとってもイケてない。
 名誉女性になんて、別になりたくない。けど、それ以外の何かになる方法を、今の私は知らない。
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SFマガジン2019年6月号p.220


 男を狩っては殺戮交尾して喰う(そうしないと妊娠しない)ことが当たり前になった時代。女は戦争してクニを守り、男を喰い殺して子供を産む。女に喰われるのが男の幸せ。喰われない男は残飯あつかい。それこそが人間の自然なありかたというものです。世間のルールに沿ってひたすら殺戮と交尾に励む友達のなかにあって、語り手の少女は悩んでいた。ある男を好きになってしまったのだ。喰いたい、殺したい、でも、一緒にいたい……。

 性差別の「根拠」はつまるところ肉体的な強弱だけ。ならそれを逆転させればどうなるか。そういう視点から様々なジェンダーSFが書かれていますが、『ジュラシックパーク』におけるヴェロキラプトルなみの肉体的パワーと攻撃性を持った女たちが圧倒的暴力により男たちを殺戮交尾、性暴力が社会制度に組み込まれているという本作の設定は、最もストレートでピュアなものかも知れません。


『鬚を生やした物体X』(サム・J・ミラー、茂木健:訳)
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 自分のなかになにかが潜んでいることを、マクレディは自覚している。それは、いつも心の片隅で見え隠れしており、その声は遠い谺となって聞こえてくる。失われた時間と、点々と残る瓦礫の山。
 マクレディは、自分がとてつもなく獰猛な狂人ではないかと疑っている。ときどき意識を喪失するのだが、そのあいだに身の毛もよだつような罪を犯し、その痕跡を消しているのではないかと思ってしまう。
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SFマガジン2019年6月号p.247


 壊滅した南極基地からニューヨークに戻ってきたヘリ操縦士のマクレディ。あそこで何があったのか、記憶がすっぽり欠落している。だが、自分がときどき意識を失い、周囲の人が行方不明になることに、漠然とした不安を持っている。自分のなかに化け物が潜んでいるような気がする。だが、それなら自分以外の人々は、はたして人間なのだろうか。

 家族や親戚の人が突然、差別意識をむき出しにした言葉を「悪意なく」言い出すときの困惑。親しい友人や恋人がSNSで暴言を吐いていることに気づいたときの衝撃。そして自分も意識せず差別や憎悪を誰かに向けているに違いないという不安。誰の心にも潜んで暴力を煽っているものを、もともと共産主義への恐怖から生まれたのであろう「遊星からの物体X」に託して語る物語。


『博物館惑星2・ルーキー 第七話 一寸の虫にも』(菅浩江)
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 ――あなたの微表情や拍動パターンが、他の人の緊張とは違っています。こちらへの伝達レベルに満たない意識の気配からしても、あなたは虫が……。
 ――言うな!
 健は鋭く〈ダイク〉を制した。
 孝弘ですら身構えているほどの事態なのだから、個人的なトラウマと向き合ってはいられない。ただひたすらに手を握り合わせて、自分はVWAだ、虫なんか怖くない、と言い聞かせ続けるのが最善の策。
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SFマガジン2019年6月号p.345


 既知宇宙のあらゆる芸術と美を募集し研究するために作られた小惑星、地球-月の重力均衡点に置かれた博物館惑星〈アフロディーテ〉。そこに遺伝子改変された虫が放たれた。もし繁殖してしまったら、閉鎖空間でかろうじて均衡を保っている生態系にどんな壊滅的被害が出るか分からない。速やかに駆除しなければならないが、警備担当である主人公は、虫に単するかなり強い恐怖症を持っていたのだった。やばーい。
 若き警備担当者が活躍する『永遠の森』新シリーズ第七話。



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『2001:キューブリック、クラーク』(マイケル・ベンソン、中村融・内田昌之・小野田和子:翻訳、添野知生:監修) [読書(SF)]

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 意識的に神話の構造をとり入れ、一人称の実験映画にこだわり、“真の”メッセージに曖昧な部分を内在させたおかげで、観客ひとりひとりが独自の解釈を投影できるようになった。この映画がいつまでも力と今日性を失わない重要な理由がそれだ。
 つまるところ『2001年宇宙の旅』は、みずからの死という運命を意識している生きもの、想像力と知的能力に内在する限界に気づきながらも、さらに高い状態と、さらに高い存在の次元をめざして絶えず奮闘する生きものとしてのわれわれの状況にまつわる物語だ。そして、深遠な共作としての性質がもっともよく顕れているのがそこなのだ。明らかにキューブリックの映画でありながら、クラークの映画でもあり、作家が何十年もとり組んできた数々のテーマが壮大な形で統合されているのである。
――――
単行本p.41


 「語り草になるような、いいSF映画を作る可能性について話し合いたい」
 キューブリックからクラークへ送られた一通の手紙。そこから始まったのは、混乱と紆余曲折とたび重なる遅延による悪夢だった。あまりにも横暴な監督、現場から逃亡するスタッフ、借金を重ね破産寸前に追い詰められる作家、数限りない諍いと訴訟。だが、映画は突き進んでゆく。奇跡に向かって。

