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『軸足をずらす』(和田まさ子) [読書(小説・詩)]

――――
ことばはあなたには届かない
すべてのあなたたちには届かない
だからといって
生きていけないわけはない
――――
「夜をわたる」より


 他の人がたやすくやっているように見えるニンゲンのあれこれが、どうしてもうまく行かず、疲れ果てたとき。軸足をずらして、さみしい方へ傾斜するのだ。社会で生きてゆくしんどさに共感する詩集。単行本(思潮社)出版は2018年8月です。


 ただ生きてゆくだけでもつらいのに、他人と同じようにきちんと生きなきゃいけない。それはとてもしんどい。そもそもにんげんに向いていない。


――――
府中駅のロータリーの暗がりで
生きやすい路線バスを探している
人をもてなし
わるいものにも巻かれて
やるべきことは
やったはず
でも、まだやらなければならない修練があるようだ
駅ビルの谷間で
敷石に足を取られつまずいた
声をあげてもだれも振り向かないが
石の冷たさが清々しいのはなぜだろう
――――
「生きやすい路線」より


――――
ときどきあらわれるわたしの雇い主に
次から次へと他人の物語に押し込められて
そのなかできちんと役割を果たすという
むつかしい任務にへとへとになり
夏にも突入した
人々の「すてきな夏休みの計画」にも誘われないで
手には悲惨なニュースばかり持たされる
――――
「突入する」より


――――
いい人になるためにしなければならないさまざまなこと
世の中への参加の仕方
過ぎ去った時間の忘れ方
その他、生きるために必要な技術家庭科
それを学んでこなかった
それでいいといってくれとはいわないが
――――
「戸が叩かれ」より


――――
わたしはすでに生まれたが
飽和している箱だ
爆発と憂鬱の黄色い装置が
スイッチを押されたがっている星に来て
二酸化炭素を吐き出し
友人が少ない
ひとりの女でもある
他人を欲しがらないで
息をすることは
たぶんある人たちには疎まれる
――――
「内藤橋」より


 とにかく日々の仕事をこなしているうちに、どんどん傾斜がきつくなってゆきます。


――――
いい人だと思われなくてもいい
いつの間にかこの世にいたが
どこかに軸足をずらす
さみしい方へ傾斜するのだ
――――
「軸足をずらす」より


――――
はじまりの物語が
幾人ものうわさが混じって届く
勾配のきつい土手のへりを歩いて
もっと傾斜するのだ
――――
「呼ばれる」より


――――
郊外では
屋根の傾斜が急で
ニンゲンはそれぞれの屈折角度で滑り落ちていく
すると地上の悲嘆は着物のように折り畳まれて
空の箪笥にしまわれる
――――
「石を嗅ぐ」より


 ガマンぎりぎりラインを滑って、少しずれたら見えてくる新しい光景。


――――
東京の夜をわたる
鰐がいて
人々の秘密を見張っている
それがわたしたちの破滅的な関係を見破ったとしても
何度でも街は
わたしたちを蘇生させる
わたしたちは街の生贄
試されている存在なのだから
――――
「夜をわたる」より


――――
やがて
あの鯉のように
細い川で泳いで
一匹ずつ
浮いていく
だめになった人たちのなかにいるのだろう
笑っているように
口をあけて
――――
「錦鯉」より


――――
苔玉に霧を吹きかけ
いいこともわるいことも
この一瞬に
凝縮されて
いまがすでに過去になって
人を絵のなかの背景の一点にしてしまう
――――
「苔玉」より


――――
たくさんの比喩に
負けないで通り過ぎる
極上の秋だ
――――
「極上の秋」より



タグ:和田まさ子
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『冒険者たち』(ユキノ進) [読書(小説・詩)]

――――
八階のコピー機の裏で客死するコガネムシその旅の終わりに
――――
残業の一万行のエクセルよ、雪原とおく行く犬橇よ
――――
「トリプルルッツ」残業に飽きくるくると回るまよなか部長の椅子で
――――
「プロダクトのパーセプションをシフトします」いったいおれは何を言っている
――――
「派遣でもできる仕事」と会議中屈託もなく話す同僚
――――
社員ひとり減らして派遣をあとふたり増やす部門の年次計画
――――


 会社における理不尽を苦々しいユーモアを込めて描く平成会社員歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年4月、Kindle版配信は2018年6月です。


 出社して、残業して、へとへとになって帰宅して、それで一日が終わる。ひたすら苦痛と絶望を与え合って数十年、気がついたら人生が終わる。仕事に追われる日常のなかで誰もがふと感じる感慨を、巧みにとらえた作品が目につきます。


