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『ホロホロチョウのよる』(ミロコマチコ) [読書(随筆)]

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自分のことを書くのがこんなに難しいとは知らなかった。
打ち合わせの後、牧野さんと徳留さんと焼き鳥屋さんでお酒をのみながら私の小学校時代の作文を読み、「文章の書き方が何も変わっていない」と3人で大笑いした。まさかその作文が口絵に使われるとは。
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文庫版p.124


 独特のタッチと色彩で描く動物画や植物画で多くの人々を魅了する画家、ミロコマチコさんのエッセイ集。文庫版(港の人)出版は2011年9月です。

 まず、ミロコマチコさんの画風をご存じない方は、次のページを眺めてみて下さい。

  ミロコマチコ公式ページより「絵のいろいろ」
  http://mirocomachiko.com/painting/

 どこか懐かしく、楽しい気分になってくるこういう絵は、いったいどのようにして生まれるのでしょうか。その秘密が明らかに。


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 まず、黒いスプレーでもぐらの形を描く。少し離れて見る。いい。予想とは違うけど、いい。うんうん。ちえちゃんが後ろで眺めている。黒い目をグリグリ描いてみた。少し離れて見る。かわいい。うんうん、かわいい。たまごが半分に割れたようなギザギザした手を描いてみた。少し離れて見る。最高。いいよ、かわいいよ。

「いつもそうやって描くんですか」。突然ちえちゃんが話しかけてきた。「何かおかしいことがあるかい?」と聞くと、「すごく自分の絵を褒めるんですね」と言う。
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文庫版p.16


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 ある時、いつもの曲がり角にタイル張りの壁がどーんとあらわれた。タイルの一つひとつがぷかぷか波打って、まるでワニの背中みたいだと思った。歩きながら、あの壁がワニの背中だったら、私の駅までの道のりはどんなにエキサイティングでデンジャラスなんだろうと想像する。
 次の日、ワニの背中を見に同じ道を通ると、昨日のぷかぷかのタイルが嘘のように整然と平らに並んでいた。訳が分からず、私の頭がぷかぷかしてしまった。
 あのワニがどこへ行ったか誰も教えてくれない。だから私はこの場所に作ることにした。そしてこのワニがまた町に戻ってくることを願っている。
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文庫版p.28


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 クジラの体は、フジツボが付いていたり、食べる時に格闘するイカの吸盤の痕が付いていたり、ひどい時にはサメがかじっていったりするので、傷だらけだ。だから、群青色の体の上に銀色の絵の具を撒いた。絵の具を撒くと、布と養生シートに当たって、雨が降り始めた時のような音がする。銀色をたっぷりつけた筆を振ると、絵の具が飛び散る。パッパッパッ。もう一度振る。パッパッパッ。どんどん振ると、小さな星のように見えてきて、まるで宇宙のようになった。星を撒く。パッパッパッ。急にぐーんと頭の中が広がる。大きなクジラの中には宇宙があったんだ。ここは無重力の世界だ。浮かんでいるかのようにふわふわ踊りながら星を撒く。パッパッパッ。宇宙の音楽、パッパッパッ。
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文庫版p.96


 こんなに楽しそうに、嬉しそうに、幸せそうに、絵を描く人はどんな人なんだろうと思っていると。


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 恐怖心はふいにやってくるけれど、一度想像を始めると止まらなくなって困る。引き出しが少し開いているあの隙間から誰かのぞいていたらどうしよう。私が出かけている間に、流しの下の棚に誰か入りこんでいたらどうしよう。鉄三があらぬ方向を凝視している。猫は幽霊が見えるんだ。「おーい、そっちを見ないで、私を見てよ!」と叫んでいる。小さい頃に聞いたくだらない話が走馬灯のように頭を巡りだす。
 怖いと心臓がどきどきしてくる。「怖がっている人には、おばけが面白がって余計出てしまうんだ!」などと考えだすと、どきどきがどんどん激しくなって体が揺れだす。そうしたら、「もはや地震かも!」と勘違いして、鉄三を抱いて風呂場へ走る。つけっぱなしのテレビを見ても地震速報が流れない。なんだ、勘違いか、と横になるがまたどきどきして体が揺れる。今度こそ地震だ! 鉄三を抱いて風呂場へ! 地震速報はまたもやないぞ! 横になる! どきどきする! 体が揺れる! 地震だ!
 こんなことを繰り返しているうちに空が明るくなり、ようやく体がぐったり重くなって眠りに入る。そんな日々が続いたりした。
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文庫版p.22