 現代の神話となった映画『2001年宇宙の旅』はどのようにして製作されたのか。徹底した取材をもとに執筆され、公開50周年にあわせて出版された、決定版ともいえるドキュメンタリー。単行本(早川書房)出版は2018年12月、Kindle版配信は2019年1月です。


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 いまにして思えば、こうした当初の敵意と無理解の波は、その映画が技法と構造において根本的に革新をとげていた結果だと理解できる――これもまた『ユリシーズ』との類似点だ。どちらも後にいやいやながらも――すくなくとも、その一部においては――再評価が進み、真に重要な芸術作品が生まれていたのだと理解されるようになった。『2001年宇宙の旅』は、いまや永久に時代を画す希有な作品のひとつだと認められている。平たくいえば、われわれ自身に関する考え方を変えたのだ。この点でも、ジェイムズ・ジョイスの傑作に比肩するといっても過言ではない。
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単行本p.35


 『2001年宇宙の旅』は、その内容とはまた別に、混乱と無理解に潰されそうになりながらも、キューブリックとクラークという二人の天才が共同で生み出した真に革新的なビジョンがついに輝かしい勝利を勝ち取った物語/神話として語られてきました。そのバックステージでは、実際のところ、どんなことが起きていたのでしょうか。関係者への入念な取材と一次資料の徹底的な調査によってそれを明らかにした一冊です。


 現場の状況はまことにひどいもので、今日なら絶対に許されないような人権侵害がまかり通っていた様子、スタンリー・キューブリック監督の横暴ぶり、ひとでなしっぷりには、正直、ひきます。それでも、ひどい扱いを受けた者、仲違いした者、現場放棄して逃亡した者、訴えた者、その全員が畏怖の念をこめて「天才だった」と語るその凄味。あのシーン、このシーン、どのようにして作られたのかを知ると、その意味が分かってきます。


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 彼との経験は活力に満ちていて興味深かった。しかし、キューブリックといっしょに仕事をする者はいない――彼のために仕事をする者がいるだけだ――と学んだ。それはかなりむずかしいことだった。映画製作者として、彼はパラノイア気味で、まちがいなく強迫観念にとり憑かれていた。本当に優秀な人材を集めてから、彼らの才能を浪費しはじめた。しまいにわたしは、才能ある者たちが力を合わせて勤勉に働いているのに、どうやら気まぐれに、矛盾した命令をくだしてばかりいる独裁政治のようなやり方にうんざりした。
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単行本p.194


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 キューブリックは激しい羞恥心に苦しむこともあった。彼が最初からひどくまちがえていたせいで、いったんは大勢の人びととたくさんの金を使ってセットや脚本をあるかたちで用意しておきながら、実際にはまったくちがう方向へ変えなければならない、と思い知らされるからだ。
 それは事実なのか――偉大なるスタンリー・キューブリックはほんとうに数多くの修正や改変を恥ずかしいと感じていたのか――と疑わしそうに質問されて、クリスティアーヌは肯定した。
「彼は恥ずかしいと感じていた?」
「とても」
「しかしスタジオではそれをうまく隠していた」
「そうつとめていたわ」
「彼は成功した。わたしは一度たりとも聞いたことが――」
「隠しているのよ。たしかに、彼は自分を疑うことなんかないように見えたわ。でもほんとうは疑っていた。“ぼくはただのマヌケ野郎だ”と自嘲する瞬間がしょっちゅうあったのよ」
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単行本p.282


 もう一人の主役といってよいアーサー・C・クラークも、映画からの利益をまったく与えられないとか、小説の出版も禁止されるとか、監督から徹底的に踏みつけにされてなお「彼の言うことも理解できる」とか、どんだけお人好しなのかと。


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 1964年を通じてクラークがキューブリックと親密になるにつれ、ある懸念が彼のなかで高まっていった。もしキューブリックが共作者の性的指向に気づいたら、自分が好きになり、敬服するようになったこの男はどう思うだろう? 見当もつかなかったので、彼の懊悩は深まった。とうとう、クラークはその問題に真正面から向き合うことにした。ある打ち合わせの席で、頃合いを見計らって唐突にこういったのだ。「スタン、きみに知ってもらいたいことがある。わたしは精神的にたいへん安定したホモセクシャルだ」
「ああ、知ってたよ」とキューブリックは間髪を容れずに答え、そのままの議論をつづけた。
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単行本p.119


 これで懐柔されてしまうクラーク。監督からも、恋人からも、情け容赦なくむしられるクラーク。同性愛者である自分を受け入れてくれる者には必死で尽くしてしまう気の毒なクラーク。


