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『フレドリック・ブラウンSF短編全集1 星ねずみ』(フレドリック・ブラウン:著、安原和見:翻訳) [読書(SF)]

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 かつて、SFはマイナーなジャンルであった。そして、SFの仲間を増やしたいと思って、友人や知人にSFを読ませようとしたことがある。そのときに選んだのはフレドリック・ブラウンだった。そしてほぼ全員が面白かったと言ってくれた。だが、SFファンになってくれた人間は一人もいなかった。何故だ? そう思ったのだが、今なら理由がわかる。かれらが面白いと思ったのはSFではなく、フレドリック・ブラウンだったのだ。そんな当たり前のことに気がついてからは、SFファンを増やすという無駄な努力はやめた。フレドリック・ブラウンという素晴らしい作家を紹介できただけで十分ではないか。
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単行本p.342


 奇想天外なアイデア、巧妙なプロット、意外なオチ。短編の名手、フレドリック・ブラウンのSF短編を発表年代順に収録した全集、その第一巻。『星ねずみ』『天使ミミズ』など1941年から1944年に発表された初期作品が収録されています。単行本(東京創元社)出版は2019年7月、Kindle版配信は2019年7月です。


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 この〈フレドリック・ブラウンSF短編全集〉は作品の発表年代順に編集されている。つまりこの第一巻はフレドリック・ブラウンの初期、1941年から1944年の作品が収められているわけだ。80年も前の作品なんて、歴史的な意味しかないと思うかも知れないが、読めば、驚くよ。古くない。この十年ほどの間に書かれたものと言われても、納得するだろう。
 考えてみれば、わたしがフレドリック・ブラウンを読んでいた頃には、発表年代など、考えてもいなかった。その意味では、それを意識して読んだのはこれが初めてのことだった。デビューした時点で、フレドリック・ブラウンは既に完成していたのだ。これは驚くべき民権だった。
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単行本p.339


 子どもの頃、繰り返し繰り返し飽きずに読み返したフレドリック・ブラウンのSF短編。今でもアイデアからオチまですべて憶えているというのも凄いことだけど、それでも今読んでやっぱり面白い、というのが素晴らしい。

 人工知能の偏見学習、仮想現実の不具合、フェイクニュースや憎悪煽動による混乱、といった現代的な問題も、すべて80年も前にブラウンが核心のところを書いていたような気がしてなりません。


[収録作品]

『最後の決戦』
『いまだ終末にあらず』
『エタオイン・シュルドゥル』
『星ねずみ』
『最後の恐竜』
『新入り』
『天使ミミズ』
『帽子の手品』
『ギーゼンスタック一家』
『白昼の悪夢』
『パラドックスと恐竜』
『イヤリングの神』


『エタオイン・シュルドゥル』
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 そしてこういう機械的な作業をするうちに、ジョージが言うには、はっきり気がついたんだそうだ。もうライノタイプがジョージのために働いているんじゃない。ジョージのほうがライノタイプのために働いているのだ。なぜあれが活字を組みたがるのかはわからないが、それはたぶんどうでもいいんだろう。なんといったって、あいつはそのために存在しているんだから、たぶんそれが本能なのだ。
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単行本p.49


 活字を組んで印刷するライノタイプに意識がやどり、勝手に動き始める。最初は楽が出来ると喜んでいた印刷職人も、次第に要求を強めてゆく印刷機に恐怖をおぼえる。危険なので停止させようとしたときには、既に手遅れだった……。

 知能を持った機械の反乱、という古めかしいテーマを鋳植機でやるという奇想天外な作品。ちなみに2019年7月現在、ウィキペディアの「ライノタイプ」の項には「この装置に関しては、作家のフレドリック・ブラウンがしばしば、短編中に登場させている。たとえば、"ETAOIN SHRDLU"があげられる」と書かれています。


『星ねずみ』
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 しかし、どんなに練りに練った計画でも、狂うことはあるものだ――ねずみだろうと人間だろうと、全知全能の神ではないのだから。たとえそれが星ねずみであってもだ。
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単行本p.63