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 20代前半だったと思う。身の周りでやたらと事故や事件が起こるようになった。大きな交差点の角にあるお店でバイトをしていた時、何気なく窓の外を見ていたら大きなトラックと乗用車が衝突した。トラックはひっくり返った。車を4台も乗せているトラックだったので大惨事になった。別の日も、私の横を通り過ぎていったバイクが目の前で車に衝突した。電車に乗っていると、真後ろで殴り合いが始まった。私の乗っている電車に人が飛び込んだ。家に帰る途中、消防車や救急車がたくさん停まっていて道が通れない。隣の家が放火されていた。その家は全焼したが、私の家は奇跡的に無事だった。
 世の中物騒だな、と思っていた。こんなに事件が増えて、日本も怖いなー、なんて。ある日友だちとお酒を飲んでいてこの話をしたら、「それはおかしいから、私の母に会いに来い」と言われた。友だちのお母さんは、律師と言って、分かりやすく言うと偉いお坊さんなのだそう。そこで後日会いに行ってみると、友だちのお母さんは開口一番、「あんた、ぼーっとしてたらあかん」と言った。
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文庫版p.58


 そして、もちろん、猫エッセイもあります。


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 こうやっていざ、文章に書こうと思っても愛おしい。毎日、愛でる。胸が高鳴る。
(中略)
 飼い主の私であっても、突如噛まれたりひっかかれたりすることは日常茶飯事だ。毎朝顔を叩かれたり足の指を噛まれたりして起こされるのだが、かといって、鉄三は抱っこをされるのも撫でられるのも大っ嫌い。だけど、どれだけ攻撃されても私は懲りずに抱っこしてグリグリ顔を押し付ける。私の腕は傷だらけだが、最高に幸せだ。
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文庫版p.69、72


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しろねこのうた

  せんせいは どうして しろい ふくを きているの
  しろねこと くらして いるからよ

  むずかしい はなしを すると めが しろくなるね
  しろねこと くらして いるからよ

  とれたことのない とりを まいにち ねらう
  ほんものの ねずみを みたことない
  めを ダイヤにして いぬと たたかう

  わたしが おどりくるうのを くろめで みている
  うたを うたうと ひっくりかえる
  あしたも ぜったい とりを ねらう
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文庫版p.80


 何となく、はじめて翻訳家の岸本佐知子さんのエッセイを読んだときの感激がよみがえってくるような気がします。



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『モイラの「転生」』(笙野頼子) [読書(随筆)]

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モイラ!そのままの小柄さと目鼻立ちで(ただ四肢だけは長い)。「前世」好きだった出窓にすぐに上がり、「おとなしいです」と言われていたはずが、盛大に凄む。モイラの死んだ年の生まれである。雄と間違えられていた可憐な雌、こんな再会があるのだろうか。心の中でふと神仏を思った。ただ、「前世」そっくりの凄みは一日で消え、翌日から膝に来る。
――――
月刊ねこ新聞 2018年1月12日号より


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第116回。

 月刊ねこ新聞(猫新聞社)2018年1月12日号(No.215)に掲載されたエッセイです。


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十月の末、さる方のお世話で、飼主様急死の老猫を迎える、命名ピジョン。
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「群像」2018年1月号p.167


