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『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』(高野秀行、清水克行) [読書(教養)]

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 それぞれ無意識に〈民族〉〈国家〉〈言語〉が主題になっている。本書は、二人のお気楽な読書体験録として読んでもらってもうれしいが、読みようによっては、そういった重要な問題群を考える何らかのヒントになるかもしれない。
 歴史をひもとけば、地球を駆けまわれば、私たちの社会とは異なる価値観で動く社会がたくさんある。「今、生きている世界がすべてではない」「ここではない何処かへ」という前著のメッセージに共感してくれた読者の皆さんの期待を、本書も裏切らない内容であると思うし、前著を読んでいない方々にもきっと楽しんでもらえるのではないかと思う。私たちの読書会の三人目の参加者として、どうか新たな超時空比較文明論を楽しんでもらいたい。
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単行本p.5


 日本中世の古文書を研究する歴史家。世界の辺境を旅するノンフィクション作家。それぞれ時間と空間を軸に「ここではない何処か」のあり方を探求してきた二人が、同じ本を読んでは互いに語り倒す知的興奮に満ちた一冊。単行本(集英社インターナショナル)出版は2018年4月、Kindle版配信は2018年6月です。


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 否応なしに正面からテーマ――辺境と歴史――に向き合わざるを得なかった。すると、これまでぼんやりと映っていた辺境や歴史の像(イメージ)がすごくくっきりと見える瞬間が何度もあった。解像度があがるとでもいうのだろうか。同時に、「自分が今ここにいる」という、不思議なほどに強い実感を得た。そして思ったのである。「これがいわゆる教養ってやつじゃないか」と。
 思えば、「ここではない何処か」を時間(歴史)と空間(旅もしくは辺境)という二つの軸で追求していくことは、「ここが今どこなのか」を把握するために最も有力な手段なのだ。その体系的な知識と方法論を人は教養と呼ぶのではなかろうか。
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単行本p.218


 話題作『世界の辺境とハードボイルド室町時代』の続編です。歴史や地理の教科書的な認識をぶちやぶり、知識の境界と世界観を大きく広げてくれる好著。読書好きにもお勧めです。全体は8つの章から構成されています。


[目次]

第1章『ゾミア』
第2章『世界史のなかの戦国日本』
第3章『大旅行記』全8巻
第4章『将門記』
第5章『ギケイキ』
第6章『ピダハン』
第7章『列島創世記』
第8章『日本語スタンダードの歴史』


第1章『ゾミア』
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清水 いや、面白かったですよ。これは逆転の発想ですよね。従来の人類学では、ゾミアの丘陵地帯に住む焼畑農耕民は「古い生活を残している人たち」と考えられてきたじゃないですか。むしろ、この人たちの現在の生活実態から前近代の生活を逆推したりしてきた。でも、ここで言っているのは、その見方を完全にひっくり返して、定住型国家から逃げていった人たちがそこに「戦略的な原始性」をつくり出したということですよね。

高野 事例や文献は以前からあったけど、多くの研究者は先入観を抱いていて、平地国家が発達させた文明の恩恵にあずかれなかった人たちが山間部に残ったというふうにしか見てこなかったということですよね。

清水 この本を読むと、そういう歴史観が成り立たなくなりますよね。彼らはある時期から意図的に「未開」に立ち戻ったんだ、ってわけでしょ。やっぱり研究者によっては拒絶反応を示す人もいるんじゃないですか。
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単行本p.16

 中国西南部から東南アジア大陸部を経てインド北東部に広がる丘陵地帯に暮らす山地民を「未開で遅れた人々」とする従来の発想を逆転させ、彼らは国家から逃れるためにあえて文明から距離を置いたと見なす視点。国家と文明についての対話が始まります。


第2章『世界史のなかの戦国日本』
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清水 グローバルヒストリーって記述が大味なんですよね。もちろん、疫病とか飢餓とか地政学とか人智を超えた要素を歴史叙述の中に組み込んだという功績は大きいし、そこは面白いと思うんだけど。あんまり出来の良くないクローバルヒストリーって、結局、国家間の主導権争いであり、パワーゲームに終始するじゃないですか。
 だけど、この『世界史のなかの戦国日本』は、そういのからこぼれ落ちる世界に目を向けているし、そういう歴史の方が僕はリアルで面白いと思うんです。

高野 こぼれ落ちるわりには広い世界ですしね。海に向かって開いているから。

清水 そうそう。年表風に政治的な出来事だけを並べていくと、それだけで世界史がなんとなくわかるような気もするけど、実は国家が押えているエリアって案外狭い。こぼれ落ちている世界のほうがよっぽど広いかもしれない。
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単行本p.66