 老科学者が、ミツキーマウスと名付けられた一匹のネズミを乗せたロケットを打ち上げる。異星人とコンタクトし、知能を高められたミツキーは、真っ赤なズボンに黄色い靴と手袋という格好で地球に帰還する。彼は星ねずみ、スターマウスとなったのだった。

 初期ディズニー短編アニメというか、カトゥーン的な動物寓話ですが、大人になって読んでも、やっぱりわくわくして、最後はしんみりするんですよね。


『天使ミミズ』
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 目をしっかりつぶったまま考えた。
 どこかに答えがあるはずだ。
 答えなんかどこにもない。
 天使のようなミミズ。
 熱波。
 硬貨の展示ケースのなかのカモ。
 趣味の悪いしおれた花輪。
 入口のエーテル。
 関連を見つけろ。かならず関連性があるはずだ。意味があるはずだ。ないはずがあるものか!
 すべてに共通するなにか。すべてをつなぐなにか、すべてを結びつけて意味のあるまとまりにしているもの。理解できるもの、そしてなんとか手を打てる――戦うことのできるもの。
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単行本p.165


 羽根が生え、後光がさし、天に昇ってゆくミミズ。それがすべての始まりだった。意味不明、予測不能、何が起きるか分からない。謎の超常現象に次々と遭遇する語り手は、狂気のふちまで追いつめられるが……。

 フレドリック・ブラウンの最高傑作のひとつ。魅力的な謎、高まるサスペンス、予想外の回答と対処法。すべて知っていて読み返しても、そのサスペンスから解決に持ってゆくプロットに感心します。


『白昼の悪夢』
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 せめてなにか手がかりでもあれば。ワイルダー・ウィリアムズも、手がかりがふたつの遺体――それも同一人物の遺体だ――しかないような、こんな事件を扱ったことはあるまい。しかもうち一体は五種類の方法で殺されていて、もう一体には傷もなければ暴力の痕跡すらない。なんというでたらめ。ここからどう捜査を進めればいいというのか。
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単行本p.252


 ある者は心臓を撃ち抜かれていたと証言し、別の者は首が胴体から切り離されていたと証言する。頭が割られてきた、焼き殺されていた。目撃者によってばらばらな死因。さらに新たな遺体が出てくるが、それは先ほどの事件の被害者と同一人物だった。いったい何が起きているのか。混乱する捜査官は、次第に悪夢にとらわれてゆく……。現実崩壊感といえばディックですが、この作品のそれもかなり強烈です。



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『幻想振動』(井手茂太、斉藤美音子、イデビアンクルー) [ダンス]

 2019年7月28日は、夫婦で東京芸術劇場シアターイーストに行って、井手茂太さんと斉藤美音子さんのデュオ公演を鑑賞しました。基本的に二人だけで踊る70分の作品です。


[キャスト他]

振付・演出: 井手茂太
出演: 井手茂太、斉藤美音子、エキストラ・クルーの皆さん


 コの字型にならんだ観客席に三方を囲まれた舞台。その中央あたりに、さらに六畳ほどの和室に見立てた小さな舞台が置いてあります。この周辺で井手茂太さんと斉藤美音子さんが、謎の駆け引きをしたり、関係性を探ろうとして失敗したり、がんがん踊ったりするわけです。

 登場するだけで、この人たち大真面目なのにどっかおかしい、と思わせる二人。よく見ると衣装の仕立てがかなり変だったり、あまりにも空気を読まなかったり、相手の意図を察して機敏に対応しようとして外されたり、人が戸惑う様子がはらんでいるおかしさが次々と表現されます。笑うべきところなのか微妙に悩んでしまう小さなコントも多数。斉藤美音子さんの「ウェスト! ウェスト!」というサイトスペシフィックギャグとか。

 井手茂太さんのすっとんきょーでかっこいいダンス、斉藤美音子さんのへんちくりんで優雅なダンス、相乗効果でさらにすごいことに。盛り上がる盛り上がる。これだけ二人のダンスを堪能できる公演は、もしかして初めてかも知れない。

 後半、「裸電球に照らされた和室六畳間。真っ赤なワンピースを着た斉藤美音子さんが、畳の上に寝っ転がったり這ったりしている。そこで静かにボレロが流れはじめる」というシーンが登場し、最初はもちろん冗談だと思いました。