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「彼の人生においてもっとも重要な人間関係は、彼が同性愛者であることをその基盤としていた」キャラスは1989年にクラークの伝記作家、ニール・マカリアーにそう語っている。「それで彼は何百万ドルも失った……。彼はそれらの人間関係に何百万ドルも注ぎ込んできた」キャラスに言わせれば、クラークは「マイク・ウィルスンの犠牲になったんだ。それも手ひどく」その負担に加えて、クラークは明らかに両性愛者だったウィルスンだけではなく、その家族の暮らしも支えていた。
(中略)
 1966年3月という私生活の面でも仕事の面でもひどく混乱していた時期に、クラークがコロンボから手助けをしてくれたことで、『2001年』の中間部分に見直しがかけられ、今日われわれが目にする映画の骨子がほぼできあがった。それはクラークが製作の段階でも中心的役割を果たしていたことをしめす明らかな証拠だ。
――――
単行本p.277


 極端な二面性をそれぞれに抱えた主役二人をはじめとして、次から次へと登場する「キャラの立った」傑物たち。驚異と脅威の両方に満ち満ちた撮影プロセス。これはもう無理だろうと思えるトラブルや困難を切り抜けてゆく興奮の展開。600ページ近い大著ですが、それこそ映画を見るような感覚で、最後までどきどきしながら読みました。


[目次]

第1章 プロローグ──オデッセイ
第2章 未来論者(1964年冬~春)
第3章 監督(1964年春)
第4章 プリプロダクション──ニューヨーク(1964年春~1965年夏)
第5章 ボアハムヘッド(1965年夏~冬)
第6章 製作(1965年12月~1966年7月)
第7章 パープルハートと高所のワイヤ(1966年夏~冬)
第8章 人類の夜明け(1966年冬~1967年秋)
第9章 最終段階(1966年秋~1967年~68年冬)
第10章 対称性と抽象性(1967年8月~1968年3月)
第11章 公開(1968年春)
第12章 余波(1968年春~2008年春)


第1章 プロローグ──オデッセイ
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 この場当たり的で、リサーチを基礎とするアプローチは、大予算の映画作りではきわめて異例であり、この規模のプロジェクトでは前代未聞だった。『2001年』には脚本の決定稿がなかった。プロットの節目は、撮影が進んでからも流動的なままだった。重要なシーンは、撮影スケジュールが来た時点で、原型をとどめないほど改変されるか、完全に捨てられるかだった。一流の科学者たちが地球外知性に関して議論するというドキュメンタリー風の序章が撮影されたが、使われなかった。巨大なセットが組まれ、欠陥が見つかり、却下された。二トンもある透明なプレキシグラスのモノリスが、莫大な費用をかけて製作され、しっくりこないという理由でお蔵入りとなった。
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単行本p.32


第2章 未来論者(1964年冬~春)
――――
 優れたSF映画はまだ作られていないという意見にはかならずしも同意しなかったが、その大半が子供だましであることは百も承知だった。そして語り草になるような映画はまだ作られていないという点は認めるにやぶさかでなかった。それに加えて、長い長いあいだ映画界に食いこむチャンスをうかがっていたのだ。いまでなければいつなのだ――それにキューブリック以上の相手がいるだろうか?
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単行本p.59


第3章 監督(1964年春)
――――
 作家に仮のものであれ歩合を提示しなかったことだった。純益にしろ総収入にしろ、まったくのゼロであり、したがってちょっとした金も出なかった。メレディスの交渉手腕、いや、それをいうならクラークの黙認傾向に非難の余地があるとしても、これはキューブリックの側の不作為――それどころか倫理の欠如以外のなにものでもない。(中略)キューブリックの見地が理解できるというクラークの能力は、それからの4年にわたり、くり返し発揮されることになる。たとえ限界点までくり返し試されるのだとしても。
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単行本p.98


第4章 プリプロダクション──ニューヨーク(1964年春~1965年夏)
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 7月28日にキューブリックは射抜くような目をクラークに据え、「われわれに必要なのは、神話的な荘厳さにみちたとびきりのテーマだ」(伊藤典夫訳)と宣言した。彼らのプロジェクトが、「クズとみなされない最初のSF映画」から、もっと大胆で、もっと深遠になる可能性を秘めたものへいつしか変貌しているのは、すでに明白だった。
――――
単行本p.111


 最初の4つの章では、『2001年宇宙の旅』、アーサー・C・クラーク、そしてスタンリー・キューブリック監督をそれぞれ紹介し、二人の出会いから共同作業により映画の基本コンセプトが生み出されてゆく過程を描きます。


第5章 ボアハムヘッド(1965年夏~冬)
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 事態を複雑にしたのは、二転三転をつづけるストーリー・ラインだった。事業のガルガンチュア的性質――巨大で複雑なセット、大型予算、MGMが負っているリスク、何千人もの従業員がいる主要なスタジオ複合施設が、もっぱら彼のヴィジョンの実現に当てられているという事実――にもかかわらず、キューブリックは即興でやっていた。プロジェクトはすべて彼の頭のなかにあった。もちろん、凡人の頭のなかだったら、これは災厄をもたらすだろう。ところが、彼の頭から出てきはじめたのは、じつは精錬された形のものだった。混沌に見えるにもかかわらず、不純物が入念に剥ぎとられ、メッセージは精錬されていたのだ。
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単行本p.172


