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『SFマガジン2019年8月号 特集・『三体』と中国SF』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2019年8月号の特集は「『三体』と中国SF」でした。『三体』日本語版の出版にあわせて四篇の中国SF短篇が掲載されています。さらに、『サイバータンク vs メガジラス』の続編、『博物館惑星2・ルーキー』シリーズ最新作なども掲載されました。


『天図』(王晋康:著、上原かおり:翻訳)
――――
囲碁界に馬スターが現れたなら、物理学界でも、じきに驢スターが現れるさ、そいつも0と1のわけのわからない文字列で、trial and errorを力ずくで実行するマッチョなやつさ、でもすぐに全ての天才科学者を遥かに凌駕することだろうよ、そしていつの日か宇宙の究極の法則を発見するのさ、でも科学者たちには理解できないんだ、
――――
SFマガジン2019年8月号p.24


 究極の万物理論を頂点とするすべての物理学体系を階層的にまとめた見取り図、これすなわち天図なり。そこには未来の物理学の構造までが明示されていた。この天図を描いたという少年はいったい何者なのか。その正体に迫る科学者は、物理学に終焉がせまっていることに気づく。


『たゆたう生』(何夕:著、及川茜:翻訳)
――――
 純粋エネルギー生命の誕生からたった一万年で、正の世界と負の世界が極点に達するまでにはまだ百億年かかる。その後も、わたしたちは存在し続ける。教えて、それは希望か、それとも……絶望なの?
――――
SFマガジン2019年8月号p.41


 エントロピーが増大し続ける宇宙、エントロピーが減少し続ける宇宙、この二つが対となり、永遠に循環を続ける陰陽太極宇宙。両極にまたがって存在する不滅の純粋エネルギー生命となった鶯鶯と灰灰の二人は、一万年のときをこえ、太陽系で再会する。だがそのとき、地球は変わり果てた姿になっていた。


『南島の星空』(趙海虹:著、立原透耶:翻訳)
――――
 天と人を二つに隔てた状況というのはまさに彼の家庭のことだった。妻の天琴は環境保護の資材を普及させる仕事についており、時代が認める精鋭を保護する「時代精鋭保護計画」に選ばれ、十歳の娘・合鴿を連れて珍玉城に入り生活をしていた。しかし彼は社会から差し迫った必要のない人材であると見なされ、この貴重な割り当てにあずかる権利を得られず、珍玉城の外でスモッグを仲間に――無論マスクとともに――留まっていた。平安市の中ではすでに数えきれないほどの同様の家庭が生まれており、またこのことで多くの婚姻関係が破綻し、ひどい時には社会の関心を集めるホットな話題となった。
――――
SFマガジン2019年8月号p.49


 ますます悪化する大気汚染への対策として建てられた珍玉城。それは汚染物質を濾過し清浄な大気だけを取り込む特殊フィルターで覆われたドーム都市。選ばれた人材だけが珍玉城への居住を許され、無用な人間は汚染された外部にとり残される。天文学者である主人公は後者と見なされ、珍玉城への居住権を得た妻子と別れるはめに。星空を見上げることは「無用」な仕事ではないことを、彼は娘に伝えたいと願う。


『だれもがチャールズを愛していた』(宝樹:著、稲村文吾:翻訳)
――――
 重力感覚を同期――ぼくはどこかに立っている。
 触覚を同期――そよ風が吹きすぎ、春の暖かさと海の湿り気を運んでくる。
 聴覚を同期――風の音、流麗な鳥の声。
 視覚を同期――眼に飛びこんできた薄紅色と白色が、数えきれぬほどの桜の花へと姿をなして萌ゆる春に咲きほこり、木の下には和服を着た妙齢の女が端座している。眉目秀麗、笑窪の咲くその姿は蒼井みやび。
 そしてぼくはチャールズ、唯一無二のチャールズ。
――――
SFマガジン2019年8月号p.60


 自分が体験している全感覚を「配信」できるようになった時代。一番人気のスターはチャールズ、唯一無二のチャールズだった。彼の感覚配信の「視聴者」たちは、チャールズ自身に乗り移って華麗なるハーレム人生を送ることが出来るのだ。今も、愛子天皇との謁見予定をブッチして元人気AV女優の蒼井みやびとデートしているチャールズ、その体験を数多くの視聴者が共有している。

 自室でひきこもり生活をしている宅見直人は、できる限りの時間をチャールズと同期して過ごすことで「本当の人生」を送っていた。ぼく三次元には興味ありません。隣に住んでいる幼なじみの朝倉南は、そんな宅見に「自分の人生」を取り戻させようと色々がんばるのだが……。


『子連れ戦車』(ティモシー・J・ゴーン:著、酒井昭伸:翻訳)
――――
 とうとう新生サイバータンクの装甲に付属する外部スピーカーが作動した。そこから出てきた第一声は――。
「みぎゃー」
 ふたたび、沈黙。われわれはもっとしゃべらせようと働きかけ、どうにか第二声を引きだすことができた。その声も――。
「みぎゃー」
 ここにいたって、われわれは悟った。どこかでなにかをまちがえたのだ。
――――
SFマガジン2019年8月号p.249


 巨大トカゲ型放射能怪獣メガジラスとの戦いを生き延びたサイバータンクに、子供をつくる許可がおりる。だが、産まれた子供は「みぎゃー」と泣くばかりのできんボーイだった。失意のまま小惑星を彷徨う子連れサイバータンク。我ら親子、既に冥府魔道を歩んでおる。だがそこに(みんなの期待通り)敵襲が。

 SFマガジン2018年2月号に掲載された『サイバータンク vs メガジラス』の続編。翻訳者コメント「田村信先生、ごめんなさい」。


『博物館惑星2・ルーキー 第八話 にせもの』(菅浩江)
――――
「本物が持つ力は人間の勘が感知する。形や色を模しただけの複製品に、その気迫は感じられないのよ」
「でもさ、ベテラン学芸員であるネネさんの勘ですら、あの壺は」
 最後まで言いきることができなかった。
 尚美が、怒りを通り越して涙目になっていたからだ。誇りを持って赴任した〈アフロディーテ〉が貶められ、敬愛する大先輩があの贋作を見分けられなくても仕方がないと負けを認めた。勝ち気な新人学芸員にとっては、泣くほど悔しいことなのだ。
――――
SFマガジン2019年6月号p.328