 まさか斉藤美音子さんが、本当に、畳の上で、ボレロのメロディを踊るとは思わないでしょう。さらにエキストラ・クルーの皆さんが乱入してきて周囲を取り囲んでリズムを踊るなどとは。

 ところが困ったことに、群舞に視線が遮られて、踊る斉藤美音子さんの姿が見えません。畳の上のボレロ、というのはちょっと無理があったのではないか。と思ったら、ときどき斉藤美音子さんがマカンコウサッポウで群舞をなぎ倒してくれるので、そのときだけ見えたりするわけです。最後まで踊りきって全員で倒れ伏したときには観客席から盛大な拍手が起きました。冗談とかっこよさが一体となった名シーンでした。ちなみにその後も二人でがんがん踊るよ。すごい高揚感。



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『たんぺんしゅう』(高橋萌登) [ダンス]

 2019年7月27日は夫婦で渋谷space EDGEに行って高橋萌登さんのトリプルビル・ダンス公演を鑑賞しました。ソロ、デュオ、グループという三本立ての新作です。


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宣言通り、お腹いっぱい胸いっぱいになる作品たちです。
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高橋萌登


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・もとちゃんを堪能できまくる
・もとちゃんがすがおの振りを踊るのはレア
・すがおがもとちゃんの振りを踊るのもレア
・すがおがすがおの振りを人前で踊るのもまーレア
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菅尾なぎさ


[演目]

『PEKO』 ソロ
上演時間30分
振付・演出・出演: 高橋萌登

『なにものたち』(MWMW モウィモウィ) グループ
上演時間35分
振付・演出: 高橋萌登
出演: 越戸茜、小林利那、金森温代、神田初音ファレル、中谷友紀

『孖(マー)』 デュオ
上演時間20分
振付・演出・出演: 高橋萌登、菅尾なぎさ


 最初の『PEKO』は、“ミルキーはママの味~~”にのせて高橋萌登さんが踊りまくるソロダンス。ペコちゃんを表現しているのですが、びっくりするくらいペコちゃんではなくもっちゃん。中島みゆきでがんがん踊る。すごいテクニック、着実な振付、それなのにどこか「けなげさ」「いっしょうけんめいさ」「ひたむきさ」のようなものがひしひしと感じられて、観ていて胸がじーんとしてくるのです。

 グループMWMWに振り付けた作品『なにものたち』。はじめて「東京ELECTROCK STAIRS」の公演を観たときの記憶がありありと蘇ってきました。あのときの高橋萌登さんを思わせるダンサーと、同じく横山彰乃さんを思わせるダンサーがちゃんといて、あのときのような印象で踊っていて、これは要チェックだとあのとき思ったように思っている自分が何だか不思議。

 最後の『孖(マー)』は菅尾なぎさ氏とのデュオ、『0o。』の名コンビがかえってきました。チャイナドレス(高橋萌登が緑、菅尾なぎさが赤紫)で乱入してくる二人がパワフルで楽しい。全体的に菅尾なぎさ氏による萌登いじりが目立つ作品ですが、特にラストのアイドル振りは素晴らしい。そしてちゃんと踊ってるのにアイドルらしさを微塵も感じさせない高橋萌登さんの揺るぎないアイデンティティもすごい。ちなみに前作『0o。』の紹介はこちら。

  2016年06月06日の日記
  『0o。(スーパースリーパースリー)』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-06-06




タグ:高橋萌登
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『短篇ベストコレクション 現代の小説2019』(日本文藝家協会:編) [読書(小説・詩)]

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 1980年代までのいわゆるバブル景気がはじけた後に到来した平成は、一口で言えば誰もが生きにくさを感じた時代だった。右肩上がりの成長神話が完全に崩壊し、自分の未来は薔薇色だ、と口にできるのはよほどの楽天家だけになった。
 平成という時代の担い手は、年号が替わってすぐに到来した就職氷河期の体験者である。自分の足元を見つめて歩く慎重さが求められ、能天気な言動をする者に対しては周囲からの非難が集中する。いわゆる「炎上」現象である。その一方で、高度情報化社会を器用に使いこなし、企業や権力者などの後ろ楯を必要とせずに一般からの支持を集める、ネットワーク化社会ゆえの英雄も登場した。
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文庫版p.691


