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『世界樹の素描』(吉岡太朗) [読書(小説・詩)]

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世界樹のこれから描こうとするもんとかかれるもんのあわいに繁る
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 アイルランドの妖精からキングギドラ菩薩まで。おやじ関西弁さえわたる歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2019年2月、Kindle版配信は2019年6月です。


 まず最初に出会うのは、一人称「わし」に関西弁という、アイルランドのおやじくさい妖精。誰かにひっついて日本までやってきてぼそぼそ呟くのです。


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みずうみのほとりの町へおりてゆく夜空に翅をひろげてわしは
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電話する君の肩へと腰掛けるどっこらしょとかゆわへんように
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写真にはアイルランドの海岸と君とほんまは肩に乗るわし
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なんかようわからんけれど泣いてきた様子やブーツ脱いどる君は
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ねむる君 家事は禁止とされとるがぶどうの皮をかわりにほかす
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君の見る夢んなかにもわしはいてブルーベル咲く森をゆく傘
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みどりいろの飛行機 君の夢んなかのアイルランド旅行が終わりをむかえ
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君がだんだんわしと話さんようになるそしてはじめて降る雪の夜
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もう夢に入れんくなり寝るすがた見とると案外ねぞうがわるい
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そうやってわしが見えんくなるまでの梅のつぼみの雪にふくらみ
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 関西弁の威力すさまじ。同じ勢いで、関西弁による情景描写。


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敷石がはがれて空がみえとるとおもうたら三月のみずたまり
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ゆうぐれをポストの上で過ごしとるポストのうえは見晴らしがよい
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帰りきて回すつまみにガスが火をともしおえたるまでの力みは
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クレーンは夜更けんなるとあらわれてゆうたら町のみる夢やろう
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 突然、はっとするような発見があったり。


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街灯にあつまってくる自動車はみな腹這いにねむるけものや
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中指のあらん限りを立てている松のさびしき武装蜂起は
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わしよりも闇のふかさをわかっとる封のなかなるポテトチップは
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中空に尻をとどめておくもんを前提として机ゆうんは
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なぜこんな大虐殺のじゃこを見てわしのこころは動かへんのか
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 どんどん調子に乗ってゆきます。


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こんなにも余白を背負いこまされて歌集の歌はしんどいやろう
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とうだいのねじれゆくたびゆうれいがざんぎょうだいをわりましにくる
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洞窟をたまの散歩にだしてやる洞窟用のリードをつけて
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すれちがうおとこも洞窟連れておりたがいのうつろしばし見せ合う
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 特に強烈なのは、降下、托鉢、半跏、仁王といった仏教用語の関節を外すような一連の作品。


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念仏をくちにしながらパラシュート菩薩部隊が降下(こうげ)してくる
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腕のない菩薩が首のない菩薩が町に来たりて托鉢(りゃくだつ)をする
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たくましき咆闘怪(ほとけ)にいつかなりたしと弥勒は半跏でスクワットせり
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合体を終えし仁王が一王となりて真冬の空にたたずむ
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奥底にとどいた声のこだまして念仏を馬の耳がはねかえす
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 なるほど仁王が合体すると一王になるのか。

 最近、キングギドラが登場するたびに般若心経の読経が大音量で流れる映画を観たので、もう怪獣テーマの作品としか思えない。個人的な話ですいません。



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『生まれ変わり』(ケン・リュウ:著、古沢嘉通・他:翻訳) [読書(SF)]

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 かかる高評価から、日本オリジナル作品集第三弾を編む要請が出、その結果が本書である。作品選択のポイントは、選択時の最新作「ビザンチン・エンパシー」(2018年6月)までに発表された膨大な作品のなかから、これはというものを選ぶのは当然として、多少のわかりにくさがあるため、従来、選択に逡巡していたものもあえて選んだ。
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新書版p.551