 既知宇宙のあらゆる芸術と美を募集し研究するために作られた小惑星、地球-月の重力均衡点に置かれた博物館惑星〈アフロディーテ〉。そこに保管されていた壺に、贋作の疑いがかかる。もしそうならアフロディーテの学芸員たちの面子まるつぶれ。ことの真偽を確認するために地球から運ばれてきた壺との比較が行われるが、その背後では美術品専門詐欺組織のプロが暗躍していた……。

 若き警備担当者が活躍する『永遠の森』新シリーズ最新作。


『エアーマン』(草上仁)
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 故人は、稀代のエア・アーティストだった。彼には何でもできた。自らの身体だけを使って、森羅万象を表現することができたのだ。(中略)どんな演奏でも、スポーツでも、その他の技芸でも、故人は本物のマスターやチャンピオンになれたろう。人々はそう評した。しかし彼は、エアーマンであることにこだわった。彼は何でもできた。しかし、実際には何もしなかった。何もしないで、何かをしているふりをすることが、彼の宿命だったのだ。
――――
SFマガジン2019年8月号p.356


 稀代のエア・アーティストが死んだ。エアギター演奏、一人でシャドウと闘うエアスポーツ、何も作らないエアクッキング。すべてを身体だけで表現する達人。はたして彼は殺されたのだろうか。もしそうなら犯人の動機は。



タグ:SFマガジン
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『生まれ変わり』(ケン・リュウ:著、古沢嘉通・他:翻訳) [読書(SF)]

――――
 かかる高評価から、日本オリジナル作品集第三弾を編む要請が出、その結果が本書である。作品選択のポイントは、選択時の最新作「ビザンチン・エンパシー」(2018年6月)までに発表された膨大な作品のなかから、これはというものを選ぶのは当然として、多少のわかりにくさがあるため、従来、選択に逡巡していたものもあえて選んだ。
――――
新書版p.551


 『紙の動物園』『母の記憶に』に続くケン・リュウの日本オリジナル短篇集第三弾。新書版(早川書房)出版は2019年2月、Kindle版配信は2019年2月です。

 出版されるたびにSFまわりを越えて広く話題となるケン・リュウの短篇集。ちなみに既刊本の紹介はこちら。


  2017年09月06日の日記
  『母の記憶に』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-09-06

  2015年06月19日の日記
  『紙の動物園』
  https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2015-06-19



[収録作品]

『生まれ変わり』
『介護士』
『ランニング・シューズ』
『化学調味料ゴーレム』
『ホモ・フローレシエンシス』
『訪問者』
『悪疫』
『生きている本の起源に関する、短くて不確かだが本当の話』
『ペレの住民』
『揺り籠からの特報:隠遁者──マサチューセッツ海での四十八時間』
『七度の誕生日』
『数えられるもの』
『カルタゴの薔薇』
『神々は鎖に繋がれてはいない』
『神々は殺されはしない』
『神々は犬死にはしない』
『闇に響くこだま』
『ゴースト・デイズ』
『隠娘』
『ビザンチン・エンパシー』




『生まれ変わり』
――――
 ある意味で、わたしは伝染性があるのだろう。生まれ変わったとき、わたしと親しかった人々、わたしがやったことを知っている人々、彼らがわたしを知っていることがジョシュア・レノンのアイデンティティの一部を形成していた人々は、ポートを移植されねばならず、わたしの生まれ変わりの一部として、そうした記憶は削除された。わたしの犯罪は、それがどんなものであれ、彼らに感染したのだ。
 その彼らが何者なのか、わたしは知りすらしなかった。
――――
新書版p.24


 犯罪者の“全体”を裁くのではなく、犯罪につながった自我の一部を削除し、さらにその犯罪に関わる記憶(本人に加えて関係者全員の)を消すことで更正させる「生まれ変わり」技術。だが、起こしたことを「なかったことにする」ことが、本当に正しい対処なのだろうか。個人のアイデンティティの問題から、戦時下の非人道的行為に対する歴史修正(否認)主義まで、読者の倫理観をゆさぶる作品。


『化学調味料ゴーレム』
――――
「しかし、このわたしが汝にそうするようにと言っておるのだぞ! 神の命令だ」
「でもさ、神さまの決めた規則や戒律なのに、ただの気まぐれで適当な例外を作るわけにはいかないでしょ。そういう仕組みじゃないと思う」
「なぜだ? わたしは神だぞ」
「神さまが独裁者みたいにふるまってた段階は、とっくに過去のものだと思ってたけど」
 口論は一時間つづいた。レベッカの熱意は少しも冷めることがなかった。
――――
新書版p.89


 ユダヤ人の血をひく中国人である少女に、神が命じる。人類の危機を救えと。しかし神は気づいていなかった。中国の娘がどれほど強情で扱いにくい民であるかを。そもそも自分の不手際で起きた問題の解決を他人に命じることの正当性から、安息日に人類を救済する仕事をすることの是非まで。いちいち説得し、なだめるはめになった神の苦労は報われるのか。楽しいユーモア作品。


『ホモ・フローレシエンシス』
――――
 たとえどうあろうと、われわれの世界が彼らの存在を突き止めたとき、彼らの世界はなくなってしまう。われわれは、自分たちにこんなにも近くて、こんなにも異質な種と平和に共存できたことが歴史上一度もない。どこであれホモ・サピエンスがやってきたところでは、ほかのヒト種は消えてしまっている。
――――
新書版p.127


 インドネシアで発見された謎の歯。つい最近まで生きていたと考えられるその持ち主は、人類とは別に進化したヒト属だった。ついに彼らの居住地を発見したとき、研究者は深刻なジレンマに陥る。アマゾンで発見された未開民族、インドネシアで発見されたフローレス原人化石などのトピックから、人類学などの科学に内在しているある種の暴力性に焦点を当てる作品。