 2018年に各小説誌に掲載された短篇から、日本文藝家協会が選んだ傑作を収録したアンソロジー。いわゆる中間小説を軸に、ミステリ、ホラー、震災小説、戦争文学まで、「平成」という時代を総決算するような作品が幅広く収録されています。文庫版(徳間書店)出版は2019年6月です。


[収録作品]

『時計にまつわるいくつかの嘘』(青崎有吾)
『どうしても生きてる 七分二十四秒めへ』(朝井リョウ)
『たんす、おべんと、クリスマス』(朝倉かすみ)
『代打、あたし。』(朝倉宏景)
『魔術師』(小川哲)
『素敵な圧迫』(呉勝浩)
『喪中の客』(小池真理子)
『ヨイコのリズム』(小島環)
『スマイルヘッズ』(佐藤究)
『一等賞』(嶋津輝)
『エリアD』(清水杜氏彦)
『pとqには気をつけて』(高橋文樹)
『傷跡の行方』(長岡弘樹)
『胎を堕ろす』(帚木蓬生)
『円周率と狂帽子』(平山夢明)
『銀輪の秋』(藤田宜永)
『牧神の午後あるいは陥穽と振り子』(皆川博子)
『守株』(米澤穂信)




『時計にまつわるいくつかの嘘』(青崎有吾)
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 完全受注生産、完成時に一度時間を設定したら最後、誤差を自動修正して死ぬまで絶対狂わないって触れ込みの高性能電波時計。よっぽど自信があるんでしょうね。見てください、デザイン優先でリューズがどこにもついてない。ですから人為的に時間をずらすこともできません
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文庫版p.14


 公園で何者かに襲われ死亡した女性。容疑者である恋人には、鉄壁のアリバイがあった。さっそく犯行方法担当の倒理がアリバイ破りに挑戦するが、動機担当の氷雨は「これは自分の出番だ」と直感する。壊れて止まった腕時計に隠された秘密とは。不可能専門探偵と不可解専門探偵、相棒にしてライバルの二人が組んで謎を解くバディ探偵もの連作ミステリシリーズの一篇。単行本の紹介はこちら。

  2018年08月02日の日記
  『ノッキンオン・ロックドドア』(青崎有吾)
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-08-02


『どうしても生きてる 七分二十四秒めへ』(朝井リョウ)
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 女性が女性として生きること。この時代に非正規雇用者として働くこと。結婚しない人生、子どもを持たない人生。平均年収の低下、社会保障制度の崩壊、介護問題、十年後になくなる職業、健康に長生きするための食事の摂り方、貧困格差ジェンダー。生きづらさ生きづらさ生きづらさ。毎日どこに目を向けても、何かしらの情報が目に入る。生き抜くために大切なこと、必要な知識、今から具えておくべきたくさんのもの。それらに触れるたび、生きていくことを諦めろ、そう言われている気持ちになる。
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文庫版p.79


 社会から踏まれ、差別され、なかったことにされる人生。そんな彼女にとって、あるネット動画を流す7分23秒だけが息継ぎのできる時間だった。こんなくだらないことでお気楽に喜んでいられる男たち。自分もこんな生き物だったら、もっと楽に生きられたのだろうか。非正規労働者の女性が置かれている絶望的な状況を共感をこめて描く切ない短篇。


『代打、あたし。』(朝倉宏景)
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 丈瑠はちらっとベンチに目をやった。ユニフォーム姿のシヅが監督然とした、堂々とした態度で腕を組み、腰をかけている。「代打、俺」ならぬ「代打、あたし」を、さらりとやってのけそうなほどの威圧的なオーラを放っているが、登録上はただの控え選手である。
 定時制通信制軟式野球の公式戦では、選手に性別と年齢の制限は存在しない。当然、昼間に働いている社会人が生徒に多いからだが、まさか八十三歳の老婆が出場することなど、誰も想定していないだろう。
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文庫版p.130