 『紙の動物園』『母の記憶に』に続くケン・リュウの日本オリジナル短篇集第三弾。新書版(早川書房)出版は2019年2月、Kindle版配信は2019年2月です。

 出版されるたびにSFまわりを越えて広く話題となるケン・リュウの短篇集。ちなみに既刊本の紹介はこちら。


  2017年09月06日の日記
  『母の記憶に』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-09-06

  2015年06月19日の日記
  『紙の動物園』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-19



[収録作品]

『生まれ変わり』
『介護士』
『ランニング・シューズ』
『化学調味料ゴーレム』
『ホモ・フローレシエンシス』
『訪問者』
『悪疫』
『生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話』
『ペレの住民』
『揺り籠からの特報:隠遁者──マサチューセッツ海での四十八時間』
『七度の誕生日』
『数えられるもの』
『カルタゴの薔薇』
『神々は鎖に繋がれてはいない』
『神々は殺されはしない』
『神々は犬死にはしない』
『闇に響くこだま』
『ゴースト・デイズ』
『隠娘』
『ビザンチン・エンパシー』




『生まれ変わり』
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 ある意味で、わたしは伝染性があるのだろう。生まれ変わったとき、わたしと親しかった人々、わたしがやったことを知っている人々、彼らがわたしを知っていることがジョシュア・レノンのアイデンティティの一部を形成していた人々は、ポートを移植されねばならず、わたしの生まれ変わりの一部として、そうした記憶は削除された。わたしの犯罪は、それがどんなものであれ、彼らに感染したのだ。
 その彼らが何者なのか、わたしは知りすらしなかった。
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新書版p.24


 犯罪者の“全体”を裁くのではなく、犯罪につながった自我の一部を削除し、さらにその犯罪に関わる記憶(本人に加えて関係者全員の)を消すことで更正させる「生まれ変わり」技術。だが、起こしたことを「なかったことにする」ことが、本当に正しい対処なのだろうか。個人のアイデンティティの問題から、戦時下の非人道的行為に対する歴史修正(否認)主義まで、読者の倫理観をゆさぶる作品。


『化学調味料ゴーレム』
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「しかし、このわたしが汝にそうするようにと言っておるのだぞ! 神の命令だ」
「でもさ、神さまの決めた規則や戒律なのに、ただの気まぐれで適当な例外を作るわけにはいかないでしょ。そういう仕組みじゃないと思う」
「なぜだ? わたしは神だぞ」
「神さまが独裁者みたいにふるまってた段階は、とっくに過去のものだと思ってたけど」
 口論は一時間つづいた。レベッカの熱意は少しも冷めることがなかった。
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新書版p.89


 ユダヤ人の血をひく中国人である少女に、神が命じる。人類の危機を救えと。しかし神は気づいていなかった。中国の娘がどれほど強情で扱いにくい民であるかを。そもそも自分の不手際で起きた問題の解決を他人に命じることの正当性から、安息日に人類を救済する仕事をすることの是非まで。いちいち説得し、なだめるはめになった神の苦労は報われるのか。楽しいユーモア作品。


『ホモ・フローレシエンシス』
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 たとえどうあろうと、われわれの世界が彼らの存在を突き止めたとき、彼らの世界はなくなってしまう。われわれは、自分たちにこんなにも近くて、こんなにも異質な種と平和に共存できたことが歴史上一度もない。どこであれホモ・サピエンスがやってきたところでは、ほかのヒト種は消えてしまっている。
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新書版p.127


 インドネシアで発見された謎の歯。つい最近まで生きていたと考えられるその持ち主は、人類とは別に進化したヒト属だった。ついに彼らの居住地を発見したとき、研究者は深刻なジレンマに陥る。アマゾンで発見された未開民族、インドネシアで発見されたフローレス原人化石などのトピックから、人類学などの科学に内在しているある種の暴力性に焦点を当てる作品。