 群像に掲載された『九月の白い薔薇 ――ヘイトカウンター』のラストに書かれていた、新しい猫との出会いが、より詳しく書かれています。「最後の希望」ギドウとの別れにより「心を焼かれ立てなくなった」著者のもとに、生まれ変わりかと思うほどモイラそっくりの猫が。

 ちなみに、モイラとの別れについては、短編『モイラの事』『この街に、妻がいる』(短篇集『猫道 単身転々小説集』に収録)に書かれています。先にそちらを読んでからこのエッセイを読むと、これがもう、泣けて泣けて。


  2017年03月16日の日記
  『猫道 単身転々小説集』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-03-16


 なお、モイラやギドウとの出会いについては、長篇『愛別外猫雑記』に詳しく書かれています。

 そして「モイラの後継を無事に看取りたい」という、ささやかで切実な、希望や祈りすら、いちいちいちいち踏みつぶしにくる大きなもの。


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――どうか戦争よ来てくれるな、と私は祈る。また薬価を高騰させ病人を喰い殺すTPP、FTA、RCEP、流れてよ、と。モイラの後継を無事に看取りたい。平和の下でなければかなわぬ望みである。
――――
月刊ねこ新聞 2018年1月12日号より


 老猫と難病患者が静かに幸福に生きる。ただそれだけのことすら許さないこの国って、いったい何なのかと思う。



タグ:笙野頼子
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『〆切本2』 [読書(随筆)]

「はじめに」より
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 世の中には、そんないくつもの〆切に囲まれながらも筆を執りつづけた百戦錬磨の勇者たちがいます。作家と呼ばれる人たちです。敵は手強い。簡単に〆切は守らせてくれません。勇者たちは、ときには地方都市に身を隠し、ときにはカンヅメにされても完全黙秘をする犯人よろしく一行も書かず、〆切と渡り合ってきました。
 襲いかかる痔の痛みに耐え、資料を捨てればラクになるという甘い誘惑に負けず、いっそ植物になろうかという幻覚を振りはらいながら。猿にも急襲される。本書はそんな〆切と堂々と戦ってきた〆切のプロたちの作品を集めたアンソロジーです。明治から平成まで。今回は海外のプロたちもいます。
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 書けぬ、書けぬ、どうしても書けぬ。〆切を前にして、というか後にして、七転八倒悶絶自傷に走る者、他人のせいにする者、逃亡する者、話をすり替えて正当化する者……。明治の文豪から現代の作家まで、〆切に苦悩し狂乱する文士たちが言い訳と現実逃避のために書きつけた、血を吐く文章を集めた〆切アンソロジー、その第二弾。単行本(左右社)出版は、……。


「奥付」より
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2017年4月下旬 最初の刊行目標日でした。
2017年7月下旬 確かに刊行できると思っていました。
2017年9月29日 ほんとうの〆切のはずが…
2017年10月30日 第一刷発行
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 ちなみに前作の紹介はこちらです。


  2016年12月22日の日記
  『〆切本』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-12-22


 というわけで、第二弾である今作には、海外作家や漫画家の作品も含まれています。特に漫画家については、有名な作品が目白押し。


「この物語はすべてノンフィクションであるのだ!!」
  「天才バカボン」(赤塚不二夫)より

「えっ! 寝てません。電話を掘っていたのです!!」
  「けもの24時間」(高橋留美子)

「南方でもゆくかナ」
  「水木しげる伝」(水木しげる)

「白いワニがくる」
  「ストップ!!ひばりくん!」(江口寿史)


 では、前作でさすがにもうネタ切れかとも思われた、作家たちの汲めども尽きぬ〆切文の数々を見てゆくことにしましょう。まずは、パニックから遠吠えまで。


「愛妻日記 昭和五年」(山本周五郎)より
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 金が無い。書けない。童話を書き始めたがだめ。明日やる。今朝公園で球抛をやったので体の銚子が狂ったのだ。昼麦酒を呑んだ。もう呑まぬ。本当に呑まぬ。明日からやる。本当にやる。ラヂオ・ドラマも書く積り。十八日までに三十五枚ばかりのもの。本当にやる。やると云ったらやる。今夜は寝る。心は慰まない。
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単行本p.50


