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『偶然の聖地』(宮内悠介) [読書(小説・詩)]

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#009
【わたしの長い夏】本書は2014年の11月から2018年の8月にかけて、いまはなき「IN POCKET」誌で連載された。一度の原稿が五、六枚と、長い連載になるということがわかっていたので、自然に出てきたのがこのフレーズ。何を書いていたか忘れても大丈夫な話作りを目指し(円城塔さんも何かで同じようなことを発言しておられた)、そのつどぼくが考えていることや、体験したこと、読んだものなどがそのまま地層のように出現する。
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単行本p.12


 最後の秘境として、あるいは世界最大の不具合(バグ)として知られるイシェクト山。そこに辿り着けばありとあらゆる願いが叶うが、等価交換で何かを犠牲にしなければならないと云われている。それぞれの理由でイシェクト山を目指す四組のチームをめぐる冒険物語にして、スパゲッティ化した世界コードを修正するデバッグ小説、膨大な数の注釈により自身を解説する語り、著者が自らの過去について割と饒舌に語ってくれるエッセイでもあるという、ひたむきに奇書たらんとする贅沢な奇書。単行本(講談社)出版は2019年4月、Kindle版配信は2019年4月です。


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 イシェクト山は最後の秘境と呼ばれるだけあって、麓への道のりは友人に訊いても教師に訊いても知らぬと言う。そもそも地図にも載っておらず、試みに検索してみても、イシェクトではイスラム原理主義の勢力から逃れたバハーイー教徒が原始共産制の村を築いているだの、そこで収穫された杏は腐らぬだのと眉唾物の話ばかりで、いざ行きかたとなると、誰もはっきりしたことは書かないのであった。
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単行本p.13


 誰も正確な場所も行き方も知らないという秘境、イシェクト山。そこに辿り着くのは容易ではないが、しかし到達すればあらゆる願いが叶うという伝説の山。


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 麓への山道が出現するかどうかは運によって左右され、すぐに麓に辿り着けたという者もいれば、査証(ビザ)を幾度も延長しながら、ついに山の姿さえ見られずに帰国した者もいる。生年月日や月の位置が関係するとも言われ、近辺には巡礼者のための占い師もいるが、英語が通じる占い師はそのほとんどが偽物とのことであった。
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単行本p.12


 ある者は、親子三代にわたる家族の秘密を知るために、相棒と共にイシェクト山を目指す。


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 突然サンフランシスコの菓子屋をCIAの職員が訪れ、朗良がゲリラ組織の義勇兵を騙るという危険な方法でシリアからイシェクトへ入ったことが明らかになった。
 ところで祖母の郷里には、琵琶湖の底がワームホールによってイシェクトと繋がっているという伝説が残されており、それならなぜイシェクトが琵琶湖の水によって水浸しになったり山中で鮒寿司が発見されたりしないのかという疑問はさておき、失踪事件ののちに祖父の愛用のカメラが琵琶湖の岸に打ち上げられ、内部のフラッシュ・メモリには確かにイシェクトの山腹らしき画像が残されていたので、なるほどCIAの調査は正確であったと勇一は唸った。
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単行本p.10


 またある者は、かつてイシェクト山で失ったものを取り戻すために、相棒を連れてそこに戻ろうと試みる。


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 人の望みを等価交換で叶えるというあの山、イシェクトの七合目付近でウルディンは滑落し、戻らなかった。そして、ここまで来たからには山を登ってみようと言い出したのは、ほかならぬティト自身であったのだ。何かを得れば何かを失い、そして失ったものは戻らない。それは数々の神話が示す通りだ。求めていたものが、往々にしてそもそも間違っていたという点まで含めても。してみると、ふたたびイシェクトへ戻ろうとするティトの行為は、ことによると、神話への叛逆であると言えるかもしれない。
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単行本p.160