第6章 製作(1965年12月~1966年7月)
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 キューブリックの人材スカウトには非の打ち所がなかった。彼はたぐいまれなる才能と能力をもつチームを周囲に配置していた。映画会社のボスであるロバート・オブライエンは常に惜しみない支援をしてくれた。撮影監督のジェフリー・アンスワースはその分野ではトップクラスの人材だった。それ以外のスタッフについてもだいたい同じことが言えた。しかも、アーサー・C・クラークというワールドクラスの知的な対話相手が、いつまでも続くストーリーの改善という現実を受け入れてくれていた。ただし、ふたりのせいいっぱいの努力にもかかわらず、それはまったく終わっていなかった。
――――
単行本p.213


第7章 パープルハートと高所のワイヤ(1966年夏~冬)
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 『2001年』のセットはほとんどがすでに撤去されていたが、この映画の製作における、おそらくはもっとも途方もない光景は、1966年の7、8月から秋に入るまでの特定の日々に、ステージ4の高所で目にすることができた。スタントマンのビル・ウェストンが、そこでEVAすなわち船外活動のワイヤアクションをおこなっていたのだ。
(中略)
 ウェストンの恐れを知らないパフォーマンスは、転落防止ネットなしで実施され、『2001年宇宙の旅』の製作中に撮影された肉体面および技術面でもっとも過酷なシーンの一部となった。
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単行本p.334


第8章 人類の夜明け(1966年冬~1967年秋)
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 フリーボーンがあらゆる予想をくつがえし、それまでの設計すらくつがえして、ヒトザルに歯をむきださせたのを見たとき、キューブリックは自分の歯をむいて笑っただろうか? 実は、彼はそれでも満足しなかった。もっと微妙なニュアンスがほしかった。キューブリックが求めたのは生物のシミュレーションではなく、生物そのものだった。
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単行本p.378


第9章 最終段階(1966年秋~1967年~68年冬)
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 実際には『2001年宇宙の旅』はキューブリックとその辛抱強いスタッフ一同が製作過程でほぼ一から十まで――まったく新しい視覚効果方法論や最新のきわめて重大なプロット要素、等々――発明してきた大規模な研究開発プロジェクトだという事実がどうしてもからんでくる。納入日がどんどん先送りされていくのは当然の話だった。キューブリックの妥協を許さぬ完璧主義がすべての基準となっていたため、けっきょくこの二百の視覚効果シーンの大半が8回から9回、やり直すことになった。トータルすると1万6千になんなんとする回数――これはキューブリック自身が見積もっていた数字そのものだった。
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単行本p.416


 英国ボアハムウッドにある映画スタジオでスタートした映画製作。
 人類の夜明けのシーンはいかにして撮影されたのか。巨大遠心機のなか、モノリス発掘現場、月面基地の会議室、ポッド内での密談、無重力空間でのアクション。非常用エアロックの中に噴出される(実際にはビル三階分の高さから突き落とされる)危険なシーケンス。HALのメモリユニットをひとつひとつ抜いてゆくボーマン。スターゲートの驚異的ビジュアル。その先にある白い部屋。
 セットが完成し、撮影がはじまっているというのに、いまだストーリーは二転三転を続けていた……。中間の5つの章では、撮影のバックステージを描きます。


第10章 対称性と抽象性(1967年8月~1968年3月)
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 ダグ・トランブルは『2001年』の最終段階を、なんとはなしに疲れて士気も下がり苦い思いに満ちた時期として記憶している。それまでは内に秘められていたライバル心や緊張が表面化してきていたという。誰もが疲れ果てているとき、大事なことがもうすぐ終わるというときに起こりがちな現象だ。「沈没船からネズミが逃げだすように、みんな現場から離れていった。誰も彼も疲労困憊、とにかく完全に疲れ切っていて、もうたくさんという気分だし、キャリアも足踏み状態だったからだ」とトランブルは語っている。『2001年』の仕事は予想より遥かに時間がかかっていたため、「ほかの映画の仕事をすることができなかったから、みんなうんざりしていたんだ……みんな、自分がどれほどのことに携わっているのか、気づいていなかったんだよ――ぼくはわかっていたけどね」
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単行本p.519


第11章 公開(1968年春)
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 すでに映画を二回見ていたクラークはインターミッション中に館外に出ると、屈辱と失望のうちにチェルシー・ホテルに引きあげた。のちに彼は、客席に陣取ったMGMの重役たちの一団からこんな言葉が聞こえてきたと回想している――「これでスタンリー・キューブリックもおしまいだな」
 けっきょく、途中で出ていった人数は241名にのぼった。観客総数の6分の1以上だ。
(中略)
 問題山積の打ち上げではあったが、キューブリックとクラークの宇宙叙事詩はただ持ち堪えただけではなかった。『2001年』は成功への道を歩みはじめていた。
 『2001年』は興行面でふるわず、若い観客が馬を駆って助太刀に馳せ参じるまでは打ち切り寸前の窮地にあったという神話とは逆に、興業データは初日からチケットの売れ行きがめざましかったことを示している。
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単行本p.539、548