『訪問者』
――――
 それでも、異星の探査機の近くでは、誰もが礼儀正しくふるまおうとする傾向があった。笑うときはより大きく、話すときはより熱心になり、ゴミがあれば拾い、喧嘩はやめる。よく考えてみると、馬鹿げている。どうしたら宇宙人によい印象をあたえられるのか、ぼくたちは何も知らないのだ。
――――
新書版p.137


 謎の異星人が地球全域に送り込んできた無数の探査機。捕獲することも破壊することもできない探査機の存在に、人類は慣れていった。だが、探査機に「見られている」という意識は、微妙に人々の行動に影響を与える。国際的な人身売買問題に取り組む活動家が、この現象を利用して人々の意識を少しでも変えようと試みる。悲惨慣れして無関心におおわれた世界でマスコミが果たすべき役割を扱った作品。


『数えられるもの』
――――
 有限の人生には無限の瞬間がある。現在に留まり、順番に経験していかねばならないとだれが言うのか?
 過去は過去ではない。おなじ瞬間が何度も何度も経験され、毎回、なにか新しいものが加わるだろう。充分な時間があれば、空白が有理数で埋められるだろう。線が一枚の絵を完成するだろう。世界の辻褄が合う。
――――
新書版p.267


 母親の恋人から虐待されている幼い少年。だが彼には数学の才能があった。そして自分の人生を構成している各瞬間を、時系列順ではなく体験できることに気づく。なぜなら瞬間は無限に存在するが、それは加算無限(アレフゼロ)であり、したがって任意に定める順序数と一対一対応することが証明できるからだ。ベタなプロットを数学的裏付けのある特異な語り口で語ってみせる作品。


『神々は鎖に繋がれてはいない』
『神々は殺されはしない』
『神々は犬死にはしない』
――――
 人間以後(ポストヒューマン)、シンギュラリティ以前の、世界最高のコンピュータ・ハードウェアのスピードと威力をもって天才人間たちの認知能力と結びついた人工直観体――便利であり、画期的なものだ。彼らはわれわれの世界で言う神々のような存在で、その神々は天上で戦争を行っている。
――――
新書版p.345


 人間の優れた直感力をコンピュータ上に再現する。初期の「意識のアップロード」実験は思いがけない結果をもたらし、世界を恐るべき勢いで改変してゆく。ポストヒューマン誕生から完全なシンギュラリティに向かう移行プロセスを扱った三部作。言語モジュールの非効率性ゆえポストヒューマンたちが人間とのコミュニケーションに絵文字を使うという発想が印象的で、実際に絵文字が多用される作品。


『闇に響くこだま』
――――
 盲目は俺の強みなんだ。俺の武術の流派には、これまで目の見えない達人がたくさんいた。彼らは夜間の戦闘技術を磨き、目の代わりに耳を使ってきた。この壁を造っている石とその利用法は、昔の達人から代々伝わってきたものだ。
――――
新書版p.417


 清朝に対して反旗を翻した反逆者のリーダーは「飛翔する蝙蝠」と呼ばれていた。暗闇で敵兵の位置を確実に読み取り倒してゆく彼の驚異の武術を目にしたとき、語り手はその技、すなわち音響定位(エコーロケーション)が持つ可能性に気づく。清代を舞台とした奇想武侠小説。


『隠娘』
――――
 わたしの心を読んだかのように男は言った。「わたしは二晩経てばここにひとりでいる。約束は違えぬ」「これから死のうとしている人間の言葉にどんな価値がある?」わたしは言い返した。
「暗殺者の言葉とおなじ価値がある」男は言った。
 わたしはうなずくと飛び上がった。本拠の崖の蔦をのぼっていくときのようにすばやくわたしは垂れ下がっている綱をよじのぼり、屋根に開けた穴から姿を消した。
――――
新書版p.480


 あらゆる暗殺術を仕込まれた凄腕の女暗殺者。だがあるとき、一人の男を殺すことをためらい、逆に彼を守る決意をする。それは、自分よりも腕のたつ姉弟子たちと闘うことを意味していた。中国古典に題をとった翻案小説ですが、個人的にはこの原作、舒淇(スー・チー)が主演した映画『黒衣の刺客』(ホウ・シャオシェン監督)の印象が強く、とにかくスー・チー美し。


『ビザンチン・エンパシー』
――――
 だが、巨大NGOと外交政策シンクタンクからなるすでに確立された世界を、なんの価値もない無名の暗号通貨ネットワークで変えることができると本気で期待できるだろうか?
 それにもかかわらず、この仕事は正しい気がした。そしてそのことがそれに逆らう形で思いつけるどんな議論よりも価値があった。
――――
新書版p.524


 世界中で起きている悲惨な出来事に対して、集められた寄付金プールを効果的に配分するための組織体制。だが、政治的な判断から無視されることになった人々の悲劇は、誰が救うべきなのか。

 一人のプログラマーがブロックチェーン(ビットコインなどの暗号通貨の基礎技術)を利用して、人々の共感(エンパシー)を通貨として流通させることで寄付金プールの配分判断を自動的に下す非中央集権的なシステムを作り出し、それは世界最大の慈善基金プラットフォームへと成長してゆく。だが、不確実でプロパガンダに流されやすい大衆の共感なるもので巨額の寄付金が動くことが正しいことなのだろうか。立場の異なる二人の登場人物の対立を通じて、慈善や富の再分配が抱えている倫理的問題を掘り下げる作品。



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『SFマガジン2019年6月号 追悼・横田順彌』 [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2019年6月号の特集は「追悼・横田順彌」でした。1月に死去した横田順彌さんを振り返ります。


『かわいた風』(横田順彌)
――――
 かれがもし宇宙放浪者などではなく、地球の調査を目的とした調査隊の科学者であれば、この灰濁色の建物がこの滅びさった星の住人たちを知るために、いかに重要なものであるか理解できたかもしれない。しかし、ロアは単なる宇宙放浪者でしかなかった。
――――
SFマガジン2019年6月号p.16