――――
八階のコピー機の裏で客死するコガネムシその旅の終わりに
――――
開け放つ事務所の窓に飛び込んだ蜻蛉の命をみな気にしている
――――
割箸がじょうずに割れる別の世で春の城門がしずかに開く
――――
また次長の昔ばなしが始まって目配せしつつ黙るおれたち
――――
残業の一万行のエクセルよ、雪原とおく行く犬橇よ
――――
「トリプルルッツ」残業に飽きくるくると回るまよなか部長の椅子で
――――
忠義とはこういうことか枕元に会社支給の携帯を置く
――――
人身事故で遅れる電車を待つあいだ駅で見ている今日の運勢
――――


 会社で過ごす時間の大半を費やしている「会議」という儀式。その摩訶不思議な会社しぐさ。


――――
七匹の小動物とおとこ五人 春商品のキャラクター会議
――――
「プロダクトのパーセプションをシフトします」いったいおれは何を言っている
――――
外国の地下鉄に乗っているときの表情をして会議を過ごす
――――
会議室の窓から見えるひつじ雲かぞえても数えなくても眠い
――――
風船の行方を気にしているあいだこの世のことをすこし忘れる
――――
企画書のコアラ、フェレット、ハリネズミ コアラに丸し会議が終わる
――――


 忙しい仕事の合間に、ふと空を見上げて感じる、その刹那。


――――
今すぐに飛んで行きますとクレームの電話を切って翼を捜す
――――
飛べるのだおれよりもずっと高くまでローソンのレジの袋でさえも
――――
幾年も回り続けて山手線は東京の空を飛んだことがない
――――
将来の銀河鉄道接続のための余白が路線図にある
――――
支店長ナイスショットと言いながら空を横切る鳥を見ていた
――――
白鳥は思っていたよりばかでかく地上の者を罵って飛ぶ
――――
本部長の向こうの窓をまっしろな飛行機雲が横切っている
――――
うすのろな日々にときおり射すひかり祈りは空を見上げるしぐさ
――――


 平成という時代を象徴するような、非正規社員という身分制度。


――――
内線表に並ぶ名前の階級制 社員、契約、派遣の順に
――――
「派遣でもできる仕事」と会議中屈託もなく話す同僚
――――
かさついた声で伝える正社員登用制度という狭き門
――――
ランチへゆくエレベーターで宙を見る七分の三は非正規社員
――――
昼休み社員と派遣は別々に単価の違う昼食を摂る
――――
あしたからしばし無職となる人を囲んで同じ課の五、六人
――――
花束は派遣契約打ち切りを決めた次長がおずおず渡す
――――
食べ残しの皿が下げられゆくようにデスクまわりが片づけられる
――――
一回のロビーの隅のごみ箱に花束が深く突き刺してある
――――


 会社という仕組みに圧殺されてゆく人々の声なき悲鳴。


――――
企画書を雨の路上にぶちまけて新入社員が会社を辞める
――――
スプーン曲げをいつか酒場でしてくれた先輩は長く病欠らしい
――――
会議室の片すみで聞く二週間会社に来ない同僚のこと
――――
消息を語りだすとき人はみな湖の底を見るような目で
――――
残業中Webニュースでそっと読む競合の若い社員の過労死
――――
損益計算書がすこし傷んで躊躇なくコストと人を会社は削る
――――
社員ひとり減らして派遣をあとふたり増やす部門の年次計画
――――


 今日も無意味な服従苦役。いつまでもずっと続くと思っていた。


――――
二十二時に始まる会議 煮詰まった者から順に天井を見る
――――
缶コーヒーの企画はいったん白紙だとおれの目も見ず宣伝部長は
――――
天丼の前にお冷を飲み干して上司はおれに異動を告げる
――――
まさか俺が、まの抜けた顔で水を飲む死ぬ時もきっとこの顔をする
――――


 赴任先の営業所のあたりは、空気もきれいで、人々の気持ちもおおらか。ゆったりした気持ちで仕事が出来るぞ、よかったじゃないか。


――――
「マルL」と符牒によって示される地域採用社員のリスト
――――
「地域事情に精通している人材」の平均三割低い賃金
――――
効率的な働き方を、ときれいごとを並べるおれに集まる視線
――――
本社からの電話の問いに「四年です」とこたえ深まる営業所の秋
――――


 帰宅中、ひとり静かに眺める景色。明日もまた繰り返される日々。


――――
ひと月の月の巡りよ ひとつだけ衛星を持つ星の寂しさ
――――
夕暮れの平野にならぶ鉄塔のはるか遠くへ伸びてゆく意志
――――
窓の灯が疎らになってしんしんと団地の夜にひろがる銀河
――――
夜の空をくしゃみしながら見上げればひとつ残らず遠ざかる星
――――



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『ウラミズモ奴隷選挙』(笙野頼子) [読書(小説・詩)]