第12章 余波(1968年春~2008年春)
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 公開から半世紀、そしてタイトルの年からも20年近くがすぎたいまとなっても、『2001年』の影響は過大評価のしようがないほど広く残っている。本作では科学知識に基づく推測やインダストリアルデザイン、テクノフューチャリズム、そして複雑多彩な映画的抽象主義が融合して、それ以前には見られなかったかたちで芸術と科学を一体化させている。『2001年』のいまだ衰えぬ強い影響力は、デザイン面だけを見ても映画製作、広告、そしてテクノロジー全般におよんでいるし、近年ますます今日性を強め、警戒心をこめて語られることもある人工知能にかんする論議においてはHALの名がいたるところで登場する。リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」は本作と密接に結びついていて、もはやキューブリックの地球と月の上に太陽が昇る画期的な場面と切り離して考えることができないほどだ。
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単行本p.560


 アニメーション製作、音楽、編集、試写、そして一般公開。最後の3つの章では、ポストプロダクション工程から映画公開後の反響、そして今日における評価までを描きます。



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『あの人に会いに 穂村弘対談集』(穂村弘) [読書(随筆)]

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 私が心から伝えたいことは唯一つ。「目の前に奇跡のような作品があって、この世のどこかにそれを作った人がいる。その事実があったから、つまり、あなたがいてくれたから、私は世界に絶望しきることなく、生き延びることができました。本当にありがとうございました」。
 だが、そんなことを云われても、相手はきっと困惑するだろう。私のために作品をつくったわけじゃないのだ。第一、それでは対談にも何にもならない。ならば、と考えた。溢れそうな思いを胸の奥に秘めて、なるべく平静を装って、その人に創作の秘密を尋ねることにしよう。どうしてあんなに素晴らしい作品をつくることができたんですか。自分もあなたのように世界の向こう岸に行きたいんです、と。それだけを念じながら、私は憧れのあの人に会いに行った。
――――
単行本p.4


 自分もあなたのように世界の向こう岸に行きたいんです。
 人生を絶望から救ってくれた奇跡のような作品の作者に会って、創作の秘密を聞き出す。歌人と著名クリエイターたちの対談集。単行本(毎日新聞出版)出版は2019年1月です。


 歌人の穂村弘さんが、九人の創作者と対談して、その創作の秘密を聞き出そうとします。聞き手も創作者なので通じ合うものがあるらしく、わりと率直に本音を聞き出しているように感じます。あと、ファンにとっても見逃せない情報がぽろりと出てきたり。


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萩尾 フロルのお兄さんは何人妻を娶ってもいいんです。あるとき、政治上の問題から新しい妻をもらうことになったのですが、お兄さんが行方不明になってしまう。それでお母さんが、まだ性が未分化であるフロルに「男になれ」と迫って揉める話なんです。フロルはタダと結婚するつもりなんだけど、両親に「国をつぶす気か」といわれて、泣く泣く男性になる決心をする。フロルはタダに「婚約破棄しよう」っていいに行くんですが、もちろんタダは大反対。フロルは「ぼくは男になるけど、タダが男の愛人になればいい」と提案して、ますます大反対するという(笑)。
――――
単行本p.106


[目次]

谷川俊太郎(詩人)
宇野亞喜良(イラストレーター)
横尾忠則(美術家)
荒木経惟(写真家)
萩尾望都(漫画家)
佐藤雅彦(映像作家)
高野文子(漫画家)
甲本ヒロト(ミュージシャン)
吉田戦車(漫画家)


谷川俊太郎(詩人)
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穂村 みんな物語が大好きですよね

谷川 そう。だから小説は売れても、詩は売れなくなっているんですよねぇ……。


穂村 ぼくなんか、物語を憎むようになってきちゃいましたよ。

谷川 そういう話を聞くと、実に心強いです(笑)。いっそのこと、「散文排斥同盟」でもつくりません?
――――
単行本p.15


宇野亞喜良(イラストレーター)
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宇野 ぼくは職人芸って好きですね。たとえば陶器に薔薇の花の絵付けをするとき、筆の片方の端に白い絵の具をつけて、もう片方の端にほんの少しだけ赤の絵の具をつけて適当な混ざり具合で花弁を描いていくんですが、筆をくるっと回転させながら書くとエッジの赤がくねる、とか。ヨーロッパの職人にはこの快感があるんだなぁ、という発見は気持ちがいいです。ある種の職人的なものを自分の身体が再現できたときにすごく快感を覚えますね。
――――
単行本p.52


横尾忠則(美術家)
――――
横尾 たいていの人は表現の意識が強すぎるんですよ。表現の意識なんか捨ててしまえばいい。いったい何を表現するんですか、表現するものなど何もないじゃないですか。強い表現意識が逆にインスピレーションのバリアになると思うんですよね。というより、手にするものがすでにインスピレーションだと思いますね。ぼくはいつも表現者はインスピレーションの大海の中を漂っているように思いますね。
――――
単行本p.61


荒木経惟(写真家)
――――
穂村 そうですね。では、グラスとか建物を撮るときは、どうやって自分のなかの愛情ポイントを見つけるんですか?