 蝦夷地、琉球、対馬など、教科書的な日本史では注目されることの少ない「周辺」の歴史を取り上げ、それを世界史な文脈でとらえ直す本。国家を中心に考える従来の史観をひっくり返すことから見えてくる、広大でダイナミックな世界についての対話が始まります。


第5章『ギケイキ』
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高野 源義経をはじめとする登場人物は、みんな現代のすごく俗っぽい言葉で語ってますけど、当時の人たちがしゃべっていた感じに実は近いんじゃないかなと思いました。

清水 僕もそう思いました。もちろん、このまんまということはないですけど、中世のスピリットみたいなものをくみ取ったセリフになっていますよね。それと、この義経の、なんていうんでしょう、無軌道で破天荒なところ、ここなんかも中世人らしく描写されています。

高野 『ギケイキ』では、『義経記』には書かれていないことを義経自身が説明している箇所も多いですよね。

清水 そうそう。それがかなり適切な説明なんですよ。

高野 『ギケイキ』は義経の魂が現代も生きているという設定だから、中世を俯瞰で説明できるわけですよね。
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単行本p.122、124

 室町時代初期の軍記物『義経記』をぶっちぎり現代文学として語り直したギケイキパンク長篇小説を通じて、日本中世のリアルについての対話が始まります。本書で取り上げられている書物のうち、個人的に読んでいたのは本書だけでした。ちなみに紹介はこちら。

  2016年07月05日の日記
  『ギケイキ 千年の流転』(町田康)
  http://babahide.blog.so-net.ne.jp/2016-07-05


第6章『ピダハン』
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清水 僕がまずびっくりしたのは、ピダハン語には数の概念がないっていうことですね。それから左右もない。彼らは方角を川の「上流」「下流」で表すんですよね。

高野 他のアマゾンの民族みたいに体に羽飾りをつけたりペインティングしたりしない。たぶんそれは儀礼や呪術がないからで、つまり、ピダハンには非日常がないんですね。だって神もいないし、創世神話もないんだから。

清水 ハレとケがないんだ、そもそも。
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単行本p.144

 アマゾン奥地に暮らすピダハンの人々の特異な文化。数も左右の概念もなく、呪術や儀式や宗教など非日常的なものもなく、具体的な直接体験しか話さない人々。外界との接触も多く交易を通じて文明の利器も手に入れながら、なぜこんなに異質な文化が保たれてきたのか。人類文化の幅広さと言語の普遍性をめぐる対話が始まります。


第7章『列島創世記』
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高野 この本では、旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代までが、文字がなかった時代として一つにくくられていて、近年、発達している認知考古学というアプローチで描かれているわけですよね。

清水 ええ。かつてのマルクス主義を支えた唯物史観では、歴史を動かすのは生産力や生産関係だと考えられてきたんですが、認知考古学では「ホモ・サピエンスの心」に着目するんですね。松木さんの場合は、土器の造形美とかデザインとか、そういうものの変化に目を向けている。
 キーワードは「凝り」ですよね。人が石器や土器などに、実用としての必要性以上に手を加えてメッセージ性を付与することをそう表現しています。

高野 「凝り」って、すごい言葉ですよね(笑)。
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単行本p.169

 石器や土器などのモノの造形と変化から、ヒトの心や行動や社会を読み解いてゆく。認知考古学の手法を駆使して追求された文字以前の日本古代社会、そのあり方についての対話が始まります。



タグ:高野秀行
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『くりかえしあらわれる火』(西元直子) [読書(小説・詩)]

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            機嫌のわるい母の声に押されて家を出たとた
んに、ロマ! と思う。黒い影の塊がゆくてに背後にうずくまっている。
走ってはいけない。走ってはいけないのだが渡された硬貨を強く握りし
め怯えおののきながらやはり全速力で走ってしまう。暗く点る街灯の下
に、川沿いのアパートメントの肌色の壁に、犬の影が大きく映しだされ
るのを見てしまわないように硬く硬く首を前方に固定して走る。ロマの
吐く息が足首にかかる。ロマがすぐ後ろにいる。
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 失われた小説の断章のような言葉、謎めいた物語を感じさせる情景描写。散文と韻文の境界をあっさり越えた凄味をみせる『けもの王』『巡礼』、その作者による待望の最新詩集。単行本(書肆山田)出版は2018年4月です。