『訪問者』
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 それでも、異星の探査機の近くでは、誰もが礼儀正しくふるまおうとする傾向があった。笑うときはより大きく、話すときはより熱心になり、ゴミがあれば拾い、喧嘩はやめる。よく考えてみると、馬鹿げている。どうしたら宇宙人によい印象をあたえられるのか、ぼくたちは何も知らないのだ。
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新書版p.137


 謎の異星人が地球全域に送り込んできた無数の探査機。捕獲することも破壊することもできない探査機の存在に、人類は慣れていった。だが、探査機に「見られている」という意識は、微妙に人々の行動に影響を与える。国際的な人身売買問題に取り組む活動家が、この現象を利用して人々の意識を少しでも変えようと試みる。悲惨慣れして無関心におおわれた世界でマスコミが果たすべき役割を扱った作品。


『数えられるもの』
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 有限の人生には無限の瞬間がある。現在に留まり、順番に経験していかねばならないとだれが言うのか?
 過去は過去ではない。おなじ瞬間が何度も何度も経験され、毎回、なにか新しいものが加わるだろう。充分な時間があれば、空白が有理数で埋められるだろう。線が一枚の絵を完成するだろう。世界の辻褄が合う。
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新書版p.267


 母親の恋人から虐待されている幼い少年。だが彼には数学の才能があった。そして自分の人生を構成している各瞬間を、時系列順ではなく体験できることに気づく。なぜなら瞬間は無限に存在するが、それは加算無限(アレフゼロ)であり、したがって任意に定める順序数と一対一対応することが証明できるからだ。ベタなプロットを数学的裏付けのある特異な語り口で語ってみせる作品。


『神々は鎖に繋がれてはいない』
『神々は殺されはしない』
『神々は犬死にはしない』
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 人間以後(ポストヒューマン)、シンギュラリティ以前の、世界最高のコンピュータ・ハードウェアのスピードと威力をもって天才人間たちの認知能力と結びついた人工直観体――便利であり、画期的なものだ。彼らはわれわれの世界で言う神々のような存在で、その神々は天上で戦争を行っている。
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新書版p.345


 人間の優れた直感力をコンピュータ上に再現する。初期の「意識のアップロード」実験は思いがけない結果をもたらし、世界を恐るべき勢いで改変してゆく。ポストヒューマン誕生から完全なシンギュラリティに向かう移行プロセスを扱った三部作。言語モジュールの非効率性ゆえポストヒューマンたちが人間とのコミュニケーションに絵文字を使うという発想が印象的で、実際に絵文字が多用される作品。


『闇に響くこだま』
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 盲目は俺の強みなんだ。俺の武術の流派には、これまで目の見えない達人がたくさんいた。彼らは夜間の戦闘技術を磨き、目の代わりに耳を使ってきた。この壁を造っている石とその利用法は、昔の達人から代々伝わってきたものだ。
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新書版p.417


 清朝に対して反旗を翻した反逆者のリーダーは「飛翔する蝙蝠」と呼ばれていた。暗闇で敵兵の位置を確実に読み取り倒してゆく彼の驚異の武術を目にしたとき、語り手はその技、すなわち音響定位(エコーロケーション)が持つ可能性に気づく。清代を舞台とした奇想武侠小説。


『隠娘』
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 わたしの心を読んだかのように男は言った。「わたしは二晩経てばここにひとりでいる。約束は違えぬ」「これから死のうとしている人間の言葉にどんな価値がある?」わたしは言い返した。
「暗殺者の言葉とおなじ価値がある」男は言った。
 わたしはうなずくと飛び上がった。本拠の崖の蔦をのぼっていくときのようにすばやくわたしは垂れ下がっている綱をよじのぼり、屋根に開けた穴から姿を消した。
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新書版p.480


 あらゆる暗殺術を仕込まれた凄腕の女暗殺者。だがあるとき、一人の男を殺すことをためらい、逆に彼を守る決意をする。それは、自分よりも腕のたつ姉弟子たちと闘うことを意味していた。中国古典に題をとった翻案小説ですが、個人的にはこの原作、舒淇(スー・チー)が主演した映画『黒衣の刺客』(ホウ・シャオシェン監督)の印象が強く、とにかくスー・チー美し。