 人類存続のために、核戦争で滅びる直前に行われた絶望的な試み。遠い未来、一人の宇宙放浪者がその痕跡に触れる。並行して進む複数のプロットが最後に結びつく短編。


『大喝采』(横田順彌)
――――
「あれは、いったいなんだったのだ……」
 春浪が、これまで何回いったか分からないことばを、また吐き捨てるようにいった。
「分かりません。ぼくも確かに裏映しの活動を、ほんの数分かもしれませんが見ました。時子さんも同じことをいっています。でも、理由はわかりません」
――――
SFマガジン2019年6月号p.33


 活動写真のヒルムが裏映しに上映されるという椿事、その背後には超常的なものの片鱗が。押川春浪とその知人たちが活躍する著者お得意の明治SF。


『ムジカ・ムンダーナ』(小川哲)
――――
「なあ、ダイガ。お前はこの島に何をしに来た?」
「ある音楽を聴きに」
「どんな音楽だ?」
「この島でもっとも裕福な男が所有していて、これまで一度も演奏されたことがないという、歴史上もっとも価値のある音楽だよ」
「聴けるといいな」とロブが笑った。
――――
SFマガジン2019年6月号p.199


 島民それぞれが「音楽」を所有しており、それを「貨幣」「財産」として使うという独特の文化を発展させたルテア族。これまで一度も演奏されたことがないという「最も価値が高い音楽」を求めて島に渡った音楽家は、そこで自分の父が遺した音楽の秘密を知る。宇宙を体現するものとしての音楽をテーマにした音楽SF。


『ピュア』(小野美由紀)
――――
 人類全員が抱える同じ営みから、私は逃れられない。みぃんな同じ、誰かか誰かか誰かか誰か、どうあがいても、他の誰かがやってることを、そっくりそのまま繰り返すしかない。それが正義でそれが倫理。今は、男よりも女がエライ、女のほうが人生得だってみぃんな言うけれど、男も女も、その意味では同じじゃないか。クニを守って男食って、子供産んで、それで終わりは名誉の戦死、それが私たちの使命です、なんて、なんだかとってもイケてない。
 名誉女性になんて、別になりたくない。けど、それ以外の何かになる方法を、今の私は知らない。
――――
SFマガジン2019年6月号p.220


 男を狩っては殺戮交尾して喰う(そうしないと妊娠しない)ことが当たり前になった時代。女は戦争してクニを守り、男を喰い殺して子供を産む。女に喰われるのが男の幸せ。喰われない男は残飯あつかい。それこそが人間の自然なありかたというものです。世間のルールに沿ってひたすら殺戮と交尾に励む友達のなかにあって、語り手の少女は悩んでいた。ある男を好きになってしまったのだ。喰いたい、殺したい、でも、一緒にいたい……。

 性差別の「根拠」はつまるところ肉体的な強弱だけ。ならそれを逆転させればどうなるか。そういう視点から様々なジェンダーSFが書かれていますが、『ジュラシックパーク』におけるヴェロキラプトルなみの肉体的パワーと攻撃性を持った女たちが圧倒的暴力により男たちを殺戮交尾、性暴力が社会制度に組み込まれているという本作の設定は、最もストレートでピュアなものかも知れません。


『鬚を生やした物体X』(サム・J・ミラー、茂木健:訳)
――――
 自分のなかになにかが潜んでいることを、マクレディは自覚している。それは、いつも心の片隅で見え隠れしており、その声は遠い谺となって聞こえてくる。失われた時間と、点々と残る瓦礫の山。
 マクレディは、自分がとてつもなく獰猛な狂人ではないかと疑っている。ときどき意識を喪失するのだが、そのあいだに身の毛もよだつような罪を犯し、その痕跡を消しているのではないかと思ってしまう。
――――
SFマガジン2019年6月号p.247


 壊滅した南極基地からニューヨークに戻ってきたヘリ操縦士のマクレディ。あそこで何があったのか、記憶がすっぽり欠落している。だが、自分がときどき意識を失い、周囲の人が行方不明になることに、漠然とした不安を持っている。自分のなかに化け物が潜んでいるような気がする。だが、それなら自分以外の人々は、はたして人間なのだろうか。

 家族や親戚の人が突然、差別意識をむき出しにした言葉を「悪意なく」言い出すときの困惑。親しい友人や恋人がSNSで暴言を吐いていることに気づいたときの衝撃。そして自分も意識せず差別や憎悪を誰かに向けているに違いないという不安。誰の心にも潜んで暴力を煽っているものを、もともと共産主義への恐怖から生まれたのであろう「遊星からの物体X」に託して語る物語。


『博物館惑星2・ルーキー 第七話 一寸の虫にも』(菅浩江)
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 ――あなたの微表情や拍動パターンが、他の人の緊張とは違っています。こちらへの伝達レベルに満たない意識の気配からしても、あなたは虫が……。
 ――言うな!
 健は鋭く〈ダイク〉を制した。
 孝弘ですら身構えているほどの事態なのだから、個人的なトラウマと向き合ってはいられない。ただひたすらに手を握り合わせて、自分はVWAだ、虫なんか怖くない、と言い聞かせ続けるのが最善の策。
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SFマガジン2019年6月号p.345


 既知宇宙のあらゆる芸術と美を募集し研究するために作られた小惑星、地球-月の重力均衡点に置かれた博物館惑星〈アフロディーテ〉。そこに遺伝子改変された虫が放たれた。もし繁殖してしまったら、閉鎖空間でかろうじて均衡を保っている生態系にどんな壊滅的被害が出るか分からない。速やかに駆除しなければならないが、警備担当である主人公は、虫に単するかなり強い恐怖症を持っていたのだった。やばーい。
 若き警備担当者が活躍する『永遠の森』新シリーズ第七話。



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『2001:キューブリック、クラーク』(マイケル・ベンソン、中村融・内田昌之・小野田和子:翻訳、添野知生:監修) [読書(SF)]