 「たった一回でいいんだ。最後の大会、打席に立たせておくれよぉ」
 定時制高校に通う83歳のおばあさんが、軟式野球の公式戦で打席に立つ。いくら何でもそれは自殺行為だということで、何とかして引き止めようとするチームメイトたち。しかし、ほぼ負け確定の九回裏、ついにそのときがやってくる。奇跡は起きるのか、それとも鬼籍が待っているのか。戦争から経済格差まで弱いものに押し付けられる理不尽な扱いに一矢むくいようとする姿を感動的に描いた変化球スポーツ小説。


『魔術師』(小川哲)
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「竹村理道は天才だよ。マジシャン史上、最大の天才。こんな仕掛けを思いついて、かつそれを実行するなんて、天才かつ狂ってないと無理。もし彼が天才じゃないのなら……」
「のなら?」
 その次の言葉を、僕は死ぬまで忘れないだろう。
「タイムマシンが本物だった。ただそれだけ」
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文庫版p.202


 舞台上の「タイムマシン」に乗って、数十年もの過去に戻ってきたと主張する天才マジシャン。提示された証拠には圧倒的な説得力があった。本当にタイムトラベルしたのか、それとも誰にも見破れない仕掛けがあるのだろうか。SFかミステリか、どちらに転ぶか最後まで分からないトリッキーな短篇。


『素敵な圧迫』(呉勝浩)
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 その夜、冷蔵庫におさまりながら、広美はいろいろ考えた。これまでにないくらい、考えた。人生初の、身の危険。一方の天秤に、人生最高の圧迫がのっている。こんなにも悩ましい選択があるのかと、身もだえしそうだった。(中略)
 けれど得られる圧迫は、凄まじい。人生を懸けてしまいそうになるほどだ。この悦びに勝るものなどないんだと、追いつめられてはっきりわかった。うれしいような、うんざりするような発見だった。
 手放すには惜しすぎる。けれど破滅はしたくない。この素敵な圧迫を、可能な限り長引かせる方法はないものか。
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文庫版p.238、239


 何かにはさまって圧迫されることで強い快感を得る女性が陥った三角関係。相手の男は正直どうでもいいけど、この危険な泥沼の三角関係にはまってゆく感じが素敵。ライバルからの脅迫、破滅の予感、その強烈な圧迫感に酔いしれる彼女が渡る決意をした危ない橋とは。異常心理サスペンスでありながら、どこかユーモラスな短篇。


『喪中の客』(小池真理子)
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 滝子はマッチをすって蝋燭に火をともし、線香を焚き、線香台の真ん中に一本立てて手を合わせた。何を考えているのか、わからなかった。何のために来たのか。本気でこんなことをするために、やって来たというのか。憎んでいるのか。未だに嫉妬にかられているのか。運命そのものを呪う気持ちから抜けられずにいるのか。
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文庫版p.296


 既婚者の男と不倫していた妹。その妹と、相手の男が、密会中に事故死してしまう。やがて死んだ男の妻が、語り手の家にやってきて、妹さんの遺影に線香をあげたいという。自分の夫の浮気相手になぜそんなことを。何か恐ろしいことが起きるような不安感をぐんぐん盛り上げてゆき、予想外の方向へ展開する傑作サスペンス小説。


『傷跡の行方』(長岡弘樹)
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 この男は、ただぼくを見逃したのではない。いったん見逃したに過ぎない、ということだ。
 ぼくはドアをゆっくりと閉めた。男の車が走り出した。一刻も早くこの男の前から逃げ出したい。いましがたまでそう思っていたのに、車が道を曲がり、完全に視界から消えるまで、ぼくはなぜか彼の姿をずっと追いかけていた。
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文庫版p.542


 震災直後、津波で大被害が出た地域を歩いていた語り手が、ヒッチハイクする。会話を避ける無愛想な運転手。そして後部座席には子どもの姿。そのとき被災地域で起きている連続児童誘拐事件の報道がテレビから流れてくる。後ろにいる子どもの顔は、まさに行方不明になっている捜索対象の子どもの写真と同じだった……。ありふれた設定のサスペンス小説と思わせておいて、意外な方向から読者を揺さぶる震災小説。