 刑事とその相棒は、イシェクト山に先回りすることで容疑者を確保しようとする。


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「具体的には、パキスタンへ行ったと見せかけて、まったく別の第三国へワープする。たとえば、イスラエルとかそういう国に」
「人間はワープできません」
「イシェクトだ。この付近でよく聞かれるイシェクト山の伝説は知ってるな――そのなかに、山を登って下りたら、遠い別の国にいたという証言がある」
「伝説でしょう。聞いたことならありますが……」
「この場合、別にイシェクトが実在だろうと捏造だろうとかまわない。容疑者がそれを信じていたとする。するとどうなる? 川を渡って匂いを消すように、イシェクトを経由して第三国へ行こうと考えるのは、まったく自然な思考だと思わないか?」
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単行本p.182


 世界と存在の不具合(バグ)を修正するのが仕事の世界医は、相棒と組んで最大のバグであるイシェクト山を修正する決意を固める。


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「この世に残された、最後の特Aランクのバグ――そう言えばわかるな」
「イシェクトですね」
 やや生気の戻った声とともに、泰志がこちらを見た。
「気は進みません……。いや、気は進まないのですが、何かが漲ってくるのがわかります。きっとぼくは、ずっとこのときを待っていたのでしょう」
「そうだろうとも」
 プラスチックの水のコップを手に取り、ロニーは口を湿らせた。
「世界医であるとはどういうことか? バグを取り除くとは、究極的には何を意味するのか? そんなもん、一つしかなかろうよ。世界医の誰もが一度は考えつつも、あえて口に出さないこと――この不条理な法典(コード)をもたらした神を、殺すことだ」
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単行本p.169


 それぞれに譲れぬ動機に突き動かされ、イシェクト山を目指す四組のパーティ。彼らが結集したとき、何が起きるのか。そして彼らを待つ運命とは。


 というような真面目な冒険小説として読んでも面白いのですが、何しろ作品そのものがスパゲッティのように絡まってゆくので一筋縄ではデバッグ(解読)できません。


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「小説ですよ。見ての通り、イシェクト山を目指す人々の話です。具体的には、ティトと相棒のレタ、そしてルディガーという刑事と相棒のバーニーの話を、このぼくが書く」
「この“わたし”ってのは誰だい」
「作中作の人物です。レタとバーニーがそれぞれ作中で書くのが、イシェクトを目指す“わたし”の話。言うなれば、作中作においてダイヤモンド継承が発生している仕組みです。
「二人ともが同じ話を書くのか? 偶然?」
「細かいことはいいんです。レタもバーニーも、ぼくが勝手に書くキャラクターなんですから。途中、“わたしB”なるものが登場して、それがいわば著者なんですが、虚構のなかの虚構なのでそれも存在しない」
 タブレットをかざしたまま、二度、三度とロニーが瞬きをした。
「また面妖なものを作るな。それじゃ“わたし”はバグの温床じゃねえか。可哀想に」
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単行本p.207


 そして、ソースコードの可読性を高めるために、あちこちに点在している膨大な注釈がまた独特の味わいを醸しだします。


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#006
【怜威(れい)】この時点で怜威が男性か女性かを素で考えておらず、編集さんに「どっちですか」と問われて「あっ」と思った。男女の入れ替わりトリックではない。ちなみに、ぼくは女性に生まれればレイと名づけられたらしい。理由は、海外でも通用しやすいからとのこと。
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単行本p.11


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#114
【ジェームズ・クエンティン】だいたいお察しのことと思いますが、このへんの人たちのことは憶えなくても差し支えありません。
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単行本p.113


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#135
【同僚と職場を抜け出して食べにいったものだ】内幕を明かすと、本作は「月に五、六枚くらい、エッセイと小説の中間のようなものを」という担当さんの依頼を受けてはじまったものである。エッセイであれば、待ってもらっている別の版元への言いわけも立つだろうし、月の家賃の半分くらいにはなる。あにはからんや、連載は小説そのものとなり、この第二十一回を書いていたころ当初の依頼を思い出し、そういえばそうだったと随筆を書いた。
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単行本p.129