――――
 おぞましい事だった。にっほんという国は近年どう歴史的にみても、(1)無意識的奴隷制国家であるというばかりではなく、(2)天然性少女虐待国家だった。要はどっちにしろ奴隷国家なのだ。普通にしていても結局は奴隷。というか奴隷根性の国。
(中略)
 にっほんはいつしか自分で自分を奴隷化し奴隷的でいることを美徳とする国となっていった。それもけして勤勉が好きなのではなく、弱者に押しつける不要の苦しみが好き。女に向かって嫌な我慢をさせる事が生き甲斐。
(中略)
 そもそもそれ以前に、奴隷というものがあまりにも全土にすべてに浸透しすぎていて、特に「強制」されなくてもいつも、誰かの所有物になっていて魂を売っている。
 にっほん人とは何か? それは奴隷とは何かについてまともに考えたことが一度もない国民。というよりかそれ以前に、自分とは何で今どんな状態かさえ、思考して言語化した記憶のない奴隷集団。それで外国との折衝がうまくいくはずがない。だってにっほんにおいては、全部の交渉設定が、必ず、奴隷対主人なので。つまり人間同士の関係というものが訓練できていない。
(中略)
 奴隷は選挙に行かない。行っても行かなくても奴隷根性に変わりはないし、奴隷でなくなった自分というものを想像出来ないから。
――――
単行本p.66、67、68、79


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第121回。

 おんたこ、ひょうすべ、TPP。だいにっほんシリーズの舞台はついに女人国ウラミズモへ。TPP批准から、ウラミズモによる占領を経て、にっほん事実上の滅亡までの歴史を一気に駆け抜ける最新長篇。単行本(河出書房新社)出版は2018年10月です。


 話題作『植民人喰い条約 ひょうすべの国』の続編がついに刊行されました。とはいえ、前作を読んでなくても大丈夫。はじめての方も、ためらわず最新作からどうぞ。もう時間がない、ので。


――――
 私の本って、どの順序で読んだって、判る人にはすぐに、判るのです。しかもとりあえず、今はとんでもない時代が来つつあるので、そこで一般の方にもこの私の「難儀な」、文章を読んで貰うしかなく、するとその場合は現状に近いものからのほうが読みやすいでしょう、と。つまり、新しいものから、お読みください、と。その方が今の現実と引き比べながら、我が身に則して、そのまま読めるから。それこそ危機感のある人にならば。
(中略)
 ていうか、昔、私の恐れていた、書いていた事、当時は幻想で済んだ。でも今、現実になりつつある。
(中略)
 で? 現在の私はこの危険性をなんとかしてお伝えしたいというだけであって……。
 普段は私の本などに興味のないお方にも、この最新作を、お勧めしなくてはと。
(中略)
 要は、私がここで描いているのは、性暴力の後ろにある差別暴力と経済暴力ですよ。つまり、性暴力、差別暴力、経済暴力は三位一体、ていうか最終的には経済暴力になって世界を覆うのでは? という未来予測であって。要するにほらこれ、男性問題でしょう?
(中略)
 だって、今、あなたは、生き延びねばならないよ? ずっとずっと選挙に行かないでいて? あんなものに政権を渡したまま? 小選挙区制とかでつくりこまれて、それで今から医者もご飯もない地獄に導かれていく? 無論文学とかこっぱみじんにされてね。
――――
単行本p.8、9、13、16


 というわけで、生き延びるために急いで読もうという方の手助けになればと思い、簡単に年表をまとめてみました。これを念頭に置いておけば、少なくとも時系列的な混乱は避けられる、と思います。


200x年
 女人国ウラミズモ建国(茨城県)。
2016年
 にっほん、TPPを批准(現実の日本では2018年6月29日)。
2020年
 東京オリンピック開催。市川房代誕生。
2040年頃
 国家戦略特区における奴隷選挙スタート。
 ウラミズモによるにっほん領土占領の開始。
2049年
 市川房代(29)、ウラミズモに移民。
2051年
 市川房代(31)、ウラミズモ男性保護牧場に赴任。
2060年
 奴隷選挙によりS倉(千葉県)がウラミズモに占領される。
2067年
 ウラミズモ、にっほんの大半を占領。
 (九州と山口県だけ取り残されたらしい)
2068年
 姫宮様、旧S倉歴史民俗博物館を訪問
2086年
 市川房代(66)、引退。


 小説の前半では、2068年現在、ウラミズモ領土となっているS倉を舞台に、ウラミズモ国民の様子、そしてTPP批准が引き金となって引き起こされたにっほんの惨状が語られます。