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 意識的に神話の構造をとり入れ、一人称の実験映画にこだわり、“真の”メッセージに曖昧な部分を内在させたおかげで、観客ひとりひとりが独自の解釈を投影できるようになった。この映画がいつまでも力と今日性を失わない重要な理由がそれだ。
 つまるところ『2001年宇宙の旅』は、みずからの死という運命を意識している生きもの、想像力と知的能力に内在する限界に気づきながらも、さらに高い状態と、さらに高い存在の次元をめざして絶えず奮闘する生きものとしてのわれわれの状況にまつわる物語だ。そして、深遠な共作としての性質がもっともよく顕れているのがそこなのだ。明らかにキューブリックの映画でありながら、クラークの映画でもあり、作家が何十年もとり組んできた数々のテーマが壮大な形で統合されているのである。
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単行本p.41


 「語り草になるような、いいSF映画を作る可能性について話し合いたい」
 キューブリックからクラークへ送られた一通の手紙。そこから始まったのは、混乱と紆余曲折とたび重なる遅延による悪夢だった。あまりにも横暴な監督、現場から逃亡するスタッフ、借金を重ね破産寸前に追い詰められる作家、数限りない諍いと訴訟。だが、映画は突き進んでゆく。奇跡に向かって。

 現代の神話となった映画『2001年宇宙の旅』はどのようにして製作されたのか。徹底した取材をもとに執筆され、公開50周年にあわせて出版された、決定版ともいえるドキュメンタリー。単行本(早川書房)出版は2018年12月、Kindle版配信は2019年1月です。


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 いまにして思えば、こうした当初の敵意と無理解の波は、その映画が技法と構造において根本的に革新をとげていた結果だと理解できる――これもまた『ユリシーズ』との類似点だ。どちらも後にいやいやながらも――すくなくとも、その一部においては――再評価が進み、真に重要な芸術作品が生まれていたのだと理解されるようになった。『2001年宇宙の旅』は、いまや永久に時代を画す希有な作品のひとつだと認められている。平たくいえば、われわれ自身に関する考え方を変えたのだ。この点でも、ジェイムズ・ジョイスの傑作に比肩するといっても過言ではない。
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単行本p.35


 『2001年宇宙の旅』は、その内容とはまた別に、混乱と無理解に潰されそうになりながらも、キューブリックとクラークという二人の天才が共同で生み出した真に革新的なビジョンがついに輝かしい勝利を勝ち取った物語/神話として語られてきました。そのバックステージでは、実際のところ、どんなことが起きていたのでしょうか。関係者への入念な取材と一次資料の徹底的な調査によってそれを明らかにした一冊です。


 現場の状況はまことにひどいもので、今日なら絶対に許されないような人権侵害がまかり通っていた様子、スタンリー・キューブリック監督の横暴ぶり、ひとでなしっぷりには、正直、ひきます。それでも、ひどい扱いを受けた者、仲違いした者、現場放棄して逃亡した者、訴えた者、その全員が畏怖の念をこめて「天才だった」と語るその凄味。あのシーン、このシーン、どのようにして作られたのかを知ると、その意味が分かってきます。


――――
 彼との経験は活力に満ちていて興味深かった。しかし、キューブリックといっしょに仕事をする者はいない――彼のために仕事をする者がいるだけだ――と学んだ。それはかなりむずかしいことだった。映画製作者として、彼はパラノイア気味で、まちがいなく強迫観念にとり憑かれていた。本当に優秀な人材を集めてから、彼らの才能を浪費しはじめた。しまいにわたしは、才能ある者たちが力を合わせて勤勉に働いているのに、どうやら気まぐれに、矛盾した命令をくだしてばかりいる独裁政治のようなやり方にうんざりした。
――――
単行本p.194


――――
 キューブリックは激しい羞恥心に苦しむこともあった。彼が最初からひどくまちがえていたせいで、いったんは大勢の人びととたくさんの金を使ってセットや脚本をあるかたちで用意しておきながら、実際にはまったくちがう方向へ変えなければならない、と思い知らされるからだ。
 それは事実なのか――偉大なるスタンリー・キューブリックはほんとうに数多くの修正や改変を恥ずかしいと感じていたのか――と疑わしそうに質問されて、クリスティアーヌは肯定した。
「彼は恥ずかしいと感じていた?」
「とても」
「しかしスタジオではそれをうまく隠していた」
「そうつとめていたわ」
「彼は成功した。わたしは一度たりとも聞いたことが――」
「隠しているのよ。たしかに、彼は自分を疑うことなんかないように見えたわ。でもほんとうは疑っていた。“ぼくはただのマヌケ野郎だ”と自嘲する瞬間がしょっちゅうあったのよ」
――――
単行本p.282


 もう一人の主役といってよいアーサー・C・クラークも、映画からの利益をまったく与えられないとか、小説の出版も禁止されるとか、監督から徹底的に踏みつけにされてなお「彼の言うことも理解できる」とか、どんだけお人好しなのかと。


――――
 1964年を通じてクラークがキューブリックと親密になるにつれ、ある懸念が彼のなかで高まっていった。もしキューブリックが共作者の性的指向に気づいたら、自分が好きになり、敬服するようになったこの男はどう思うだろう? 見当もつかなかったので、彼の懊悩は深まった。とうとう、クラークはその問題に真正面から向き合うことにした。ある打ち合わせの席で、頃合いを見計らって唐突にこういったのだ。「スタン、きみに知ってもらいたいことがある。わたしは精神的にたいへん安定したホモセクシャルだ」
「ああ、知ってたよ」とキューブリックは間髪を容れずに答え、そのままの議論をつづけた。
――――
単行本p.119


 これで懐柔されてしまうクラーク。監督からも、恋人からも、情け容赦なくむしられるクラーク。同性愛者である自分を受け入れてくれる者には必死で尽くしてしまう気の毒なクラーク。


――――
「彼の人生においてもっとも重要な人間関係は、彼が同性愛者であることをその基盤としていた」キャラスは1989年にクラークの伝記作家、ニール・マカリアーにそう語っている。「それで彼は何百万ドルも失った……。彼はそれらの人間関係に何百万ドルも注ぎ込んできた」キャラスに言わせれば、クラークは「マイク・ウィルスンの犠牲になったんだ。それも手ひどく」その負担に加えて、クラークは明らかに両性愛者だったウィルスンだけではなく、その家族の暮らしも支えていた。
(中略)
 1966年3月という私生活の面でも仕事の面でもひどく混乱していた時期に、クラークがコロンボから手助けをしてくれたことで、『2001年』の中間部分に見直しがかけられ、今日われわれが目にする映画の骨子がほぼできあがった。それはクラークが製作の段階でも中心的役割を果たしていたことをしめす明らかな証拠だ。
――――
単行本p.277