『ビザンチン・エンパシー』
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 だが、巨大NGOと外交政策シンクタンクからなるすでに確立された世界を、なんの価値もない無名の暗号通貨ネットワークで変えることができると本気で期待できるだろうか?
 それにもかかわらず、この仕事は正しい気がした。そしてそのことがそれに逆らう形で思いつけるどんな議論よりも価値があった。
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新書版p.524


 世界中で起きている悲惨な出来事に対して、集められた寄付金プールを効果的に配分するための組織体制。だが、政治的な判断から無視されることになった人々の悲劇は、誰が救うべきなのか。

 一人のプログラマーがブロックチェーン(ビットコインなどの暗号通貨の基礎技術)を利用して、人々の共感(エンパシー)を通貨として流通させることで寄付金プールの配分判断を自動的に下す非中央集権的なシステムを作り出し、それは世界最大の慈善基金プラットフォームへと成長してゆく。だが、不確実でプロパガンダに流されやすい大衆の共感なるもので巨額の寄付金が動くことが正しいことなのだろうか。立場の異なる二人の登場人物の対立を通じて、慈善や富の再分配が抱えている倫理的問題を掘り下げる作品。



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『マネキン人形論』(勅使川原三郎) [ダンス]

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 父は物質という不思議なエレメントの賛仰を切りもなくつづけた。生命のない物質は存在しない――と父は教えた――生命がないのはただの見せかけであり、その向うには生命の未知の形が隠されている。それらの形は大小、無限の規模を持ち、陰影、ニュアンスも数限りない。造物主は重要な、また興味深い様々な創造の処方を持ち合わせていた。それによって彼は自ら更新する力を具える無数の種を創造した。
――――
『マネキン人形論あるいは創世記第二の書』(ブルーノ・シュルツ:著、工藤幸雄:翻訳)より


 2019年6月22日は、夫婦でKARAS APPARATUSに行って勅使川原三郎さんの公演を鑑賞しました。ブルーノ・シュルツの短篇を原作とする60分の作品です。

 前作『青い記録』と対照的な印象を受ける作品です。前作では青が主役でしたが、今作は赤。服装から照明まで刺激的な赤が多用されます。静謐なシーンの多かった『青』と比べてかなり激しく踊るシーンも多く、またガラスが暴力的に割られる音(実際にガラスを床に叩きつけて割るシーンが繰り返される)、足踏み式ミシンの作動音(ジャカジャカジャカ……)など、ライブ音も重要な効果として使われています。

 舞台はかなり怪しい印象で、マネキン人形三体(うち一体は出演者、おそらく鰐川枝里さん、が微動もせず演じており、生々しい雰囲気が漂います)、大きな姿見、そして古い足踏み式ミシンが配置され、古典バレエで例えるなら「部屋に引きこもって外出しない不健全なコッペリウス博士」の部屋みたいです。


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 娘たちは身動きもせずに坐っていた、ひとつきりのランプがくすぶっていた、ミシン針の下の布地はとうに滑り落ちているのに、機械だけは虚しくかたかたと鳴り、窓外の冬の夜の経が繰り出してくる黒々とした星のない布にちいさな孔を空けつづけた。
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『マネキン人形論あるいは創世記第二の書』(ブルーノ・シュルツ:著、工藤幸雄:翻訳)より


 マネキン人形たちが生きているように見えてきたり、逆に勅使川原三郎さんが人形のように見えてきたり、ミシンの縫い針が手に刺さりそうではらはらする場面、床に叩きつけて割ったガラスの破片の上を歩く場面など、赤の色調とあいまって不穏な気配が漂います。ダンスのシーンは多く、どれも強烈で、なんだかずっと踊っていたような印象が残ります。