――――
 で? 現実の日本も、パラレルのにっほんも、いつしか気がつけば公文書は全て偽造、議会は多数決だけ。公約は破られるだけ。民を世界企業に売り渡す人喰い条約のTPP、それを使って一家を根こそぎにする事しか(両方の)政府は考えていない。故に民を煮るため鍋釜、下で燃やす薪、何もかも揃えて、政権は殺戮以外ではもう、興奮しなくなっていた。
(中略)
 総理は、その場その場を騙して勝手に国民を奴隷にする判子を押し続けた。そしてその結果は一番弱いところに押しつければよいから、とモラルの低いにっほん国民に教え込んでいった。というような、それは、グローバルネズミ講だった。ばかりではなく……。
 民を苦しめて、人口さえ減らせば、国中の空き地を、海外から請け負った汚染物質の捨て場にする事が出来る、と政府は思っていた。その上で子供にも過激農薬入りの食物しか食わせず、さらに病気にする。するとその病気の治療費を無保険にしてむしり取ることができる。さらにまた元々の国民が減れば外国人をだまして連れて来て人件費節約、そう、この華麗なサイクルを回し続ければ。何から何までが連中の「国益」になるのである。こうして、「無駄のない利益が繋がって回り、勝ちはすべて自分達のところにだけ永遠に集まる」と、いうわけであって、……。
――――
単行本p.32、33


――――
 にっほんの殆どの国内の土地は国家戦略特区というものになった。そこでは基本的人権は制限され、無論最低賃金なども決めなくなっていた。言論の自由も、人間の自由もなく、ただ多国籍世界企業の、自由だけがあった。企業は人間の生き血を吸って、それをそのまま会社の金庫に貯めていった。(中略)この下り坂の「大国」から、残っていた金は海外へ持ち去られた。その後は自己責任、自主決定、弱肉強食を本性とする「平等」がまかり通り、結果、子供は煙草を吸い、幼女は売春させられ、「自由」の名の下に性暴力と児童虐待が横行した。
――――
単行本p.64


――――
 水道料金の払えない人が増えていて、彼らは飲み水だけ買う。むろんペリエとかではなく、その安い川の水を。しかしそこには農薬ばかりか寄生虫も化学物質も入っている。その一方で、使える井戸などはお役所に見つかれば水源自主管理規制法等で埋められるそうだ。つまり、水源は世界企業が買い占めているのである。
 そんな中S倉には空っ風で、古新聞が飛んでくる。すると紙面ではまだ大都会の人間が「にっほんの水と自由は無料、いい気な国家批判」などと冷笑している。しかし県部では既に、庭に生えた七草も零れた種も、勝手に使っているとお縄になる。
 最近のにっほんでは、自分の取った種でも自分で汲んだ井戸水でも、勝手に使うことが禁じられていた。その原因は、世界的な大会社がお金を取りたいから。基本、全部の生存行為から手数料を取る。しかも、その値段を遠い外国で、勝手に決めてくる。というか、……。
 つまりそういう約束になっている判子を、半世紀前のにっほんの政府は、世界に向かって突いて、約束した。みやこでは、それをTPP批准、ひじゅん、と呼んでいたそうだ。するとその批准、ひじゅんは、にっほんの民が自分ひとりでする生産や工夫を全部犯罪という事にしてしまったのである。
 息をするにも糞をするにも外国企業に許可を求め、いいなりに金を払う世界。
――――
単行本p.85


 TPP、種子法廃止、水道民営化、とどめに改憲。お得なバリューセットでこういうことに。できればディストピアSF設定のままであってほしかった。でもこれ、マジですよ。


 ところが、こんな状態になっても国民は反乱を起こさない。どころか大多数の国民は選挙にさえ行こうとしない。なぜでしょうか。


――――
 要するに、奴隷の分際で選挙権があるのは恥ずかしいから、というので国民の殆どはもう誰も選挙に行かなくなっていた。要するに、そもそも権力者だけは責めない体質があるから、悪政があればある程、たちまち「精神の貴族」や「アナキスト」を気取り「選挙なんか行くの馬鹿らしい」となってしまっていた。その上で「だってくだらねいですお」とか言いながらも、自分の子供や、通りすがりの女や、孫を喰っていた。それこそが実はこの国の奴隷同士「穏やかで争わない」秘訣らしかった。にっほんの国民は「超人的我慢でご近所に迷惑をかけない、おかみのお世話にならない」、しかしそこも実は奴隷化の原因であった。
(中略)
 もともと、世界全体が狂ってしまう前から、にっほんは助け合わない国、弱者に全てを押しつける国、実態と表現が離して置かれる国、そういう国であった。
 歴史的に他国と相当に違うところがあった、それは国民全体が奴隷であり、奴隷が普通と思い込んでいるこの奴隷根性である。
――――
単行本p.33、35


 どんなに状況が悪くなっても、権力(お上)だけは責めてはいけないし、ホモソの秩序を乱すようなことを言ってはならない。世の中が混乱しているのは、それはもちろん「いついかなる時でも、女が悪い」。そして、未成年者の性的搾取さえ許されるなら、どんな非人間的な扱いもひたすら我慢して権力に媚びる。自分の権利を主張する奴がいれば叩く。それが日本男子が身につける唯一の社会的しぐさ。