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人の踏みしめた跡のある草地をくだってゆくと眼前に田が開け、コンク
リート製の用水路に出る。たっぷりの澄んだ水がたいへんな勢いで流れ
てゆく。丸木橋を渡って田のあぜ道に立つ。ひろがる田の景色。遠くの
山々、あちこちにくろぐろとしたかたまりを見せる杉林。つぎつぎに風
が吹いてきては稲の葉を波立たせる。
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            奥の石組みで囲われた半畳ほどの小さな池に
は体長六十センチ位の灰色の淡水魚が一匹だけいる。その大きな魚は水
のなかで静かに透明なヒレを動かしている。池のまえに魚について書か
れたパネルはない。珍しい種類ではないのかもしれない。魚がじっとこ
ちらを見ている。なんだか魚らしくない目でこちらを見ている。この魚、
ヒトのような目つきをしているな。気のせいか少し私に似ている。石組
みの上に腰かけて休みながら魚を見た。地方都市の小さな植物園のなか
のさらに小さな池のなかに名も知られずに一匹で棲んでいる魚の気持ち
を考える。私にとてもよく似た魚。また魚と目が合う。
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なにか水音がしたように思った。ふと目をやると、川のなかほどの深み
を男がひとり、必死の様子で渡っているのだった。黒い髪の浅黒い顔を
した若い男が胸のあたりまで水につかりながら対岸へ渡ろうとしている。
見ると男は自分の頭よりも大きい彫像の首を抱えている。無謀だと思い、
どうなることかと気を揉んだが、危うく流されそうになりながらもなん
とか彫像の首を抱えたまま男は深みを渡りきり対岸に這いあがった。よ
ほど疲れたのか、草の上に彫像の首を放り出し、這った姿勢のまましば
らくのあいだ肩を上下させて咳きこんでいる。渡る途中で水を飲んでし
まったらしい。あの首は盗んできたものにちがいない。おそらく先ほど
の公園から盗んできたのだろう。ひと目を気にしてこっそり川を渡った
のだろう。男は咳をするのを止めのろのろと立ち上がった。そして大事
そうに彫像の首を抱えると、濡れた服のまま土手を登り灌木のなかに姿
を消した。
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泉は暗い森のなかのなおいっそう暗い窪みに静かに沸きあがっていた。
水面は黒く濃く、木立からこぼれる月あかりをうけて時おりきらりきら
りと光った。足が震えた。とうとう見つけたとうとう見つけたと叫ぼう
としたが声にはならず、ただ低く、うう、というしゃがれた音が喉から
出た。あの泉は冬にも夏にも涸れることはない、だがけっして同じ場所
にはないのだ、と聞いていた。いかにして泉に近づくか、願いを持って
しまってからはずっとそのことばかりを考えて暮らしていた。結局何も
わからないままやみくもに歩いてきて、しかしとにかく泉にたどりつい
た。夢を見ているのではない、これは夢ではないのだ。這うようにして
泉に近づいた。そしてこんこんと沸きあがる暗い水面を見つめた。ここ
に違いない。間違いない。静かな確信がよろこびとともに沸きあがった。
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                        この気持ち、この
気持ちはどこから来るのか。わたしはこの世界でやるべきことを果たし
ていない。それが何なのかもわからない。何ものかがこころのなかで叫
ぶ。くり返し叫んでいる。音にならない音が響きわたり、映るまえに消
えてしまう影は見えない場所で踊りつづけている。日は沈んだ。日は沈
んでしまった。日は沈んだ、日は沈んでしまった、わたしを照らす光は
ない。こころにあった業火が消えた。願いは奪われてしまった、苦しみ
は奪われてしまった。何を願っていたのだっけ。何を願っていたのか思
い出せない。何を願っていたのか、何を願っていたのか、何を願ってい
たのか思い出せない。わたしは何を願っていたのか。
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砂地であそんでいた、転がって、笑って、泣いたり、喚いたり、世界、
世界、世界、世界のながれおちる縁で、ひとりで、砂でざらついた手の
したにあった、手のなかにあった、手のそとにも、この一瞬まるごと、
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タグ:西元直子
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『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』(ケン・リュウ:編集・英訳、中原尚哉・他:翻訳) [読書(SF)]

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 中国SFは中国に関する物語ばかりではない。例えば馬伯庸(マー・ボーヨン)の「沈黙都市」はオーウェルの『一九八四年』へのオマージュであり、同時に冷戦後に残された見えない壁の描写でもある。劉慈欣(リウ・ツーシン)は「神様の介護係」で文明の拡大と資源の枯渇という一般的な主張を、中国の地方の村を舞台にした倫理をめぐるドラマの形で探求した。陳楸帆(チェン・チウファン)の「沙嘴の花」はサイバーパンクの陰鬱な雰囲気を深圳付近の海岸沿いの漁村にまで広げ、その「沙嘴」という架空の村をグローバル化した世界の小宇宙とも病状とも取れる形で描いた。わたし自身の「百鬼夜行街」は巨匠たちによる作品――ニール・ゲイマンの『墓場の少年』、ツイ・ハークの「チャイニーズ・ゴースト・ストーリー」、宮崎駿の映画で脳裡をよぎったイメージを取り入れている。わたしの見るところ、これらまったく異なった物語も共通のあるものを語っており、中国の幽霊譚とSFの間に生まれる緊張関係が同じアイデアを表現するまた別の手法をもたらすのだ。
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新書版p.404