「愛の対応、余生は反省」(川上未映子)より
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「すみません、あの、今朝からサーバーの調子がおかしくて、メールが送れないんです!原稿は書き上がっているのに……。おっかしいなあ!送信できないんです。今晩には復旧すると思うので、もうちょっとだけお待ちください」という文面を、あろうことか、わたしは担当者に「メール」で送っていたのだった……。
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単行本p.98


「気まぐれ日記 大正十二年/十三年」(武者小路実篤)より
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 頭をよくしてくれるものが
 創作さしてくれるものだ。
 頭よ早くよくなつてくれ。
(中略)
 早くあふれてくれ、創作力。
 早く俺の頭になってくれ、俺の頭。
(中略)
 正直に云ふと自分は矢張り天才らしい。それだけわかる人にはわかるが、わからない人にはわからないらしい。
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単行本p.18


「明治四十二年当用日記」(石川啄木)より
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 面当(つらあて)に死んでくれようか! そんな自暴な考を起して出ると、すぐ前で電車線に人だかりがしてゐる。犬が轢かれて生々しい血! 血まぶれの顔! あゞ助かつた! と予は思つてイヤーな気になった。
 その儘帰つて来て休んで了つた。
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単行本p.29


 そして無理やりな言い訳、開き直り、自己正当化。


「約束」(リリー・フランキー)より
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 待ち合わせに遅れた。〆切りに間に合わなかった。
 これは約束を守らなかったのではなく「間に合わなかった」という現象なのであり、相手を裏切ったこととはまるで異なることである。(中略)その編集者の行為は、雪山に遭難して山小屋の中、登山に誘った相手に対して「明日、雪が止むように約束して下さい」と言っているようなものだ。
 現象は止められない。誰にも。
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単行本p.94


「スランプ」(夢野久作)より
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 この行き詰まりを打開する手段と言ったら普通の場合、まず酒でも飲むことでしょう。又は女を相手に、あばれまわる事でしょう。そうして捩れ固まった神経をバラバラにほぐしてしまいますと、一切の行き詰まりが同時に打開されて、どんな原稿でもサラサラと書けるようになるに違いない事を、私はよく存じているのです。
 ところが遺憾なことに、こうした局面打開策は、そうした元気旺盛な、精力の強い人にして初めて出来る事で、何回となく死に損ねた、見かけ倒しの私には全然不向きな更正法なのです。
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単行本p.42


「義務」(太宰治)より
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はつきり言ふと、私は、いま五枚の随筆を書くのは、非常な苦痛なのである。十日も前から、何を書いたらいのか考へてゐた。なぜ断らないのか。たのまれたからである。(中略)そこには、是非書かなければならぬ、といふ理由は無い。けれども私は、書く、といふ返事をした。
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単行本p.53


 編集者との激しい攻防戦。


「作家と、挿絵画家と、編集者と」(五味康祐)より
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約四十日間、山の上ホテルにかん詰になった。一行も書かず本ばかり読んでいた。それで次に護国寺に近い、ちょうど講談社の向い側の、奥まった処にある、ひっそりした小粋な旅館に閉じこめられた。一カ月ほどいた。やっぱり一行も書けずのそのそしていた。(中略)とうとう今の新潮社社長の佐藤亮一氏の私邸にとじこめられ、三日間、一歩も外に出ず、ない智慧をふり絞ってどうにか書いた。
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単行本p.123、124


「野坂昭如「失踪」事件始末」(校條剛)より
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部屋に入った池田のまえに土下座して、「今回はどうしても書けない。勘弁してほしい」と懇願したという。(中略)川野編集長の怒りは抑えがたいものがあった。ペーパーナイフを取り出したかと思うと、その切っ先を編集部備え付けのソファーに向け、刃先をずぶりと布面に刺したのである。幅三センチほどのその傷はいつまでも残り、数年後、私が編集部の長となっても、そのフソァは変わらずそこにあり、傷もまた修繕されぬままいつまでも切り口を見せつけていたのであった。
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単行本p.153