――――
 政権は女子供を資材と見做す第三世界的かつ自国の伝統的な人間観に基づき、殊に女に全てを要求し奴隷としての完璧さを求め、なおかつ国家凋落の全責任を背負わせ、その上で成人するまでに使い捨てる方針をたちまち選んだ。
(中略)
 そんな中、全ての広告に、資材として女子高生が使われるようになった。まだ子供の彼女らは性的蔑視をされ、射精時の妄想に使用された。その上でどんな政策もすべて失敗すれば女子高生の責任、出産率が減るのも犯罪が起こるのも、痴漢が湧いているのも女子高生の責任という事になった。
 そしてにっほんの男達は気が向くと女子高生に殴りかかり、殴りおえると「母親の膝にすがるように」甘え、顔の腫れた被害者と記念写真を撮って、フェイスブックで和解と称して晒すのであった。
 要するに少女だけをセックス強要の対象にする少女強姦者は、けして珍奇な変態というわけではなく、この国の経済暴力に興奮した、ごく「普通に勤勉な」人々であった。要するに彼らは収奪淫乱と化していたのである。というのも彼らは労働者、経営者であろうとするのを止め、ひたすら投資家になろうとしていたから。
 どんな小銭でもその金を投資し、投資家気取りになり、ご主人様気分を獲得するために何の関係もない女子高生を襲う。つまりそれらは「うちひしがれた弱い男たち」の唯一にして「最後の希望」だったのだ。
(中略)
 取り敢えず少女と見たら因縁を付けて性的虐待、しかもそれだけでは欲ボケの身にはもの足りぬので、泣いている親や被害者に二次加害する、しかもこいつらときたらそれでもまだ足りないというので、どうやったら口汚く被害者を貶められるか、こうやってデマを流したら向こうはショックで自殺するか、それを朝から晩まで考えていて二十四時間、少しでも多く他人様から、何の理由もなく毟り取ろうとする。しかし実はそれはけして、ただの極悪汚いどすけべ、というそれだけではなく、大変に深い意味のある行為だった。
 そう、これこそ、地球を滅ぼす不毛な「ネオリベ経済行為」と同じものなのだ。こうして少女虐待の「うま酒に酔いながら」国はまず女性から滅びつつあった。
――――
単行本p.70、71、73


――――
 で? 政府はそのように国が滅びつつあることをも、当然、少女の責任としたのだった。要するに何もかも短期決戦で人材を育てず、人間主体の幸福追求をさせず、数字の発展と、個々からの収奪が、経済の達成であるかのような、見せ掛けを作り込んだ。その上で格差を広げていった。なおかつ国全体の赤字と災難は少女がもたらすのだ、その分の責任を少女が被れとまで宣伝し続けた。こうなると数字を信じて疑わず、その収奪ぶりを我が利益と思い込んで喜ぶ人間は、全員が弱いものいじめを徹底させる事で、権力からなんとか褒められようとした。
(中略)
 全員が投資家気取り国にっほん、そこにはもう少女虐待以外の「国内産業」はない。また国外向き産業も絶滅しつつあった。昔一流だった自動車も家電も今は外国で作り、自国の労働者まで切り続けていた。そもそもTPPはただ巨大外資をうるおすだけのもので、何ら自動車の輸出にさえ有利には働かなかった(当時の政府がそう作り込んでしまった)。金は一度動けば全て国外の金庫に流れ、二度と出てこない。そんな中、なおかつその結果として。
 他国に債権を作りそれを国民に返させる。今ではそれがにっほんという国の主要な「産業」になった。
――――
単行本p.73、78


 希望はないのでしょうか。実はひとつだけ。それは選挙。さあ選挙に行こう。お願いだから選挙に行こう。

 何をナイーブな、と冷笑されるでしょうか。しかし、何でもありの戦略特区においては、所属する国でさえ選挙で選べるとしたら。


――――
 国家戦略特区で野党が選挙に勝てば、そこは国を抜けられる、すると地獄のTPPがチャラになってくる。そういう展開が起きてしまっていた。で、前の国は滅び、新しい国へ、でも他国から行けるのは女だけである。
(中略)
 核廃棄物から逃げるための選挙だった。心ある男性は妻と娘を助けるため、自分は別れるしかない女人国に投票した。そう、何もかも捨てて? でも捨てるものさえなかった。
(中略)
 結局は性愛も自由もない、警察国家を選ぶしかないのだろうか。つまりいくら国民は幸福でも外から見れば、「経済にも外交にも無知蒙昧で憐れむべき」三等国。そこの国民になってもいいのか。しかも、なれるのは女だけ。
――――
単行本p.38、54、57


「民主主義が死んだ後の世界」
「性愛も自由もない警察国家」
「実は相当なディストピ天国」
しかし、
「女に全て賃金を渡し、侮辱せず、男の奴隷にせず、遠慮させずに食わせて、暮らさせている」


 厳しい言論思想統制がしかれた警察国家。でもそこでは、女は人間として扱われる、というか、女だけが人間として扱われる。目の前にあるお肉を一人前ちゃんと食べた女が批判されない国。選挙で勝ちさえすればそこに……。