 あまりにも急激な時代変化と分断された世代や階層や地域、テクノロジーの爆発的発展と世界観の相転移、目まぐるしい経済発展と苛烈な競争、伝統的文化と文学の系譜、そして強圧的な政治体制。それらの共存する場所にこそ、まさにSFの最前線がある。沸き立つ現代中国SFの今を知らせるために、ケン・リュウが7人の作家と13本の短篇(+エッセイ3本)を厳選し英訳した現代中国SFアンソロジー。新書版(早川書房)出版は2018年2月、Kindle版配信は2018年2月です。


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 中国の作家の政治的関心が西側の読者の期待するものとおなじだと想像するのは、よく言って傲慢であり、悪く言えば危険なのです。中国の作家たちは、地球について、たんに中国だけでなく人類全体について、言葉を発しており、その観点から彼らの作品を理解しようとするほうがはるかに実りの多いアプローチである、とわたしは思います。
 文学的メタファーを使用することで、異議や批判を言葉にするのは、中国の長い伝統であるのは確かです。しかしながら、それは作家たちが文章を著し、読者が読む目的のひとつに過ぎません。(中略)こうしたことを無視し、地政学にだけ焦点を当てると、作品を大きく棄損することになります。
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新書版p.14


[収録作品]

『鼠年』(陳楸帆 チェン・チウファン)
『麗江の魚』(陳楸帆 チェン・チウファン)
『沙嘴の花』(陳楸帆 チェン・チウファン)
『百鬼夜行街』(夏笳 シア・ジア)
『童童の夏』(夏笳 シア・ジア)
『龍馬夜行』(夏笳 シア・ジア)
『沈黙都市』(馬伯庸 マー・ボーヨン)
『見えない惑星』(ハオ(赤へんにおおざと)景芳 ハオ・ジンファン)
『折りたたみ北京』(ハオ景芳 ハオ・ジンファン)
『コールガール』(糖匪 タン・フェイ)
『蛍火の墓』(程ジン波 チョン・ジンボー)
『円』(劉慈欣 リウ・ツーシン)
『神様の介護係』(劉慈欣 リウ・ツーシン)
『ありとあらゆる可能性の中で最悪の宇宙と最良の地球:三体と中国SF』(劉慈欣 リウ・ツーシン)
『引き裂かれた世代:移行期の文化における中国SF』(陳楸帆 チェン・チウファン)
『中国SFを中国たらしめているものは何か?』(夏笳 シア・ジア)


『鼠年』(陳楸帆 チェン・チウファン)
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 鼠だ。何百万匹という鼠が、畑や、森や、丘や、村から出てきている。歩いている。そう、直立してゆっくりと歩いている。まるで世界最大の観光ツアーのようだ。小さな集団も合流し、小川が大河になり、海になる。まだらの毛が大きな模様を描く。均整と美がある。
 冬の枯れ野や、同様に無味乾燥な人間の建物を飲みこみ、波打ちながら鼠の海は進む。
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新書版p.48

 遺伝子操作されたネオラットを駆除するために組織された鼠駆除隊に動員された大学生たち。「国を愛し、軍を援けよう。民を守り、鼠を殺そう」なるスローガンのもと、劣悪な環境で鼠と戦わされ、無意味に命を落としてゆく。一方で、改変遺伝子(ただし違法コピー)を持つ鼠たちは勝手に知性化を進め、独自の社会と文化を築きつつあった……。

 苦労して大学を卒業したのに良い仕事につけず、都市部で低収入・不安定な底辺労働者として鼠のように生きることを強いられる若者たち。一部の富裕層が外貨をどっさり稼ぐその足元で、知らされることなき非情なグランドプランに基づいて、鼠族と鼠が共食いさせられる。社会問題を風刺しつつ、感傷的な筆致で読者の心を打つ作品。


『麗江の魚』(陳楸帆 チェン・チウファン)
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 飛行機は離陸した。市街、道路、山、川……。すべてが遠ざかって、さまざまな色の四角が集まった小さなチェス盤のようになった。それぞれの四角のなかで時間は速く流れたり遅く流れたりしている。地上の人々は見えない手にあやつられた蟻のように集められ、グループごとにそれぞれの四角に押しこめられている。労働者、貧困者、つまり“第三世界”の時間の流れは速い。裕福で有閑の“先進国”では時間はゆっくりと流れる。為政者、偶像、神々の時間は止まっている……。
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新書版p.69