『胎を堕ろす』(帚木蓬生)
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 この部分の石崎さんの話を聞いたとき、私は息をのむ思いがしたのを憶えている。二十年の四月といえば、終戦いや敗戦までたった四カ月しかない。天と地がひっくり返るような日本の苦難が、その四カ月に凝縮されるのだ。目の前にいる石崎さんはまさにその激動の瞬間の生き証人だった。私はまばたきをするのを忘れ、石崎さんの話に聞き入った。
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文庫版p.558


 「ひとつだけ話しとらんこつがあるとです」
 従軍看護婦として半島で終戦を迎え帰国した年配の女性。その話を聞く医者。やがて、彼女は誰にも話さなかった戦争体験を語り始める。いつもいつも弱いものが、女が、犠牲にされる戦争のむごさを描いた戦争文学。


『牧神の午後あるいは陥穽と振り子』(皆川博子)
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 木々の葉は黄ばんできたが、私の背丈の倍ほどに、すっくと育った夾竹桃の葉は青い。初めて実をつけた。風の冷たい朝、郵便受けから出した朝刊が、外界の不穏な情勢を伝える。種が舞い散る。刃のような光が空を裂いて振り戻りつつある。地に近づく。
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文庫版p.664


 戦前、友だちの家で横光利一『日輪』を読みふけった幼い少女。古から繰り返される大殺戮。見た目は美しく「花も幹も枝も葉も、全部毒性を持っている」夾竹桃。そして再び近づいてくる、逃れようのない刃のような光。直接語ることなく語ってみせる驚嘆の戦争文学。


『守株』(米澤穂信)
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 消火器は崖から乗り出すように置かれていて、その真下にはごみ集積場があるのです。あんな重いものが落ちて、もし人に当たりでもしたら、大怪我は必至です。崖の上の消火器に気づいてからは、朝晩の通勤のときに集積所から離れて歩くようになりました。
 私は最初、あんなところにある消火器は、すぐに片づけられるだろうと思っていました。消火器は私の観察力が優れているから見つけられたわけではなく、誰でも一目見ればわかるところにあったのですから、近所の人も自治体の人たちも気づいていたはずです。危険な状態はせいぜい一週間か二週間ぐらいで解消されるだろうと思っていたのです。
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文庫版p.672


 ごみ集積所のすぐ上、崖のふちに引っ掛かるように置かれている消火器。もしも誰かが集積所にいるときに落ちでもしたら……。誰もがそれを知っているのに、誰もそれを片づけようとしない。いかにもありそうな状況を扱いながら、読者が密かに持っている「自分も無意識のうちに江戸川乱歩のいう「プロバビリティーの犯罪」に加担しているかも知れない」という不安心理を巧みについてくる心理サスペンス小説。



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『南米妖怪図鑑』(ホセ・サナルディ:著、セーサル・サナルディ:イラスト、寺井広樹:企画) [読書(オカルト)]

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 今回取り上げた妖怪は、現地での聞き取りや資料調査などに基づいてまとめたもので、今なお人間社会の中で生きつづけている妖怪たちです。しかし、彼らの姿は書物や言い伝えで詳しく説明されているものもあれば、情報に乏しくビジュアルが決まっていないものもありました。そういう場合、出没する環境や発見者の文化的な背景などの要素を考慮して妖怪をデザインしましたが、初めてビジュアル化された妖怪も少なくありません。
 本書のような南米(と中米一部)の国々の妖怪を網羅した図鑑は、世界初ではないかと考えています。この本を、日本にいるみなさんに最初に報告できるのは、とても喜ばしいことだと思っています。
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単行本p.117


 これまで日本に紹介されることの少なかった南米の妖怪40種を、イラスト付きで詳しく解説してくれる妖怪図鑑。単行本(ロクリン社)出版は2019年7月です。


 日本語で読める南米妖怪本というと『ブラジル妖怪と不思議な話50』(野崎貴博)が知られていますが、これはブラジルに絞った内容でした。本書はそれに加えて南米各国、さらに中米まで範囲を広げた妖怪図鑑です。ちなみに『ブラジル妖怪』の紹介はこちら。