 極端な二面性をそれぞれに抱えた主役二人をはじめとして、次から次へと登場する「キャラの立った」傑物たち。驚異と脅威の両方に満ち満ちた撮影プロセス。これはもう無理だろうと思えるトラブルや困難を切り抜けてゆく興奮の展開。600ページ近い大著ですが、それこそ映画を見るような感覚で、最後までどきどきしながら読みました。


[目次]

第1章 プロローグ──オデッセイ
第2章 未来論者(1964年冬~春)
第3章 監督(1964年春)
第4章 プリプロダクション──ニューヨーク(1964年春~1965年夏)
第5章 ボアハムヘッド(1965年夏~冬)
第6章 製作(1965年12月~1966年7月)
第7章 パープルハートと高所のワイヤ(1966年夏~冬)
第8章 人類の夜明け(1966年冬~1967年秋)
第9章 最終段階(1966年秋~1967年~68年冬)
第10章 対称性と抽象性(1967年8月~1968年3月)
第11章 公開(1968年春)
第12章 余波(1968年春~2008年春)


第1章 プロローグ──オデッセイ
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 この場当たり的で、リサーチを基礎とするアプローチは、大予算の映画作りではきわめて異例であり、この規模のプロジェクトでは前代未聞だった。『2001年』には脚本の決定稿がなかった。プロットの節目は、撮影が進んでからも流動的なままだった。重要なシーンは、撮影スケジュールが来た時点で、原型をとどめないほど改変されるか、完全に捨てられるかだった。一流の科学者たちが地球外知性に関して議論するというドキュメンタリー風の序章が撮影されたが、使われなかった。巨大なセットが組まれ、欠陥が見つかり、却下された。二トンもある透明なプレキシグラスのモノリスが、莫大な費用をかけて製作され、しっくりこないという理由でお蔵入りとなった。
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単行本p.32


第2章 未来論者(1964年冬~春)
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 優れたSF映画はまだ作られていないという意見にはかならずしも同意しなかったが、その大半が子供だましであることは百も承知だった。そして語り草になるような映画はまだ作られていないという点は認めるにやぶさかでなかった。それに加えて、長い長いあいだ映画界に食いこむチャンスをうかがっていたのだ。いまでなければいつなのだ――それにキューブリック以上の相手がいるだろうか?
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単行本p.59


第3章 監督(1964年春)
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 作家に仮のものであれ歩合を提示しなかったことだった。純益にしろ総収入にしろ、まったくのゼロであり、したがってちょっとした金も出なかった。メレディスの交渉手腕、いや、それをいうならクラークの黙認傾向に非難の余地があるとしても、これはキューブリックの側の不作為――それどころか倫理の欠如以外のなにものでもない。(中略)キューブリックの見地が理解できるというクラークの能力は、それからの4年にわたり、くり返し発揮されることになる。たとえ限界点までくり返し試されるのだとしても。
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単行本p.98


第4章 プリプロダクション──ニューヨーク(1964年春~1965年夏)
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 7月28日にキューブリックは射抜くような目をクラークに据え、「われわれに必要なのは、神話的な荘厳さにみちたとびきりのテーマだ」(伊藤典夫訳)と宣言した。彼らのプロジェクトが、「クズとみなされない最初のSF映画」から、もっと大胆で、もっと深遠になる可能性を秘めたものへいつしか変貌しているのは、すでに明白だった。
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単行本p.111


 最初の4つの章では、『2001年宇宙の旅』、アーサー・C・クラーク、そしてスタンリー・キューブリック監督をそれぞれ紹介し、二人の出会いから共同作業により映画の基本コンセプトが生み出されてゆく過程を描きます。


第5章 ボアハムヘッド(1965年夏~冬)
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 事態を複雑にしたのは、二転三転をつづけるストーリー・ラインだった。事業のガルガンチュア的性質――巨大で複雑なセット、大型予算、MGMが負っているリスク、何千人もの従業員がいる主要なスタジオ複合施設が、もっぱら彼のヴィジョンの実現に当てられているという事実――にもかかわらず、キューブリックは即興でやっていた。プロジェクトはすべて彼の頭のなかにあった。もちろん、凡人の頭のなかだったら、これは災厄をもたらすだろう。ところが、彼の頭から出てきはじめたのは、じつは精錬された形のものだった。混沌に見えるにもかかわらず、不純物が入念に剥ぎとられ、メッセージは精錬されていたのだ。
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単行本p.172


第6章 製作(1965年12月~1966年7月)
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 キューブリックの人材スカウトには非の打ち所がなかった。彼はたぐいまれなる才能と能力をもつチームを周囲に配置していた。映画会社のボスであるロバート・オブライエンは常に惜しみない支援をしてくれた。撮影監督のジェフリー・アンスワースはその分野ではトップクラスの人材だった。それ以外のスタッフについてもだいたい同じことが言えた。しかも、アーサー・C・クラークというワールドクラスの知的な対話相手が、いつまでも続くストーリーの改善という現実を受け入れてくれていた。ただし、ふたりのせいいっぱいの努力にもかかわらず、それはまったく終わっていなかった。
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単行本p.213


第7章 パープルハートと高所のワイヤ(1966年夏~冬)
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 『2001年』のセットはほとんどがすでに撤去されていたが、この映画の製作における、おそらくはもっとも途方もない光景は、1966年の7、8月から秋に入るまでの特定の日々に、ステージ4の高所で目にすることができた。スタントマンのビル・ウェストンが、そこでEVAすなわち船外活動のワイヤアクションをおこなっていたのだ。
(中略)
 ウェストンの恐れを知らないパフォーマンスは、転落防止ネットなしで実施され、『2001年宇宙の旅』の製作中に撮影された肉体面および技術面でもっとも過酷なシーンの一部となった。
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単行本p.334