 あくなき生産性向上、激しい出世競争、毎日激変してゆく世界に追いつけなければ脱落するという強烈なプレッシャー。過酷なストレスにさらされ続ける現代中国の都市生活者である主人公は、激務のせいでメンタルヘルスに問題を抱え、リハビリのため麗江の街に十年ぶりに戻ってくる。美しい自然、のんびりと流れてゆく時間、謎めいた女との逢瀬。しかし、語り手はそのすべてが人工的に管理されていることに気づく。

 「万人に平等に与えられている唯一の資源」といわれる時間でさえ社会階層による格差が広がっているストレスフルな現代中国の都市生活を、SF的なアイデアを用いて表現した作品。


『百鬼夜行街』(夏笳 シア・ジア)
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 どの幽霊も生前の逸話をいくつも持っています。体が荼毘に付され、灰が土に還っても、逸話は生きつづけます。百鬼夜行街が眠りにつく昼間、逸話は夢となって、巣のない燕のように軒先を飛びまわります。ただ一人その時間に通りを歩くぼくは、飛ぶ夢を見て、その歌を聴きます。
 百鬼夜行街で生者はぼくだけです。
 ぼくはここの住人ではないと小倩は言います。大人になったら出ていかなくてはいけないと。
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新書版p.98

 幽霊と妖怪が跋扈する百鬼夜行街で、女幽霊に育てられる少年。彼はこの街の唯一の生者だった。伝統的な幽霊譚とサイエンス・フィクションを融合させた幻想小説。


『沈黙都市』(馬伯庸 マー・ボーヨン)
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「『一九八四年』の作者は全体主義の伸長を予言している。しかし技術の進歩は予言できなかった」
 ワグナーは見かけによらず鋭敏な人物だと、アーバーダンは思った。とても洞察力のある技術官だ。
「物語のオセアニアでは、秘密のメモを渡して秘めた思いを相手に伝えることが可能だった。しかし現代はちがう。関係当局は人々をウェブに住まわせている。そこでは秘密のメモを渡そうとしても、ウェブ統制官から丸見えだ。隠れる場所はない。では物理的な世界ではどうか。こちらはリスナーに監視されている」
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新書版p.186

 ネット統制と会話監視テクノロジーが普及した世界。「健全語」に指定された言葉以外は使うことが許されないその国で、言語も、会話も、文学も、そして思考すら滅びてゆく。オーウェル『一九八四年』を現代にアップデートした作品。


『折りたたみ北京』(ハオ景芳 ハオ・ジンファン)
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 “交替”が始まった。これが二十四時間ごとに繰り返されているプロセスだ。世界が回転し始める。鋼鉄とコンクリートが折りたたまれ、きしみ、ぶつかる音が、工場の組立ラインがきしみを上げて止まるときのように、あたりに響き渡る。街の高層ビルが集まって巨大なブロックとなり、ネオンサインや入口の日よけやバルコニーなど外に突き出した設備は建物のなかに引っこむか、平らになって壁に皮膚のように薄く張りつく。あらゆる空間を利用して、建物は最小限の空間に収まっていく。
(中略)
 その頃には、地面が回転しはじめている。
一区画ずつ、地面が軸を中心に百八十度回転して、裏側の建物を表に出していく。次々に展開して高く伸びていく建物は、まるで青灰色の空の下で目を覚ます獣の群れのようだ。オレンジ色の朝日のなかに現れた島のような街は、開けて広がり、灰色の霧をまとわせて静かに立ち上がる。
――――
新書版p.234、237

 三層構造になっている北京。地図上の同じ場所を共有する三つの北京が、時間を区切って交替することで、経済成長と雇用確保を両立させているのだ。“交替”時刻がやってくると、それまで存在した北京の街は物理的に折り畳まれ、次の階層がポップアップ絵本のように展開する。階層間の行き来は厳しく制限されている。あるとき「プライベートな手紙を第一階層へ届けてほしい」という依頼を受けた第三階層の貧しい住民である主人公は、高額の報酬を手に入れるため危険を覚悟で「越境」を試みるが……。

 支配層、都市住民、農民工という三層に分かれた階級社会、急激に広がる苛烈な経済格差、所属階層によって世界観そのものが分断された、そんな現在中国。もう文学的暗喩とかそういうぬるい手法では表現しきれないような状況を、徹底的に“物理的に”表現してのけた驚異の作品。