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#297
【ロニー“シングルトン”の二択】この章の掲載を最後に、掲載誌である「IN POCKET」は力尽きてしまったのでした。実のところ、いつ終わるかわからないという話は聞いていたので、なかば願掛けのように、次の章への引きを入れるようにしていた。ところがそれが災いし、すごいタイミングで連載が終わってしまったのだった。
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単行本p.299


 ストーリーと同時並行して執筆の内幕をばらしつつ、さらに内容とは無関係なエッセイもどんどん混ざってきたり。


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#070
【演繹(えんえき)】昔mixiというSNSが流行っていたころ、後輩から「宮内さんは(言ってることは滅茶苦茶なようだが)演繹して書いています」と言われた。括弧内は被害妄想かもしれないが、ぼくの持論として、被害妄想というのは、おおむね当たるようにできている。
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単行本p.75


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#128
【夢の状況を自分の思い通りに変化させられる】デビュー前のプログラマ時代は小説を書くための時間が取りにくく、睡眠時間を利用すべく、明晰夢を用いて脳内のワープロで原稿を書き、起きてから入力するということをした。だいたい原稿用紙にして数枚は持ち出すことができる。それにしても身体に悪いことをやっていたものだと思う。
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単行本p.121


 これで破綻しないところが豪腕というか何というか。プログラマー、バックパッカー、帰国子女、ジャンル越境作家、など作品そのものによって自身を表現したような一冊で、ファン必読の奇書といえます。



タグ:宮内悠介
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『Down Beat 14号』 [読書(小説・詩)]

 詩誌『Down Beat』の14号を紹介いたします。


[Down Beat 14号 目次]
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『冬のこと。』『引越』(谷口鳥子)
『初音町』『関野』(廿楽順治)
『水遣り三年』(徳広康代)
『塩湖』(中島悦子)
『英雄のひる』(今鹿仙)
『蛇口』(小川三郎)
『でてきなさい』『ケヤキの樹の前で』(金井雄二)
『差出人』(柴田千晶)
――――――――――――――――――――――――――――


お問い合わせは、次のフェイスブックページまで。

  詩誌Down Beat
  https://www.facebook.com/DBPoets


――――
半分枯れ
半分腐り
大方虫に喰われ
半死半生で
私の水遣りに
耐えて
堪えて
適応した植物だけが
生き残って
見事に咲いている
らしいことに
四年目になって
漸く
気付きはじめている
――――
『水遣り三年』(徳広康代)より


――――
真夜中すぎ
台所の蛇口から
水滴が落ちそうになっている。

そのときの蛇口の表情。
時折私は
そんな顔をしているらしい。

それは
あなたに言われたことだ。
――――
『蛇口』(小川三郎)より


――――
狭山郵便局の日付印がある「受取拒絶」の紙が貼られた封書が郵便受けに入っていた。入間市中神に住む「霜村羊子」という女性に宛てた封書。誤配送だろうか。裏返すと差出人にわたしの名前を住所が記されている。書き殴ったような文字はわたしの筆蹟ではない。
(中略)
悪意や憎悪に満ちた言葉が綴られているにちがいないと身構えていたのだが、悪意よりも気味の悪い虚無感が、霧のように床を這い広がってゆく。
受取拒絶をした霜村さんは、差出人の「わたし」を知っているのだろうか。霜村さんに聞いてみたい。
わたしをご存じですか? と。
――――
『差出人』(柴田千晶)より



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『ぶたぶたのティータイム』(矢崎存美) [読書(小説・詩)]

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 もっとつらい人もたくさんいるだろう。平凡と言えばそうかもしれない。でも、受け止められる重さは人それぞれ違う。公美恵は、その重さでもつらかった。その重さを、ぶたぶたのコーディアルと、電話の声が軽くし続けてくれた。
 それは多分、ぶたぶたの心が、それらに確かにこもっていたからに他ならない。彼の心は、どこにいても、離れていても届いていた。
 ぬいぐるみとか、本当に関係なかった。ずっとわかっていたのに、今まで気づかなかったのだ。
――――
文庫版p.226


 見た目は可愛いぶたのぬいぐるみ、中身は頼りになる中年男。そんな山崎ぶたぶた氏に出会った人々に、ほんの少しの勇気と幸福が訪れる。大好評「ぶたぶたシリーズ」は、そんなハートウォーミングな奇跡の物語。