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『モン・サン・ミシェルに行きたいな』(田中庸介) [読書(小説・詩)]

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いっさいの意味のいっさいのこだわりのなくなった
いっさいの意味のいっさいのこだわりのなくなった
詩の
行が飛ぶ、滝のように
時の
水の
流れるほどに、
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『G/T、前に行く』より


 細胞生物学の研究所から群青色の世界の果てへ。言葉が旅をする詩集。単行本(思潮社)出版は2018年10月です。


 『山が見える日に、』と『スウィートな群青の夢』で、ぬけるような青空の困惑を教えてくれた詩人による、待望の第三詩集。


――――
私の前に〔偉大な〕詩人が座っていた
田中さんはもっとごじぶんの ordinary life について詩を書かなくてはならないな
と、彼はビールを飲んで言った
あなたにはまず毎日
終電まで働くライフ、そうライフですよ、
じゃんじゃん働く
研究者としての生活というものがあるでしょう、それはいろいろと
書きにくいことであるかもしれないけれども
マージナルなそれを
かかなければ駄目だ
と、彼は重々しくビールを口に含んで言った
――――
『G/T、前に行く』より


 なるほど、箱型ポテンシャル場に置かれた質点(小犬)の運動とか、波のように座標が広がってゆく片対数方眼紙とか、いかにも理系の研究者らしい。


――――
人々は箱のポテンシャルが低すぎると感じている
だが私は箱のポテンシャルが低すぎるとは考えていない
この場合、小犬は
小犬は
十分無視できるほど
小さいものとする
だがそこに
君は知っていたのか
おお、
とりかえしのつかない一つの
悔恨、
それが
ひそんで
いる
――――
『低すぎる箱のポテンシャル』より


――――
文具売場に買いに行く
片対数方眼紙には原点がない。
波のように座標が
ひろがっていき、
またひろがっていき。

涙、あるいは
それからもっとも遠いものとして。
この罫線の青がある。
――――
『片対数方眼紙』より


 片対数方眼紙の青い罫線から遠くへゆけるのが詩のいいところで、旅が始まります。


――――
抹茶のような新緑の、
すずしげな
山ふところに分け入るのか、
山のぐるりを辿るのか、

初夏の伊豆に、
あたたかい気持ちのような、
分かれ道がある。
――――
『分かれ道』より


――――
細い道が山に向かって続く
左右は田畑、あるいは家屋、私はそれは知らない
プレッシャーでもう、デプレっちゃいそうになったが何とかなりました
何とかなりましたか、
救いとかそんなものはぜんぜんない、
状況は特に改善していない、
ただ、か細い道が続く、

風船が勝手に飛んでいくような、
その勝手を逆再生。
宇宙全体の大爆発が、
あのテーブルのコーヒーカップから始まったとは。
――――
『道の終わり』より


 デプレっちゃいそうになりながら、ついにたどりつく芋畑。


――――
やっとそれが、それがどんな
芋畑だったとしても、おれの全幸福は
この芋畑とともにある。

叫ぶから、叫ぶから。
春の水へ。

叫ぶから、叫ぶから。
春の芋のように。

おれはひとつの、
世界にただひとつのように、
叫ぶ、芋畑だ。
――――
『叫ぶ芋畑』より


 研究室から一歩も出てないような、日々の研究生活について書かれているような気もしてきます。そして机の上には、モン・サン・ミシェルのクッキー。


――――
それでは
この砂州を撤去して
陸地と島に橋をかけましょう
するとまた海流が
残りの砂を運び去る
それは
いつの日か
いつの日か
いつの日か
いつの日か
モン・サン・ミシェルに行きたいな

いつの日か
おれは
モン・サン・ミシェルに行きたいな
いつの日か
ある晴れた日に
おれは
君と
モン・サン・ミシェルに行きたいな
――――
『モン・サン・ミシェルに行きたいな』より