『円』(劉慈欣 リウ・ツーシン)
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「陛下、円周率計算のためにわたしが開発した手順には序列があります。ご覧ください――」荊軻は壇の下の計算陣形をしめした。「――待機している兵の陣形を、硬件(ハードウェア)と呼びます。対してこの布に書かれているのは、計算陣形にいれる魂のようなもので、軟件(ソフトウェア)と呼びます。硬件と軟件の関係は、古琴と楽譜のようなものです」
 政王はうなずいた。
「よろしい。はじめよ」
 荊軻は両手を頭上にかかげて、おごそかに宣した。
「大王陛下の命により、計算陣形を始動する! 機構の自己点検!」
 石の壇から半分下がったところに立つ兵の列が、手旗信号を使って命令を反復した。たちまち三百万の兵による陣形で小旗が打ち振られた。まるで湖面が波立ち、きらめくようだ。
「自己点検完了! 初期化進行を開始! 計算手順を読み込み(ロード)!」
――――
新書版p.326

 あらゆる情報は数字列にコード化できる、循環しない無限小数である円周率にはすべての数字列が含まれる。従って、円周率を計算すれば、必ずや不老不死の秘密が「書かれた」箇所を見つけることが出来る。

 始皇帝より不老不死の探索を命じられた荊軻は、円周率を計算するために驚くべき戦略を考案した。三百万もの兵士を秩序正しく整列させる。中央演算の陣、情報格納の陣、入出力制御の陣。一人一人の兵士は単なる論理演算門(ゲート)として単純な指示に従って小旗を上げ下げするだけだが、その巨大陣形が一糸乱れぬ動きをすることで、円周率の計算を高速実行できるのだ。これぞ大型計算陣の計(アーキテクチャ)なり。そして始まるデスマーチ。馬鹿SFテイストに違和感なし。


『神様の介護係』(劉慈欣 リウ・ツーシン)
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 一方で地球の人口はいきなり二十億人増加した。増えたのは高齢者なので、生産性はなく、大半が病気がちだ。これは人類社会に前例のない重荷になった。どの政府も神を介護する世帯にかなりの額の補助金を出した。健康保険制度やその他の公共インフラは破綻寸前となり、世界経済は崩壊の危機にさらされた。
 神と秋生一家の和気藹々とした関係も崩れた。神は空から降ってきた厄介者と見なされはじめた。(中略)玉蓮はしきりに神を責めるようになった。あんたが来るまでうちは豊かに、不自由なく暮らしてたのよ。あの頃はよかった。いまは最低。なにもかもあんたのせいよ。こんなぼけ老人に居座られて大迷惑だわ……。玉蓮はこんなふうに毎日暇さえあれば神を面罵した。
――――
新書版p.356

 あるとき空から大量に降ってきた老人たち。すわファフロツキーズ現象かと思ったら、実は神でした。若い頃に老後の備えとして地球に種をまいておいたところ、そこから発生した人類は今や立派な若文明に育ってくれた。ありがたいありがたい。どうか創造主に対する恩を感じて飯を食わせてほしいのじゃ。

 いきなり20億人もの神を介護するはめになった人類大慌て。最初は「神を大切にするのは伝統的価値観」とかいってた人々も、段々と「うざい」と思うようになり、やがて頻発する神虐待事件。ああ、若者の敬神精神はどこへいったのか。風刺ドタバタSFテイストに違和感なし。



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『知性は死なない 平成の鬱をこえて』(與那覇潤) [読書(教養)]

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 当初は知識人の好機ともみられていた、世界秩序の転換点でもある平成という時代に、どうして「知性」は社会を変えられず、むしろないがしろにされ敗北していったのか。
 精神病という、まさに知性そのものをむしばむ病気とつきあいながら、私なりにその理由を、かつての自分自身にたいする批判もふくめて探った記録が、本書になります。
(中略)
 読んでくださるみなさんにお願いしたいのは、本書を感情的に没入するための書物に、してほしくないということ。むしろ、ご自身がお持ちの知性を「再起動」するためのきっかけにしてほしいと、つよく願っています。
 なぜなら、知性はうつろうかもしれないけれども、病によってすら殺すことはできない。知性は死なないのだから。
――――
単行本p.14


 知性はどうして社会を変えられなかったのか。話題作『中国化する日本』『日本人はなぜ存在するか』などの著者が、重度の双極性障害(躁うつ病)による知性喪失という試練を乗りこえ、知性主義の限界を分析した一冊。単行本(文藝春秋)出版は2018年4月、Kindle版配信は2018年4月です。


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 「平成時代」とは、どんな時代としてふり返られるのでしょうか。
 ひとことでいえば、「戦後日本の長い黄昏」ということになるのではないかと、私は思います。
 この30年間に、戦後日本の個性とされたあらゆる特徴が、限界を露呈し、あるいは批判にさらされ、自明のものではなくなりました。(中略)すくなくとも平成という時代が、戦後日本にたいする再検討とともにあり、最後の総仕上げとしての改憲問題を積みのこしつつ、閉じられようとしていることについては、多くの読者の同意を得られるものと思います。