荒木 そこにアタシの才能が溢れ出ちゃってるんだよ(笑)

穂村 うふふ。この対談シリーズでは、その秘密が知りたいんです。教えてください。

荒木 自分でも不思議でしょうがないよ。
――――
単行本p.83


萩尾望都(漫画家)
――――
穂村 中編や長編のストーリー構成は、連載開始時から全体像が見えているんですか。

萩尾 二作品を除いては、全部見えてましたね。

穂村 その二作品は何ですか。

萩尾 『スターレッド』と『バルバラ異界』です。

穂村 えっ、あんな複雑な作品を、全体像が見えないまま描いたんですか。

萩尾 『バルバラ異界』は最初うまくつながらなくて、そのうち破綻すると思ってました。きっと「萩尾望都はついに駄目になった」っていわれるんだろうけど、もう私も歳だから許してもらおうって(笑)。
――――
単行本p.116


佐藤雅彦(映像作家)
――――
穂村 インスピレーションというか、イメージが降りてきて、それが表現につながることもあるんですか?

佐藤 二十代のとき、ルービックキューブを初めて手にして、いじっている瞬間に解き方が図になって現れたんです。それが見えた瞬間からいろんな映像がわいてくるようになりました。TVゲームの「I.Q(インテリジェント・キューブ)」のイメージが現れたときもそうですね。自宅で窓下の風景を眺めていたら、いきなりイメージが見えたんです。

穂村 いきなりビジュアルで?

佐藤 はい、とても具体的な映像でした。
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単行本p.132


高野文子(漫画家)
――――
穂村 それと、通常のマンガが従っている暗黙のルールとまったく違うものがありますよね。たとえば、「一コマをこれくらいのスピードで読むと誰が決めたんだ。その読み方を変えろ」と言われるような気がすることがあるんです。そう言われて、自分が従っていたルールを捨てるんですが、同時に、なんだか作品から攻撃されているような感じもして……。

高野 攻撃してたんですよ。マンガは、攻撃しなきゃだめだと思ってやってたんです。

穂村 気のせいじゃなくて、やっぱり攻撃されてたんだ(笑)。

高野 よし、どこから斬りつけてやろうか、って考えて描いてたんですから(笑)
――――
単行本p.148


甲本ヒロト(ミュージシャン)
――――
穂村 ブルーハーツの解散も、ハイロウズの解散も、ショックでした。

甲本 ブルーハーツのときは、十年続けてちょっと飽きてきてたんですよね。でも、ロックンロールに飽きてたわけじゃないんです。ブルーハーツというバンドの仲間がよくないかといったら、よくないわけがない。そのままでもいい。でも、あるとき「いま解散したら、もったいない」って思ったんですよ。その瞬間に「やめなきゃだめだ」って思った。

穂村 もったいないって思ったから?

甲本 そんな理由でやってるバンドのライブなんて行きたくないと思ったんです。生活における「もったいない」は美徳だと思う。だけど、人生に「もったいない」という価値はいらないんです。それは人生をクソにする。
――――
単行本p.175


吉田戦車(漫画家)
――――
穂村 生い立ちやメンタリティにおいて、逸脱しているところがないのに、人々を瞠目させる表現を生み出せるのは、どうしてなんですか?

戦車 生み出せたっていうことで、その理由はもう分からないですよ。若いころの自分のことだから。

穂村 いや、今も生み出していると思うし、それもやろうとしてできていると思うんですよ。だから、その秘密を知りたいんです。

戦車 満員電車で人に席を譲るのって、最初勇気がいるじゃないですか。そういう積み重ねのうえに、ギャグがあると思うんですよね。ゴミ出しをきちんと守るとか、人に迷惑をかけないようにするとか、そういう気持ちでやってきたような気がします。
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単行本p.198



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『泉』(佐東利穂子) [ダンス]

 2019年4月19日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って佐東利穂子さんのソロダンス公演を鑑賞しました。ソロで踊るだけでなく、はじめて振付・演出すべてご自身で行った、いわば振付家としてのデビュー作とのこと。

 「泉」に見立てた半透明オブジェ(小さな噴水のように見える)にときおり触れつつ、大きく宙を泳ぐような両腕の動きが印象的なダンスに入ってゆきます。ここまでは見慣れた動きだと感じるのですが、やがて地面に仰向けに横たわるなど、これまでに見た覚えのない動作が。

 何度か「泉」に触れて霊感を得ようとするものの果たせず、色々と模索している惑いの印象が強いシーンが続きます。夢や幻想のなかの存在を連想させる神々しさ、儚さがなく、おそらく照明効果によるものでしょうが、生々しいまでの存在感を放っています。いまそこ、目の前で踊っている、という迫力がすごい。

 やがて滔々と流れる川のようなバッハに乗せて踊られるのは、新しいダンス。その力強さに圧倒されます。強烈な意志の力を感じさせるダンス。迷いを振り切るダンス。感動的です。打ちのめされるような心持ちになります。

 「泉」と一体化したというか、自分が「泉」となったようなラストシーン。決意表明、という印象を受けます。「泉」から湧き出てくるであろう今後の作品に期待したいと思います。