 もうネタにするしかない。


「デッドライン」(穂村弘)より
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「遅れるときでも、正直に状況だけでも教えてもらえると、こちらは安心するんです」
 編集者たちはよくそう云うけれど、本当なのか。
「全然手をつけていなく、書ける気がしなく、何からやっていいかわからなく、吐きそうなんです」なんてメールを貰っても困るんじゃないか。「なんか、赤い舌みたいのが、眠」とか。
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単行本p.309


「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」(松尾豊)より
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Summary  研究者はいつも締め切りに追われている。余裕をもって早くやらないといけないのは分かっている。毎回反省するのに、今回もまた締め切りぎりぎりになる。なぜできないのだろうか?我々はあほなのだろうか?本論文では、研究者の創造的なタスクにとって、締め切りが重要な要素となっていることを、リソース配分のモデルを使って説明する。まず、効率的なタスク遂行と精神的なゆとりのために必要なネルー値を提案した後、リソース配分のモデルの説明を行なう。評価実験について説明し、今後の課題を述べる。
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単行本p.310


 こんな感じで、作家たちの血を吐く叫びが、編集者たちの爆発するストレスが、どのページにもあふれています、阿鼻叫喚。前作を気に入った方なら今作も大いに楽しめることでしょう。



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『「フェミニズム」から遠く離れて』(笙野頼子)(『日本のフェミニズム since 1886 性の戦い編』(北原みのり責任編集)収録) [読書(随筆)]

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この本は男性が笙野頼子を読めないと言う。でもそれは文学に対する切断行為、私の作品の全人性をぶった切って思想の兵隊にしようとするものです。(中略)言語が文法の壁を越えることをガタリは知っていた。文学が壁を、越えられないはずはない。笙野頼子はそれを読める男性の救いなんです。
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単行本p.112


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第115回。

「『日本のフェミニズム~性の戦い編』には、笙野頼子さんが絶対に必要でした」
「笙野さんがいなければ、この国で、私は「イカフェミ」になってたかもしれない」
「笙野さんの文学は、フェミを正気に戻すんです」

 北原みのり責任編集『日本のフェミニズム since 1886 性の戦い編』に収録されたロングインタビュー(聞き手は北原みのりさん)。単行本(河出書房新社)出版は2017年12月です。


 最初から最後まで圧倒的な密度で語られる8ページのロングインタビュー。話し言葉でさえ文学、というか、何というか、隅々まで抗捕獲性の高い言葉から構成されていることに驚かされます。


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 恐れ入りますます、ていうか、ちょっと、涙……ありがとう。ならば私の肩書きは一面、野良フェミでもある文学者でいいですよ。これ、ネットの悪口用語らしいけども、別にいいよ。根本は文学者で、野良フェミの文学。清水良典さんが『レストレス~』を「フェミニズムを超えている」と評価したのはただ単にそれが文学だからです。だって文学はすべての属性から自由でなければ書けないんだから。
 とりあえずあなたはフェミかどうかと言われる前に言うと、私は様々の被害にあった人間に対して泣くなと言わないし、被害を訴えるなとは絶対言わない。
――――
単行本p.111


 中心となる話題は、ある種の「フェミニズム」が、女性を抑圧する側、被害者の口をふさぐ側に立っていることに対する痛烈な批判です。


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それそも一体それは誰の自由なのか。女をいつも主流男の御都合と結びつけて、男の性の自由を確保するために「性の自由」や「フェミニズム」を謳っているだけなのでは。でもだったら「フェミ」って何?
 中でも、上野千鶴子に代表されるフェミニズムなんてマーケティング兼の少女消費じゃないのと。私は結局前世紀からやむなく上野を批判してきました。
(中略)
 私が共感できなかったのは、「アカフェミ」だけではなくマスコミ・フェミにもなんです。マーケティング用フェミ、女性差別広告、性暴力ビデオ、少女消費、上野千鶴子なんてまさにこの全部の味方ですよ。ならばフェミニズムは単なる研究分野のひとつとしてすでに捕獲されてしまっているんじゃないかと。
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単行本p.108