――――
 それでも、その日私はみたこ様にいのりました。だって私は巫女になりたいので男断ちをしているのだ。みたこさま、おお、美しいお遣い女さまよ、イカアナは私のパンツをとっていきました、なので、どうか私を選挙に勝たせてください。もし負ければ私はもう何も拝まない。ただあの糞イカアナキストを本当に殺します。刺してやります。突いてやります。死体の血を一滴も残しません。全部飲み干します。だって、レトルトを貰って食べたくらいで人の尊厳を何ですか、尊厳という言葉を私はみたこから習いました。イカアナからすると悪の言葉らしい。だが悪が何だろう、私は悪が好きだ。悪に憧れる。あの汚らしい、五十がらみの坊っちゃまに胸や尻を踏まれたりつねられたりして起こされる位なら、どんな悪にでもなるよ。悪の女帝になるよ。
 だって、投票所にはとうとう国連の監視団が来ていたのです。
 そしてさらに神ではないものにも私は祈りました。ウラミズモよ、「悪のウラミズモ」よ、女にセックスを断る自由を与えた、「権力の警察」よ、どうかひょうすべと、イカアナとヤリテとイカフェミを宇宙一汚い、便所に、叩き込んでください。なんぼ「正しく」ても「自由」でも私は自分の輝く玉の肌を、イカアナの便所にされるのは嫌です、と。
――――
単行本p.248


 国民として受け入れられるのは女だけ。男は国外追放。または問答無用で射殺。あるいは悪名高い男性保護牧場で「保護」。それがわかっていて「心ある男性は妻と娘を助けるため、自分は別れるしかない女人国に投票した」という記述から、どれほどの苦境にあったのかがうかがわれます。地獄とディトピア、ぎりぎりの二択。


 水晶夢の国にようこそ、あなたは今生まれた。


 後半に入ると、語り手は市川房代という人物に代わります。名前を見ただけでわかる人にはわかる、キーパーソンです。


――――
 なんというか、要するに、私にはひとつの属性があったと思います。しかしその属性の名前をまだ知りません。
 ウラミズモに来て、こんなに自由になってもまだ判らないのです。私には頭と心に、少しだけ欠けたところがあるようです。何か誰かを困らせるものがあるようです。
――――
単行本p.146


 おそらく金毘羅属性じゃないかな。

 それはともかく、市川房代の自分語りを通じて、例えば移民の扱いや指導者の人物像、社会施策方針など、ウラミズモについて読者は少しずつ学んでゆくことになります。

 市川房代は、男性保護牧場の責任者という「誰も正規の職員が引き受けるもののない地獄」といわれるポジションに。だって移民だから。そして舞台はついに男性保護牧場へと、……。

 やがて、猫沼きぬ、双尾銀鈴、という国の将来を担うエリート校の高校生たちが主役となり、その友情というか共依存というか共犯意識というか恋愛感情というか、二人の関係性が描かれます。何しろ性差別が存在しない社会で生まれ育った若者たちの瑞々しい青春ドラマということで、ル・グィン風ジェンダーSFとしても読みごたえがあります。

 今、二人が直面しているのは、オストラ(語源は古代ギリシアにおける陶片追放、オストラシズムから)の最終決定という課題。にっほんの女を「解放」した奴隷選挙と対比させるように、オストラを基盤としたウラミズモ社会体制の一端が描かれます。


――――
 オストラの中でもそれは白梅の特別編成クラスにだけ課せられた単位である。男性保護牧場にいる凶悪で非公開な生体資料、痴漢強姦と言っても世界史上にはない程に無残で酷い彼らをおとなの保護下で距離を置いた上とはいえ、この白梅は観察し、ぶっちゃけ、その中の一番ひどいやつをどう処刑するか、全て決める。それが最重要授業である。他のクラスや他のナンバースクールでもごく一般的なオストラならば無論、やっているのだが、しかしピラミッド式のその頂点に今、猫沼と銀鈴はいて、そこにある特別オストラ最高位オストラをまかされている。しかもそれは学業としてだけではない。将来に亘って評価される大仕事なのだ。
 要するに警視総監と法務大臣は、絶対、白梅から出る。最高裁の判事も。
――――
単行本p.176


 なお、「文藝」に掲載された本篇に、「前書き 初読み? 大丈夫、ようこそウラミズモへ」「後書き 離脱への道」が追加されています。

 また「資料」として、「Web河出」に掲載された『ウラミズモ、今ここに』や、「笙野頼子資料室」に掲載された『近況報告』、さらにメールや手紙などの書簡を収録。

 最後に、「明るすぎる」未来を描くらしい「次作予告篇――作者、欲望のままに」が置かれています。とうとうウラミズモに占領された東京が舞台となるようです。

 カバー折り返しには「主な登場人物」リスト。帯が強烈で、これは書店でご確認ください。そしてカバーですが、これはぜひ外して広げてみてください。

 というわけでお得感満載、「普段は私の本などに興味のないお方にも、この最新作を、お勧めしなくては」という気合に満ちた最新作。ぜひ多くの方に読んでほしい。選挙に行ってほしい。まだ希望はあります。