第8章 人類の夜明け(1966年冬~1967年秋)
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 フリーボーンがあらゆる予想をくつがえし、それまでの設計すらくつがえして、ヒトザルに歯をむきださせたのを見たとき、キューブリックは自分の歯をむいて笑っただろうか? 実は、彼はそれでも満足しなかった。もっと微妙なニュアンスがほしかった。キューブリックが求めたのは生物のシミュレーションではなく、生物そのものだった。
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単行本p.378


第9章 最終段階(1966年秋~1967年~68年冬)
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 実際には『2001年宇宙の旅』はキューブリックとその辛抱強いスタッフ一同が製作過程でほぼ一から十まで――まったく新しい視覚効果方法論や最新のきわめて重大なプロット要素、等々――発明してきた大規模な研究開発プロジェクトだという事実がどうしてもからんでくる。納入日がどんどん先送りされていくのは当然の話だった。キューブリックの妥協を許さぬ完璧主義がすべての基準となっていたため、けっきょくこの二百の視覚効果シーンの大半が8回から9回、やり直すことになった。トータルすると1万6千になんなんとする回数――これはキューブリック自身が見積もっていた数字そのものだった。
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単行本p.416


 英国ボアハムウッドにある映画スタジオでスタートした映画製作。
 人類の夜明けのシーンはいかにして撮影されたのか。巨大遠心機のなか、モノリス発掘現場、月面基地の会議室、ポッド内での密談、無重力空間でのアクション。非常用エアロックの中に噴出される(実際にはビル三階分の高さから突き落とされる)危険なシーケンス。HALのメモリユニットをひとつひとつ抜いてゆくボーマン。スターゲートの驚異的ビジュアル。その先にある白い部屋。
 セットが完成し、撮影がはじまっているというのに、いまだストーリーは二転三転を続けていた……。中間の5つの章では、撮影のバックステージを描きます。


第10章 対称性と抽象性(1967年8月~1968年3月)
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 ダグ・トランブルは『2001年』の最終段階を、なんとはなしに疲れて士気も下がり苦い思いに満ちた時期として記憶している。それまでは内に秘められていたライバル心や緊張が表面化してきていたという。誰もが疲れ果てているとき、大事なことがもうすぐ終わるというときに起こりがちな現象だ。「沈没船からネズミが逃げだすように、みんな現場から離れていった。誰も彼も疲労困憊、とにかく完全に疲れ切っていて、もうたくさんという気分だし、キャリアも足踏み状態だったからだ」とトランブルは語っている。『2001年』の仕事は予想より遥かに時間がかかっていたため、「ほかの映画の仕事をすることができなかったから、みんなうんざりしていたんだ……みんな、自分がどれほどのことに携わっているのか、気づいていなかったんだよ――ぼくはわかっていたけどね」
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単行本p.519


第11章 公開(1968年春)
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 すでに映画を二回見ていたクラークはインターミッション中に館外に出ると、屈辱と失望のうちにチェルシー・ホテルに引きあげた。のちに彼は、客席に陣取ったMGMの重役たちの一団からこんな言葉が聞こえてきたと回想している――「これでスタンリー・キューブリックもおしまいだな」
 けっきょく、途中で出ていった人数は241名にのぼった。観客総数の6分の1以上だ。
(中略)
 問題山積の打ち上げではあったが、キューブリックとクラークの宇宙叙事詩はただ持ち堪えただけではなかった。『2001年』は成功への道を歩みはじめていた。
 『2001年』は興行面でふるわず、若い観客が馬を駆って助太刀に馳せ参じるまでは打ち切り寸前の窮地にあったという神話とは逆に、興業データは初日からチケットの売れ行きがめざましかったことを示している。
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単行本p.539、548


第12章 余波(1968年春~2008年春)
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 公開から半世紀、そしてタイトルの年からも20年近くがすぎたいまとなっても、『2001年』の影響は過大評価のしようがないほど広く残っている。本作では科学知識に基づく推測やインダストリアルデザイン、テクノフューチャリズム、そして複雑多彩な映画的抽象主義が融合して、それ以前には見られなかったかたちで芸術と科学を一体化させている。『2001年』のいまだ衰えぬ強い影響力は、デザイン面だけを見ても映画製作、広告、そしてテクノロジー全般におよんでいるし、近年ますます今日性を強め、警戒心をこめて語られることもある人工知能にかんする論議においてはHALの名がいたるところで登場する。リヒャルト・シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」は本作と密接に結びついていて、もはやキューブリックの地球と月の上に太陽が昇る画期的な場面と切り離して考えることができないほどだ。
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単行本p.560


 アニメーション製作、音楽、編集、試写、そして一般公開。最後の3つの章では、ポストプロダクション工程から映画公開後の反響、そして今日における評価までを描きます。



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『SFマガジン2019年4月号 ベスト・オブ・ベスト2018』(上田早夕里、他) [読書(SF)]

 隔月刊SFマガジン2019年4月号の特集は「ベスト・オブ・ベスト2018」ということで、『SFが読みたい! 2019年版』で上位にランクインした作家の新作短編もしくは長編の冒頭部が掲載されました。ちなみに『SFが読みたい! 2019年版』の紹介はこちら。


2019年02月13日の日記
『SFが読みたい! 2019年版』
https://babahide.blog.so-net.ne.jp/2019-02-13


『戦車の中』(郝景芳)
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人間はどのみちこんなにも容易に機械によって暴露される。彼はまだ想像していることだろう。どのような方法を使えば俺たちを引き離すことができるのか、俺たちを村に入れてあの人々を発見させずにすむのか、と。残念だが遅すぎた。俺たちはもう入ってしまった。俺たちの任務は爆破することだ。
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SFマガジン2019年4月号p.30