タグ:田中庸介
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『堆塵館 アイアマンガー三部作1』(エドワード・ケアリー:著、古屋美登里:翻訳) [読書(ファンタジー・ミステリ・他)]

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 ケアリーの小説の魅力は、謎めいた登場人物たち、ゼロから構築した新しい世界観、造形物の美しさ、細部の描写のみごとさ、物への偏愛、リズムのある独特な文体、グロテスクでありながらも愛らしいイラストなどに表れている。そのすべてが贅沢に織り込まれた世界は、ファンタジーやミステリや歴史小説やホラーやSFといったジャンルを超え、まさしく「ケアリーの世界」としか言いようのないものになっている。
(中略)
 廃材やごみで作られた巨大な館でごみと悪臭に囲まれて暮らす人々がいる、という発想も魅力的である。見捨てられ、顧みられない、汚いごみや屑やがらくたが、ケアリーの手によって美しいもの、愛おしいものへ変わっていき、美醜の境がしだいに崩れていく。美醜だけでなく、善悪や正邪の輪郭も崩れていき、世界観、価値観の逆転が起きていく。
――――
単行本p.420


 19世紀後半、英国ロンドン郊外に広がっている広大なごみ捨て場。その中にロンドン中のゴミを支配するアイアマンガー家の屋敷「堆塵館」が建てられた。アイアマンガー家の者たちは堆塵館で生まれ、特別な「誕生の品」を与えられ、誕生の品とともに生き、やがて堆塵館で死ぬ。超巨大ゴミ屋敷で生きる奇怪な一族を描くアイアマンガー三部作、その第一部。単行本(東京創元社)出版は2016年9月、Kindle版配信は2016年9月です。


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「この悪臭を放つ鼻摘みもの、粉々になったもの、ひび割れたもの、錆びたもの、ねじを巻きすぎたもの、欠けたもの、臭いもの、醜いもの、有毒なもの、使い道のないもの。そうした嫌われたものに注ぐアイアマンガーの愛情に勝るものはこの世にはない。われらが所有したものは茶色で、灰色で、黄ばんでいて、染みだらけで腐臭を放っている。われらは白黴の王だ。黴すらも所有していると私は思っている。われらは黴の大家なのだ」
――――
単行本p.257


 ロンドン中のゴミが集められたゴミ山、そのなかに建てられた超巨大ゴミ屋敷で暮らすアイアマンガー家。人々は彼らを忌み嫌い、恐れ、憎んでいるが、その財力と権力には誰も逆らえない。ゴミを通じてロンドンを支配する一族という奇抜な設定から、とてつもなくグロテスクで汚らしく、同時に美しくも愛おしい、不思議な世界が展開してゆきます。


――――
「彼らは落ちぶれたが、わが一族は栄えた。われらが力をつけるにつれて、彼らは弱くなり、われらがさらに土地を増やすにつれて、彼らは住む場所を失い、われらには元気な子供が増えるいっぽうで、彼らには死ぬ子供が増えた。そのためにわれらは愛されなくなった。だが、いっこうに気にしなかった。われらはあらゆる借財を、どんな借財でも、ことごとく買い取った。借財を買いあさって、それを自分たちのものにした。人々が泣いても、われらはそんな涙にほだされなかった。人々が必死にすがりついても、聞く耳を持たなかった。すがりついて頼んでもむだだとわかると、人々はわれらに唾を吐いた。それで罰金を払う羽目になった。彼らはわれらを罵り、それで罰金を払う羽目になった。彼らはわれらを叩きのめし、それで監獄に入れられた。もっとひどい罰も受けた」
――――
単行本p.256