タグ:笙野頼子
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『遠くの敵や硝子を』(服部真里子) [読書(小説・詩)]

――――
たましいを紙飛行機にして見せてその一度きりの加速を見せて
――――
月の夜のすてきなペーパードライバー 八重歯きらきらさせて笑って
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いのちあるかぎり言葉はひるがえり時おり浜昼顔にもふれる
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神様と契約をするこのようにほのあたたかい鯛焼きを裂き
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首をかしげたあなたに春の螺子が降りそのまま春に連れていかれる
――――
夜をください そうでなければ永遠に冷たい洗濯物をください
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 思いがけない比喩。不意打ちのような描写。これまで出会ったことのない言葉の組み合わせが驚きをもたらす歌集。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年10月です。


 第一歌集『行け広野へと』が面白かったので、第二歌集である本書も急いで読んでみました。ちなみに第一歌集の紹介はこちらです。


  2018年09月13日の日記
  『行け広野へと』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2018-09-13


 言葉と言葉の、ありそうでなかった組み合わせから、びっくりするような描写や共感が生まれてくる。そうした技にさらに磨きがかかっているように思います。うまく説明できないわりとひねくれたユーモア、個人的に好みの、それがあちこち散見され、とても嬉しい。


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フラミンゴは一生さまざまに喩えられある時は薔薇のように眠る
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言葉から意味が離れていく昼を眠る躑躅の丘にたおれて
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いのちあるかぎり言葉はひるがえり時おり浜昼顔にもふれる
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神様と契約をするこのようにほのあたたかい鯛焼きを裂き
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月の夜のすてきなペーパードライバー 八重歯きらきらさせて笑って
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たましいを紙飛行機にして見せてその一度きりの加速を見せて
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雪柳てのひらに散るさみしさよ十の位から一借りてくる
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湯の中に大根ぼやけこの頃はひと夜ひと夜に人見ごろ 春
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草むらを鳴らして風がこの夜に無数の0を書き足してゆく
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 今作で印象的なのが、動物や植物の名前を使う、その巧みさです。


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誰を呼んでもカラスアゲハが来てしまうようなあなたの声が聴きたい
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にんげんの言葉はある日刃のように冷え川岸に鶺鴒を呼ぶ
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今宵あなたの夢を抜けだす羚羊の群れ その脚の美しき偶数
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夜の蜘蛛を殺すよろこびは息ふかく夏の身体を灯らせるまで
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暁を雲雀のように落ちながら正夢も逆夢も好きだよ
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 動物に比べて、植物の使い方はけっこう怖い。


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羊歯を踏めば羊歯は明るく呼び戻すみどりしたたるばかりの憎悪
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ひまわりを葬るために来た丘でひまわりは振りまわしても黄色
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金雀枝の花見てすぐに気がふれる おめでとうっていつでも言える
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さらさらと舌のかたちの葉を垂らす夜の夾竹桃を怖れる
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さるびあがみな小さく口開けていてこのおそろしい無音の昼よ
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 思いがけない比喩の力で、季節感を視覚化してしまうような、その勢いが素晴らしい。


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首をかしげたあなたに春の螺子が降りそのまま春に連れていかれる
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甘夏が好き(八月は金色の歯車を抱き)甘夏が好き
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胸をながれる昏くて熱い黄金よ秋は冒瀆にはよい季節
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奇跡 でなければ薄塩ポップコーン 二月の朝によく似合うもの
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雪の音につつまれる夜のローソンでスプーンのことを二回訊かれる
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 死を扱った暗い作品も多いのですが、どこか激情というか、感情エネルギーの昂りが感じられ、不思議な力強さを感じさせます。


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その胸につめたい蝶を貼りつけて人は死ぬ 海鳴りが聞こえる
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雨の夜の馬体のように一日は過去へむかって運ばれてゆく
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死者の口座に今宵きらめきつつ落ちる半年分の預金利息よ
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すぐに死ぬ星と思って五百円硬貨をいくつもいくつも使う
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夜の雨 人の心を折るときは百合の花首ほど深く折る
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夜をください そうでなければ永遠に冷たい洗濯物をください
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風がそうするより少していねいに倒しておいた銀の自転車
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犬のことでたくさん泣いたあとに見てコーヒーフロートをきれいと思う
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地下鉄のホームに風を浴びながら遠くの敵や硝子を愛す
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『たべるのがおそい vol.6』(深緑野分、石川美南、北野勇作、酉島伝法、他、西崎憲:編集) [読書(小説・詩)]