 記念すべきぶたぶた第30作目の本作は、英国風のケーキと紅茶を出してくれる素敵なカフェ「コーディアル」で皆様をお待ちしている山崎ぶたぶた氏を描いた5つの物語を収録した短篇集です。文庫版(光文社)出版は2019年7月。


[収録作品]

『アフタヌーンティーは庭園で』
『知らないケーキ』
『幸せでいてほしい』
『カラスとキャロットケーキ』
『心からの』




『アフタヌーンティーは庭園で』
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 母を見ると、何か悩んでいるようだった。
「どうしたの?」
「いや、好きなように食べていいって言われたけど、サンドイッチをあとにするのはさすがにはしたないかなって……」
 そうだった。母はしょっぱいもので締めたい人なのだ。
「いいんですよ」
 ワゴンに載ったぶたぶたがひょこっと顔を出す。「わーっ!」と叫びそうになるわ、サンドイッチが詰まりそうになるわで内心修羅場だったが、なんとか我慢した。
「どう召し上がっても、いいんですよ」
「……ぶたぶたさんなら、どう召し上がるんですか?」
 母ったら、下の名前で呼ぶなんて大胆!
――――
文庫版p.44


 庭園で開催されるアフタヌーンティーに参加した母娘。まあ、なんてファンタスティックなの。わざわざ出張してきて下さったパティシエさんもかわいいぬいぐるみだし。え、なにそれ?
 お砂糖とスパイスと素敵な何かに読者をご招待する導入作。


『知らないケーキ』
――――
 家にいるのとも違う。家ではこんなふうにお茶を飲まないし、飲めない。いろいろやることもあるし。
 言ってみれば、見知らぬ土地の道端でひと休みをしているような気分? 外ではないが、窓からの風も入ってくるし、開放感がある。
 お茶をゆっくり飲むって、こういうことかも、と和晴は思った。歩き疲れたら、休まないとそれ以上は進めない。そんな感じなのかもしれない。
――――
文庫版p.69


 50代後半のおじさんがふと立ち寄った「いんすたばえ」しそうなカフェ、「コーディアル」。店長は、ぬいぐるみだけど、年齢的にも近いおじさんなので一安心。色々と気苦労が絶えずばたばたしているうちに歳をとってしまったけど、こうしてお茶をゆっくり飲むなんて初めてかも知れないなあ。同世代のおじさんの心に刺さる作品。


『幸せでいてほしい』
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 それはね、お姉ちゃん――尊い思いが渋滞して、言語化できないってことなんだよ。沼にハマったオタクには、よくあることなんだよ。
 とは言わなかった。まだ。
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文庫版p.142


 何でも完璧にこなしてしまう美人の姉。その姉の様子が最近おかしい。せっかくいっしょにカフェ「コーディアル」に行っても、なぜか放心状態。もしやこれって、……。

 文庫の帯には「心が渋滞したら、ぶたぶたさんに会いに行こう」とあるのですが、これが「心がつらいときには、ぶたぶたさんで癒されよう」という意味ではなく、「推しが尊すぎてつらいときには、もう貢ぐしかない」という沼のことだと判明する作品。


『カラスとキャロットケーキ』
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「僕はただのぬいぐるみですから。それ以上の能力はないですよ」
 なんかすごいこと言われた。反論できない。「そんなことないですよ」とかも言えない。だいたい「ぬいぐるみの能力」の基本がわからない。
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文庫版p.171


 中学校でいじめられて不登校になった少年の周囲をうろつく怪しいカラス。そしてカフェにいるのは動いてしゃべるぬいぐるみ。しかも「上の娘があなたと同い年で」とか言われてしまう。山崎ぶたぶた氏に悩み相談して勇気をもらう作品。そういえば、ぶたぶたにとってカラスは天敵(油断すると持ってゆかれる)なのだった。