――――
女性同士で温泉に行ったりも許さないし見張る、収奪する側はすべてが許せない。結果、妻、母、娼婦、妻、母、娼婦、こればっかり。とどめ、そうじゃない単身のおとなの女のことを評論家は平然と少女とか言ってくる。そういう連中から認めてもらわなきゃフェミニストになれないなら、そんな言葉自体いらないです。
 ていうかフェミのことはフェミだけ見ていては判らない。研究分野として閉じ込めるならばそれはもう差別です。だけど文学はすべてを見るからね。
――――
単行本p.109


 もやもやしていたものを吹き飛ばす旋風のような、いやむしろ、かまいたちのような言葉が、フェミニズムの輪郭を、すでに捕獲されてしまったものとそうでないものとの境界を、くっきりと切り裂いてゆきます。そして自身の立ち位置の表明が続きます。


――――
 捕獲されないで生き延びるものは、小さくても、大切です。社会が潰そうとしても潰せないものです。日本文学で言うと、私小説もそうでしょう。かつて女性の書く文学は女流文学といわれました。でもそんな中でもあらゆる差別の中でひとりひとりが生き延びてきた。
(中略)
私は要するに、普通に女性がして幸福になるぞと世間で言われていることを一切やってこなかった。だから、私はいま幸福なんです。文化の中にいることができなかったことで救われている。しかも外にいるから言えることを言うと「それこそフェミニズム」と喜ばれる。
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単行本p.109、110


――――
「当事者」とは何か、ということです。私は当事者をなくして上から大きく正しいことを言うことがどうしてもできません。どうしてか、私はただ、自分自身が当事者であることだけを書き、それにより本来の自分にはとても予測出来ないものを予測し、マスコミより大きい世界を理解してきたからです。
 同時に私が「性」を考えるとしたら、「性」を捕獲しているものは何かという関連性から始めなければならないんです。つまり「性」と「性暴力」を分けて、いまは暴力が「性」を捕獲しているんだと考えなくてはいけない。
――――
単行本p.109


――――
暴力で性を捕獲する感覚って、「性」ということよりも「奴隷」にして汚染するって感覚なんだと想う。
 従属させてすべてを自分たちが見張り、判断したいという願望がセックスをも覆っている。「性」を捕獲してくるものは多すぎる。フェミも、ていうか性について語らせたり、性だけ分けたり、文学者をフェミだから、フェミでないからとか言うのも全部「性」強要ですよ。マスコミが女にしてくることはひどいし汚いよ。今の時代、いちいち強要してくる性を容認することはリベラルなんじゃなくて、暴力を容認することなんですよ。肉を一人前食べられないことを容認することなんです。そもそも泣いている被害女性を黙らせるために「フェミニズム少数派」の上野千鶴子がいる。それこそ私が長年小説でも論争でも批判してきた、ロリフェミ、イカフェミ、ヤリフェミなんですよ。
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単行本p.110


――――
性暴力を受けて泣く女性、困る女性を黙らせる仕事がフェミニズムだというのなら、私は今まで通りアンチフェミとかミソジニストとか言われて死ぬまで上野シンパに叩かれている方がいい。
(中略)
妻、母、娼婦、をやらない少女を食品として消費するネオリベ、そして搾り取られる国民にむけては「ほら、喰われるのは少女だけどうかご安心を」ってまさに人喰い経済暴力、しかもそれに対する批判精神なんてないんでしょ? 少女依存の「アート」? すでにご清潔な便器になってひさしいのでは?
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単行本p.112