 自明とされてきた秩序がゆらぐ時代とは、ほんらい知性への欲求がたかまるときでもあります。じっさいに平成には、大学教員をはじめとする多くの知識人が、「なぜ戦後日本がいきづまったのか」を分析し、その少なくない部分が、みずからの望む方向に現実を変えようと、具体的な行動にでました。
 しかしその結果は、死屍累々です。(中略)ほとんどの学者のとなえてきたことは、たんに実現しないか、実現した結果まちがいがわかってしまった。そうしたさびしい状況で、「活動する知識人」の時代でもあった平成は、終焉をむかえようとしています。
――――
単行本p.8、10


――――
 なぜ、知識人とよばれる人びとは、社会を変えられなかったのか。どうして、変革の時代であったはずの平成が、このような形でおわろうとしているのか。
 それはけっして、日本の一般国民の「民度が低い」からではありません。ましてや、あまり知的でない一連の書籍に書かれているような「外国の陰謀」によるものでもありません。
 病気を体験する前の私自身をふくめて、知識人であるか否かをとわず、多くの人々が考える「知性」のイメージや、それを動かす「能力」を把握する方法自体に、大きな見落としがあったのではないか。逆にいえば、知性というもののとらえかた、能力のあつかいかたを更新することで、私たちはもう一度、達成しそこねた変革をやりなおせるのではないか――。
――――
単行本p.17


 全体は6つの章から構成されています。

「第1章 わたしが病気になるまで」
「第2章 「うつ」に関する10の誤解」
「第3章 躁うつ病とはどんな病気か」
「第4章 反知性主義とのつきあいかた」
「第5章 知性が崩れゆく世界で」
「第6章 病気からみつけた生きかた」


「第1章 わたしが病気になるまで」
――――
 こうして私は精神病の患者となりましたが、それを皇太子来学騒動で惨状を呈した進歩的な大学人たちの「被害者」だというふうにとられるのは、本意ではありません。くりかえし書いてきたように、「だれが被害者なのか」というのは、しばしば容易にひっくり返るのです。
――――
単行本p.51

 発症前の自身の経歴について大雑把に紹介しつつ、大学における知識人たちの振る舞いに批判を加えてゆきます。


「第2章 「うつ」に関する10の誤解」
――――
 この章では、なかでも多くの人がおちいりがちだと思われる、10種類の「うつに関して広く流布しているが、正しくない理解」をとりあげ、精神科医を中心とした専門家による文献を典拠として注記しながら、ひとつひとつ、どこがまちがいかをあきらかにしていきたいと思います。
――――
単行本p.54

 「過労やストレスが原因」「なりやすい性格がある」「遺伝する」「認知療法が効く」など、うつ病に関する様々な俗説や思い込みを取り上げ、専門家の知見を紹介してゆきます。


「第3章 躁うつ病とはどんな病気か」
――――
 問題はたんに「感情的な身体が、理性的な言語をしたがえてしまう」点にあるのでも、ないことがわかります。むしろ私たちにはしばしば、「感情的な言語が暴走して、身体をひきずっていってしまう」ことすら起きる。
 だとすれば言語か身体かのどちらかを悪者にしたてても、問題は解決しない。むしろ言語も身体も、どもに狂ってしまう可能性があることをみとめ、両者の関係が機能不全におちいるメカニズムを探求することでしか、私は私自身の病を理解できないのではないか。
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単行本p.116

 自身の病について考え、その「意味」について考えるなかで、言語と身体の相剋というテーマが浮かび上がってきます。


「第4章 反知性主義とのつきあいかた」
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 より深いところで私は、この反知性主義というものをとらえそこなっていたと思います。それは、橋下氏や安倍氏の存在にあらわれているものが、基本的には「日本固有の問題」だと考えていたことです。
(中略)
 かりに、日本にハーバードやオクスフォード級の大学があったところで、問題はなにも解決しない。というか、大学なり知識人なりといった存在そのものに、社会的な意義なんて、そもそもあったのか。
 そういう、日本固有ではなく「世界共通の問題」を前にして、私たちは平成という時代を終えようとしています。
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単行本p.138、139