『心からの』
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 夫の両親はもう鬼籍に入っているが、父は病気だし、母も最近気弱になっている。夫ももう歳だし、公美恵自身も体調が今ひとつだし、子供たちにもいつ何があるかわからない。
 不安ばかりが倍増してしまう今日この頃だったが、ぶたぶたのお店には絶対に行きたかった。そこへ行けば、初めてエルダーフラワーコーディアルを飲んだ時みたいな気分に、またなれるように思えたから。
――――
文庫版p.217


 家庭内の気苦労、更年期うつ、花粉症。積み重なってゆく人生の辛さに押しつぶされそうになっていた女性が出会ったぬいぐるみ。それが十年におよぶ山崎ぶたぶたとの交流の始まりだった。ぼろぼろ泣ける最終話。



タグ:矢崎存美
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『モーアシビ 第37号』(白鳥信也:編集、小川三郎・他) [読書(小説・詩)]

 詩、エッセイ、翻訳小説などを掲載する文芸同人誌、『モーアシビ』第37号をご紹介いたします。今は亡き川上亜紀さんと灰色猫のその後のこと。


[モーアシビ 第37号 目次]
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 『緑のカナル』(北爪満喜)
 『LITAGINATA』(サトミ セキ)
 『路地』(小川三郎)
 『光のにおい』(島野律子)
 『渡る夜』(森岡美喜)
 『二月からのこと』(浅井拓也)
 『King Gnuと妄想の川を渡る』(森ミキエ)
 『ごしぱらやける』(白鳥信也)

散文

 『「灰色猫」のその後』(川上美那子)
 『室原知幸と松下竜一を訪ねる』(平井金司)
 『記憶力』(清水耕次)
 『風船乗りの汗汗歌日記 その36』(大橋弘)

翻訳

『幻想への挑戦 11』(ヴラジーミル・テンドリャコーフ/内山昭一:翻訳)
――――――――――――――――――――――――――――

 お問い合わせは、編集発行人である白鳥信也さんまで。

白鳥信也
black.bird@nifty.com




――――
深い青の海原のきわ
ふいに傾いた船が
水平線に刺さったまま
船側を海の波に打たせて
くっきりと座礁し続けている

陽に焼かれ潮風に晒されて
船はもはや崇高なみえない時を航行している
闇の奥の操舵室から次々と無音の指令がとぶ
――――
『緑のカナル』(北爪満喜)より




――――
インタールード 雨が降り出した。たちまち激しくなり公民館の前の道路は川のようになっていく。窓を閉める。King Gnuの曲は流れ続ける。先生はずいぶん前に亡くなった。転んで両足を骨折し寝たきりになって認知症も患っていたという。シルバー合唱団のメンバーが一緒に歌おうと誘う。私はKing GnuにとらわれてKing Gnuを口ずさむ。半音下がって一音上がるが歌えない。でも問題はない。自由に音符の波に乗ってリズムを刻む。先生はハイヒールを履いてシルバー合唱団の指揮をする。渾然として、美しいハーモニーを奏でるだろう。私は向かい側からその様子を垣間見る。アフリカに生息するヌーは群れを成しエサの多い草原を求めて大移動し始める。King Gnuが歌うたび群れはふくらむ。
――――
『King Gnuと妄想の川を渡る』(森ミキエ)より




――――
伯母さんが来て父親に言う
職場の行事が失敗したのはあんたのせいだと上役に
さんざぱらかつけられた
ごしぱらやける
父親はそうくどきすな
ちゃんと見ている人はいるはずと自分の姉に言う
小学生の僕は伯母さんの持参したバナナにかぶりつく
ゴシパラヤケル
胸やけみたく
腰と腹がやけるものなのか
――――
『ごしぱらやける』(白鳥信也)より




――――
 こうして、チビ灰色猫は雲の上に行き、亜紀や可愛がってくれた夫とともに暮らしていることでしょう。
 私の今住んでいる部屋は、南に大きく窓が開き、低い山々と面していて、その間の広大な空には、晴れた日には白い雲が浮び、あるいは流れていきます。あの雲のどれに亜紀や灰色猫はのっているのだろうと日々眺めています。夕方、遠くの山間は茜色に染まり、大きな夕陽が徐々に山の彼方に沈んでいく光景は、それは見事です。そして世界は夕闇に包まれていきます。
――――
『「灰色猫」のその後』(川上美那子)より