 明瞭で厳格で、曖昧さも無責任さもない、「フェミを正気に戻す」知性的な言葉が続き、まずは圧倒され、それから内省と洞察を強いられます。


 最後にまとめられている「註」では、特に『海底八幡宮』以降の作品におけるキーワードの一つとなっている「捕獲装置」とその応用について非常に分かりやすくまとめられており、お勧めです。

 また、読者としては、「ひょうすべの続きを書く」(単行本p.110)とあるのが非常に気にかかります。


タグ:笙野頼子
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『九月の白い薔薇 ――ヘイトカウンター』(笙野頼子) [読書(随筆)]

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 十月の始め、週刊金曜日に小池知事の行いを千のプラトーにある、捕獲装置という概念をつかって説明していた。フェミ気取りで反原発だの企業課税だのを出しては引っ込めいちいち紛らわす、本質なき偽物の野党ぶりっこ。選挙民を騙せば勝ちの装置。誰も騙されぬようにその言説を私は必死で分析して述べた。終わって家に帰ると立憲民主党が立ち上がっていた。
 あっという間の何週間かで、自民は圧勝したけど権力は野党共闘への恐怖を露にしていた。支えた共産党の「惨敗」と何喰わぬ顔で書く大新聞が嫌で、私は赤旗に選挙総括を書いた。けして党員ではない、ずっと批判してきた。しかし今、ここにだけは真実、ほんの少しでも「保守」ののぞみがある(十月の末、さる方のお世話で、飼主様急死の老猫を迎える、命名ピジョン)。
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「群像」2018年1月号p.167


 シリーズ“笙野頼子を読む!”第114回。

 ヘイトデモに対するカウンターに参加した体験を中心に書かれたエッセイです。「群像」2018年1月号に掲載されました。


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 五月に猫をなくして立てなくなった。それでも八月の始めに本を出した。本の表紙にした亡き猫の顔は、戦争を止めるよ、とロックな眼差しで訴えている。ヘイトと経済収奪と戦争は三位一体、と主張するこの新作には、「さあ、文学で戦争を止めよう」という「あんまりな」題名を付けてしまっていた。
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「群像」2018年1月号p.165


 まずは最新長篇とギドウのこと。いきなりここで泣ける。ちなみに、最新作の紹介はこちら。


  2017年08月03日の日記
  『さあ、文学で戦争を止めよう 猫キッチン荒神』
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2017-08-03


 そしてヘイトカウンターに参加した体験が語られてゆきます。


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 それでも明けて九月一日の朝、両国駅最寄り横綱町公園慰霊祭に向かった。というのも関東大震災で虐殺された方々を悼む会に、今年から新種の嫌がらせが加わったそうなので、ヘイトカウンターをかねた取材に、私は行こうとしていたのだった。
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「群像」2018年1月号p.165


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今もネットを見ていたら、災害があるたび、同じデマが流れる。ヘイトな彼らはいつも、デマを流す。嘘と判ってするの恥ずかしくない? でもそれこそそれよ、相手を蔑んでいるから出来る事だ。
 嫌な時代がどんどん近づいて来て、あっという間にもう目の前にある。しかもヘイトスピーチに対してやっと解消法が出来て、してはいけない事になったはずなのに……。
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「群像」2018年1月号p.166


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 今、この戦前とは何か、それは上が規則を破り公約法律議会全部、本質を失わせ捕獲する世界。そして外国からフェミ認定で褒められた初の女性(極右)都知事は、慰霊祭への追悼文を出さないようにした。ばかりかそのお供養に対抗する嫌がらせ的法事が、このみんなの広場横綱町公園において許可されている。それはお供養の紛らわしい偽物、主催するのは極右女性団体。だけど今や、右も左もない。ここはTPPの平気な人達が、保守を自称する国。
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「群像」2018年1月号p.166


 今もひとり戦い続けている著者のまっとうに通じる言葉が、心に染みこんできます。そして最後に、さり気なく、読者に対する報告が。ほっとした。ほっとしたよ。

 ピジョン、平和の象徴。戦争を止めよう、言葉を取り戻そう。


タグ:笙野頼子
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