 「反知性主義の台頭」という先進国に共通する問題を、どのように理解すればいいのか。大学の機能不全と合わせて、知性主義の敗北について考えます。


「第5章 知性が崩れゆく世界で」
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 ソ連の社会主義であれアメリカの自由主義であれ、超大国のインテリたちがグランドデザインを描こうとしてきた、言語によって普遍性が語られる世界秩序にたいする、身体的な――4章のことばでいえば、反正統主義ないし反知性主義的な反発。
 その力は最初に、ソビエト帝国としての社会主義圏を崩壊させ、およそ30年後にいま、アメリカ合衆国の帝国版たるパクス・アメリカーナを、瓦解させようとしている。
 そういう目でみることで、はじめて目下の世界で起きていることが理解できるのだと、私は感じています。
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単行本p.195

 言語と身体の相剋、帝国と民族の相剋。反知性主義の台頭を「帝国」の終焉過程という大きな歴史的文脈のなかに位置づけるという、いかにも『中国化する日本』の著者らしい論が展開されます。


「第6章 病気からみつけた生きかた」
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 大学の学者がいかに「反知性主義」をなげこうとも、世論の流れを変えられないように、人びとのあいだに「能力の差」はつねにあるのです。
 その差異が破局につながらず、むしろたがいに心地よさを共有できるような空間をデザインする知恵こそが、いまもとめられています。
(中略)
 冷戦下では両極端にあるとされてきた、コミュニズムとネオリベラリズムの統一戦線――いわば「赤い新自由主義」だけが、真に冷戦が終わったあと、きたるべき時代における保守政治への対抗軸たりうると、私は信じています。
――――
単行本p.252、275

 帝国の終焉、冷戦の終わり。来るべき時代に、知性はどのように使われるべきなのか。自らの治療体験にもとづいて、知性というもののとらえかた、能力のあつかいかたを更新する道を探ります。



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『あなたとわたしと無数の人々』(川上亜紀) [読書(小説・詩)]

――――
そのときクマのようなネコのような
わたしに似た何者かが背後から近づいてきて
「あたらしい詩を書くんだ」と言って
それきり雑踏にまぎれてしまった

あたらしい詩、そんなの書けそうもないよ
神にも詩人にもなれそうもないわたしには
――――
『水道橋の水難』より


 のどかな情景、不穏な予感、そして力強いユーモア。まっすぐな言葉と覚悟が読者の胸をうつ詩集。単行本(七月堂)出版は2018年4月です。

 酷薄な現実、強い覚悟、それらを童話のようなほんわりした情景にくるんで読者の中に落としこんでくる作品が好きです。あらゆるものに負けない言葉が、とても好きです。


――――
八重桜の枝が風に揺れ
消防車のサイレンが響き
明るい四月の光のなかを
バスは窓を開けたまま行く
――――
『四月のバスで荻窪駅まで』より


――――
水は膝の上までせりあがってきたから
水の中でクマのようなネコのような
クマ泳ぎネコ泳ぎしながら
憂き世の浮き輪を探したのだが
四○一教室の前もいつのまにか通り過ぎてしまって
こうなったらもう赤い靴にも未練はないから
クマ泳ぎネコ泳ぎしてずっと遠くまで行くだけさ
――――
『水道橋の水難』より


――――
体毛に覆われたものたちはここにはいないんだな
そう思っていたら
交差点の向こうから羊たちがやってきたのだ
羊の群れは無言でもくもくとおしよせてきて吉祥寺の街も駅も覆いつくし
 てしまった
太陽は静かに中空に輝いて空には雲ひとつなかった
わたしは〈ポメラ〉で詩を書こうと思った
ふさふさとした毛の長い詩を書こうと思った
――――
『誕生日に』より


――――
それでもオガワのトラさんは雲の上で第九を歌っていて
いまでは父もそこに加わって夢のオーケストラを指揮していて
さきにいっていたSさんは雄猫のルリを撫でてくれているのだ
そんなふうに雲の上には知っているひとも知らないひともいる

もうひとりのSさんの葬儀から帰ってきたとき
「あーあ、みんなシンジャッタ」
と父は言ったものだけど

過去は未来にまわっていって
みんないつかは雲の上なのだけど
(もうひとりのSさんはやっぱり沖縄の雲の上だろうか)

未来について語るべきことなんかないとしても
空から訪れる太陽の光のなかでは懐かしい記憶だけでなく
わたしの知らない過去のすべてまでがちりちりと燃えているから
このさきにはもうほんとうに恐ろしいことなどありはしないと思う
――――
『あなたとわたしと無数の人々』より


――――
細かい傷のついた古いプラスチックケースから
CDを一枚取り出してミニコンポにセットして
スタートボタンを押してみる

ピアノ、ヴィオラ、クラリネットの音が沸きあがる
(夏の雲のように響いて)
(感電する 背中の翼に)

どうしてもたどりつきたかった
そこへ その場所へ 高い空の彼方
その夏に飛んだ高度はいまも計測不可能だ
――――
『夏の姉のための三重奏』より



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