 終演後の挨拶まですべて佐東さん一人だったのですが、観客を見送るときには師匠である勅使川原さんが一緒に並んでいて、ああ舞台袖からずっと見守っていたんだなあ、と温かい気持ちになりました。直後、舞台袖からずっと勅使川原三郎さんに見られているなかで踊る、ということの厳しさを想像して、うわあ。



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『動物たちのセックスアピール 性的魅力の進化論』(マイケル・J・ライアン、東郷えりか:翻訳) [読書(サイエンス)]

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 これはやや低音のチャッ音への選好がどのように進化したのかをめぐるわれわれの考えを、完全に逆転させるものだ。雌は大きな雄を好む利点ゆえに、そのチューニングを進化させたのではなく、逆に雄がチャッを進化させるに当たって、彼らは雌の耳の既存のチューニングに見合った周波数にその音を進化させたのだ。このプロセスをわれわれは「感覚便乗(センサリーエクスプロイテーション)」と呼んだ。次章で論ずるもっと一般的なプロセスである「感覚駆動(センサリードライブ)」とともに、この考えは知的革命を、もしくは哲学者のトマス・クーンがパラダイム・シフトと呼んだものを、性選択の分野に巻き起こした。
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単行本p.51



 魚の鮮やかな発色、カエルの求愛鳴き、鳥のダンス。性選択が生み出した驚異的な「美」の世界を紹介すると共に、それらの「美」が生ずるずっと前から選択する側の脳内にはそれに対する「好み」が先行存在しているという、性選択理論にパラダイムシフトを引き起こした驚くべき研究結果を解説するサイエンス本。単行本(河出書房新社)出版は2018年11月、Kindle版配信は2018年12月です。


 動物が見せる様々な外見特徴や求愛行動は、自分が優れた遺伝子の持ち主であることを異性にアピールするために進化してきたのだ、と長年考えられてきました。オスの鳥は、自分が健康で、体力があり、器用で、頭も良い、ということを証明するために、大音量で複雑な求愛歌をさえずっているのだ、と。さらには、これだけ目立つにも関わらず捕食されずに生き延びてきたのだから、生存能力が高く、この先も長生きする可能性が高いぞ、と。

 しかし、本書で解説される「感覚便乗(センサリーエクスプロイテーション)」理論は、まったく異なる説明を与えてくれます。オスが求愛歌をさえずるようになるずっと前から、メスの脳内には、(まだ存在しない)それを「好む」性質が備わっており、それがオスの進化をドライブしてきた、しかもその「好み」は生存や適応とはほとんど無関係に偶然で決まることが多い、というのです。

 本書はこの感覚便乗理論を軸に、様々な性選択の(しばしば驚異的な)実例を紹介してゆきます。それらを知るだけでも大いに楽しめますが、進化論の研究成果が「美」や「魅力」の本質とは何かという問いにつながってゆく展開にも魅了される一冊です。


[目次]

第1章 なぜセックスのためにこれだけ大騒ぎするのか?
第2章 鳴き声の魅力
第3章 美と脳
第4章 美の光景
第5章 セックスの音
第6章 称賛の香り
第7章 移り気な好み
第8章 潜在的な好みとポルノトピアの暮らし


第1章 なぜセックスのためにこれだけ大騒ぎするのか?
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 この研究のおかげで、動物界の性行動の多様性だけでなく、核心にある一つの統合理論に目と関心を向けさせられてきた。私が展開させてきた感覚便乗(センサリーエクスプロイテーション)という理論である。中心となる考えは単純だ。雄の求愛音の特定の音に魅力を感じる雌の脳の形質は、そうした音が進化するずっと以前から存在した、というものだ。したがって、生物学上の人形遣いは雌なのであって、自分たちの脳が欲するとおりの歌を、雄に奏でさせているのだ。美は実際には、感じる側の脳内にあり、それはおおかた雌の脳を意味する。
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単行本p.12


 性選択理論の基本を説明すると共に、そこにパラダイムシフトを引き起こした「感覚便乗」理論の概要を紹介します。


第2章 鳴き声の魅力
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 トゥンガラガエルの相手選び(配偶者選択)に見られる性選択についてわれわれが理解したことは、深刻な逆説を生じさせた。チャッ音は雄の美しさをそれほど左右するにしては、かなり小さな音であり、しかも、雄はみなチャッ音をだすことができるのだ。単純な進化論理からすれば、雄は相手を惹きつけるまで夜通しチャッ音で鳴いて過ごすはずだと予測される。ところが、実際にはそうならない。トゥンガラガエルはチャッ音をあまり加えたがらず、多くの雄はただワイン音で鳴くことを好む。だが、雄ならばできる限り多くの相手を得ようと努力するはずだ。つまるところ、彼らは雄ではないか?
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単行本p.38