  2014年02月05日の日記
  『ブラジル妖怪と不思議な話50』(野崎貴博)
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2014-02-05


 本書の特徴は、何といってもすべての妖怪にイラストが付いていることでしょう。おどろおどろしいものではなく、かといって漫画やアニメ風にキャラ化されたものでもなく、異質で不気味なのにどこかユーモラスという味のあるイラストが満載されています。

 UMAまわりでナウェリートやチュパカブラ、ホラー映画まわりでラ・ヨローナ、あたりは日本でも知名度がありますが、大半の妖怪は日本では名前すらほとんど知られていない新鮮なものばかり。

 厳しい自然環境や社会状況を反映してか、出会った者を瞬殺する恐ろしい妖怪も多いのですが、なかには「ペニスがすごく長い」「おっぱいがすごくでかい」「髭と髪をのばして愛の歌をうたうおっさん」「秘密の鉱山を所有しているお金持ち」といった妖怪もいっぱい載っていて、人々が妖怪を身近に感じていることが伝わってきます。

 付録として中南米の主な国々の地図や基礎情報が掲載されており、収録された妖怪はすべてイラスト付き索引にまとめられているという親切設計。中南米の国々と文化に親しみを感じる一冊です。


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 妖怪たちを知れば、きっと南米大陸の文化や自然を知ることにつながっていくことでしょう。ぜひこの本を片手に、異国情緒あふれる南米の木々や風の音を感じながら、妖怪探訪を楽しんでいただければ幸いです。
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単行本p.3


[目次]

ナウェリート -世界の果ての巨大生物
ピウチェーン -パタゴニアの吸血生物
ギリビーロ -氷河湖に生息する怪しい獣
チョンチョン -空飛ぶ邪悪な頭
チェルーフェ -溶岩の中の怒りっぽい巨人
コケーナ -アンデス山脈の金持ち妖怪
クエーロ -水辺に潜む人食い妖怪
パンパのバシリスコ -邪眼で精神的被害を与える
ロビソン -末っ子の七男には要注意!
ルース・マーラ -光となってさまよう怨念
リアスタイ -山岳地帯の守り神
サッパン・スックーン -巨大なおっぱいを揺るがす怪音
スパイおじさん -怒らせてはならない鉱山の守り鬼
ウクク -クマと人間のハーフ
ジャグアレテー・アヴァ -夜に正体を現す、恐怖のジャガー人間
アルマ・ムーラ -悲鳴を上げて駆けずりまわる、呪われたロバ
カアー・ポラ -マテ茶栽培は命がけ
イルペの二人の女 -湖面に浮かぶ危険な美女
ポンペーロ -密林の忍者
クルピー -あそこの長さは世界一
ジャシー・ジャテレー -厄介な美少年
テジュー・ジャグアー -財宝を守る魔獣
アオアオ -狙われたら最後、強烈イノシシ
ボイタタ -炎に包まれ飛来する大蛇
ピサデイラ -寝込みを襲う不気味な老婆
コルポ・セーコ -枯れ木に注意!
サシー・ペレレー -いたずら好きな国民的愛され妖怪
マピングアリ -アマゾン最強の怪物
ヤクルーナ -アマゾン川の龍宮城!?
ポイラ -「いたずら命」のゴールデンボーイ
パテターロ -不潔極まりない最悪妖怪
パタソーラ -復讐を誓った一本足の女
シルボーン -恐怖の人骨コレクター
マドレモンテ -マグダレナ川の美しい女神
モハーン -夜の川面に響く愛の歌
カイマン男 -出歯亀のワニ
セグア -中米の美しき殺人鬼
ミコ・ブルーホ -敵意むき出しのサルとブタ
チュパカブラ -急速に目撃情報が広がっている吸血獣
ラ・ヨローナ -さまよいつづける女の亡霊

コラム【友よ、お前もしかして……!】
コラム【その名を三度いわせるな!】
コラム【宇宙人が関係してる?!】

主な南米(南アメリカ)の国
南米の主な地形
主な中米(中央アメリカ)の国
妖怪の分布とアイコンについて
南米の国々について
中米の国々について



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