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『東京の子』(藤井太洋) [読書(小説・詩)]

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 アーチの下り坂を駆け下りた仮部は、運転室を収めた柱によじ登り、その三階建てほどの高さから宙に身を投げ出した。
 目標は、十二メートル先の、七メートル下方にある幅二メートルほどの鉄の桁だ。
「危ない!」という声が歩道からあがる。
 怪我をするわけがない。
 トウキョウ・ニッパーと呼ばれていたおれが、東京の子が、この街に裏切られるわけがない。
――――
単行本p.243


 オリンピックから数年後、三百万人を超える外国人労働者の流入により東京は大きな変容を遂げつつあった。そこに設立された「就業と学業の両立」をうたうマンモス学校。外国人労働者のトラブルシューティングという仕事をしているフリーランスの若者は、そこで「事実上の人身売買が行われている」という内部告発に触れるのだが……。

 なし崩し的に急激な「国際化」が進行する東京を、パルクールの技で駆け抜ける主人公。『アンダーグラウンド・マーケット』や『ビッグデータ・コネクト』の先にある社会を描く長編。単行本(KADOKAWA)出版は2019年2月、Kindle版配信は2019年2月です。


――――
 工事と、新たな施設が必要とした労働者需要を支えているのが、技能実習制度や外国人にも適用できるようになった高度プロフェッショナル制度などの様々な施策を用いて日本にやってきた人々だ。オリンピック後の三年で、千三百万人だった東京都の人口は千六百万人を超えていた。増えた分は全て外国人だ。
――――
単行本p.5


――――
 オリンピック景気が一段落した東京に残されたのは、ひとときの仕事にありつくために地方から集まってきた若者と、三百万人を超えた外国人労働者と、最低賃金ぎりぎりでも文句を言わない外国人も就ける職業――介護、保育、警備に解体工事の現場だ。
――――
単行本p.193


 五輪景気、労働規制緩和、外国人労働者の大量流入。急激な国際化が進む混沌とした東京が舞台となります。国や行政を信用せず、人脈とスキルだけを頼りに都会をたくましく生き抜いてゆく(アジア汎用的な)若者、仮部が主人公です。


――――
 ダン・ホイのような商売人に大きな商機をもたらした好景気は、高校に行かなかった仮部にも仕事を与えてくれた。
 仮部の仕事は、仕事に出てこなくなった外国人を説得して、職場に連れ戻すことだ。(中略)あまり褒められた仕事ではないし、この仮部という名前は生まれながらのものではない。戸籍を買ってそう名乗っているだけなので、“#移民狩り”などと言っている連中に知られれば面白くないことになる。
――――
単行本p.6、7


 失踪した外国人労働者を捜索、追跡し、職場に戻すというトラブルシューティング業をやっているフリーランサーの仮部。仕事を持ってきてくれる人脈、子供の頃から磨いてきたパルクールの技、そしてコンビを組んでいるハッカー、それが彼の仕事と生活を支えるすべてです。


――――
 失踪した外国人労働者を捜索する仕事をはじめた頃には、毎日続けていたパルクールの練習と筋トレのおかげで、柔らかかった筋肉は固く引き締まっていた。しばらくは連絡を絶っていた大熊も、仮部の新しい仕事を聞きつけて、外国人労働者の捜索依頼をお願いするようになった。
 大手を振って生きているわけではない。十五歳からいきなり十八歳になったせいで高校にも行かなかった。それでも新たな生活には満足していた。大熊が連れてきた、実年齢の同じ「セブン」という名のITオタクとは、友人といえる付き合いもはじめられるようになっていた。
――――
単行本p.66