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 文芸誌というものは掲載作がすべてであって、その一番重要な点で、今号も大変恵まれたように思う。そういえば、創刊号の頃から「文芸誌を全部読んだのははじめてだ」といった感想を何度かいただいたのだが、本はやはり最初から最後のページまですべて目を通されるべきだろう。
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編集後記より


 小説、翻訳、エッセイ、短歌など、様々な文芸ジャンルにおける新鮮ですごいとこだけざざっと集めた文学ムック「たべるのがおそい」その第6号です。単行本(書肆侃侃房)出版は2018年10月。


[掲載作品]

巻頭エッセイ 文と場所
  『雰囲気で書いているのかも』(前田司郎)

特集 ミステリ狩り
  『ボイルド・オクトパス』(佐藤究)
  『メロン畑』(深緑野分)

創作
  『野戦病院』(谷崎由依)
  『彼』(酉島伝法)
  『誘い笑い』(大滝瓶太)
  『飴の中の林檎の話』(北野勇作)

翻訳
  『三つの銅貨』(メアリー・エリザベス・カウンセルマン、狩野一郎:翻訳)
  『あまたの叉路の庭』(ホルへ・ルイス・ボルヘス、西崎憲:翻訳)

短歌
  『どちらも蜘蛛の巣の瞳』(我妻俊樹)
  『鳥の家』(石川美南)
  『星を食べない』(斎藤見咲子)
  『夢を釣る』(中山俊一)

エッセイ 本がなければ生きていけない
  『本の絵を描く人になりたい』(林由紀子)
  『頭を殴られ気絶する』(吉野仁)


『彼』(酉島伝法)
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 ひとりの人間が車で崖から落下したが無傷で助かり、家に帰ってなにごともなかったかのように食事をし、また元の場所に戻って飛び降りる。ひとくちには呑み込めない話で、未だにどういうことなのかを考える。
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たべるのが遅いvol.6 p.35


 車ごと崖から落下した男が、そのまま帰宅して食事をし、夜中にこっそり布団を抜け出して何時間も歩いて現場に戻り、同じ場所から飛び降り自殺をした。「彼」はなぜそんな行動をとったのか。その動機を探るうちに、語り手も読者も、気がつけば迷宮の中。情報が増えれば増えるほど不可解さが増してゆく人物像。背後で進んでいるらしい不気味なプロット。じわじわと不安感が高まってゆく、造語も異形存在もそれほど登場しない作品。


『ボイルド・オクトパス』(佐藤究)
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 これからお読みいただくのは、そんな「フォーマー・ディテクティヴ」の最終回を飾るはずだった文章である。九人の元刑事が登場して終わった連載の、幻の十人目のエピソード。
 そこに現れる元刑事も、ある意味では他の九人と同じように、社会の片隅で何かを育てていた。にもかかわらず、彼のエピソードを誌面に載せられなかった理由――それは本文をお読みいただければ、おのずと明らかになるだろう。
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たべるのが遅いvol.6 p.68


 引退した元刑事に取材する連載「フォーマー・ディテクティヴ」の最終回のために、ロサンジェルス市警の元刑事の家を訪れた作家。そこで語られる恐ろしい事件とは。


『三つの銅貨』(メアリー・エリザベス・カウンセルマン、狩野一郎:翻訳)
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 すべては狂った脳から生まれた思いつき、狂人のチェス――象牙や黒檀を彫った駒のかわりに人間を使ったゲームだった、ということで皆の意見が一致したのはこの一件が落着した後のことだ。
 奇妙なことに「コンテスト」の真偽については誰ひとり疑いを持つ者はいなかった。
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たべるのが遅いvol.6 p.90


 町で流通している貨幣のなかに、それぞれ四角・丸・十字のマークが彫られた三枚の銅貨が混じっている。指定した日にそれらの銅貨を所有していた者には「大金」「豪華旅行券」「死」のいずれかが与えられる。ただし、どのマークがどのプレゼントに対応しているかは秘密である。
 ある町に張り出されたビラの煽情的な内容に町中が大騒ぎに。いたずらなのか、何かの実験なのか、それとも真剣な話なのか。マークのついた銅貨を手に入れようとする者、死の危険を恐れて手にした銅貨を他人に押し付けようとする者。騒ぎが収まらないまま、指定された日がやってくる……。


『メロン畑』(深緑野分)
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 医者は長い髪をブラシで梳かしながらため息をつき、窓の外に広がる夜空を見上げた。濃紺の空には満天の星が輝き、北の空にひときわ大きな星が瞬いていた――北から災厄が到来した。もう手遅れだ。昼間に祈祷師が呟いた奇妙な言葉を思い出した医者は、手にしていたブラシを鏡台に置いた。
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たべるのが遅いvol.6 p.108


 砂漠にある小さな村落に現れた謎の女。「北から災厄が到来した」という祈祷師の謎めいたつぶやき。次々と命を落としてゆく住民たち。いったい何が起きているのか。謎とサスペンスでぐいぐい読ませる強烈な作品。



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