 戦闘マシンと組んで冷徹で非人道的な判断を迷うことなく下す人間。『折りたたみ北京』の著者が、人間性を失いつつある私たちの姿を緊迫感ある筆致で描いた作品。


『書夢回想』(円城塔)
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 うん、そうですね。その書店というのは、外部から強制的にデータを書き込んでくる怪物みたいなやつでしてね。この本は、その書店が開発した書物兵器みたいなものってことですよ。このわたしみたいな現象を好き放題に望み通りに発現させることができるわけです。
 はい、はい。
 ですから、調査ですよ。読者に仇なす邪悪な書店の場所を突き止め、滅ぼすためのね。
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SFマガジン2019年4月号p.38


 世界のどこかに存在するらしい邪悪な書店。そこには紙の書物が置かれているという。その書店について書かれているこの文章を読んでいるうちにも本文と関係なく勝手に割りこんで「あなた」に語りかけてくる謎の調査員。安定の円城塔。


『銀翼とプレアシスタント(抄)』(上田早夕里)
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「そうだ。もうひとつ訊いておきたい。カズホさんは、飛行機と人間との間に境界線があると思う?」
 謎々のような問いかけに、和穂は微笑を浮かべた。「――ない、かな。この仕事をやっていると、機械と自分との間に境界線なんてないことに気づく。道具として使っている以上、それは自分の体の一部だから。むしろ私は、飛行機に乗っていないときの自分のほうを、人間として不完全な存在と感じてしまうことすらある」
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SFマガジン2019年4月号p.51


 待望の「オーシャンクロニクル」シリーズ最新作。リ・クリテイシャス(大規模海面上昇)により群島化しつつある日本を舞台に、アシスタント知性体へとつながる技術がどのようにして発展していったのかを描き、機械と人間の関係を問い直す作品。


『野生のエルヴィスを追って』(石川宗生)
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 野生のエルヴィス・プレスリーをご存じだろうか。エルヴィス・プレスリーのことは知っていても、野生種については実態はおろか存在すら知らない、気にも留めたことがないという方も大勢いるのではないだろうか。(中略)数百年前までは世界全体で約一万頭の野生種が存在したとも言われているが、現在は個体数が激減し、IUCN(国際自然保護連合)レッドリストの「近絶滅種」に指定されている。
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SFマガジン2019年4月号p.113


 今や個体数が激減し絶滅が近いとされているエルヴィス・プレスリーの野生種。砂漠に、海に、空に。デビュー作『吉田同名』で読者を困惑させた著者による、滅多に姿を見せない野生のエルヴィスを追う人々の姿を取材したナチュラルドキュメンタリー。


『たのしい超監視社会』(柞刈湯葉)
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「相互監視制度の導入は、もともとは肥大化した特高警察の合理化(リストラ)が目的だった。だが、それが想定外の結果をもたらした。システムが導入され、国民が監視する側に回ることで、彼らは気づいたのだ。監視社会は楽しい、ということに」
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SFマガジン2019年4月号p.226


 オーウェル『1984』の世界がそのまま続いて今や21世紀。超監視社会はさらなる発展を遂げ、国民同士が互いを監視する相互監視システムとなっていた。監視されればされるほど国民ポイントが付くので、なるべく多くのフォロワー、じゃなかった監視者の注目をゲットするために、自室の監視カメラの前で「踊ってみた」「やってみた」。楽しい相互監視社会。その「楽しさ」の前には、自由も、権利も、プライバシーも、何もかもすべて無力だった。『横浜駅SF』の著者による、嫌になるほどリアルなディストピア作品。



『折り紙食堂 エッシャーのフランベ』(三方行成)
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 ここは折り紙食堂だ。店内には折り紙が満ちている。いくつもの紙で出来たユニットが組み合わさって出来たくす玉がたくさん並んでいる。
 小さな紙でできたユニット。
 それがいくつも組み合わさって。
 店主の口から音がこぼれて、あなたの脳は理解を拒む。
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SFマガジン2019年4月号p.237


 負け犬の「あなた」がふらりと入った食堂。そこは「折り紙食堂」だった。店内を埋めつくす折り紙、折り紙。今回の一品は「エッシャーのフランベ」。連作シリーズ第一話。


『ミサイルマン』(片瀬二郎)
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太く白い雲が、ねじくれながらどこまでも長く伸びつづけていた。〈ミサイルマン〉だった。あれは〈ミサイルマン〉だった。目をこらすと、銀色のボディと円錐形の帽子を装着した人影が、膨大な長さに伸びた噴煙の先端で、不安定に高度を保とうとしているのがかろうじて見えた。あれはンナホナだった。ンナホナは〈ミサイルマン〉だった。
――――
SFマガジン2019年4月号p.250


 法も人道も無視無視で外国人労働者をこき使うブラック企業。そこで文句も言わずに過酷労働に従事していたンナホナが、繁忙期なのに欠勤した。怒った専務は成敗すべく彼が住んでいるアパートに乗り込んでゆくが、そのときンナホナが「発射」される。吹き飛ぶ安アパート、大空に伸びてゆく白煙。鳥か、飛行機か、いや〈ミサイルマン〉だ! 『サムライ・ポテト』の著者が現実の社会問題を奇想でえぐるブラックな作品。


『アトモスフェラ・インコグニタ』(ニール・スティーヴンスン、日暮雅通:翻訳)
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「ぼくがもっと若かったとき、自分が何か意欲的なでかいものを作ってるわけじゃないということに、いらついてました。しょうもないアプリを書いてるだけだった。そこへカールが〈タワー〉のアイデアをもってやってきて、それが飛ばなければならないことになるんだとわかって――ネットワークを組み込まなくちゃ、まっすぐ立つこともできないとわかって――ぴんときたんです。すべてのものをネットワーク化して、スマートに、アクティブにするというメンタリティを受け入れるためだけ、あるいはそれに浸るためだけに何かを建てるのは、しばらくやめなくちゃならない。やめれば、これまで不可能だったものを建てられるようになる。鉄のない時代に高層ビルが建てられなかったのと同じことです」
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SFマガジン2019年4月号p.334


 高さ2万メートル、地上から宇宙へ伸びる超高層タワー。これだけの巨大建造物をスカイフックなしに地上に建てるという野心的なプロジェクト。用地買収から構造、建造方法、気流対策のためのアクティブ制御まで、『七人のイヴ』の著者による「大気圏を貫く塔」を建てる土木建築ハードSF。



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