 名前も経歴も年齢もすべて他人のもの。社会保障など期待せず、そもそも国も社会も信用しない。何も持たずに暮らし、自分の痕跡を残さない。そんな生き方にそれなりに満足している仮部。そんな彼は、あるとき学業と就業の両立をうたう「東京デュアル」という学校内にある飲食店からの依頼で、失踪したベトナム人を追うことに。


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 歩いてきた距離を測るために振り返った仮部は、ゆりかもめを浮かせている橋脚の下には〈東京人材開発大学校〉という文字のサインがぶらさがっているのに気がついた。
 働きながら学ぶ大学、東京デュアルの正式名称だ。
 大学ではなく大学校で、社会人のような服を着た大学生が、本物の「仕事」をしている。この場所で学び、働いている学生と、教職員に、オフィスに通っているサポーター企業のスタッフを加えれば十万人になるという。
――――
単行本p.44


 学生、サポーター企業(学校内にオフィスを設置して学生を雇っている企業)会社員、そして飲食店・売店・学生寮などのスタッフを合わせると最終的には十万人にもなるという、小さな市の人口に相当する規模の組織。その中に潜入した仮部は、東京ディアルの就業方式について調べてゆきます。


――――
 学生たちは、学内に用意されたオフィスに通い、現実の業務をOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)方式で行う。デュアル先の上司や社風になじめなければ、退職して、別のサポーター企業に入社することもできる。企業側も、能力を持っていない学生を解雇できるが、常に新しいサポーター企業が人材を募集しているので働く場所には困らないのだそうだ。職業の斡旋も、学生が勤務している労働組合が担当しているという。
 そして大学卒になり、格安のスードコートに、おそらく賃料がタダ同然になる寮がつくというわけだ、と仮部はぼんやり考えた。これなら学費さえ都合がつくなら誰でも入りたがるだろう。
――――
単行本p.85


 うまく制度設計されているように思えるデュアルの学業勤労両立体制。だが、学内ではゼネストが計画されていました。


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 デュアル勤務の供与は低くないし、強制的に働かされているわけでもない。学校のWebサイトによれば、デュアルの勤務先も変更できると書いてあった。勤務時間も長くはないし、デュアルを提供している企業は寮費や学内の食事まで負担してくれている。時給換算で二千五百円なら、どんなアルバイトに比べてもいい待遇のはずだ。
 そんな中で職場を放棄するような行動――ストライキに打って出る理由はなんだろう。
――――
単行本p.160


 そして、ついに見つけたベトナム人は、仮部にこう告げます。東京デュアルのシステムは事実上の人身売買なのだと。そして、日本政府はそれを承知の上で東京デュアル方式を特区をこえて全国に広げる「働き方改革」を推進している、と。はたしてそれは本当なのでしょうか。


――――
「オリンピックが終わってまだ三年も経たねえのに、派遣労働の大元締めたる〈ヒトノワ・グループ〉の三橋が、四万人の学生と二万を超える従業員を国家戦略特区にぶち込んで働かせてるんだぜ。そこらのブラック企業や、セブンが言うところの、社員3.0が裸足で逃げ出すような不正が横行しているはずだ」
――――
単行本p.150


 『アンダーグラウンド・マーケット』ほど裏経済体制が機能しているわけでもなく、『ビッグデータ・コネクト』ほど明確な陰謀が隠されているわけでもない。まずいことを隠しもせずオープンにしている権力者、すべて承知の上でそれを支持する搾取対象者、という非常にリアルな日本社会が描かれます。


 というわけで、これまでの作品に見られた単純な構図(権力者が邪悪な陰謀を進めており、持たざる者である主人公たちが主にITスキルを駆使してそれと戦う)を排して、すっきり割り切ることが出来ない社会問題と、その日暮らしにそれなりに満足しているリアルな若者の今を描くことに挑戦したと思しき長編。


 現実の労働問題を扱っており、善悪も解決も与えられない暗い話ですが、それを突き抜けるようにパルクールで東京を駆けてゆく(著者には珍しく、IT系ではなく体力系の)主人公が持っている、ある種の捨て鉢な明るさや、空虚と一体の自由、といった姿勢が印象的で、不思議と読後感はさわやかです。



タグ:藤井太洋
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