――――
「人々が減るにつれてわれらは増えていき、人々が物を捨てるにつれてわれらの物は増えていった。彼らが物乞いになるにつれ、われらは豊かになった。ロンドンのだれかがなにかを投げ捨てるたびに、われらの儲けになった。あらゆる鶏の骨が、あらゆる書き損じの紙、あらゆる残飯、あらゆる割れた物が、われらのものなのだ。彼らは、向こうの人々は、われらを憎んでいる。われらを不浄のもの、アイアマンガー属、野蛮、愚か者、非情と見なしている。彼らはロンドン市内からわれらを締め出した。アイアマンガー一族はひとりとしてフィルチング特別区から出てはならないという法令を制定した。それでわれらはフィルチングに、この区の壁のなかに、ごみ溜めにいるのだ」
――――
単行本p.258


 この不快で忌まわしく、でも気になって仕方のない不思議な魅力を持つ一族が住んでいる館、堆塵館が第一部の舞台となります。


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「わたしたちは堆塵館と呼んでいますけどね。周囲何キロにもわたってほかに住んでいる者はひとりもいません。だから門から外に出たら、間違いなく迷子になるし、おまえを見つけるのはとても難しくなります。ここはごみ屑のなか。門の外はどこまでもごみが広がっています。この場所が描かれている地図はありません。わたしたちは閉じ込められているわけですね」
――――
単行本p.36


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 われらが館、堆塵館を作り上げているのは、目にしたとおりの煉瓦とモルタルではなく、寒さと痛みだった。この場所が作られたときの恨み、悪意、苦悩と悲鳴と汗と唾だった。ほかの人々の涙が壁紙となって壁を覆っていた。館が悲鳴をあげるのは、わが一族がこの世のほかの人々におこなった仕打ちを人々が覚えているからだった。恐ろしい夜に、館はどれほどすすり泣き、喚き、唸ったことかどれほど悲鳴をあげ、うめいたことか、どれほど罵り、責めたことか、ぞれほど恐ろしい嵐に痛めつけられたことか。
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単行本p.370


 ごみ屋敷、お化け屋敷、呪われた館。この堆塵館に住むアイアマンガー家の少年が主人公の一人です。彼には特別な力があり、それは「物の声が聞こえる」というものでした。彼にとって堆塵館は物の声に満ちているのです。


――――
 館は声を発し、音を発し、囁き、吠え、歌い、囀り、ぶつぶつ言い、きんきんするような、声高な、さまざまな声であふれていた。甲高くて元気な若い声もあれば、嗄れて震える老いた声、女の人の、男の人の、数え切れない、無数の声。しかもそれは人の発するものではなく、館にある物が発する声なのだ。カーテン・レール、鳥かご、文鎮、インク壺、床板、手摺、ランプシェード、鈴を鳴らす紐、お茶の盆、ヘアブラシ、扉、ベッド脇のテーブル、洗面器、髭剃り用ブラシ、葉巻カッター、繕い物をする台、足拭き、絨毯などの声。
――――
単行本p.148


 少年がいつも肌身離さず持っている浴槽の栓。それは「誕生の品」と呼ばれる特別なもので、アイアマンガー家の者は誰もが生まれたときにその品を与えられ、一生それと共に暮らすことになるのでした。


――――
 アイアマンガー一族に赤ん坊が生まれると、おばあさまが選んだ特別な品物を与えられるのが慣わしだった。アイアマンガー一族が相手を判断するときの基準は、誕生の品をどれほど大切に扱っているかということだった。ぼくたちアイアマンガー一族は、誕生の品をいつでも身に着けていなければならなかった。
――――
単行本p.12


 「誕生の品」といっても別に高価なものではなく、ただの「がらくた」だというところがアイアマンガーらしさ。しかもその役に立たないがらくたに多大な愛情を注ぐところもまたアイアマンガーです。

 そんなアイアマンガー家の少年が、あるとき堆塵館に召使としてやってきた少女と偶然に出会ったことから物語が始まります。典型的なボーイ・ミーツ・ガールなのですが、何しろ設定が強烈なので「馴染み深いストーリー」に安心感を抱いてしまう……。と思っていたら読者の予想を裏切るとんでもない展開に唖然とさせられます。さすがに続きを読まずにはいられないクリフハンガー。



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