 著者の専門であるカエルの求愛鳴きについて様々な知見を示し、実際の研究において性選択の議論がどのように行われているのかを教えてくれます。


第3章 美と脳
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 潜在的な好みはしばしば生物の性的美意識のなかに、ほかの者には見えない形で潜んでいる。というのも、まだそうした感情を引き起こす性的形質は存在しないからだ。だが、その形質が進化すれば、つまりこの特定の性的美意識に合致するか便乗する形質が生じれば、それはすぐさま性的に美しいと見なされ、その他の条件になんら違いがなければ、その形質はまもなく雄のあいだで共通するものに進化する。性的な美がいかに進化するかというこの概念は、1990年に若干の研究者と私がこの理論を構築するまで知られていないも同然だった。いまではこれが性的な美を進化させる主要な要因の一つと考えられている。
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単行本p.66


 性的魅力は、なぜ性的魅力として機能するようになったのか。ある特性を作り出す遺伝子とそれを「性的魅力と見なす」遺伝子が共進化してゆくプロセスを探りつつ、感覚と脳における美意識の形成について考察します。


第4章 美の光景
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 マグヌスによるはばたきに関する性的美意識の探求は、ミドリヒョウモンの雄がかなり高速で上限のないはばたき率に惹かれることを示した。求愛ディスプレイでは、選択する側の雄に見える限り、速ければ速いほど良い。140ヘルツという(猛烈な)はばたき率への選好にたいする速度制限は、性選択によって定められているのではない。むしろこれは、高速で周囲を移動するための視覚検出システムを優遇した自然選択の結果なのである。フリッカー値そのものはきわめて高いので、選択者のなんらかの性的選好は、たとえ求愛者側がそれに見合う速度ではばたけなくても、すでに存在するのだ。
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単行本p.94


 魚の視覚チューニング、チョウの羽ばたき回数、鳥の尾羽、多くの種で共有されている対称性への選好。性的魅力のうち、まずは視覚によってとらえられる特性にどのように性選択が働いているのかを解説します。


第5章 セックスの音
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 雄はこの急降下の最後にピューッと大きな音を一度だす。この音は長年、さえずりの一部だと思われてきたが、クリス・クラークがこれは空気が通過して外側の尾羽を振動させるときに発せられる音であることを証明した。(中略)さえずった音と尾羽を鳴らした音はじつによく似ているため、長らく双方ともさえずりの一部であると見なされていた。尾羽を鳴らす音がさえずりよりも先に進化したので、双方の音の類似性は、さえずりが尾羽の鳴らし音を真似るように進化した結果に違いないと、クラークは結論を出した。
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単行本p.142


 カエル、コオロギ、カナリア。さえずりや鳴き声、さらには身体を利用して発する音に至るまで、音による性選択について探求してゆきます。


第6章 称賛の香り
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 ガには10万種類以上の揮発性フェロモンが利用できるが、だからと言って地球上にいる16万種のガそれぞれに特有の化合物が与えられているのではない。ガは種ごとに固有のにおい物質を割り振っているのでもない。たとえば、ガのうちの140種とゾウはみな、フェロモンを認識するための共通の原始的な性的誘引物質をもっている。それでも、混乱は生じない。ガは異なる種ごとに、世界各地で数を増やしつつあるワイナリーのようにブレンドを生みだし、それぞれのにおい物質の配合割合を変えることで、個々の種を識別する別の差異基準を提供するからだ(もちろん、雄のガがゾウと交尾するのを防ぐ別の要因もあり、これはブレンドの問題というよりは、踏み潰されるかどうかが大きい)。
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単行本p.162


 犬のマーキング、蛾のフェロモン、サラマンダーの浮気懲罰、そして人間の性的シグナル。匂いと化学物質による性選択について考えます。


第7章 移り気な好み
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 美に関することとなると、自分には基準があり、その基準はかなり安定したものだとわれわれは考えたがる。年月を経れば、その基準は変わるかもしれないが、数カ月、数週間、あるいは数分単位ではそう変わらない、と。だが、じつは変わるのだ。しかもときには、瞬く間に変わるのだ。
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単行本p.181


 酒場の閉店時間が近づくと他者の魅力に対する基準が大幅に甘くなる。ライバルに「モテて」いる様子を見るだけで対象者の性的魅力が激増する。最初から論外な対象が視野に入るだけで、性的魅力に関する判断基準が大きく変わってしまう。性的対象に関する人間の美意識の基準が、どれほど簡単に、素早く、そして社会的状況によって大きく変わりうるかを調べた様々な、けっこう衝撃的な研究成果が示されます。


第8章 潜在的な好みとポルノトピアの暮らし
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 では、われわれ人間はどうなのか? われわれもまた潜在的な好みに便乗する性的形質を身につけているのだろうか? もちろん、そうだ。しかも、われわれには姿形もイメージも性的なシナリオも合成することができるので、それをいとも簡単にやってのける。
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単行本p.227


 性的魅力に対する「好み」は、対象が実在しているか否かに関わらず、脳内にすでに先行して存在している。こうした感覚便乗の理論から、人間の性的意識の特徴を見てゆきます。実際にはあり得ないほど誇張された身体、状況、言動により、受け手を性的に魅了するためのメディア(バービー人形からポルノ動画まで)が、実際には何をしているのかを考察します。



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